home 『神事と城巡り』 top 200229(土)吉備津神社鳴釜神事と鬼ノ城・200301しまなみ海道と今治城(日) |
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いよいよ、今日のメインエベント「鬼ノ城(きのじょう)」へ向かいます。途中「阿曽女」の地を通過。 鬼ノ城は、とんでもない「山の中」でした。私は当初、タクシーまたは歩いて向かおうと思っていたのですが。これは無理でした。 |
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・展示はあるが配布は1枚のパンフだけ ・管理人は居るが学芸員は不在 ・ボランティアガイドは事前申込制 ということで、展示を見てから出発です。 鬼ノ城 https://kojodan.jp/castle/81/ 岡山県総社市山中に遺構が発見されたのは1971年。公式には記録がなく、鬼ノ城に関する定説は ・出来たのは、7世紀中期から後期で ・古代の朝鮮式山城 これくらいです。 だれが何のために造ったのか?定かではない。 総社市のHPでは「白村江の戦いに敗れた大和朝廷が、大陸からの反攻に備えて作った」という説です。 しかし、鬼ノ城は「それ(白村江)以前にあった」という説もある。つまり、造営時期が明確でなく、歴史の流動期であったこともあって、諸説が生まれる。 私は、現地に行く前は「大陸からの反攻に備えて」と思っていたが、実際に現地に立ってみると「それはおかしい」と思った。 以下は、私の感想です。 ・大和朝廷が造ったのなら、何故「朝鮮式」なのか? ⇒朝鮮式なら白村江以前に思える ⇒ここは「渡来人・温羅」が活躍した地 大和は温羅を亡ぼしている ・大陸からの反攻は「瀬戸内ルート」しか考えられない。ならば、内陸の山城では不自然だ。 一方、 ・吉備王朝は滅んでも「完全な平定ができた」わけではない。吉備王朝が、瀬戸内を中心にした王朝であったことから、沿岸部に築城できなかったかもしれない。ならば、この山城は吉備侵攻の拠点だったかもしれない。それなら「朝鮮式はおかしいだろう」と、堂々巡りです。 ようは「分らない」のですが~大陸からの反攻に備えて~という理由だけは無理があると思った。 良いイラストがあったので「無断借用」します。 私たちは、西門から入り角楼を経て、中央部を歩きました(赤線で表示)。北門こそ行っていませんが「主な遺構」は見学することができました。 それにしても、よくこんな場所があったものだ。 ・標高約400mの山頂はほぼ平 ・1周2.8kmのほどよい規模 ・籠城に必要な「水が豊富」 ⇒水が豊富で「制御するための「水門」も多数ある ⇒水田と思しき以降もある 一方、不思議に思ったこともあった。城作りは「地産地消」が原則です。鬼ノ城の城壁は、粘土を固めた「版築土塁」ですが、歩いた限りでは、粘土の露出層はなく「粘土はどこから持ってきた?」と思いました。 謎に満ちた「古代の朝鮮式山城」を私は新鮮な思いで見学することが出来ました。歴史書がないので「攻城戦があったのか?」分かりませんが、とても興味があります。急峻な斜面(歩くのが怖い場所も多い)に6m近い版築土塁、容易な攻城戦ではなかったでしょう。ただ、日本式山城のような「仕掛け」はあまり感じませんでした。 |
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西門(屋根があったのか?は定かではない) |
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西門 |
西門から見る版築土塁 |
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内部から見る西門 |
外部から見る角楼 |
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内部から見る角楼 |
角楼から見る西門 |
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中央を横切る道を選んだお陰で、まるで視界が開けない。城として機能していたころは、視界を遮る木々はなかったはずです。倉庫群址の標識を見たときはほっとしたもんだ。おそらく「籠城に備えた穀物蔵や武器蔵があったのだろう。 第5水門付近からは、一気に展望が開けた(写真右)。山を駆け上がる敵軍は、聳える土塁に「絶望的な気持ち」であったであろう。 |
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東門址 |
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第4水門址 |
突出部が見える。迎撃ポイントであったであろう |
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この文様は、西門の垂れ幕にも見ることができる。 ただ、発掘調査後の「創作」のよです。 呪いや祟りが恐れられていたことならではデザインであろう。 |
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突出部から「雨に煙る東門」を見る |
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土塁だけではなく石垣もあるあ、損傷が目立つ |
南門址(復元した南門遺構はこれだけ)外は絶壁です |
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第3水門 |
高石垣付近 |
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南門を過ぎたあたりから「場内補修工事中」で、城壁下を歩行していたが、西門手前で「土塁修復中」があり場内に戻る。 これで、鬼ノ城の見学は終わりです。ビジターセンターで「暖」を取り、次へ向かいました。 |
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この付近には「渡来人・温羅」ゆかりの地が多い。その一つ「矢喰いの岩」へ寄ってみました。 まあ、大和朝廷によって作り替えられた「神話」が多いのでしょうね。 もし、機会があるなら、この地方の神話に詳しい方から、お話を伺ってみたいものです。 |
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総社市を後にして、倉敷へ向かいました。フルーツショップでスイーツを食べるためです。 美味しいのですが、安くはありません。 これで、福山へ帰りました。 |
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福山へ着いたのは、どっぷりと日が暮れて方でした。 近所のラーメン屋さんで夕食です。注文したのは ・焼き豚 ・かまぼこ ・餃子 ・尾道ラーメン 中ナマ2杯と、日本酒2合でした。 この日も、早々と「お休み」でした。 |
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