日曜日に、橋本市地域雇用創造促進協議会『おこしやす伊都ゆかし古里会」主催のイベント「旧大和街道の散策と古代米・郷土料理を楽しむ」に参加してきました。
この組織は、厚労省の助成を受け、地域振興と雇用創造を目指すものです。メンバーは、1年間和歌山大学で観光学を学び、本日が「営業第1号」というわけです。参加費は3800円と、決して安くない。ボランティアではなく「仕事」なのだから利益を出す必要があるわけです。それでも、ボランティア的な熱意が伝わるイベントでした。
JR和歌山線隅田駅集合 |
この日ガイドをしてくださる岩村先生 |
点在する万葉歌碑 |
真土の渡り石 |
大和街道道標 |
須田八幡宮社 |
須田八幡宮社楼門の天井が |
国宝人物画像 |
経塚 |
霞山城 |
利生護国寺 |
妻の森万葉歌碑 |
応其寺 |
柿の葉鮨体験学習 |
募集人員30名に対し、48名が参加と大幅超過。このシステムに興味を持った自治体関係者も多く参加していたようです。
この日は、この地方を支配した「須田一族」の夢の跡を巡ります。
ガイドくださるのは、郷土史研究家岩村先生(橋本と高校教諭)で、まことに名調子でした。
まず最初は、真土の渡り石。昔、熊野詣に使われた道ということですが、岩村先生の説は「わき道だろう」という。
この小さなせせらぎの向こうは「奈良県」です。何とこれが県境とは!
この街には万葉歌碑が点在する。私は知識がないが、お好きな方には「堪らん」だろう
大和街道を歩いて、須田一族の氏神「須田八幡社」へ。ここには、5世紀頃の人物画像(国宝の鏡)があるが、岩村先生に寄れば「神社の縁起とは関係ない」という。『歴史とはこんなもんです』という言葉に面白さを感じる。
須田八幡社で、岩村先生と宮司様から説明を聞き、経塚見学。これは。近年になって「塀の改修」で見つかったものだそうです。
神社境内でしばし休憩。このとき、主催者のリーダーと語る。
「街道を繋げる」ことを熱く語ってくれましたが、一方で〜大阪狭山市にはボランティア組織を立ち上げる気がない〜とがっかりなさっていました。西高野街道という古代からの大動脈!これのPR組織が、大阪狭山市だけ空白になっている。 |
八幡社を後にして、霞山城へ。ここは、須田一族の居城跡。今は段丘が残るのみです!この付近では大きな規模の城であったそうです。
このあと昼食。
「古代米・郷土料理」ですが、うふふ…
午後の行程は、利生護国寺から。ここは須田一族の氏寺です。かつては大きな規模であったそうですが、今はこじんまりとしていました。
このあと、戦国期に、秀吉の雑賀攻めから「橋本を守った」
応其上人のお寺に
これで、歴史ウォーキングは終わりです。最後は「柿の葉鮨」の体験です。改めて不器用な自分を再発見!
昼休み。古代米・郷土料理を楽しみながら、NPO法人あまの街道から出席した4人で、持参した酒を嗜みながら話しました。
・橋本の大和街道より、大阪狭山の西高野街道のほうがずっと「往時の雰囲気」を残している
・橋本が須田一族なら、大阪狭山は「楠正成の夢の跡」です
・歴史ある神社仏閣ならひけを取らない
ようは、橋本市で出来ることなら、大阪狭山市には「それ以上」のバックグランドある。大阪狭山市郷土資料館には、吉井先生のような郷土史のオーソリティーがいらっしゃいます。商工会には「保存運動」の機運があると聞きます。となれば、欠けているのは「行政の旗振り」だけであろう。それも、最初の一振りがあれば、後はボランティア組織が出来上がると思う。
結局は「行政のやる気」の有無に尽きると思う。
それしか、大阪狭山地区のエアポケット解消の術はないだろう!
追記
あまの街道には、弘法大師にまつわる「7不思議」がある。既に1000年の歴史を持つ「伝説」です!
これに『歴史とはこんなもんです』という言葉を重ね合わすなら〜ここが『7不思議の場らしい』と作ってもよいはずです。現に研究家により、場所はかなり具体的に特定されています。
私たちは、観光化を目指すものではありませんが「楽しみ」を提供することも大切であろう…