130407 熊野古道
伊太祁曽神社の「木祭り」へ行った。
神事には参加しなかったが、チェーンソーカービングによる「来年の干支奉納」を見学し、その後の「餅投げ」を楽しんできました。
帰ろうとしたら、目の前で電車が出て行った。超ローカルの貴志川線(いまはタマ駅長の名声で世界の貴志川線になってきた)は30分に1本しかない。


こんなサインがなければ、誰も「熊野古道」と思わない

奈久智王子方面(現代の幹線道路と縁もゆかりもない)

平緒王子方面(これではあぜ道だ)
今日は、強風の上寒いのに、ふきっ晒しで待つつもりはない。
駅舎前に「熊野古道」のサインがある。ここから歩いても200mらしい。で、行ってみた。
冒頭の地図を見ながらお読みいただきたいのですが…
熊野古道は、世界遺産になってそう呼ばれるが、以前は「熊野街道」である。

伊勢神宮または高野山から足を延ばす以外は、大阪天満(地図上印)が起点で、ここには石碑がある。
ちなみに天満は大川(旧淀川)の船着き場で、京からは船でここまで来ることができる。

天満を出たあとは、平坦な沿岸部に沿って熊野街道は続く(地図上ライトブルーの紀伊路)。
内陸をショートカットしていない理由はわかない。一説によれば「体の不自由な人もたくさん詣でたから」と言われるが、熊野口から中辺路(黄色のルート)に入れば険しい山道である。バリアフリーを重視したという説とは矛盾する。

今日、訪れた部分は、地図上印部分です。
熊野街道の多くは、現代の主要道路にはなっていない。これも不思議に思うが、理由は分からない。

熊野街道には「王子」と呼ばれる施設があった。熊野神社の末社と宿泊施設を兼ねたものらしく、約2q毎にあった。
熊野詣には、余り費用が掛からなかったようだ。その理由が「王子」の存在である。どうも、現代の宗教観からは分かりずらい存在である。
きっと実現しないと思うが、何時か熊野街道を全部歩いてみたいと思う。

2〜3日分の着替えを詰めて背負い、天満からスタートする。どれだけ日数を要するか分からないが、紀伊路〜中辺路〜熊野本宮大社を歩きとおしてみたいものだ。馬鹿げていると思われるかも知れないが、夢は多い方が良いだろう。


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