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 210209(火)


家を出たのが6時。埼玉県行田市到着が12:05でした。
ついでとお節介で、ここまで来ましたが、先方のご都合で「打合せは40分」で終了。

さて、それからどうしようかとネット検索。今夜の泊りは「狭山市」です。
ネットで出た移動経路は
~行田市⇒大宮⇒川越⇒本川越⇒狭山市~

お腹が空いていたのですが、行田市駅前には「な~んもない」ので、川越まで移動。
JR川越駅構内で蕎麦屋を見つけ「ホタテと長ネギのかき揚げうどん」を注文。昼食にありついたのは14時半でした。
実は期待していなかったのですが、揚げたて熱々のかき揚げで「メチャ旨かった!」のです。

川越は「江戸時代の要所」です。
今の埼玉県は「新型コロナ亜種」の中心地。観光案内所を始め、公共施設は全部閉鎖。駅でパンプを入手し、駅員さんに概略を聞いて出発。蔵の街・お菓子横丁・川越城址を散策。新型コロナ退院後初の13000歩を超える長距離歩行になりました。では、主に写真で紹介します。



JR川越駅からバスに乗り「蔵の街」入り口で下車。

見事な蔵が両側に並びます。ゆっくり歩きたいのですが、
 ・コロナにめげず溢れる人波。
 ・街道は「幹線道路」で、交通量は半端ない。

まあ、当方も時間に限りがあるので、丁度良かったかもです。

まるで予備知識を持たずに「行ってしまった川越」です。

名物は「川越芋(サツマイモ)と麩」でした。
最初に出会った行列の店は「川越プリン」で、ウリは「芋プリン」だそうです。

小ぶりのプリンでお値段は400円超、お安くはない。味は「うふふ…」です。

時計台のある建物は、いまは銀行になっていました。


この街の「蔵の特徴」は、
 ・棟瓦の高さ
 ・鬼瓦の巨大さ
建築屋から見ると「構造的には不安定」に思える大きさでした。

街道から裏に一筋入ると「寺町」になっているようでした。
複数のお寺や神社は確認したのですが、寺町を形成しているのは「私の想像」です。
裏道も歩いてから、本当のことが分かるのかも…


蔵の街を歩いてから「お菓子横丁」へ向かいました。

まさに路地で「ほんの一角」ですが、面白い店が並んでいました。

まだお腹には「かき揚げ」がしっかり残っており、食べたのは「いも恋」180円です。
名前のマンマ、中央にしっかりサツマイモが入っていました。



お菓子横丁を後にして、川越城址へ向かいます。

途中「川越まつり会館」がありました。
とっても盛大な祭りのようで、会館には「山車の展示」もあるようです。ただ、コロナの影響で閉館中。肝心のお祭りは昨年は中止だったそうです。

川越城址へ向かいます。
片道1km以上あり、いまの私には「大丈夫なかな?」という距離でした。時々休みながら行ってきました。
城と言えば「天守閣に石垣」をイメージするが、関東に多く存在する「土の城」です。
関東ローム層を鋭く掘り下げた「土塁」で堀は作られていた。

戊辰戦争で恭順の意を示すため、この掘りも埋められたそうですが、その一部が復元されていました。

天守はなく「本丸御殿」があったそうで、これも明治期に有志によって復元された。

博物館に入れば、もっと詳しく知ることが出来たのでしょうが、いささか疲れました。


川越の歴史は古い。扇谷上杉氏の命で太田道灌が築城。
その後多くの変遷を経る。この辺りの事情はHPでご覧ください
幕末、老中であった松平氏は、ひたすら新政府に恭順し「戊辰戦争の戦火を免れる」とあるが、それにしても見事に「廃城」になっており、何の遺構も残っていない。余程、新政府に恨まれていたのであろうか?







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