私が生まれたのは、愛知県碧南市です。姉の家(嫁ぎ先)は、碧南市からほど近い刈谷市です。
探鳥後、時間があったので「刈谷市駅史博物館」に案内してもらいました。
刈谷城にほど近いところ(かつては濠の一角で河川敷だったのだろう)にあります。
まあ、流石「日本有数の金持ち自治体」です。
広い歴史博物館の常設展示から見学。
まずは、刈谷に伝わる「夏祭り」展示です。私は全く知らなかったのですが、このような山車や、東北のねぶたに似た張りぼて(何と呼ぶのだろう?)が、街を練り歩くそうです。
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2階の常設展示場は「縄文時代から現代まで」です。ところが、
・縄文時代の展示
・刈谷城遺構の展示
・豊田自動織機の展示
「何でこんな時代が飛んでンのや!」と思わずつっこみを入れた。
折角(広いスペース)があるので、時代を「点ではなく流れで展示」して欲しいなあと感じました。
縄文人の衣装を身に付けてみました。およそ保温性はなく、寒かっただろうな!
この後、刈谷城址へ向かいました。
刈谷城(別名亀城)は、徳川家康の生母「於大の方」縁の水野家の城で、江戸時代は老中を出している。
衣ヶ浦の面した「平城」で、標高は10mほど。
幼少のころ、ここで暮らしたことがあり、亀城は遊び場でした。今回訪れて、余りの小ささに驚いた。
写真右は本丸跡です。天守はなかったそうで、櫓があった。その櫓を「木造で復元」する話があるそうですが、議会の承認が得られないという。
歴史博物館には、中世の「刈谷の経済」に触れたコーナーがない。徳川家の重鎮であった水野氏だが、経済的に繁栄していたわけではない。
衣ヶ浦は「東西南北の4つの浦」で構成されていた(ここは東浦に近い)。
その中心にあったのが「大浜」で、それが現在の「碧南市」です。碧南市に河口を持つ矢作川。この川は、奥三河を貫き、遠く信州(長野県)までつながる交通路でした。中世、その集積地の役目を担っていたのが大浜です。
もし、碧南市に財力があり、博物館を造ることがあれば、刈谷とは随分違ったものになっただろう。うふふ…郷土意識丸出しです。
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墓参りへ行くには「まだ少し時間がある」と言うことで、家内のリクエストで「行列のできるパン屋」さんへ行きました。
かつては「田舎で人気の店」でしたが、今や銀座にも店を構える有名店です。
一番人気は『チョコリング』です。お安くないのですが、飛ぶように売れています。
レジは長蛇の列で、中には「1万円近い買い物」のお客様も。我家も、新しい家族の土産用に、それなりに買い求めました。
このお店では「パンのバイキング」があり、ここも順番待ちです。食べ放題のパンが並び、トースターやドリンクバーがある。私たちは参加していないので料金を知りませんが、この人気ですから、リーズナブルなのでしょうね。 |
約束は正午です。
髙松家本家へ出向き、お仏壇にお供えをして、お参り。
古くから伝わる「大きな仏壇」ですが、こちらも近々にコンパクトなものに換えるそうです。
仏壇のご本尊は「高さ30㎝ほどの木造仏」で、写真や絵ではありません。額に「2個の赤い石」があり~ルビーではないか~との話が出ているそうです。真贋は分かりませんが、話題作りにはなりそうです。
お仏壇にお参りした後は、墓参りです。「墓仕舞い」の話を聞いていましたが、おっさん(住職)の勧めで、それは取りやめたそうです。
墓参りを済ませ「昼食」です。
兄嫁さまがよく利用するお寿司屋さんで「予約しているから」と言うことで向かいました。
お店に前に立って記憶が蘇りました。お店に入るなり、店主に「同級生だよね!」って話かけました。店主も一瞬で思い出したようで、暫し歓談。ふるさと訪問にはハプニングが付物のようです。
美味しく料理を頂いて、刈谷へ戻りました。 |
碧南から刈谷へ向かう途中、高浜にある「瓦ミュージアム」に立ち寄りました。
三州瓦の産地で、全国の6割の瓦を作っています。
古代からの「瓦」を展示しており、見ごたえのあるミュージアムです。
また、事前に申し込めば「陶芸体験」も出来るそうで、この日は生徒さんが集まっていました。
私たちは、着くなり土産コーナーへ行き(いつものことです)、あれこれと買出しです。私は気に入った「土鈴」を買い求めました。家内も、こまごまと着物をし、いつものようにレジは私でした。
この日の特別展示は「山本良比古展」
私は知らなかったのですが、現在の「山下清」と評されているそうです。
ご本人は知的障害があるそうですが、まさに山下清画伯の作風に似た「個性的な絵」を鑑賞しました。
刈谷へ帰った後は、夕方まで「爆睡」でした。
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夕焼けと共に「宴会」の始まりです。
義兄夫婦、義兄の二男家族、そして私たちを含めた8人です。
料理はみんな持ち寄りです。私たちは「お呼ばれ」ですが、昨日、朝倉さんから頂いたお土産の一部を供出です。
ビールの乾杯で始まり、直ぐに焼酎になりました。話が弾み、お酒も急ピッチになりました。
義兄が真先に酔いつぶれたのですが、宴は続きます。
甥が持ってきてくれた『薩摩霧島4合瓶』2本はとうに消え、更に持ち込んだ焼酎の1升瓶に変りました。
久々の深酒で、楽しい酒でした。
日付が変わる前に「お開き」になり爆睡でした。
ふるさとはいいなあ~
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191110
酒は抜けきっていませんでしたが、6時半に起床。今日も朝食を済ませて「探鳥」です。
2時間の探鳥から帰り、9時に帰路に着きました。義兄夫婦に駅まで送ってもらい、御礼を言ってお別れです。
名古屋から新幹線に乗り、新大阪で「駅弁」を購入して、特急くろしおに乗車。
車中で弁当を食べて、12時半に帰宅。家について真先にしたことは「下剤を飲む」ことでした。明日は「大腸検査」です。如何なる結果が出ることでしょうか? |