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横浜出張を利用した「プラス1」の旅です。 今回は「鎌倉」を選びました。 JR鎌倉駅到着は11:45 まったく記憶にない風景です。 まずは、観光案内所で地図を入手。鎌倉市観光局推奨のベーシックコースをその地図にマークしてもらいました。 鄙びた『古都鎌倉』を想像していたのですが、結構な喧騒でした。 |
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50年ぶりの鎌倉です。 50年前は「待ち人来たらず」で終わり、殆ども覚えていません。大仏や建長寺へ行ったようにも思うけど、どうも定かではない。 今日は鎌倉市観光局推奨のベーシックコースを歩きます。地図でコースを見ると、北東の1/4程度の散策でした。 推奨コースは、歩くと片道80分(観光時間は含まれていません)です。 帰りはバスになっているのですが、往復とも歩いてしまいました。 |
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JR鎌倉駅から「商店街」へ入りました。 まさに若者の町で、ウイークデーで、今にも降りそうな天候にもかかわらず、大勢の人で賑わっていました。 この街を歩く限り「古都」はかけらもありません。 ちょっと「求めていたもの」と違うので、ルートを変えてみました。 |
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折角ルートを変えたのに、参道は「工事中」です。 完成予想図を見ると「桜の参道」にするようですが、古(いにしえ)の姿はどうであったのだろう? 何でもかんでも「綺麗だからいいだろう」と言う風潮があり、整備すればするほど「歴史から遠ざかる」そんな気がしてなりません。 (正面が鶴岡八幡宮) |
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■鶴岡八幡宮 鎌倉幕府と言っても続いたの3代だけです。その終焉の地がここです。 源頼朝は公家社会と縁を切るため、ここ「鎌倉」に都を構え、武家社会のスタートを切った。北条家に支えられての源家でしたが、後が続かず(後継者が凡庸)、実質は『北条政権』となっていく。 今回の旅では、ここが一番「華やかな場」でした。鎌倉幕府は基本的に質実剛健だったのでしょう。 |
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ここからは、観光用に整備された道を歩いて「寺社巡り」です。写真のような標識を探しながら歩くのですが、肝心要の曲がり角に標識がなかったりで、サインの設置にはもう一工夫が必要だと感じました。 鎌倉市観光局のホームページからルートと目安時間を打ち出して持参したのですが、イラスト化された資料では、方位や距離が分かりづらい。実際歩いてみても、表示時間とチグハグが多かったように思う。 |
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■頼朝の墓 封建制度の基礎を作った人物にしてはこじんまりとした墓でした。 流石は、平地の少ない鎌倉です。何処へ行くのも「階段が付きもの」でした。 |
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■荏柄天満宮 鎌倉を代表する学問の神様. 荏柄天神社は、福岡市の太宰府天満宮、京都市の北野天満宮とともに日本三天神に数えられる神社だそうです。 1180年、鎌倉大蔵の地に拠点を置いた源頼朝は、荏柄天神社を鬼門(北東)の守り神としました。 ここもご覧のように長い石段がありました。 |
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■覚園寺 真言宗泉涌寺派 ・山号は鷲峰山 (背景の山の名が由来) ・本尊は薬師如来 ・開基(創立者)は北条貞時 ・開山(初代住職)は智海心慧(ちかいしんえ) 鎌倉幕府執権北条家歴代の尊崇を集めた寺院。 境内および周辺は自然環境が良好に保全され、都市化が進む以前の鎌倉の面影を最もよく残す寺。境内は国の史跡に指定されている。 住職による説明が、毎時丁度に行われる。説明時間50分。拝観料込みで500円。今回の旅で唯一有料でした。撮影禁止のため、山門しか写真はない。 有料でも「説明」はありがたい。住職さんはなかなか商売上手で、境内の仏様ごとのお賽銭はバカにならない。 鎌倉は平地が少ないため、「平地に墓を作るのは禁止」であったそうだ。頼朝とは言え、石段を登った山腹にあった。多くは「やぐら」と呼ばれる洞窟を掘って墓地とした。 宗派は真言宗とあるが、建築様式には「禅宗様」が色濃く残っていた。禅宗は鎌倉幕府の時代に勃興しており、その影響かもしれない。この当たりを住職さんに聞いてみたかったが、私はアナザーワンなので控えた。 |
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■鎌倉宮 祭神である護良親王は後醍醐天皇の皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現した。その後、足利尊氏との対立により捕えられ、後に尊氏の弟の直義の命で、殺められた。 建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治2年(1869年)2月、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じた。6月14日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営された。 |
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■永福寺跡 元寇の役戦没者を祭った寺の跡 行政による「復元」が計画されているようで、一部工事が始まっていた。さて?どんな計画であろうか。 |
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残るは1ヶ所になりました。時刻は2時半、流石にお腹がすきました。周りは閑静な古い街並みで、駅まであきらめと思っていたのですが、こんな蕎麦屋さんがありました。 |
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注文したのは「山掛けそば」です。かつおだしに柚子で風味をつけ、とろろをかけて食べます。超薄味ですが旨かった。 | |
■瑞泉寺 いよいよ、今回最後の目的地になりました。 寺の由来はよく分かりませんが、一目で「梅の寺」と分かりました。この日も、植木職人さんが入り、丁寧に手入れがされていました。 鎌倉は梅が多いそうですが、ここは一際見事でした。 境内の一角に「吉田松陰の碑」がありました。どんな縁があるのだろう? |
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吉田松陰の碑 |
ここにも「やぐら=洞穴墓地」があった |
これで、第1回鎌倉観光は終了です。 若者の溢れる街を離れれば、質実剛健で「簡潔な美」を誇る街を堪能できました。道は平坦ですが、寺社へ参詣するには階段が付きものでした。各地でお参りを繰り返したのですが、その願いは「家族の無事息災」でした。御利益がありますように! |
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鎌倉から、横浜の現場まで、JRで40分ほどでした。こんなに近いなら、これからも行ってみたいですね。 夜は、横浜・関内にある中華街で呑み会です。昔の仕事仲間と3人で「呑んで食べ」ました。オーダー式バイキングで1人2400円+呑み放題1500円。料理は小皿で40皿ほど注文しました。呑む方も「しっかり元を取った」と思う。 よく歩き、よく食べ、よく呑んだ1日でした! |
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