チェンマイ旅行中に『私が感じたこと』をそのまま書いています。格別、裏付けや確証を求めたものではありませんので、間違っているかもしれません。このことを、ご承知の上お読みください。
■所得と物価
旅人には、タイの所得が分からない。これをある程度理解しないと、物価との関係(平均購買価格)が分からない。
これは、あるネット情報から引いてみました。
タイでは、月給と月収という。その理由は、サイドビジネスです。公務員もバイトは禁止ではないそうで、月給だけではないということです。
・夫婦共働きの家が多いです。
中流と呼ばれる層の平均月収(夫婦で)は3万バーツから5万バーツ
・30歳前後の若い人で外資系のサラリーマンの月給は2万〜3万バーツ、
・デパートの店員なんかだと1.5万バーツぐらい
・国家公務員の初任給は、大卒で7300バーツ、修士卒だと12万バーツ
・民間企業の初任給は公務員の倍
・製造業でこの不況下、昨年12月のボーナスが月給の13倍だった会社があった
(好景気の頃のトヨタもそんなものでした)
そうでなきゃ4月の正月休みに東京ディズニーランドやUSJにタイ人観光客が大挙して押し寄せるなんてことにはならないでしょう。 |
読んでも良く分かりません。1バーツは2.5円くらいです。
ここでは『中流と呼ばれる層の平均月収(夫婦で)は3万バーツから5万バーツ』で考えてみます。
中流家庭の共稼ぎで、日本円で「7.5万円〜12.5万円」
大胆に平均してみると「5万円/人」の月収です。これは、我が国のワーキングプワと呼ばれる人から見ても随分低いですね。でも私は、この国から「貧困」を感じませんでした。収入に見合った物価なのだろう。道路にゴミの散乱もなく、とても衛生的な町でした。若い娘さんは充分ファッショナブルです。
カラオケ店には「若い娘」がたむろしています。「一夜妻」をアルバイトにしているそうで、スキ者には選り取り見取りと言ったところです。お値段は1〜2万円だそうで、国力を反映してか「白人と中国人」が主な顧客でした。研究論文で「売春が成立つ条件は収入の7倍以上」と言うものがありました。まあ、これなら充分成り立ちますね。
旅行中、食事や買い物で
・外国人の店
・タイ人の店
この落差(金額差)が5倍以上あるように感じました。
タイは、格差の大きな国だそうで、スーパーにもランクがありました。良い店の品ぞろえは「日本ではありえない」凄さでした。つまり、高望みしなければ、収入なりの生活できるのではないか、そんな印象でした。
■在留日本人
終の棲家をタイと定め、老後をここで過ごす人が多い。
チェンマイにもそういう人が2500人いるそうだ。だが身分保証はない。法律上は、単に「長期滞在者」で、1年ごとにビザの更新が必要と言う。国籍取得は、特殊技能でもない限り「ほぼ不可能」だそうで、何か問題を起こせば「即国外退去」である。
前項で述べたような生活水準だと、厚生年金受給者なら「年金生活」が十分可能だと分かる。ただ、生活するということは金勘定だけではない。
多くの人が「日本での生活基盤を整理」してくるそうで、後戻りのできない状況である。異国で暮らすということは「言葉が大切」である。タイ語も英語も話せない人は〜日本人コミュティーで固まり、食事は日本料理店〜と言う人が多いと聞いた。ただ、このように狭い社会になると必ず起きるのが「いじめ」で、居場所を無くす人もいるようだ。
病院で診察待ちの時、在留日本人から話しかけられた。お名前を伺わなかったので「Aさん」とします。Aさんは72歳、奥様と死別後、8年前にチェンマイへ来たそうです。日本人コミュニティーを嫌い「英語圏」で住んでいるという。40歳下の奥様をもらい、家を買い、月3万バーツのお手当(7.5万円)を出しているそうです。これは私が聞き出したことではない。余程「話相手が欲しかった」のだろう。ただただ、私は聞き役であった。
タイでは『メニーマネー・メニ―ラブ』だと感じた。
1番:奥様の両親
2番:若い奥様の子供(早婚と離婚が繰り返されている)
3番:若い奥様の親戚
これだけの面倒を見て、やっと「若い奥様」が得られるとボヤいていた。これは特殊なことではないようだ。Aさんは、余りに多い親族に辟易して、別に家を構え「隔日で奥様に来てもらう」と言う通い婚に切替えたそうです。
タイでは「美貌は最大の武器」だと聞きました。それは、メニーマネー・メニ―ラブに直結する。タイ人の価値観では、これは「悪いこと」ではない。意地悪な見方をすれば、日本人年金生活者は、タイ人の娘さんからみれば「メニーマネー・メニ―ラブ」の対象である。
ただ、日本の年金者は「メニーマネー・メニ―ラブ」だけを求めているわけではない。むしろ「心のふれあい」を求める人が多いのではないだろうか。
「金の切れ目が縁の切れ目」で、何もかも失う人も多そうだ。
外国に「終の棲家」を求める勇気は私にはない。チェンマイは素晴らしいところであったが、私は「旅人」でよいと思っている。