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東京〜日光〜南会津
181028‐30

181028−1 東京へ
母校「豊橋工業高校」の同窓会で、高芦会関東支部総会出席ため、東京へ向かいました。
高芦会関東支部総会出席は2年前に続き2度目。
前回は「出張ついで」でしたが、今回は出席目的です。ただ、これだけでは勿体ないので、家内と一緒に日光と南会津の旅を加えました。

途中、伊吹山も富士山もとても綺麗でした。
定刻に東京着、ここで家内とは一旦お別れです。家内は、二男と栃木県にある「渡良瀬遊水地」へ探鳥に。
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私は、総会のある飯田橋へ。
181028−2 高芦会関東支部総会
高芦会関東支部総会会場へ到着。参加者23名中、17人が70歳超、最高齢は84歳。超高齢の集まりです。

総会で、昭和42年「富士山山頂測候所職員宿舎」の建設で工事主任を務めた先輩の話が聞けました。
山頂へ資材を運び上げる費用を、苦力の人達と協定を結んだそうです。協定は「1s100円」だったそうで、50sのセメント袋は、運び賃が5000円。下界で500円のセメントが山頂では5500円になったそうです。

昭和42年当時で、山頂の職員宿舎の工事は「250万円/坪」についたそうです。ちなみに、南極の昭和基地が150万円/坪だったそうです。
おぼろげな記憶ですが、当時の鉄筋コンクリート造のマンションが15万円/坪くらいだったと思います。とんでもない工事は施工費もべら棒だったんですね!

3次会の途中までお付き合いして、家内と合流のため浅草へ。

181028−3 浅草
東京は広すぎてわからない。飯田橋から地下鉄で蔵前に出て、ここで乗り換えて浅草に向かうつもりでしたが、散々迷った挙句「駅が分からない」ので歩くことにしました。

タブレットにホテルの位置を出し、約1qの歩行。酔い覚ましに良い運動でした。

一足早く着いた私は、チェックイン。ホテルは「ザ・ゲートホテル」です。まだ新しいホテルで、良い設備です。

ロビーフロアは最上階の13階、ここからは浅草寺もスカイツリーも良く見えます。
でも…宿泊は3階の部屋、窓の外は隣の建物の壁でした(悲しいなあ〜)。

3人で落ち合って食事へ。
浅草ポッピー街で「下町の居酒屋」を目指したのですが、息子が「寿司が食べたい」と言うので、この店へ。

お造りを頼んで、私と息子は日本酒(かなり旨い地酒を揃えている)。
家内は、散し寿司を注文。
そこそこ飲んで、息子も散し寿司を注文。

ネタを自慢するだけあって、どの魚も美味しいのですが、食事代は「小さな紙切れに28000円」とありました。やっぱり「値段表のないお店」は怖いね!

ちなみに写真のお姉さま、このお店の中居さんなのですが、私達の席に座り込んで飲みだした。
勿論、店主は「苦い顔」でしたが、知らんふり。かなりの強者でした。

ホンマに楽しい1日でした!
夜中は大変でした!
家内は一晩中「下痢」で苦しんでいた。
当たるようなものが出たとは思えないのですが、家内は旅行など環境の変化でこうなることが多い。どうもメンタルは強くない。

臆病な私は「用心深い」、今回も下痢に備えてウコンを持参していた。家内にこれを飲ませて、落ち着いてきた。


181029−1 日光へ
日光は、過去に二度アクシデントで「ドタキャン」している。
今回は家内の下痢で「二度あることは三度ある」のかと、「日光は諦め」と覚悟した。
でも、本人が大丈夫と言うので、予定通り日光へ向かことにしました。

まずは「腹ごしらえ」です。
この朝食はなかなかのものでした。
まず、4種類のメインメニューから1つを選びます。私が選んだのはフレンチトースト。
オレンジジュースは目の前で搾っている。サラダ野菜やヨーグルト、それに入れる蜂蜜もとても拘ったものでした。
これを食べながら、シンガポールのホテルを思いだした。手の込んだ朝食は、思い出深いですね。

昨日は、11時半の総会から、22時息子と別れるまで「呑み詰」でした。それでも、二日酔いもなく助かったのですが、至近にあるスカイツリーも浅草寺にも行くことは出来ませんでした。
東武鉄道で日光へ向かいます。
東武・浅草駅はビルの中、とても狭い駅でした。
月曜日なのに、特急電車は満席です。
日光駅までの1時間半は、昨夜の睡眠不足を取り戻すため、ほぼ「爆睡」でした。


181029−2 日光到着
定刻に到着、凄い人でです。まず、拝観予定地のチケットを購入。これで簡単に「万札が飛んで」行く。まるでUSJに来たみたい。
次はロッカー探しです。旅行バッグを入れるので、少し大型のロッカーが必要です。幸い、1個だけ残っていたロッカーを見つけ身軽になる。とは言え、私の方には5sのリュックがあり、携帯する荷物はここに収まっています。

事前情報では、東照宮まで「10分ほどで歩ける」ということでしたが、これはウソ。緩い登り坂を20分近く歩いて、神橋に到着。いよいよ東照宮は目の前です。

181029−3 日光山輪王寺
輪王寺「三仏堂」は大規模改修中。工事中でなければ、こんなふうに見えるらしい。但し、内部の参観は出来る。

まずは、輪王寺のお庭「逍遥園」へ。紅葉が美しいとあって、訪れる人も多い。山ほど写真を撮ったのですが、とても全部は紹介できません。

逍遥園は小堀遠州作と言われる。家康のブレーンの一人で、全国に「遠州作の庭園」があるが、まるで水戸黄門の漫遊記みたいです。庭園作りは数年は掛かる筈で、いくら何でも「多すぎる」と言うのが私の印象です。ただし、逍遥園は素敵なお庭でした。




帰路に、宝物殿に入りましたが「撮影禁止」で写真はなし。
「インスタ映え」が基準の時代にこれではいずれ衰退する。

三仏堂も総漆塗りで、ご本尊の三仏は見上げるほどの圧巻ですが、ここも撮影禁止。
フラッシュ禁止は良いと思うが、今時撮影禁止はないだろうに…

三仏堂を出て、護摩堂へ。ここも外観写真のみ。
これでいよいよ、東照宮へ向かいます。

五重塔を左に見て参道を進むと、表門が見えてきました。
左右に仁王像を従えた山門です。
181029−4 日光東照宮
「三度目の正直」でやっと、やってきました日光東照宮です。
溢れんばかりの観光客ですが、2/3は外国人と言った按配です。














表門を入ると、下神庫・三神庫があります。どれも、
 ・総漆塗り
 ・金箔の多用
 ・溢れんばかりの彫刻
 ・過剰な装飾
これらが共通します。

3代将軍「徳川家光」が、
 ・家康の威厳を高め
 ・大名の力を削ぎ
 (資金を使わせることで)
 ・おのれの誇示するために
造ったのが日光東照宮です。

世界遺産と言っても日本のものは地味なものが多いのですが、日光東照宮だけは「派手さで負けない」存在です。
とは言え、過剰な装飾に「疲れを覚えた」のも事実です。

東照宮で、唯一無塗装の建物が神厩舎。ここには、猿の彫刻が並ぶのですが、その中の1つが有名な「三猿」です。
 ・見ざる
 ・聞かざる
 ・言わざる
大きくはないのですが、見事です。

181029−5 日光東照宮「陽明門」
「陽明門」が見えるところまでやってきました。
石段の上中央が「陽明門」です。
陽明門手前の
 ・左側が「鼓楼」
 ・右側が「鐘楼」
鐘楼の写真を紹介しますが、ご覧の通り「装飾の塊」です。何処にも「音色の説明」などありません。実用ではなく「華美を競う」ことが目的だったのでしょう。

御本社は二重に囲まれている。一重目は、陽明門を入り口にして「廻廊」で囲まれています。廻廊の塀には彫刻がびっしりと施されています。
全国の東照宮は、彫刻で飾られていますが、日光東照宮は一際濃密です。
彫刻と言えば、眠り猫や三猿が有名で、動物彫刻には、象や竜のイメージがありますが、圧倒的多数派は「鳥」です。
私達は、日光東照宮の「探鳥」を楽しみました。

陽明門を入ると、
 ・左側が「神輿舎」
 ・右側が「神楽殿」です。

回廊の彫刻群


陽明門とディテール
写真上は正面から、写真右は背面からのものです。無数の龍で飾られている。


写真下は陽明門左右前後の像です。
流石は、一際有名な「陽明門」です。造営に参加した職人(名人)には、最高の名誉だったでしょうね!





何故かこの部分の写真がない







181029−6 日光東照宮「眠り猫」
坂下門から一旦出て、奥宮拝殿まで行くことが出来ます。
この坂下門内に、有名な「眠り猫」がありました。

杉木立を歩いていくと奥宮へ行けるのですが、見上げるような石段に「パス」することにした。
この頃になると、下痢で昨夜は寝ていない家内の疲労が目立つようになりました。

181029−7 日光東照宮「御本社」

御本社「拝殿及び本殿」は、二重目の囲いの中にあり、正規には「唐門」から入るのでしょう。ただ、ここは通行止めで「見るだけ」です(白い彫刻は珊瑚だろうか?)。
脇にある祈祷殿で靴を脱ぎ、拝殿と本殿を参拝しました。

残念ながら、ここも撮影禁止で写真はありません。
本殿に入るのは、滋賀県坂本の東照宮に次いで二度目ですが、変わった造りです。一旦、階段で下り「見上げるような」状態で御本尊に接します。あるいは「正面から見てはいけない」という、造りなのでしょうか?
この頃になると「過度華美な装飾」に疲れを覚え、防衛本能で不感症になってきました。

181029−8 日光大猷院「家光廟」
いささか疲れて、大猷院へ向かいました。
ここは3代将軍家光の廟です。
流石に権現様(家康)の東照宮より「地味」に造られています。まあ、それでも「それなりに派手」ですが…

ここでは二天門まで行って、石段を見上げてスルー。
チケットは購入済でしたが、昨夜は下痢で寝ていない家内の、疲れ切った表情を見れば権利放棄しかありません。
更に二荒山神社と日光宝物殿もスルー。

帰路は、東武日光駅までタクシーを利用しました。

181029−9 鬼怒川温泉
14:04初の電車で日光を離れ、途中、下今市で乗り換えて鬼怒川温泉駅へ到着。
庫の駅はSLが運行されているようで、転鉄機がありました。

駅地下でレンタカーを借り、ホテルへ向かいます。
時間は16時近くで、まだ昼食も食べていませんでした。
日光から南会津に向かう会津西街道は、別名「蕎麦街道」と言われるそうで、蕎麦屋さんが軒を連ねています。

やっと「そばを食べようか」と言う気分になり、何軒も探したのですが、営業は「昼だけ」が多く、閉店ばかり。
やっと見つけたお店で、食べたのですが「残り物か?」と言うほど伸びており、美味しくはなかった。

本日の泊りは「あさやホテル」
没落激しい鬼怒川温泉で「一人勝ち」と言われる巨大なホテル。安価ですが内容は悪くない。ただ、喫煙フロアしかないということで、臭いには閉口した。

食事はバイキング。和洋中100種の「出来立て」が自慢。
主なところは「シェフが目の前で作って」おり、なかなかのモンでした。写真は私一人分。完璧に食べ過ぎた!
あさやホテルの風呂は、1・2・13階ある。特に13階の「空中風呂」は素晴らしい。夜は、山に係る月とススキ。朝は、紅葉の山を見ながら最高でした。ただ、チャ寒いの難点
181030−1 会津西街道
朝風呂に入り、出発準備を整えてから朝食会場へ行ったのが7時。
昨夜の反省を踏まえて「和食」で控え目に済ます。
食後のコーヒーを飲んでチェックアウト。ホテルを出発したのが7:40でした。

家内の体調が心配だったのですが「大丈夫」と言うので出発です。
目的地は「大内宿」です。
距離は80qほど、ナビでは2時間半と出ます。実際には1時間40分ほどの距離でした。

まったく想定外だったのが、会津西街道の「紅葉の美し」でした。私の生涯で見た「最も美しい景色」と言っても良い素晴らしさでした。とても全部は掲載できませんが、ご紹介します。







まだまだ美しいところがあったのですが、時間にせかされての旅で、車を止めて写真を写し時間がありませんでした。「次回」があるなら、途中にあるひなびた温泉に宿を取り、心行くまで「紅葉」を楽しみたいところでした。
181030−2 大内宿

会津西街道の主要な中継点「大内宿」。戊辰戦争で焼失しており、その後に再建されたそうです。以前から、訪れたかった場所だけに感激です。

お陽さんが出ているの雨が降り続く「お天気雨」の日です。

ここへ来れば「蕎麦」なのですが、どうにもお腹が空かない。そこで「そばがき汁粉」を注文。とっても美味しく頂きました。

ぶらぶら歩きで、遂に土産を買いだした。
 ・焼き栗
 ・とちもち饅頭
 ・じゅうねんえごまみそ
味噌団子も食べました。余りに美味しいので、尋ねてみたら「じゅうねんえごま」の味噌と言う。
「じゅうねん」とは10年ではなく、この地方で獲れる「エゴマ」のことだそうです。大内宿のえごまと言うことらしい。
で、早速、土産に購入したのです。

大内宿のメインストリートはショールームのようなもの。
そこで、宿場通りから外れてみました。
鎮守の森「高倉神社」へ行ってみました。「村社」とあるように、ここが氏神様です。大きくはないのですは、よく手入れされた神社でした。
ふり返れば、紅葉に染まる背景の山々、しらずに「ふるさと」を口ずさんでいました。まさに、そんな風景でした。
 


181030−3 帰路
これで、予定終了です。急ぎ帰路に着きます。
途中よった「道の駅」お天気雨も上がり、一段と紅葉が美しい。ここでも、幾つか土産を購入。ヤッパリ荷物が増えました。

どうやら「食事時間がありそうだ」と見当がつき、蕎麦街道の1軒に入りました。
お店の名前も覚えていないのですが、大正解だったようで、ざるそばの味、は「絶品」でした。窓の外にはとても美しい渓流がありました。

鬼怒川温泉でレンタカーを返し、14:04の特急で帰路に着く。
我家到着が22時40分。
やっぱりヤマトの声がないと寂しい


あと書
今年ほど紅葉を楽しんだことはない。
10月中旬の北海道4日間、下旬の会津西街道等3日間。この旅行で掛かった費用〇〇万円、9月のアルバイトで稼いだ金が旅行で綺麗サッパリ消えました。今回の旅でも「健康不安」があったわけで、何時まで旅行できるのか?元気で稼げるうちは旅行を楽しみます。
来週は山口県への出張があり、帰りは山陰周りのつもりです。松江城の紅葉も楽しめるかもしれません。まだ、11月下旬に奥琵琶湖の予定があり、最後まで紅葉を楽しみます。









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