dogfight高松の長すぎるひとり言
2001年8月

一級建築士試験花火大会踏絵あの顔で…蒲の穂ハーグ陸戦条約拝啓「メーカー」様リメイクと老人福祉施設ヒヤリン腰砕けお盆の街角ユニットケアと西日対策児童虐待新聞と政教分離託老所教科書販売株式会社ふるさと自慢何か変だ怠惰な暴走族目隠しした理想主義因果な商売教科書の検証ヒップ漢字仲間依存症
010801(水)一級建築士試験
私にとって「遠い昔」になりましたが、これから「建築士」を目指す若者にとって重要な「一級建築士試験」がありました。MACの横田君もかなり準備をして望んだようですが、「合格ラインに9点とどかず」で涙をのんだ様子です。
一級建築士の絶対数を抑えようと言う方針があるようで、能力をチェックするテストから「振るい落すテスト」に代わっているそうで、難問奇問だらけのようです。
Matsuさんは、一級建築士を目指す若者です。
2年間「まさかの敗退」を体験し、「3度目の正直」に挑戦しています。今年も学科をパスに、これから悪夢の「製図」に臨む準備中です。
Matsuさんのホームページに「持ち帰った問題」が提示してありました。
私も挑戦してみたのです「?!?」の繰り返しで全く歯が立ちません。これがいったいどんな役に立つのだろうと首を傾げるばかりです。Matsuさんとの書簡とURLを提示しておきます。皆様も一度挑戦してみてください。
おひさしぶりです!!
> どうやら学科は合格の様子ですね。
HP見ていただいたんですね、ありがとうございます。
> さて、あれを知っていて「実務にどれだけ役立つのでしょうか?」
まったくですよね・・・
しかも過去問題をいくら解いて試験に臨んでも、結局はクイズみたいな問題に惑わされて5択中2択は答えられないように出来てるんですもんね…
今回の試験も試験中に答えが完全にわかったのが、せいぜい半分で後の半分は2択までしぼった後の「カン」で答えました…
「カン」で合否が決まる試験のどこが国家試験なんでしょ??
自力で100点とれる人がいるなら見てみたいですよ…
ただ今年から試験問題の持ちかえりが出来るようになったことは大きな変化ですよね!!
情報の公開がもっと進んで、製図試験の採点後の結果(点数)の発表までしてくれたら親切なんですが…何故駄目なのかがわからなければ次回の対策も練れないですよね…
すいません、愚痴ってしまいました…(爆) そんなこんなですが、がんばります!!
http://member.nifty.ne.jp/shigemiti/index.html
010802(木)花火大会
近畿の風物詩「PLの花火」をご覧下さい
010803(金)踏絵
今年も8月15日が近づいてきました。
例年通り「あの戦争をふり返る」記事が多くなり、踏絵のごとく「靖国神社参拝」が取り沙汰されます。今年は田中外相の言動もあり一際「靖国問題」がクローズアップされています。
私の極近い親族では誰も合祀されていませんが、この問題は一日本人として傍観する気持ちになれません。気持ちを整理する意味で触れてみたいと思います。
靖国神社のホームページ(http://www.yasukuni.or.jp/)にアクセスしてみました。
時節柄、大変繋がりにくくなっています。まずHPより、神社の由来をご紹介します。(原文のまま)
靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された。
初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年間靖国神社と改称されて今日に至っている。後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。
ご覧のように「国に殉じた人達」を祭る神社です。
我が国の一般的な宗教観は「死後の世界に善悪を持込まず」で、ナイチンゲールの思想にも似た「博愛の精神」で貫かれており、ここには戦いに倒れた兵士が敵味方なく祭祀されています。
我が国が太平洋戦争に敗れ、占領下で「靖国神社参拝」が禁止されました。
しかし、講和条約発効を前に吉田茂総理が靖国参拝を強行したことにより、国の最高責任者が参拝する習慣が復活しました。この時点で中国や韓国等からの抗議は全くありませんでした。
時は流れ、政治の空白を埋めるために「三木内閣」が出来ました。
およそ自民党らしからぬ内閣で、小数派閥が朝日新聞を主体とするマスコミを巻き込んで政権を維持しました。その様は「バルカン政治家」と命名され、思想的に考えれば「社会党政権」に近いものでした。当時、私は「朝日ジャーナル」の愛読者で、シンパシーを感じたものですが、今考えれば「恐ろしいことだ」と思います。
靖国神社には、戦勝国による裁判(東京裁判)で戦犯とされた人たちが合祀されていることから、三木内閣は「アジア諸国の感情に配慮する」として公式参拝を取止めました。これが悪しき習慣の始まりです。残念ながらそれ以後公式参拝は行われていません。
今では、「公式参拝云々」は中国や韓国への「属国化」を試す踏絵として利用されています。両国の抗議に屈して「参拝取止め」をした後は、政治的精神的に「気後れした内閣」の連続であったように私は思います。
「東京裁判で戦犯とされた人たちが合祀されている」と言うもっともらしい理由ですが、東京裁判自身が「裁判」といえるのか?疑問を呈さざるを得ません。証拠尋問など皆無で、反論も許されず一方的判決であったことは言うまでもありません。勝者による「悪意に満ちた裁き」である証拠に、東京を焼け野原にした無差別爆撃のカーチス・ルメイ将軍も、軍部の反対を押切って人体実験としか言いようのない原爆投下を命じたトルーマン大統領も裁かれていません。

戦犯と言うけれど、彼らは「お国の為」を信じて戦ったことだけは間違いありません。東京裁判史観による「事後の判断」で断罪をするべきではありません。
なにも、中国や韓国に「靖国参拝」を強制しているわけではありません。
我が国の政治家が、我が国の礎を作ってきた英霊に参拝するのです。もう踏絵は止めて欲しいものです。
追記
我が国が主権を主張している「北方4島」の海域で、ロシアの承認のもと韓国漁船が秋刀魚漁を強行しました。韓国とは我が国の友好国なのであろうか?
010805追記
日曜の政治番組で靖国参拝の反対理由に「政教分離を定めた憲法に違反」が上げられていました。これが政教分離に反するなら、盆暮れの墓参りや、初詣、さらには外国でも国立墓地表敬訪問も全て「宗教活動」になってしまいます。もっと常識的に「宗教活動」を判断できないのであろうか!
010804(土)あの顔で…
「えっ!あの人が」ということは多いもので、良きに付け悪しきにつけて人は「見てくれ」で判断しがちです。早い話が「あの顔で…」と言うことに他なりません。
先日も、痴漢と間違われた青年が裁判を通じて冤罪を晴らした記事が出ていました。この青年がどのような雰囲気を持った人か存じませんが、大変な苦労をしただろうことは想像に難くありません。
私もかつて、朝のラッシュの地下鉄で「この人痴漢です」と叫ばれたことがあります。勿論冤罪ですが、私ではないことを証明する術がないことを思い知らされました。
どうやら私は生来「スケベ顔」らしく、あれ以降誤解を受ける時間帯を避けることにしました。それが、当社の勤務時間(10:00〜18:00)に反映しています。
顔で損をしたことはこれだけに止まりません。
今でこそ、酒とタバコで喉を潰しましたが、若い頃は「大変な美声」(ホンマかいな?)でした。録音テープの私の声を誰も信用してくれなかったこともあります。最近では、音程に遅れることもあり、よほど興が乗らなければカラオケを歌うこともなくなりました。が…
ある時、どうにも断りきれなくて歌ったところ、相手が本気で怒り出しました。歌を薦めた人が想像していたよりずっと上手だったのか?「バカにされた」と思ったようです。私にすれば迷惑な話です。
スケッチでもそうです。
私の顔と絵を見比べて「大笑い」した人がいます。こんな失礼な話はありませんが、どうにも顔と結びつかなかったそうです。別に「顔で絵を書く」分けでもないのに…
私のホームページをご覧頂いた方からこんな質問がきました。
「メンテナンスは誰がしているのです?」
なんと!まあ〜
私がHPを作ることは「顔に似合わない」ことのようです。
もっとも、手配師から日雇い労務者と間違われたこともあるし、私が仕事で現場に出向いても「設計者」と気付かない警備員から「現場に入らないように」と注意を受けることなどざらにあります。
どうやら私は一生「あの顔で…」と付き合う必要がありそうです。
010805(日)蒲の穂

新池の「蒲の穂」
我が家の眼下に広がる新池。
その一角に毎年「蒲の穂」が実る。池のほとりに降りる術がなく、触ってみたいものですが近寄ることも出来ません。それだけに立派な穂が出来ています。
「蒲の穂」でまず頭に浮かぶのは、民話「因幡の白兎」です。
ところがうろ覚えで詳しいことが分からない。その点便利になったものです「インターネット」でたちどころに調べられます。安直な私は「パクリ」で一日分のHPを作ろうとしています。

まずは、正調「因幡の白兎」をご紹介します。
「山陰物語」(古事記より)
大勢の神様たちが因幡の国に向かって歩いていました。
ヤカミヒメ(八王姫・八上比売)という美しい女性をお嫁さんにするためです。稲羽の気多の崎を通りかかると、一匹の兎が赤裸で泣いていました。
神様たちはそのようになった事情を兎にたずねました。
兎は、「私は隠岐の島の兎です。この気多の崎に渡ろうと思ったのですが手段がないので、海のワニたちに『お前たちの仲間の数と私たちの数と比べ合おう。お前は仲間たちみなで気多の崎まで並んでごらん。そうしたら私がその上を跳んで数えるから』といいました。私はだまされたワニたちが並んだ上を渡り、もう一歩で地面に跳び下りようとしたときに、『お前たちはまんまとだまされたんだよ、私は海を渡りたかっただけなのに』といいました。すると怒った最後のワニが私に飛びかかってきて、毛皮をはがされてしまったのです。」
神々は笑いながら兎にいいました。
「海の塩水を浴び、風に吹かれて、高い山の尾根で伏せていなさい。」兎は教えられた通りにしましたが、塩水が乾くと風にあたった皮膚が乾いて割れてきて、痛くて痛くて泣きつづけていました。
すると一行の後から大勢の神様たちの荷物の入った大袋をかついだ大国主命が通りかかりました。かわいそうに思った命は兎に事情をたずねました。
兎の話を聞いた大国主命は、「今すぐに真水でからだを洗いなさい。そして、がまの花粉の上にねころんで休みなさい」と教えました。兎がその通りにすると、兎の傷はなおりました。喜んだ兎は「あなたこそ、ヤカミヒメと結婚することができるでしょう」と言いました。
如何ですか?
やはり蒲が登場しましたが、残念ながら「花粉」でした。案外知っているようで民話を知らないものだと反省しています。
今一つご紹介します。
物語をそのまま受け入れれば良いのですが、理屈っぽく考えれば「なんで隠岐の島なんだろう?」「どうしてウサギなのか?」必然性に欠けています。そんな疑問に答えてくれるのが、下記のHPです。
因幡風土記(存疑)より 因幡の白兎・考(1) http://www.dai3gen.net/sirousagi.htm
有名な因幡の素兎の話である。
同様の話は古事記にも記載がある。キーワードを確認するために要点を復習しておこう。
因幡の国、高草の郷の話だ。老兎が洪水で「オキノシマ」に流された。「数を数える」とワニを欺いて「着物を剥がれる」。「蒲」の花を撒いてその上に伏して転ぶ。それで治った。
さて、この話も縄文時代から縄文語(その後裔言語がアイヌ語か)で伝わったものらしい。そう思われるのは、この話をアイヌ語を介して考えてみると、筋書き以上に言葉の音や意味の転化に味わいが見て取れるからである。
タイトルにあるように「存疑」を呈したものです。
この話しを、縄文語(その後裔言語がアイヌ語か)で解釈するとまことに分かりやすいことが縷々述べられています。大変興味ある内容でした。是非上記URLでご覧頂きますように…
010811追記
この記事の後、まるで待っていたかのように、因幡(鳥取)の国の海岸に「サメ(ワニ)」が押し寄せ、遊泳禁止となっています。出張で鳥取に行ってきたのですが、現地ではこの話題で持ちきりです。掻き入れ時にお気の毒な限りです。
010806(月)ハーグ陸戦条約
(本日は「原爆記念日」です。この行為は民間人への攻撃を禁止したハーグ陸戦条約に反します)

「ハーグ陸戦条約」をご紹介します。
戦争から目をそむければ「平和になる」などと思わずに、是非一度お読みください。紛争地域にもヘッチャラで旅行に出かける人が多い昨今、紛争に巻きこまれたら「何が必要か」を身につけておいては如何でしょうか。この知識は、あなたを助けるかもしれません…
原文は下記のURLでお読みいただけます。
http://www3.ocn.ne.jp/~kenpou/sub3/kokusai-jyouyaku/hagurikusen.htm 
結構「難解」ですので、私なりに解釈して表示します。
第1条「民兵と義勇兵」
戦争の法規及び権利義務は、正規軍だけではなく、下記の条件を満たす民兵及び義勇兵団にも適用する
 1 部下のために責任を負う指揮官が存在すること
 2 遠方より識別できること(統一された服装や軍旗等を有する必要がある)
 3 兵器を隠し持たないこと
 4 戦争法規慣例を尊守すること
第2条「郡民兵」
占領された地域の住民で、侵入軍隊に対し武器を隠し持つことなく抗敵し、かつ戦争法規を尊守するときは「交戦者」と認める。
第3条「戦闘員と非戦闘員」
交戦者の兵力は、戦闘員と非戦闘員で構成し、敵に捕らえられたときは両者とも「俘虜の扱いを受ける権利」を有す。
第4条「地位」
俘虜は「敵政府の権限内に属し」捕らえ個人や部隊の権限内に属するものではない。
俘虜には「人道的扱い」をすること。
俘虜から兵器馬匹及び軍用書類以外の所有物を奪ってはいけない。
第14条では
各交戦国は戦争開始から「俘虜情報局」を設置すること。情報局は…
俘虜に関する一切の事項を整備管理し問い合わせに答える責務がある。
和平成立後、資料は交戦国政府に引き渡すこと。
俘虜の遺留品を収集保管し、関係者に手渡す責任がある。
第22条では
害敵手段(使用する武器)は無制限ではないとしています。
第23条では
投降した兵を殺傷してはいけない。「助命しない」と宣言してはいけない等明記しています。

如何でしょうか?
「交戦者」を定義して、遠方からでも「分かる」ことを義務付けています。交戦者は、降服し捕虜となる権利が与えられます。捕虜には保護が与えられます。また、交戦者以外は「ゲリラ」として、処刑の対象になることが合意されていますのでご注意を。

どんな条約も背景があるものです。
ここで、ハーグ陸戦条約が定められた背景を考えてみたいと思います。ただ、以下は私の考えですので正解かどうか保証の限りではありません。

ヨーロッパの古城ツアーがあります。霊感の鋭い方には「とても泊まれたものではない」と言うお話を聞いたことがあります。
中世ヨーロッパの戦いは「皆殺し」の歴史で、古城は「血塗られた」過去を持つ存在でした。敗北は「死」を意味し、死なないまでも負ければ「男は労働奴隷、女は性の奴隷」にされました。このように市民を巻き込んだ戦いであったため「城郭都市」が生まれたのです。
Dogfight注:日本的感覚でヨーロッパの戦いを理解すると間違ってしまうと思います。
我が国の「戦(いくさ)」は、徴税権を賭けた戦いでした。勝ち負けは領主の出来事で、武士と言えども領主に殉ずることはありませんでした。江戸時代になり、徳川幕府は「領主に忠誠を誓う」教育をするため、儒教を取入れたほどです。
ハーグ陸戦条約は、戦いを勝敗に絞り「虐殺や奴隷化の習慣を排除する」ために出来たと私は考えています。
次に「ハーグ陸戦条約は守られたか?」と言う点に付いて考えてみます。
我が国は1910年に加盟しており、遅れて帝国主義に参加しただけに、「優等生で在ろう」と努力し、それなりに評価も受けました。教科書問題に見るように、我が国の軍隊が格別「悪逆非道」であったわけではありません。

共産圏諸国には、この陸戦条約を守る意識は希薄であったように思います。
ポツダム宣言受託後我が国に侵攻したソ連は、「男は労働奴隷、女は性の奴隷」を実行しました。シベリヤ抑留兵士や発狂した女性の悲劇がそれを物語っています。
また、ソ連崩壊後東欧で起こった民族紛争でも、「民族浄化」の名のもとに「男は労働奴隷、女は性の奴隷」が行われたことは記憶に新しい。

中華思想の中国も「国際条約を守らない」ことで定評があります。
戦いに負けると住民を襲い「衣類等を略奪して」逃げることを繰り返しています。条約では「遠くからでも交戦当事者」と分かることを義務付けていますが、彼らのしたことはまったく逆の「人民の海に隠れる更衣兵」でした。兵と市民の区別がつかない戦闘を選んだために起きた悲劇がたくさんありました。南京大虐殺と呼ばれる事件も、城外の戦闘で負けた中国兵が城内に逃げ込み、市民を襲って「更衣」したことによって誤解が生まれています。
このように見てくると、ハーグ陸戦条約は西側諸国で起きた戦闘行為以外あまり守られていないようにも思います。
「君子危うきに近寄らず」です。無謀な旅行は慎みましょう…
追記
目の前に「戦闘で傷ついた人」が苦しんでいます。貴方はどうしますか?
ヒューマニズムを発揮して、闇雲に助けに行けば「射殺」されても文句は言えません。何故か!?
貴方は「非交戦者」で戦闘に関ってはいけないからです。
「目の前に苦しんでいる人がいるのに…」と思うでしょうが、戦闘の常識を言えば「助けに来る仲間を襲う」のが目的で、わざと苦しむ人を放置します。これが戦闘です。
彼らを助けられるのは「非戦闘員に分類される交戦者(従軍看護婦や衛生兵)」であって、民間人(非交戦者)ではありません。
では、どうするのか!
第1条に従えばよいのです。宿泊先ホテルのシーツにルージュで「十字」を描き、赤十字旗を掲げることです。全員腕には白い腕章を巻き、「遠くからでも一目で分かる集団(非戦闘員・義勇兵)」になってから「救助活動」をすればよいのです。これが「陸戦条約」です。
010807(火)拝啓「メーカー」様
別タイトル『激動の老人福祉施設』に編集しています。是非覧下さい!
010811(土)リメイクと老人福祉施設
別タイトル『激動の老人福祉施設』に編集しています。是非覧下さい!
010812(日)ヒヤリング
別タイトル『激動の老人福祉施設』に編集しています。是非覧下さい!
010814(火)腰砕け
床屋に行ってもタクシーに乗っても「小泉さん、参拝しますやろか?」と、話題が出ました。
このことは、友人、取引先さらには家族の間でも最大の話題となっていました。統計など取る術がありませんが「靖国参拝」は国民の大きな関心事であったように思います。また、前出の床屋さんやタクシーの運転手氏も「総理に国民代表とし参拝して欲しい」という願いが込められていました。
13日、テレビにテロップが流れました。
国民の目をはぐらかすように「前倒し参拝」が行われました。8月15日に公式参拝するという総理の公約は破られました。近隣諸国という大旗を掲げる「中国・韓国」と声の大きなマスコミ(特にNHKの声は大きかった)に屈した瞬間でした。
「聖域なき構造改革」も、はや中韓と言う聖域を作ってしまいました。
早速「外交修復には日本の努力がいる」と言う声明が発表され、ODAという名の「強請りたかり」が横行する様が目に浮かびます。
中国に至っては「靖国参拝は軍国主義復活に繋がる」そうです。
中国にだけは言われたくないことです。世界最大の軍事費の伸びを示し、世界最大の軍隊を維持する国家からみれば、我が国など「オモチャの軍隊」であることなど先刻承知のはずです。
軍国主義復活など買被りです。せめて「我が国」に目覚めて欲しいと私は思っています。
我が国には外国にみる「国立墓地」がありません。
靖国神社はいわば国立墓地と私は認識しています。主に太平洋戦争での没者232万柱を含み約280万柱を祭祀しています。ここに、戦勝国の不公平な裁判で有罪とされたA級戦犯が含まれているとして、「参拝まかりならぬ」と言われます。
戦犯は「戦争犯罪人」の意味です。
東京裁判では「平和に対する罪」で裁かれました。東京大空襲も原爆投下も「平和を求める行為」で罪ではないそうです。
正確な人数がわかりませんが、B級C級戦犯まで入れれば「万単位」になり、処刑された人だけでも4000人以上だったと記憶しています。「目が会った」と言う理由だけで処刑された人もあるそうで、海外で行われた裁判は東京裁判以上にデタラメだったようです。
お訊ねします。
家族に「戦犯」とされた人がいたなら、貴方はそれを理由に「墓参りを拒否」するのでしょうか?
靖国神社は国立墓地に相当すると思います。総理大臣は「国民の代表」として参拝する義務があると思っています。それは宗教儀式などではなく、それは先祖に対する礼儀だからです。
小泉政権の誕生を冷ややかに迎えた私ですが、大活躍を祈る気持ちもありました。結局は「大法螺吹き」の「腰砕け」に終わらないで下さい。お願いします。
追記
急遽、ふるさとへ墓参りに行ってきました。安らかに眠りたまえ…
010816追記 「激動の老人福祉施設」をご紹介しています。
改革のペースはすざましく「小泉パワー」を彷彿とさせますが、実は「小渕政権が種をまき、森政権が育てた」成果を、穫り入れる強運に巡り会ったに過ぎない。
前倒しと言えども靖国参拝で反対派から非難をあび、賛同派からは公約破りとして失望された。折角の「実りの穫り入れ」という強運を、小泉総理は逃したかもしれない…
010815(水)終戦記念日お盆の街角
18世紀にイギリスで産業革命が起こりました。
生産現場に「機械が導入された」のです。生産性は飛躍的に向上し、ここから「近代」がスタートしました。機械の登場は産業構造を変え、経済理論を変えました。現行税制の基礎が形づくられるのもこのときからです。
機械は月日と共に老朽化し、やがて入替が必要になります。
その消耗分を「収入から差し引いて欲しい」という要求が「減価償却」という考えに発展していきます。労働者たちは、機械の消耗を認めるなら「人間の消耗」も認めろと抗議をしました。この要求もかなえられ「基礎控除」となったと言われます。
産業革命は「労働者保護」の歴史でもありました。
必要な保護から、やがて「過剰な保護」に変わり、日曜日の営業禁止が法で定められ、営業時間も厳しく決められました。それは労働者の保護にはなりましたが、消費者の便利さを奪うものでした。その結果、世界の大国イギリスも、やがて「英国病」に蝕まれていきます。
王座をアメリカに奪われたイギリスは、鉄の宰相といわれたサッチャー首相の大鉈で、消費者の便利さを取り返し、欧州の優等生になるまでに復調しました。

イギリスの後を継いだアメリカも「労働者天国」になって没落の憂き目を見たけれど、レーガン大統領によりって復活を果たしました。
世界一の所得を誇る「我が国」の現状はどうでしょうか?
所得世界一は「亡国の兆し」と言って差支えありません。いまや「日いずる国」ではなく「日没する国」になろうとしています。
13日早朝、故郷に墓参りに出かけました。
渋滞常習地帯を抜けてから「サービスエリヤで朝食を」と、出かけたのですがなんと営業時間は「8:00〜18:00」だそうな。結局、腹を空かしたまま走り続けることになりました。東名、名神と言った大動脈なら24時間営業(私は詳しく知らない)かもしれませんが、今回利用した「西名阪+東名阪」では、民族大移動が始まる盆休みでも「臨機応変な対応」はしないらしい。溢れるばかりの車、閉まったままのレストラン、フラストレーションの溜まった若者が不満をぶつけていました。

小泉政権では全ての特殊法人を見直しするそうです。
中でも槍玉に上がっている「日本道路公団」には、厳しい目が注がれていますが、そんな最中の出来事です。早朝から「車が溢れる」ことが分かっているこの期間くらい、営業時間を変えて対応するくらいの努力をしないのだろうか…
気になる仕事があり、お盆を返上して出勤しました。
大阪の繁華街、どこも店を開け客が溢れかえっています。収益の落込みを「営業時間の延長で補う」店が増えてきました。パートタイマーの時間給は落ちるばかりです。それでも「労働者の権利」を返上して働いています。
日本の復活には、行き過ぎた労働者の権利を見直す必要があります。
しかし、一番権利を謳歌しているのが「お役人様」だけに、前途多難といったところであろうか!
010816(木)ユニットケアと西日対策
別タイトル『激動の老人福祉施設』に編集しています。是非覧下さい!
010817(金)児童虐待
尼崎の運河から6歳児の遺体が見つかりました。
幼児の遺体には傷跡が多く、親による児童虐待の末死亡したと推定されています。
先日、大阪府下の自治体の「児童福祉課」にお勤めの方と、長年「民生委員」をお務めの方にお話しを伺う機会がありました。
ご両者のお話しによれば、マスコミに報道されるのは「遺体で見つかった」事例だけですが、実態はおぞましいほど凄惨かつ多く存在するそうです。
話によれば、児童虐待に至るパターンの9割以上が下記のような「男女問題」からだそうです。
 1. 離婚し、女性が子供を引き取る
 2. 女性に「男」ができる(男ができて、離婚のケースも多いようだ)
 3. 男には生活力がない(多くは年下の男)
 4. 女の家に同居する
 5. 「遊び」に子供が邪魔になる
 6. 男が子供をいたぶる
 7. 男に迎合するため、女が更なる虐待をする
家庭は「最後の砦」です。特に、母親は「安らぎの場」であった筈です。それが崩れたところに「幼児虐待」があります。
社会が悪い!
それだけで済ませられることでしょうか?

ご両者の話では、「親の意識はかけらも持ち合わせていない」そうで、子供は只々邪魔な存在に過ぎないと言う。
民生委員氏によれば、体中「やけど・打撲・切り傷」だらけで、目をそむけたくなるほどだそうです。親を呼び出し注意しても「否定」されるだけでらちがあかず、幼児虐待をする親ほど「介入を嫌う」ため、親権に阻まれて有効な救済手段がないそうです。
児童福祉員氏の話によれば、学校が終わると毎日市役所に来て「児童福祉課で眠る子」がいるそうです。この子供にとって、ここだけが「安心して眠れる場所」と言うわけです。夜遅く親が引き取りに来て「嫌がる子供を連れ帰る」そうです。ここでも親権の壁が立ちはだかって、保護できないでいると言う。
「尊属殺人」という罪があります。
子が親を殺した場合に適用される重い罪です。しかし、逆を想定した罪はありません。刑法を制定した頃には、親が子を虐待するなど考えられなかったからだと思います。子を守る義務、子を守る権利、それが「親権」です。いまや親権が壁となって第3者が児童を守る障害となっています。緊急避難的な「親権の制限」を考えても良いのではないでしょうか。
010818(土)新聞と政教分離
宅配が当たり前の我が国では、新聞選びは「主婦の権限」であることが多いかもしれません。各新聞社とも勧誘員を置き、あの手この手で購読者を獲得しています。それは、無料期間であったり、景品であったりします。
最初はこんなものでも、やがて「相性」が出てきます。
景品に踊ることなく、自分の価値観と合う新聞選びになってきます。新聞社からみれば「固定客」になるわけですが、その割合はどのくらいあるのであろうか?
全国紙の色合いは「朝日・毎日」系と「読売・産経」系にはっきりと分かれてきました。面白いもので、確固たる意見の持ち主のお話を聞いていると「購読新聞」が想像つくようになりました。
先日もこんなことがありました。
日々起こる社会事象に関し非常に見識ある判断を下し、大変頼りになる方なのですが「靖国や教科書」では私と全く反対の意見の持ち主と分かりました。この方は「朝日新聞」の読者で、きっと信念を持った「朝日購読者」だと思います。
20代の私は、朝日シンパでした。
幸い?に大学には行かなかったので学生運動に関っていませんが、もし行っていたら「至って行動派」だけに学生運動にのめり込んでいたかもしれません。
20代の終わりから30代の初めにかけて、私は大きく変わりました。その理由は…
 ・ 独立する羽目になり経営者となった(給料をもらう立場から、給料を出す立場になった)
 ・ 20代に始めた読書から、歴史に興味を持ち「我が国」を意識するようになった
 ・ 子供が義務教育を受けるようになり、教師のあり方に疑問を持つようになった
 ・ 海外に行く機会が増え、外から日本を眺めるようになったとき「朝日的視点と違う」と感じた
誰の影響でもなく、私自身が変わっていきました。購読新聞も、読売、更に産経へと変化しています。
(違いを知ることは面白く、他紙にも目を通しています)
追記 先日、革新政党の方とお話しする機会がありました。
氏はある営利組織のトップで、お話しから「経営者のスタンスはイデオロギーに関係ない」ことを知り、私はほっとしました。
話題は変わります。
久しぶりに「大石英司氏のホームページ」を覘いて見ました。
 http://www02.so-net.ne.jp/~eiji-oh/
内容が大きく変わっているのに驚いたのですが、氏の購読が「産経新聞」と知って、もっと驚きました。氏の作品は政府に対し「ニヒル」で、あまり「産経的ではない」思い込んでいたのです。もっとも、より「朝日的ではない」ことは確かですが…
ただ、HPはかなり産経的で、氏は作品と「個人」をきちんと使い分けていらっしゃるように感じます。例えば、
 ・ 「康夫ちゃん観察日記」と題するコーナーがあり、田中康夫長野県知事を批判する人たちにページを提供している。(かなり産経的)
 ・ 「日記」のコーナーは、過激なほど産経的です。その一部をご紹介…
  Fri Aug 10 03:54:48 JST 2001から
テレビ朝日のニュースステーションで、萩谷順編集委員が「日本の常識は世界の非常識。世界は日本が政教分離出来るかどうか観ている」と発言したことに対し、大石氏は「世界の先進国で、日本ほど政教分離を徹底している国は無いぜ。アメリカを観てみなよ」と批判しています。
この日記を見て、私も驚いてしまいました。
政教分離はヨーロッパで生まれた概念です。
宗教政治はヨーロッパの歴史に暗黒部分を形成しています。そのため「宗教が政治に口出しすることを禁止する」目的で政教分離が作られ、政治が宗教に関与することを禁止したものではありません。当然のことながら「国家行事に宗教色は付き物」で、無理に排除すれば不自然さを招きます。現に、欧米ではキリスト教に則って国家行事を行っているし、ドイツでは「宗教税を徴収して教会に交付」しています。
ちなみに、欧米における「政教分離」の概念で言えば、国家の代表者(総理)が、戦没者を慰霊(靖国神社参拝)することは当然です。朝日の編集委員はそんなことも知らないのであろうか!もし、知っていて国民を違った方向に誘導しようとしているなら、それは許せない行為です。
010819(日)託老所
私事で恐縮ですが…
夏バテに、冷えたソーメンは口当たりがよく「私の好物」です。しかしこの夏、私は一度もソーメンを口にしていません。
家内の実家の親父殿に介護が必要になりました。
近所に住む、家内の姉上殿に普段はお世話願っているのですが、パートで勤めている家内は日曜日が当番で、昨年9月から実家に通うようになりました。

日々、不規則な生活をしている私ですが、日曜日だけは「安息日」として大切にしてきました。その日曜日が「すれ違い」になってしまったのです。ソーメンが食べたければ、自分で湯がけばよいのですが、なんとも「虚しく」その気になれません。
まもなく「すれ違い家族」も1年になろうとしています。理由が理由なだけに反対も出来ず、家内には疲れが、家族にはフラストレーションが溜まって来ています。このように、お年寄りの在宅介護は、「家族に負担を強いる」ことになります。
ある保守系政治家の先生とお話しする機会がありました。
その雑談の中で、先生は「託老所を作ろうと働きかけています」とおっしゃいました。文字通り、お年よりを一時預かって頂く施設です。
「それならあるではないか」という声が聞こえそうですが、既存のものと意味が違います。
デイサービスは午後3時には終了しますし、ショートステイは数日間の預かりです。家族のガス抜きには「帯に短し襷に長し」なのです。駅前託児所のように「朝から夜9時頃まで」預かってくれる施設が欲しいのです。
毎日預けようとするものではありません。月に数回、「我が家」を大切にしたいと願うものです。
関係のない追記1  超大型台風11号が近づいています。
風速15m以上の強風域の半径が800kmと言う大きさです。はるか洋上にあるにも拘らず、早くも強風を吹かせています。お陰で、この夏初めて「クーラーのない夜」を過ごせました。
水不足に悩む日本の「救いの神」となるか!はたまた過剰な「災い」となるか、いつだって自然は予測不能です。
終日、強風吹き荒れる。
高台のマンションに住む我が家は標高200m、なにやら家が揺れているように感ずる。
日暮れ。厚い雲が焼けている。
いよいよ明日は台風が接近する。さて、どんな1日になるやら…

関係のない追記2 暇に任せてネットサーフィンをして、こんなHPを見つけました。
 ・伊勢神宮のHPを見つけました http://www.isejingu.or.jp/
  その中に「アニメ・お伊勢さん」があります。結構楽しめます、お暇な折にでもどうぞ
   http://www.isejingu.or.jp/anime/index.htm
 ・元市民課職員の危ない話 http://www01.u-page.so-net.ne.jp/fb3/niop/index.html
  とかく批判される立場の人から見た「我侭な市民」が描かれています。可笑しくて深刻なHPです。
010820(月)教科書販売株式会社
建築屋なんぞをやっておりますと「人と会う」ことが重要な仕事になってまいります。
様々な立場の人、様々な職業の人と言った中で「あっと」驚くこともございます。今日は、そんな一つをご紹介します。
靖国問題の陰に隠れ少し下火になりましたが、教科書問題もマスコミを賑わせた大きな問題です。そのお陰で、私達は多くのことを知ることが出来ました。
 ・ 近隣2国と違い、我が国は「検定教科書」であること
 ・ 検定機関は独立しており、総理と言えども指揮できないこと
 ・ なのに、一部のマスコミは細部に至るまで熟知しており、近隣2国にご注進している
まあ、ごたごたはありましたが森前総理が筋を通して、政府の介入なしで検定が済みました。(近隣2国から「政府が介入するよう」干渉があった)
検定が過ぎれば、次は「採択」です。
マスコミが騒いだお陰で、このような制度があることを私は始めて知りました。教科書は「採択区」と呼ばれるエリヤ毎で、教育委員会を主とする採択委員の手で選ばれるこことになっており、ここでも「政府の干渉を排除」しています。
しかし、現実は「教師によって選ばれ」採択委員は追認するに過ぎない存在であることも報道されました。
この過程も、政府側は不介入を通したのに対し、一部マスコミによるアンフェアな行動がありました。
では採択後、生徒に教科書が渡るまで「どうなっているか?」ご存知でしょうか!
ある仕事の件でお訪ねした会社は「○○県教科書販売株式会社」でした。さてこの会社の仕事はなんやろか?
お話しを伺って、私は驚いてしまいました。では、ご紹介しましょう…

都道府県ごとに「○○県教科書販売株式会社」はあるそうです。
「○○県教科書販売株式会社」は県下の主な書店が出資して作った組合形式の会社です。採択された教科書は、学校ごとに必要数をまとめ「教科書販売株式会社」に注文(教科書販売株式会社以外から教科書は購入できない)されます。つまり、競争が全く排除された世界になっています。社員の方に直接お話を伺ったのですが「営業も不要で、安全確実な会社です」とのこと。思わず「ウム〜」と唸ってしまいます。
「こんな会社…要るんやろか」
これが第1感でした。利益を配分するためにだけに存在する会社で、流通の短縮を叫ぶ昨今に「逆流している」と感じたのです。
ところが、冷静になって考えてみると「人智を尽くした方式」であることが分かってきました。
私は「採択区毎に数量をまとめ」文部科学省に報告し、同省から出版社に注文すれば「中間経費が省け」教科書も安くなると考えました。経費の面だけみれば正解なのですが、大きなことが抜けています。
それは「検定教科書」と言うことです。

近隣2国のように「国定教科書」なら、政府が関与しても差支えないのでしょうが、検定教科書だけに販売ルートといえども政府は関与してはいけないのです。この辺に日本人の潔癖さが出ています。
更に「どの書店に注文しても良い」制度なら過当競争となり、不正(賄賂)の温床になる可能性が非常に高いと思います。県下の書店が「株式配当」の形で利益を分け合うことにより、不正を排除し、地域の振興にも役立っていると考えれば「よく出来た方式だ」と思えてきました。
追記
「賄賂」と言う意味で、不正が介在する余地は「採択委員VS出版社」しかありません。
しかし、これだけマスコミが密着しても「噂一つない」ところから、不正はないと考えてよさそうです。賄賂でしか物事が動かない近隣2国から見れば、さぞ「羨ましい」ことでしょう。
010821(火)ふるさと自慢
皆様はお盆休みをいかがお過ごしでしたか?
Kさんとの往復書簡から、私の盆休みをご紹介します。
お久し振りです。お元気なようなので安心しました。
13日には碧南に来られたそうで「うなぎ」や「歩いて暮らせる町づくり」はどうだったでしょうか。(以下略)
こんにちは
長い盆休みもあと僅かになってきました。
緊張感に包まれ「穴に火がつく」状態だと至って元気なのですが、ゆとりが出来ると本来の「ものぐさ」に戻ってしまいます。
(途中略)
碧南には、4人で行ってきました。
私の奢りのせいか「呆れるばかり」の食べっぷりでした。まあ、それでも「田舎のうなぎは美味い」ということは充分理解してくれたようです。
炎天下でしたが、墓参りと「路地の散歩」に付き合ってもらいました。
生まれ故郷「大浜」は、別名「寺町」と呼ばれるようにお寺の多い町です。大浜城跡になる「称名寺」は「葵のご紋」を冠する寺です。その他、三河一向一揆の拠点となった「西芳寺」(高松家の檀家寺)、禅道場で賑わう「林泉寺」、朝鮮出兵の折船を作った寺や、家康の長男に殉死した一色氏の墓がある「海徳寺」など、400年前から人口1000人ほどの町でこれらのお寺を支えるだけ「財力があった」地域です。どうも私にはロマンが欠ける様で恐縮ですが、紙と木で出来た文化が「今に残る」には、地域が豊かでなければありえません。
両手を広げれば「黒い板壁につき」、敷地境界など「誰も知らない」路地の佇まい。汗をかきながら、私の説明に友人も喜んでくれました。

今年の5月、ふるさとでバーベキューパーティーに飛び入りしたのですが、今もここに住む人には「良さがわからない」とのことでした。ふるさとを離れ35年、だからこそ感ずる郷愁かも知れません。
まだまだ暑さが続きます。お体、ご自愛を!
こんにちは。
お盆休みを楽しく過ごされていらっしゃるようでうらやましい限りです。
(途中略)
この愛知県、といっても三河の流れだと思いますが「うなぎ」がこれほど有名だとは知りませんでした。熱田神宮・蓬莱軒の「ひつまぶし」は女将さんの訛りとともにつとに有名になっております。私の母がうなぎが好きなので碧南に連れていきたいと思います。
それにしても寺院の数日本一の愛知県だけのことはありますね。「朝鮮出兵」のおり船をつくったお寺等など知らないことが沢山あり、県内のお寺を踏破したらすごい発見があるのでは。愛知県は名古屋の白い街だけではなく色々な町があるのだよと、もっとアピールしていくことが必要ですね。
(途中略)
お体に気をつけて、再見。
お盆の間に「やろう」と持ち帰った仕事は手もつけず、毎日だらけています。
そんな訳で、このメールもご迷惑でしょうが「暫しお付き合いを」願います。
(途中略)
名古屋市内では、栄にある「いばしょう」に度々行っています。
先般の仲間も「いばしょう」は詳しいのですが、田舎のうなぎのほうが「ずっと美味しい」と言ってくれました。
子供の頃より、うなぎは「夜釣り」で上げたものです。薄く削った竹の先に鈴をつけ、えさをつけた針を流すだけです。鈴が鳴れば「うなぎが掛かった」証で、あなた任せの釣りでした。

高校時代、「牛乳配達・家庭教師・設計事務所」とバイトの掛け持ちをやって、生計を立てていました。何せ学費も食費も稼がないと高校に行けない境遇だったのですが、収入があると「唯一の楽しみ」が、このうなぎを食べることでした。
場所は変わったのですが、この店は今もあり「小判天」と言います。是非一度お母様にご馳走を…
私には「思い出の店」なのですが、帰りに義兄の家に寄ったら「ああ〜小判天ね…もっと美味しい店があるよ」と言われてしまいました。
私の面目は丸つぶれでしたが、友人は「あれより美味い店があるのか!」と驚いていました。
注文を聞いてからさばき「タレをつけては焼きこむ」ため、出来るまで時間が掛かります。まあ、待ち遠しいのも「美味い」秘訣かもしれません。

小判天の近くに碧南市役所があります。
企画課が「歩いて暮らせる街づくり」を担当しており、ここで「寺町ウォーク」のイラストマップが手に入ります。もし、碧南にお越しのせつは散策してみてください。400年前のひなびた街を感じていただけると思います。
では、ごきげんよう
関係のない追記
近畿直撃必至と見られていた「超大型台風11号」は、今朝7:00のニュースによれば、北東に進路を変えており東海地方に向かっています。
伊勢湾台風経験者としては大変心配なのですが、不思議と自然災害が避けて通る大阪にはまるで危機感がありません。もう40年、この地に台風は来襲しておらず、伊勢湾台風のような超弩級の洗礼を受けていないため、まったく舐め切っています。大きな被害がでなければ良いのですが…
010822(水)何か変だ
気象庁の予報を狂わせ、北上を続けた台風11号ですが、大阪に影響を及ぼす寸前で、まるで「敵前逃亡」のように東へ進路を変えました。大阪は何と自然災害から救われているのであろうか。
台風一過「爽やかな…」と言いたいのですが、また蒸し暑さがぶり返してきました。あの「涼しい風よ」戻っておくれ
   [ここから本文]
こんな番組を見ました。
夏休みの子供に「遊び方」を教えている人がいる。
木登り、水遊び、刃物で物を作るなど、ちょっと危ないことも「目をつぶる」と言う了解を親から取付けたとかで、子供達は「のびのび遊んでいる」そうです。
思わず「そんなバカな」と口から出てしまいました。
遊び方を大人から教えてもらうなど、私が子供の頃なら考えられないことです。子供は遊ぶことが一番大切なのに、これは「何か変だ」と思いました。
「ガキ大将」と言う言葉が消えてどのくらいたつのでしょうか…
私のふるさとでは、幼稚園に入る頃から「子供社会」に入り、リーダーは小学校6年生。中学生になれば自然に仲間から抜けて、大人へ変身していったものです。
喧嘩に強いからガキ大将になれるわけではありません。年齢幅で6〜7歳くらいを上手く統率できる子供がリーダーとなっていました。今考えれば随分怖いこと危険なこともありましたが、誰一人死んだものはいません。私達は自然に「危険」を学び、次の世代に渡していきました。
私はHPで何度も、危険から遠ざけることが「危険に鈍感な子供を作る」と言ってきました。それは、この経験があるからです。

私達の世代は、子供社会を通じて「危険や限度」を学びました。
外灯とてない暗い田舎で、夜は最高の「遊び場」でした。暗闇でやる「かくれんぼ」など想像がつくでしょうか。鬼になれば、犬を連れて探しまわったものです。
仲間内の喧嘩もありましたが、仲裁役が付いても秩序ある喧嘩でした。「参った」と言えば喧嘩は終わりで、擦り傷はあっても大怪我はありませんでした。ここにはいつも「限度」があったのです。
子供達に「遊び」の指導をしていた人は、NPOと言う組織から派遣されていました。
テレビを見ていて不思議だったのは、折角遊びを教えているのに「同年代」を集めていることでした。これでは、遊びの伝承が起きません。今の子供に一番欠けていることは、異なる年代への伝承だと思うのですが如何でしょうか?
追記
NPOと言う組織が分からないので、インターネットで調べてみました。
説明によれば(原文のまま) http://www.npo-jp.net/
NPOとは、Nonprofit Organization の略で、様々な非営利活動を行う非政府、民間の組織であり、通常民間非営利組織と呼ばれています。
株式会社など営利企業とは違って、収入から費用を差し引いた利益を関係者に分配することが制度的にまたは事実上できないような組織のことを意味します。
NPOには、多種多様のものがあり、学校、病院、老人ホームなどを経営する事業型NPO、そうした活動に資金を提供する助成財団、環境問題など社会問題に取り組んだり、国際援助・交流を行う市民団体などが含まれます。宗教団体、政治団体、労働組合なども広い意味ではNPOに含まれるといえます。
どうやら、社会福祉法人・医療法人・宗教法人等を含む、ボランティア団体を組織化する「世界的なボランティア組織」のようです。
010823(木)怠惰な暴走族
夏と言えば「暴走族」の季節で、例年あの「爆音」に悩まされるのですが、今年は静かなものでした。
私の暮らす狭山は、奈良に道が通じていて、大阪奈良のバカ共が集まる地域となっています。そのため、暴走族が絡む殺人事件もあるなど、夜中ともなれば「無法地帯」の感があります。末っ子が大学生の頃、コンビニでバイトをしていたのですが、連中は集団で入ってきて「堂々と万引き」するのに対し、なんらなす術が無かったと言います。
それが、今年は大人しいものです。
格別取締りを強化したなどと聞いてはおらず、どうらや「暑いから」というのが理由のようです。
平成6年以来の猛暑だそうです。
最高気温35度以上の「酷暑日」は史上最高だったそうで、連日「体温以上」の気温に悩まされました。
最低気温も29度台が続き、べとつく湿度とあいまって、「史上最悪の夏」でした。こんな中で「革ジャン着て」暴走族気取りはシンドかったのであろう。分けのわからぬ突っ張りバカも「暑さにゃかなわぬ」と言うところか。
大型の台風11号が近づいて、涼しい風が吹き出した。
やっとクーラーのお世話にならぬ夜を迎えたら、いきなりあの「爆音」が聞こえてきた。どうやら涼しくなるのを待っていたようです。何と怠惰な暴走族であろうか!
010824(金)目隠しした理想主義
大阪は、倒錯した価値観を持つ教職員組合の強い地域です。
特に豊中市は以前より問題の地域で、音楽教科書の「君が代」の上に「白頭山(北朝鮮国歌)」を貼らせ、児童に教えていたと言う非常識地帯です。
教師も「思想の自由」はあるわけですが、無辜の児童に「日本より北朝鮮の方が素晴らしい」といった「個人の思い」を刷り込まないで欲しい。その教師(複数)がまこと北朝鮮に憧れるなら、我が国から北朝鮮にわたる方法はいくらでもあろう。アホな洗脳など止めて、自分だけさっさと渡航すればよい。
Dogfightから一言:教師なら、なによりも「客観性を重視すべし」
その豊中で、また問題が起きた。
それは、再三にわたる指導にも拘らず「2段階評価を止めない」と言うものです。
  「◎と○」あるいは「AとB」と言った抽象的評価
我が子の通知表の評価がこれで、満足する親がどれだけいるだろうか?
で、2段階表を止めない理由は「評価は差別に繋がる」と言うものだそうです。如何でしょうか!?…

ここまで来ると、思想云々とは関係ないレベルの話になります。
人それぞれ才能も、得意な分野も性格も異なるわけで、全ての人の資質が等しいわけではありません。教師たる大人が「評価は差別に繋がる」と本気で思っているなら大問題です。言い換えれば、「評価しなければ差別は生まれない」と考えているわけで、現実逃避も甚だしい。
紛争から目を背ければ「平和になる」と考えるレベルと何ら変わりません。
なんとバカなことであろうか!私には「目隠しした理想主義」としか思えません。
010825(土)因果な商売
私の事務所はオフィス街にあり、大阪の中心地とは言いがたいけれどそれに準ずる地域で、日曜など「陸の孤島」になります。
最寄の地下鉄駅はリフレッシュ工事真っ最中。
お盆の9連休など、地下鉄駅は閑古鳥が鳴いていただろうと思います。で、お盆の間にさぞ進んでいるだろうと思ったら、どうらや「まったく中断」していた様子です。
「やっぱ、お役所仕事やな」と言うのが感想です。
主に「夜間作業のリフレッシュ工事」だけに、チャンスだと思うのですが、世間と一緒にお休みだったらしい。
世間が忙しいときが「儲け時」という商売があります。
繁華街のお店などが代表例ですが、量販店の裏方も「こんなときが忙しい」因果な商売です。
逆に、建築屋は「世間が暇なとき」に忙しくなりがちです。
 ・ 店舗のリニューアルは「休業日か夜間作業」
 ・ オフィスの模様替えは「連休中」
このように、皆様がのんびりなさいますとき「忙しく」なります。
設計事務所で言えば、「ステータスのある方」のお仕事をするとき、打合せは殆んど「休みか夜間」になります。
これをいとうようでは仕事になりません。はてさて因果な商売です。
010826(日)教科書の検証
「歴史・公民」全教書を検証する(三浦朱門著/小学館文庫)という本があります。
扶桑社の新しい歴史教書が賛否両論を呼んだことから、三浦氏が全教科書の検証を試みたものです。
扶桑社の教科書は「市販本」があるため、私たちも読むことが出来ますが、他社は市販しておらず、また能力の上でも「比較検証」などとても出来ません。そう言う意味で、大変ありがたい本です。早速購入して読んでみました。
なお、同書は「歴史」と「公民」に分かれており、公民に付いて三浦氏は「扶桑社の公民は優れているが、専門的に過ぎるのではないか」と評していらっしゃいます。ここでは、歴史に関する氏の検証の一部を紹介したいと思います。
歴史教科書で検定をパスしたのは、下記の8社です。
東京書籍・大阪書籍・教育出版・日本書籍・帝国書院・清水書院・日本文教出版・扶桑社
三浦氏は、出来るだけ主観的判断を避けるため、次のような「判断基準」を設けて検証なさっています。
 1. 中学校学習指導要綱に則しているか?
 2. 史実に則しているか?
 3. 歴史の持つ背景を説明しているか?
 4. 定説の定まっていないことに関しては複数論をバランスよく紹介しているか?

扶桑社の教科書が総じて評価が高いように感じました。
少なくとも「学習指導要綱に則しているか?」という検証では、最も忠実な教科書だと思います。また、他のチェック項目に対しても配慮が行き届いており、バランス感覚のよさを感じました。

例えば、日露戦争に関し日本海海戦を「東郷平八郎元帥」とともに記載しているのは、扶桑社だけだと知り驚きました。このバルチック艦隊を相手に完勝した日本海海戦は世界海戦史上に残る出来事であり、国運を賭けたものという意味でも、歴史教科書で無視して良いとはとても思えません。
通読して、私は不思議な感覚にとらわれました。
私が「学校で習った歴史」に登場した出来事で、今も教科書に載っている「史実や出来事」の多くは、日本海海戦に限らず「扶桑社の教科書だけ」という事例の何と多いことか。「扶桑社は40年前の歴史教科書を復刻したのではないか」との錯覚にとらわれたほどでした。
三浦氏は、提灯記事としてこの本を著したわけではありません。
他社と比較して、扶桑社が劣る部分も多々指摘しており、中身を知らず賛否両論をかわす人たち(私を含めて)に警鐘を鳴らしてくれます。是非ご一読を!
最期に長文ですが、91〜97頁を転記します。当著の持つ雰囲気をご理解いただけると存じます。

朝鮮出兵に関して、「世界の歴史を背景に理解させ」ることをしているか。
秀吉の朝鮮出兵の本当の原因は、当時の世界史の流れを大きく俯瞰(ふかん)するので
なければ、決して見えてこない。
15世紀末に始まったスペインとポルトガルによる大航海時代の波は、その後数世紀にもわたる欧米植民地支配の起点となった。彼らのやり口は何処も同じで、まず武力を以て浸入し、直ちに神の恵みを説くカトリック宣教師をして純真な原住民を洗脳する。キリスト教布教と征服事業は初めから車の両輪だったのであり、軍事的劣勢から征服の方は諦めざる
を得なかった日本の如きは、希有の例外であった。日本では、彼らがあわよくば日本征服も考えていたこと(これについては、高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』に詳しい)の方は都合よく忘れられ、今以てキリシタンを弾圧・迫害した事実ばかりが針小棒大に取り上げられる傾向にある。このような偏頗(へんぱ)な歴史観は、例えば彼らによって絶滅させられた南米のインディオや、容易に植民地にされてしまったフィリピンの悲劇を見ないからこそ起こるので、キリスト教布教が間接侵略にほかならぬことにいち早く気付き、断固たる措置を下した(バテレン追放令)秀吉の慧眼は、もっと注目されてしかるべきであろう。

さて、秀吉の朝鮮出兵であるが、このような世界情勢を東南アジア各地に張りめぐらせた情報網から了知していた秀吉が、スペインの明征服の動きを事前に察知し、自ら明を征服することを企てたとしても、何の不思議もないのである。当時、明征服を考えていたのはスペインと秀吉のほかにも女真族(じょしんぞく)がおり、実際に明は半世紀後、異民族たる女真族に征服されて清王朝が建てられたことは周知の通りである。秀吉の朝鮮出兵は、このような世界情勢の中で起こったことであり、今日の価値観からそれを「侵略」と糾弾することは何の意味もない。

秀吉の朝鮮出兵の背後にあったこのような世界的背景は、教科書ではどの程度記述されているのだろうか。
東京書籍、教育出版、日本書籍、日本文教出版、帝国書院、清水書院の6社は、大航海時代の世界史と秀吉の朝鮮出兵を完全に切り離して記述しているため、両者の関係が全くわからない。
大阪書籍は「秀吉の海外政策」の項で、「国内統一が終わると、貿易の拠点となっていた
フィリピン・台湾に手紙を送り、日本に服従して貿易を行うように求めました。秀吉は、明に代わってアジアの盟主になり、天竺(インド)までも征服しようと考えていたのです」
と書いている。これは、その通りであるが、惜しむらくはスペインやポルトガルの世界征服事業に対抗しようとしていた彼の壮大な気宇までは書かれていない。

扶桑社は、「1世紀ぶりに全国の統一を果たして、秀吉の意気はさかんであった。秀吉は、さらに中国の明を征服し、天皇も自分もそこに住んで、東アジアからインドまでも支配しようという巨大な夢にとりつかれ、1592(文禄元)年、15万の大軍を朝鮮に送った」と書いている。また「豊臣秀吉とフェリペ2世」という囲み記事の中では、秀吉とスペイン国王フェリペ2世が同時代人だったことを指摘し、秀吉の朝鮮出兵とスペインの明征服の動きがパラレルな行動であったことを暗示させる記述となっている。だが、「巨大な夢にとりつかれ」という表現では、朝鮮出兵は秀吉の「誇大妄想」だったというマイナスの暗示を生徒に与えることにもなりかねない。秀吉とスペインの関係も、これだけでは生徒によくわからないだろう。そういった不満はあるにせよ、「我が国の歴史の大きな流れと各時代の特色を世界の歴史を背景に理解させ」るという指導要領の見地からは、扶桑社の記述が最も相応しい、と言える。

朝鮮出兵を、現在の価値観で裁断していないか。
次に、多くの教科書がこの秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書いているのは、全くもってどうかしている。当時の戦争は領土獲得が常套手段であり、近代的な意味での独立主権国家は未だ存在していない時代である。「侵略」という近代の概念を、中世の国家間の戦争に適用するのはお門違いであるばかりか、日本は過去に悪いことをしたという誤った予断を生徒に植え付けることになり、百害あって一利もない。

ところが、その百害あって一利もないことを、多くの教科書が平気でしている。朝鮮出兵の項の見出しを、各社ごとに揚げてみよう。(括弧内は、朝鮮出兵に割いている分量)
東京書籍    朝鮮侵略(1頁)
大阪書籍    秀吉の朝鮮への侵略(1頁)
教育出版    秀吉の外交と朝鮮侵略(13行+1頁の主題学習「豊臣秀吉の朝鮮侵略」)
日本書籍    秀吉の朝鮮侵略(1頁)
帝国書院    秀吉による朝鮮侵略(12行+コラム「韓国の教科書に見る朝鮮侵略」)
清水書院    秀吉の朝鮮侵略(1頁)
日本文教出版  海を越える秀吉軍(6行)
扶桑社     朝鮮への出兵(1頁)
以上の通り、「侵略」と書いていないのは、日本文教出版と扶桑社だけである。

日本文教出版は、朝鮮出兵の記事自体が非常に少ないことでも特筆に値する。その全文を掲げておきたい。「全国の大名を従えた秀吉は、明を征服しようとし、朝鮮がその案内をことわると2度にわたって大軍を送り、朝鮮や明の軍と戦った。しかし、朝鮮の人々の強い抵抗で苦戦がつづき、秀吉の病死とともに全軍が引き上げた。朝鮮の国土は荒れ、多くの人命が失われた。このとき、すぐれた陶工らが日本につれてこられた」。これで全部である。
「侵略」と書いていないことと併せ、これはこれで1つの見識であり、評価したい。
扶桑社は、分量こそ他社並に1頁を割いているが、「侵略」とせず「朝鮮への出兵」と、伝統的な用語を踏襲している点を評価したい。
そもそも、自国の歴史教育の中で自国の軍事行動を「侵略」でござい、などと教えている国がどこにあるだろうか。戦後の日本だけの倒錯現象であるということに、多くの国民が早く気付いて、教科書を正常な姿に戻したいものである。

朝鮮出兵に関して、朝鮮側の視点だけを強調していないか。
「侵略」という表現もそうだが、多くの教科書が、まるでこれはどこの国の教科書かと見まがうばかりに朝鮮側に同情した記述しかしていないのは、奇異というほかない。
例えば、多くの教科書が「耳塚」を紹介するなどして日本軍の残虐さを殊更に強調したり(東京書籍・大阪書籍・日本書籍・清水書院)、朝鮮の陶工(李参平)を日本が「強制連行」したように紹介したり(東京書籍・大阪書籍・教育出版・日本書籍)、加藤清正のような自国の英雄は無視して朝鮮の英雄(李舜臣)を紹介したり(扶桑社を除く会社)、朝鮮側に寝返ったとされる武将(沙也可)を紹介したり(大阪書籍)、果ては「韓国の教科書にみる朝鮮侵略」までコラムで紹介し、「上の韓国の教科書から、秀吉の朝鮮侵略についてどのようにとらえられているか、まとめてみましょう」(帝国書院)と提案する始末である。

これでは、自国の国益を無視して、他国の国益に仕える教科書だと言われても抗弁の余地はないだろう。特に、加藤清正を紹介しているのは扶桑社1社だけなのに、李舜臣に関しては全社が紹介している。この一事だけを以てしても、今の中学歴史教科書がどれほど自国を無視し、韓国に迎合した教科書づくりをしているかがわかろうというものである。
学習指導要領は、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」ことを要求しているが、こういう教科書では「歴史に対する愛情」や「国民としての自覚」など、育つはずもない。扶桑社と日本文教出版以外の教科書は、指導要領から完全に逸脱していると言わざるを得ない。
010827(月)ヒップ
日本人の体型もすっかり向上し、上背だけ見れば白人と遜色ないまでになってきました。
身長165cmしかない私など、いまや若い女性の平均身長にも満たないのではないかと思います。更に「ヒール」など履かれたひには、ステキな女性にキッスしようとしても「背伸び」しなければなりません。
地下鉄の階段を昇っていたら、目の前に見事なヒップがありました。
思わず「ウム〜」と唸ってしまったのですが、白人女性でした。ヤマトナデシコは上背こそ伸びたものの「出入り」でまだまだ白人には勝てそうもなく、胸の張りピップの大きさといった、セックスアピールでは遠く及びません。

身長は伸びたけれど、姿勢の悪い女性が目立ちます。女性が魅力的であるには姿勢も重要だと思うのですが、如何でしょう?
「痩せる」ことが「美しい」条件のように、ダイエットに現(うつつ)を抜かし、骨の浮いた体に艶の無い肌。どうもオジンの私には納得できません。
ヤマトナデシコに世界に通用する美しさを持って欲しいと願っています。
(どんな美しくなっても「お前には関係ないだろ!」)
(はい「ごもっとも」です。すいません…)
これまた地下鉄の階段で。
前を行く女性は「白人」で、ほぼ日本人並の上背ながら「そのセクシーなこと!」
スケスケのパンツ(パンタロン)を通して「ライトブルーのTバック」が丸見えです。勿論「形の良いお尻もくっきり・はっきり」です。いくら見せたがりのミーハー姉ちゃんでも「ここまではやるまい」と思わせる大胆さです。
(こんな時に限ってデジカメを持っていませんでした。残念!)
dogfightの呟き:話として知っていましたが、Tバックのパンティー(ホンマ!紐みたいやね)を見るのは初めてです。まして「着用中」ともなれば、もう2度とないでしょう。
追記 愛娘かおりにこの話をして「モデル依頼?」をしたところ、「高いよ」といなされました。
(こら!セクハラやで…)
010828(火)漢字
格別、目くじらを立てるようなことではないと思いますが…
「歴史・公民」全教書を検証する(三浦朱門著/小学館文庫)という本の中で、ちょっと気になる箇所がありました。それは多くの教科書で、中国・韓国の地名人名に使用された漢字に対し「中国語・韓国語」で振り仮名をつけていることです。
漢字は中国(今から約3000年前、商の時代)で発明され、朝鮮半島を経由して我が国にもたらされました。漢字なくして我が国文化は無かったほど貢献の大きい伝播でした。ただ、漢字が表意文字であったことから「意味」はそのまま伝わりましたが、「読み」に関してはそれぞれの国により異なった歴史を歩んでいます。
従来は、中国・韓国の地名人名に関し、そのまま「日本読み」するのが普通でした。それがここにきて、マスコミでも中国読みや韓国読みをするようになりました。

しかし、彼の国が日本の地名人名に対し「日本読み」をしてくれているわけではありません。日中の国交を樹立した故田中首相ですら「中国読み」で紹介されています。だから、日本人がほとんど理解できない「民族語で紹介」することは、我が国マスコミや教科書の片思いに過ぎない行為です。
更に、彼らはダブルスタンダードです。
我が国で利用される「世界地図」に記載された地名は「英語読み」がほとんどです。言葉は民族ごとにあり、アフリカ諸国の地名など民族語に忠実であろうとすれば不可能になるのではないか。近隣2国だけを特別扱いにするのは、実は「不公平なこと」だと私は思っています。
蛇足ですが…日本人観光客に人気の高いイタリヤの地名
ベニス(英語)=ヴェネチア(イタリヤ語)/フローレンス(英語)=フィレンツェ(イタリヤ語)
010829(水)仲間
昨年、淡路島で「花博」が開かれました。
主役は勿論「花」ですが、安藤忠雄先生設計の建物群と人気を二分しました。
建物群は、コンクリートと水をモチーフに安藤先生の才能を如何なく発揮していました。先生独特の空間を形作るエレメントは「階段」で、延々と続く直線の階段が安藤作品の特徴となっています。
花博でも圧巻は「百段園」で、見上げるばかりの階段と花の組合せが見事でした。
ただ、同道した家内(膝が悪い)は百段園を見上げて「安藤先生は、世の中に障害者がいることを知ってはるのやろか?」と、ため息をつきました。
私は、激動期の「老人福祉施設のあり方」に大変興味を持っています。
格別影響力もないのに縷々述べているのは「私のライフワーク」になりそうな予感を持っているからです。そんな私に対し、ある人から「同業者の反応はどうか?」と言う質問を受けました。残念ながら「無関心」に近いと思います。

それでも私は「仲間の輪」が少しずつ広がっていく手ごたえを感じています。
先日もケアハウスの現場でAさんと打合せをしたのですが、自ら特養を運用し「勉強会を主催」するほど福祉に熱心な方で、すっかり意気投合して勉強会の「相互乗り入れ」をお願いしました。
偶然とは面白いもので、Aさんとは住まいが近所同士であることがわかりました。
一緒に帰る途中の雑談の中で「有名な建築家が『福祉施設の設計をした』とか『福祉のあり方について論文を発表した』など言う話を聞いたことがない」と話をしたところ、「コンクリート打放しの老人ホームなど想像もしたくない」と言う厳しい反応でした。
幸い?有名な先生は天を志向しています。
地べたを這うような福祉に「名誉は不要」なだけに、この世界は安泰だろうと思っています。
我が家に着いて、メールチェックをしたら「来年なかばの開業を目指している神経内科医」とおっしゃるS先生から、貴重なご意見が届いていました。
決ったスタイルがなく、ややもすれば独りよがりになりがちな「福祉施設の未来像の模索」だけに、できるだけ多くの方からご意見を頂けることは大変ありがたいことです。
この日、私は「嬉しく」なっていました。
010830(木)依存症
タバコを止めて2年半になります。
ある日、タバコを咥えて火をつけたところ、激しい狭心症に見舞われました。
「タバコを吸ったら死ぬんや」と思ったとき、かおりにタバコとライターを預け、あれ以来タバコを口にしていません。不思議な物で、格別苦しむことや必死の覚悟も無く、ごく自然にタバコから遠ざかりました。反面、発作用のニトロ所持から、あの日以来発作予防用に血管拡張剤を常用するようになりました。服用しておけば防げることから「服用しなければ発作が起きる」という恐怖感を持つに至り、今はタバコに変わり「血管拡張剤依存症」になっています。
異形狭心症に続いて持病となった「睡眠時無呼吸症候群」
これも、睡眠センターに通い「送風機」を着装して眠るようになりました。今年4月に最新型に切換えたところ、大変快適になり、着装そのものが睡眠を妨げることもなくなりました。おかげで、今や私は「送風機依存症」になっています。
1泊2日の出張なら耐えられるのですが、2日連泊となると極端な睡眠不足に陥ります。先日の定期検診で「海外等の長期出張はどうすればよいのか?」と先生にお尋ねしました。一応ハンディタイプで重さ6kgのマシンがあるそうです。海外ともなればトランスも必要となり、おそらく10kg近い装備になりそうです。具体的な予定があるわけではありませんが、海外旅行などあまり考えたくないこの頃です。
Dogfight注: センサー付送風機で、気道が閉鎖すると圧を上げて、呼吸を確保する優れものです。なお、このマシンはニュージーランド製で、我が国のように「軽薄短小」に熱心ではない。


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