ちょっとそこまで

 221124(金) 晴れ 「しめ縄作り」
氏神様のお世話で、新春の「しめ縄作り」です。76年生きて初の体験です!

しめ縄作りは「稲わら」の選択からだそうです。流石に皆様はプロ農家の方が多いので、とても詳しい。稲の新種もたくさんあって、しめ縄に向いた品種も決まっているそうです。
1番良いのは「もち米」だそうで、稲が長くて柔らかいそうですが、風に弱いので最近は殆ど入手できないそうです。

今日、使った稲わらの品種は、私には分かりません。
機械ではなく「手で刈って」寧寧に乾燥させるそうです。
 1.保存していた稲わらを木槌で叩く(柔らかくするため)
 2.はかま(外の薄皮)を剥ぐ
 3.それから3人掛かりで編んでいきます。
 ・稲わらの束に「より」を入れながら「二重螺旋」でまず編む
 ・次に、逆螺旋で三重目を編み込む。これで「三つ編み」が出来ます。両端を固定して出来上がりです。
3人掛かりの理由は、編む人・編んだ部分を抑えていく人・稲わらを補給する人が必要だからです。詳しくは動画でご覧ください。
 4.編みあがったしめ縄を「化粧」します。はみ出している「藁」を挟みで丁寧に切って出来上がりです。
この初体験は「感動」でした。

1本の藁が、まさに「束になってしめ縄になる」先人の知恵に、惚れ惚れします。全行程を写真に撮りたかったのですが、途中から「稲わらの補給掛かり」になったのでできませんでした。
「稲わらの補給」も、結構大変です。しめ縄の長さで太さが変わりません。編む人から「補給する稲わらの太さ」の指示が出ます。それに合わせて、本数を選び端を揃えて、タイミングを合わせて渡します。要領を掴みかけた時に作業終了でした。

「良い体験」でしたが、長生きすれば「どかで担当になる」時が来るのでしょう。それまでに覚えることができるでしょうか?


 221119(日) 曇り 「加太ビオトープ」



ベニマシコ♂


ベニマシコ♀
白内障の手術をしました。
私の裸眼視力は、
 左:0.9
 右:0.4
先に、左の手術をしたのですが、視力は据え置きました。右の手術前に「野鳥をもっと奇麗に見たいなら右の視力は上げてはどうか?」とドクターのアドバイスです。その代り、手元はメガネが必須になる。

「どうするか?」それを決めるため探鳥に来ました。
自覚したのは「視力0.4の右目で野鳥を探している」と言うことです。

いまでも「手元はメガネ」に頼っているので、視力を上げようかなと思う。




ジョウビタキ♂


ホオジロ♂

ホオジロ♀

セッカとホオジロ

セッカ

ヒドリガモ♂

ヒドリガモ♀

コガモ♀?

オオバン


 221112(日) 曇り時々小雨 「谷崎潤一郎記念館とハーバーランド」」

家内のお供で「日帰り旅行」です。
行先は、芦屋にある谷崎潤一郎記念館と神戸のハーバーランドです。
私は、誘われて「ええよ」と言っただけで知らなかったのですが、和歌山にある「習字教室の集まり」の旅行だったそうです。
 231112₋1 まずは『谷崎潤一郎記念館』
約30年ぶりの訪問で、リニューアルされており、全く記憶にない記念館でした。
谷崎潤一郎氏は、有名作家で生涯であちこちに住んでいます。芦屋だけではなく、各地に記念館があったように思います。その後、向かいにある公園で「フリマ」がありました。こちらの方が楽しかった(ごめんなさい)。
詳しくは、facebookでご覧ください。https://www.facebook.com/groups/247207301343547/posts/328181159912827/

 231112₋2 芦屋浜に会員制ホテルで昼食(イタリア料理)
詳しくは、facebookでご覧ください。https://www.facebook.com/groups/247207301343547/posts/328182049912738/

 231112‐3 神戸ハーバーランド

20年ぶりの訪問ですが、こちらも「記憶にないほど」に変わっていました。
ホテルの食事も良かったもですが、ハーバーランドのモザイクで、エスニック料理も食べたかったなあ(もう、腹いっぱい得無理でした)。
詳しくは、facebookでご覧ください。https://www.facebook.com/groups/247207301343547/posts/328183336579276/


 221111(土) 曇りのち晴れ 「第2回和歌山城勉強会」
第2回和歌山城勉強会です。
寒い朝でした。重ね着に、さらに薄手のブルゾンを羽織って「まだ寒い」と感じたほどです。1週間前の最低気温より低い「今日の最高気温は16℃」一気に変化されると戸惑います。
秀吉による紀州征伐前にも「砦」程度の国衆の城があったようですが、それは今の時鐘堂付近だったそうです。
この地の、本格的に築城したのは、秀吉の命を受けて豊臣秀長です。普請奉行を務めたのは藤堂高虎で「藤堂流」とよばれる技法が各所に残る。
政権が徳川に移り、紀州徳川家藩祖「徳川頼宣」が入府し、大規模に拡張する。余りに拡張規模が大きくて「謀反」を疑われ調査を受けている。、頼宣は「由比正雪の乱」でも『黒幕』と疑われており、大規模な拡張も案外本気ではなかったかと思う。

今日の勉強会は、頼宣が拡張した「南側」の勉強会でした。
詳しくは、facebookでご覧ください。https://www.facebook.com/groups/247207301343547/posts/327595546638055/


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