ちょっとそこまで
100816(月)晴れ/花山温泉
我家から車で10分にある花山温泉。http://www.hanayamaonsen.com/
随分古くからある温泉だそうで、施設はお世辞にも豪華とは言い難い。でも…

写真で見るように、年輪を感じる温泉です。
関西最強の「炭酸鉄泉」だそうで、茶色の湯です。湯の花成分が、まるで鍾乳石のように、湯船や床へ盛り上がり、鍾乳洞の温泉のようです。26度の源泉を流し湯で使う、贅沢な天然温泉です。

今日は、6時から盆踊りの後片づけでした。これで、この夏のイベントは終了。「お疲れ様」の意味を込めて、家内と行ってきました。温泉の後は、整体マッサージ。これぞ本当に「ちょっとそこまで」でした!
100814(土)〜15(日)晴れ/団七踊り
お盆ともなれば、家内は毎年大忙しです。地元和歌山に伝わる「団七踊り保存会」で頑張っています。5月頃から、

団七おどり

お隣の地区の参加もあって賑やかな踊り

踊りの合間に
 ・会員募集とポスター作り
 ・補助金申請
 ・踊りの指導
 ・運営委員会
  ⇒盆踊り会場確保
  ⇒運営資金募金
週二日のピッチで、こんな活動が続きます。今年は、同時期に骨折があり、ひときわ大変であったようです。

団七おどりは、広く全国に普及し、各地で保存会があります。その由来は、
天保2年(1645)今の宮城県奥州白石足立村の百姓与茂作(与太郎)が娘2人と共 に田の草取りをしている時、ちょうど通りかかった志賀団七の袴のすそに少しばか りの泥をかけたという理由で手うちになった。これを悲しんだ病気の母も後を追う 様に死んでいった。そこで残った娘二人が由井正雪の門に入り、武芸の修業に励み 時の城主伊達家に仇うちをお願い出て、見事本懐を遂げたという物語を踊りにした ものである。
この物語が、江戸で大ヒット。参勤交代で江戸へ出向いていた武士たちによって全国に広まったようです。

連想ゲームみたいな話ですが、広がる過程で変化を繰り返し、ここ和歌山でも「地区が違えば踊りが違う」ほどです。

ただ、このような伝統文化は、今後ますます継続が大変だと思う。
後継者どころか、今年の参加者すら「一本釣り」でかき集めるという困難さです。
さて…来年は、私も裏方で何かお手伝いをさせていただこう。
追記
これがある限り、お盆に家内と旅行には行けない。良いことやら悪いことやら…

100805(木)晴れ/路面電車で納涼家族会
私の古巣

会場となった路面電車

例会開始

若い世代を引き連れて奥様も参加

私たちも負けずに楽しむ
、大阪西ライオンズクラブの納涼家族例会に誘っていただき、夫婦で参加してきました。
今では、大阪で残る路面電車は、阪堺線のみになってしまいました。
天王寺から浜寺公園まで車窓を楽しみながら過ごそうという趣向です。
8月5日18時38分発の貸切電車は、26人を乗せて出発です。

国旗に敬礼、国歌斉唱、開会宣言と普段通りに例会が進み、その後、懇親会となりました。

私が退会して15年以上になります。長引く不況で会員数は減り、世代交代も進んで、私の知る顔は1/3もありません。
お名前を伺っては「ああ、あの先輩のご子息か」と、時の流れを感じます。
物故された大先輩の奥様が、ご主人に代わって入会なさっていました。奥様は、若い世代を引き連れて、今日のイベントに参加。次の世代も引き込むバイタリティーです。

宴もたけなわ!
こうなると車窓の風景は関係なくなる。
これはこれで楽しいのですが、阪堺線の沿線は「歴史の宝庫」で、きちんとしたガイド付きで車窓を楽しむのも良いだろうなと思う。
家内は、別のイベントを思いついついたようだ。想像はつくが今は内緒のほうがよさそうだ。

この日は、落語のわかば師匠がご一緒でした。
一席、聞けるのではないかとかと楽しみにしていたのですが、すごいピッチで、ぐびぐびと飲んでいる。最後にマイクが渡されたころは、師匠は相当にご酩酊の様子。
高座は別の機会にして、トークで過ごす。流石は噺家だと思わせる。

楽しい一夜をこうして過ごしてまいりました。








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