home 小田原散策 160621 |
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気の重い出張を終えた後の「自分へのご褒美」で企画しました。 仕事は何とか「出口が見える」ほうへ纏めることが出来たと思いますが、天候だけはどうにもならない。 九州に災害をもたらせた「豪雨」が、近畿にも大雨をもたらし、刻々と関東に近づいているとニュースが伝えている。豪雨になる前に、小田原城の片鱗だけでも見ておきたいと、予定を早めて、横浜を出発した。 小田原到着は8時40分、酷くはないがしっかりと雨が降っている。 早く到着したため、観光案内所は開いていない。 NHK大河ドラマでは、小田原城が落城したばかりです。一人出歩いてみたが、どうもイメージが違う。 自分なりに歩いた後で、藤棚観光案内所へ着いた。ボランティアの方に「おはよう」と声を掛けられて、ガイドをお願いできるか聞いてみた。本来は2名以上だそうですが、朝早いことと雨であることで「例外で了承」してくださいました。 昨日の「横浜散策」もそうですが、ガイドをお願いできるかどうかで、得られる知識がまるで違う。 現在、私たちが見学する小田原城は、本丸と二の丸だけです。秀吉との合戦図を見ると、総構えの大きさは、現在見学できる「本丸+二の丸」の20倍ほどありそうそうだ。 伊勢新九郎を祖とする「後北条」の小田原城は『中世の城』で、別名『土の城』と呼ばれる。関東ローム層を活かした「障子掘り(関東ローム層でなけでれば、この堀の構造は無理であろう)」と呼ばれる防御で、空堀であった。ここへ落ちれば「蟻地獄」で、狙い撃ちされるだけである。 つまり、豊臣との防戦当時は石垣もなく土の城であった。 落城後、徳川が小田原を受け取ったが、家康は関東へ領地替えとなる。家康は大久保忠世に城を預けて小田原を去るが、ほとんど改修することなく過ごした。 大久保3代の後、家光の御代に、春日局(家光を将軍につけた功労者)の息子「稲葉氏」が入城し、本格的に「近世の城=石の城」に全面改修する。 現在も、小田原市によって城は復元中であるが、後北条の城ではなく「稲葉の城」である。 ・三の丸は家臣 ・二の丸は城主 ・本丸は家光 ということで、本丸には家光と公家しか入れなかったという。瓦の家紋も、本丸は三葉葵で、他は巴紋でした。 |
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5月にリニューアルオープンしたばかり天守閣。時間の都合で入りませんでした。ちなみに、天守の回廊は観光用で、本物には無かったそうです。
ガイド氏とは、天守の前でお別れです。 ガイド氏のお勧めに従い、二の丸内にある「二宮神社(祭神が二宮尊徳)」へお参りしました。何時ものように、家族の「無事息災」を祈りました。 この頃になると、雨は本降りとなってきました。 |
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ガイド氏は「ふるさと自慢」でした。 小田原の3大名物は、 ・おでん ・梅干 ・外郎(ういろう) だそうです。 小田原は近海で取れる魚が豊富です。そこで昔から、練り製品が盛んです。だから「おでん」は頷けるのですが、梅干しは意外でした。 外郎は「御殿医」で、名医であったそうな。良薬は口に苦しで、その口直しに作ったお菓子が「ういろう」だそうです。 お城近くに「ういろう」という名の店があり、土産に是非ということなので出向きました。 創業650年。今の店主は25代目だそうです。店構えもずっと「城構え」で変わらないそうです。お店のおすすめのういろうを買い求めました。 |
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ガイド氏によれば「名古屋のういろうは商売上手なだけ」という。 昼食も、ガイド氏のお勧めで「だるま料理店」にしました。 小田原市街の中心、本町2丁目(旧大手前)で料理屋を営むだるま料理店は、明治26年創業の老舗で、その建物は 登録有形文化財となっています。 お勧めに従い「天ぷら」を注文しましたが、べら棒に種類と量が多い。でも、味は普通でした。 天ぷらより気を引かれたのが「魚」です。機会があれば、ここでゆっくり「魚のアテ」で酒を呑んでみたい。 まんぷく承知で、鯵のにぎりを注文した。もう感激の味でした。 |
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鯵の握り寿司。もう最高の味でした! |
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梅干しは「和歌山が日本一」なので、ういろうと練り製品を購入して土産にしました。 練り製品は「混ぜ物なし」の濃厚な味です。 かなり濡れ鼠なって新幹線に乗りました。 終わってみれば、私が歩いた頃が「一番ひどい雨」だったそうで、午後からは晴れ間が広がったそうです。 今回の散策では、城とその外周だけでしたが、城下町小田原の魅力は、まだまだありそうです。機会を作ってもっと行ってみたいと思います。だるまの魚も心残りです。 |
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