dogfight高松の長すぎるひとり言
2006年08月
エッセイ&コラム

ランナーズハイ未知の領域D天神祭り独善の役人怒り報告根拠法顔文字あかん一緒に歩きたいオフ会鉄砲百合?サライ奥飛騨へ日焼け迷える子羊ボロボロ友達は名医皮下脂肪駄々っ子五冊目予感NPOジジババが行く皇位継承権


ランナーズハイ
060801(火) dogfight
マイミクさんの日記に「日本の種目別スポーツ人口ランキング」が載っていた。それによれば
  1位  ウォーキング 2388万人
これに対し、
  ウォーキングって・・スポーツなんでありますか???
とコメントした人がいる。これを読んで、私は一瞬で頭にきた。バトルをするつもりでこう書いたのだか、無視された?
 >過激な運動に耐えられる人にとって、
   ウォーキングって・・スポーツなんでありますか???
 >なんだろうと思うけど、生活習慣病の持病を持つ人にとって
 >これほど「健全なスポーツ」はないと思います。
 >私の周りにも、医者も見離した糖尿病患者が社会復帰しているし、 
 >末期癌の方がウォーキングを楽しんでおられます。
 >1度「自分を切り離して」ご覧になっては如何でしょうか?

私自身がウォーキング愛好者で、ここに述べたものは伝聞ではなく「身近な人たち」なのだ。難病と戦いながら、あまの街道を歩くご婦人の、涙が出そうなメールを、公開でできるものなら読んでほしい。
おそらく彼はストロングなのであろう。ただ、弱者の痛みを知らぬなら尊敬はできない。
仕事が忙しく、週末の運動量が減っている。そのことでストレスを感ずることがある。先般の「京都打ち合わせ」にチャリンコを使った理由もこれによる。爽快な疲労は「新たなエネルギーを呼ぶ」そうだが、それを実感している。私は、ランナーではないが『ランナーズハイ』とは、こんなものではなかろうかと思っている
あまの街道の保護運動に手を出そうとしている。
お仲間は『気をつけや』と忠告してくださる。何せ、相手は法律など「屁とも思っていない」やからです。
きっと、いつかはボコボコにされるときがあるように思う。だから、諸先輩は「目立つな」と忠告する。
私は逆に、もてるメディアで出来るだけ知らせていこうと考えている。私をボコボコしたのが『誰か』直ぐに分る仕掛けを作っておきたいのだ。
また、儲かりもしないことに手を染める自分がいる。苦笑い
関係のない追記
今日は、PLの花火の日
http://mizikanasizen.web.infoseek.co.jp/hubutusi/PL/PL.htm
いまは、私の「痛み」の思い出となっている。いつかよき思い出になりますように…


未知の領域D
060802(水) dogfight
この話題を書こうと思ったのは、Mさんの日記からであった。それは私にとって、とても新鮮でした。何故なら…
私は、いつの間にか「大和朝廷側から歴史を見ていた」のに、Mさんのコメントは「アイヌ側」からのものでした。その部分を紹介したかったのですが、何かあったのだろうか?消されていました。
今日が、事実上のシリーズ最後です。

大和朝廷の成立は4世紀半ば。当時は、一地方政権に過ぎません。
神話?日本武尊の活躍で分るように、政権成立以前は西に目が行っていた。さて?東に目が行ったのは何時頃であろうか。いえることは、東に目が行って始めて大和朝廷は膨張を始めた。とはいえ、壬申の乱(672年)当時の国境線が、岐阜−三重を結ぶものであったことで分るように、弥生人に同化しななかったアイヌ民族にとって、大和朝廷成立は直接の脅威であったとは思わない。

中大兄皇子による、百済救済は大敗北で終わる。
反撃を恐れた天智天皇(中大兄皇子)北九州各地に城を築き『防人』を置く、7世紀中頃のことである。
  我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず
私の大好きな歌である。
防人は、まだ大和朝廷に下っていないはずの東国の民が駆出されている。これで分るように、大和朝廷と塞外の民は微妙な関係化にあった筈である。

大和朝廷が、アイヌ征伐に踏切るのは、8世紀後半のこと。『征夷代将軍』名が示すように「夷を征する」役目を負ったものだ。後に、幕府を開く権利となる役職だが、当時はそんな意識はなかったであろう。
 ・もっとも有名な征夷代将軍は『坂上田村麻呂(758〜811)』
 ・初代征夷大将軍大伴弟麻呂のもとで副将軍として活躍
 ・その才能を桓武天皇に買われ、803年には自ら征夷大将軍として出兵
アイヌの将『アテルイ/モレ』の二人に投降を進め、命の保証をして長岡京に凱旋する。しかし、桓武帝はそれを許さず、翌年、河内の椙山で斬った。
これをもって、アイヌの反乱は事実上終焉。坂上田村麻呂は、軍神としてあがめられ、東北経営は安定する

これは、朝廷側から見た歴史である。
冒頭に述べたM氏は、これに真っ向から異論を述べた(これが紹介できないのが残念)。以下は私の記憶による。
 ・坂上田村麻呂は少数の軍でもって、アイヌ軍を下したとされるが本当か?
 ・坂上田村麻呂は人望があり、アテルイやモレは降伏したとされるが本当か?
 ・坂上田村麻呂は本当に彼らを助けられると思っていたのか?

これに対する私の感想を述べて終わりたい。
 (全て私の想像です)
坂上田村麻呂が、全くの敵地で戦ったとしたら「少数の軍でもって、アイヌ軍を下した」のだろうが、私にはそうは思えない。稲作が伝わって800年がたち、かたくなに「採取生活」を守る人は、最早少数ではなかったか。アテルイやモレは孤高の人で、清くはあったが、多くの人は「安定した生活」を望んだように思う。
砦は、櫛の歯が欠けるように、手薄になってゆき、アテルイやモレには「更なる逃亡か、降伏」しか選択肢がなかった。

青森のお祭り『ねぶた』の起源は、この坂上田村麻呂に到るようだ。
これをもって、彼は尊敬された武将であったとされる。ついいまの、近代戦を想定しがちだが、当時は「基本的に屯田」であった。稲を作りながらの長期戦である。坂上田村麻呂は優秀な行政官であったのだろう。砦を出て、降伏した兵を厚く遇したと思う。都で、長岡京は未完のまま「平安京」の造営が始まっており、いくらでも投降兵が必要だった。この「人の確保」からも、熱い戦闘ではなく、投降を促す作戦が取られたはずだ。

結果的に、食料の安定をもたらせてくれる「敵将」であったのだろう。
坂上田村麻呂自身も、己を優秀と信じ、桓武帝の信任も厚いと思っていたのであろう。ただ、桓武帝は歴史では珍しい独裁者であった。アテルイやモレの処刑後、坂上田村麻呂は舞台から姿を消していく。
やはり私は、朝廷側から歴史を見ている。
アイヌ側から見れば「大きなお世話」であったはずである。豊かではなかったも知れぬが、彼らは「自活」していたのだ。現代に置き換えるなら、素朴な田舎生活に「物質文明」が押し寄せたものだろう。
こうした「親切の押し売り」が歴史を変えていく。そう〜いまのアメリカのように…


天神祭り
060804(金) dogfight
いささか、気の抜けた日記です。まあ、ネタ不足の解消に使わせていただきます

7月25日は、天神祭り。
 ・東京の三社祭
 ・京都の祇園祭
 ・大阪の天神祭り
日本三大祭の一つです。25日は、『船渡御』の行われるメインエベントです

この日、友人の事務所に招かれ、夕方から飲み始めました。
お供は、かおりと、友人の奥さん。

独特のお囃子が川面から渡ってきます。20時ころからは、花火も上がりだしました。
この日、私は「絶望的なトラブル」を抱えており、普通の神経なら、とても酒など飲める情況ではなかった。

『こんな時は酒を飲んで気分転換』そう言い聞かせて、気持ちよく呑んでいました。勿論演技などではなく、心からそのつもりでした。
周りの人も、絶望的な状況下にあったことなどまるで気付かなかったとおもう。

勿論、翌日から必至のリカバリーをしたのは言うまでもない
(こんなこともあるさ)
独善の役人
060805(土) dogfight
京都市は「革新の牙城」であり「同和の資金源」といわれる。
そのことと関係があるのかないのか?

建築に携わるものとしては、関係官庁の管轄所在地が市内に散らばっていて、調査するのも大変です。ところが、もっとタイヘンなのは『建物を規制する法がバラバラに運用されており整合性がない』ことなのです。

私の職業は建築屋
法を守った上で、クライアントの希望を適えるため、あれこれ調査するのですが、まあ〜困ったもんだ!
建築基準法で、土地のポテンシャルを決めている。
 ・建蔽率=土地に対する水平投影面積の限度
 ・容積率=土地面積の何倍まで「延べ面積」の限度
 ・高さの制限
   日影規制で地域環境を守る
   高度地区指定
 ・高さの緩和
   道路からセットバックすれば建物高さの緩和が得られる
   天空率の範囲内で建物高さの緩和が得られる
このような制限や緩和を組み合わせて、最大ボリュームを出していきます。ただ、建築基準法自体は、整合性の取れた法体系で『飴と鞭』を使い分けている。
ところが、京都では「葵の印籠もビックリ」の条例が存在する。それは
    『景観条例』
担当課のお役人様が胸を張ってお答えになるには
−−−如何なる法とも整合性は取っていない−−−
如何ですかな!
唯我独尊。もうむちゃくちゃです。横暴です

言葉で説明するより写真(街角で写したもの)を見てください。
中間階と最上階に「瓦葺きの庇」があるがお分かりいただけるであろうか?
もう、問答無用で、この庇の設置を強要する。

京都という歴史文化を守るため、景観条例が必要なことはよく分っています。
でも、これで『古都の雰囲気』を守れると本気で思っているのだろうか?
この建物の設計者は悔しかっただろうな!誰が見たって『チグハグなデザイン』やないか!
   いま、私が悩まされている


怒り
060807(月) dogfight
敗戦記念日(終戦ではない)が近づいてきました。
昨日は広島に原爆が落ちた日。アメリカは必然であったというが、どんな言訳をしようとあれは「人体実験」であった。

広島のあの記念館を訪れたのは40年前。まだ家内と婚約中であった。その家内も2年前に逝った。
記念館で見た写真は衝撃であった。広島に住む人々に如何なる罪があったのか!
あれこそ虐殺ではないか。そんなヤツに東京裁判で「人道に対する罪」など裁く権利が何処にあるのか。
WASPから見れば、我らは虫けらなのか!私は怒っている
関係のない追記
今夜「あまの街道保護」に付いて、守る会の方と話し合いがあります。
昨日、無残に木陰が消えていた。もううんざりだ!私はこの自然を守りたい


報告
060808(火) dogfight
昨夜19時から、大阪狭山市の環境を守る会に参加してきました。
約10人ほどの集まりで、現役市議2名も参加。
ご紹介を頂いた後「あまの街道の現状」を報告。机上の議論ではなく『現地を見て欲しい』とお願いいたしました。
次の土曜日(12日)、スタート地点に集合。約2時間の予定で、勉強会を開く
 ・開発の弊害を知る(林のあるなしの気温差を体験してもらう)
 ・自然の自壊を見てもらう
 ・モラル低下の現状を見てもらう
これらを体験していだきながら、1200年の歴史を守る意義を考えていこうと思います。博識な仲間にも呼びかけました。それぞれの持ち味で、アピールして行こうと思います。また、実現するかどうかは分りませんが、この日に「市長の参加」もお願いしていたくようにしました。

9月市議会には「あまの街道を守る条例」提出を目指し、急ピッチで勉強会の継続を計ることも決めていただきました。

このサイトをご覧頂く皆様、お心だけでも応援を頂ければ幸いです。


根拠法
060809(水) dogfight
あまの街道を守る運動を、大阪狭山市の環境を守る会の皆様と行っていこうと思います。

最終的には、ナショナルトラスト運動を起こし、あまの街道を愛する人々で所有することが出来れば素晴らしいと思います。ただ、それは、気の遠くなるほど先の話しで、私の生きている間に実現するかどうか?

それまでの間「法で保護をするしかないのではないか」それが私の考えです。
これを、守る会の皆様にお話ししました。ただ、残念ながら議会や行政とのチャンネルを持たぬ私には何も出来ない、悔しいことです。その意味で、現職議員をメンバーに持つ「守る会」の皆様のお力が必要なのです。
具体的には『条例制定』ですが、それには根拠法に基づく手続きが必要です。
この手法は、守る会の方々には以外だったようで、お話しの主体がここに集中しました。私も事前に資料を用意していたわけではなく、思いつくまま代表的な法律を上げておきました。そこで昨日、使えそうな「根拠法」をピックアップし、守る会の事務局様にお送りしました。

根拠法とは、大筋を国が法律で決め、運用細則は自治体が「条例で決める」根拠となるものです。
このたびは、あまの街道という、歴史ある景観を守るもので、これに使えそうな根拠法がかなりあることに、私自身も驚きました。列記しておきます
 ・景観法
 ・都市緑地保存法
 ・風致地区制度
 ・緑の基本計画
 ・緑地保全地域制度
 ・特別緑地保全地域制度
 ・地区計画等の活用
 ・管理協定制度
 ・緑化地域制度
 ・緑化協定制度
 ・市民緑地制度
ようは、私たちが「守る意志」を表示することが必要なのだと感じます。そして『どのように守りたい』のかを決め、もっとも素直に利用できる根拠法を選べばよい。むしろ、大阪府下随一の文化都市を誇ってきた大阪狭山市に、これらを活用した条例がなかったことのほうが不思議です。


顔文字
060810(木) dogfight
絵文字も「表現力豊かやな」と思っていたら、これは『顔文字』というそうな
 http://members.jcom.home.ne.jp/cmx/tx/09.html
私が見かけた顔文字を、最近のブログ交換からご紹介します
  (~ヘ~;)
  ε=( ̄。 ̄;)フゥ ー
  ( ̄ー ̄*)
  m(~o~)m
  (T◇T)
  (^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*)
  (‐^▽^‐)
  (ーーA;; アセアセ
  (*^O^*)

  p(・∩・)q ガンバ!
  ゚ヽ(*´∀`)ノ゚
  ( ̄* ̄ )
  (ё_ё)キャハ
  m(__)m アリガトォ


まだまだありそうですが、これくらいにしておきます。こうして抜書きするより、文中で挿入されるとまことにリアリティーがあります。ただ、利用なさる方は、まだ少数派のようです。エッ!私ですか?残念ながら、とてもそんなセンスはありません…
写真は、文字ではなく『私の顔』です。不気味ですね!
うふふ・・・魔除けには使えそうですから、必要な方は打ち出してご利用ください


あかん
050811(金) dogfight
あかん
ネタ不足や
なんも思い浮かばん
休も〜


一緒に歩きたい
060812(土) dogfight
家内は、長い間膝を悪くしていて「歩く」ことを躊躇っていました。そんな膝も、5年掛けてよくなり、私と一緒に歩いても大丈夫と思える日がやって来ました。
ある日、家内が勤務を休むといった。
その日、私には特別約束もなく、まだ一緒に歩いたことのない『あまの街道』へ誘いました。ところが、家内は「ちょっとしんどいから休んでおく」と。そして家内が逝ったのは、次の日でした。
私は、家内のシグナルを受け止めることが出来なかった。一度でもいいから、一緒に歩きたかった。
   ・
   ・
あれから2年になろうとしています。

いま「一緒に歩きたい」と思う人がいます。あまの街道だけではなく、私のこれからの人生もともに。でも、難しいかな・・・
これから「守る会」の方々を案内して、あまの街道を歩きます。
次の世代に、この街道を伝えることが出来たらいいのに・・・ね

オフ会
060813(日) dogfight
小さなオフ会が続きます
8月21日は、川柳のかずえ師匠主催のオフ会に参加します。まだ内容を知らされていませんが、日中でもあり「甘党系オフ会?」かな

9月23日は、滋賀の銘蔵「金亀」さんでのジャズに行こうと思います。お相手は、いくつもの異名を持つクレラ嬢(というには些か・・・)。何せパワフルで、彼女によれば、私とは「前世の夫婦」だそうです。ただ、今世では契りは結ばず、オモロイ友達になっています。昨年も一緒に旅行をしましたが、部屋は別々で「なんもなし」です。
怖いのは今年ですね。何せ禁煙など出来るはずもないと思ったので「禁煙できたらキッスをする」約束をしてしまいました。それがなんと…で、キッスを迫られています。まあ「ほっぺ」で堪忍してもらおうと思います。

10月は、遠来の人とついに会えます!
さて、これがオフ会といえるのかどうか?私には恋人ですが、彼女からは「まだ」かな。
京都で会う予定ですが、時間は半日くらい。その後はアメリカへ帰ってしまいます。来年4月には、一緒に「あまの街道」を歩く約束をしています。その時は『私の手料理』で歓待しようと思います。山の仲間にも是非紹介したいので…
(自分では団子鼻といっていますが、私となら『美女と野獣です』)


鉄砲百合?
060814(月) dogfight
花の知識がなくて…よく分りません。
あまの街道の仲間には、草花の愛好者が多く、私は「羨ましい」と思いながら、手を出しかねています。私はどうも中途半端が苦手です(といっても、きわめて主観的ですが)。自分なりに、納得できるレベルになると「次へ」となります。この20年の、私の興味対象の推移を書けば(仕事上と趣味が混在しますが)
  福祉活動全般への興味⇒介護体験⇒老人福祉への興味⇒
  福祉の実態への参入⇒国の福祉政策と私の実務⇒野鳥への興味⇒
  自然への興味⇒あまの街道⇒樹木⇒あまの街道保護運動
こんな流れの中、大阪狭山の環境を守る会の皆様と、あまの街道保護保全に向けて「共闘」をしようと思い、060812に「あまの街道」をご案内しました。

スタート地点から歩き始め、終点に近づいたとき『白い百合』を見つけました。木陰の少し薄暗い中でなんとも清楚です!

10人以上を案内しながら、一瞬私の頭の中は独占されていた。

山百合かなと思ったけど、おしべの形が違う。私は、鉄砲百合かと思ったのですが、ある方から『高砂百合』というご指摘を頂きました。でも、綺麗やな〜
あまの街道には、笹百合が群生していました。薄いピンク色で、私が一番好きな百合でした。でも心ない人に全部持ち去られてしまいました。
先週は、僅か一株ですが鬼百合が咲いていました。だが、翌日消えていた(これも持ち去られたのだろう)。
切花では、カサブランカが巾を利かせている。ただ私は、ピアスを付けたような花は好きではない。

これが鉄砲百合だったら、
あはは・・・あの人にぴったりではないか!私に銃口を突きつけながらベソをかいている姿を思い浮かべてしまう。一番好きな花になりそうだ


一緒に歩きたい
060812(土) dogfight
家内は、長い間膝を悪くしていて「歩く」ことを躊躇っていました。そんな膝も、5年掛けてよくなり、私と一緒に歩いても大丈夫と思える日がやって来ました。
ある日、家内が勤務を休むといった。
その日、私には特別約束もなく、まだ一緒に歩いたことのない『あまの街道』へ誘いました。ところが、家内は「ちょっとしんどいから休んでおく」と。そして家内が逝ったのは、次の日でした。
私は、家内のシグナルを受け止めることが出来なかった。一度でもいいから、一緒に歩きたかった。
   ・
   ・
あれから2年になろうとしています。

いま「一緒に歩きたい」と思う人がいます。あまの街道だけではなく、私のこれからの人生もともに。でも、難しいかな・・・
これから「守る会」の方々を案内して、あまの街道を歩きます。
次の世代に、この街道を伝えることが出来たらいいのに・・・ね


日焼け
060819(土) dogfight
先日、不気味な私の写真を公開してしまった。
我が写真を見て、その色の黒いことに驚く。地黒の上に、こってり日焼けを重ね、もう人種が違うのではなかろうかと思うほど。

我が手を見て笑ってしまった。手の甲と手のひらの色がまるで違うのです。手を横から見ると、まるで国境線のように境目が分る。
かおりからも注意を受けています。この歳で、あまり日焼けはよくないそうな。といっても、UVカットの高品質の衣類など持ってはいない。これだけ外をうろつけば、嫌でも日焼けする。
ただ、冬になっても「黒いまま」うむ〜やはり地黒だな…
追記
ベルトをもう一度カットする必要が出てきた。
以前一度カットしたが、もっとも閉めてもまだルーズになる。こうしてウエストが締まっていくのは嬉しいのですが、ジーパンの買い替えも必要だし、どこか体の具合が悪くて「痩せるのでは」と、少し心配になることもある。私は、益々父に似てきている


迷える子羊
060820(日) dogfight
マイミクさんの日記に『人間、 女の賞味期限!』というものがあります。
本題にちゃんと「人間・女」と断っているのに、つい私は「技術者としての賞味期限」が浮かんでしまう。そこで、お題をお借りして、私の賞味期限を書いてみたいと思ったのですが…

実は、以前に「技術者としての賞味期限」に関しては書いています。
  分岐点(技術者としての賞味期限)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=136206502&owner_id=345665
http://homepage2.nifty.com/dogfight/nikki2006/n-0605.htm
私の場合、いくらローテクの世界の技術者といえども、そんなに技術者としての賞味期限が残っていると思わない。いまさら指導者への変身も無理だし、やがてこの職業と別れる日がくるのだろう。

では、技術者をリタイアした後の、まさに「人間としての賞味期限」を考えようとしたとき、実は何もビジョンを持っていない自分に気付き、愕然としている。
好奇心は…きっと死ぬまで旺盛だろう。趣味もないわけではない。むしろ金の掛からぬ老後の趣味なら、多いほうかもしれない。
では、それは「人間としての賞味期限」に置き換えることが出来るのか?自問自答してみると、とんと分らぬ。結局私は、人間としての賞味期限に答えを出せないでいる。
この年になって「迷える子羊(石が飛んできそうだ)」とは…なんとも情けない


ボロボロ
060821(月) dogfight
お盆に、仏壇にお供えした乾菓子。私の好きな落雁なのですが、自分の歯を考えると、食べるには相当の勇気が必要です。何せ、硬いのです!
40歳になった頃から歯槽膿漏が酷く、友人の歯科医が随分頑張ってくれたのですが、ボロボロと抜けていきます。いまも、上下各1本がぐらぐらで、物を噛めば痛みます。

  今日の昼に、かずえ師匠のオフ会に参加します。

18:00に抜歯(2本とも)の予約をしています。
その後、部分入れ歯の作り換えとなります。なんとも「オジン」な話しですね。
 (アカン・・・またふられそうや)


友達は名医
060821(月) dogfight
予約時間18:00ピッタリに麻酔に入りました。
普段の深酒のお陰で、私は麻酔の効きがよくありません。まあ、注射針の痛いこと。そのくせ抜歯は、ペンチを持ってきて、グラグラになっていた歯を掴むなり「ベキッ」で終わり。こんなんやったら麻酔、いらへん。

たいした出血もありません。
それでも止血消毒を済ませ、抜いた後の入れ歯作り。いままで使っていた部分入れ歯に継ぎ足す形で、樹脂で歯茎を作り…まあ器用なもんです。19:00には、部分入れ歯も完成していました。

治療費は「お友達価格」
更には、家まで車で送ってもらいました。勿論、久々の邂逅で話は尽きませんでした。

家へ着く頃は、お腹はペコペコ
どんな時も私の食欲は落ちません。でも今日は酒は慎み、ソーメンを湯がいて食べました。うむ〜呑みたいけど・・・やめとこ
追記
今日抜いたのは上の1本だけ
下の歯は、来週月曜日に抜きます。その後ブリッジを組み、彼女に出会う頃は歯が揃っています。


皮下脂肪
060823(水) dogfight
腹の皮下脂肪を摘んでみる。
一番厚い部分でも2cmはない。80kg近くあった頃と比べれば、さて何分の一であろうか?

「歩く」だけの芸で、格別ダイエットをしたわけではない。4年間で、ウエストサイズが15cm以上減ったが、皮膚の縮みは脂肪の減少に追いつけない。筋トレをしているわけではないので、スリムになった割には「腹の皺」が気になる。まあ、見せる相手もいないので、問題はないのだが「どうせなら張のある肌に戻りたい」とも思う。
うふふ・・・何もかも上手くいくわけではないというお話しです。


駄々っ子
060824(木) dogfight
私は、駄々っ子がそのまま大人になったようなところがある。
何かの間違いで、こんな私を「好き」になる人には、途轍もなく大きな包容力がいる。そうでなければ、私は3日で捨てられる。
いま、私は「おバカ」をやってはゲンコツをもらい、優しくハグしてもらっている。羊水で遊ぶ胎児の心とはこんなもんではないと幸せを感じている。


五冊目
060825(金) dogfight
先月から「本が手につかない」状態が1ヶ月が続いた。
時間がなかったわけではない、心が呆けていたのです。

家内が突然亡くなって、私は1年近く社会への関心を失った。新聞は読まず、テレビも見なかった。日記は「妻への手紙」で埋め尽くされた。
そんな中で、唯一「日常」が続いたのが読書でした。あの時、私の精神の均衡を保ってくれたの、主治医のカウンセリングと睡眠薬それに読書であったと思う。

今度は・・・こんな経験は初めてです。
家内の死後、失うものばかりでしたが、読書の壊失と引き換えに、私は大切なものを手に入れた。10日ほど前から読書習慣が戻り、ようやく「今月の5冊目」を手にしている。いま私は、大切なものを抱いたまま「日常」へ戻ろうとしている…


予感
060826(土) dogfight
野鳥に興味を持ったのは、家内が亡くなる2年前。それがアウトドア趣味への始まりであった。
それは、偶然などではなかった…といまは思っている。
私は無宗教であるが、神の存在は信じる。そして運命論者でもある。神は、家内の突然死に備え、私に『次』を与えてくれたのだと思う。もし、あの時、アウトドアの趣味がなければ、家内の後を追っていたと思う。

野鳥が「あまの街道」へと繋がった。
あの時、私は予感に襲われたことを鮮明に覚えている。それは「いつかここの保存へ立ち上がるときが来そうだ」と。
 仲間が増えた
 興味も知識も増えた
そして、1年前から「体力」をつけるようになった。我ながらスリムになってきたと思う。これも「この日」のためであったのか。神とは何と用意周到であろう。更には私に「生甲斐」まで、セットしていた
これから、あまの街道のオフ会へ行きます


NPO
060828(月) dogfight
NPOとは 継続的、自発的に社会貢献活動を行う、営利を目的としない団体の総称です。
http://www.npo-homepage.go.jp/index.html#shinsei_list

共闘をしている「よくする会」の同意を得て動くつもりですが「政治色のない組織」が必要だと感じています。自然保護運動なのだから、母体の政治色など関係ないだろうと思うのですが、政治色だけで毛嫌いする人を無視することもできません。
例えば「仮称・あまの街道を守る会」と行った無色の自然保護団体を作るには、NPOが一番かなと思う。
ただ、NPOを立ち上げた経験を持つ友人によれば、厚さ5cmほどの書類がいるそうです。普通は司法書士さんに頼むことが多いそうですが、仲間の協力を得て(発起人だけで10名必要)自力でやってみようと思います。上手くいっても半年ほど掛かる申請になりますが、NPO「あまの街道を守る会」これが出来た場合のメリットをあげてみる
 ・オフィシャルな「交渉団体」になる(行政や工事関係者との交渉母体)
 ・NPO名でホームページができ、広報もできる
 ・NPO名で、協賛会員を募る
 ・あまの街道を「観光資源」として利用する企業は多い。企業会員は運動資金源になる
  (運動資金集めは一歩間違えれば「脅迫」ととられかねない)
 ・NPO名で、自然保護にそっぽを向く行政を訴訟もできる
  (世間の耳目を集めることが目的。これで乱開発非難の声があるなら大成功)
こんなことを考えている


ジジババが行く
060829(火) dogfight
これは空想のお話しです

 201X年10月。
10年の恋ごろを持ち続けたジジババは、念願かなって「古都で会う」こととなった。還暦はとうに過ぎた二人だが、心に燃える火は、少年と少女のものであった。

 その日、古都の新幹線ホーム
ジジは「普段の自分を見て欲しい」そんな気持ちで、山から下りてきたままの服装であった。少しくたびれたジーパンにスニーカー。赤銅色の肌、洗いざらしの白のTシャツ。頭には「ハゲ隠し」のタオルを巻いていた。
ババにも思い入れがあった。青春の熱き心を見て欲しいと願った。パンクルックにヘッドホン。そこにはBryan Adamsの『死ぬまで18(歳)』が流れていた。

 ホームで、互いを見つけた二人
感動の抱擁と熱い口付けを交わそうと決めていた。だが…二人は、互いを指差し「笑いこけて」しまったのだ。かくて、感動の出会いは珍道中の始まりとなった。

 古都の辻角
ジジババは抱擁しキッスを重ねた。そうしなければ「この喜び」を表す術を知らなかった。
でも、その度にパトカーが現れ、救急車が到着した。警察官に、あるいは救急隊員に、ババがまくし立てた。如何に自分たちが「愛し合っている」のかと!ジジは、目を細めてその風景を喜んだ(本当は、ハナから目が細いのだ)

 日が暮れて
ジジババに別れのときがやってきた。
再開の約束?それは、ジジババの心に仕舞っておいてやろう・・・
いえることはこの思い出を「一生大切にする」ってことだ


皇位継承権
060830(水) dogfight
秋篠宮妃殿下のご出産がカウントダウンに入っている。
男女何れのご出産でも「皇室典範改正」は必至であろう。皇位継承権の見直しをしなければ、皇室の維持が困難になるからです。

女子出産なら「女系天皇」への道を開く意見が高まろうし、男子出産なら「皇位継承権の拡大」の声があがる。私は『男系天皇の維持』を願うものですが、民主主義の時代では、これを女性蔑視と受取る向きもあろう。
我国には、女性天皇は存在したが女系はない。それが『万世一系』の伝統を作っている。
私の歴史観でいえば、天皇家は特別な存在であり、世間の価値基準で判断してはいけないと思っている。ただ、これを「ケシカラン」という人も多かろう…


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