ちょっとそこまで

 191222(日) 昼食とプチ探鳥
フェイスブックにCMを出している天ぷら屋さんへ行ってみました。

後で知ったのですが、和歌山で和食で親しまれている「木曽路」の系列でした。
注文を受けて、見ている前で揚げていきます。料理は順次出てききます。やはり、揚げたては美味しいね!

この料理で1270円(ご飯とみそ汁は御代わりOK)でした。

目の前で揚げていきます
ごはん、味噌汁、漬物、ふりかけなどお代わり「自由」です
カボチャとまずはナス
エビ、アナゴ、白身魚2種

天麩羅での昼食を終えて「プチ探鳥」です。ナベヅルが入っているのですが、活動範囲が広いので、場所を見つけるのはアテモノみたいです。それでも一発で探し当てました。ナベヅルはとても臆病で、証拠写真だけでした。
そのあとは、チョウゲンボウ・トビ・サギ(3種)・カワウ・カンムリカイツブリなどです。

ナベヅル

チョウゲンボウ

トビ

コサギ・ダイサギ・アオサギ

カンムリカイツブリ

カワウとカルガモ


 191220(金) 二家族の夕食会
昨年に続き、今夜は2家族で夕食会です。
今回はご案内いただいたのですが、和歌山ではなかなか利用できないレストランです。
和歌山城のライトアップを見ながら、豪華な食事をいただきました。

建物も料理に負けず「超豪華」です。某企業がVIP用に造った迎賓館で、一般に公開されていいません。食後、写真を写す許可をいただき見学させていただきました。

ただ「お店の名前は出さないで」ということでしたのでお知らせしません。

デザートに紅茶をお願いしました。紅茶にもおいしいクッキーがあったのですが、写真を忘れました。
お土産にいただいたクッキーも美味しかったですねえ

この建物「特殊な構造」です。このデザインを
生かせたのも「超優秀な構造設計者」がいたからでしょう。

基本的に「コンクリート化粧打ち放し」で、すごいお金と時間をかけたことは、想像に難くありません。

私はもうこの世界と、すっかり縁遠くなりました

EVのインジケーター


 191219(木)曇り 『和歌山城』
来年1月オープン予定の某スーパーマーケットに「パート勤務」しようと、今日は面接に行きました。

面接の後、岡公園(和歌山城築城の折の石切り場)にいる家内に合流するため、和歌山城を横断しました。

お城に入ったのは久しぶりなのですが、天守を眺めながら、改めて見て「平山城」だと気付かされました。

何時も持っている「マクロカメラ」しかありませんので、野鳥は写せませんが、それにしても少ないですね。出会ったのは、
 ・スズメ
 ・カラス
 ・ツグミ
 ・メジロ
 ・ヒヨドリ
 ・ハクセキレイ
だけ。お濠にも水鳥はいませんでした。
岡公園を後にして、昼食は魚彩八風のてんぷら定食です。
この料理で1100円(消費税込)で、とても美味しいです。

でも、結局「高くついた」なあ~
てんぷらの一品に「タコ」があったのですが、これを齧った途端に「部分入歯が破壊」しました。行きつけの歯科は今日はお休みなので、修理は明日以降です。

それにしても、今年は一体何度「歯の修理」をしているのだろう。破損の多い年です。


 191209(月)晴れ 『加太休暇村ほか』
責任者不在で「何も決まらない仕事」に嫌気がさして、出かけてしまいました。

国民休暇村のポイントが「7000(7000円相当)ポイントも溜まっていて有効期限が年内中」だという。だったら使うしかないと、加太にある国民休暇村へ行った。目的は「食事と温泉」ですが、宿泊客優先で、日帰り入浴は12時から16時の間だけと言う。本当は、夕日を見ながら風呂に入ってゆっくり食事をしたいのですが、こんな条件では昼しかない。
休暇村到着は12時半。
まずは2階にあるレストランで食事です。

紀淡海峡が一望できる窓際の席は「予約専用」だそうで、1列内側のテーブルに案内された。料理も鯛めしを含むコースは「予約専用」だそうで、やむを得ず「お造り定食(2750円)」を注文。合せてビールも注文しました。
お造り(これは旨かった!)と天ぷらがメインで、付け合せ4品と小鉢。ご飯に吸い物でした。これにドリンクバーが付いているというのですが「コーヒーは別料金」と、案外ケチ臭い。

支払いは「ポイントで」と言ったら、レストランのレジでは出来ないというので1階フロントまで行った。
フロントで、合せて「入泉料も」支払いたいと言ったら、
 2400円(2人分)という。
それは『オカシイだろ!』と抗議。

レストランで食事をすれば、割引券が発行され入泉料は1000円/人になる。
だから追加は2000円だろう。
それに対し「割引券が提示されないから」とフロントマン。この言い分もおかしい。
 ・食事の精算のためにフロントまで来ている。
 ・レストランでの精算時に割引券が発行される
だから私が割引券を持っていないのは当たり前なのです。

僅か400円のことですが、ここのフロントマンには「おもてなしの心」がない。
仮に、私は割引券の存在を知らなかったとしても、フロントマンから「割引がございます」と言うが普通だろう。なんとも、ケチ臭い休暇村です。

一悶着の末、やっと地下の温泉へ。
ややぬるめの風呂であったが、露天風呂の眺望がすばらしい。まさに「海が一望」できるのです。


風呂上りにマッサージ機に座る。10分200円でした。
マッサージ機の性能は良くなる一方ですが…

私の体型は「胴長短足・猫背」です。マッサージ機のポイントが「微妙どころか結構ズレる」のです。
まだまだ、オールラウンドに対応は出来ていないのだと諦めた。



食事と入浴を済ませて散歩に出た。

渥美半島を発ったタカが四国に渡る途中にこの上空を通過するため、ここは「タカの渡り」を調査するポイントです。
ただ、今は渡りの季節ではない。時間も中途半端で、メジロやジョウビタキ、ヒヨドリに出会った程度でした。




ここからは、紀淡海峡が一望できる。そのため、戦時中は「砲台」が築かれた。
大阪湾に侵攻しようとする米艦隊は「ここを通過」するしかない。そのため、加太と沖合に浮かぶ友ヶ島に「強力な砲台群」が築かれた。

その1群がここにある。
28㎝榴弾砲が2門ずつ設置され、計6門が配置されている。
空に向かって「弓なりに撃つ大砲」で、トップアタックに弱い戦艦には脅威であったであろう。ただ、実戦に会うことは無かった。

弾薬庫を含め、砲以外は地下に作られている。
艦隊からの艦砲射撃は「水平撃ち」に近くなり、この要塞を叩くことは容易ではなかったはずです。

レプリカで良いから榴弾砲を設置したら、もっと迫力ある「遺産」になるのに、残念です。



休暇村を後にして、帰路はルートを変えた。
和歌山市森林公園から四国山と「探鳥」して回ったが思わしくない。

関空埋め立ての土砂樋場へ久しぶりに回ってみた。
全く新しい建物が建っている。近寄ってみたら「和歌山消防学校」とある。

ここは高台で崖もない。
来たるべき「東南海沖地震」でも、津波や土砂崩れの心配がない最高の場所にある。これなら「有効な防災基地にもなる。

実際に震災が起きたら「テント村」に早変わりしそうです。

周り一面は草原です。以前はハイイロチュウヒに湧いたこともある。暫し探鳥です。
 ・ジョウビタキ
 ・ツグミ
 ・キジバト
 ・トビ
こんな野鳥と遊んでから買物へ。
気楽な夫婦二人暮らしです。
最寄のショッピングセンターにはシネコンがあるので「映画でも見ようか」と言うことになり出向いた。

見たかったのは、
 ・決算!忠臣蔵
 ・ターミネータ 
   ニュー・フェイト
残念ながら上映まで2時間待ちでタイミングが合わない。今日は断念して、スタバでコーヒータイムでした。
(ホンマ!スタバは高いなあ~)



夕食は「弁当で済まそう」と、私が買ったのがコレ!
うむ~しつこい味だった、これは失敗だ!


 191201~03 東京へ
家内の二男から突然「手術を受けるから立会いに来てほしい」と連絡があった。 突然のことでしたが、夫婦で東京へ行ってきました。
 191201(日)「手術前日」 晴れのち曇り
5時起床。早朝に家を出て東京へ向かいました。
手術は明日なので、夕方に病院を訪れるつもりで、まずは葛西臨海公園」へ向かいました。
新幹線の車内でサンドイッチを頬張り「昼食完了」です。葛西臨海公園到着は昼前で、ロッカーに荷物を預けて出発です。

葛西臨海公園「野鳥園」は、上の池と下の池の二つの池を周遊するコースがあり、観察小屋が要所要所にある。

この二つの池と、遠浅の海に飛来する水鳥が楽しみなのですが、あいにくシギチの渡りが過ぎており、主に留鳥との出会いでした。

カワセミ(♀)

シジュウカラ

オオバン

ヒヨドリ
出会った野鳥は、
 ・カワセミ(多かった!)
 ・オオバン(これも多い!)
 ・クイナ
 ・カワウ
 ・ノスリ
 ・スズメ
 ・ヒヨドリ
 ・メジロ
 ・カワラヒワ
 ・シジュウカラ
 ・ヤマガラ
 ・キクイタダキ
 ・シロハラ
 ・ハクセキレイ
 ・セグロセキレイ
 ・スズガモ
 ・ハシビロガモ
 ・ホシハジロ
 ・オナガガモ
 ・カルガモ
 ・カンムリカイツブリ
 ・アオサギ

3時間の予定で行ったのですが、二つの池でタイムアップ。海に足が延ばせませんでした。
もう一つ残念だったのは「オナガに会えなかった」ことです。これにはガッカリでした。

探鳥を終えて、北品川へ向かう。
JRで品川に出て、京急に乗り換えて一駅の北品川。駅から徒歩2分に予約したホテルがある。

リニューアルで化粧はしているが、かなり古いホテルだと思う(水回りの古さが隠せない)。まあ究極の安さと狭さです。
セミダブル(2人用)で2泊で11700です。単純に割れば、3000円弱/日/人で、これ以上安いホテルはないだろう。

荷物を置いて病院へ向かう。ホテルからは徒歩3分の距離です。北品川にある「椎間板ヘルニア専門病院」で受付には、
~椎間板ヘルニア専門病院です。その他は門外漢です~と堂々と表示してある。
現に、同室の患者さんは「内科の診察を受ける」ため、他の病院へ搬送されていた。

二男を見舞ったあと、北品川商店街で夕食。この日は日曜日で、休んでいる店が多い。
和食の店を見つけ食事。吞んで食べて7300円。美味しさを評価して「コスパはOK」でした。

帰りにイオン系のコンビニで「明日の朝食」を購入。ホテルに帰り、箸もスプーンも付いていないことに気付く。イオンを選んだのが「間違い」と反省。風呂に入り21時には爆睡。

 191202(月)「手術当日」 雨
6時起床。朝食と準備を済ませて出発。今日の予定は、午前中は「大嘗宮見学」で午後から「病院」です。
ホテルを出た時は、ホンの小雨だったのに、東京駅に着いた時は土砂降り。これでは、大嘗宮見学でずぶ濡れになると諦め、急遽予定を変更。

家内の友達の家を訪ねることにした。
目白の学習院に隣接するマンションです。学習院や日本女子大と言った幾つもの大学が軒を連ね「流石は目白」といった環境の良いところです。
私は初めての訪問で、ご主人とは初めてお会いしました。私と1月違いで同年。私と大いに違うのは「悠々自適」の暮らしです。テニスがご趣味で、全国の大会にエントリーし、遠征旅行が多いそうです。

11時に訪問宅を出て「早飯」にしました。
選んだのはお寿司屋やさん。どうやら「大正解」で大変な繁盛です。私たちは「1合半のにぎり寿司(1080円)」を注文。コスパ抜群の品でした。メニューに「呑兵衛好み」が並び、これが夜なら…と残念に思いました。

病院へ着いたのは13時。手術予定は15時半でしたが、14時に早まって手術室に。
周りから聞いていたのは「簡単な手術」と言うことですが、思ったより時間が掛かりました。病室へ帰って来たのが18時。
私たちは、その後ドクターから説明を受けた。
 ・頸椎に椎間板ヘルニアに2ヶ所見つかった
 ・神経を圧迫していると思われる1ヶ所を切開の上「削った」
 ・手術が成功か否かは「今後経過で判断」
 ・思わしくなければ再手術
首を4㎝切開しての手術で、本人には「キツイ手術」だったようです。折角の切開なら「2ヶ所同時の削除」はないのか?と素朴な疑問があったけど、聞けなかった(きっと理由があるのだろう)。

家内は看病で残り、私は孫に会うために品川へ出かけました。
GW以来の出会いです。出会うたびに大きくなっており驚きです。東京には「国立の中学校」があるそうで、親の希望としては「そこを目指したい」そうです。ただ、かなりの難関校で、予備校通いは必須だとか。
www予備校へ入るための「塾通い」があり、塾に入る受験もあるとか。なんとまあ遠い話です。その受験がまもなくだそうで準備中と言うことでした。小学校2年で大変です!

一緒に食事したのですが、良いお店を知らないので美味しいものを御馳走できませんでした。逆にお土産を貰い、お別れしました。帰路にローソンで「明日の朝食」を購入。21時ホテル着。22時爆睡

 191203(火)「手術翌日」 晴れ

正面に坂下門が見える。これを横目に誘導に従い、二重橋へ歩く

二重橋が見える

坂下門を前に行列が見えてきた

いよいよ坂下門へ向かう
異常があれば「連絡する」と言うことでしたが、それが無かったということは「順調」なのだろう。と言うことで、予定通りに行動です。

6時半起床、朝食を済ませチェックアウトの準備。荷物をフロントに預け出発したのが7時半でした。

目的地は「皇居」です。いま、皇居では二つの一般参観が行われています。
 ・大嘗宮一般参観
 ・令和元年秋季皇居乾通り一般参観
こんな機会でもないと「江戸城内」には入れません。まして、大嘗宮は天皇陛下になるための大嘗祭が行われる祭殿です。生涯で1度出会うかどうかの施設です。

8:15東京駅到着。
丸の内から歩きだす。既に「人並み」があり、これなら道に迷うこともない。

 ・坂下門へ向かう
早い段階で、機動隊の誘導があり、坂下門へ向かうコースに乗る。
機動隊車両が並び、厳重な警備が行われている。

二重橋付近から「行列用のコーン」が並んでいる。私たちは幸い早い時間なので、まだ行列は長くない。

開場は9時からですが、行列を見て「逐次早めて」おり、今日は8:45から開門。
その前に、各自セキュリティーチェックです。人相の悪い私は心配したのですが、無事にチェック通過。いよいよ「坂下門到着」です。


本丸「富士見多門櫓」

奥に見える橋が西桔橋

 ・秋季皇居乾通り一般参観
坂下門をくぐると、蓮池濠に添って乾門までが「令和元年秋季皇居乾通り一般参観」です。春は「桜」で、秋は紅葉です。
濠の向こうは「江戸城の本丸」です。私は初めて見るのですが、流石は家康の居城です。

2/3ほど行ったところで、西桔橋(にしはねばし)があり、大嘗宮一般参観には、こちらに入ります。
いよいよ、江戸城本丸に入ります。ちなみに、大嘗宮は「大奥跡」に建っているそうです。


当たり前ですが、皇居に「野鳥が多い」
特に珍しいものは出会いませんでしたが、セキレイと言えども「高貴に見えるなあ~」と家内と話していました。

西桔橋から乾門方面を見る。紅葉の並木が続く
西桔橋を渡り、本丸に入りました。
最初に見えてくるのは、大嘗宮背面です。
大奥跡に建てられた大嘗宮を大きく1周するように歩いて、遠くから眺め、それから近づいて行きます。

大嘗祭(だいじょうさい、おおにえまつり、おおなめまつり)は、日本の天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。

新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである
大嘗祭にお供えする「新穀」は都道府県宛に依頼がなされ、指名を受けた農家や地域は「名誉なこと」と全力を傾けたという。

大嘗祭が行われたのは、11月14日深夜。吹きさらしの大嘗宮は、きっと「寒かった」でしょう。


「宮」と名が付くと、西洋の宮殿をイメージするが、実際に目にしたのは「質素な木造」で『簡素な神社』と言ったところでした。
 ・掘立柱構造(基礎はない)
 ・木材は「節ありの白木」
 ・主要な建物の屋根は「茅葺」だが、多くは単に板張り
 ・基本的に「壁はない」
 ・一部の建物は壁があるが
筵(むしろ)張りに榊を付けたもの。あるいはすのこ張り。これでは風除けにもなっていない。

昔ながらの工法で、釘は使っていないが、私は見てはいけないものを見てしまった。
それは、火打ち貼りはボルトで止められていた。恐らく、昔は「火打ち」などつけていなかったのだろう。

(赤〇部分にボルトあり)
※火打ち:梁の水平力を高めるため、コーナーに「水平45度に設置する斜め材」です。
写真は、
 ・よしず張りの壁
 ・むしろ張の壁
 (榊がさされている)
 ・消火器BOXも木製


本丸ですから、天守台があります。
明暦三年(1657)に起きた「明暦の大火」で消失するまで、江戸城には天守がありました。それも、全高は60メートルほどもある、日本最大級の大天守でした。

江戸幕府は明暦の大火のあと、すぐに江戸城の復興に着手しました。天守ももちろん再建する計画で、土台の普請を加賀藩主・前田綱紀に命じたのです。

前田家は領内から5000人の人夫を動員して、これに着手。御家の威信をかけて瀬戸内から巨大な御影石を運ばせて天守の土台を完成させたました。これが、今も東御苑に残る天守台です。

あとは、上に天守閣を築くのみだったのですが、これに待ったをかけたのが会津藩主・保科正之でした。保科正之は三代将軍・徳川家光の異母弟にあたる人物で、家光の死後、四代将軍となった甥っ子・家綱の後見人として、幕政において強い発言権を持っていました
高さのことは分かりませんが、平面的な大きさは「案外小さい」でした。
現在発掘中の「駿府城天守」の石垣を見たことがありますが、学術的にも「江戸城天守より大きい」と分かっています。

これで、大嘗宮一般参観は終わりです。
北桔橋門から出て、北の丸公園へ向かいました。
北桔橋門から出て、乾門を見ながら、北の丸公園へ向かいました。
紅葉を楽しむなら、東宮御苑よりこちらの方が綺麗みたいです。

小鳥も水鳥も居たのですが、今日は野鳥用のカメラを持っていません。紅葉に映える野鳥だっただけに残念です。

この後、時間が余ったの「科学技術館」へ。
時間潰しのつもりで、入ったのですが、見どころ満載で楽しかったですね。
東京都も「ヤルもんだ」と思ったことがあります。展示ブースが「企業の出店」で、イベント担当者も企業から派遣されている。
科学技術館と言う名ですが、実態は「企業にスペースを貸して」いるようでした。これなら十分「自己採算」出来るでしょう。

11時に早昼を、科学技術館で食べたのですが、見事な「電子レンジでチーン」でした。もう「味を評価」するレベル以下でした。

病院へ向かうため、東京駅までタクシー利用しました。もう「歩き疲れて」いました。

東京駅で「口直し」におにぎりを食べました。
行列の出来る店で、お値段も安くはない(夫婦で1000円越えました)ですが、美味しかったです。

この後、東京駅港内で家族へのお土産を購入して、病院へ向かいました。
土産に買ったのがコレ!
最近人気の商品だそうで、これも行列のできる商品です。ネットでは扱っておらず「お店に行かないと買えない」商品です。
化粧箱の裏を見て知ったのですが、作っているのは「東京バナナ」だそうです。
病院到着が12時半。
言うほど簡単な手術ではなかったようで、熱っぽい顔をしていました。昨夜は痛みも酷かったようで、かなり辛そうです。
とは言え、私たちにで出来ることはなく、見舞った後で帰路につきました。

自宅到着は17時半。途中で購入した駅弁が「夕食」になりました。


ちょっとそこまで

 191222(日) 昼食とプチ探鳥
フェイスブックにCMを出している天ぷら屋さんへ行ってみました。

後で知ったのですが、和歌山で和食で親しまれている「木曽路」の系列でした。
注文を受けて、見ている前で揚げていきます。料理は順次出てききます。やはり、揚げたては美味しいね!

この料理で1270円(ご飯とみそ汁は御代わりOK)でした。

目の前で揚げていきます
ごはん、味噌汁、漬物、ふりかけなどお代わり「自由」です
カボチャとまずはナス
エビ、アナゴ、白身魚2種

天麩羅での昼食を終えて「プチ探鳥」です。ナベヅルが入っているのですが、活動範囲が広いので、場所を見つけるのはアテモノみたいです。それでも一発で探し当てました。ナベヅルはとても臆病で、証拠写真だけでした。
そのあとは、チョウゲンボウ・トビ・サギ(3種)・カワウ・カンムリカイツブリなどです。

ナベヅル

チョウゲンボウ

トビ

コサギ・ダイサギ・アオサギ

カンムリカイツブリ

カワウとカルガモ


 191220(金) 二家族の夕食会
昨年に続き、今夜は2家族で夕食会です。
今回はご案内いただいたのですが、和歌山ではなかなか利用できないレストランです。
和歌山城のライトアップを見ながら、豪華な食事をいただきました。

建物も料理に負けず「超豪華」です。某企業がVIP用に造った迎賓館で、一般に公開されていいません。食後、写真を写す許可をいただき見学させていただきました。

ただ「お店の名前は出さないで」ということでしたのでお知らせしません。

デザートに紅茶をお願いしました。紅茶にもおいしいクッキーがあったのですが、写真を忘れました。
お土産にいただいたクッキーも美味しかったですねえ

この建物「特殊な構造」です。このデザインを
生かせたのも「超優秀な構造設計者」がいたからでしょう。

基本的に「コンクリート化粧打ち放し」で、すごいお金と時間をかけたことは、想像に難くありません。

私はもうこの世界と、すっかり縁遠くなりました

EVのインジケーター


 191219(木)曇り 『和歌山城』
来年1月オープン予定の某スーパーマーケットに「パート勤務」しようと、今日は面接に行きました。

面接の後、岡公園(和歌山城築城の折の石切り場)にいる家内に合流するため、和歌山城を横断しました。

お城に入ったのは久しぶりなのですが、天守を眺めながら、改めて見て「平山城」だと気付かされました。

何時も持っている「マクロカメラ」しかありませんので、野鳥は写せませんが、それにしても少ないですね。出会ったのは、
 ・スズメ
 ・カラス
 ・ツグミ
 ・メジロ
 ・ヒヨドリ
 ・ハクセキレイ
だけ。お濠にも水鳥はいませんでした。
岡公園を後にして、昼食は魚彩八風のてんぷら定食です。
この料理で1100円(消費税込)で、とても美味しいです。

でも、結局「高くついた」なあ~
てんぷらの一品に「タコ」があったのですが、これを齧った途端に「部分入歯が破壊」しました。行きつけの歯科は今日はお休みなので、修理は明日以降です。

それにしても、今年は一体何度「歯の修理」をしているのだろう。破損の多い年です。


 191209(月)晴れ 『加太休暇村ほか』
責任者不在で「何も決まらない仕事」に嫌気がさして、出かけてしまいました。

国民休暇村のポイントが「7000(7000円相当)ポイントも溜まっていて有効期限が年内中」だという。だったら使うしかないと、加太にある国民休暇村へ行った。目的は「食事と温泉」ですが、宿泊客優先で、日帰り入浴は12時から16時の間だけと言う。本当は、夕日を見ながら風呂に入ってゆっくり食事をしたいのですが、こんな条件では昼しかない。
休暇村到着は12時半。
まずは2階にあるレストランで食事です。

紀淡海峡が一望できる窓際の席は「予約専用」だそうで、1列内側のテーブルに案内された。料理も鯛めしを含むコースは「予約専用」だそうで、やむを得ず「お造り定食(2750円)」を注文。合せてビールも注文しました。
お造り(これは旨かった!)と天ぷらがメインで、付け合せ4品と小鉢。ご飯に吸い物でした。これにドリンクバーが付いているというのですが「コーヒーは別料金」と、案外ケチ臭い。

支払いは「ポイントで」と言ったら、レストランのレジでは出来ないというので1階フロントまで行った。
フロントで、合せて「入泉料も」支払いたいと言ったら、
 2400円(2人分)という。
それは『オカシイだろ!』と抗議。

レストランで食事をすれば、割引券が発行され入泉料は1000円/人になる。
だから追加は2000円だろう。
それに対し「割引券が提示されないから」とフロントマン。この言い分もおかしい。
 ・食事の精算のためにフロントまで来ている。
 ・レストランでの精算時に割引券が発行される
だから私が割引券を持っていないのは当たり前なのです。

僅か400円のことですが、ここのフロントマンには「おもてなしの心」がない。
仮に、私は割引券の存在を知らなかったとしても、フロントマンから「割引がございます」と言うが普通だろう。なんとも、ケチ臭い休暇村です。

一悶着の末、やっと地下の温泉へ。
ややぬるめの風呂であったが、露天風呂の眺望がすばらしい。まさに「海が一望」できるのです。


風呂上りにマッサージ機に座る。10分200円でした。
マッサージ機の性能は良くなる一方ですが…

私の体型は「胴長短足・猫背」です。マッサージ機のポイントが「微妙どころか結構ズレる」のです。
まだまだ、オールラウンドに対応は出来ていないのだと諦めた。



食事と入浴を済ませて散歩に出た。

渥美半島を発ったタカが四国に渡る途中にこの上空を通過するため、ここは「タカの渡り」を調査するポイントです。
ただ、今は渡りの季節ではない。時間も中途半端で、メジロやジョウビタキ、ヒヨドリに出会った程度でした。




ここからは、紀淡海峡が一望できる。そのため、戦時中は「砲台」が築かれた。
大阪湾に侵攻しようとする米艦隊は「ここを通過」するしかない。そのため、加太と沖合に浮かぶ友ヶ島に「強力な砲台群」が築かれた。

その1群がここにある。
28㎝榴弾砲が2門ずつ設置され、計6門が配置されている。
空に向かって「弓なりに撃つ大砲」で、トップアタックに弱い戦艦には脅威であったであろう。ただ、実戦に会うことは無かった。

弾薬庫を含め、砲以外は地下に作られている。
艦隊からの艦砲射撃は「水平撃ち」に近くなり、この要塞を叩くことは容易ではなかったはずです。

レプリカで良いから榴弾砲を設置したら、もっと迫力ある「遺産」になるのに、残念です。



休暇村を後にして、帰路はルートを変えた。
和歌山市森林公園から四国山と「探鳥」して回ったが思わしくない。

関空埋め立ての土砂樋場へ久しぶりに回ってみた。
全く新しい建物が建っている。近寄ってみたら「和歌山消防学校」とある。

ここは高台で崖もない。
来たるべき「東南海沖地震」でも、津波や土砂崩れの心配がない最高の場所にある。これなら「有効な防災基地にもなる。

実際に震災が起きたら「テント村」に早変わりしそうです。

周り一面は草原です。以前はハイイロチュウヒに湧いたこともある。暫し探鳥です。
 ・ジョウビタキ
 ・ツグミ
 ・キジバト
 ・トビ
こんな野鳥と遊んでから買物へ。
気楽な夫婦二人暮らしです。
最寄のショッピングセンターにはシネコンがあるので「映画でも見ようか」と言うことになり出向いた。

見たかったのは、
 ・決算!忠臣蔵
 ・ターミネータ 
   ニュー・フェイト
残念ながら上映まで2時間待ちでタイミングが合わない。今日は断念して、スタバでコーヒータイムでした。
(ホンマ!スタバは高いなあ~)



夕食は「弁当で済まそう」と、私が買ったのがコレ!
うむ~しつこい味だった、これは失敗だ!


 191201~03 東京へ
家内の二男から突然「手術を受けるから立会いに来てほしい」と連絡があった。 突然のことでしたが、夫婦で東京へ行ってきました。
 191201(日)「手術前日」 晴れのち曇り
5時起床。早朝に家を出て東京へ向かいました。
手術は明日なので、夕方に病院を訪れるつもりで、まずは葛西臨海公園」へ向かいました。
新幹線の車内でサンドイッチを頬張り「昼食完了」です。葛西臨海公園到着は昼前で、ロッカーに荷物を預けて出発です。

葛西臨海公園「野鳥園」は、上の池と下の池の二つの池を周遊するコースがあり、観察小屋が要所要所にある。

この二つの池と、遠浅の海に飛来する水鳥が楽しみなのですが、あいにくシギチの渡りが過ぎており、主に留鳥との出会いでした。

カワセミ(♀)

シジュウカラ

オオバン

ヒヨドリ
出会った野鳥は、
 ・カワセミ(多かった!)
 ・オオバン(これも多い!)
 ・クイナ
 ・カワウ
 ・ノスリ
 ・スズメ
 ・ヒヨドリ
 ・メジロ
 ・カワラヒワ
 ・シジュウカラ
 ・ヤマガラ
 ・キクイタダキ
 ・シロハラ
 ・ハクセキレイ
 ・セグロセキレイ
 ・スズガモ
 ・ハシビロガモ
 ・ホシハジロ
 ・オナガガモ
 ・カルガモ
 ・カンムリカイツブリ
 ・アオサギ

3時間の予定で行ったのですが、二つの池でタイムアップ。海に足が延ばせませんでした。
もう一つ残念だったのは「オナガに会えなかった」ことです。これにはガッカリでした。

探鳥を終えて、北品川へ向かう。
JRで品川に出て、京急に乗り換えて一駅の北品川。駅から徒歩2分に予約したホテルがある。

リニューアルで化粧はしているが、かなり古いホテルだと思う(水回りの古さが隠せない)。まあ究極の安さと狭さです。
セミダブル(2人用)で2泊で11700です。単純に割れば、3000円弱/日/人で、これ以上安いホテルはないだろう。

荷物を置いて病院へ向かう。ホテルからは徒歩3分の距離です。北品川にある「椎間板ヘルニア専門病院」で受付には、
~椎間板ヘルニア専門病院です。その他は門外漢です~と堂々と表示してある。
現に、同室の患者さんは「内科の診察を受ける」ため、他の病院へ搬送されていた。

二男を見舞ったあと、北品川商店街で夕食。この日は日曜日で、休んでいる店が多い。
和食の店を見つけ食事。吞んで食べて7300円。美味しさを評価して「コスパはOK」でした。

帰りにイオン系のコンビニで「明日の朝食」を購入。ホテルに帰り、箸もスプーンも付いていないことに気付く。イオンを選んだのが「間違い」と反省。風呂に入り21時には爆睡。

 191202(月)「手術当日」 雨
6時起床。朝食と準備を済ませて出発。今日の予定は、午前中は「大嘗宮見学」で午後から「病院」です。
ホテルを出た時は、ホンの小雨だったのに、東京駅に着いた時は土砂降り。これでは、大嘗宮見学でずぶ濡れになると諦め、急遽予定を変更。

家内の友達の家を訪ねることにした。
目白の学習院に隣接するマンションです。学習院や日本女子大と言った幾つもの大学が軒を連ね「流石は目白」といった環境の良いところです。
私は初めての訪問で、ご主人とは初めてお会いしました。私と1月違いで同年。私と大いに違うのは「悠々自適」の暮らしです。テニスがご趣味で、全国の大会にエントリーし、遠征旅行が多いそうです。

11時に訪問宅を出て「早飯」にしました。
選んだのはお寿司屋やさん。どうやら「大正解」で大変な繁盛です。私たちは「1合半のにぎり寿司(1080円)」を注文。コスパ抜群の品でした。メニューに「呑兵衛好み」が並び、これが夜なら…と残念に思いました。

病院へ着いたのは13時。手術予定は15時半でしたが、14時に早まって手術室に。
周りから聞いていたのは「簡単な手術」と言うことですが、思ったより時間が掛かりました。病室へ帰って来たのが18時。
私たちは、その後ドクターから説明を受けた。
 ・頸椎に椎間板ヘルニアに2ヶ所見つかった
 ・神経を圧迫していると思われる1ヶ所を切開の上「削った」
 ・手術が成功か否かは「今後経過で判断」
 ・思わしくなければ再手術
首を4㎝切開しての手術で、本人には「キツイ手術」だったようです。折角の切開なら「2ヶ所同時の削除」はないのか?と素朴な疑問があったけど、聞けなかった(きっと理由があるのだろう)。

家内は看病で残り、私は孫に会うために品川へ出かけました。
GW以来の出会いです。出会うたびに大きくなっており驚きです。東京には「国立の中学校」があるそうで、親の希望としては「そこを目指したい」そうです。ただ、かなりの難関校で、予備校通いは必須だとか。
www予備校へ入るための「塾通い」があり、塾に入る受験もあるとか。なんとまあ遠い話です。その受験がまもなくだそうで準備中と言うことでした。小学校2年で大変です!

一緒に食事したのですが、良いお店を知らないので美味しいものを御馳走できませんでした。逆にお土産を貰い、お別れしました。帰路にローソンで「明日の朝食」を購入。21時ホテル着。22時爆睡

 191203(火)「手術翌日」 晴れ

正面に坂下門が見える。これを横目に誘導に従い、二重橋へ歩く

二重橋が見える

坂下門を前に行列が見えてきた

いよいよ坂下門へ向かう
異常があれば「連絡する」と言うことでしたが、それが無かったということは「順調」なのだろう。と言うことで、予定通りに行動です。

6時半起床、朝食を済ませチェックアウトの準備。荷物をフロントに預け出発したのが7時半でした。

目的地は「皇居」です。いま、皇居では二つの一般参観が行われています。
 ・大嘗宮一般参観
 ・令和元年秋季皇居乾通り一般参観
こんな機会でもないと「江戸城内」には入れません。まして、大嘗宮は天皇陛下になるための大嘗祭が行われる祭殿です。生涯で1度出会うかどうかの施設です。

8:15東京駅到着。
丸の内から歩きだす。既に「人並み」があり、これなら道に迷うこともない。

 ・坂下門へ向かう
早い段階で、機動隊の誘導があり、坂下門へ向かうコースに乗る。
機動隊車両が並び、厳重な警備が行われている。

二重橋付近から「行列用のコーン」が並んでいる。私たちは幸い早い時間なので、まだ行列は長くない。

開場は9時からですが、行列を見て「逐次早めて」おり、今日は8:45から開門。
その前に、各自セキュリティーチェックです。人相の悪い私は心配したのですが、無事にチェック通過。いよいよ「坂下門到着」です。


本丸「富士見多門櫓」

奥に見える橋が西桔橋

 ・秋季皇居乾通り一般参観
坂下門をくぐると、蓮池濠に添って乾門までが「令和元年秋季皇居乾通り一般参観」です。春は「桜」で、秋は紅葉です。
濠の向こうは「江戸城の本丸」です。私は初めて見るのですが、流石は家康の居城です。

2/3ほど行ったところで、西桔橋(にしはねばし)があり、大嘗宮一般参観には、こちらに入ります。
いよいよ、江戸城本丸に入ります。ちなみに、大嘗宮は「大奥跡」に建っているそうです。


当たり前ですが、皇居に「野鳥が多い」
特に珍しいものは出会いませんでしたが、セキレイと言えども「高貴に見えるなあ~」と家内と話していました。

西桔橋から乾門方面を見る。紅葉の並木が続く
西桔橋を渡り、本丸に入りました。
最初に見えてくるのは、大嘗宮背面です。
大奥跡に建てられた大嘗宮を大きく1周するように歩いて、遠くから眺め、それから近づいて行きます。

大嘗祭(だいじょうさい、おおにえまつり、おおなめまつり)は、日本の天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。

新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである
大嘗祭にお供えする「新穀」は都道府県宛に依頼がなされ、指名を受けた農家や地域は「名誉なこと」と全力を傾けたという。

大嘗祭が行われたのは、11月14日深夜。吹きさらしの大嘗宮は、きっと「寒かった」でしょう。


「宮」と名が付くと、西洋の宮殿をイメージするが、実際に目にしたのは「質素な木造」で『簡素な神社』と言ったところでした。
 ・掘立柱構造(基礎はない)
 ・木材は「節ありの白木」
 ・主要な建物の屋根は「茅葺」だが、多くは単に板張り
 ・基本的に「壁はない」
 ・一部の建物は壁があるが
筵(むしろ)張りに榊を付けたもの。あるいはすのこ張り。これでは風除けにもなっていない。

昔ながらの工法で、釘は使っていないが、私は見てはいけないものを見てしまった。
それは、火打ち貼りはボルトで止められていた。恐らく、昔は「火打ち」などつけていなかったのだろう。

(赤〇部分にボルトあり)
※火打ち:梁の水平力を高めるため、コーナーに「水平45度に設置する斜め材」です。
写真は、
 ・よしず張りの壁
 ・むしろ張の壁
 (榊がさされている)
 ・消火器BOXも木製


本丸ですから、天守台があります。
明暦三年(1657)に起きた「明暦の大火」で消失するまで、江戸城には天守がありました。それも、全高は60メートルほどもある、日本最大級の大天守でした。

江戸幕府は明暦の大火のあと、すぐに江戸城の復興に着手しました。天守ももちろん再建する計画で、土台の普請を加賀藩主・前田綱紀に命じたのです。

前田家は領内から5000人の人夫を動員して、これに着手。御家の威信をかけて瀬戸内から巨大な御影石を運ばせて天守の土台を完成させたました。これが、今も東御苑に残る天守台です。

あとは、上に天守閣を築くのみだったのですが、これに待ったをかけたのが会津藩主・保科正之でした。保科正之は三代将軍・徳川家光の異母弟にあたる人物で、家光の死後、四代将軍となった甥っ子・家綱の後見人として、幕政において強い発言権を持っていました
高さのことは分かりませんが、平面的な大きさは「案外小さい」でした。
現在発掘中の「駿府城天守」の石垣を見たことがありますが、学術的にも「江戸城天守より大きい」と分かっています。

これで、大嘗宮一般参観は終わりです。
北桔橋門から出て、北の丸公園へ向かいました。
北桔橋門から出て、乾門を見ながら、北の丸公園へ向かいました。
紅葉を楽しむなら、東宮御苑よりこちらの方が綺麗みたいです。

小鳥も水鳥も居たのですが、今日は野鳥用のカメラを持っていません。紅葉に映える野鳥だっただけに残念です。

この後、時間が余ったの「科学技術館」へ。
時間潰しのつもりで、入ったのですが、見どころ満載で楽しかったですね。
東京都も「ヤルもんだ」と思ったことがあります。展示ブースが「企業の出店」で、イベント担当者も企業から派遣されている。
科学技術館と言う名ですが、実態は「企業にスペースを貸して」いるようでした。これなら十分「自己採算」出来るでしょう。

11時に早昼を、科学技術館で食べたのですが、見事な「電子レンジでチーン」でした。もう「味を評価」するレベル以下でした。

病院へ向かうため、東京駅までタクシー利用しました。もう「歩き疲れて」いました。

東京駅で「口直し」におにぎりを食べました。
行列の出来る店で、お値段も安くはない(夫婦で1000円越えました)ですが、美味しかったです。

この後、東京駅港内で家族へのお土産を購入して、病院へ向かいました。
土産に買ったのがコレ!
最近人気の商品だそうで、これも行列のできる商品です。ネットでは扱っておらず「お店に行かないと買えない」商品です。
化粧箱の裏を見て知ったのですが、作っているのは「東京バナナ」だそうです。
病院到着が12時半。
言うほど簡単な手術ではなかったようで、熱っぽい顔をしていました。昨夜は痛みも酷かったようで、かなり辛そうです。
とは言え、私たちにで出来ることはなく、見舞った後で帰路につきました。

自宅到着は17時半。途中で購入した駅弁が「夕食」になりました。


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