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171019 再会2度目の『+1の旅』です。今回選んだのは「錦帯橋と岩国城」です。
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では、順を追って「紀行」の開始です。 降って湧いた「山口の仕事」も、契約した基本設計業務は今回で終わりです。時期があるとすれば、実施設計が受注出来た時です。 111717 設計内容の説明と、追加現地調査を完了して、16時に新山口駅で同行の皆様とお別れです。 こだまで、新岩国へ移動。駅前へ出たが『なんにもない』悪い予感です。私の記憶では、駅前にホテルがある筈ですが、ない!確認の電話を入れると、まるで違う駅前のことでした。 ホテル予約サイトで「新岩国」と入れ、駅前でヒットしたホテルを予約したのですが、どうやら「広域検索」するシステムであったようで、このような仕儀となった。今更後戻りも出来ないので、ホテルは諦め(費用は事前に払っているの)。急ぎ、タブレットで検索し電話を入れる。JR岩国駅付近で確保し、バスで移動。 結果論ですが、新岩国では動きが取れない。宿をとるなら岩国が正解でした。 |
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駅から徒歩5分、1泊素泊まり4800円+朝食代500円です。 どうやら、永らく放置されていたホテルをリニューアルオープンしたもので「リニューアル1周年」とあった。 値段に見合った「古さ」ですが、贅沢は言えない。 フロントのお嬢様はとても親切なのですが、不慣れが隠せない。渡された部屋の鍵で開けて見たら、使っている部屋であった。 フロントへ戻り、部屋を替えてもらう。 荷物を置いて食事に出たのは7時半。 駅前で店を探すが「どこが良いのか?」分からない。こんな時は、混んでいる店を選ぶに限る。 ここは「海の幸」が売りの店。 ・酒は「獺祭3種呑み比べ」 ・付だし2品 ・イカの姿作り ・カキフライ ・卵の出汁巻 ・アラ汁 ・芋焼酎お湯割り どうにも一人では多すぎる。 お腹がはちきれんばかりなるまで食べて、約5000円。 新鮮さと旨さで堪能しました。 でも、一人酒は寂しいね! ホテルへ帰り、10時には爆睡 |
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171118 ホテルのあちこちに「朝食はガッツリと」とある。 1階ロビーの朝食会場へ。 私の選んだのは、写真の通りですが、用意されていた料理に驚いた。 品数は、街の一善飯屋に引けを取らない。焼き魚から野菜の煮びたしまで20種類くらいが賄さんによって作られている。これで500円なら、毎日でも通いたいほどです。 コーヒーで仕上げて部屋に戻り、薬を飲み、トイレを済ませてチェックアウト。 |
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岩国駅から、本日のスケジュール開始です。 予報では「全国的に雨」ですが、まだ降っていない。結局、ホンの僅か小雨にあっただけで、傘を出すこともなかった。やっぱり「晴れ男」で、雨を遠ざけた。 7:50「錦帯橋行のバス」で出発。 |
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高校の修学旅行で来た以来なので、52年ぶりです。 現在の橋は、16年前に架け替えられたものだそうで、私が見た橋とは「違う」ことになります。 「見た」記憶はしっかりしているのですが、渡った記憶が曖昧です。ただ、眺めただけだったかも知れない。 これで、思い出のリニューアルが出来ました。 錦帯橋の歴史は、
世界的にも珍しい「木造のアーチ橋」ですが、建築屋から見ると「興味満載」の橋です。 梁材を半分ずつ「持ち出し」して、角度を決める「くざび材」を間に挟んで、ベルト状の金物で緊結する方法で「アーチを構成」している。 初代の橋は、着工から僅か3ヶ月半で竣工したというから、徹底的に「プレハブ化」したことが分かる。構造から言えば、現地加工ではなく、全て部材を用意しておき「現地では組むだけ」でしか、これは出来そうもない。 現代でも「これしかない」作り方と言える。 初代は1年で流失している。原因は、橋脚足元の崩壊で、次回から橋脚周辺の「敷石」範囲を広げている。 併せて、橋梁の水平力を高める工夫が追加されている。 写真で「橋の裏側」が分かる。アーチ梁を水平に結ぶ横架材が無数にある、これで5列あるアーチ梁を『一体化』している。現在の建築学から見れば、初代にはこれがなかったことの方が不思議である。 ちなみに、錦帯橋の「世界文化遺産登録」運動がなされているが、それを妨げているのが平成13年の架け換えだそうな。この時、橋脚の補強に「鉄筋コンクリート」を使ったことが問題になっているそうです。 橋を渡る費用は200円。これは次の架け換え費用に積み立てているそうです。 錦帯橋から「岩国城」が見える。再現されたが、昭和37年で、私は翌年「この地」を訪れているはずですが、まったく記憶がない。それほど「橋の印象」が強かったということだろうか。 さらに言えば、橋を渡った「むこうの風景」も全く記憶がなかった。 やはり、錦帯橋は見ただけだったように思う。 |
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岩国吉川家が政務をおこなった場所です。今は、市民の公園になっている。
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散歩しながら、今更ですが紅葉の季節なんや!」と気づきました。 金雲閣の「区切られた空間」から見る紅葉は格別でした。 吉香神社では、普段通り家族全員の「無事息災」をお願いしてきました。 歌碑の傍を通ると、音楽が流れてきます。これが「美しき天然」であることは、あとで知りました。 |
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~現在の天守は1962年 (昭和37年) に外観復元されたもので、四重六階の桃山風南蛮造です~とありますが、これは怪しい。 なんとかボランティア氏に話を聞くことが出来たのですが、創建当時の天守は、現在の場所とは違い「山陽道を見張る場所」にあったそうです。 創建当時の天守からは、錦帯橋は見えない」そうで、私が見た天守からの風景」も、往時はあり得なかった。勿論、錦帯橋から天守が見える位置になかったそうです。 ボランティア氏によれば、当時の資料は「無いこともない」そうですが、歯切れが悪い。どうやら、こんな優雅な姿ではなく「見張り台」と言った方が正確だったようです。 つまり、今の天守は「観光用」で、錦帯橋と一体で考えられたものです。 とはいえ、っこ「横山」に城があったことは間違いなく、これ以上の詮索は止めて楽しみました。 |
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下界へ戻り「白蛇の館」へ。 250円 青大将のアルルビのです。普通アルビノは1代限りが多いのですが、ここでは継承されていることで、天然記念物に指定されています。 現在、展示されているのは6匹(♂1・♀5)。昨日生まれたばかり言う、幼蛇(体長40㎝)も展示されていました。卵の大きさは40㎜、案外大きいもんですね。 |
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まだ時間がたっぷりある。作戦間違いだと思ったが「後の祭り」です。 昨日間違えたホテルは「新山口駅前」でした。事前に気付いていれば、こんな計画になっただろう。 ・新山口泊 ・早朝、在来線でJR福川駅へ 戦国大名『陶氏の若山城址』見学 https://www.jalan.net/kankou/spt_35214af2170018530/ 福川駅から麓までタクシーで5分。後はひたすら歩いて「山城後」の体験(これで午前中はかかる) ・福川駅から、在来線でJR岩国駅へ 錦帯橋と岩国城 これで、1日タップリ観光が出来たと思う。 ただ、この日は時間がたっぷりできたので、普段の「駆け足観光」ではなく、ゆっくりたっぷり岩国観光が出来ました。 |
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ボタン園と岩国市立博物徴古館(入館無料) ボタンは季節が違うので無理 今回の旅で、ここに立ち寄らなかったら「今日の紹介」はなかったと思う。 まったく地味な存在ですが、岩国の歴史を知るなら、最高の場所でした。 建築的にも、見応えがありました。仕上げに「じゃんか」と呼ぶ、建築屋が最も嫌う「コンクリートの施工不良」を使っている。どんな施工をしたのだろう? |
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吉川史料館(入館料500円) 文字通り、吉川家の史料を集めている。 展示も「古文書」が中心で、私には手に余った。 ただ、食い入るように読みつづける方もいて、興味ある方には「垂涎の史料」なのであろう。 |
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「1人500円」とありますが、これは20人乗り。 躊躇してたら「船を出しますよ」と声を掛けてくれた。恐縮しながら500円をだし、乗せてもらいました。 錦帯橋は素晴らしいが、歩いて渡ると「全景が分からない」その点、船からの眺めは絶景です。 この船を「独り占め」なんて、贅沢やなあ~ |
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最後は町屋見学をしようと城下町へ。ただ、余り残っていないようです。 ■本家「松がね」 江戸時代の商家で、今は観光案内所になっている。 ここで、ちょっと早めの「昼食」です。 注文したのは、 ・岩国寿司 (押し寿司にアナゴが基本。トッピングは店によって違うそうです) ・こんにゃく煮込み (こんにゃくと筋肉の煮込み) ・岸根くりのういろう (生ういろうが周防名物) ・酒は、雁木と金冠黒松 (地酒の銘酒です) これだけで1000円。名物と銘酒をテイストしました。 次は「うまもん」で、こちらは老舗の漬物屋さん。土産に購入しました。 ここは、作家「宇野千代」さんの生地です。 こんな看板が目につきました。 |
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バスで新岩国へ出て、帰路に着きました。まだ陽があるうちに帰宅できました。 | |||||||||
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