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再会2度目の『+1の旅』です。今回選んだのは「錦帯橋と岩国城」です。
 https://www.iwakuni-kanko.com/kikko/shiro/
「岩国城」 (いわくにじょう) は1608年 (慶長13年) に初代岩国藩主の吉川広家が、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に築城しました。
しかし幕府の一国一城令により、築城より僅か7年後の1615年 (元和元年) には取り壊しとなり、政務は山麓の居館 (現在の吉香神社付近) で行われました。現在の天守は1962年 (昭和37年) に外観復元されたもので、四重六階の桃山風南蛮造です。南蛮造(唐造)とは最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式です。復元の際、錦帯橋からよく見えるよう、旧本丸の約50m南側に位置を変えています。現在、天守内には刀剣や武具甲冑類が展示されています。

では、順を追って「紀行」の開始です。
降って湧いた「山口の仕事」も、契約した基本設計業務は今回で終わりです。時期があるとすれば、実施設計が受注出来た時です。

 111717 設計内容の説明と、追加現地調査を完了して、16時に新山口駅で同行の皆様とお別れです。

こだまで、新岩国へ移動。駅前へ出たが『なんにもない』悪い予感です。私の記憶では、駅前にホテルがある筈ですが、ない!確認の電話を入れると、まるで違う駅前のことでした。
ホテル予約サイトで「新岩国」と入れ、駅前でヒットしたホテルを予約したのですが、どうやら「広域検索」するシステムであったようで、このような仕儀となった。今更後戻りも出来ないので、ホテルは諦め(費用は事前に払っているの)。急ぎ、タブレットで検索し電話を入れる。JR岩国駅付近で確保し、バスで移動。
結果論ですが、新岩国では動きが取れない。宿をとるなら岩国が正解でした。

安くはないホテル代をキャンセルで失っているので、岩国のホテルは「1番安い」ところを選んだ。
駅から徒歩5分、1泊素泊まり4800円+朝食代500円です。

どうやら、永らく放置されていたホテルをリニューアルオープンしたもので「リニューアル1周年」とあった。

値段に見合った「古さ」ですが、贅沢は言えない。
フロントのお嬢様はとても親切なのですが、不慣れが隠せない。渡された部屋の鍵で開けて見たら、使っている部屋であった。
フロントへ戻り、部屋を替えてもらう。

荷物を置いて食事に出たのは7時半。
駅前で店を探すが「どこが良いのか?」分からない。こんな時は、混んでいる店を選ぶに限る。

ここは「海の幸」が売りの店。
 ・酒は「獺祭3種呑み比べ」
 ・付だし2品
 ・イカの姿作り
 ・カキフライ
 ・卵の出汁巻
 ・アラ汁
 ・芋焼酎お湯割り
どうにも一人では多すぎる。
お腹がはちきれんばかりなるまで食べて、約5000円。
新鮮さと旨さで堪能しました。
でも、一人酒は寂しいね!

ホテルへ帰り、10時には爆睡

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ホテルのあちこちに「朝食はガッツリと」とある。
1階ロビーの朝食会場へ。
私の選んだのは、写真の通りですが、用意されていた料理に驚いた。

品数は、街の一善飯屋に引けを取らない。焼き魚から野菜の煮びたしまで20種類くらいが賄さんによって作られている。これで500円なら、毎日でも通いたいほどです。

コーヒーで仕上げて部屋に戻り、薬を飲み、トイレを済ませてチェックアウト。

岩国駅から、本日のスケジュール開始です。

予報では「全国的に雨」ですが、まだ降っていない。結局、ホンの僅か小雨にあっただけで、傘を出すこともなかった。やっぱり「晴れ男」で、雨を遠ざけた。

7:50「錦帯橋行のバス」で出発。

ついに「錦帯橋」へやってきました。
高校の修学旅行で来た以来なので、52年ぶりです。
現在の橋は、16年前に架け替えられたものだそうで、私が見た橋とは「違う」ことになります。
「見た」記憶はしっかりしているのですが、渡った記憶が曖昧です。ただ、眺めただけだったかも知れない。
これで、思い出のリニューアルが出来ました。

錦帯橋の歴史は、
1673年、岩国第三代藩主の吉川広嘉が錦帯橋を架けましたが、残念ながらすぐに流失しました。

しかし改良を加えて翌年再建された錦帯橋は、1950年9月にキジア台風による洪水で流失するまで276年の間、架替えを繰り返しながら威容を保ちました。流失後、鉄筋コンクリートで再建という意見もありましたが、市民の強い要望により、1953年に再度、木造の錦帯橋として再建されました。

平成13年度(2001)から平成15年度(2004)にかけて、劣化した木造部分を架け替える「平成の架替事業」を行い2004年3月、装いを新たに完成し、訪れる人を魅了し続けています。
日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されている。

5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル・幅員5.0メートル。
主要構造部は継手や仕口といった組木の技術と、金物による緊結で造られている。石積の橋脚に5連の太鼓橋がアーチ状に組まれた構造で、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋として知られる。
現在の錦帯橋は4「代目に当たる。

世界的にも珍しい「木造のアーチ橋」ですが、建築屋から見ると「興味満載」の橋です。
梁材を半分ずつ「持ち出し」して、角度を決める「くざび材」を間に挟んで、ベルト状の金物で緊結する方法で「アーチを構成」している。

初代の橋は、着工から僅か3ヶ月半で竣工したというから、徹底的に「プレハブ化」したことが分かる。構造から言えば、現地加工ではなく、全て部材を用意しておき「現地では組むだけ」でしか、これは出来そうもない。
現代でも「これしかない」作り方と言える。

初代は1年で流失している。原因は、橋脚足元の崩壊で、次回から橋脚周辺の「敷石」範囲を広げている。
併せて、橋梁の水平力を高める工夫が追加されている。

写真で「橋の裏側」が分かる。アーチ梁を水平に結ぶ横架材が無数にある、これで5列あるアーチ梁を『一体化』している。現在の建築学から見れば、初代にはこれがなかったことの方が不思議である。

ちなみに、錦帯橋の「世界文化遺産登録」運動がなされているが、それを妨げているのが平成13年の架け換えだそうな。この時、橋脚の補強に「鉄筋コンクリート」を使ったことが問題になっているそうです。

橋を渡る費用は200円。これは次の架け換え費用に積み立てているそうです。

錦帯橋から「岩国城」が見える。再現されたが、昭和37年で、私は翌年「この地」を訪れているはずですが、まったく記憶がない。それほど「橋の印象」が強かったということだろうか。

さらに言えば、橋を渡った「むこうの風景」も全く記憶がなかった。
やはり、錦帯橋は見ただけだったように思う。


橋を渡れば「吉香公園」です。
岩国吉川家が政務をおこなった場所です。今は、市民の公園になっている。

慶長6年(1601)、岩国に入った吉川広家はすぐさま領内を検分し、城下町の造営に着手しました。合戦直後という不安定な情勢にあって、城下町は防御に重きをおく形となりました。

慶長7年(1602)、上の御土居(広家の母の居館)と下の御土居(広家の居館)を築きました。また、慶長8年からは山上の要害を起工し、慶長13年に竣工、森脇飛騨守、兼重杢之允、森脇新右衛門らに城番を命じています。しかし、この件は、元和元年(1615)に出された一国一城の制により破却されました。
毛利家は、支藩として「徳山藩・長府藩・清末藩・岩国藩がある。しかし、岩国が支藩と認められたのは、幕末に毛利家の名代として活動するためであった。この功績が認められ、岩国が「藩として独立」するのは、明治元年です。その直後に廃藩置県があり「ほんの一瞬の出来事」でした。

岩国城へ登るケーブルカーは9時からということで散歩。

吉川氏の居館跡(吉香神社境内)も公園化されており、県指定天然記念物のエンジュ大木や錦雲閣、岩国出身の旧帝國軍音楽隊長であり作曲家の田中穂積(たなかほづみ)像と、穂積が作曲した名曲「美しき天然」の歌碑などがあります。吉川氏の居館跡(吉香神社境内)も公園化されており、県指定天然記念物のエンジュ大木や錦雲閣、岩国出身の旧帝國軍音楽隊長であり作曲家の田中穂積(たなかほづみ)像と、穂積が作曲した名曲「美しき天然」の歌碑などがあります。

散歩しながら、今更ですが紅葉の季節なんや!」と気づきました。
金雲閣の「区切られた空間」から見る紅葉は格別でした。


吉香神社では、普段通り家族全員の「無事息災」をお願いしてきました。

歌碑の傍を通ると、音楽が流れてきます。これが「美しき天然」であることは、あとで知りました。


始発のロープウエイ(550円)で岩国城向かう。
「ロープウエイ」は、吉香公園から、標高約200mの城山山頂まで、全長412mのケーブルに架かった30人乗りのゴンドラが約3分で結んでいます。
下車して徒歩10分。岩国城到着です。
~現在の天守は1962年 (昭和37年) に外観復元されたもので、四重六階の桃山風南蛮造です~とありますが、これは怪しい。

なんとかボランティア氏に話を聞くことが出来たのですが、創建当時の天守は、現在の場所とは違い「山陽道を見張る場所」にあったそうです。

創建当時の天守からは、錦帯橋は見えない」そうで、私が見た天守からの風景」も、往時はあり得なかった。勿論、錦帯橋から天守が見える位置になかったそうです。

ボランティア氏によれば、当時の資料は「無いこともない」そうですが、歯切れが悪い。どうやら、こんな優雅な姿ではなく「見張り台」と言った方が正確だったようです。

つまり、今の天守は「観光用」で、錦帯橋と一体で考えられたものです。
とはいえ、っこ「横山」に城があったことは間違いなく、これ以上の詮索は止めて楽しみました。

下界へ戻り「白蛇の館」へ。
 250円
青大将のアルルビのです。普通アルビノは1代限りが多いのですが、ここでは継承されていることで、天然記念物に指定されています。
現在、展示されているのは6匹(♂1・♀5)。昨日生まれたばかり言う、幼蛇(体長40㎝)も展示されていました。卵の大きさは40㎜、案外大きいもんですね。

まだ時間がたっぷりある。作戦間違いだと思ったが「後の祭り」です。
昨日間違えたホテルは「新山口駅前」でした。事前に気付いていれば、こんな計画になっただろう。
 ・新山口泊
 ・早朝、在来線でJR福川駅へ
  戦国大名『陶氏の若山城址』見学 https://www.jalan.net/kankou/spt_35214af2170018530/
  福川駅から麓までタクシーで5分。後はひたすら歩いて「山城後」の体験(これで午前中はかかる)
 ・福川駅から、在来線でJR岩国駅へ
  錦帯橋と岩国城
これで、1日タップリ観光が出来たと思う。
ただ、この日は時間がたっぷりできたので、普段の「駆け足観光」ではなく、ゆっくりたっぷり岩国観光が出来ました。

ボタン園と岩国市立博物徴古館(入館無料)

ボタンは季節が違うので無理
今回の旅で、ここに立ち寄らなかったら「今日の紹介」はなかったと思う。
まったく地味な存在ですが、岩国の歴史を知るなら、最高の場所でした。

建築的にも、見応えがありました。仕上げに「じゃんか」と呼ぶ、建築屋が最も嫌う「コンクリートの施工不良」を使っている。どんな施工をしたのだろう?

吉川史料館(入館料500円)
文字通り、吉川家の史料を集めている。
展示も「古文書」が中心で、私には手に余った。
ただ、食い入るように読みつづける方もいて、興味ある方には「垂涎の史料」なのであろう。




錦帯橋を渡って帰ろうと思って歩き出した。そこで目に入ったのが「船」です。
「1人500円」とありますが、これは20人乗り。
躊躇してたら「船を出しますよ」と声を掛けてくれた。恐縮しながら500円をだし、乗せてもらいました。

錦帯橋は素晴らしいが、歩いて渡ると「全景が分からない」その点、船からの眺めは絶景です。

この船を「独り占め」なんて、贅沢やなあ~

岩国観光も大詰めです。
最後は町屋見学をしようと城下町へ。ただ、余り残っていないようです。

■本家「松がね」
江戸時代の商家で、今は観光案内所になっている。
ここで、ちょっと早めの「昼食」です。

注文したのは、
 ・岩国寿司
(押し寿司にアナゴが基本。トッピングは店によって違うそうです)
 ・こんにゃく煮込み
(こんにゃくと筋肉の煮込み)
 ・岸根くりのういろう
(生ういろうが周防名物)
 ・酒は、雁木と金冠黒松
(地酒の銘酒です)
これだけで1000円。名物と銘酒をテイストしました。

次は「うまもん」で、こちらは老舗の漬物屋さん。土産に購入しました。

ここは、作家「宇野千代」さんの生地です。
こんな看板が目につきました。
バスで新岩国へ出て、帰路に着きました。まだ陽があるうちに帰宅できました。









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