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200229(土)吉備津神社鳴釜神事と鬼ノ城・200301しまなみ海道と今治城(日)

私の仕事も終わりが見えてきて、出張もめっきり減りました。
急に出張が決まったのですが「+1の旅」もこれが終わりかと思い、急遽予定を立てました。世間では「新型コロナ」ウイルス騒動で緊迫しており、それぞれが自粛する中での「不謹慎な旅行」になりました。
200228出張先での業務を終え、この日は福山に住む長男の家で宿泊。明日からの「+1の旅」に備えました。

■吉備津神社『鳴釜神事』
吉備津神社は2度目の訪問です。
https://sizentotomoni.web.fc2.com/nikki2018/kibizi/180629-30kibizi.html
前回の訪問の1週間後に、この地は「大風水害」に襲われ甚大な被害を出しています。今は傷跡も感じませんでした。前回は「ひたすら歩く旅」でしたが、今回は長男の嫁が車を運転してくれました。

吉備津神社は、吉備王朝の終焉の地で、王朝の中心地でした。
出雲王朝の終焉の地に「出雲大社」があるように、ここには吉備津神社があります。祟りを恐れた時代だけに、大和王朝の「贖罪の象徴」なのでしょう。

社務所で、鳴釜神事をお願いすると「まずはご祈祷を」受けてくださいとのこと。3000円の祈祷料を添えて申し込みました。



祈祷殿でご祈祷を受け、いただいたお札がコレです。

たくさんの人でご祈祷を受けたのですが、神事への参加は私たち二人だけ。勿体ないなあ~

長い回廊を歩いて「御かま(古い漢字で)殿」へ向かいます。今日は雨でとっても寒い日です。
おかま殿内部及び神事は「撮影禁止」なので写真はありません。
TVでの説明をカメラに収めたので、雰囲気だけでも感じてください。神事の内容は、吉備津神社のHPから転載します。
この神事の起源は御祭神の温羅退治のお話に由来します。
命は捕らえた温羅の首をはねて曝しましたが、不思議なことに温羅は大声をあげ唸り響いて止むこと がありませんでした。そこで困った命は家来に命じて犬に喰わせて髑髏にしても唸り声は止まず、ついには当社のお釜殿の釜の下に埋めてしまいましたが、それ でも唸り声は止むことなく近郊の村々に鳴り響きました。命は困り果てていた時、夢枕に温羅の霊が現れ~~『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに 鳴ろう。ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』~~とお告げになりました。命はそのお告げの通りにすると、唸り声も治まり平和が訪れました。これが鳴釜神事の起源であり現在も随時ご奉仕しております。

お釜殿にてこの神事に仕えているお婆さんを阿曽女(あぞめ)といい、温羅が寵愛した女性と云われています。鬼の城の麓に阿曽の郷があり代々この阿曽の郷 の娘がご奉仕しております。またこの阿曽の郷は昔より鋳物の盛んな村であり、お釜殿に据えてある大きな釜が壊れたり古くなると交換しますが、それに奉仕す るのはこの阿曽の郷の鋳物師の役目であり特権でもありました。

この神事は神官と阿曽女と二人にて奉仕しています。阿曽女が釜に水をはり湯を沸かし釜の上にはセイロがのせてあり、常にそのセイロからは湯気があがって います。神事の奉仕になると祈願した神札を竈の前に祀り、阿曽女は神官と竈を挟んで向かい合って座り、神官が祝詞を奏上するころ、セイロの中で器にいれた 玄米を振ります。そうすると鬼の唸るような音が鳴り響き、祝詞奏上し終わるころには音が止みます。この釜からでる音の大小長短により吉凶禍福を判断します が、そのお答えについては奉仕した神官も阿曽女も何も言いません。ご自分の心でその音を感じ判断していただきます。
神事の由来に登場する「温羅(ゆら)」は、桃太郎(大和朝廷)伝説の「鬼」です。
温羅は半島からの渡来人で、商人であったと言われます。想像ですが、自由貿易を求め、統制しようとする大和朝廷に逆らったのでしょう。伝説は荒唐無稽ではありませんが、併せて「勝者の歴史」でもあります。神話に登場する、鬼や悪者は「ヤマトに従わない者」と考えてよいでしょう。

津々と冷える中での神事でしたが「とても神秘的で厳か」でした。地底から鳴り響く音に「吉兆を自分で判断」するのですが、さて?どうでしょうか。
神事を終えて、冷え切った体を温めるため、境内のお店で昼食です。私は肉うどんとお汁粉です。お汁粉の餅は「黍団子」です。昔ながらの黍団子で、お土産の黍団子とは全く違います。歯ごたえがあり、野性味あふれた味でした。


吉備津神社鳴釜神事  鬼ノ城  今治城






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