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  151026(月)晴れ
出張を利用した「プラス1」の旅の筈でした。
横浜の物件がようやく「地鎮祭」に漕ぎつけ、それに便乗する形で計画したのですが、地鎮祭が直前で延期になりました。更には、この旅行中に「工事も延期」と言う連絡です。うふふ…おかげで、ゆっくりと旅行が出来ました。

26日早朝に家を出て、新大阪を経由して浜松に向かいました。
浜松到着10:05。これ以上早い時間に着く術がない時間です。
駅には鈴木さんが出迎えてくださり、早速「スタート」です。

仕事はとても「計画的」なのですが、旅行は昔から『無計画』が大好きです。今回は、鈴木様にお願いして「奥三河・東栄町」へ連れて行っていただきました。後は「おまかせ」の旅です。

私の中では、奥三河は矢作川水系なのですが、東栄町は豊川水系だそうです。更に、本郷は天竜川水系で、佐久間ダムの本に近くまで足を伸ばしていました。誠にこの程度の知識で、「自分がどこにいるのか?」も分らない旅でしたが、立ち寄ったポイントを地図でプロットして、やっと理解できました。
これから、楽しかった旅を順番に掲載しようと思います。

浜松をスタートして高速に乗りました。東名から分かれて信州に向かう高速道路(のようだ)は、なんで?というくらい交通量が少ない。
 ●乳岩峡(ちいわきょう)
地図で見ると結構な距離を走っている。高速からの風景は「長閑なもの」で、ここに高速道路があるのが不思議なくらいでした。
最初の目的地は「乳岩峡」。ここは鈴木さんの高校時代の思い出の地だそうです。
駐車場から、河床を歩いて「乳岩」へ向かいます。流紋岩が露出する地形で、巨大な岩が流れ落ちた地形です。駐車場から乳岩まで標高差は260m、ですが岩には登っていないないので230mくらい登ったのかな。
岩の間を流れる清流は、ビックリするくらい綺麗です。ちょっと飲んでみたのですが、意外と冷たくありませんでした。今度行く機会があれば、ウイスキーを持って行って、水割りを作って呑んでみたい。
岩の河床を、奇岩を見ながら登っていくと「乳岩」が見えてきました。
更に橋を渡り、岩の間を歩いて、乳岩の下にある「あずまや」に到着しました。ここから先は、鉄梯子で岩山に登るそうです。登りだせば「もう引き返せない」一方通行です。ちょっと勇気がなくて、諦めましたが、乳岩の醍醐味はここから先にあったようです。
写真右は、鈴木様のお母さまが、当時に移されたものだそうです。このタラップを登るのは、やっぱキツイな!

乳岩の言われが分からなかったのですが、奥三河観光ナビ「乳岩峡」によれば〜凝灰岩中に含まれる石灰分が溶け出して天井部に乳房状の鍾乳石を作っており、乳岩の由来となっています〜だそうです。さらに〜乳岩の洞窟にはたくさんの観音様が祀られているほか、山頂近くには通天橋・極楽門といわれる天然石橋があり、見る人を圧倒します〜とある。どうやら、乳岩の足元で引き返してしまったので、一番の見どころに行っていないようです。

 ●山のれすとらんさかた
愛知県北設楽郡東栄町は人口3500人の町です。山間の町で人口密度はとっても低いだろうと感じました。そんなところに「山のれすとらんさかた」がありました。

インターネットの普及は、地方でも個性的な文化を根ずかせる環境を作り上げました。山のれすとらんさかたも、多くのアーチストが集まる場として広く知られているそうです。

玄関にチェンソーアート作品があったので、和歌山在住の城所氏(我が家にも城所氏の作品があります)の話をしてみました。やはり、ここに城所氏も集うそうです。城所氏は、いまは「龍神村の住人」ですが、出身は豊橋と聞いて「縁」の面白さを感じました。鈴木さんが和歌山へお越しのせつは、龍神村にご案内したいものです。

ロートアイアンの作品も展示されていて、ボルトをモチーフにした作品を土産に買おうかなと思いつつ、我家での置場が決められず、言いそびれました。次の機会があれば、いくつか購入したいものです。

昼食は、山のれすとらんさかたの「味噌カツ」を注文しました。とても柔らかいカツに絶妙の味噌だれで、堪能しました。

鈴木さんと私

 ●御園
昼食後、スターフォレスト御園(天文台)のある、御園へ向かいました。
天文台にはいかなかったのですが、目的は「お茶の購入」です。ここは、「日本のマチュピチュ」といわれ、眼下に雲海が広がるそうです(今はその季節ではない)。霧に育まれたお茶がとても美味しいところです。

山道を行くと、突然「そば処」があり、旅館になっています。「誰が泊まるのだろう」と、一瞬考えてしまったのですが、ノンビリが目的なら最高の場所だろうと理解できました。

そば処・旅館・お茶の店の経営者は、東栄町の町長さんだとか。奥様にいろいろとお話を伺うことが出来たのですが、なかなかのアイディア町長さんです。
谷を挟んで向こうにスターフォレスト御園が見えます。もう20年以上経過しているそうで、杉木立に覆われてしまったそうです。視野の確保を求め杉を伐採。その杉で小学校を作ったそうです。お陰で今は写真のように広いビューになっていす。

東栄町には、冬に「花祭り」があります。花祭りは修験道の影響を受けたお祭りのようです(帰宅後調べて分かったこと)。私は単純に、冬は花が一番少ない季節で「なんで?」と思い質問しました。

笠に写真のような飾りをつけ、これを「花」と見立てたそうです。

美味しいお茶を御馳走になり、土産にお茶を購入しました。鈴木様からは、紅茶を頂いたのですが、家内も大喜びでした。

帰りに「天然水」をタンクに入れている人に出会いました。私も飲んでました。乳岩の水よりこちらの方が美味しかったですね。

今度来るときは、ペットボトル携帯が必須です。


スターフォレスト御園

こんな雲海が広がるそうです

 ●煮え淵ポットホール
この地が「中央構造線の上にある」のだということを感じさせるのが、煮え淵ポットホールです。
1億年の地球の息吹き!預り渕ポットホールより更に上流にある煮え渕ポットホールは河川浸食地形の一つです。岩盤のくぼみに入った石が水流によって回転し、長い年月の間に穴が拡大したものです。1億年もの地球の息吹きを今も記録としてとどめています。県の天然記念物に指定されています。滝壺が後退していったあとに残ったもので、直径約5m前後のものが川の中央に連続しています。勇気を出して赤い吊り橋の上から絶景を楽しみましょう!
和歌山県古座のジオパークにもポットホールがあります。共通するのは「地殻プレートがせめぎ合う地形」と言うことです。

「煮え淵」とあるように、ポットホールを大きな鍋に見立て、泡立ちが「ぐつぐつと煮ている」ように見えます。
煮え淵を見下ろすことが出来る『赤い吊橋』定員は1名で、ゆらゆらと揺れます。吊橋が苦手の私ですが、ここは渡るしかない絶景なのです。勇気を出して歩きました。

 ●蔦の淵
竜神伝説のある蔦の淵です。
奥三河観光ナビによれば、「奥三河のナイヤガラ」とありますが、いささかオーバーです。

鐘をつき、龍神様に「家族の無事息災」をお願いしました。
ここには、アオサギ・カワウ・キセキレイと言った水鳥がいました。

これで東栄町にお別れです。車は設楽町を目指して走ります。
 ●関谷醸造
目的地は「関谷醸造」です。
かつては「売れない酒」であった時代もあるそうですが、関谷醸造の息子さんがトヨタで出世をし、役員営業では挨拶代わりに「空=関谷醸造の大吟醸酒」を持参したことで、一躍時代の兆児となった。いまでは容易に手に入らぬ「幻の酒」となっている。

ここで、「鳳来泉限定純米大吟醸』(度数17度・精米歩合45%)をお土産に、鈴木様からいただきました。帰宅後、早速いただきました。濃厚でまろやか、まことに呑みやすく、喉越しの良いお酒です。

これで、浜松へ向かう道に入ります。途中、鳳来山東照宮を目指しました。
 ●鳳来山東照宮
残念ながら、東照宮駐車場へ着いたときは薄暮になっており、東照宮も閉められていました。

東照宮は各地にあるものですね。
勿論、日光東照宮が本家になるのですが、私は何度も日光へいく機会を逸したまま、未だ行ったことがありません。ただ、近畿にも各地に東照宮所縁の建物があります。私が参拝しただけでも
 ・奈良県・談山神社には、東照宮の原型となった建物がある
 ・和歌山県・紀州東照宮
 ・滋賀県・日吉東照宮

行ったことはありませんが、久能山東照宮も有名ですね。なんと、ネット検索で「全国の東照宮」が出てきました。恐ろしい数があるものですね!

慶安元年(1648年)三代将軍徳川家光は鳳来寺を家康誕生のゆかりの地として祖父報恩のため、東照宮の建築をはじめました。その後4代将軍家綱のとき完成されたもの。国の重要文化財に指定されています。

 ●コジマ本店
今日の最終目的地「コジマヤ本店」に到着です。
ここでは、養殖ではなく「天然うなぎ」があるとのことですが、あいにく今日は品切れとのこと。残念でした!

注文してから、焼き上がるまで30分かかるというので、お酒とアテを注文。お酒は、関谷酒蔵の「利き酒セット」です。関谷さんとは深い関係だそうで、幻の銘酒「空」が呑めました。

利き酒セットはお代わりをしたので、2回頂きました。アテは「うなぎの肝焼き」です。

肝焼きは、ふわふわの柔らかさです。亭主殿に聞いたら「今日使ったうなぎの肝で、冷凍やたいて保存したものではない」とのこと。こんなに美味しいとは驚きでした。
さらに、注文外で出てきたのが「天然うなぎの天ぷら」です。かば焼きにするには小さくて、賄用らしいが、これを塩で食べる。初めてでしたが、美味しいものですね。美味い酒と美味いうなぎ!最高です。
〆は何と言っても「コレ」です!肉厚のうなぎがふんわりと焼き上がり、ほどよいタレに包まれて、もう『最高!』です。
この後、ホテルまで送っていただき「本日終了」でした。鈴木様、本当にお世話になりました。ありがとうございます。

  151027(火)晴れ
一夜明けて「さてどうしよう」です。本来なら、横浜で地鎮祭だった筈なのに…
浜松の東隣「磐田市」にある太田川、河口が「野鳥スポット」だそうで、そこへ行こうと考えた。バスターミナルでバス乗り場を探し、そこで時間表を見たらバスは数分前に出ていた。次は3時間後と分かり断念。
9時になるのを待って「観光案内書」へ。太田川河口へは、JRで磐田まで行き、そこからのバスなら1時間1本だと分かったが、探鳥に最適な時間を過ぎてしまった。これは次の楽しみにしよう。


大福寺

摩訶耶寺:城門を移設したという山門。寺の囲いここしか残っていない
一瞬で気分を入れ替え、奥浜名湖の神社めぐりを選んだ。
JRで新所原まで行き、そこからは天浜線で三ケ日まで行く。天浜線は、恐らく昔はJRではなかったか?新所原から天竜を通り掛川まで2時間(1450円)で結ぶ「のんびり列車」です。別に「乗り鉄」の趣味はないのですが、ボヤンと風景を見ながらこの列車(と言ってもディーゼル1両ですが)に揺られてみたいものです。

本日は、新所原三ケ日まで行き、そこでタクシーを呼びました。タクシーに乗ってから距離を聞けば、目的のお寺まで3q程と言う。これなら歩けたのに思った。
湖北には五つの寺があり「湖北五寺」と呼ばれている。流石に無計画で、車も運転できないとあっては、全てお寺は無理で「大福寺と摩訶耶寺」に決めした。行きはタクシーに乗り、しっかり道を頭に入れて、帰りは歩きです。

 ●大福寺
今からおよそ1,150年ほど昔( 875年貞観17年)、名僧教侍上人が富幕山に幡教寺(ばんきょうじ)として開創し、1207(承元元)年に現在地へ移した時に大福寺と改称された。
立派な伽藍が整ったお寺でしたが、拝観料を払った後は「勝手にどうぞ」と言った感じで、文化財の仏様には会えませんでした。

 ●摩訶耶寺
奥浜名湖観光で外せないお寺の一つである摩訶耶寺。
静岡県で最も古い鎌倉時代前期に造られた庭は平安時代の様式を色濃く残しているそうで回遊式庭園です。庭も詳しくはないですが何か大名庭園にあるようなお庭とは違う美しさがあります。
そして本堂に入ると美しい絵が描かれた格天井が目を引きます。「おり上げ式格天井」というカーブをした天井も見事です。
大福寺と対照的に、本殿以外の伽藍はない。寺の囲いも山門付近だけで、どこからでも入れそうです。
それでも住職さんはとても親切で、重用文化財の仏像も見せていただきました。

二つのお寺はともに真言宗でした。この地に真言宗が根を張った理由は何だろう?と思いながら聞きそびれてしまった。
一際見事だったのがこのお庭。平安時代の様式を色濃く残すそうで、しばし見とれていました。

これで「ぶらり旅」は終了。
新所原駅前で遅い昼食を取ったのですが、選択の余地がなく「高くて美味しくなくて無愛想」の三拍子は、今回の旅で唯一の失敗でした。

鈍行電車で西へ向かう。豊橋で快速に乗り換え、さらに西へ。このまま新幹線を使わずに帰るのも「ええなあ」と思ったのですが、流石にそれでは今日中に帰れない。名古屋から新幹線を利用して帰りました。楽しかったです!









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