ちょっとそこまで

 160823‐169824ふるさとへ
■160823(火)
この日は横浜出張、その帰りに名古屋で家内と合流し、ふるさとへ向かいました。

姉の手料理で夕食を済ませた後、義兄と近所のスナックへ行きました。
私の兄弟は残っていないので、今はこの義兄が一番仲が良い。
8月31日で74歳になるそうですが、まあ元気なもんです。昨年皆が止めるのも聞かず、詐欺話しにのめり込み、有り金をだまし取られ、今は私以上に素寒貧だという。どうも、様々なことにのめり込むたちのようで、今は「水素水」に凝っている。これも、とっくに「効用はない」ということが暴露されているのに…オモロイ兄さんです。

この夜はいささか飲みすぎで風呂も入らずにダウンしました。

■160824(水)
全くの二日酔いで早朝散歩。
ここは三河湾の最深部、江戸時代は「北浦」と呼ばれ、港として栄えたところです。

タイミングが合えば、渡りの途中のシギチにたくさん出会える場所です。残念ながら、今日は空振りでした。

イソシギ

ムクドリ

ダイサギ

コサギ

セイタカシギとカルガモ

ケリ

堤防に並ぶセイタカシギとケリ
この他、セッカ・カワウ・ツバメ・スズメ・トビと言ったところでした。

朝食を済ませて、ふるさとの実家へ。お盆には行けませんでしたが、お仏壇にお参りしてきました。
墓仕舞いに続き、大きな仏壇も「小ぶりなもの」に近々代えるそうです。
門徒の仏壇は大きくて豪華です。子供のころ、まるで『魔法の箱』のような仏壇で遊んだことを思い出します。仏壇の隠し引出しを見つけては「お宝(名実ともにお宝で、家計の足しになった)」を探したものです。こうして「ふるさとの記憶」が消えていきます。
今回の旅行の最大目的は「ナマズ料理が食べたい」でした。
義兄の運転(合計4人)で、岐阜県海津市平田町へ向かいます。ここにある「お千代保(おちょぼ)稲荷」にナマズをはじめとして、「川魚料理の店」が並んでいる。その中でも一番名な『やまと』へ行きました。

元祖なまず料理やまとの「ナマズ定食」1450円
うなぎの稚魚不足から、将来「うなぎの枯渇」が危惧されており、その代替魚として、近年、なまずが注目を浴びています。
一度食べてみたかったのですが…
味わう前に「骨の多さ」に閉口しました。硬い骨で、とてもじゃないが「骨毎食べる」代物ではありません。慎重に骨を避けながら食べられる部分は半分ほど。かば焼きには違いありませんが、やはり「うなぎとは別物」でした。

ここは木曽・長良・揖斐川の三川が合流するところで、川魚の豊富な場所だそうです。ここで使用されるなまずも「天然もの」ということでした。ただ、需要が多いときは、琵琶湖から運ばれてくるそうです。「滋賀県ではなまずを食べる習慣ないので」ということでした。食後、お稲荷さんにお参りに。

お千代保(おちょぼ)稲荷は、伏見稲荷・豊川稲荷と並び、日本3大稲荷の一つだそうです。名前の由来は、
平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ、義家より「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け賜わったのが始まりと伝えられる。千代保稲荷神社の名も、この言葉からきている。後に室町時代の文明年間(1469年 - 1486年)、子孫の森八海がこの地に祖神を祀ったのが開祖となり、現在は19代目という。
境内に入ると、まずは手を清め、50円でお供えの揚げと蝋燭を購入。それからお参りです。この揚げは夕方。無料で配られるそうです。
お参りの後、参道をぶらぶら散歩。土日は大変混雑するそうですが、今日はノンビリです。
名物は、各種川魚を佃煮・地産の野菜・漬物など結構豊富です。私は、モロコの佃煮を購入(酒のアテに)。豆の専門店があり、ここで豆乳ソフトクリームを食べた(これは美味かった!)さらに、豆の菓子を土産に購入。私も草もちを買いました。
この参道は「串カツ」も名物だそうで、みんなで頬張りました。
最後は「治水神社」です。
江戸時代、幕府から「お手伝い」を命じられた薩摩藩は、莫大な借財を重ねて、三川の治水事業に当たります。幕府からの妨害に耐えかねて、多くの藩士がここで命を削っています。
切腹は「お家断絶」になるため〜腰のものにて怪我〜と記録されている。

この後、電車で名古屋へ戻り、新幹線で帰路に着きました。
名古屋駅では、いつものパターンで「土産の爆買い」があり、しっかり荷物が増えました。
家では、ヤマトが怒った顔で向かてくれました。うふふ…家の中がデングリかえっていたのも「何時もの通り」でした。














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