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180416〜17

 180416
急な出張となった。
作業を打ち切り、出張準備して出発。目的地は静岡県磐田市、17日9時から打合せで、朝「和歌山出発」では間に合わない。そこで、浜松で宿泊して翌朝磐田へ向かうことにした。

急なことでしたが、鈴木さんが私の希望を叶えてくださり、和食の美味しい店「和風バル志道」へご案内いただきました。

さっぱり味の地酒で「国香」で乾杯。料理は、思い思いに注文して…
 ・付きだしは魚とタマネギのマリネ
 ・クロダイの造り
 ・湯葉料理(写真を撮る前に食べてしまった)
 ・イカ料理
 ・ネギの焼き物
 ・まぐろのユッケ
 ・山菜てんぷら
 ・〆は茶蕎麦
一品一品丁寧なつくりで、お酒に合う料理を戴きました。
鈴木さんとは1年半ぶりの邂逅で話も弾みます。
お値段もとてもリーズナブルで、是非もう一度行きたいお店でした。
最近、出張が多いのですが「単独の出張」はめったにない。
集団行動の出張では、出張手当1万円(宿泊代食事代込)で賄おうとするため「ご当地の美味しいもの」とは縁がありません。

久々の単独出張で、良いお店で美味しい料理を堪能できました。鈴木さん、ありがとうございます。

ブッキング・ドットコムでホテルを探したら、いきなり出てきたのがアパホテル。最近安いホテルという意識はないのですが、ここは1泊4300円。シングルの予約なのにトリプルルームでした。「空き部屋より」と言うことで、あろう。

  180417
今回の出張の目的は「緊急事態となった某物件の見積依頼」です。
浜松駅構内のドトールで朝食を取り、JR線で磐田まで。磐田からタクシーで某社へ
約1時間の交渉で快諾を得て「目的達成」
東京へ向か上司にその旨連絡、きっと東京での会議で報告できてよかっただろう。

これからは「+1の旅」です。
今回の目的は「久能山東照宮」です。
久能山は、元々は武田型の出城で「久能城」でした。海に面した山城で、標高は216mです。
徳川幕府になり、家康の意志でここが墓地となった。

久能山へのルートは二つ
来るまでなら、難しくないでしょうが、バス利用だと本数が限られているだけに、無事に行ってこれたのが不思議なくらいです。
おまけに低気圧が近づいており「雨が降る前に」参拝を済ませたいので、天候との競争です。

袋井から静岡へJRで移動。
駅の観光協会でルートを訪ねたら、
 ・シャトルバスで麓へ行き、1159段の石段を登る(昔はこれしかなかったそうです)
 ・バスで日本平まで行き、ロープウエーで「久能山へ下る」

どちらも1日に数本しかバスはない。石段もシンドイので、日本平へ向かうことにした。バスが出るまで50分あるので「早昼」にした。

日本平も始めてです。
緑豊かで、ここで泊まって早朝散歩で野鳥を観察出来たらいいなあ〜と思いました。
(これは何時か実現しよう)
日本武尊のゆかりの地「日本平」からロープウエイで久能山へ入りました。
やっと念願の地に立ちました。この日は、家康公祭りの当日で、ロープウエイもフル稼働。
恐らく、普段なら静謐な地でしょうが、今日はざわついていました。

全国に約50社の東照宮があるそうですが、勿論ここが発祥の地です。


桜門


唐門
2代将軍秀忠が1年7ヶ月で作りあげたという久能山東照宮。
私は、まだ5ヶ所くらいしか東照宮を参詣したことがないが、何処も日本では珍しいデコレーションの多い様式です。

かってに「大規模な東照宮」をイメージしていたのですが、紀州東照宮とあまり規模が変わらず、逆の驚きがありました。

奈良県の談山神社には、




〜日光東照宮を作った徳川家光は、ここ「談山神社・本殿(写真左)」をモデルにしたそうです。そのお礼に、本殿の建替え寄進したそうで、その名残が「葵のご紋」です〜とありますが、これは本当だろうか?
私はまだ日光に行ったことがないので、分からないのですが、様式に違いがるあとは感じません。

神庫

日枝神社




拝殿

神廟(派手な拝殿と簡素なお墓、対比が凄いね)
東照宮のもう一つの特徴は「彫刻」です。
これをじっくり鑑賞するには時間がありません。
駆け足参詣も、ついに雨になってきて終了です。

この日は家内の誕生日、急ぎ我家へ向かいます。
ホンマに駆け足の「+1の旅」でした。









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