元dogfightのぼやき
2016年11月
エッセイ&コラム
一人旅無理忙しかった1日保険My畑のジャム二冊の本(続き)地質・ジオパークの会「生石高原」自動給水器自動給水器2test2長時間労働通し壁一人旅終わるクラシックコンサート一人旅「初日」一人旅「二日目(1)」一人旅「二日目(2)」三城巡り一人旅「三日目」一人旅「四日目」光免疫療法危険ゾーン「夢」の侵攻ヤマシギ騒動GSOMIA締結ポリティカルコレクトネ逆転都市差別あるべし座標軸越境EC


一人旅
161101(火) dogfight
今年も、早くも11月です。11月の予定は、
 ・2日(水) 大阪の検査機関へ申請書提出、出張チケット購入、亡妻「命日」のお参り(一心寺)
 ・4日(金) 土産物購入
 ・5日(土) 特定健診受診
 ・6日(日) 生石高原でジオ研修会
 ・8日(月) 耳鼻咽喉科受診
このあと出張が続きます。 本来は、2日(水)が横浜の予定でしたが、この日を欠席にして翌週に横浜出張を2回入れました。9日に日帰りして、11日に再度横浜もあったのですが…
日付
9日(水) 横浜/会議と自主検査 前橋在住で最近体調不良の姉を訪問
姉の家で泊めてもらいます
10日(木) 「富岡製糸場」へ 野鳥写真家のAさんと久々の邂逅。横浜で一献傾けます
11日(金) 横浜/検査機関による中間検査立会い 東京に住む末っ子家族と会食。泊めてもらいます
12日(土) 東京で高校の同窓会へ出席 帰路に着く
13日(日) 大阪でクラシックコンサート 予定なし(もうこの頃はヘロヘロやろな)
暇が苦手な私は、強引に予定を入れました。こんな機会ですから、富岡製糸業へ足を伸ばそうと思います。
再婚して、初めての「4日間の一人旅」です。さて?どんな道中になりますやら…
関係のない追記
最近、アレルギー症状(鼻水や目のかゆみ)から発熱することが増えた。酷い時は週に2回もある。今も、昨日夕刻からの発熱が下がらないままです。70歳の壁はあるようで、体調の変化がこんなところにも起きている。体調など構わずに予定を入れているが、何処かで無理が来るかも…


無理
161102(水) dogfight
あと4ヶ月弱で70歳になる。現在加入している保険は、年齢と共に掛け金が上がり、給付金が下がってきたが、それも70歳ですべて打ち切りとなり、間もなく「無保険」になる。
ある日新聞広告に「持病があっても入りやすい保険」「85歳まで申込OK」が載った。
ネットで検索してみたら、こんなページ(写真)があった。4項目のチェックがあり、私の場合、全てが「いいえ」です。但し、毎月検査は受けているが、それは早期発見が目的で、病巣が見つかったわけではない。

持病がないわけではない。服用している薬は下記5種類です。
 ・ヘルベッサ100
  ⇒狭心症予防のため
   「血液サラサラ」に
 ・ザイロリック
  ⇒通風予防
 ・リストリームOD
  ⇒小便が近くなったので
 ・タケプロン
  ⇒逆流性食道炎
 ・タリオンOD
  
⇒アレルギー性鼻炎
糖尿病予備軍ではありますが、服薬はありません。
どれも「歳をとればあるだろう」というものばかり。
そのくせ、手術も入院もない。まあ「元気な爺」です。
加入手続きを始めました。
Q&Aの進行とともに、微細になり、とても加入できるとは思えなくなって、途中で止めた。ようは「持病があっても入りやすい保険」はキャッチコピーに過ぎないと分かる。

70歳近くになって「無病息災」な人間がいるものか!
六病息災な私は、無保険で行くしかない。ピンピンコロリを目指します。


忙しかった1日
161103(木) dogfight
昨日は、色々あった日でした。
 ・朝一で畑作業
 ・9時から探鳥に行くもカメラ破損で中止
 ・和歌山自慢の「みかん」を発送
 ・カメラ修理に
 ・出張旅行の土産購入
 ・出張チケットの購入
  (大阪へ出て)
 ・亡妻の回忌法要
 ・検査機関へ申請書提出
 ・親友と会食
会食場所は天王寺。最初にハルカスのハンバーグの店へ入ってしまい、これは「選択間違い」でした。
次に行ったのがこの店。場末で、居酒屋になっていますが、入ると「割烹」に近い。
写真の料理と日本酒4合で5200円。「味は割烹・値段は居酒屋」でとてもお値打ちの店でした。どれもとても『美味』でした!次回は、最初からここへ行こう。

突出し

ハリイカ(和歌山産)造り

目の前で焼かれる「カツオのタタキ」

鶏肉の竜田揚げ

追記
ビールもつげないほど「手が震える」親友。「本態性振戦」なら治療法が出来たらと伝えたら、これは「アルコール性やネン」という。早い話が「アル中」です。呑んでいるうちに震えが止まってきた。うむ~こっちの方が怖いな


保険
161104(金) dogfight
万一に備えるのが「保険」の筈なのに、そのエゲツナサをつくづく感じている。
現在加入している保険(生保・入院保険・がん保険)は、60歳を過ぎてからは、掛け金が上がっては給付金が下がってきた。それも70歳ですべて打ち切りとなり、間もなく「無保険」になる。
もう、何十年も保険に加入しているが、一度も給付を受けたことがない。何せ、私の体は未だに「無傷」で、手術も入院もない。歳が行き、入院や手術のリスクが高まり、これからが必要な時なのに「打ち切り」となる。

今更「無保険」は辛いので、変わる保険を探していた。
A社の「持病があっても入りやすい保険」「85歳まで申込OK」のネット申込を始めたが、あまりのハードルの高さに、途中で止めた。
良く似た保険を家内が探してくれた。B社も「持病があっても入りやすい保険」「85歳まで申込OK」となっている。今度は電話で問い合わせをしてみた。数々の持病を説明したが「加入できそう」と言うことで、申込書を送ってもらうことにした。
 ・この歳まで手術も入院もなく「保険金の給付を受けたことがない」
 ・持病はあっても「予防」の意味で、毎月の検査もグレーゾーンで留まっていることを確認している
つまり、いままで健康で、これからも具体的に入院加療の予定はない。それでも、今からの保険加入は「難関」である。
自動車保険も良く似た構造です。
保険を適用して支払い請求すると、次回から保険料が大きく上がり、時には「継続拒否」となる。我家にある4台の車のうち2台が継続拒否で、加入できる保険会社を探した。
なんらかで、当人にも事故責任があるなら、ペナルティーもやむを得ないが、
 ・水没事故(急な大雨で駐車場で水没)
 ・停車中に追突された貰い事故
こんな、避けようもない事故でもペナルティーの対象になる。何か釈然としない。


My畑のジャム
161105(土) dogfight
作物は一気に収穫期がやって来る。我家だけでは消費しきれなくて、ご近所に配るのですが、それも限度が来る。
その点、フルーツは潰しが聞く。いざとなれば「ジャムに加工」して保存が出来る。今年、ジャムにしたものは、
 ・イチゴ
 ・ビワ
 ・イチジク
 ・間もなく柿のジャムを作ることになると思う
特に「イチジクジャム」は最高傑作で、豊作であったことも手伝ってたくさん作った。我家のストック瓶だけでは足りず、瓶を買い足したほどです。自慢と嬉しさで、あちこちに配り倒したのですが、流石に我家のストックが減ってきた。こうなると「惜しい気持ち」が湧いてくる。
何かと健康上の懸念があり、来年のことを語るのは辛いのですが、もし来年も「My畑のジャム」が出来たら、もう少し計画的に消費しようと思う。


二冊の本(続き)
161106(日) dogfight
毛色の変わった本、2冊を読んだ。
井伊直虎
  梓澤要著(角川文庫)

もう、随分前になるが「井伊谷」を訪れたことがある。徳川幕府四天王筆頭の井伊家発祥の地です。ところが、当時の私には全く知識がなく、折角の訪問なのに、感激を味わうことがなかった。
来年の大河ドラマは「井伊直虎」です。井伊家廃絶の危機を凌ぎ、後世の「井伊家」へつなげた人物です。井伊家直系男子が幼い「直政」一人になり、継承が困難なになった時、女の身でありながら『直虎』と名乗って、家系を繫げた。
私は、全く知識がなく「男勝りの尼将軍」かと思っていたのですが、武勇とはまったく関係ない。政治的な駆け引きにたけていたわけでもない。直虎は、井伊家家臣団の精神的支柱となって、井伊家継承のためだけに、生涯を捧げた地味な存在であった。
感銘を持って読んだ1冊でしたが、歴史的にはマイナーであるし、艶やかさもない。大河ドラマとなるとどうであろうか?

七十歳死亡法案、可決
  垣谷美雨著(幻冬舎文庫)

題名から「世間に一石を投じる」作品かと思い読み進んだ。34ページにこんな記述がある。
~~法律が施行されれば年金問題も解消され、老人施設だってほんの少しで足りることになる。つまり、日本が抱えるほとんどの問題が一挙に解決するのだ。そのうえ、余った財源は、70歳未満で病気に苦しんでいる人々や子供や障害者に回せるというオマケもつくらしい。今までみたいに赤字国債も発行しなくて済む。医療費も大学の授業料もタダになると試算する経済学者もいる~~

見事に、いまの日本が抱える問題の本質をついている。
この先どんな展開になるのか?ワクワクして読み進んだのですが…
残念ながら小説は「七十歳死亡法案可決に絡む一家庭の喜悲劇」になっていき、途中で読むのを止めた。惜しいなあ~


地質・ジオパークの会「生石高原」
161107(月) dogfight

161106「地質・ジオパークの会」が生石高原を会場にして行われました
私も参加させて頂いたのですが、今まで知らなかった「生石高原」が見えました
http://new.wildpig.web.fc2.com/oisi-yatyoso/2016event/161106zio-park/161106.html

自動給水器
161108(火) dogfight
野鳥荘に野鳥が集まって来た。バードテーブルに「餌がある」からと言うよりは、水盤の水に群がってくる。

野鳥荘の道を挟んで向かいにポンプ室がある。漏水が酷くて、凍結期の冬でも「ここへ来れば水がある」だったのですが、自主管理になり「修理」したため、漏水がない。野鳥にとって貴重な「水場」が消えました。

心配なのは冬季です。今よりもっと水環境は悪化する。
生石の冬は、12~2月の3ヶ月間、真冬日が多い。最高気温は0度に達せず、室内でもつららが出来る。あらゆるものが凍結する世界です。

この数年「冬の水場確保」を思い悩んできました。去年までなら、モラルを無視すれば水の確保が出来ました。真冬でも水道が出たので「水の出しっぱなし」で凍結を防ぐことが出来ました(そんなことはしていませんが)。この冬からは、冬季は水道の供給を停止するので、それもできません。

凍結の問題がなければ何も悩みません。1升瓶を使って簡単な自動給水器も作れます。
凍結の世界を考えると、保温とヒータが必要になる。更に考慮がいるのが、水盤です。野鳥の水飲み場ですから、
 ・オープンであること⇒それでも凍結しないよう温度管理がいる
 ・落ち葉や枯れ枝の堆積が予想されるので、水盤の中にヒータを入れるのは火災の原因になる
 ・なんらかで水が枯れた時の「空焚き防止」
安全を考えると、結構なシステムが必要になる。勿論、予算だって無限であるはずがない。結局「気持ち」だけで終わってしまうかな…
ローテク技術者を名乗るSさんから「見積」が届いた。流石に道楽では済まない金額になる。発想の原点を変えて考え直す必要がある。


自動給水器2
161109(水) dogfight
厳冬期でも、野鳥への水遣りが可能な方法を考えた。

最初の方法は、確実に給水できるシステムを組むには、道楽では済まない金額となることが分かった。

で、全く発想を変えてみた。方法はこうである。
 ・厳冬期でも凍らない水を保持する
 ・それをタイマーで供給する(タイマー内にどうしても水が残るので、ここも凍らないようにする。全く原始的な方法である。
   ↓
高性能な残熱材で、ハウスを作る。
   ↓
この中に、雨水タンクとタイマーを設置する(タンクへの給水は人力で)
   ↓
これで凍らない水を供給できるはず(経験則で)
この方法では、電気は使わないので、発火の心配はない。
問題は、水盤である。当然、凍っている。そこへ、凍っていない水を供給する。どれだけ水盤に残るか?疑問は尽きない。
でも「ないよりはまし」な状況は作れそうです。

まだ細かな部品がいるが、材料費は断熱材を含めても
4~5万円くらいに抑えられそう。施工は勿論私ですが、これが一番「危ない」
関係のない追記
本日から3泊4日の出張旅行です。日記も滞るかもしれません。


test2
161110(木) dogfight
「昨日の日記」は、思いついたテーマを「test」に書き留めておき、時間が出来たときに『日記』に仕立て上げます。テーマは日々の暮らしの刺激度に左右され、枯渇する時もあれば1週間分ほどたまる時もある。

デーマによっては、周囲と「軋轢を生む」こともあるわけで、公開するには勇気がいるものがある。
危ないテーマは「test2」に収録しています。これを公開するときは、私なりに「覚悟を決めた」時で、その後の生きざま(あるいは死にざま)に「大きく舵を切る」時だろう。さて、そんな時が何時来るだろうか?
関係のない追記1
昨夜は遅くまで義兄と呑みました。しっかり二日酔いです。今日は「富岡製糸場」見学。夜は横浜で呑み会です。
関係のない追記2
「嫌われ者の選択」と言われたアメリカ大統領選。私は最初から「トランプ勝利」と思っていましたが、やはり勝ちました。でも、世界は仰天同地。トランプ氏が一番驚いたかも


長時間労働
161111(金) dogfight
電通に長時間労働の問題で、労基の「強制捜査」が入った。私は、電通と縁もゆかりもないし、好き嫌いで言えば(理由もなく)「嫌いな企業」です。だから、電通を擁護する気持ちは全くない。
強制捜査の理由は「長時間労働で疲れ果てた社員の自殺」です。
電通はブラック企業にリストアップされていますが、自殺する前に「退社」の選択肢はなかったのだろうか?
私には不思議です(そんな選択が出来るなら「自殺はしないさ」と言われそうだ)。

では、電通の長時間労働は異常なのか?
まあ、あらゆる産業で「残業代なしの長時間労働」は行われているだろう。だから過労死が後を絶たない。
私は建築屋で生涯を終えるだろうが、早朝から業務が始まる業種で、長時間労働は当たり前です。サラリーマン時代は、家へ帰れるのは「週2~3回」で、徹夜残業は当たり前であった(残念ながら今も改善はされていない)。
出勤するとき、ベランダから我が子が「パパ!また来てね」と大声でいうので、ご近所からよく笑われた。
それでも続いたのは「この仕事が好き」だからでした。私は、何時でも離脱する権利は持っていたし、過労で限界が来れば「周囲にお構いなく休む」選択をした。だから私は「自殺」など考えたこともない。
30代で自営になったが、徹夜残業から解放されたのは40代になってからでした。
40代後半のある日、得意先に下記の宣言をした。
 ・休日出勤はしません
 ・残業はしません
以後「年間1800時間労働」を厳守して、得意先から顰蹙を買ったが、納期を守れなかったことはない。長時間労働からの脱却は「企業としての意志」と「職員の働く気構え」で出来るのではなかろうか?私はそう思っている。
関係のない追記1
昨日は、世界遺産「富岡製糸場」を見学してきました。素晴らしかった!
その後は、世界遺産を狙う「眼鏡橋」へ行きました。碓井峠を越えるため「アプト式鉄道」があった場所で、いまはトンネルを歩くことが出来ます。紅葉を楽しみなら歩いてきました。
関係のない追記2
昨夜は、野鳥写真家・浅見さまと、横浜で一献傾けました。大変な酒豪で、美味しいおでんを食べながら「1升6合の日本酒」となりました。やっぱり今朝も二日酔いです。


通し壁
161112(土) dogfight
私は建築士の癖に木造が得意ではない。
そのため、今回の記述に間違いがあるかもしれない。お気づきの方は指摘願いたい。

木造の構造部材を決定する場合「経験則」が多い。
私の場合は、経験則が不足しているので、構造設計事務所に構造設計を依頼している。
木造で、構造計算が不要とされるのは『2階建て以下で、延面積500㎡以下』です。まあ、普通の住宅なら構造計算は不要です。恐らく、大工さんを経験則を尊重した基準であろう。
ただ「何でもよい」わけではない。「壁量」と言う基準があり、階と面積で「必要な壁の量」が定められている。ところが、この壁量は「階ごとに定められ」ており、極端な話「1階と2階でまるで別な場所に壁」があっても問題ない。

私は、この基準のあり方に疑問を持ってきた。
常識的に考えれば、2階の荷重は1階に伝わる筈で、荷重は壁で伝えられる。ならば、1階も2階も同じ場所にあった方が良い筈です。この、1階も2階も同じ場所に存在する壁を『通し壁』と言います。最近読んだリポート(ちょっと記憶が曖昧ですが)では、壁量基準だけではなく、通し壁の規定を加えようという動きがあるそうです。

強固な家を造る~ためには「通し壁」は不可欠な規定でしょうね。ただ、この規定が出来ると、プランニングの自由度が一気に下がる。私が「木造が苦手」な理由は、通し壁に拘るからだと思っている。
関係のない追記
昨夜は息子の家に泊めてもらい、孫と一緒に楽しい時間をもいました。
3泊4日の旅も今日で終わり。半世紀ぶりの同窓会へ出席し、それから和歌山へ向かいます。
 

一人旅終わる
161113(日) dogfight
再婚以来初の「3泊4日の一人旅」から、昨夜帰りました。
様々な出会いがあって、とても『濃い1週間』となりました。とは言え、連日の飲食で流石に「呑み疲れ」てしまいました。
最後は、高校の同窓会出席でした。関東に根を落とした同窓生の集まりで、ここでも高齢化が進んでおり、私が「若手」でした。愛知県から「県外就職が消えた」ことが大きな理由だと思われます。こんなことを含めて、旅行記は時間を見つけて纏めたいと思います。
早朝、ヤマトの起こされました。日常の始まりです。
 ・溜まっていた返信の必要な郵便物の処理
 ・暫く留守をしておりましたので、畑が気になります
今日は、クラシックコンサートに招かれています。濃い1週間の仕上げです。


クラシックコンサート
161114(月) dogfight
昨日、友人からお招きを受けて、クラシックコンサートへ行きました。
およそ「私の柄」ではなく、些か場違いではありますが、家内と一緒に出掛けました。

会場は、大阪駅前第3ビル2階にあるレンタルスタジオ。
ピアノ4重奏のメンバーが上がればいっぱいのステージで、折りたたみ椅子を50脚並べれば満席です。
普段は個別に活躍する4人のユニット。今回が3度目の演奏会だそうです。

私は最前列の中央で、手を伸ばせば届くようなかぶりつきでした。まったく音楽に素養のない私ですが、素直に楽しませてもらいました。
コンサート終了後、家内は4人の奏者のサインをもらいました。

チェロ奏者(写真)は「華」ですね!
全身で演奏します。百面相だけではなく、何と足まで振っての演奏に、思わず引き込まれます。もう、まさにボディーランゲージです。
次回のコンサートは3月19日(日)、早速チケットを購入しました。

この後、コンサートへ行った4人で居酒屋で歓談。17時のお開きでした。

蛇足ですが、写真下は昼食です。天王寺で、ドリアのお店に入りました。こってりですが、美味しかったです!

一人旅「初日」
161115(火) dogfight
11月9日から「3泊4日一人旅」を行いました。その初日の記録です。
普段通りの出張です。
午後から会議があり、その前に横浜市の行政機関に立ち寄るため、6:11発の貴志川線で出発。くろしお~新幹線と乗り継いで、横浜到着です。
会議と必要な監理業務を終わらせて、群馬県へ向かいました。
前橋に75歳になる姉が住んでおり、歳相応に体調不良になっている。車の運転は出来るが、杖がなくては歩けない。一度見舞いに行こうと思っていたので「3泊4日の一人旅」に組み込みました。
5時22分高崎到着。姉の出迎え(思っていたより元気でした)を受け、オーガニック料理のお店へ連れて行ってもらいました。

オードブル

蒸し野菜+ソース(変わった味でした)

白身魚焼き物

チキン焼き物

ルイベのような丼(酵母味)と濃厚な野菜スープ

デザート
どれも「野菜たっぷり」の料理でした。途中からは、食べきれずに残すものが増えてきました。
食事のあとは「前橋の飲屋街」へ繰り出しました。きっと義兄好みのママさんのお店で、11時まで呑みました。久々にカラオケも1曲歌いました。
姉の家に「一泊」させてもらいました。
部屋の掛け軸は、亡き父が書いたものだそうです。お酒の好きな父が、ほぼ泥酔状態で、滑り台から布を垂らして書いたそうです。私には、とても読めないのですが、友人が出典を見つけてくれました。

題名は「山中の月」

作者は「眞山民(1274年頃)
中国宋末の進士で哲学者である。名は桂芳(けいほう)といい、出身地などくわしいことはわからない。宋末の遺民で世を逃れ、人に知られる ことを求めず、自分で山民とよぶ。歐陽修、朱熹、蘇東坡と共に宋代の代表的詩人といわれ、特に敍景詩にすぐれている。

意訳は
 私は山中の月が皎々と輝いてまばらな林を照している光景を愛している。
 月は、世間から離れて独り静かに暮らしている私を憐れむかのように、その光を私に投げかけてくれる。
 もともと私の心は月の様に純真で、なんの邪心もなく澄み切っているが月もまた私の心と同じである。


父はどんな気持ちで書いたのだろう。姉によれば、父は少し屈託があった時期だそうで、お酒も久しぶりであったようです。

書を愛し、茶と華の名手でもあった父。水墨画を書き、クラシック音楽の好きな父でした。風流な人で、がさつな私とは大違いです。
「旦那衆」として、地方の有名人でしたが、打たれ弱い人で、没落後は精神を病みました。とは言え、病床での「一言」が今の私の人生を決めてくれました。
私には「大好きな父」で、誇りの父でもありました。久々に父と出会うことが出来ました。姉に感謝です。


一人旅「二日目(1)」
161116(水火) dogfight
11月9日から「3泊4日一人旅」を行いました。その二日目(1)の記録です。

正門(繭倉庫棟)

工場内部

繭倉庫内部

製糸実演

昼食は「ソーストンカツ」結構美味かった
ここ(前橋)までくれば、世界遺産『富岡製糸場』へ行こうと決めていた。
電車を乗り継いていくつもりでしたが、姉が車で連れて行ってくれるというので、甘えることにした。

浅間山麓を通って富岡へ向かう。富岡製糸場到着は10時。もうゲートには人が並んでいる。

入場料は1000円、更にガイドをお願いすると200円必要です。
10~15人をグループにして、約40分のガイドです。自由行動を含めても1人1時間くらいの観光です。効率よく回しているのですが、それでも列は長くなるばかり。

ウイークデーで1日数千人、ウイークエンドなら1万人を超えるだろう。下司の考えで、つい計算してしまうのですが、もの凄い観光収入ですね。
ただ、昭和62年の閉鎖後も、無収入の中で「何時でも稼働できる状態」を維持してきたわけで、補填に必要なのだろう。

富岡製糸場は、官営工場としてスタートし、生糸産業の近代化を全国に普及するための「訓練工場」という役目も持っていた。
富岡製糸場の建設はフランス人指導者ポール・ブリュナの計画書をもとに明治4年(1871年)から始まり、翌年の明治5年(1872年)7月に主な建造物が完成、10月4日には操業が開始された。
繭から生糸を取る繰糸所では、全国から集まった伝習工女たちが働き、本格的な器械製糸が始まりました。

その後富岡製糸場は下記の沿革を辿る。
 ・外国人指導者が去った明治9年以降は日本人だけで操業された
 ・器械製糸の普及と技術者育成という当初の目的が果たされ、明治26年(1893年)に三井家に払い下げされた
 ・その後、明治35年(1902年)には原合名会社に譲渡され、御法川式多条繰糸機による高品質生糸の大量生産や、蚕種の統一などで注目された
 ・昭和13年(1938年)には株式会社富岡製糸所として独立
 ・昭和14年(1939年)には日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業株式会社)に合併された
 ・第二次世界大戦後は自動繰糸機が導入され長く製糸工場として活躍しまが、日本の製糸業の衰退とともに昭和62年(1987年)3月ついにその操業を停止した
 ・操業停止後も片倉工業株式会社によってほとんどの建物は大切に保管され、平成17年(2005年)9月に建造物の一切が富岡市に寄贈され、その後は富岡市で保存管理
 ・平成17年7月には国の史跡に、平成18年(2006年)7月には主な建造物が重要文化財に、平成26年(2014年)6月には「世界遺産一覧表」に記載された。さらに、同年12月には繰糸所、西置繭所、東置繭所の3棟が「国宝」となった。


モデル工場だけに
 ・就業時間は1日8時間
 ・全寮制で、食事も栄養管理されていた
 ・集団生活だけに「感染症」が多く、病院が完備され、医療費は無料
 ・お茶やお華の「教養教育」もあった
 ・職能給制で1等職工は高給取りであった

施設見学しながら、これらの説明を聞くと、小説「野麦峠」で描かれる『女工哀史』と相いれない。さて、どちらが本当であろうか?
富岡製糸場の募集要項は「15歳以上」であったそうですが、地方の期待を背負った少女たちは、年齢を偽り13歳と言う事例もあったという。

少なくとも、この官営工場では「女工哀史」はなかっただろう。
ただ富国強兵の中、世の製糸工場では「酷使」があったのだと思う。
明治の45年間で、我が国の人口は倍増(3500万人から6500万人へ)している。倍増の理由は「間引きがなくなった」からです。食物もないまま人口爆発などあり得ないわけで、国策で産業が起こされ、食物生産(あるいは輸入)が可能になった。ただ、男は兵隊に、女は女工哀史という、避けられない現実があった。

待機中のガイド氏と話す機会がありました。内容は「建築」についてです。
富岡製糸場は「木骨煉瓦作り」です。
木造の「ラーメン構造」で、30㎝角・長さ15mの通し柱で構成されている。その柱間にレンガを積んで「保温」を目指した。
煉瓦積には鉄筋補強はなく、接着にはモルタルではなく漆喰を使っている。

これは、建築屋の目で見ると「地震に弱い構造」です。ところが、明治5年の建物が今もある理由は「地震と出会っていない」という理由しかない。
そこで、ガイド氏に尋ねたら、
 ・近くに断層はなく
 ・岩盤の上に建っている
そうである。

この地を選び、プロジェクトの遂行をしたのは、フランス人指導者ポール・ブリュナです。彼は、開港間もない横浜で、生糸の検査官をしていた。つまり、建設の専門家ではない。「地震のない地域」を選んだのは偶然であろう。
資料を見ても、このプロジェクトに建築の専門家が見当たらない。だから建築屋の目で見ると「おかしなこと」がたくさんある。最大のものが「屋根を支えるトラス」である。トラスは「三角系」で力を伝達する構造ですが、小屋組みを見ると「三角形を構成していない」。

建物は、地産地消で造られている。
 ・木材は地元産の杉
 ・基壇の石も地元産
 ・瓦は地元産
 ・煉瓦は瓦工場で焼いた
 ・煉瓦をつなぐモルタルが入手できないため、地産の漆喰で施工されている

これが、太平洋側の巨大地震地帯なら、富岡製糸場はなかったのではなかろうか?
でも、そんなことは抜きにして、実に「見応えのある建築群」でした。良い見学が出来ました。

近くで、昼食を済ませ「次の目的地」へ向かいました。


一人旅「二日目(2)」
161117(木) dogfight
11月9日から「3泊4日一人旅」を行いました。その二日目(2)の記録です。

眼鏡橋

遊歩道スタート地点に向かう

橋上からの眼下の風景

橋上から向こうに見える橋は、現在の鉄道橋

碓井湖
富岡から、妙義山麓を抜けて「眼鏡橋」へ向かいました。ここは、姉がどうしても「私に見せたい風景」だという。

中山道の難所「碓氷峠」の旧道を走る。
ここは、明治中期に急勾配を登るため「アプト式鉄道」が敷かれ、1997年まで運用されていた。今はレールを撤去して、約4㎞の区間が「遊歩道」になっている。眼鏡橋が遊歩道の起点で、横川駅まで通じている。

季節は最高です!紅葉が素晴らしい。眼鏡橋の下で車を降り、歩きだしました。橋まで登りきれば、あとは下り坂です。

眼鏡橋橋上から眼下の紅葉が見える。いきなりの感動です。

橋を渡ればいきなりトンネルです。

トンネルを抜けると次の「紅葉」が広がり、素晴らしい風景がある。そんな繰り返しです。






合流地点の碓井湖まで、徒歩で20分。写真を撮りながらののっびり歩行でした。
私は時間の制約があって、1.5㎞しか歩きませんでしたが、全部歩きたかったなあ。





5時までに横浜まで戻る必要があり、碓井湖で暫し紅葉を楽しんで、観光は終了です。
帰路に、駅弁で有名な「峠の釜めし」に寄りました。イメージと違い、大きな建物です。

高崎まで送ってもらい、新幹線で東京まで帰り、在来線を乗り継いで、横浜関内まで。
今夜は、アパホテル泊りです。



一人旅「二日目の仕上げ」は、野鳥写真家の浅見氏と呑み会です(写真はサイトから無断借用)。
流石に、120㎏の巨漢で、呑むのも食べるのも豪快です。
関東のおでんは真っ黒ですが、辛くはありません。無色の関西のおでんと対極ですが、なかなか美味しい店でした。

おでんの後は魚に切替えて、二人で呑んだ日本酒は1升6合。食べる方は追付きませんが、呑む方は「ほぼ互角」で、かなり危ない足でホテルへ帰りました。


三城巡り
161118(金) dogfight
「+1」の旅を楽しんできたが、横浜出張の機会もあと4回になった。
横浜出張を利用して、浜松城・小田原城を見学してきたが、残りの機会で一気に「三城巡り」を考えるようになった。

■駿府城
徳川家康の隠居城。
この地は、今川氏の本拠地でもあった。桶狭間で油断が無かったら、この地に幕府が出来ていたかもしれない。
■掛川城
家康が、江戸入府するまでは、太田道灌の本貫の地であった。家康入府後、太田家は掛川に移封された。
木造で再建された初めての城で、こじんまりとしているが魅力的な城です。
■清州城
織田信長の出発点となった城。
東海道筋には城が多い。過去の行ったことのある城は
 ・小田原城
 ・浜松城
 ・吉田城(豊橋)
 ・岡崎城
 ・亀城(刈谷)
 ・名古屋城
 ・大垣城
 ・彦根城
 ・二条城
 ・淀城
これに三城を加えれば、主な城を巡ったことになる。

横浜の帰り、静岡で泊まり、翌朝「駿府城」から廻りだす。掛川までは鈍行で移動し、掛川から名古屋までは新幹線(これも鈍行にしようか)。
予定はゆっくり組もう!
でも、1日では無理みたい。


一人旅「三日目」
161119(土) dogfight
11月9日から「3泊4日一人旅」を行いました。その三日目の記録です。
朝から「冷たい雨」が降っている。
横浜市内の行政機関を周る仕事があり、雨の中「荷物を持っての移動」が辛かったのですが、幸い泊まったアパホテルのチェックアウトは11時。荷物をホテルに置いたまま、行政機関を周った。
午後から、建築現場の「中間検査」があり、私は立会いをするため移動。検査終了後、現場での業務を済ませて、東京へ向かう。今夜は、息子家族と会食です。
三男は、仕事のことで「落ち込んでいた時期」があったのですが、どうやら乗り切ったようです。
息子の嫁が言うには「1年くらいダメかな」と覚悟したそうですが、3ヶ月の「出勤拒否」で、新天地へ移動。会った時は、明るい息子になっていました。親として、まずはホッとしました。

以前の職場ほど長時間労働ではなくなったようで、家庭で過ごす時間が増えたようです。
新しい職場のことを「生きいきと語る」のですが、残念ながら私には殆ど理解できませんでした。まあ「新しい試み」に挑戦する会社だと理解しました。

孫も大きくなりました。
再来年は小学校へ入学です。「お父さん、入学式に出席してください」と言われてしまった。さて?元気でいるかな。
お店の雰囲気は「居酒屋」ですが、出てくる料理はどれも豪華で、高級居酒屋でしょうね!
どれもとても美味しかったです。
しっかり食べ、しっかり呑んで、すっかり散財させてしまいました。

息子の家で、孫と一緒に入浴(慣れないので照れくさいですね)。
その後、東京都政の話で、息子夫婦と呑み直し。
11時就寝でした。




一人旅「四日目」
161120(日) dogfight
11月9日から「3泊4日一人旅」を行いました。その四日目の記録です。

吉田校長先生

校歌斉唱
4泊3日「一人旅」も最終日になりました。
今日は、半世紀ぶりに同窓会へ出席します。11時からの受付ですので、少し時間があります。そこで、息子の好きな「中野セントラルパーク」へ行きました。
陸軍中野学校の跡地で、公園だけではなく、2校の大学キャンパス・総合病院・キリン本社などがります。近くには、中野区役所や中野サンプラザがあります。
中野サンプラザは、私が若いころ「一世を風靡した建物」ですが、老朽化が目立ち「建替え」の予定が出ているそうです。
セントラルパークを中心に、イベントが頻繁に行われるようで、この日も区役所前と大学前でイベント準備が行われていました。

東京には「大きな都市公園」が多いですね。羨ましい限りです。
ただ、セントラルパーではケヤキを主にした公園作りがされているのですが、実のなる樹が殆どありません。~餌のない処には野鳥は来ない~分けで、雰囲気の割には野鳥のいない公園でした。
中野駅からJRに乗り飯田橋まで。会場となるのは「ホテル・メトロポリタン・エドモンド」です。
何せ、まるで地理が分かりません。タブレットでグーグルを見ながら歩きました。この当たりは、昔は操車場があったそうで、再開発地域です。大阪で言えば「北ヤード」と言ったところでしょうか。

同窓会と言っても、関東に根を張った人達で造る「愛知県豊橋工業高等学校同窓会・高芦会・関東支部」です。
年1回の集まりで、今回はビジター参加させてもらいました。
何せ、ここでも「高齢化」が進行していました。参加者名簿を見れば、間もなく70歳になる私が「若い方から3番目」と言った有様です。県内就職率全国NO1の愛知県。特に、私の卒業年次以降は、県外就職が殆どなくなり、関東支部への人的補給が途絶えてしまったそうです。

諸先輩の挨拶から始まり、現豊橋工業高等学校校長・吉田様(来賓)の挨拶となりました。そこで、ハタと気づきました!
豊橋にある「葦毛湿原」そこの植物観察と保護に尽くす吉田様ではないのか?で、声を掛けてみたら「そうでした」。2度、葦毛湿原に端を運んでいるのですが、お会いする機会がないままでした。まさか、東京でお会いするとは。こんな機会もあるのですね。私自身も、初参加と言うことで挨拶をさせていただきました。
工業高校と言えば、いまと違って「値打ちのある高校」でした。諸先輩も、有名企でリタイアした方が多いようでした。

最後は「校歌斉唱」と万歳三唱でした。何せ、校歌はうろ覚え。でも懐かしかったですね!
これですべての予定を終了。
一人旅で、人恋しくなりました。2次会には参加せず帰路に着きました。さて?来年はどうなりますかな…



光免疫療法
161121(月) dogfight
画期的と言われる「発明や発見」がある。今までの延長ではないから『画期的』なのである。

人体に無害な近赤外線を照射してがん細胞を消滅させる「近赤外光線免疫治療法」は、米国立がん研究所(NCI:National Cancer Institute)の小林久隆・主任研究員が開発した新しい治療法が、世界の注目を集めている。
この治療法は、がん細胞だけに特異的に結合する抗体を利用する。
その抗体に、近赤外線によって化学反応を起こす物質(IR700)を付け、静脈注射で体内に入れます。抗体はがん細胞に届いて結合するので、そこに近赤外線の光を照射すると、化学反応を起こして、近赤外線の当たったがん細胞は1,2分でバタバタと破壊される
 http://www.mugendai-web.jp/archives/6080
がん患者を対象にする臨床試験も順調に進み、2~3年後の実用化を目指している。
 ・がん細胞の死滅率が極めて高く、
  ほとんどのがんに適用できる
 ・医師が気付いていない転移がんにも有効
 ・副作用がない
 ・必要な設備や薬品は安価なので、
  医療費の削減にも大いに貢献しそうだ
 ※照射装置は300万円程度
従来のがん治療法である「外科手術」「放射線療法」「化学療法」は、患者の身体への負担が大きく、副作用があった。また、転移・再発防止などにも課題があり、更には高度な医療設備が必要であった。

しかし「近赤外光線免疫治療法」なら、街の病院でも出来そうである。ちなみに、近赤外光線とは、TVリモコンにも使われている身近なものです。早く実用化してほしいものです。


危険ゾーン
161122(火) dogfight
特定健診の結果が出て…
糖尿病を示す基準「ヘモグロビンA1c」が、ついに危険ゾーンに入ったことが分かった。
 ・大好きな酒を1日0.5合に制限
  (辛いなあ)
 ・間食の禁止(甘いもんが食べたいな)
 ・食事量の半減(ひもじいなあ)
寝る前には「もう空腹」で「すきっ腹」抱えて寝る。待ち遠しい朝食を食べても「まだ空腹」です。胃袋が縮むまで『我慢』やなあ
でも本日(161121)、糖尿内科の診察を受けました。
専門医の先生は「まだ薬を飲むほどではない」と言う見解で、投薬はなく、もう1月「自助努力を続け」てみることになりました。

でまあ、ちょっとほっとして「今日だけ解禁」にしました。しっかり呑んで、しっかり食べてきました!


「夢」の侵攻
161123(水) dogfight
眠りにつこうとすると「夢」が攻めてくる。もう3日連続で、熟睡できないので眠くて仕方ない。

「地域雑誌を作ろう」と言う企画に参加した「私」がいる。
取材担当・企画担当・編集担当など、大勢が参加していたのに、いつの間にか人が消えてゆき「これは国家プロジェクトだ」と言う噂が聞こえてくる。そしてついに私一人になった。
「どうするネン」と戸惑う私をよそに、顔の見えない人たちによってプロジェクトは進行していく。内容は近未来どころか「超未来」技術で、私には殆ど理解できない。

毎夜、進行する「夢」ですが、昨夜は『表紙作り』でした。
私には何の変哲もない「田舎の風景」の表紙が提示されたでのですが…突然フラッシュしていく。
説明によれば、表紙は無限にあるそうで「人それぞれが持つ感性で『見えるもの』が変わる表紙」だという。もうこれだけで、私の能力ではパニックです。
このままだと、今夜は「雑誌の内容」にいくのだろう。もう恐ろしさが先に来るが、内容を見てみたいという好奇心もある。
だが、今夜はゆっくり眠りたい。


ヤマシギ騒動
161124(木) dogfight
私たち夫婦の趣味は「探鳥」ですが、特別知識が深いわけではない。

9月の北海道旅行では、名前の分からない野鳥を写した。facebookで「教えて」と言ったところ、アメリカウズラシギと言う、とても珍しい野鳥だと分かった。ディープな野鳥趣味の方が、追い求めても「なかなか出会えない」野鳥の1種で、呆れられた。
1月のタイ旅行でも、何の変哲もないツバメの集合写真に、実は「レアな2種類のツバメ」が混ざっていたことを、野鳥の専門家から指摘された。ことほど左様に「無知ゆえの出会い」が多い。
161120 朝一でMy畑へ行った。
柿のネットを外すためでしたが、何かが暴れている。
最初は羽の模様で「トラツグミ」かと思ったのですが、嘴の形から「タシギ」と思い込んだ。もう、防鳥ネットで雁字搦めで、私一人で外せそうもない。家内に応援を頼んで外し始めた。

野鳥を傷つけないように、私がそっと手でつかみ、家内が鋏で丁寧に切り開いていく。
「大丈夫だからね!もうすぐ自由になるから」と話しかけながら、約15分の作業でした。最初は暴れていた野鳥も、私たちの意図が分かってきたのか、大人しくなった。
もう何処も絡んだところはないか?最終確認して、ほんの数枚写真を撮ってから放鳥した。

facebookに写真を載せたら、すごい反響が来た。タシギと思い込んでいた野鳥は、渡りの途中の『ヤマシギ』と判明。これも、ディープな野鳥趣味の方が、追い求める1種でした。なんと!勿体ない。こんなレアな野鳥なら、山ほど写真を撮りたかったと、悔しさがこみ上げたが「あとの祭り」でした。
追記
「ヤマシギ」という名から、山に生息と思い込んでいた。現に、生石高原で越冬する。
ところが、平地でも越冬するそうで、個体数としては格別少なくないそうです。ただ、夜行性の野鳥で「人目につくことが少ない」ことから、なかなか出会えない野鳥だそうです。


GSOMIA締結
161125(金) dogfight
日韓両国は、11月23日ソウルで(日韓の防衛情報を共有する基礎となる)「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)の署名を行った。
 GSOMIA
軍事情報に関する包括的保全協定(ぐんじじょうほうにかんするほうかつてきほぜんきょうてい、英語:General Security of Military Information Agreement、GSOMIA、ジーソミア)は、同盟など親しい関係にある2国あるいは複数国間で秘密軍事情報を提供し合う際、第三国への漏洩を防ぐために結ぶ協定。日本はアメリカ合衆国やNATOと、アメリカ合衆国は60カ国以上とこの協定を締結している。
韓国のマスコミは、軍事情報包括保護協定の「反対」を声高に叫んでいる。
これに関して、知日派シンシアリー氏(韓国人)のコメントが面白い。
 ・日本の一部では、まだまだ「韓国は味方なのになぜ協力しない」が不思議に思われているのでしょうか。
 ・韓国では、「日本は敵なのになぜ協力を要求するのか」が不思議に思われています。
なんと分り易い比較であろう。


ポリティカルコレクトネス
161126(土) dogfight
ポリティカルコレクトネス【political correctness】=政治的妥当性
人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。米国で、偏見・差別のない表現は政治的に妥当である、という意味で使われるようになった。言葉の問題にとどまらず、社会から偏見・差別をなくすことを意味する場合もある。
 ポリティカルコレクトネス  最近よく耳にする言葉です。
日本語では「政治的妥当性」と訳すそうですが、私は~耳触りの良い建前~だと理解している。
端的な事例が、ヨーロッパにおける「移民(難民)受入」です。移民受入を巡りイギリスはEC離脱を決めた。受入推進を行ったドイルのメルケル首相は窮地に立ちつつある。
アメリカでは、政治的妥当性を正面から否定したトランプ氏が、大統領選を制した。

我国だって問題が多い。中国からやって来た集団が、空港から大阪市役所へ直行して「生活保護申請」し、需給を受けている(こんなことを斡旋する組織があるのだろう)。それも、受給額は自国民より高額である。
当然、国民の間に反発が起こる。これに対し「偏狭なナショナリズム」と非難する思想の持ち主がいるが、これには私も賛同しかねる。偏狭なナショナリズムと言われようと、断固反対です。
もう博愛主義だとか、人道主義などと綺麗ごとを云わず『自国民を大切にしよう』ではないか!


逆転都市
161127(日) dogfight
県庁所在地が「県下最大の都市」とは限らない。
 ・静岡県:静岡市より浜松市の方が人口が多い
 ・長野県:長野市より松本市の方が人口が多い
 ・群馬県:前橋より高崎市の方が人口が多い
それぞれ逆転事情が違うだろうが、先日訪れた前橋市の没落原因には驚いた。
上越新幹線ルートの策定で、前橋ルートが提示されたが「市民がこぞって反対(今は「とっても後悔している」とか)」したため、高崎にルート変更されたという。それから、経済発展が逆転したという。今や「新幹線停車駅」は、地域発展のキーワードです。

北陸新幹線の延伸3ルートが検討されてきましたが、どうやら「金沢~敦賀~小浜~京都」に決まりそうです。
 ・金沢~敦賀~米原(以降、東海道新幹線に接続)※これが最短だが地域振興の意味は薄い
 ・金沢~敦賀~小浜~京都
 ・金沢~敦賀~小浜~舞鶴~京都
きっと、裏では「熾烈な争い」があったでしょうね!
ちなみに、京都~大阪のルートは未定ですが、奈良経由の可能性が高い。
明治期に、中部地方に「近代港」を作るために候補が選ばれた。第1候補は「我がふるさと=三河湾」だったそうですが、富裕層からの反対で、名古屋に築港された。その後を見れば「馬鹿な話」とすぐ分かる。
播州の中核都市は加古川です。明治期、播州の中核都市「高砂」に山陽線が計画されたが、旦那衆の反対で「加古川ルート」になった。これも、その後を見れば「馬鹿な話」とすぐ分かる。
利権構造が変わることを恐れる保守層(金持ち層)が将来に禍根を残している。


差別あるべし
161128(月) dogfight
鳩山元首相は『日本列島は日本人だけの所有物じゃない』と言ったけど、そんなバカな話はない。
以下は、中国人や朝鮮人に関する最近の出来事である。
「エゾ富士」羊蹄山(ようていざん)の麓に広がる北海道喜茂別町は、町の77%を森林が占め、喜茂別川などを源にした清流が流れる水源地でもある。その丘陵地に、広さ約210ヘクタールの中国人専用のゴルフ場が広がっている。日本企業が経営するゴルフ場を買収したのは、中国・北京の投資会社。ゴルフ場の従業員らによると、100%中国人オーナーのプライベートゴルフ場で、プレーするのはオーナーの知り合いの富裕層中国人だけ。実態は、オーナーと現地法人社長以外は分からないという。これはもう「治外法権エリア」ではないか!外国人による無制限な「土地取得」は制限すべきでである。
留学ビザや経営・管理ビザ、就労ビザなどで日本に3か月以上合法的に在留するすべての外国人は、国民健康保険(会社員なら社会保険)への加入が義務付けられている。逆に言えば、短期滞在で『日本の最新の高額医療』も保険で利用できる。治療が済めば帰国する。
ハーボニーは肝炎医療費助成制度の対象となっており、国保もしくは社保の加入者は、所得によって自己負担限度額が月額1万円もしくは月額2万円までに制限される。
つまり薬価ベースでは465万円かかる投与が、最低3万円で受けられるのだ。さらにハーボニーの薬代以外の診察料や各種検査費用なども、国保なので「3割負担」で済む。
治療目的で来日して国保に加入し、支払った保険料を大きく超えるような医療サービスを受けるというのは、公正とはいえない。

厚生労働省の最新の調査(平成23年)では外国人受給者は4万3479世帯、月平均で7万3030人に上る。10年前からほぼ倍増し、ここ数年の伸びは年に5千世帯のハイペースだ。「ただ乗り感覚」の受給者の存在を指摘する関係者もいる。
 ※資料は古いものです。現在はもっと酷くなっている!
 ※憲法では外国人への「生活保護」を禁止している
つい先日、今後の年金制度を守るため、国会で「年金支給額減額」の法案が委員会採決された。
一方で、平等主義を悪用したり、不正を行う外国人が急増している。外国人によって、日本の貴重な「税金」が食い潰されていく。これってやっぱりおかしいだろう!
きちんと『ニッポン人ファースト」を明確にし、外国人とは「制度上の差別」を設けるべきだと、私は思います。


座標軸
161129(火) dogfight
今年9月に『プラントの計画資料作成』だけを請負いました。もし工事も受注できれば、その設計を請け負う予定でした。だが~工事受注は困難~と言う情報が入っており、来年の仕事はもうなさそうです。思えば、60を過ぎてから「プラント設計」が始まり、ローテクの私の仕事寿命が10年伸びた。だが、それも「もう終わり」になりそうです。
それが出戻りになって帰って来た。プラント仕様が変更になって、それに伴う建築図面の修正です。
集中的に行って「短期で終わらそう」と考えたのですが、肝心のプラントデータが食い違いだらけ(きっと、プラント設計者は滅茶苦茶急がされたのだろう)で仕事にならない。そこでプラント側に整合性を求めたところ「某図面を基準に」という。

しかし、某図面自身に不整合がある。そこで、不整合の原因を探した。
与えられた資料が大混乱していた原因は「2種類の座標軸」があるためでした。建築に限らず、設計作業は『座標に基づいて』各パーツの位置を決めていきます。ところが「軸」が2種類あると、同じパーツ(プラント機器)なのに図面によって「違う位置」に存在してしまう。
今回、さらに混乱に拍車をかけた理由は、基準にするよう指示された図面は「1枚の図面なのにパーツごとに違う座標軸」を使っていた。これではもうお手上げです。結局、
 ・二つの軸を統合した
 ・パーツごとに「適切と思われる座標軸」を判断(なんで俺が判断するネン)
こうして、全てのパーツを同一座標軸に並べ直した。これでやっと修正作業が出来るようになった。

追記1
10年間お世話になったので「お礼奉公」のつもりで作業を受けたのに「費用を請求して」と連絡が入った。困ったなあ~
追記2
今日は大阪で「講習会」。もう終わりだというのに、何でまだ行くのかねえ~


越境EC
161130(水) dogfight
越境EC(えっきょうイーシー)とは、インターネット通販サイトを通じた国際的な電子商取引を指す。
ECとはelectronic commerce(エレクトロニックコマース=電子商取引)の略。クロスボーダーECとも呼ばれることがある。
越境ECはECサイトと同様、インターネットを使った通信販売を指すが、 自国内向け(母国語)のサイトではなく、外国語のサイトを設け、積極的に海外の消費者に販売する形態を越境ECと呼ぶ。
えらい時代になりました。
中国人による「爆買い」も下火になり、これからは『越境EC』だという。なんのこっちゃと思い、検索してみた。もう、ロートルじいさんには、世の動きについていくのもシンドイですね。

ECサイト運営会社を利用することにより、地方の中小企業でも
 ・海外に直接出店するリスクやコストの軽減につながる
 ・煩雑な輸出手続きや決済から解放される(ECサイト運営会社が代行)
 ・商圏が広くなり初期投資額を抑えながら海外進出を狙える
越境ECは「いいこと尽くめ」みたいですが、ほぼ100%相手国の政情に左右される。突然、関税が引き上げられたり、輸入規制が出来たりする。更にはニーズの変化が読み切れないとか、それなりにリスクもありそうだ。
製造側は、リサーチを含め『売る』部分をECサイト運営会社にお任せするわけです。企業経営としては「いびつ」ではないのかと思うのは、年寄りの僻みかな?























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