dogfight高松の長すぎるひとり言
2002年4月
エッセイ&コラム

引越し本番素晴らしきかな人生新しい事務所少子化と保育所ADSLとHP藪の中美しく老いる素晴らしき仲間チクリゲーム大仙公園大阪狭山市ヒヨドリの巣がけああ銀行近況の変化高校教科書無制限な私権円筒形エレベータパワーウインドーねずみ講大部屋と個室宗像のこと権益保護金の卵?狭山池ダムと狭山池博物館すれ違いGW格別のこともなし
020401(月)引越し本番
4月1日は「日本が変る日」らしい。
日本一の規模となる「みずほ銀行」ができ、ペイオフが解禁となる。保険や年金制度もこの日を機に変るそうだ。
だからと言うわけではないが、MACもこの日から新しい巣で「一から出直し」です。
そんな訳で、昨日が「引越し本番」でした。狭いところから広いところへの引越しは「後で考えよう」でも何とかなりますが、面積が1/3になれば緻密な計算が必要になります。予め、順序を考慮して荷造りはしていたのですが…
では、時間軸に沿ってご紹介しましょう。
07:45 引越し屋さんと手順打ち合わせ
08:15 引越し車到着。手順に従い行動開始。まず「預ける荷物」を搬出
 ・かおりは、新事務所の「床掃除」に
08:45 荷物預け先の友人が到着。引越し屋さんと受入打合せ
09:15 搬出終了
09:25 引越し屋さんが、新事務所を見て搬入手順を聞く。余りの狭さに危機感を持ったようだ
09:30 搬入開始
 ・前日に搬入した大型OA機器との間に、寸法を当りながら奥から詰めていく
 ・半分の本棚と冷蔵庫を後回しにして、ダンボール箱を搬入。収納先別に置場を指示
10:10 整理部隊(かおり友人で3名)到着
10:20 最後に、残った本棚と冷蔵庫を所定の位置にセットし、引越し屋さんの搬入完了
 ・足の踏み場もない有様。ダンボール箱から本や資料を出し、本棚等に「整理開始」
10:20 コンピュータおよび周辺機器搬送部隊(息子を含み3名)到着。搬送に掛かる
10:40 コンピュータおよび周辺機器、新事務所に到着。
11:00 コンピュータおよび周辺機器搬送部隊解散
11:15 預け先の友人より「無事完了」の連絡あり
12:30 事務系および台所用品を除き、ほぼ整理完了
13:15 昼食後「整理部隊」解散。彼らは旧事務所にある「不要品」から使えそうな品物を物色に
13:30 セッティング部隊(横田君を含み3名)到着。
 ・コンピュータの組立て・インサーネット構築・セッティングチェック
14:30 一部事務系および台所用品を除き、本日の予定終了
15:00 旧事務所の「産廃処理」を打合せて解散。お疲れ様…
ジャストインタイム方式で、10人の若者の応援を得ての引越しでした。練習なしの本番で、若干の混乱はありましたが、概ね上手くいったと思います。本当にお疲れ様!
(疲労感が強く、腰が痛む。もう歳だね…)
020404(木)素晴らしきかな人生
苦境に至ったとき、人は「温かさ」を知ると言います。その暖かさの中で、生きていて良かったと心から思っています。
いまの私は、仕事の確保も「一から出直し」です。ありがたいことに、友人知人が「時の氏神」となって、思わぬ方から情報を頂いたりで、お世話になっています。
 ・Aさんから「住宅」のお話
 ・Bさんから「保育所」のお話
 ・Cさんから「食品加工工場」のお話を頂いています。
勿論、お声が掛かれば「決まる」ほど、甘い話ではありませんが、このような引合いを頂けることが、何よりも嬉しいことです。ただ、これらは遠くを見つめる仕事で「足元」の手当てが必要です。それには、別の友人が「下請け仕事」を世話してくれました。長い間、この手の仕事をせずにきたため、下請け値段の相場も知らなかったのですが、これから「何でもあり」で生きていくつもりです。
佐藤工業の会社更生法申請に伴い、私が仕事をご紹介した企業(主にメーカー)にご迷惑をおかけすることになりました。本来なら、私がお詫びしなければならないのに、この度の『都落ち』にもご厚情を頂いています。
予想もしない方から贈物(移転祝い)が届いたり、励ましに「狭い事務所」に訪れて下さったりと、感激の連続です。また、引越しの応援に来てくれた10名の若者…本当に『ありがとうございます』

嬉しいことの多い中で「疫病神」もいますが、あれやこれや、全てを含めて「生き様」だろうと思います。この変化の中で、私は「素晴らしきかな人生」を味わっています。
020405(金)新しい事務所
引越し後の整理も随分進みました。しかし、扉のある「戸棚」が全くないため、不定形な雑物の整理に「かおり」は悪戦苦闘しています。

新しい事務所で…
椅子に座ったまま、振向けば「コピー機が使える」便利さはあるけれど、言い換えれば「それだけ狭い」わけです。何せ、廊下幅は50cmと「ダイエット」が不可欠です。コピー機のメンテには、他の機械を順番にずらして行う必要があります…こんな按配で、この状況に慣れるには時間が必要です。
まだまだ他にも「慣れなければならない」ことがあります。
今は、整理と移転に伴う手続きをしてもらっていますが、まもなく愛娘「かおり」は非常勤(週2日程度)に移行します。だから、私は…
 ・一人であることに慣れる
 ・何でも自分ですることに慣れる
こんな必要があります。今までなら「お茶…」「コピー…」「資料…」と言えば揃っていたものが、返事も返らなくなるのです。
地下鉄の最寄駅は変りませんが、徒歩時間が5分延びただけで、まるで「世界が変った」ことに驚いています。
以前は「駅前の事務所」で通っていたのですが、今度は「ダウンタウン」といえそうです。僅か5分の違いと言えども東京ほどの「都会の広さ」を持たない大阪では、風景が一変します。新しい事務所の1階には「400円弁当」の店があり、2分も歩けば「吉野家」があります。
毎日、OMM(大阪マーチャンダイズマートビル)で昼食を取り、松坂屋7階のジュンク堂で「本の物色」が日課でしたが、随分「離れてしまった」と言う、実感があります。
ここにも、私が「慣れる」必要のある世界があります…
追記
吉野家に行ってみました。「並盛250円」で牛丼が食べられますが、あの「盛切りの具」でご飯を食べるには『特殊技術が必要』と感じました。
僅か5分のタイムディスタンスで、違う世界の冒険が必要になっています。
020406(土)少子化と保育所
少子化に伴い、託児施設の整備が強化されるそうです。
思わず「?」と思ったのですが、ここには逆転の発想があると言う。
コンセプトは『安心して子供を預けられる施設作り』で、その実現が『少子化に歯止めをかける』という期待を持った政策だそうです。つまり「子育ての不安が少子化を招いている」と言う、現状認識に立っています。
(へそ曲がりな私は、この考えに無条件に賛同するものではありません。いつの時代にも、子育ての不安はあり、子供を守るため親は「体を張った」ものです)
現実に、地域により数値に差異はあっても、入園を希望しながら入れない「待機児童」の問題は解消されていないそうです。
 ・待機児童の解消と24時間保育の実現
 ・0歳児保育から小学校入学までの長期保育と親が安心する「施設内容の充実」
 ・学童保育(修学児の施設)の整備
このように、量の充足だけではなく「質の向上」も整備目的と聞きました。
ただ、この整備目標は「今後5年間」のことだそうで、建物の寿命の長さから見れば、無責任な感じを拭えません。この懸念を解消する手段に「託老所構想」が浮上しているそうです。私も「激動の老人福祉施設」の中で、託老所構想に触れていますが、内容に差異があろうとも、行政サイドにこの発想が出てきたことに興味を感じています。
当面は「お年寄りと幼児」を組合せ、精神的な『補完関係』の構築が目標だそうです。幼児はお由寄りから学び、幼児によってお年寄りは「生きがい」を得ると言うわけです。
更に、いよいよ「少子化が進行」した場合、このスペースを「託老所」にチェンジすることも視野に入れていると思われます。
託児施設は私にとって「未知の世界」ですが、ここでも「激動の児童福祉施設」が幕開けを待っているようです。私には「新たな目標」ができた心地がしています。
020407(日)ADSLとHP
我が家の情報線が4月4日からADSLに変りました。友人に言わせれば「直ぐ慣れる」そうですが、この速さは『感激』です。
8MスペックのADSLですが、実速は「3M弱」です。それでも、ISDN(64k)と比べれば『数段速い』わけで、念願の「映画の予告編(RealPlayerBasic)が「動画で見える」ようになりました。(ISDNでは「コマ送り」でしかなかった)
私の場合、通信速度は「モデム→モデムの高速化→ISDN→ADSL(ルータータイプ)」と言う変化を辿ってきました。どうしても、自分の機械に合わせてホームページを作ってしまうため、この変化に伴いHPも変ってきました。
 ・デジカメ購入で写真が増えた
 ・ISDN導入の頃から更に「写真」が増えだした
ISDNでは、画像処理ソフトで「写真を軽くして」掲載していたのですが、ADSLの速さでは「画像密度」を落す必要を感じません。ただ、ご覧頂いている方の環境は様々と思いますので「現状維持」します。(高密度化の誘惑と闘うことになりそう…)
少し、当HPの変遷に触れておきたいと思います。
 できれば「InternetExplorer」でご覧ください
閲覧時のメディアを、当初「Netscape」を想定していましたが、今年の正月に「InternetExplorer」に変えました。正月にOSを「windows2000」に切替えたさい、Netscape6.2をダウンロードしたのですが、古いバージョンのNetscapeとまるで雰囲気が変ってしまったので、従来のスタイルに近い「InternetExplorer(文字サイズ-小-)」にしたのが理由です。
 できれば「550ピクセル」のサイズでご覧ください
長男の意見に従い、画面構成は「%設定」で作っています。文字だけならこれでよいのですが、写真が多い「近畿探訪」や「私のグルメ」では『画面サイズ』を想定しないと、見やすい画面構成ができません。そこで、当HPでは「近畿探訪」や「私のグルメ」を「550ピクセル」で作っています。
020408(月)藪の中
広辞苑より  やぶ‐の‐なか【藪の中】
(芥川竜之介の同名の小説から) 関係者の言うことが食い違っていて、真相が分らないこと。

私のごく身近で大変なトラブルが起こっています。
内容をお話するわけには参りませんが、トラブルそのものが「広範囲に迷惑を及ぼす」性質を持っており、現に私も多大な迷惑を被っています。
私自身は当事者ではないのですが、トラブルを起こしている双方に「最も身近な存在」であろうと思います。それだけに、双方から「経過説明」があるのですが、これほど両者の話が異なっていることも珍しいと思います。それ故に「何が真実か?」を見極める術はなく、まさに『藪の中』と言えそうです。更に言えば、両者とも人間的に欠陥を抱えており、とても「どちらかに組する」気持ちになれません。

私から見れば、己の正当性を主張をするあまり、ただ周りに不信感を振りまいているとしか思えません。
己の一分を立てるため、喧嘩もやむを得ない時があると思いますが、もう少しスマートな仕方があろうと思います。今は、全くの「泥仕合」と成り果てています。
さて、どうなることやら…双方がもう少し大人になればよいのに
020411(木)美しく老いる
フリータ−と言う名の「失業者」を見るたびに、彼らは「将来をどのように考えているのだろう…」と、思ってしまいます。かといって、自分が若い頃「確固たる未来像」を持っていたわけではありません。その意味では「50歩100歩」というべきか!
鼻持ちならぬ「生意気な若造」であった私も、それなりに年輪を経て丸くなり「美しく老いたい」と思うようになりました。
相手の年齢や立場によって「口調」を変えることもなくなりました。
命令口調がなくなり、誰に対しても「知識を尊重して意見を聞く」ようになりました。
見方によれば、覇気を失ったと言えるかもしれませんが「俺が…」と言う意識が薄らいだに過ぎないと思っています。知的欲求はますます旺盛ですし、出来事を「多面的」に見る習慣がついてきました。自己主張をする若者の意見に耳を傾け、プライドを傷つけぬように「そっとアドバイス」できるようになりました。
引越しでは多くの若者に助けれもらいました。
力仕事では役に立たなかった「同期の仲間」が、今夜10人集まります。お互い、ハゲや白髪を罵りあう歳になりました。それぞれ「美しく老いて」きたであろうか…
しかし、時代を反映して、連絡が取れなくなった仲間もいます。
  友よ!私は生きていく
  勝つ必要はない
  頑張るな!気張るな
  淡々と「美しく老いて」いこうではないか
「元気にしてるよ…」そんな連絡が届く日を待っています。
020412(金)素晴らしき仲間
昨夜のこと。どう言い訳をしようとも「都落ち」した私のために、多くの仲間が集まってくれました。
友人知人11名、今はOBとなった「横田君」、この日が最後の勤務となる「かおり」、それに私の計14名です。何しろ、誰もが「究極の狭さ」と認める事務所に、これだけの人が「酒とつまみ」を持ち寄ってのパーティーです。まさに「足の踏み場もない」有様でした。
左上:dogfightと広瀬さん
中上:愛娘かおり
右上:横田君
常と変らぬ「毒舌」の中に、何ともいえぬ『暖かさ』があり、仲間とは「かくも素晴らしきもの」と改めて感じました。私にとって一生思い出となるパーティーに、こみ上げてくる涙をこらえるのに難儀しました。
素晴らしき仲間に感謝します。ありがとう!
020413(土)チクリゲーム
議員の間で、国から支給される秘書給与の「不正利用」が横行していたらしい…
疑惑は、自民党から共産党までほぼ全ての政党に及んでいる。
秘書給与を国が決めるのもどうかと思いますが、それを「名義貸し」で流用するなど、あまりにモラルがありません。この手口は「皆でやれば怖くない」とばかり一時は流行したようだが、某議員が「詐欺罪」で服役してから、急いで止めたらしい。しかし「寄付」と言う名目で還流させる手口は今も行われているようだ。
政治家とは「他人厳しく自分に優しい」人種らしい。
誰も彼も口を拭って「綺麗子ぶって」いますが、脛に抱えた傷(かつての不正行為)は消えるわけもない。ならば、大人しくしていれば良いものを、自分のことは棚に上げ、他人の非には「議員辞職」を迫るパフォーマンスで恨みを買っている。まさに「目くそ鼻くそを笑う」世界で、やられたらやり返す「仁義亡き戦い」となっています。

社民党「辻元元議員」から自民党「田中真紀子議員」果ては「共産党」まで、目立つ議員ほど「チクリの対象」なっています。その「絶妙のタイミング」に、陰謀の臭いを感じて仕方ありません。
確かに「政界浄化に繋がる告発」とはいえ、どうもスマートさに欠けます。国を代表する議員だけに「品位」を持って欲しいと願うのは私だけであろうか?
関係のない追記
大阪府八尾市の学校で、卒業式に日韓両国の国旗を掲げたそうです。校長の判断で行われたそうで「文化交流に役立つ」と言うのが理由です。
では、逆のケースがあるだろうか?
韓国の学校の卒業式に、我が国の国旗が掲げられることなど考えられない。迎合もほどほどにしなければ、ただ「蔑まれるだけ」であることを知って欲しい。
020414(日)大仙公園
苦しいときは「神頼み」です。
月参りを済ませ、麗らかな陽気に誘われて「大仙公園」に行ってきました。
コンビニで、弁当とビールを買い込み、2時間ほど「ブラブラ」してきました。
大仙公園は、仁徳稜をはじめとする河内王朝の巨大墳墓がある「中百舌鳥古墳群」を取り込んだ、広大な公園です。
ご覧のように、緩やかな丘陵地で、草原に戯れる家族連れが目立ちます。ただ、木立の中は「ブルーシーター」に占拠されており、ここでも時代の流れを感じました。
今年は例年になく暖かく、花にとって「季節が狂わされ」ているようです。
八重桜がこんなに綺麗に咲いています。藤の花も季節より1ヶ月は早くもう全開です
ソメイヨシノはすっかり葉を茂らせていましたが、八重桜がご覧の通りです。しだれ桜も若干残っていました。
これからの筈の「花桃」はとっくに見頃を過ぎていましたが、6月の花「藤」がもう全開です。
例年なら「ゴールデンウイークの花」といえる「ツツジ・サツキ」も絶好調です。
ここで、日本庭園に入ってみます。
池に面して「中国風あずまや」があります。池には鯉が泳ぎ餌をねだってきます。
せせらぎを配した日本庭園に、様々な「ツツジ」が咲いていました。

霧島ツツジと花ミズキ

??ツツジと山吹(黄色)

どうだんツツジも真っ盛り
日本庭園の一番奥に「ぼたん園」があります。なんと!ここでも「競演」をくり広げていました。
緋色・ローズ・ピンク・白
大ぶりな「牡丹」が競い合うように咲いています。
今日はご案内しませんでしたが、ここには「緑化センター」もあり、様々なガーデニングが楽しめます。秋には「菊花展」と言ったように『季節のイベント』もあり、折々の季節で楽しめる公園です。是非、行ってみてください!
020415(月)大阪狭山市
18歳で大阪に出て来てから、もう37年が経ちます。随分引っ越しもしましたが、結婚後は富田林市(1968年)と大阪狭山市(1988年から)です。ふと、第2の故郷「大阪狭山」に触れてみたくて調べてみました。
大阪狭山市は、大阪府南部で、奈良県よりに位置します。
隣接する「堺市」は、河内王朝発祥の地で、神話に登場する「倭の五王」の墳墓(仁徳天皇稜など-近畿探訪・大仙公園-参照)が存在します。
南河内郡一帯は、大和進出を企てる河内王朝が、大和勢と「100年戦争」を繰り広げた地で、『近つ飛鳥(近畿探訪参照)』の遺跡が残ります。
dogfight注
河内王朝を否定する歴史家は多い。「考古学的検証が充分ではない」と言う良識説と、皇国史観の否定から「神話を認めない」と言う人々です。
私は、ロマンを求めることと、河内王朝を否定すれば「古代史の繋がりに欠ける」ことから、存在を信じています。
このように、古代に登場する地域です。

1987年、住民投票により「僅差で市制を選択」しましたが、私は「南河内郡狭山町」のほうが好きでした。人口は、約55000人。これといった産業のない「文化都市」です。
そこで、大阪狭山市のHPから『狭山の歴史』を拾い出し、年代を追いながら見ます。
西暦 元号 事項
- 崇神62 「狭山埴田の水少なく、池溝を開き、民業を広めよ」という詔が『日本書紀』に記載
- 垂仁 「印色入日子命が狭山池を作る」と『古事記』に記載
616 推古24 このころ狭山池築造
746 天平18 河内國丹比郡狭山郷 村山連首万呂の名前が写経所の校生として正倉院文書に記載
762 - 狭山池の堤が決壊。修復に8万3千人の労力を要した
1001 - 『枕草子』に狭山池の記事
1025 - 狭山北池大破
1202 - 僧 重源、狭山池を修理、中樋筋に石樋を伏せる
1263 - 興福寺が狭山庄の支配を認められる
1352 正平7 楠木正行、池尻城で足利軍と合戦
1590 天正18 小田原城落城後、北条氏直、高野山に入る
1594 - 北条氏規、丹南・錦部・河内の三郡で6988石を保有。この時、池尻・岩室・今熊などが北条氏の領地となる
1611 慶長17 このころ狭山池の水下区域、約5万5千石、80か村に及ぶ
1615 - 北条氏信、狭山池の東北に陣屋を築造し狭山藩を開く
1749 - 狭山池が、幕府の直接支配に復する
1869 - 北条氏恭、知藩事に任ぜられたが、辞職を願い出る。再び辞職を願いでて翌日許可、狭山藩は廃止。河内と近江の領分は堺県と大津県に入る
1889 明治22 市制・町村制実施。狭山村、三都村発足
1897 明治30 高野鉄道敷設。翌年1月26日開通、狭山駅ができる
1984 昭和59 ラブホテル建築の規制に関する条例、パチンコ遊技場等及びゲームセンターの建築の規制に関する条例施行
1987 昭和62 市制施行

狭山の歴史を語るとき「狭山池」を欠かすわけには行きません。
日本書紀(神話時代-倭の五王)に既に登場するほどです。平野部で、河川が少ないため、河内湖に上陸した河内王朝の勢力(渡来人?)は、得意な土木技術を使って、灌漑用の池と巨大な古墳を作ったことでしょう。
※大阪府の古代史を語るとき、北部が余り登場しません。その理由は「河内湖」にあります。後に述べますが、大阪北部は永く海底(湖底)にあり、完全に陸地化するのは明治の初めです。
※まもなく「狭山池・平成の大改修」が終わります。2002年4月末「狭山池まつり」として、記念のお祭りが行われます(改めて特集したいと思います)。


13世紀に、奈良興福寺の「社領」となっています。奈良と地理的に近いことが見て取れます。
1352年と1869年の記述をご覧ください。
南北朝時代、狭山の地は『楠木正成』の支配下にあったようです。彼は、宇治(京都)から滋賀にかけても領有していたようで、その財力が南北朝対立における戦いを支えたと思います。
1869年の記述から、支配地はその後も継続された?と考えられます。「大阪南部と京都滋賀」随分飛び地ではないか…と思われるかも知れませんが、『河内湖』と言うキーワードを設定すれば容易に分かります。大阪南部を流れる「大和川・石川」は河内湖をジャンクションにして宇治川経由で琵琶湖までダイレクトに繋がっていたのです。この「水運(流通)の支配者」こそ『楠木一族』でした。

1615年 戦国時代に惰眠をむさぼった北条家。
豊臣秀吉に小田原城を囲まれ、主だった一族は滅亡しましたが、傍流は生き残ったようです。そんな北条家の支族が、江戸期の領主でした。

1984年 風俗営業を禁止する条例を制定したため、大阪府唯一の『文教都市』となりました。確かに清潔な街なのですが、住んでいると「退屈な街」でもあります。人が生活すると言うことは、清濁併せ持つことだろうと思います。清潔な政治家に迫力が欠けると同じことです。
大阪府下最高の住民税だけに、これと言った産業もないのに「府下最高の社会資本整備」を誇ります。約20年前から「下水普及率ほぼ100%」で、給水圧力も高く、大学も3校あります。

 ■河内湖について(河内湖の変化は、下記の「大阪市HP」を参照してください)
大阪は旧大和川を始めとする多くの河川による堆積物で出来上がりました。それも「古代の出来事」ではなく、近代に至るまで続いたことです。

豊臣秀吉が政権を築き、大阪城を構えたときは「海に面した城」でした。
秀吉は、排水を促すため、堀や川を整備しながら干拓を進め「城下町」を作っていきました。かつて大阪は「水の都」といわれたのです。江戸が、堀や運河を開削して街づくりしたことと対象的な成り立ちを有しています。
大阪駅は梅田にあります。
明治期、湿地帯のため「梅しか植えられない」ことから『梅田』と言う地名がついたそうです。
大阪は「水を排除」したことで生まれ、江戸は「水をみちびくこと」で生まれた街といえます。

古墳時代(3世紀〜6世紀末頃)
大阪市HPより
中国大陸や朝鮮半島との関係が深まり、難波津は、古代日本の玄関口として、大陸からの渡来地、さらには使節往来の拠点として発展しました。渡来人の手で持ち込まれた窯業・鍛冶・建築・土木・宗教などのさまざまな文化や技術が、日本各地へ広がっていきました。この時代、大阪平野の各地には、仁徳天皇陵を始めとする王権の象徴ともいうべき巨大な古墳が出現しました。また、南の大和川の水を大阪湾に流すため、難波堀江の開削がされたり、堺や大和へ至る南北東西の道が整備されるなど土木工事がさかんに行われました。また、巨大倉庫群が作られるなど、難波津を拠点として、大阪は交易、商業都市としての役割がますます重要になってきます。
dogfight注:『難波津』は、「難波の宮」があったところで、戦国時代は「石山本願寺」があり一向宗の最大拠点として織田信長を苦しめました。後、戦国の覇者・豊臣秀吉により「大阪城」が築かれところです。
020416(火)ヒヨドリの巣がけ
金剛駅は南海電鉄でも第3位の乗降客を誇る主要駅となりました。
朝ともなれば通勤ラッシュの喧騒に包まれるなかで、ヒヨドリが巣がけをはじめました。橋上駅の梁下の隙間に、せっせと巣がけの材料を運んでいます。ただ、ここには「ワラや小枝」と言った最適な材料がありません。線路に落ちているプラスチック等の「白い材料」を選んでいますが、ヒヨドリには暖かな材料に見えるのでしょうか…
ここ狭山の地は自然豊かなところです。人が豊かになり、相対的に「安全」になったのでしょうか?随分野鳥の種類も数も増えてきたように思います。
最も横暴な「カラス
カラスについで横暴なのは「ヒヨドリ」だろう、他の鳥が近づけば追い払います。
図体はでかくても「鳩や山鳩」は大人しいものです。
手が届きそうな枝に止まってホーホケキョと鳴く、とっぽい「ウグイス
簡単に姿を見せませんが「雲雀百舌鳥」の鳴声も聞こえます。
スズメ」ともなれば、人影が近づいても逃げようともしません。
私の住むマンション前の新池には、数種類の「」など水鳥が住み着いています。
数年前まで「ワカセミ」もいたのですが、最近は見かけなくなりました。
やはり水辺の鳥「岩セキレイ」はそこここで見かけます。
駅に巣がけしたヒヨドリに「無事ヒナが巣立てば…」と思っていたのですが、どうやらかなわぬ夢になりそうです。駅に、工事を示す張り紙が出されました。それによれば「全面的にバリヤフリー工事」を行うそうで、エスカレータだけでも4基設置されます。ヒヨドリの巣がけ位置も工事に晒されます。
ちょっと残念ですが、ヒヨドリが喧騒の中に巣がけをすることの方が異常かもしれません。やはり「本当の自然の中」に巣がけをするべきなのでしょう…
020417(水)ああ銀行
4月1日に発足した「みずほ銀行」のシステム障害は目を覆うばかりです。
初期不良は許容されるにしても、月も半ばを過ぎて「拡大する混乱」に、就任したばかりの社長が「混乱収拾を待って引責辞任」すると言うバカげた事態に発展しています。また、社会にも「信用不安」といった実害が出ており、一銀行の混乱では済まない影響が出ています。

みづほ銀行のように混乱はなかったものの、UFJ銀行も「図体はでかくなったが…内容が伴わない」と、友人がこき下ろしていました。銀行も「4大系列」に収斂されるようですが、大きくなったのは「図体だけ」で、知恵の回らぬようでは、前途は暗いと言えそうです。
今期、10兆円を越える「不良資産の償却」を行い、全ての銀行が「赤字決算」となったそうです。それで、健全化に向かったのか言えば、更なる「不良資産の積み増し」説もあり、何処まで続くぬかる溝と言った按配です。
先日、事務所に「破産を知らせる」FAXが流れてきました。
電気温水器の専業メーカーで、全く「浮気」をしなかったのに、経営が行き詰まる社会現象にうんざりします。
ただ、私の根拠のない「肌で感ずる景気動向」は『あと半年で好転』を告げており、家族にも「その半年を耐える体力がない」と嘆いたものです。どうやら、この素肌感覚はそんなに間違っていなかったようで、各種経済指標は「好転ないしは下げ止まり」を示しているそうです。
MACは、2000年末で年商を超える借入があったのですが、昨年「完済」を目指して努力しました。
しかし「後一歩」が続かず、現在400万円の負債を抱えています。「一人事務所」になってみれば、この程度の借入でも案外堪えるものです。所有する「ささやかな不動産」を売却して返済に充当しようと思うのですが、こんなご時世で「右から左に売れる」わけもない。そこで「ギブアップ(返済拒否)したらどうなるのか?」と尋ねたら、借金のかたに「我が家」を取られるそうな。400万円で「我が家を無くす」など考えたくもないので、まだまだ「あくせく」が続くことにあります。ところが…

銀行は、大企業に対し何千臆と言う単位で「債権放棄」し、政府から財政支援を受ける図式が定着しています。何のことは「大企業救済システム」は出来上がっているのに、MACのように超のつくマイクロ企業にはなんの救済もない。なんとも無常な話ではないか!
所詮「晴れた日にしか傘を貸さない」銀行のこと、年中「雨が降っている」マイクロ企業では『縁のない存在』と言うところであろうか。
020418(木)近況の変化
事務所が変って、様々な変化が起きています。
 一人事務所
狭いことには慣れてきましたが、寂しさには容易に慣れません。
朝、鍵を開け、誰もいない事務所に「おはよう」と呟きながら入る。明かりをつけ、OA機器を立ち上げ、ポットで湯を沸かす。ゴミ出しの日はポリ袋を運びます。
コーヒーもコピーもメールチェックも「全て自分」で。
帰りは、片付けと洗物を済ませ、機器のoffを確認してから「さよなら」告げて鍵を締めます。
 通勤ルート
通勤ルートも変りました。
今まで「バス→金剛駅→難波駅→地下鉄千日前線→地下鉄谷町線天満駅下車」だったものが「バス→金剛駅→天下茶屋駅→地下鉄堺筋線北浜下車」このように変りました。時間にして「片道10分短縮」料金は「片道60円安」です。歩く時間がは「4分増」で、まったく健康的です。
 コーヒーと本屋
通勤ルートの変化は、思わぬ影響を私に与えています。
本屋へ「新刊チェック」に行くのは、私の日課の一つでした。しかし、ルートを変えたことでまことに全く不自由になりました。
 ・難波駅で「ひばりや書店」
 ・天満駅(松坂屋)で「ジュンク堂」
 ・梅田で「旭屋書店」
この3店が「いつもの店」でしたが、神戸の現場が終わり「梅田を経由」することも無くなりました。通勤ルートの変更で「難波も天満」も通過しなくなりました。このため「ちょっと本屋へ」がなくなり、本の購入が極めて不便になりました。

同様に「安いコーヒー」も不自由になりました。
 ・難波のスターバックスコーヒー
 ・天満のドトールコーヒー
お陰で「ちょっとコーヒーブレイク」がなくなりました。
 飲食店
僅か「駅から5分」変っただけで、お店が大きく変りました。
先日も1時間ほど歩き回って探検してきました。その結果、飲食店の多さにあきれる思いがします。事務所から半径100mの範囲にあるお店に「週1度」通っても半年は掛かりそうです。ただ、天満駅を起点にしていた頃と明らかに雰囲気が変り、ここが「下町」であることを実感します。
夜は居酒屋ですが「味噌汁の香り」を漂わせるモーニングサービスの店があります。
老夫婦だけでやっている「天麩羅の店」があります。おじさんが目の前で天麩羅を揚げてくれ「和紙の上」に置いてくれます。それに、おばさんが漬けた「自慢の漬物」と赤出汁付きの定食で900円(この辺りでは高級料理)で食べさせてくれます。
400円の弁当屋・250円の吉野家。「豚肉専門店」があり、美味しい「豚肉」が格安で購入できます。
追記1
神戸の岡本さんから、こんなご忠告を頂きました。
…でも、時代の流れからみればこういう形での転身は決して「後退」や「敗北」を意味するものではないと思います。膨らみ過ぎた固定費を必死に絞り落して、時代にあった姿に生まれ変わろうとする行動は、規模の大小を問わず、全ての企業が取り組んでいることだと思われます。
高松さんのHPの中で「都落ち」と言う言葉が最近よく登場してきますが、今回の転身には全く当てはまらないと思います。「撤退」ではなく「進化」の一形態ではないでしょうか?
ありがとうございます。気持ちを入替え「進化」していきたいと思います。
追記2
郵便物は「住所変更」の手続きをしたのですが、ままならぬのが「宅急便で送られる」書籍類です。前の事務所の管理人さんが親切で連絡を頂けるのですが、この事態に「郵便事業の解体」に賛成できなくなりました。宅急便業者も「住所変更」の手続きシステムを構築するべきでしょう!
追記3
事務所付近の「探検」を始めました。
かおりの出勤日に、娘を連れて「飲み屋」探訪です。これで、既に「3軒」をチェック終了です。近々に、MACのHPに「事務所界隈」シリーズで紹介しようか…と思っています。
020419(金)高校教科書
10日ほど前に、高校の教科書検定が済んだそうで、その日の報道の差が「強い印象」として残っています。
産経新聞は「歴史」教科書を取上げ、昨年「新しい歴史教科書」で中韓両国から寄せられた『過剰な抗議』を、出版者が『自主規制』でクリアしていることを嘆いていました。私は、我が国の歴史は「我が国のもの」と思っていますが、教育界ではそうは思わない人達も多いようです。
中韓両国の代弁者『NHK』はこの結果に満足らしく、報道では歴史ではなく「数学」を取上げていました。それによれば、高校の数学で「分数」が登場するそうです。
ちょっと待て!
分数は、小学校高学年で習うものだろう。なんでやねん!
ようは、分数を理解していない高校生が「わんさといる」らしい。

それでも、教育関係者?によれば「ゆとりが必要」だそうで、この4月から「週休2日制」が完全実施されました。どこまで「アホ」を造れば気が済むのであろう。ここでも「亡国の陰謀」が進行しているように思えてなりません。
末っ子が、ある「高校教諭」と出会い、そこで聞いた話を披露してくれました。
その先生は「英語の担当」で、授業は『アルファベットから始める』そうです。どうやら、低レベルの高校らしいのですが、それでも「生徒の半数が、アルファベットが読めない」と言う事態は異常です。

何かあれば「差別」と認識する教育は、均一を求めるあまり「皆でアホになれば怖くない」に成り果てている。このような状況下では「自己防衛」できる人だけが知識を磨いていくだろう。差別を無くす手段が、差別化の必要性を生み、能力差はますます開いていく!なんとまあバカげたことだろう…
関係のない追記
あるところで、私のHPを見る機会がありました。
古いものを大切にするところで、いまだに「遅いタイプのモデム」を使っています。そのため、写真の多いページではフリーズしてしまいます。うむ〜辛いものがあるね…
020420(土)無制限な私権
成田空港の2本目の滑走路が「実用運行」を始めました。ところが…
滑走路の真中に民家があり「寸詰り運行(2180m)」となります。ジャンボ機は利用できず、誘導路が「一方通行」のため、時間当りの離着陸数は本来の能力の1/3に過ぎないそうです。
成田空港開港から24年。今や空港は「国として整備」するのが世界の常識です。にも拘らず「一個人の私権が優先」するこの国のあり方はどうであろうか?
今国会に「有事立法」が上程されるそうです。
阪神淡路大震災では、救援に向かう自衛隊車両が「一般車両並」に扱われたため、到着が大幅におくれて被害を拡大した事実があります。さすがに「災害出動」に関しては改善されましたが、有事法制は「先送り」されたままでした。
今度も有事立法に対し、拒否反応が起きています。我が国が「攻められる筈がない」と言う観点からの反対論から『私有権を制限するのはケシカラン』論まであります。
有事立法は、戦争をするための法律ではなく「まさかのための保険」みたいなものです。何事もなければ「出番のない法律」で「私権の制限」もない。
まさかのときにも「国より個人を優先すべき」論で、国は国民に対していかなる責任が取れるのであろうか?また、国民は国に対していかなる貢献も不要なのであろうか!
無制限な私権が「国」の存在を否定している。
ジプシーやユダヤが味わった「亡国の悲しみ」を、我が国は望んでいるのであろうか…
020421(日)円筒形エレベータ
車関係の部品を作る、ある機械メーカーが「住宅用エレベータ」を開発しました。もう特許申請を出願したそうなので、このことをお話ししたいと思います。
住宅用エレベータは、既に多くメーカーが手がけており、過当競争の割に需要が少なく撤退するメーカーも出始めています。お国の掛け声で「鳴り物入り」でスタートした「住宅用エレベータ」が何故このような体たらくになったのか?検証してみたいと思います。
 ・200万円を切る低コスト商品がない
 ・既存建物に取付がシンドイ
これが大きな理由だと思います。普通のサラリーマンが家を造るとき、土地代を除く予算は2000〜3000万円程度ではないでしょうか。その枠から見れば「200万円以上」は、やはり高いのだと思います。
次に、既存建物への「対応のまずさ」が上げられます。
エレベータは「建築の付随設備」と言う観念があり、エレベータの構造体を「建築に依存」するため、建物そのものの「改造が必要」なことが多いのです。また、最下部には「ピット」を必要とすることも、既存建物への取付がシンドイ理由になっています。

建築に「どっぷり浸かっている」と気付かないのですが、やはり「建築は特殊な世界」だと思います。
世間では「動く」ことを前提に商品開発しますが、建築では「動かないこと」が大前提です。音に関しても、世間では「良い音」を求めるのに、建築では「音を消す」ことに腐心します。
この正反対の「前提」が『固定観念』となって、齟齬をきたすこともしばしばです。
当り前ですが、エレベータは「動く」ことが必要です。それを「動かない建物に縛り付ける」ところに問題がありそうです。特に、狭い敷地に苦労して造った住宅に、エレベータを付けようとしたら「様々な改造が必要」等と言われたら、考え込んでしまいます。

機械メーカーが開発したホームエレベータは「たたみ半畳」分のスペースで円筒状をしています。
まあ、茶筒の中を「エレベータが走行する」と思って頂ければ、分かりやすいでしょう。この『円筒形のシャフト』が、このプロジェクトの全てです。
 ・ピットはない
 ・円筒形シャフトが構造体を兼ねており、建物に依存しない『自立構造』となっている
  (ピット不要と相まって、建築側の改造を極小に抑えている)
 ・円筒形のため『走行しながら回転できる』
  →回転によって『異なる方向に昇降口を設けられる』
  →走行中に180度回転すれば、降りるとき『車椅子をバックさせる』必要がない
 ・円筒自体が『全天候』で作られており、外部に自立式で設置もできる
 ・コストは『1基100万円』
如何ですか?
「回転」を含め、動くことのメリットを追求した開発であったことが分かります。
ちなみに「円筒形」や「回転」などは、全く特許出願がなされていなかったそうです。
JRがエレベータ各社に「既存駅舎の改造を出来るだけしないで設置できるエレベータ」の開発依頼した結果、ピットなしで自立シャフトを有するエレベータが造られました。
円筒形エレベータは、更に「発想を飛躍させた」商品ですが、言い換えれば「如何に建築は固定観念に縛られているか!」と思います。柔軟な発想を失いたくないものです…
020422(月)パワーウインドー
昨日の続きになります。両者に共通するテーマは「固定観念の怖さ」です。
パワーウインドーは「車のもの」と思っていらっしゃいませんか?
家の中をご覧ください。普通の家庭でも「リモコン」が溢れていると思います。テレビ・ビデオ・ステレオ・空調機・照明器具…まだまだあるかもしれません。でも、どうして「窓」は手動なのでしょうか。窓こそ、リモコンで開け閉め出来たら便利だと思います。100万円を切る軽自動車にもパワーウインドーはついており「べらぼうに高い」装置とも思えません。では、何故普及しないのか?

理由は『雨漏り』だと思います。
車のボディーは、外郭と内殻で構成された「複合殻のモノコック構造」です。外殻が「外観」で内殻が内装です。で…内外殻の間は「水の通り道」です。車の窓ガラスに叩きつけた雨は、内外殻の隙間を通過して「やがて外へ出て行く」のです。決して、内殻を通過して「室内に侵入」しないため、私達は車が「雨漏り構造」だと気付いていません。
ところが、建築は「外壁で雨水の浸入を防ぐ=外壁面防水」構造で、車のように「室内に浸入しなければ良い=内壁面防水」と言う概念ではありません。パワーウインドーを使用する場合、どうしても「内壁面防水」になってしまいます。これが、建物に「パワーウインドーを採用しない」理由だと思います。もし、「内壁面防水で何故ダメなのか?」と問えば、理屈ではなく「建物は一番外側で防水するものだ」と言う、固定的な答えが返ってくるだろう。
では、建物は全て「外壁面防水」なのか?と言えば、案外そうでもありません。
地下鉄など、構造体(外殻)と、内殻(仕上げ)の隙間で浸入する地下水を処理しています。
また、プールでも「防水しない」ものが結構多いのです。完璧な防水はコストが掛かる割に非常に困難で、漏水による「水道代負担の方が安い」と言う理由があります。

もっと身近な事例もあります。
台風の翌日は「雨漏り」の連絡が相次ぎます。顰蹙を買うことを申し上げますが、私は「台風のときは雨漏りしても良い」と思っています。どうぞ、怒らずにお聞きください。
通常の雨は「上から降る」のですが、台風時は「風が巻く」ため、何処から雨が叩きつけてくるか分かりません。台風時にも「完璧な防水性」を求めるなら『全方位に対して』完封する必要があります。
家には「通気性」が必要です。
日常的に必要なこの通気性と、完璧な防水性は「相反する条件」です。通常時の雨漏りは論外ですが、通気性を犠牲にしてまで「潜水艦並みの防水」は必要ないと私は考えています。それが「台風時は雨漏りしてもよい」と暴言を吐く理由です。
家も「内壁面防水」にして、パワーウインドーが使える「便利な家」は如何でしょうか!
湿気の多い我が国では、内壁面防水は「建物の呼吸(壁内通気)」を促す、防湿の有効な手段なのです。ここでも、固定概念が自由な発想を妨げているように思えてなりません。
020423(火)ねずみ講
いつまでたっても、世の中から「ねずみ講」は消えないようです。
E-コマーズと呼ばれるインターネットビジネスも、怪しい限りです。アムエやスカイビズも「ねずみ講」を否定していますが『自分が親になり、子や孫を作って上納金をもらう』システムです。これって『ねずみ講』だよ!
危険なことにしか魅力を感じない「困り者の娘」が、変な商売に手を出した。
FAXとコードレス子機のついた電話機が6万円も出せば買えるご時世に「1台38万円」の電話機を売り、完全歩合制で「3万円/台」の手数料が入ると言う。
聞けば「光ケーブルで利用できる電話機」と言うのが売り文句だそうです。
いかにも、光ケーブルの時代になれば「従来の電話機は使えなくなる」と言わんばかりの「キャッチフレーズ」です。第一、これからして既に胡散臭い話です。電話の世界は、50年前の電話機でも使用できるように、30種類以上に及ぶ送受信システムが組み込まれており、光ケーブルの時代になっても、せいぜい「すこし追加部品が必要」な程度であろう。

「そんなバカな話はない」と言ったところ「電話を買うのではなく『電話を売る権利』を買うと思ってください」という。つまり、電話機は「子会員」作りの方便に過ぎない。
バカげた値段で「電話機を買って」会員となり、次の会員作りに走る…どうみても「ねずみ講」なのに、かたくなに「違う」と言い張るところなど、マインドコントロール以外何者でもない。夜の10頃から「会議」と称して呼び出され、明け方まで続く。指導者を「教祖」として敬うように「徹底的に教育される」そうで、いまでは「指導者の全てを知りたい」などと口走る等、結構危ない状況となっている。明け方、会議?から解放されても「神経が高ぶって眠られず」ハルシオンを常用する日々だと言う。

明らかに「心身ともに異常をきたして」きており、先日も「こんこんと言って聞かせた」のですが、私の言うこと聞くくらいなら、はなからこの世界に入っていないだろう。
まともに働くことは「そんなに詰まらない」ことだろうか?
いま、私が何よりも望んでいるのは「平穏な日々」なのに…
020424(水)大部屋と個室
病院、中間施設(老健)、老人福祉施設等が、大きな変革期を迎えています。
民が動き官が追随する「従来の流れ」と異なり、官主導の変革に民が戸惑っています。厚労省は「官設民営」を掲げ、足早に改革案を打ち出しています。その、最も象徴的なことが『個室化』です。

つい最近、福祉施設整備のコンサル業務を大々的に展開している、A社の責任者にお会いしました。
責任者氏によれば『大部屋か個室か』で論争が起きているそうです。従来は「4人部屋」を主に施設整備が行われてきた経緯があり、突然の路線変更とも言える「官主導の個室化推進」に根強い反対があると言うことです。ちなみに、A社は、法人に対し「大部屋を主にした施設整備」を勧めているとか。氏の「持論」を伺いながら、違和感を感じたことからこれをテーマに話したいと思います。
厚労省は「個室化(新型)」を推進しながら、制度的には従来型(大部屋)の並列を許可しているため、どちらを選ぶか?は「運営する法人次第」です(許認可権をもつ行政が、許可条件として個室化を指示することもある)。

フリーハンドで選択できる場合、大部屋か個室か?は、運営法人のポリシーに拘ってきます。
施設は「経営者」「現場(介護職員)」「入居者」からなり、立場によって『よい施設』の定義が変ります。
例えば、経営者から見る「個室化」には…
 ・補助金が少ない(従来型に比べて)
 ・受益者負担(ホテルコスト化=入居者の負担)
  →入居者集めの問題(自由競争の時代が来るだろう)
  →生活保護者の扱い
 ・運営側の負担増(建設費や、ランニングコストの増大)
「利益と客集め」の観点に立てば、このように「負」の部分があります。

大阪の大きな民間病院の院長先生から「大部屋の方が『オムツの取換』が楽だ」と言う発言を聞いたことがあります。この発言自体は「暴言」だと思いますが、案外多数意見の「本音」かもしれません。お年寄りの人権を無視すれば、並べておいて「一気にオムツを換えていく」方が、作業そのものは効率的です。個室なら、当然「部屋を渡り歩いて…」換えるわけで、現場の負担が増えることは間違いありません。しかし、介護職員が必ずしも「手間隙をいとう」ものではなく、この意見は「人件費の圧縮」を望む、経営側の意見と捉えた方がよいだろう。
利用者(入居者)側から「個室化」を見てみると…
 ・費用負担増
  →従来型なら「介護保険料+食費で月5万円程度」の負担
  →個室化(新型)の場合、更に「受益者負担が5万円程度」増える
 ・運営側の対応が従来通りなら、個室は「独房に化す」可能性がある

個室化推進側の「うたい文句」は、お年寄りの尊厳を守り、家族の来訪を促し、ひいてはADLの低下を防ぐとしています。このような成果の報告が聞こえることは事実ですが、その背景に「法人側のたゆまぬ努力」を見逃すわけには行きません。
ADL(アクティビティ・オブ・デイリーリビング)
「日常生活動作」の英訳の頭文字をとったもので、人間が毎日の生活を送る上で必要な、基本的動作のことをまとめてこういいます。具体的には起居移動、食事、着替え、整容、排泄、入浴という身の回りの動作と移動動作をさします。ADLの自立はリハビリテーションを行う上での大きな目標の一つとなります。

ハードが変れば、ソフトも変ると思いたいのですが、運営法人の意識の変革が不可欠のようです。
先ほどの「おむつ話」の根底にあるものは「人としての尊厳を守る」のか、お年寄りを「文句を言わぬ商品」と見るかの差があります。
介護保険が始まるとき「要介護5の寝たきり老人」は敬遠されるのではないかと危惧されましたが、ふたを開けてみれば「寝たきり老人の奪い合い」だそうな。何故?と言えば「寝たきりのほうが手間が掛からない」からとか。悲しくなります。
「大部屋か個室か」は、
 ・介護をどのような位置付けで考えるか?
 ・お年寄りの尊厳を守るのか?(寝たきり老人と言えども羞恥心はある)
思想ともいえる「根源」の部分がすれ違った論争になっているように思います。

まるで「商品」のごとく、人前でおむつを換える行為は、人としての尊厳を踏みにじっていると思います。この人権や尊厳を守る最低限の装置が「個室」だろうと私は考えています。これなくしてQOLの向上などとても論じられない。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)
「生活の質・人生の質・生命の質」という意味の英文の頭文字をとったもので、一般的には人の生き甲斐や、幸福感などを規定している様々な要因の質をさします。自意識や生活を取り巻く環境などが、この諸要因を構成していると考えられ、これらのバランスのよい向上が「QOLの向上」に繋がると考えられています。
かつて「長生きすることが一番大事」という考え方が支配的でした。平均寿命は伸びてたけれど、同時になんらかの病気を患い、結果として「生きていても寝たきり」状態になるなど、普通の日常生活を送ることが困難な人が増えてしまいました。
このような事態を予防し、少しでも「人間らしい」生活してもらうための介護・医療をしていこうという流れが、10年ほど前から本格化しました(その指標としてQOLという言葉を使用)。現在、その考え方は定着し「どうすればQOLを高く保ったまま人生を過ごせるか」ということを前提に、介護が行われるようになってきました。
更に、この論点には『時間軸』が欠けています。
現在の施設は、入居者の平均年齢が80歳を越え、自分の部屋持つことなく老年を迎えた方が多いと思います。
今後、施設が充実するに従い、入所年齢が低下するだろう。
あと10年経てば団塊の世代が「お年寄り」に分類されます。この時、利用者のメンタリティーは「今と酷く違うもの」になる。わずか10年後に始まる「世界一の高齢者社会」の主役達は、決して大部屋を選ばないだろう…
dogfight注1
お年寄りの人権を守る新型の理念を支持しますが、「10万円の負担」に耐えられない生活困窮者をどうするのか?と言う問題が残ります。
ホテルコスト化(受益者負担)には、2割程度の「免除枠」が設定されています。官僚の感覚では、これで「弱所対応ことたれり」なのでしょうが、「負担する人としない人との同居」が引き起こす問題(精神的軋轢)に気配りされていません。このまま推移すれば『福祉難民』が発生するのではないかと私は危惧しています。
dogfight注2
お時間があれば当サイトに掲載する「激動の老人福祉施設」をお読みください。
答えは出せませんが、問題点の指摘は出来ると思います…
020425(木)宗像のこと
時の流れに抗いがたく、今は専門学校に通う「愛娘かおり」が週2回来てくれる以外は「一人事務所」になりました。再スタートをしてみたものの、これと言った当てもなく、計画案作りに追われる日々を過ごしています。
そんな折、ご縁があって「福岡県宗像市」に行く機会に恵まれました。
まだ、内容をお話する時期ではありませんが「生きてりゃ世の中面白い」と思わせるのに充分な出来事でした。このご紹介は後日する機会もあろうかと思いますので、今日は「神話の街・宗像」に触れてみたいと思います。
宗像を代表するものと言えば、なんと言っても「宗像大社」です。歴史好きな私は、ここを訪れることが出来ただけでも幸せです。では、宗像大社のウエブサイトからご紹介しましょう…
宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。この三女神のお名前は、田心姫神(たごりひめかみ)湍津姫神(たぎつひめかみ)市杵島姫神(いちきしまひめかみ)と申し上げ、沖ノ島の沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神がそれぞれおまつりされています。この三宮を総称して宗像大社と申します。
ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、天照大神の「永遠に皇室をお助けし、皇室からも厚いお祭りを受けなさい」との神勅(天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。
特に沖津宮がおまつりされている沖ノ島は、九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央にあります。また、女性はこの島には渡れず、今でも古代からの風習をそのまま守り続けている神の島でもあります。
静謐な雰囲気を漂わせる宗像大社にプロジェクトの成功を祈りました。また、明治時代の「神仏混交」の折、大社とペアを組んだ古刹「鎮国寺」にもお参りをしました。最後は、玄界灘に面した雄大な「さつき松原」を眺めることが出来ました。いつか、この眺めを肴に「美酒」の飲める日を願っています…

宗像大社境内

鎮国寺参道

万葉集に歌われたさつき松原
020426(金)権益保護
自宅の通信線をADSL(プロバイダ料金込みで3980円)に替えて快適な環境になりました。
ところが、事務所はISDNのままです。趣味の方が業務用より「低速」なわけで、逆転状態ですが、これには分けがあります。
事務所があるビルには「光ケーブル」が入っており、権益保護のためADSLの導入が許可されていません。つまり、高速通信は100M通信のブロードバンドしか選択肢がなく、料金はプロバイダ費用別で「月額9000円」です。さて、高いのか安いのか?
一人事務所にとって、ISDNは結構便利です。
1回線を「2本使い」で、電話とFAX(コンピュータを含む)を「別の電話番号」で使っています。携帯電話万能の時代を迎えて、固定電話の需要はこんなものです。ちなみに、携帯と固定電話の使用料は「月2万円弱」です。これがブロードバンドになっても、安くなる部分は知れており、結構な費用負担増となります。更に、電話とFAXが「同じ番号」になり、受話器を取るまで「どちらか分からない」不自由さがあります。
ブロードバンドでの「電話」が当り前になれば、メリットがでてくるのでしょうが、事務所まだ妥当分「ISDN」のままだろうと思います。
020427(土)金の卵?
お会いしたことがないのですが…
Mさんは若い建築士で、昨年、一級建築士の資格を取得なさいました。彼の住む山梨県では「1級建築士合格者12名」だそうで、余りの少なさに驚いてしまいました。
以前より「司法試験より難関」と聞いていましたが、この数字に改めて「酷い現実」を見た思いがします。そこで、インターネットで検索してみました。
1級建築合格者数(合格率)
平成13年 4120名(33.0%)
平成12年 7073名(44.3%)
平成11年 7374名(45.6%)
ご覧のように「年々減少」しており、特に昨年は激減しています。
1級建築士の試験は、
 ・1次試験「学科4科目」
 ・2時試験「製図」
で構成されており、2次試験には1次試験合格者(2年間有効)だけが進めます。ちなみに、表の合格率は「2次合格/1次合格」の割合です。全受験者は毎年10万人であることから、本当は「合格率4%」の狭き門といえます。
都道府県別でみれば、1位東京(698人)2位大阪(414人)3位神奈川(405人)以下、埼玉・千葉・愛知・兵庫と続きます。少ない方は、山梨県と秋田県が12名です。
Mさんのサイトに載った問題集に挑戦したことがあるのですが、私は見事に不合格でした。
これだけ難しい試験なのだから、さぞや「内容の濃い問題」と思われるでしょうが、私の印象は「能力チェックと全く縁のないもの」で、落とすための試験でした。

山梨での合格者12名で、Mさんはフィアンセと「同時合格」を果たしたそうです。結婚後は「夫婦で事務所を開設」も視野においているそうです。ダブルの快挙、おめでとうございます!
さて、本当の「金の卵」はどちらでしょうか?(言うまでもありませんね!)
020428(日)狭山池ダムと狭山池博物館
ゴールデンウイーク前半も二日目に入りました。
予想に反し計画案作りが溜まり、仕事三昧のGWになってしまいました。とは言え、私は「息抜きの名人」です。仕事を抜けて、完成した「狭山池ダム」に行ってきました。
昭和58年の洪水で、狭山池の流域で大被害を出しました。
これを機に、大改修の構想が出来たそうです。それまで180万tだった調整能力を上積みして貯水量を280万tにし、併せて「親水公園」化しようというものです。結局、完成まで10年余の歳月をかけた「平成の大改修」となりましたが、容姿を一新して完成し、4月27.28両日盛大な式典が行われました。ご紹介します…
1400年の歴史を持つ「狭山池」(020415ちょっとメルヘン「大阪狭山市」に年表を掲載)
時の権力者や慈善家により、どれだけ改修が繰り広げられてきたことでしょう…
この地方は河川が少なく、古来より溜池を造ることによって農作を支えてきた歴史があります。そんな中で、狭山池は最大規模を誇っています。
狭山池は平地にあり、てっきり「素掘りした池」が始まりと私は思っていたのですが、初めて狭山池を一周してみて「1400年前に造られたダム」であることを知りました。緩やかな丘陵地の裾野に「堰堤」を設けたことが始まりです。日本書紀に登場する狭山池…いったい誰が「ダム化」を発想したのでしょうか?!
※平成の大改修以前は、周回道路がなく、私有地に囲まれていたので散策できませんでした。

池の彼方に我が家(高層マンション)が見える

整備された遊歩道と親水公園
写真左は、狭山池がダムであることを示す「堰堤」
堰堤は、古墳と同じ工法の「葺き石」で覆われています。

改修前の堤が「遊歩道」として整備され、洪水時の調整機能を持つための「100万tの貯水量」を確保する堤防が、新たに嵩上げされました。それにつれて堰堤も「更に巨大化」しました。

平成の大改修では、考古学的発掘が併せて行われ、1400年の歴史が「狭山池博物館」に展示されています。
(背景に「狭山池博物館」が見える)

東除川取水口

西除川放水路
狭山池に貯められた水は、東西の「除川」によって供給され、流域を形成します。
この写真で、堰堤の高さが分かります。
堰堤の新装とともに、安藤忠雄氏の設計になる「狭山池博物館」が建設されました。
では、狭山池博物館へご案内しましょう


狭山池博物館全景

博物館アプローチ(中央部分)
空間芸術に天賦の才を示す安藤先生「面目躍如」の作品です。
改修前の堰堤レベルが、アプローチ面(上記写真)になっています。
アプローチを入るとこんな風景(写真上)です。ここは「3階」です。
『水』がテーマだけに、3層に渡る「瀑布」が目に入ります。瀑布(連続した瀧)を見ながら、アプローチを突っ切り、エレベータに乗って1階に下ります。
エレベータで1階に着くと、写真左のような瀑布のトンネルに出ます。
トンネルを抜け、大空間(写真右)を見て、円形の空間(写真右下)に向かいます。
ここから階段(またはスロープ)で、2階に上がると、やっと玄関につきます。
お気付きですか?
安藤先生らしい「長大な導入路」を通って玄関に向かいます。
・3階から瀑布を眺め、長大な導入路を歩きエレベータに
・エレベータで1階の瀑布内のトンネルへ(写真左上)降り
・トンネルを抜け
 大空間から「瀑布と川」(写真右上)を眺め、円形空間へ
・円形空間内の階段で2階にある玄関に到達
これが正式のルートです。
『水』をテーマにする博物館ゆえに、充分演出された素晴らしい誘導路ですが、私のような「無名の建築士」がこれをやったら『非難ごうごう』間違いなしです。
エントランスを入ると、圧倒する大空間に出ます。
ここには『切り取られた堰堤』が展示されており、1400年の歴史を見ることができます。
(写真:大空間内の斜面部分が切り取られた堰堤)
写真左
狭山池北側に堰堤を築き「ダム化」したことが分かる資料
写真右
現在の堰堤と、1400年前の堰堤(光で表示)。度重なる改修でこんない巨大化したことが、発掘により詳細に確認された。
発掘時に切り取られ、科学の粋を尽くして保存された「堰堤の現物見本」です。断面には、過去の改修時の地層がくっきりと現れており「水との戦い」が刻まれています。
平成の改修では、更に嵩上げされました。

取水口から「樋(写真右)」で東西の除川に導かれました。
平成の大改修ではこのように「全面発掘」され、1400年の歴史が調査されました。

導水路の「桶」も時代によって木であったり石であったりしています。特に「石の樋」は耐久性が高く、後世の改修で「使いまわし」もされています。にも拘らず、木が多く使われたのは「予算に制約された」事情もあったのでしょう。
狭山池は「科学技術」で支えられていました。
写真左:水位により、取水口が代えられ、導水路に送られる仕組みが完成していました。
写真右:狭山池の持つ灌漑能力で潤う流域を示しています。

相変わらずのお話を…
素晴らしい空間を有し、自然に『水』と言うテーマに接することができる博物館です。
にも拘らず、安藤先生の作品らしく「おざなりなバリヤフリー」も普段通りです。「福祉の街条例」をクリアする設備は付けられていますが、エレベータは隅に追いやられ「身体障害者」が、水をテーマにした屋外の大空間を味わうことはできません。階段も、直角に段が作られ「蹴込み角度」が設けられていません。高齢化して視力の落ちた人に恐怖を与えることをご存知ないのでしょう。
大空間を構成する比率そのままに「巨大な扉」が設けられていますが、非力なお年よりには開けるのが辛い重さです(自動ドアはお嫌いなのであろうか?)。
館内の床面は高低差がつけられ、空間の変化が演出されています。エレベータは設置されていますが「主要ルート」から外れており、スロープも「自力で移動」には急勾配です。(エレベータを交通手段の中心にしないため)バリヤフリールートでは「はしょったルート」にならざるを得ません。
設計を依頼する自治体は、先生に「もっとバリヤフリーの充実を!」お願いできないものであろうか?
安藤先生ご自身が、障害者にならねば実現することのない願いであろうか…
多くのボランティア組織により、祭典の準備がなされました。
平成の大改修落成と大阪狭山市「市制15周年」を祝うイベントです。
昨夜は、池を1周する「ろうそく」がともされました。(写真に薄らと写っています)
今日は、終日「イベント尽くめ」です。私も心嬉しく思っています。
最後に「狭山池博物館」をご案内しておきます。
大阪府立「狭山池博物館」0723-67-8891
インターネットで詳しく休館日や交通機関が紹介されています。ご覧ください。
020429(月)すれ違いGW
相変らず「仕事か用事か分からぬ」ことで、多忙な日々を送っています。
そんな訳で、GWは暦通りに出勤する予定を組みました。一人事務所なのだから「そこは自由に…」に思われそうですが、一人だけに規律を設けないと崩れてしまいます。平日には「人と会う」予定を入れており、休祭日は自宅で仕事です。
何の事はない、結局「仕事三昧」となります。
最近特に体力が衰えており、昨日もAM7:00〜PM8:00までの13時間労働で「へとへと」になってしまいました。夜中に息子夫婦が帰ってきたのですが、疲れきって眠ったままの有様です。
家内は、世間が休むときほど忙しい「因果なパートタイマー」をやっています。
GWの休祭日は全て出勤だそうで、昼は家内の作り置きの弁当、帰りも遅いため夜は出来合いのおかずか作り置きの料理(例えばカレーライス)になってしまいます。何と!寂しいことやおまへんか
そこへ、息子夫婦の突然の帰省です。急遽、平日の二日間を休暇を取ったそうですが、そのときは「私が出勤」です。息子達も予定を持っており、久々の全員集合も「見事なすれ違い」
何と言うことであろうか!
020430(火)格別のこともなし
仕事に倦み、昨日の作業は午前中で切上げる。
息子夫婦を「薬膳料理」に誘ったのですが、予定が変えられず断念(薬膳料理:「私のグルメ」参照)
午後からは、近所に住む若夫婦を「アッシー」にして、買い物に出かけました。
甥夫婦に「男子誕生」と言うおめでたい連絡があり、お祝いを購入発送。
煙草を止めてから3年間、成長を続ける「我がお腹」のため、ついに体が納まるスーツがなくなりました。今後も成長の可能性があり、高価なスーツは「無駄遣いの元」です。超の付くバーゲンセールでスーツとブレザーを購入。ついでに「酒の肴」を購入。
夕方から、酒を片手に「ビデオ」観賞。やっと「陰陽師」を入手。
12時、嫁と雑談後「おやすみ」


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