dogfight高松の長すぎるひとり言
2005年5月
エッセイ&コラム
今年のプロ野球出来事からGWの旅から帰る熟年離婚整形美人ああ〜デジカメ豆腐と牛乳妻との再会守るべきもの母校の思い出1「長髪許可運動」母校の思い出2「アジテーター」母校の思い出3「恋」母校の思い出4「先生」長髪運動余話「ケアハウス四方山話」に備えてケアハウス四方山話1ケアハウス四方山話2ケアハウス四方山話3靖国カード一気読み何でだろう?ケアハウス四方山話4酒蔵コンサートダイエット死眠い


今年のプロ野球
050501(日) dogfight
今年のプロ野球も1ヶ月経過しました。
昨年の騒動も何の薬にもならなかったようで「大山鳴動ねずみもおらず」といった感があります。結局、何ら改革はなく、漁夫の利を得たのは『ソフトバンク』だけだったようです。
一方、逆に割を引いたのは『楽天』で、予想されたこととはいえ苦戦続きです。個々の戦力の合計が非力な楽天は負け続け、個々の戦力の合計ならダントツの『巨人』も低迷している。どうやら、足し算も戦いには反映されないらしい。
まだ始まったはかりではあるが、阪神巨人のようなスター選手のいない『中日』が、順調に勝ち進んでいつの間にかトップに立っている。
癪ではあるが「監督の差」であろうか?私は、中日ファンであるが、どうも落合監督が好きになれない。でもきっと「勝てば官軍」なのであろう…


出来事から
050502(月) dogfight
家内をなくして世間への関心をなくしていた私ですが、少しずつ戻ってきました。そんな中から…

その1
先月の、JR西日本・東西線(福知山線)尼崎付近の脱線事故は、様々な安全装置が進歩した現在では「信じがたい事故」でした。現地で死亡確認されたのは106人でしたが、病院での志望者を含めると107名になりました(今後も増えるかもしれません)。重軽傷者は450人を超し、さらには「倒壊の危険性もあるマンション」を含めてれば、膨大な被害者です。
原因は究明中で分かりませんが「置石説」は否定されました。スピードの出しすぎを主因とした、まだ解明されていない要因があるのだろう。

そんな中で「線路脇の建物はこういう事態を想定して設計するべきだ」とコメントした人が居た。建築屋として言おう。そのリクエストがあれば受けることはできるが、酷く高いコストにつくだろう!その覚悟はして欲しいものだ。
可能性だけで「全て防御」すればそのコストは気が遠くなるほど掛かる。
我国の津波の記録は「高さ200m」に達する。そんな津波に対処するビルを作るには、国家予算が無限にあっても覚束ない。無責任は発言は慎むべきであろう…

その2
FIFAから、北朝鮮に対し裁定が下った。北朝鮮主催の「北朝鮮−日本」戦は
 ・FIFAが指定する第3国で行う
 ・無観客で行う
と言うものです。まだ北朝鮮の「異議申し立て」があり、決定ではありませんが、異例な出来事に違いない。ようは「文明国ではない」という判断に違いない。

その3
アメリカの国会議員が「北京五輪はボイコットすべき」と発言したそうな。勿論イレギュラーな意見で、体勢ではない。ただ、今後の中国の態度遺憾では「たわごと」ですまなくなるだろう。ここでも「中国は文明国か」を問われている。
追記
ADSLが引けるまで1ヶ月掛かりました。文明国も不自由なもんだ!
本日開通するのですが、私は旅の空です。このページを公開できるのはGW後だろうな…


GWの旅から帰る
050505(木) こどもの日
GWの旅行を無事済ませました。
結果から見れば、幸運と善意で無事に達成できた「旅」でした。それだけに多くの方との出会いが印象的で、きっと、ガリバー君もビックリの貧乏旅行を楽しく過ごしてきました。内容は改めてご報告します。


熟年離婚
050506(金) dogfight
身近なところで「熟年離婚」が起きようとしている。妻を亡くした私には「何ともったいない」としか思えない。
結婚37年で「死別」した私ですが、永く家を省みない生活があり、神が私達を分かつ1年数ヶ月前に「お父さん、やっと私のところへ帰ってきたね」と迎え入れられました。それからは「2度目の新婚生活」でした。現実は厳しく、ニートの息子に苦しめられましたが、私達は「二人だけの楽しい老後」を夢見ていました。5年後には、ローンの済んだ家とささやかな年金(主に国民年金)で「夫婦二人」なら慎ましやかに暮らせるはずでした。

早く結婚した私が言うのもおかしいが、結婚を急ぐ必要はない。ただ、50歳を超えて「生涯の伴侶」がいないのは寂しいのではなかろうか?「老後」こそ、心寄せ合い、仲むつましく生きるときであろう。それが夢と消えた私には、自らの意思で夫婦を壊すことが理解できない。当人には譲れない理由があるのだろうが、やっぱり「もったいない」と思う私です。


整形美人
050507(土) dogfight
私の顔も、直せば多少は見やすくなるのかもしれませんが、親からもらったままに大切にしています。だからと言って他人の整形を批判はしません。美しくなるなら、それで良いと思っています。

建築の世界でも、土地に対して「別嬪」と言う用語が使われます。
意味はご想像頂けると思いますが「使いやすい地形」のことです。でも、恵まれた地形ばかりではありませんから、工夫を凝らして少しでも美人に近づけます。だから、計画業務は「美人を作るための整形作業」といえるでしょう。
それでも、土台(元)が美しいほど整形がしやすいのは事実です。もう1年以上計画が続いている物件があるのですが、元がどうしようもなく不細工なため、商談成立までなかなか漕ぎつけません。このように、建築の世界でも「美人が求められる」ことに代わりありません。

うむ〜私もハンサムに生まれていたら少しは違った人生になったかもしれませんね!


ああ〜デジカメ
050508(日) dogfight
デジカメ技術の日進月歩に驚いてしまう。
先日、神戸の岡本さんを「あまの街道」へご案内したのですが、その時「手のひらにすっぽり収まるデジカメ(IXY)」を持っていらっしゃいました。厚さも15mmと薄く、驚くほど小型です。それでいて、何と700万画素というからビックリです。
私のカメラは初代のFZ-1(パナソニック)で、今ではすっかり時代遅れの200万画素です。メディアカードも1GBの時代だそうで、僅か2年半で私は浦島太郎です。

700万画素の写真は「やはり綺麗ですね」とのこと。羨ましくはありますが、FZ-1の小ささ(420mmレンズ)は捨てがたいものがあります。貧乏していることだし、まだまだこれで満足することにします。


豆腐と牛乳
050509(月) dogfight
ちょっと所帯じみたお話しを…
かつては値段を見て買物などしたことはなかった私ですが、家内が突然逝き、家計も私に回ってくるとそうも行かなくなりました。弊店間際のスーパーで買う、5割引の「干からびたお造り」は寂しいですね!
費用対効果は世の常ですが、少々値が高くても「普通のものを買おう」と思うようになった商品に「豆腐と牛乳」があります。
小世帯用に小さくパックされた豆腐があります。便利ではあるのですが、先日も「3パック100円」と言う豆腐を買いました。ネギを薬味に、ショウガ醤油でいただいたのですが、醤油以外の味がしませんでした。結局2パックは捨ててしまいました。

牛乳にも同じような話しがあります。
---ダイエット商品の「無脂肪牛乳」や「低脂肪牛乳」---うむ〜これは何だ!ようは、チーズやアイスクリームのために乳脂肪を取り去った「カス」ではないのか。「味もしゃしゃ気もない」とはこのことであろう。かといって「特濃」が美味いわけではない。やはり「成分無調整」が一番美味い。倍の値段がしても「僅かな差」でしかない。これくらいなら貧乏な私でも耐えられるであろう…


妻との再会
050510(火) dogfight
今夜の食事はなんにしようか…そんなことを考えながら歩いていたら、
  「お父さん」
と声をかけられた。僕は「目が点」になりました!
何度見てもお母さんです。それも、結婚した当初の若いマンマです!
「何で?」
なんとも間の抜けた質問です。
  「だってお父さんはいつも『お母さん帰ってきてよ』って呼んでるじゃない」
だから出てきたという。
「だけど、お母さんだけ若いマンマなんて!」
  「ずっと私が年上だったけど、今度は私のほうが若いからね」
家内が、笑顔でイタズラっぽく僕を見つめる

もう一度家内を見つめたら、スーパーの前に着いていました。ちょっと涙です…


守るべきもの
050511(水) dogfight
5月に入ってまだ1冊しか本を読んでいない。今の私には「守るべきもの」がなく「生きる目標」を失って、どこか無気力な自分に気付く。

妻を亡くし、家庭は崩壊、家まで捨てた上「自己破産」も視野に入れざるを得ない私には「守るべきもの」が何もない。その時ふと思った。---ニートの息子に「守るべきもの」はあったのであろうか?---と。夢を持ち、目標定め、努力の末に手に入れる。「守るべきもの」とはそういうものであろう。「寄生することこそ楽な生活」としてきた次男に「生甲斐」がある筈がない、思えば可哀相な人生だ。

人事ではない。
私も夢を持たねばならぬ、そしてできるだけ早く「守るべきもの」を持ちたいと思う。それが何か?それから探そう…


母校の思い出1「長髪許可運動」
050513(金) dogfight
Aさんからメールを頂きました。
Aさんは、母校の3期後輩(科は違います)に当たるそうです。母校との音信の途絶えた私には、ふるさとの話は何とも懐かしく、古い話からページに纏めてみようと思い立ちました(ネタに苦しんでいたので…)。
高校3年のある日、始業ベルの後に「臨時の全校集会」がある旨の放送があり、校庭へ集合しました。
校庭では、私の名前が呼ばれ「壇上に上がるよう」指示されました。何のことか分らなかったのですが、そこで初めて目的を知らされました。
それは、代々先輩から引き継がれ「くすぶり続けてきた長髪問題」の討論を、全校生徒・全先生の見守る中で「校長先生と二人で討論する」というものでした。勿論、事前に何も知らされておらず、また自然発生的な運動で、誰がリーダーと決まっていたわけではありません。

全員が見守る中で討論するという、これは大変フェアなことです。
昭和39年(1964年)当時の時代風景から言えば「生意気な生徒」として切り捨てられる方が一般的でした。なのに「公開討論」とした先生方の開明さに、私が大人になってから感心させられました。

一方いまだに謎もあります。
私は生徒会の委員でもなんでもなく、むしろ「生徒会の方針に批判的」な一匹狼(仲間を募り徒党を組んで行動するタイプではない)でした。校長先生とタイマンで討論するなら、生徒会長のA(今も親交のある友人)が常識的なのに「何故だ?」という疑問が未だに解けません。ホンマ!何でヤロ?

想像できることは、私は「生活指導の先生と仲が良かった」ことです。
生徒会長のAは規則を守ることに忠実で、真面目が服を着ているような男でした。一方私は「規則が合わないなら変えればよい」という考えで、通学も私服で通う問題児でした。校門チェックで何度もひっかる常習犯で、これだけでも「停学」になってもおかしくなかったのですが「早く着替えろ」と注意されるだけでした。
あるとき、生活指導の先生から意見を聞かれました。それは、生徒会が「早弁禁止」の強化方針を打ち出したときのことです。校則は「早弁禁止」でしたが、あまり守られていませんでした。そこで、禁止強化をするべきかどうか?相談されたのです。
私自身、文科系最大クラブのキャップをしており、朝の部活参加のために6:05の電車で通学していました。こんな状態で昼まで腹が持つわけありません。「早弁禁止強化は拷問だ」と先生に意見を述べました。
生活指導の先生の多くは「体育会系のクラブ顧問」をしており、その辺の事情は私より詳しい筈です。だからこそ私に意見を尋ねた(確認した)のだろうと思います。結局、この案件は生活指導の先生により潰されました。

長髪を巡る討論に私を押したのは、おそらく生活指導の先生ではなかったかと想像しています。生徒会長の意見は正論ではあるが、生徒の本音を代弁したものとは思えなかったのでしょう。
討論での私の言い分は「髪型は本人の自由意志によるべきだ」というものでした。1週間後、校長先生の下した結論は
 ・髪型は自由とする
 ・但し、学生の本分を逸脱しないように
というもので、分りやすく言えば「自己責任」だと思います。
昭和39年当初、坊主頭が当たり前のときに「画期的な校則変更」でした。ただ、私は自由意志に基づいて「卒業まで坊主頭」でした。


母校の思い出2「アジテーター」
050514(土) dogfight
高校時代の私は真面目ではなかったが不良でもありませんでした。ただ、他人から見た評価は分りません。
高校野球の予選が始まると、応援に借り出されます。それも番長グループの護衛付きで!理由は私の声にありました。声量もあり、よく通る声のため、ハンドスピーカー等ない当時、広い球場の対角線距離を「地声で野次る」ことが出来るのは私くらいでした。私は言われた通り叫んでいるに過ぎないのですが、野次られた方からは「目の敵」にされます。それで護衛付きとなりました。
社会へ出て、後に文化勲章を授章なさった高名な先生のグリーに応募しました。声楽テストもあり「狭き門を突破」したところを見ると、まんざら私の自惚れだけではないようです。但し、今は「入れ歯だらけ」で、さっぱりです。

後年、ライオンズクラブに所属していた頃、オウム真理教の犯罪が話題となりました。
そこで「クラブでも新興宗教を作ろう」という悪ふざけがあり、誰を教祖にするか投票がありました。その結果は私で、理由は「カリスマ性がある」というものでした。決して目立ちたがり屋では無いのですが「存在感がある」といわれます。前日に書いた討論に私が選ばれた理由に、少しかかわるかもしれません。

高校入学当初は部員4名で「廃部寸前」のクラブでしたが、私がキャップを勤めた時期には「部員40名」という文化系最大のクラブになっていました。部費の分捕りも大きいわけで、ここでも生徒会からは良い印象をもたれませんでした。そのくせ、当時の生徒会長と未だに親交があり、酒を飲むと「俺の方が頭が良かった」と自慢します。確かに彼は学年トップで、私はついに抜くことは出来ませんでした。ただ、それ以外は私の方が「格好良かった」と思います。

カリスマ性は「?」ですが、アジテータとしては自信があります。相手にその気がなくても「何時の間にかノセてしまう」ところがあり、特に「予算のないイベント」をやらせたら天下一品の企画力を誇ります。今やライオンズクラブ時代の数々のイベントが「神話」になっていると聞くと、痛快になります。


母校の思い出3「恋
050515(日) dogfight
私が童貞をささげたのは、亡き妻です。その意味では晩生なのですが「素適な恋」は高校時代にしました(完全なプラトニックラブでした)。
高校2年になったとき、母校始まって以来の女生徒の入学がありました。高3のとき、その女性と恋に落ちたのです。ただ、僅か半年ばかりの恋で、私が大阪に出て恋は終わりました。後で思えばそのときが人生の絶頂期?でした。

高3の時、もう一つの「始めて」がありました。それは母校始まって以来、初の女性教師(美術担当)着任(新任)です。校内は色めきたち、随分強引に口説きに走った生徒もいたようでした。
今ではもう「何がきっかけだったのか?」サッパリ覚えていませんが、その先生から毎日メッセージが届くようになりました。何度かデートはしたのですが「これはヤバイ」と思うようになり、恋人がいる旨を説明して交際を辞退しました。私は真面目な生徒?でしたが「危ない雰囲気」を醸していたのかもしれません。

母校では3年に一度「学校際」が開かれました(今はどうなんだろうか?)。
私の場合、高校2年のときがそうでした。整列して来訪者を待ち、順番で校内をガイドして回ります。私に順番が回ったのは、後に某高校で「マドンナ」と呼ばれた美人でした。
1年が経ち、体育祭のときのことです。私の名前が呼ばれ大会本部へ出向きました。そこに待っていたのは「1年前に案内したあの女性」でした(ガイドにはネームプレートを胸につけていたので、私の名前を覚えていたそうです)。交際を申し込まれたのですが、やはり恋人がいますからと辞退しました。今では「ハゲ・チビ・デブ」でサッパリですが、こんな季節もあったのです。アハハ・・・
追記
社会へ出て、直ぐに女房と知り合い20歳で結婚。余所見はありましたが、結局は家内のもとへ帰りました。人生最良の出会いは今でも「家内だった」と思っています。


母校の思い出4「先生」
050516(月) dogfight
幸い落第をしなかったので、3年間で卒業しました。
私は人名を覚えるのが苦手で、お名前はあやふやですが、思い出に残る先生をご紹介したいと思います。なお、先生方は既にリタイアなさっていると存じますので「実名」でお話したいと思います。
  神取先生---建築専門課程と代数
私は、高1で代数と「建築計画」を教わりました。あるときの試験は「公共施設の動線計画(人が動く)について」論文形式で答えるものでした。
私は、駅を例にとり「群集心理を考慮して動線計画をすべし」と記述しました。この回答に対し、先生は「動線計画を求めたのであって、心理学は関係ない」と、クラス全員の前で叱責されました。
ところが、1ヶ月ほどたった頃でしょうか、先生は学会の研修から帰り、クラス全員の前で私に頭を下げて謝ったのです。
学会での論文で「公共施設では群集心理を考慮すべき」という研究発表があったそうです。何と正直な先生でしょうか!黙っていれば分からないのに…このことがあって以来、私の尊敬する先生となりました。
  お名前が思い出せません---古文の先生でした
大変威厳があり、世の中に「面白いことなどある筈がない」と言う雰囲気の謹厳実直な先生でした。そんな先生が、授業中に
  世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
と原典を紹介した上「こんな替え歌もある」とご紹介くださいました。
  世の中に 絶えて女の なかりせば 男の心は のどけからまし
先生のイメージと、余りのギャップに教室内は爆笑となりました。この一事だけで大変印象に残る先生です。
  塚本(塚口?)先生---社会と幾何
何しろ「面白い先生」でした。生徒の誰もが楽しみにした授業だったと思います。独特の語り口調が妙に説得力があり、聞き惚れる授業です。あるときの授業で、
  米から酒を得るにはどうすればよいのか?と言う質問に、誰もが「醸造過程」の答えを期待したのですが、何と!意表をつく
  「米を売って酒を買え」と言う回答でした。大爆笑は言うまでもありませんでした!
  及部先生---建築専門課程と数学
高2のとき、新任教師として着任。まずはハッタリをかますつもりであろうか、黒板に二元二次方程式を出題し、生徒があんぐりしているのを確かめて、ようやく解きだしました。黒板いっぱいを使う難問でしたが…
私はノートも取らず(実はノートを持つことはなかった)に眺めていたら、黒板の2/3ほどを使ったところで、間違いが起きました。「先生、そこは間違いです」と指摘してしまいました。私は生意気な生徒でした。でもおかしなもので、それからすっかり先生と仲良くなりました。

ある時、授業中に私のとなりに座り、先生は話しはじめました。なんと!私が職員会議にかかり「停学処分の検討中」だという。その理由は、私の初恋が「不純異性行為」に当るそうな。それに対し、生活指導の先生が必死になって擁護してくれているが「覚悟だけはしておけ」と言うものでした。結果は停学にはならずに済んだのですが、先生にはお世話になりました。もし、お会いできるものなら是非お会いしたい先生です(もし停学になっていたら、就職内定取り消しであっただろう)。
  播先生---体育・生活指導
体罰至上主義の怖い先生でした。前任校(女子高)で生徒を孕ませ、左遷されたて来た先生です。ただ、先生はその生徒と結婚し、大変幸せそうでした。孕ませて逃げたわけではなく、私は別に不潔には感じませんでした。
  河合先生---体育・生活指導
最も仲の良かった先生です。私の在校中に結婚なさり「新婚の家」をどのように造ればよいのか?相談に乗れと押しかけられたりしました。わたしが停学を免れた大きなキーマン先生だと思います。是非、お会いしたいものです。
  O先生---物理・化学
余り愉快ではないことで印象に残る先生です。母校は「電気・機械・繊維・建築・土木」の5科がありましたが、建築・土木は「一ランク下」に見られていました。O先生はそんな偏見をモロに出すお一人でした。
あるときの物理のテストで「地上30mから深さ10mの井戸に小石を自由落下した場合、地上にいる人は何秒後に水音を聞くでしょうか?」と言う問題が出ました。全校で、ホンの数名しか正解がなかそうで「建築には正解者はおらん」と、侮辱したのです。私は腹が立ち「正解の答案用紙」を突きつけました。やっぱり私は生意気な生徒だったのでしょう!


長髪運動余話
050517(火) dogfight
母校の思い出を書くきっかけとなったAさんから、下記のような貴重な資料を送っていただきました。
これは、昭和49年(1974年)に、母校の30周年記念として出版された冊子からの抜粋だそうです。
●「生活指導部の思い出」(一部分/筆者はM先生)
 
           「長髪の問題」

 裾刈の指導時代というのが早くからありましたが、この時分のことまで考慮に入れると、その歴史はずいぶん古いことになります。だいたい隣の時習館高校では、前々から長髪を認めていたし、東高校でも3年生の3学期には、黙認のかたちを探っていたようです。その他の東三(dogfight注:東三河の意味)の10数校は、公私立を問わず、認めていませんでしたのでどこの学校でも手を焼いていました。
 工業(dogfight注:母校のこと)もご多聞に漏れず、その指導には困難をきわめました。職員の大多数は、学校の沿革やその性格からして、円坊主こそ工業高校生本来の姿だと思っていたように思われます。卒業生が就職しても、学校に聞こえて来る賛辞として純真で地道なことが、高い評価となっていました。短髪で入社するその第一印象が担当に作用していたことは明白です。私はその当時、また別の観点もあって、とにかく短髪をできるだけ維持していきたいと願っていました。学習に無気力で雷同性が強く、乱れがちな生活態度をコントロールする、いわば、柱のように思われたのです。別の角度からいえば、長髪を許可した場合のおまけが心配されたのです。無帽が増え服装が乱れ、喫茶店にも容易に出入りし、そして、喫煙も気楽に行う事態の到来することが、頭痛の種だったのです。
 上級生の熱望もだし難く、暫定的に3年の3学期だけ裾狩を許容するようになってから一年有余は、長髪問題が加速度的に燃え上がって来ました。生徒全体の希望の実態をつかもうとしてホームルームの議題にすると、長髪希望は上級生に多いが、かきゅうせいは短髪でよいとするものが多数を占めると言う状況でした。生徒会が、アンケートを採り希望者の実数を提示したりもしましたが、未だ決定的に長髪を認める段階ではなかったとうです。この間、父兄や同窓会の方々にも折を見て、ご意見をといあわせましたが、どうも長髪には肯定的ではありませんでした。そのうち、思わぬ付録があらわれてきました。
上級生が、下級生のホームルームに行って長髪を呼びかけているという声を耳したり、また、短髪を是とする生徒の中からも長髪禁止という規則があって、それにしばられること自体が嫌だ、とする意見が出たりなどしました。
 もっとも、長髪を非とする場合も、そのことのみからいえばたいした根拠はないし、また、逆に是非長髪にしたいと言う側にも、それほど立派な理論があるわけではありませんでした。だが、いったんこんなことで学校全体が沸きかえって、学校本来の姿をみうしなってよいものだろうか、という反省も次第に強くなって来ました。そして更に、時代の流れはいつか長髪など問題外とする時期も来るだろう、と言う見通しもあって、39年に長髪の禁止を解きました。そうなるとその解き方が問題で、決して無条件というわけにはまいりません。既に伸ばしかけたものは、一種のフライングであることから、原点に戻って短く切ること。解除は、短髪不可ではないことを確認すること。そうしてまた、この解除が行動面の乱れを誘発しないよう、各人一層自重することなどが、条件とされました。

母校の思い出1「長髪許可問題」で取上げた内容を「学校側から見た」らこのようになるのかと、面白く読みました。ただ、本人の意思とは関係なく「生徒側の当事者」にされた私には、反論したいこともたくさんあります。

文中に「上級生が、下級生のホームルームに行って長髪を呼びかけている」といった記述がありますが、これは全く心あたりがない。私は、40名の部員を率いるキャップであったが、クラブ内で長髪問題を語ったことすらない。まして、人を集めて圧力団体となす様な発想は全く持ち合わせていなかった。

また本文に「暫定的に3年の3学期だけ裾狩を許容するようになってから一年有余は、長髪問題が加速度的に燃え上がって来ました」とあるが、私の在学中はありませんでした。
長髪許可運動は、毎年夏休みを過ぎると3年生の間で自然発生する問題であって、組織的活動も、後輩への引継ぎもないものでした。
当時、夏休み前に3年生は就職先を決めました。「普通の髪型で社会人になりたい」と言う気持ちが湧いても不思議ではありません。そのため、夏休み中に毛を伸ばす生徒が多かったのです。その一部は、夏休みが終わっても「強行突破」を目指し、学校側とひと悶着を起こすといったパターンでした。当然、下級生になるとそんな必要はなく、長髪願望は希薄であったと思われます。しかし、現実に「長髪許可」となったとき、私のように坊主頭で通したのは珍しい存在でした。言わば「本音は?」は怪しい限りです。

私のように「髪型は自由意志によるべき」と言う自由論は全くの少数派であったと思います。
一方「坊主頭は学生らしい」と言う精神論は、建前では多かったのですが、彼らが長髪許可後は一斉に髪を伸ばしたことでも分かるように「学校側へのおもねり」であったと思います。今の感覚では理解しがたいと思いますが、何せ校則が厳しすぎました。
 ・男女交際は「不純異性行為」とみなされ停学の対象
 ・喫茶店を利用すれば即刻「停学」
こんなバカがまかり通っていたのです。更に、停学は「就職内定取消し」の理由になり、学校側に睨まれるのは「結構なハンディー」であったわけです。

私の場合、恋人はいたし、喫茶店利用は頻繁でした。現に手入れで捕まったこともあり、私だけが停学にならなかったことで、生徒間で随分非難されました。ただし、私は如何なる嘆願もしていないし、圧力など掛けようもなかった。
更に「私服での通学」など、本文で先生が危惧していたことは全部こなしており、もしまともに校則が私に適用されていたら、停学どころか退学になっていたであろう。私は無傷で卒業したが、いまでも「不思議」で仕方ない。
追記1
たかが長髪問題ですら、両者から見れば、これだけ違います。だから「国際間に歴史の共通認識」など待ちようがないであろうに…
追記2
昨日、母校の先生の思い出を書きましたが、播・河合両先生が既に他界なさっているとメールを頂きました。何と早いことだ!ご冥福をお祈りして「合掌」


「ケアハウス四方山話」に備えて
050521(土) dogfight
老人福祉施設は多くのカテゴリーに分かれています。更に、我国では「医療系施設」があり、二本立てとなっています。このことは案外知られていないのではないか?
 ・医療法人⇒⇒病院(病床群)・老人保健施設(老健)・デイケア
 ・社会福祉法人⇒⇒特別擁護老人ホーム・グループホーム・ケアハウス・デイサービス
この他、全く補助金を伴わない民間施設の「有料老人ホーム」や老人マンションなどがあります。
機会があれば「有料老人ホーム」も取上げたいと思いますが、ここではまず医療系・福祉系の「老人施設」について触れたい。なお、詳しくは拙著「激動の老人福祉施設」を参照されたい。
http://www12.ocn.ne.jp/~m.a.c/rouzinhukusi/framepage2-fukusi-0.htm

いま、医療系・福祉系の「老人施設」の垣根が急速に壊れようとしています。
旧厚生省が、医療系・福祉系を別々に縦割りで管理した名残ですが、先進国で医療と福祉を個別に扱う先進国は我国くらいであろう。その意味で「改善」の方向に向かっている。おそらく数年のうちに、この垣根はなくなるのではなかろうか。
一方で、福祉の世界も「ホテルコスト」と言う名の『自己負担』が求められるようになってきました。
一応「年金受給額内」と言う目安になっているが、現実には月額15〜20万円程度必要で、今後「福祉難民」の発生が予想されます。

ただ、内容は確実に良くなってきています。ホテルコストの負担はあるが
 ・オール個室化
 ・ユニットケア(概ね10人単位)
と改善され、大部屋で「マグロ」のように扱われることは今後減っていくであろう。
反面、困ったこともおきている。垣根が無くなってきたのは医療系・福祉系だけではなく、カテゴリーの垣根がなくなってきて同じ内容を求められるようになってきました。その典型的な例が「ケアハウス」です。

では次回から順次「ケアハウス四方山話」で触れていこうと思います。お楽しみに…

ケアハウス四方山話1
050522(日) dogfight
「ケアなしケアハウス」と悪口を言われたケアハウス。実はこれこそ「ケアハウスの値打ち」でした。
数ある老人福祉施設の中で「健常者が唯一利用できる施設」でした。過去形で言うのは、福祉施設の垣根が壊れていく過程で、法改正によりケアハウスにも「特定施設」の認定を義務付けたからです。特定施設と言うのは「介護を必要とする人の受入能力を有する施設」と言う意味です。つまり、ケアなしケアハウスに「ケアを義務付け」する改正でした。

これだけ読めば「良いことではないか」と思われますが、ケアハウスには「お年寄りの自立支援」と言う素晴らしい役目がありました。歳を取れば、相応の「機能低下」がありますが、それで「障害者」になるわけではありません。若い頃は5分で歩けた距離を10分かけても良いわけです。「杖があれば歩ける」なら、車椅子の乗せる必要はありません。杖で歩くようにサポートすることこそ必要です。
介護保険が導入され、お年寄りの身体能力にランクが付けられるようになりました。
 ・要支援
 ・要介護(1〜5)
過剰な介護は、お年寄りの機能低下を促します。
きわめて現実的な話をするなら、介護度が上がれば上がるほど受取る保険金は多くなり、介護が楽になります。だから要介護4ないしは5と言う、俗に言う「寝たきり老人」が施設で奪い合いになる現実があります。寝たきりになれば手間が省ける(本当の介護は違うと思うけどな)分けで、過剰な介護で寝たきりにしてしまう。歩いて入所して「入所後寝付く」現実がここにあります。
このように、現在の老人福祉施設は「介護認定」がないと利用できなくなってきました。
でも、年相応の機能低下あっても「元気なお年寄り」がいても良いだろう。そんな施設がケアハウスでした。

私が手がけた某ケアハウスでの出来事から「ケアハウス四方山話」をご紹介していこうと思います。
この施設は、法改正以前の最後の施設です。その後行政の要請を受け入れ定員80名のうち1/3だけの「特定施設」を受け入れました。現在、定員満杯で待機者多数と言う人気施設です。
「過剰な介護はするな」と言う理事長のポリシーが生かされ、サポートに徹しており、入所者の平均要介護度が「1.8」と低いのが特徴です(特別養護老人ホームの平均要介護度は「4」程度)。入所後に要介護が下がるお年よりも多いとお聞きしました。
開設3年で死亡者数3名(内1名は心筋梗塞)。特別養護老人ホームでは「2年で8割が死亡する」現実があり、我国ではターミナルケアの場となっている。これを比べていただくだけでも、ケアなしケアハウスの重要性がご理解頂けるのではないか。ではまた次回に・・・


ケアハウス四方山話2
050523(月) dogfight
歳を取り「施設に入ろうか」と思ったとき…
さて?本人の意思はどの程度であろうか。案外、家族の意思で「施設に入る」ことも多いのではなかろうか。だからといって「ケシカラン」と言う話しではない。ただ、プロセスにはちと疑問があります。
古くは我国は「大家族」でした。戦後、核家族が新しい風潮として興り、その結果「数代が同居する」日本の伝統が壊れました。そこで「家族で老後を支える日本方式」が不可能になり施設の必要がでてきのです。今でもメンタリティーは「家族で老後を支える」意識が残っています。ただ現実は厳しく「支えきれずに施設に頼る」ケースが多くなりました。

施設を利用するには「緩くない金額」が必要です。年金で全てを賄える人はむしろ少数であろう。同居はできないが、家族の助け(資金援助)で施設に入るお年寄りがママあるわけです。
多くは、家族が親に「施設の利用」を納得させるようです。そのため案外、本人がお世話になる施設を選ぶケースは少ないように思います。実はこれも問題なのです。---若い人の身体能力(視力を含めて)で選ぶとお年寄りには辛い施設も多々あります。この問題は別の機会に残します--

ケアハウスの場合、500万円前後の「入所金」が必要です。15年月賦での支払いですが、これに日々生活費が掛かります。さらには「認知症」の問題もあり、家族立会いの上で「本人の所持金」を確認します。この時、家族が始めて「親の預金残高を知る」ことが多いようです。中には「姥捨て山」のつもりで施設を勧めたのに、ビックリすような金額を知り「入所を断る」ケースもママあるそうです。
反面、俗世の縁を断ち切って「自分の意思」で来る人もいるそうです。

このように、施設に入るときの「人間模様」は、すさましいものがあるわけです。
また、入所後も「親に無心に来る」子供もいるわけで、時には暴力で「金を持ち去る」ケースもあるとか。そのため、部外者の施設来訪は「家族と言えども要チェック」だそうです。
ウム〜凄い世界ですね!では、また次回に…


ケアハウス四方山話3
050524(火) dogfight
表2 平均寿命の年次推移「女は灰になるまで」と言う言葉があります。
平均余命は男女間に差があり、厚生労働所の統計によれば右表のようになります。

お年寄りの定義は「65歳以上」です(ケアハウスは60歳から入所可能)。実際の入所者平均年齢は、殆んどの施設で80歳代です。この年代になると、男女比率は「男15:女85」くらいになってきます。

私がお話を伺ったケアハウスでは、平均年齢が70歳代半ばで、平均的な老人福祉施設より若いのですが、それでもご高齢には違いありません。この年齢になると、男は少数派で「貴重品」になります。理事長のお話によれば「世の中にあることは何でもある」そうで、色恋沙汰は尽きぬそうです。

お年寄りのこととて、風邪一つでも注意が必要です。
ある時、風邪ぎみのご婦人に注意を払ったところ、ケアハウス内に「理事長と恋仲らしい」と噂が走ったそうです。ちなみに理事長は50代、ご婦人は92歳だそうです。大変ですね…

では、次回は理事長の魅力に触れて見ます。お楽しみに…
靖国カード
050525(水) dogfight
中国の副首相が、小泉総理との会談をドタキャンして帰国しました。
国際的に見て「きわめて非礼な出来事」です。これも、どうやら「日本に揺さぶりをかける」靖国カードの一部であるらしい。先般のデモに見るように、自由のない中国では「マッチポンプ」は思いのままです。ただ、そのことで諸外国の顰蹙を買い、急いで引っ込めた(デモの収束)のですが…

相変わらず、中国寄りのマスコミでは「総理を批判する」論調が絶えません。また、民主党の党首のように「中国と一体」の趣旨で総理を攻めるバカボンもいます。ただ、欧米のマスコミの論調は「珍しく中国に屈せぬ小泉総理」を評価していることは余り知られていない。

中国は「日本を支配下におきたい」ために、あの手この手と繰り出して圧力をかけてくるが、総理は歯牙にもかけない様子。デモやら、ドタキャンも「中国のあせり」と見ることも出来そうだ。我国国民も、もう少し気長に見ても良いのかもしれない。何せ、中国は「日本の中国嫌い」というリスクと引き換えに危ない橋を渡っているのだから…


一気読み
050526(木) dogfight
読書が好きなくせに「本を探すのが面倒」な私です。そこで、作家別に読破していくのですが、だんだん好きな作家が減ってきました。でも最近、複数の作家と出会い「一気読み」しました。
 ・藤原緋佐子…橋廻り同心・平七郎控シリーズ/隅田川御用帳シリーズ
 ・鈴木英治……親子十手捕物控シリーズ/手習重兵衛シリーズ
 ・井川香四郎…くらがり同心裁許帳シリーズ
まだ出ている本が少ないのですが、今後の出版が楽しみです。
これらに共通するのは「時代小説」にすることで、シチュエーションの幅を広げています。緻密な「捕物」と言うより、どちらかといえば「男女の仲」を縦糸に「人情」を織る作品です。爽やかな描写はあっても、どろどろした濡れ場がないのも特徴です。

最近読んだ、井川香四郎氏の「くらがり同心裁許帳」シリーズでは…
第1作はなんとなく読んだのですが、第2作から「天衣無縫な女性」が登場、ごろっとシシチュエーションが変わり、俄然面白くなりました。第1作と2作の間に、作家自身に何か変化があったように思えて仕方ありません。本当はどう何だろう?

「文学作品」の定義は存じませんが『楽しく読めて心温まる作品』です。涙もろい私は、相変わらず泣かされています。是非、ご一読を…
追記
今では「独自のコーナー」を持つまでになった「佐伯秦英氏」ですが、私が見つけた頃は「売れないハードボイルド作家」でした。それが時代小説に転進して花開きました。案外、私は先見の明があるのです。


何でだろう?
050527(金) dogfight
私はホームページの他に数ヶ月前からブログのmixiをやっています。
最近では、多くの方が私の日記を覗いて下さるのですが、なんとも不思議なことがあります。それは、訪問者の8割くらいの方が「愛知県」の方なのです。確かに、mixiには検索機能があるのですが、私は愛知県出身であることや血液型がB型であることも公表していません。どうやれば私の日記に到達するのであろう?嬉しい反面、不思議で仕方ありません。

mixiをご覧お方で「方法」をご存知の方は是非教えてください。お願いいたします


ケアハウス四方山話4
050528(土) dogfight
「ケアハウス四方山話に備えて」でお話ししたように、国の方針は
 ・オール個室化
 ・ユニットケア(概ね10人単位)
になりましたが、現場の抵抗はなかなかのものです。
まだまだ、お年寄りを「モノ」とみなす施設は少なくありません。某有名施設の理事長氏と話す機会があったのですが「並べておいてオムツを替えるほうが楽だ」と、個室不要論を述べられました。ここでは、お年よりはマグロ並みで「人間の尊厳」などかけらもありません。わたしは唖然としました。

ユニットケアとなると、もっとグレーです。ユニットケアの定義が曖昧な上に、提唱者の急死で「理論武装が不完全」に終わった恨みがあります。本来は「完結型ケア」を目指したもので、
 ・担当職員の固定化(職員がコロコロ変わらない)
 ・「お世話になる」施設から、参加する施設へ
このように「擬似家族」を目指したものがユニットケアでしたが、残念ながら理念のように進展していません。本来「8人で形成するのがベスト」と言われましたが、国の方針で「10人程度」になりました。今では非常に拡大解釈され15人ユニットでも「10人程度」と認定されるようです。さらには、完結型とは程遠い運営方法(従来型施設となんら変わらない)が行われています。

この背景には「オール個室・ユニットケアは高くつく」と言う思い込みがあります。
私の関与したケアハウスでは、この「オール個室・ユニットケア」法制化以前のものでしたが、思想的には導入されています。
 ・1フロア定員20名を3ユニットにしている
 ・基本的に個室(夫婦用の二人部屋がある)で、各室にトイレ・シャワー・キッチン付
このように「一歩先行く」施設です。確かに、基準職員数では足りず、5割り増しの人員配置なたったっそうですが、それでも「経常黒字4000万円」が出るようになり、開設3年で累積赤字(開設当初はどうしても赤字になる)一掃となったそうです。
福祉施設といえども「健全経営」こそ根本です。社会福祉法人は免税される反面「利益処分できない」規制があります。実はこれが「不健全の元凶」となっています。

このケアハウスでは、理事長の給与は70万円だそうです。福祉施設では給与も国の基準があり、この給与は「取りすぎだ」と指摘されるそうです。毎日12時間以上の激務で、当然の給与と思うのですが、この世界の常識ではないのです。
一方、このケアハウスはトンネル会社を一切持っていません。社会福祉法人では「利益処分禁止」をクリアするため、親族の経営になるトンネル会社を経由することで「利益を事前に吸収」します。これが不正の温床となっている(この問題は次の機会に論じます)。つまり不正操作をしないディスクロジャーの結果が利益計上であり理事長の給与なのです。
会計監査で何かと批判される理事長の給与ですが「花見の宴」など、毎月のように理事長のポケットマネーでイベントが行われています。こうでもしないとイベント費用が捻出できない制度こそ問題であろう。皆さんは如何が思われますか?


酒蔵コンサート
050529(日) dogfight
昨夜、大阪府河内長野市にある「天野酒」の西条蔵で、ジャズの酒蔵コンサートがありました。
6時から開演ですが、入場は5時からで席取りも兼ねて早く出かけました。参加費は2500円で、100人限定の催し物です。6人掛けのテーブル、三々五々人が集まり「一期一会」となります。
最初は、50代後半から60代前半の男女5名に、ロシアからのホームステイ学生(20歳男性)の6人でした。若者は既に日本語を3年習っているそうで、日常会話に不自由はありません。彼はアントン君というそうで、最近のロシア事情を尋ねたりして友好を深めました。
暫くして、彼は外の席に移り、ホームステイ先の奥様が変わりに着席。
 ・60代の前半の男性2人(友人)
 ・ホームステイの学生を招待したご夫婦(50代後半)
 ・私とある女性

ここで酒を補充

水蝋燭で照らされた道路
となりました。一人では寂しく、彼女には無理を言ってきてもらいました。二人とも独身で不倫にはなりませんが、私たちが結婚する可能性は限りなく「0」に近いものです。

年代が近い気安さからでしょうか?結構話が弾み、ジャズどころではなくなりました。
しこたま飲んで、今年10月の「次の機会に再開を」約束してお開きとなりました。さて?またあう機会はあるのでしょうか。出会いを楽しんだ夜でした…


ダイエット死
050530(月) dogfight
中国から輸入した「ダイエット薬」で死亡が相次いでいると言う。毎年ように繰り返される事件で「またか」と言う思いだ!

この事件は両面から見る必要がある。まず、
 ・安易なダイエット
本来ダイエットは、食生活の管理と必要な運動で行うべきなのに、好き勝手な生活の上に「薬で済ます」安易さがある。さらには「死んでも良いから、痩せたい」と言う思いもあるそうな。
 ・偽薬の横行
中国にも、日本で言う薬事法があるそうだが、この法律に限らず「守られていない」現実がある。ダイエット薬に限らず、偽薬や法を無視した過激な薬で、中国国内でも「薬禍が深刻な問題」となっていることは余り知られていない。

輸入業者も「危険な薬」であることは知っているのであろう。意地悪な言い方をすれば、需要があって「供給がある」のです。安易な服用が止まればこんな事件は起きようが無い。ようは「自己責任」の世界である。
追記
私は、2年間の「歩き」で、ごく自然に7kgのダイエットとなった。更に、妻の急死で8kg減ったが、これは私が落着くことで回復しつつあります。無理はしないことだ


眠い
050531(火) dogfight
2年間の「歩き」で、ごく自然に7kgのダイエットとなった。更に妻の急死で8kg減リました。お陰で、睡眠時の呼吸障害が一時的に無くなり、もう2ヵ月半ほど「睡眠マシン」を使っていませんでした。ところが、妻のショックから精神的に回復しつつあり、体重も4kg回復してきましたます。その結果、どうやらまた「睡眠マシン」が必要になってきました。

余りの「眠さ」は疲労として溜まってきます。
労働時間はそんなに長くないのに、疲労感に悩まされ、久々にマシンを使ってみました。翌朝、嘘のように疲労が取れていました。妻のショックによる8kgの減量はアブノーマルなことで、体重回復は自然なのであろう。ダイエットは改めて心がけ、今は無理はしないことだと思っています。


inserted by FC2 system