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 201028(水)201029(木)/201030(金)
足を踏み入れたことが無い都道府県は「山形県と秋田県」その秋田県へ、出張で行くことになりました。
こんなチャンスを見逃すことはない!早速「+1」を企てのですが、改めて「東北は広い」と実感した。とても+1では回れない。帰路は仙台経由の出張なので「青葉城」を目標にしました。
■201030仙台・青葉城ほか
チェックアウトを済ませ駅へ。
駅ビルで開いている店を見つけ朝食。厚切りトーストにサラダとスクランブルエッグ、これにコーヒーがついて825円。朝から高い食事です。食べきれず残しました。
量もお金も半分にして欲しいというのが本音でした。

バスターミナルで、 昨夜の観光情報センターのアドバイス通り「るーぷる仙台1日券(650円)」を購入して観光です。
1周70分で、20分ピッチで運行するバス(一方方向だけ)。

乗り降り自由だが、全部回る余裕はない。帰りの搭乗までに使える時間は3時間、アドバイスに従い3ヶ所に絞りました。9時始発のるーぷる仙台バスで出発です。

今日の目標は
 ④番『瑞鳳殿』
 ⑥番『仙台城址』
 ⑫番『大崎八幡宮』


 ④番『瑞鳳殿』 伊達家3代の御廟「伊達家経ヶ峰墓所」です。

バス停を降りると、いきなり急坂が続きます。息を弾ませながら歩くと、まずは瑞鳳寺が左手に現れます。
 (写真右)
瑞鳳寺は、宮城県仙台市の経ケ峯にある、臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は正宗山。開山は清岳、開基は伊達忠宗、本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像。
案外こじんまりとした寺院で、逆光で上手く写せていませんが、紅葉が美しくなっていました。素晴らしい内陣を持つ本堂で、鐘つき堂もありました。普段通り「家族の無病息災」を祈り、先へ進みます。

急坂は石段と変わります(写真右)。
石段を上がりきると、左に折れて「ミュージアムショップ」があります。
ここで拝観料を払い、さらに先へ進みます。

進行方向左に「初代藩主伊達政宗公御廟『瑞鳳殿』」があります。
階段に続く階段でしたが、ようやく素晴らしい「御廟」が見えてきました。

ここの拝観時間を20分と考えていましたが、見た瞬間に諦めました。

見た瞬間「徳川御廟」を思いう兼ねたのですが…
「まったく違う」と気づきました。
徳川御廟は、日光東照宮に見るように「実にカラフル」ですが、伊達家所縁の建物の特徴は、
 ~黒漆に金の飾り金物~
です。

もうこれは『粋』としか言いようがありません。まさに「伊達モノ」の世界です。徳川家のブレーンには、このセンスはなかったのでしょうね!




初代藩主伊達政宗公御廟『瑞鳳殿』拝観を終えて、順路に従って次へ進みます。
ゲートをくぐると、弔魂碑があり右へ曲がると
 感仙殿(二代忠宗廟)
 善応殿(三代綱宗廟)
があります。

藩祖より小ぶりに造ってあるのは当然でしょう。
瑞鳳殿(藩祖政宗廟) 本殿両脇には、殉死した家臣15名および陪臣5名の宝篋印塔が並ぶ。
感仙殿(二代忠宗廟) 本殿両脇には、殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔が並ぶ。
善応殿(三代綱宗廟) 殉死禁止令により殉死者は無かったが、替わって14名の家臣が剃髪して百日間の弔いを行った。うち1人が出家し、没後に遺骸が善応殿の南側に埋葬された。
どの廟にも「殉職者」の塔が並んでいます。

御子様御廟もあるのですが、今は工事中で通行止めになっていました。

※御廟は空襲で焼失したのですが、戦後、市民・行政・企業の浄財で再興されたそうです。

上:感仙殿(二代忠宗廟) /下: 善応殿(三代綱宗廟)

これで、瑞鳳殿は終わりです。結果論ですが、今回の訪問先「最高の場所」でした!
るーぷる仙台のバスで仙台城址(青葉城)へ向かいます。

 ⑥番『仙台城址』
青葉城は「山城」に分類されているそうです。
私は、るーぷるバスで、本丸まで上がってしまったので、殆ど「山城」の印象を持ちませんでした。

確かに、河岸段丘を利用した高台に「本丸」があり、前面の広瀬川と背後の峻険な山を天然の要害とした堅固な城であったと思います。

それでも「違和感」が付きまとっています。
「山城」には定義があります。
それは、三の丸や二の丸と本丸が分離しており、本丸が山頂にあることです。

青葉城は、確かに定義はクリアしているのですが、一般的には
 ・通常時の政務や住居は二の丸
 ・非常時のみ「本丸の籠城」
つまり、本丸の籠るときは「最後の時」なのです。
しかし、青葉城の主な「政務や住居」は本丸にあり、全く特異な存在です。

今は何の遺構もなく、本丸にあるのは資料館と護国神社くらいです。
天守は最初からなく、広すぎる「本丸御殿跡」が広がっています。

本丸からの眺望は素晴らしく、眼下が一望できます。
逆に言えば、下級武士は「登城のたびに本丸まで登る」必要があったわけで、大変だったでしょうね!

資料館で、CG画像を見ました。ここには、多くの模型が展示されていて、主要施設が「本丸にあった」ことがよく分かります。


瑞鳳殿で大幅に時間超過したので、2ヶ所しか回れないのではと覚悟したけど、青葉城ではあまり時間が掛からなかった。
お陰で、3番目の目的地⑫番『大崎八幡宮』に回る決心がついた。
るーぷる仙台バスは順路に従って走る。

仙台城は、青葉山に造られたことから「青葉城」と呼ばれるようになった。いま、青葉山全体は東北大キャンパスで利用されている。
中には、見学できる施設も多いようで、そこを素通りするのは残念でした。

青葉城の帰りから頃がら、私の爆弾となっている「右膝」に痛みが出るようになった。
 ⑫番『大崎八幡宮』
大崎八幡宮は「国宝」の指定を受けている。
大崎八幡宮は、宮城県仙台市青葉区八幡にある神社である。旧社格は村社。社殿(本殿・石の間・拝殿)は国宝に指定されており、どんと祭の裸参りで知られる。
創建年代は不明であるが、社伝では坂上田村麻呂が宇佐神宮を鎮守府胆沢城(現岩手県奥州市水沢)に勧請し鎮守府八幡宮と称したことに始まり、室町時代に入り奥州管領であった大崎氏が本拠地(現宮城県大崎市)に遷したため、大崎八幡宮と呼ばれるようになったという。
歴史は古い神社ですが、現在の姿を形作ったのは伊達家であろう。
ここも「色調は瑞鳳殿と同じ」です。
正宗の「おしゃれセンス」を受け継いだ建物だろうが、それにしても「見事な社殿」です!
青葉城の建物が「何色だったのか?」知るすべはないのですが、案外統一されていたのかも知れない。

この頃から雨が降り出し、見上げる階段を上るには「右膝が悲鳴」をあげだした。それでも何とか我慢して参拝を済ませる。


これで、今回の予定終了です。
るーぷる仙台で回ったのは「伊達家ゆかりの歴史施設」ばかりです。ですが、飛ばしてしまったところこそ「現代の仙台」を代表するものばかりです。
仙台は、杜の都とよばれますが、そんな牧歌的な町ではない。震災バブルの中心地で大都会です。ただ、文化都市の印象も強く、まだ訪れる機会もありそうなので、今後が楽しみです。

仙台駅到着は、キャパ20分前、健康ぎりぎりの観光でした。
その足で仙台空港へ向かう。搭乗手続きを済ませてから食事です。

注文したのは「辛みそラーメン」これはこちらの名物らしい。
食べてみて絶品を実感。評判だけで土産にして購入、既に発送済でしたが、これなら自慢できる。

定刻(14:10)発のpeachでフライト。
天候が悪く揺れたマンマ!
究極のLCC、peachの座席はリクライニングしない。これはシンドイね!

関空へ着いて、更に悲劇が待っていた。
関空到着は15:55、なのに17:07まで和歌山行きのリムジンバスがない。
コロナ禍で大幅減便は分かるけど、30分間隔のバスだったのが、ここまで減るか!と呆れた。ゲンナリやなあ~

何はともあれ、これで「+1の旅」終了です。お疲れ様!


201028(水)201029(木)/201030(金)





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