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190522(水) 快晴


参道

拝殿

神殿を背面から

芯柱の模型

芯柱の1本を使った国旗掲揚塔

神楽殿前で

出雲そば(750円)
無事「プチクラス会」を終えて、3人で「山陰の旅」です。

8時に広島駅付近でレンタカーを借りて、目指すは「出雲大社」です。
私も20年くらい前に来たことがあるのですが、通り一遍に見ただけでした。

今回は「ガイド付き」で廻る予定でしたが、到着が1時間早かったことでタイミングが合わず『もぐり』に決めました。


ガイド付きツアーの最後尾に紛れ込み、説明を聞きながらの見学です。
やはり、謂れを聞きながらだと、よく理解できます。

「国譲り伝説」のある出雲ですが、それを信じる人はいまい。それは、大和朝廷による「出雲王朝の撲滅」でした。
「呪い」を恐れた当時、大和朝廷は「国を譲り受けた」として、大国主命の神殿を作った。

高さ48mの巨大神殿は、長く「神話」とされていましたが、発掘調査で「柱」が出土。巨大神殿の存在が実証されました。

直径1.35mの柱を3本束ねて「1本の柱」を構成。それを9本「田の字」配して、頂部に神殿を築いた。」
※柱列は正確な「田の字」ではない。それが何のためなのか?が謎です。また発掘で柱列は判明しても、頂部の形状までは不明です。それは後ほど紹介します。

※赤い柱の復元
 (写真参照)
※国旗掲揚塔
 (写真参照)
3本のうち1本を国旗掲揚塔にしています。ちなみに、国旗は「畳75畳」だそうです。

私たちは拝殿で、
『2礼4拍手1礼』で参拝しました。神殿はその奥にありますが、親祭の大国主命は「壁で遮ら切られ西向きに鎮座」しています。

ガイドさんは説明しませんでしたが、大国主命の廻りは「大和の武将」に囲まれています。
死後も大国主命を恐れ、庶民と遮断して取り囲んでいたいたわけです。

ということで、ガイドさんの説明に従い、西側(大国主命の正面)からも参拝しました。

参拝を終えて、境内にある蕎麦屋で「出雲そば」です。
これが実に旨かった!

この時、うかつにもカメラを忘れ、写真はタブレットのものです。
出雲大社からほど近い、島根県立古代出雲歴史博物館へ行きました。
時間が余ってたので「チラ見」のつもりで入ったのですが、余りに内容が濃く「1時間半」の見学となりました。

 ・出土した芯柱(宇豆柱):鎌倉時代のもの⇒古代はもっと「大きかった」という説もある
 ・ 発掘から柱列は分かっているが、上部が分からない。
垂直説と頂部を絞った説があるようだ。

 ・現存する社殿のミニチュア


※建築屋の性ですが、この巨大な柱を『どうやって建てたのか?』という疑問が消え去らない。これに関する説明もない。
以下は私の推理です。
 ・階段を下から順番に組んでいく⇒これが仮設の工台になったであろう。
 ・階段を組み終えた後に、階段側から芯柱を吊り上げていく。
 ・それでも「床板のスライド」が必要で、重機のない時代に「それが出来たのか?」
とっても疑問です。




現存の神殿改修の際に交換された、屋根頂部構造です。如何にデカいか、お分かり頂けると思います。
これにて出雲大社は終了。
一路『松江城』へ向けて走ります。
松江城では、ボランティアガイドさんとタイミングが合わず、私がガイド役でした。
 ・歴代藩主
 ・関ヶ原直後の築城で、質実剛健⇒寄木の柱
 ・石垣の違い
こんな説明をしながら城内を案内。

次に、小泉八雲記念館を見学して、歩き疲れて「歴史博物館」です。ここでの目的は「和菓子で休憩」でした。それぞれが、好みのお茶とお菓子を注文、暫しの休憩でした。

今夜の泊りは「皆生温泉」です。17時半に到着し、まずは温泉へ!
自噴温度が80℃と言う、高温の温泉で、山陰随一の温泉ですが、さびれた感は否めない。あちこちにメンテ不足が目立ち、苦境が見て取れる。

1泊2食付で約15000円、まあ部屋はボロっちかったのですが「料理は文句なしに旨かった」です。

食後は、貸切の露天風呂。
まあ、爺様3人で色気も何もありませんが「良い風呂」でした!


190521「プチクラス会in広島」190522「島根鳥取の旅1」/190523「島根鳥取の旅2」







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