和歌浦の観海閣へ渡る「三断橋」、数年前に改修を終えていたのですが、今回の台風で大きな被害を出しました。
観海閣は、頼宣が慶安年間(1648~1652)に木造の水上楼閣として建立したもので、 対岸の紀三井寺と対面しています。(当時の建造物は昭和36年に第二室戸台風で流出。現在はコンクリートで再建されたものです。) |
※観海閣の写真はありません |
不老橋は、片男波松原にあった東照宮御旅所の移築に際して紀州藩10代藩主であった徳川治宝(橋が架けられた当時は13代藩主徳川慶福の治世中)の命により、嘉永3年(1850年)に着工し、翌4年(1851年)に完成したアーチ型の石橋です。
この橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の時に、徳川家や東照宮関係の人々が御旅所に向かうために通行した「お成り道」に架けられたものです。 |
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片男波海岸へ着いて唖然とした。
閉鎖中の駐車場の何処にも舗装面が見えない。約20㎝の砂に覆われている。
海水浴場も、砂浜が押し上げられて、出店で賑わう部分は50㎝ほども砂が盛り上がってる。
更には直径1mを超えるコンクリート塊も打ち上げられていた。
幸い、海水浴はオフシーズンになりましたが来年までに復旧できるのだろうか? |
片男波海岸(外洋側)と和歌川を仕切る突堤の被害も酷い。
・突堤を守るため、外洋側の砂浜に敷きつけられた岩が、突堤に打ち上げられ。更には和歌川側に乗り越えているものも多い
・和歌川側の護岸コンクリートも数十メートルに渡り
破損
・波返しのある堤防の内側コンクリートが抉られている。
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潮風に強いはずの「松」も、枯れが目立つ。余程手ひどく海水を浴びたようです。
・倒れた樹も多い
・吹き飛ばされた小枝は無数
既に、造園業者が入って復旧に着手していましたが、枯れが目立つ松はどうするのだろう? |
肝心の「鳥見」はサッパリです。僅かに
・イソヒヨドリ
・カラス
・トビ
・チドリ(僅か1羽を目視)
どうやら、シギチの渡りの「お休み処」の環境が酷く壊れたみたいです。 |