ちょっとそこまで

 180519(土)阿弥陀寺

昨日、NHKのローカルニュースで「阿弥陀寺の文化財登録」が紹介されていた。
 http://wakayamacity-bunkazai.jp/shitei/4804/
和歌山県下に、阿弥陀寺は多いようで、和歌山市内だけでもネットで2ヶ所が検索できる。
登録を受けた阿弥陀寺は、我家からチャリンコでも行ける、和歌山市鳴神にある。

そこで、早速行ってみました。
NHKで紹介されただけに、さぞやごった返していると覚悟して行ったのですが、閑散としたもでした。
まずは、庫裏のチャイムを鳴らし、見学させてほしいとお願いしました。
住職はあいにくご不在でしたが、奥さまが快くご案内くださいました。
阿弥陀寺の創建は不明ですが、中興開山とされる明誉法道は正保2年(1645)に没しています。本堂はもと吹上にあった大智寺が明治維新になり廃寺となったため、その御霊屋の譲渡を受け、明治4年(1871)に移築したものです。大智寺は、寛永9年(1632)に藩主徳川頼宣が徳川秀忠の霊を祀るために創建した寺で、代々の藩主もこの寺に祀られるようになりました。記録に「寛永九年創建、翌酉年御霊屋造事、戌年寺造事」とあり、建築年(寛永10年、1633)が判明します。
 本堂はわずかに桁行側が長い五間堂で、藩主が直接関係したため第一級の建築物に仕上げられています。漆塗あるいは彩色が内外すべてに施され、現在も鮮やかに残り、近世初期の霊廟建築の一つとして重要です。
奥様の説明によれば、元々お城近くにあったそうですが、明治の廃仏毀釈で廃寺になり、この地に本殿だけを移築したそうです。
そのおかげで、和歌山空襲の炎上から免れたそうです。

2代将軍。徳川秀忠の菩提をともらうため建立されたもので、本殿内外とも「極彩色」で彩られていたはずですが、残念ながら外部は「その痕跡」が僅かに窺えるだけです。
創建は、紀州東照宮より古いそうで、紀州東照宮の原型になったかもしれません。基本は、
 ・極彩色
 ・彫刻
これで成り立っています。修復の目途がないそうですが、文化財指定を機に、運動が盛り上がって欲しいですね。その時は私も是非、参加したいものです。
阿弥陀寺の特徴は、内陣の大きさです。普通の寺と真逆で、本殿全体の8割を占める。
外陣は、内陣三方を囲む半間幅しかない。そのため、円柱が目立ち、雰囲気は東照宮その持です。

秀忠を祭る内陣が巨大で、親族は取り囲むように外陣に座る。家臣に至っては「建物外」になります。



東照宮は神社ですが、こちらは「寺」です。でも、雰囲気は東照宮です。
最近、久能山東照宮へ参拝したばかりで、イメージが全くダブります。

阿弥陀寺に近接する「鳴神社」にお参りしてきました。
この神社も古い縁起を持っており、和歌山には由緒ある寺社が多い。

何時ものように、「家族の無事息災」をお願いして来ました。


 180509(水)淡路島

友人にアドバイスを求められ、淡路島まで行って参りました。
記憶にあるのは、2000年の淡路花博で、それ以来だと思います。
明石大橋の交通量も増え、随分活性化しているように思いました。

用事を済ませ、ヤマトの好きなチリメンザンショウを土産に購入して帰りました。

この日は夜遅くまで呑み、午前様の帰宅となりました。




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