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180926

京都府と大阪府にまたがる敷地を持つ物件があり、その調査に出向いた。行った先は、京田辺・八幡市・枚方市です。
残念ながら「+1の旅」をするほどの時間はないので、ホンの寄り道でしたが「石清水八幡宮」へ行きました。
関西に半世紀以上住みながら、この付近は「未知の土地」で、石清水八幡宮だけではなく、伏見稲荷や伏見城も知りません。まあ、物件が具体化すれば「+1の旅」で行くことも出来るでしょう。
まずは「石清水八幡宮」です。  http://www.iwashimizu.or.jp/
男山は都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。
平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。
明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。

昼休みを利用しての「急ぎ足」です。
ケーブルカーを利用して男山山頂へ。片道5分ほどの旅です。
標高が上がるに従って広がるビュー。光秀の「三日天下」を終わらせた、天王山の戦いの古戦場(三川合流地帯)が眼下に広がります。

相変わらず、予備調査をせずに出かけたのですが、山頂に広がる伽藍は想像以上の大きさでした。
由緒書きも始めて読んだのですが、歴史が古いのですね!
更には、国宝や重文の多さにも驚きでした。

男山は、植物の「北限と南限が重なる」地域だそうで、植物学者にとって聖地だそうです。野鳥も多く、私は知らなかったのですが、この日、NHKで石清水八幡宮が紹介されていたそうです。
伽藍が立派な塀で囲まれており、東西南北の門がある。てっきり「城郭作り」かと思ったのですが『山火事から伽藍を守るため』ということでした。ただ、これは時の政権への「言訳」だろうと思います。崖の上に建つ城壁と見た方が素直でした。
ここでも「台風21号の爪痕」が茅葺の屋根に残っていました。では、写真で紹介して行きます。

国宝「御本社」

どう見たって「城郭」だよね

さしずめ「本丸」と言ったところ
予め手続きを踏めば、拝殿に入ることも出来るようです。しかるべく説明もあるようで、これは残念でした。
行き当たりばったりの「+1」の欠点ですね!
次は準備して行こう。









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