愛媛・城巡り■191017二之丸史跡公園

松山城本丸の見学を終え、登り石垣を見ながら「二之丸史跡庭園」へやってきました。
松山城二之丸史跡庭園は、表御殿跡と奥御殿跡に大別されます。表御殿跡は北半分にある「柑橘・草花園」で、各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りを表現しています。奥御殿跡は西南部にある「流水園」で水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています。東側の「林泉庭」は、露岩を背景にした池や滝を配置して「わび」、「さび」を表現しています。
城主居住区として造られたもの。一応石垣はあるが「敵を迎え撃つ」用に作られてはいない。あれだけ強固で広すぎる本丸がある分けで、ここで無理に戦う必要はなかったであろう。
広大な家屋があったことは、気団の群れで分かるが、往時の姿を思い浮かべるのは難しい。

この日は、結婚式の「前撮り」が3組行われていた。この当たりでは、前撮りのメッカなのだろう。

蒲生忠知には子供がおらず、そのため、蒲生家はおとり潰しになっている。
余程子供が欲しかったのであろう。
城下の妊婦を捕まえては「腹を裂き」跡継ぎになる子を探したという。そんな悲しい、言い伝えもあった。
伊予松山藩2代城主・蒲生忠知(がもうただちか)の治世(1627年~1634年)に完成下と伝えられる二之丸。政庁である表御殿と、藩主やその家族の生活の場である奥御殿に分かれていましたが、表御殿跡にあるのが大井戸遺構。生活用水というよりも防火用水として機能していたと推測できます。
いささか「歩き疲れて」足早の見学となった。
時間は13時を過ぎており、空腹でもあった。

最後の訪問予定地、湯築城へ移動します。


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