dogfight高松の長すぎるひとり言
2000年10月

金と銀ミスジャッジ病気の話アキレスケンよっつ人類の危機我が家の危機虚しい資格試験皮算用駅名の話虚の世界出雲大社白人のご都合主義ターミナルケア聖地エルサレム狭山の秋祭り有名税と松坂投手故郷の秋祭りデストロイヤー危険なハイキングコース身勝手な話迷惑な比較表情報線身勝手な話フィードバック初物嫌い読み返す200億円マンション事情日中友好街角の店学割
001001(日)金と銀
東方見聞録に「黄金の国ジパング」が登場します。しかし、マルコポーロが我が国に来た形跡はなく、又聞きの「見聞」なのでしょう。
「家々の甍は黄金で出来ており…」はさすがに大げさですが、当時我が国は世界最大の産金国であったことは間違いないようです。あまり知られていませんが、我が国は今でも世界有数の産金国で、住友鉱山が所有する九州の金鉱は、世界標準の100倍にも達する金の含有率を誇っています。
石油、ウラン、レアメタル等地下資源に恵まれぬ我が国ですが、金だけは豊富です。その理由はマグマに最も金が含まれるためで、世界有数の火山国は同時に「世界有数の産金国」である訳です。
戦国時代から江戸時代を通して、最大の輸出品目は「金」でした。我が国では、金が豊富なことから金銀の交換レートが1:2でした。それに対し世界の標準は1:4であったため、命を掛けて交易に来たのです。
話題は変わります。
シドニーオリンピックで日本選手の活躍が目立ちます。多くの選手が「決勝進出」を決めるのですが「金」の壁はとてつもなく厚く、江戸時代の世界標準1:4(決勝における金メダルの獲得比率)は今も生きているかのようです。
001002(月)ミスジャッジ
シドニーオリンピック男子柔道無差別級で「1本」を取りながら、ミスジャッジに泣くという事件がありました。審判の権威を保つため、抗議すら受けつけないというルールがあり、明らかに「間違い」と分かっても判定が変わることはありません。
シーンを再現する方法を持たない時代は、記憶でしか判断できず「審判の権威」で断ずるしかなかったのだろうと思います。しかし、今のように瞬時に「リプレイ」が見られる時代では「審判の権威」を表面に出すことによって「無理」だけが目立ちます。

オリンピックにおける篠原選手を例にお話ししたいと思います。
あの「ミスジャッジ」は瞬時に世界を駆け巡ったことでしょう。誰もが、篠原選手の勝ちを認め、同情を寄せたことでしょう。「言いがたい悔しさ」はいかんともしがたいのですが、「なくしたもの」ばかりではなかったと思います。
それに対し、ミスジャッジをしたニュージーランドのあの審判はどうだったのでしょうか?
彼自身もあのリプレイは見たはずで、自分の間違いに「直ぐ気付いた」だろうと思います。しかし「審判の権威」を守ると言う大義のため、彼には「訂正」をする機会を与えられませんでした。きっと彼は、一生「ミスジャッジを犯した」という汚点を背負って生きていかなければなりません。
ミスジャッジによって「人生を狂わす」ことだってあるだろうと思います。
このように「検証が容易な出来ごと」には「写真判定」の制度を採用して「公正を期す」方が、余程「審判の権威」を保つ良い方法と思うのは私だけでしょうか?
(アンチ巨人でプロ野球ファンの私は、この「審判の権威」に泣かされています)
001003(火)病気の話
「病気」という表現は、本当の病気以外にも使われます。例えば、女性を見ると理性を無くす下半身を「もう病気やねん」等と表現します。しかし、今日は「本当の病気」の話をしたいと思います。
赤貧に育った私は、未熟児だった幼年期を除き「結構元気」でした。ただ、患った病気は「大病」といえそうです。
小学校2年に「急性腎炎」を患いました。
全く自覚症状がないのに母が気付き、近くの診療所に連れて行かれました。同時期に患った3人(同年代)の内、他の2名が亡くなったことからも、早期発見と徹底した食事制限が効を奏したようです。どうやら腎炎の完治はないのか、入院型の人間ドックで精密検査をすると、いまだに「尿路感染症の疑いあり」という判定が出ます。
 話の寄り道
発病前に私が書いた絵が、ペンテル全国絵画コンクールで特別奨励賞となり、その表彰が1ヶ月を越す長期欠席中に行われました。私にとって最も「晴れがましい出来事」だっただけに表彰式に出られなかったことは残念です。
 成人してからの病気は…
サラリーマン時代、過労から倒れたことがあります。無断欠席3日目で不審に思った同僚が、下宿で「倒れていた」私を見つけて病院に運んでくれました。入院1週間で回復しましたが、事務所のボスはお医者さんから大目玉を食らったそうです。
 独立してから…
突然の発熱で、現場に迷惑をかけたことがあります。遠方の現場で「決め事」をする時期だったのですが、なんと「風疹」に掛かったのです。別名「三日麻疹」といわれるように、高熱3日で直りました。
夕方になると発熱するようになりました。
それでも「騙しながら」で働いていたのですが、1ヶ月が過ぎたある日「如何にもならなく」なり、知合いのドクターに電話で症状を伝えたところ「入院の準備をして直ぐに来い」というものでした。自分で救急車を呼び、事務所の番頭格の人間に仕事の重要事項を伝達してから、意識をなくしました。

40℃前後の高熱が続くのですが、薬アレルギーが酷く解熱剤も抗生剤も思うように使えません。ある日ドクターが小さな錠剤を持って、相談にいらっしゃいました。それは「純度の高いステロイド」でした。
症状の原因は判らないのですが「感染症」に間違いはないようです。疲労から体力が衰え、普段なら何でもない雑菌に冒されているようです。身体中のリンパが腫れあがり、癌とかエイズの疑いも持たれました。

薬の使用が思うに任せない状況で「副作用はきついけれど、これを試すしかない」状況でした。ステロイドの集中投与が効いて、危機的状況を乗りきりましたが、命の危険を感じた病気でした。
ある歳の元旦、スキーに行く子供達を送って大阪駅に行きました。
飲み過ぎで腹具合が悪く駅のトイレに入ったのですが、便器の汚さに驚きました。気を付けていたのですが、便器に大切なモノが触れてしまったのです…

正月3日、睾丸が異常に腫れて(片方でこぶし大までに)います。成人病センターの知合いのドクターに連絡を取ったところ「直ぐに来い」とのこと。
泌尿器科に連れて行かれました。
ドクターは、触診するなり「子供は何人いるのか?」「もうお役御免か?」と尋ね、更に「俺の判断に任せてくれるか?」ということでした。
私の睾丸は「切除が必要」なまでに悪化していたのです。病名は「クラミジア(性病)による副睾丸炎」です。
(私の名誉のために申し上げますが「浮気」はしていません。オシボリを原因として集団感染したこともある性病です)

切除する前に出きる限りのことをしてみようと言うことになり、病原菌を殺す薬の服用と同時に「氷で冷やす」ことになりました。氷嚢に氷をたっぷり入れ「股座を冷やす」のです。これがなんと30分でお湯になってしまうのです、それほど睾丸が発熱しています。(治ってからこれをやってみましたが「悲鳴を上げました」)
幸い、私にはまだ睾丸が付いています。ただ、今となっては必要ありませんが、あの病気で「男の機能」を無くしたようです。
これが私の病歴です。
禄でもない病気が多いことが分かります。ただ、幸いなことに身体にメスが入るような病気は一度もありません。
手術と言えるのは、子供のころ2歳年上のガキ大将と喧嘩し、素手で勝ったため草刈鎌で襲われ、左目2c余りのところに深い傷を負いました。それと、40歳で喧嘩し右手親指第2関節を割り、関節を繋げる手術をしています。これまた「喧嘩が原因」と言うお恥ずかしい話です。

今は度々お話しているように「異形狭心症と睡眠時無呼吸症候群」と仲良く暮らしています。皆様、健康にはくれぐれもお気をつけて…
001004(水)アキレスケン
春先のことです。
超格安料金でマスコミを賑わすSホテルの副支配人Tさんが訪ねていらっしゃいました。「私に…」ということではなく、情報収集のローラー作戦の一環でした。人の縁とは面白いもので、これから話が始まりました。

Sさんは某ゼネコンの営業部長。食事をしながら「仕事を創る」話題になり、情報交換のためにTさんをご紹介しました。偶然とは楽しいもので、それから1週間後に「ホテルを作りたいが運営してくれるところはないだろうか?」と言う問合せが、Sさんと懇意なHさんを通じて舞い込みました。
「クライアント→Hさん→Sさん→私→T副支配人」こんなルートで話しが進み、それから2週間の間に「私が2度鳥取を訪ね、クライアントが1度来阪」されています。乱暴なくらいのスピードで進行しており、成約の可能性が高まっています。
条件を詰めるため、クライアントとSホテルY会長の協議に立会いました。
私は、コーヒーブレイクに「Sホテルの仕様」に触れてみました。Sホテルは、不況に喘ぐホテル業界にあって、「黒船」と呼ばれ恐れられる存在です。徹底したローコストを追及し、それをビジネス特許にまで高めたアイデア会長氏ですが、私の話は「痛い所を突いた」かもしれません。
Sホテルの仕様に「高齢者・障害者対応」の概念が全く欠落しているのです。Y会長は強気に「顧客として必要ない」と言う意味をおっしゃっていましたが、取り返しのつかない欠点になる可能性があります。
海の向こうアメリカでは、名優クリントイーストウッド氏経営のホテルが「障害者対応が出来ていない」という訴訟を受け膨大な支払いを命じられています。
意識変革の早さに対し、「バリヤフリーへの改善」は容易でありません。現にSホテルの客室にあるバスユニットは約20cmの段差があり、構造的に改善不可能です。世間の風潮は「高齢者・障害者対応は当然」となってきており、「安いけれどなっていないホテル」という烙印を押されなければ良いのですが…
昨年は高齢者対応マンション、今年はケアハウスと「バリヤフリー」の設計を手がけてみて、今後必要不可欠な概念と言う意識を持っています。
「マスコミの兆児にもアキレスケンがあるような…」と思うのは私の奢りでしょうか?
001005(木)よっつ
最近、信じられない話を耳にしました。
小学校で数を教えるのに「ひとつ・ふたつ・みっつ・よんこ…」と教えるそうです。常識的に考えるなら、「みっつ」の次ぎは「よっつ」であるべきです。では何故「よんこ」と教えるかと言えば「よっつ」は差別用語だと言うのです。
何故これが差別用語か?
被差別部落で「屠殺」の業務に携る方が多いことから「四足の動物」と言う意味で「よっつ」という隠語が出来たそうです。
私はホームページを通じて再三再四「腫れ物触るがごとくの態度が差別を招く」と主張してきました。義務教育で、不自然な教育をしてまで「差別」を教え込む必要があるのでしょうか?このような態度こそ私は差別を招く元凶だと思っています。
私自身ルーツで触れているように、母方の出自が「被差別部落」の可能性があります。それだけに、いかにも差別を無くす体を装いながら「差別を促す行為」が許せません。
001006(金)人類の危機
大げさなタイトルになりましたが…
この20年来「毎年、異常気象」だそうな。英国の高名な物理学者ホーキンス博士は近著の中で「人類は千年以内に滅ぶ」と、未来を悲観なさっているそうです。
大石英二氏の最新作「深海の悪魔」を読み終えました。
前作「ゼウス」に続き、人類の危機をテーマにしています。「近未来シュミレーション作家」として地位を築いた氏ですが、ここに来て明らかに違った傾向が出てきています。
前作「ゼウス」は、カルト集団がバイオ技術で「悪魔的怪獣」を作りだし、人類の滅亡を狙うのに対し、生残りを掛けた人々の戦いをテーマにしたものでした。
最新作「深海の悪魔」は、環境汚染で海水の温度が上がり、太古から眠っていた悪魔(未知の生物)が目覚め、人類を襲うものです。ただ「悪魔の天敵」となるバクテリアを見つけた政府は、それが人類の敵になることも承知の上で使用する苦汁の選択を描いています。

近著2作とも「戦いなかば」で終わっており、人類の勝利を謳いあげたものではありません。
大石氏には「環境汚染は目を覆うばかり」のようで、「人類の未来に希望を持てない」という感想をお持ちではないかと推察しています。
千年は長いのか?
私には気の遠くなる時間ですが、人類にとって「余りに短い時間」なのではないでしょうか…
001007(土)我が家の危機
人類の危機と言った大げさな話ではなく、我が家が危機を迎えています。それは何か?
経済的危機なら結婚以来30数年、日常茶飯事です。私の浮気がばれた!何てことでもありません(私は良き夫です)。
危機の正体は「介護を巡って」です。
年を重ね、順に両親を送ってきたのですが、ありがたいことに家内の親父殿が91歳の長寿を保っています。ただ歳相応に機能低下が激しく、「要介護3」の認定を受けています。これは、無条件で特別養護老人ホームに入所できるもので、立ち居振舞いも容易ではなくなってきました。
家内は2人姉妹です。
姉上殿は親父殿とスープの冷めない距離に住んでおり「主に介護を受持つ」から、離れて住む家内(妹)に「水曜と日曜日の介護」を…と依頼してきました。
私や息子は「土日が休み」で、家内は金・土曜日だけパートに出ています。ここで、日曜日に親父殿の介護で家を空けることになると「完全なすれ違い家族」の出来あがりです。
「期間限定の介護」ならそれも良いのですが、「何時まで」と期限を切れない状況では、「特別養護老人ホームへの入所を視野に入れ、もっと根本的なことを考えるべきではないか…」と意見を口にしたら、泣いて抗議されました。家内には私が「冷たい人間」と映ったようです。
春の「介護保健スタート」に関し、自由党の小沢党首を中心とした反対がありました。
老人介護を「システム」として捉えるのではなく、日本古来の「子供が親の世話をする」と言う『道徳』で捉える考えが一方にあります。ただ、この道徳律が機能するのは「大家族」があってこそで、核家族化した現代では、ただ疲れ果てた家族を作り上げるだけです。
家内に提案したことは、「私が冷たい」のではなく、幾多の「介護疲れ」家族を見てきた私の経験に基づいています。
出勤して、早速介護の専門化に連絡してみました。
やはり私の考えは間違っていなかったようです。
介護の必要度合いを早める最大原因は「家族」にあるそうです。本人にさせるべきことを、家族は「つい手を出して」かえって機能低下を招いてしまいます。本人も自助努力の「意思」を奪われ、最大のストレス保持者になってしまいます。つまり、家族の手助けが「介護の崩壊」に繋がる危険性を孕んでいるのです。
さらに、家族の負担は想像を絶するものがあります。先に述べたように、介護するほうの家庭崩壊や、身心双方の負担と言った見過ごすことが出来ない現実があります。
老人ホームを「姥捨て山」と勘違いする向きが多くあります。
入所させたまま面会にも行かない家族や、「姥捨て山だから…」と言って入所させることそのものを拒否する例などがそうです。
大切な家族なのですから、毎日でも老人ホームを訪ね「親子のコミュニケーション」を保てば良いのです。家庭を崩壊させてまで、あるいは健康を損ね命を縮めてまで「親に尽くす」ことが親孝行と言う概念を止めるべきではないかと考えています。
私は、家内ともっとよく話あおうと思っています。
001008(日)虚しい資格試験
某重電メーカーに勤めるKKさんとは、仕事を離れても「話せる仲間」です。
彼からこんなメールが届きました。KKさんの同意を得て公開します。
こんばんは。ご無沙汰しております。
9月24日(日)、二級建築士二次試験(製図)を受けてきました。
噂には聞いていましたが、狭くて、暑い会場、
住む人のことは考えていないんだろうと思われる問題!
私が教えていただいた先生は、そこに住む人がいて、
住みやすい環境があってこういう家が出来上がる…と教えてくれました。
ただ、試験対策としての講義も受けましたし、それなりの自信をもって乗り込んで行ったのですが…
結果は12月になりますが、まったくもってくだらない(と思った)試験でした!
N学院、S資格、など会場外ではなぜか試験後に回答例が配布されている。
西側道路、南北に長い敷地、庭は東側、夫婦室も、居間も東面。
高齢者に配慮した薄暗く寒い空間、家族団欒の暗く寒い部屋。
要求されたものに何の疑問ももたずただ敷地の中に物体を構築していく。
これが、本当の回答だとすれば、なんとくだらない…
でも、これも現実!
こんな試験でも資格をとれば、資格者の言葉は真実で、無資格者の言葉は戯言となる…
くだらないと言いつつ、おそらく合格していないだろう自分を腹立たしく思い…
来年こそは見返してやる!
なんか、本業から逸脱しのめり込んでいく自分が恐い…
KKさんは営業マンです。
エレベータを扱う業務であることから、「建築士の資格を…」と思い立ったようです。
専門課程を出たわけでもなく、予備校に通い学科をパス(これって凄い努力と思います)して、次ぎの「製図」における感想です。この行動力に敬意を表するのですが、反面「辛い現実」を知ることにもなりました。

友人の弁護士によれば司法試験も「似たようなもの」だそうで、受験のためのテクニックを身に付けるべく予備校に通わなければ「まず通らない」そうです。残念がら、もはや「能力を証明する」試験ではありません。
KKさんはそれでも建築士に夢をお持ちですが、近いうちに世間の「建築士への評価の低さに」に突き当たることでしょう。何時の日か「本物になること」と資格に何の関係もないことが分かってもらえると思います。
追記『HPで紹介のあった、デラ・ロッカ。我が社の女子社員に人気です。体型とは逆に私の財布は痩せていく一方です』こんな楽しいメッセージも合せていただきました。
001009(月)皮算用
毎年この時期になると「来年の仕事」の皮算用を始めます。一種の「自己暗示」に近く、いわば「これで来年も安心」と思いたいわけです。
小さな設計事務所で営業マンがいません。もっぱら「口コミ情報」に頼るのですが、すべてを収穫に変えられるはずもありません。それでも「この時期」が来ると、情報を並べて「明るい来年」を夢見る訳です。歳が明ければ、並べられた情報に「×」が付けられ、それなりに現実に戻って行きます。
今年はどうであったか?結果から見れば、ケアハウス以外全て「×」になりました。
 住宅1:親の七光りを良しとしない若夫婦が「力不足」を悟って延期(事実上の中止)
 住宅2:地質を調べたところ「直下に元気な活断層」が見つかり中止(代替用地物色中)
 (鳥取西部地震で見るように、活断層は恐いですね)
 マンション1:相当具体的に計画が進行したが、親族の利害関係が調整しきれず頓挫
 マンション2:収支バランスのメドが立たず、倉庫に用途を変えてまもなく着工
      (ゼネコンを紹介し設計施工にした)
肝心のケアハウスですが先月末で設計が終わり、行政による「設計審査」と、各種申請の詰を行い施工への道を辿ります。ただこの先も「思わぬ問題」が出るやも知れず、博打ではありませんが「下駄を履くまで」安心はできません。

さて、来年の皮算用は?
今は、来年を目指してせっせと計画案を作っています。この3連休の間に大阪市内の2物件の計画をします。16階建てと30階建てのマンションです。先月は27階建てのツインタワーマンションを計画していますが、どれもこれも気の長い「超高層大型物件」ばかりで、先が見えません。
沖縄の老健施設は、まだ「県で止まって」おり、国に辿りつくのは何時でしょうか…
元気の良かった「鳥取でのホテル計画」もこの大地震が悪い影響を残さねば良いのですが。
たくさん「まな板」に乗っていますが、さて…どれだけ料理できるでしょうか?
001010(火)駅名の話
「000914レジャーランドの黄昏」で、狭山遊園が閉鎖され駅名だけが残ってしまったことをお話しました。最近目にしたミニコミ誌によれば「駅名だけが残るのはおかしい」ということで、南海電車や行政(大阪狭山市)等が「駅名変更の鳩首会議」をしているそうです。この話「野次馬的発想」で眺めれば、結構「オモロイ」側面があります。それを今夜の酒の肴に…
大阪狭山市には南海電車の駅が3ヶ所あります。
北から「狭山・狭山遊園前・金剛」です。真中に位置するから「狭山中央駅」でどうか!
実は「この駅が最も小さく」バスもタクシーも利用できません。つまりイメージに程遠く「中央」などと言う名前をつければ「勘違いするという乗降客が続出」間違いなしと言えそうです。
ちなみに「金剛」は、南海電車の「ビッグ3」に入る乗降客の多い駅です。「狭山中央駅」の名を冠すに足る実力の持ち主なのですが、ここを起点とする団地が余りに多く今更駅名変更は無理でしょう。

勘違いと言う点で「金剛」という駅名が既に前科を持っています。
私がこの地に住んだのは30余年前。無人駅に等しい有様で、改札の小屋があるだけで駅舎とは言えませんでした。
友人からは「猪は出ないか?」「熊は大丈夫か?」と真顔で心配されるようなところでした。また、ある友人に「金剛颪(おろし)が寒かろうに」と言われました。実は「前科」とはこのことなのです。
大阪の霊峰「金剛山」は樹氷で有名です。
中学校の寒中登山に組み込まれており「一度は登る」山です。しかし、この金剛山(千早赤阪村)と金剛駅(大阪狭山市)は「地理的に全く離れています」
先日も居酒屋で、東京から来たと言うご人が話していました。
有名な金剛山に行こうと思って…金剛駅で降りて、道を尋ねても「怪訝な顔をされるだけで困った」と言うものです。私は噴出しそうになるのですが、今もこの手の間違いが後を絶たないようです。ここ、金剛の地には「間違っても金剛おろしは到達しない」のです。

この地は、女人高野と呼ばれた「金剛峰寺(河内長野市)」に通ずる街道の玄関口に当たり、何時の頃からか「至極ローカル」に金剛と呼ばれていたのでしょう。鉄道が出来た時、格別の思慮もなく地名を取って駅名にしたのでしょうが、まさか「こんなビッグな駅」に変身するなんて思ってもみなかったでしょうね。
大きく脱線してしまいました。
「狭山遊園前」は、一体どうなるのでしょう?
最寄に市役所があり「大阪狭山市役所前」あたりが、名は体を表すと言った所なのですが、ゴロの悪さと長ったらしいのが珠に傷です。でも、案外この変で落ちつくのでは…と思っています。
021111追記 駅名は「大阪狭山市」となりました
001011(水)虚の世界
新聞に不思議な記事が載っていました。
大阪府豊中市立の13校で「テストに点を付けない」慣わしが20年以上も続いていると言うものです。教師の言い分は「競争することはよくない」「採点すれば差別につながる」「出来ない子供が可愛そう」と言ったもので、なかには「全員100点」になるまで何度でも同じテストを繰り返す教師もいたそうです。

人の能力は均一でもなければ平等でもありません。それでも神様は慈悲深く、それなりに「活躍の場」を与えて下さり、世の中が成立っています。
戦争に赴くのに「全員が将軍」でどうしようとするのでしょうか?
作戦を練る人、作戦を指揮する人、作戦を実行する人…世の中役割はいっぱいあるのです。バブルが弾けリストラと言う名で、多すぎる将軍の「人員整理」しました。それぞれが役どころを見つければ、公園を埋め尽くす「ブルーシートハウス」など必要なかったのに…

教育の場から「競争を排除」し、綺麗ごとの「虚の世界」を作ってみても、彼らの一生を競争から隔離できる訳ではありません。むしろ、突然競争社会に放り出されたカルチャーショックの方が大きいだろう。そんなのは、個々の持つ能力を見極めもせず、現実から目をそらし、聖人ぶるだけの無能な教師の言訳に過ぎません。
 追記1
何故か豊中は物議を醸す教師が多いようです。かって「君が代」の上に、北朝鮮の国家「白頭山」を貼りつけ教えていたとして問題になりました。
 追記2
かって「イジメ問題」で、学校側と話合ったことがあります。先生が目標とする生徒像は、全員が「リーダーシップを発揮する」ことだそうで、驚きました。人には個性があり、能力を生かす異なった場があることを先生は認めないのだと知りました。そしてなによりも、「生徒全員がリーダーシップを持っても指導できる」なんて、先生はスーパーマンなのだと言うことが分かりました。
001012(木)出雲大社
鳥取で大きな地震がありました。M7.3という規模で「鳥取西部地震」と命名されました。
何せ、日本の半分を揺さぶった暴れもので、大阪でも「震度4」を記録しています。その後も余震が続き現地の方にとって不安な日々と思います。

この夏、大山・米子・出雲と旅をしてきたのですが、あの地が「大揺れの被害」にあったのかと思うと、ひとしおのものがあります。特に、一度行ってみたかった「出雲大社」の建物が崩壊しており、ヤマタノオロチの再来を思わせます。
出雲大社大阪分祀には、月参りに行っており、他人事として無関心でいられません。そんな折、井沢元彦氏の「神霊の国日本」を読んでいて「あれっ?」と思うことがあり、メールを出しました。以下、その全文です。
始めてメールを差し上げます。
先生の作品、何時も楽しく(ちょっと難しいですが…)読ませて頂いています。
さて、逆説の日本史に続き「神霊の国日本」にも「出雲」の記述が出てきます。その中で、須佐神社と並び「4礼4拍手…」と紹介されています。

大阪府の初芝(堺市)に「出雲大社大阪分祀」があり、多くの方の信仰を集めています。
私は、もっぱら「苦しい時の神頼み」ですが、それでもこの8年間「月参り」を欠かしていません。 大先輩の話によれば、ここは元々「出雲大社ではなかった」そうで、30年余り前に大阪分祀に衣替えしたように聞いています。(でも建物は全て「大社造り」です)
本来は修験道らしく、先代の写真や境内の護摩壇にその名残を見ることができます。
もう10年ほど前に先代の先生がお亡くなりになったのですが、「大変な霊能者であった」と聞いています。有名な話では、おはうち枯らした女性に「あんたを助けたる」とおっしゃって、温泉を掘るように指示されました。それが近畿で有名な「榊原温泉」だそうです。

いきなり脱線でゴメンナサイ。本題に入ります。
私の設計したマンション(私は建築士です)の地鎮祭に「2代目大阪分祀代表」の若先生が直接榊を振るわれたことがあります。神事が終わり帰ろうとしたら「呼びとめられ」緊張しながらお話を伺う機会がありました。それによれば、「明治時代に簡略化され、今でこそ神事は4礼4拍手で行われるが、以前は16礼16拍手でした」とのことです。
先生は、4拍は「死拍」とおっしゃっていますが、私の聞いた話(伝聞ではありません)が正しければ、説が狂ってしまいます。先に述べましたように、純血種の「出雲大社」ではないようなので、こんなイレギュラーがあったのでしょうか?機会があれば一度お調べ下さい。
このように身近な出来事と、高名な先生の説とが違っています。感じた疑問を率直に呈してみたのですが、私には「どちらが正解か?」分かりません。いかようになるのでしょうか…
001013(金)白人のご都合主義
いささか季節外れの話題ですが、2002年ワールドカップの「日韓共同開催」が発表されたとき「なんで辞退せえへんのやろ?」と言うのが我が家全員の意見でした。
増大する一方の開催費用を賄うため「共同開催」が検討され、その試金石として国際サッカー連盟が決定したそうです。しかしそれは建前で、その裏で強烈な政治工作を感じずにいられません。我が国には資金面で「共催しなければならない」事情はなく、韓国の強引な割込み工作と白人主導の協会の思惑で、共同開催となったに過ぎません。
開会式には国家元首が出席する習慣があり、ならば天皇陛下が韓国を訪れることになります。(なんで割込んだ上、開会式まで持ってくのやろうか?日本って弱いのやね)陛下から、いかなる「お詫び」の言葉を引き出すのであろうか…スポーツの祭典がいきなり「生臭い」モノに変わるくらい直ぐに予見できたのに。

それに、ヨーロッパにおける国境の概念と、日韓の境界を一緒に考えることのほうがおかしいのです。パスポートすら必要ないEU域内で「国境通過」を感じる人がいるでしょうか?
それに対し日韓ではパスポートだけではなくビザが必要なのです。ヨーロッパなら「思い立ったら行ける」のに、韓国には事前の準備なしに行くことはできません。手続きで言うなら韓国よりヨーロッパの方がはるかに近く楽なのです。
先頃のシドニーオリンピック100kg超級で「けったいなジャッジ」で篠原選手が涙を呑みましたが、フランスの選手は「恥じるどころか」意気軒昂とのこと。交通違反でも見つからなければ「何事もなし」と同じことのようです。
柔道が「ジュードー」に変わったとき「ゲーム」になったのです。ルールは白人のご都合主義で変えられ、爽やかに「1本勝ち」を狙う態度はありません。僅かな「ポイント」を稼いで、後は逃げまくって時間が来たら「勝ち」などと言うのは、もう武道ではありません。国際化とは「白人ナイズ」を意味するようです。
かって、F1を制したホンダのエンジンですが、ルール改正でターボエンジンを禁止され、勝利から見放されるようになり、撤退しました(最近また復帰しています)。ホンダの繰り出す「最新技術」を禁止し「白人の技術」でも勝てるようにするためのルール改正と思うのはうがち過ぎでしょうか?(001015記述に関し誤りの指摘を受けました。訂正しました)
2002年ワールドカップの、アジアからの出場枠は従前通り3カ国です。
開催国は優先的に出場できるため(日韓が決まり)事実上のアジア枠は「1カ国」です。共同開催はアジアに迷惑をかけてしまいそうです。まさに、韓国の政治工作と白人のご都合主義によって決められた「共同開催」です。
2008年大阪オリンピックを目指して、誘致合戦を繰り広げています。同時期に開催を狙う中国と、白人のご都合主義で「日中共同開催」なんてことにならなければ良いのですが…
001014(土)ターミナルケア
朝から某大企業が運営する「総合老人施設」の見学に行ってきました。
特別養護老人ホーム・ケアハウス・老人保健施設・デイサービスを複合して扱っており、母体への信頼性に加え「芦屋」と言うブランド地域と相俟って非常に評判高い施設です。

同施設は2年前にオープンしており、評判の割りにハード面で見るべきものが少ない施設でした。老人福祉施設のハード面におけるシステムは急速に進歩しており、2年と言う歳月で「もう時代遅か…」と不安を感じます。
しかし、運用面(ソフト)では参考となるお話をたくさん伺うことができました。
同施設では、ケアハウス40名定員の平均年齢が81歳だそうです。「60歳以上の健常者」と言う建前と違う世界を垣間見ることができます。「定員の数倍の応募がありセレクトしてこうですから…」と言う、施設長先生の言葉が印象的です。
私はこの1年、ケアハウスのコンセプト創りから始めましたが、会話をしながら「間違ってはいなかった」と意を強くしました。むしろ、施設長先生の経験から導かれた「あるべき姿」と同施設のハードのギャップは皮肉としか言いようがありませんでした。

同施設では、特別養護老人ホームの定員80名に対し、2年間で5名の方がお亡くなりになったそうです。まだ予備軍が「相当いまして…」と、声を潜められました。
ある施設で、特別養護老人ホーム部門の「平均滞在年数が1.9年」と言う記録があるそうです。引越した分けではなく「上に行きました」と天を指差しました。
我が国では欧米に見る「ターミナルケア」が余り話題になりません。私はこの話を伺いながら、特別養護老人ホームが「ホスピス」を代行していることに気付きました。ちょっと「もの悲しい」見学会でした…
ターミナル‐ケア【terminal care】(広辞苑より)
回復の見込みのない疾患の末期に、苦痛を軽減し、精神的な平安を与えるべく施される医療・介護。 →ホスピス。
001014(土)聖地エルサレム
パレスチナとイスラエルはアメリカを仲介役にし、聖地「エルサレム」の帰属を巡って話合ってきましたが、お互いが「独占」を主張して決着が付かず、武力紛争に発展してきました。
ユダヤ教−キリスト教−イスラム教と分派してきたのだから、聖地「エルサレム」が共通のするのは当然です。そこで、お互いが聖地の独占を主張すれば、決着などつけるはずがありません。だったら共有の聖地にすれば「何でもないこと」と、ファジーな宗教観しか持合せない私は思うのですが、ユダヤ・キリスト教VSイスラム教は不倶戴天の関係にあり、聖地どころか「血で血を洗う凄惨な地」になっています。

紛争はエスカレートする一方です。
イスラエル兵士がパレスチナ住民のリンチで死亡し、それに対する報復攻撃があり…で「泥沼化」してきました。それほど譲れない問題なら、いっそ爆弾でも仕掛けて「聖地を消滅」させれば決着をつける必要などなくなってしまうのに…ようは「共有か消滅」以外どんな名案も在ると思えません。
スターリンはかって「宗教はアヘンである」と言ったそうですが、根っこが一緒の癖にこれほど殺しあう宗教って「一体何なのだろう?」と考えてしまいます。
001015(日)狭山の秋祭り
昨日の秋晴れとうって変わり、今にも雨が落ちてきそうな空の下、狭山の秋祭りが行われました。

泉州から河内の一部にかけて、秋祭りと言えば地車(だんじり)です。
近畿にお住まいでない方には、余り馴染みのないものだと思いますが、私の住む地方では地車が「祭りの主役」です。
歴史ある古い田舎のことで、字(あざ)毎に地車を持ち、鉦と太鼓に合わせて若衆が音頭を歌いながら、いっせいに集い、或いは辻々を練り歩きます。
(写真左:狭山だけで9台の地車が勢揃いします/写真右:こんな風に曳いて行きます)

おそらく近畿しかない主役に「ふとん太鼓」があります。
平岡・平野・播州白浜などが有名です。形は「ふとんを積んだ神輿」に似ていますが、ふとん太鼓に人が乗って囃したてるところが全く違います。
もう一つ、祇園祭で知られる「山車(だし)」があります。これも「人が乗る」わけで、どうも関西の祭りの主役は(神輿を)担ぐより「乗る」がテーマになっています。
山車の文化が何時頃からあるのか私は知りません。
近畿では、京都(祇園祭)以外に、大津祭り・長浜祭りに山車が出ます。祇園祭も、戦国の世に疲れた庶民が始めたそうで、京の歴史ほど古くはありません。

美濃(岐阜県)尾張三河(愛知県)には古くから山車の文化があり、案外「織田信長の京都制覇」からスタートしたかもしれません。
(写真左:故郷の山車です。改めてご紹介します)
美濃や尾張三河の山車には「カラクリ人形」が付物ですが、近畿の山車にはそれがありません。丸ごと同じ文化ってそんなにあるものではないようです…
001016(月)有名税と松坂投手
税にもいろいろあるようで、「有名税」と言うものがあるそうです。私など「払いたくても」一生縁がない税です。これを「広辞苑」風に言うなら…
【有名税】有名になるに従い「プライバシーが侵害される」様を、税に例えて表現したもの
こんなところでしょうか。
私は他人のゴシップにおよそ関心がありません。
誰にもプライバシーがあり、私も他人から「あれこれ詮索を受ける」のが大嫌いです。格別「変な趣味や傾向」があるわけではありませんが、かと言って「なにも秘密が残らない」ほど、プライバシーを探って欲しくはありません。「俺は干渉しないから、おまえもほっておいてくれ」と常々言ってきました。それが何時の間にか「ならい性」になったようです。
おかしなモノで、私が興味を示さないことで逆に秘密を知る機会が増えました。「これは内緒やで」と枕言葉を付けて話したことほど漏れやすいものです。私は、関心がない分「他人に話さない」ため、反って安心されるようです。
飽きもせず芸能ニュースではゴシップを扱っているようです。
普段の私なら「大人なんやから自己責任でエエやん」と相手にしませんが、聞き捨てならぬことがありました。
オリンピックを直前に控え、揉め事に巻き込まれないよう禁足令の出ていた西武ライオンズ松坂投手が、禁則を破って某美人アナウンサー(誰のことかわからへん)宅を訪れたそうです。これだけなら私は関心を示さないのですが、某美人アナウンサーを張込んでいた週刊誌記者にとんでもない事件を目撃されてしまいました。それは…

運転免許を取ったばかりなのに松坂投手は交通違反で「免停」の処分を受けていたそうです。にも関わらず、無免許運転で某美人アナウンサー宅を訪れ、車を駐車違反でレッカー移動されてしまったのです。さらに、代役の犯人を仕立てて「知らん顔」を決め込んでいたことを、張込んでいた記者にすっぱ抜かれたのです。
約束事を破り法律違反をこれだけ重ね、尚且つ「代役犯人」を仕立てるなど言語道断です。そこには罪の意識等カケラもなく、野球でこそ「スーパースター」と持て囃されても、一歩離れれば良識のない「ただのクソガキ」に過ぎないことが分かります。
このような「守る必要もない」連中なら「取れるだけ有名税を取れば良い」と思ってしまいます。
001017火)故郷の秋祭り
故郷に住む姪から「秋祭り」の写真が届きました。写真をご紹介しながら「ちょっと自慢話」をご披露したいと思います。是非こちらをご覧下さい
001018(水)デストロイヤー
「新しい分野への挑戦」と「秩序が確立した分野に新風を送り込む」ことのどちらが大変と思いますか?
新しい分野への挑戦は、前例がなく「自らモデルを構築しコンセプトを確立」する必要があります。しかし、反対する人や理解できない人達が「呆れること」はあっても邪魔をすることはありません。
それに対し、既存の秩序に新風を送り込むことは容易でありません。
誰の言葉であったか忘れましたが「新風を送ることは既得権を破壊すること」と看破していました。私はこの意見に全面的に賛成です。それだけにすざましい反対にあう覚悟が必要です。
PART1
長野県知事選挙で、作家の田中氏が当選しました。
私は、田中氏の作品も選挙公約も読んでおらず、スタンスを全く知りません。分かることは氏の政治能力が「全く未知数」であることだけです。言うまでもなく、氏に求められることは「長野県政に新風を送り込む」ことで、新聞の「革新を選んだ長野県民」の見出しに、気持ちが良く表れています。

東京都は、石原都知事を得て急速に変わろうとしています。
これは、政治の何たる科を極め、豪腕で鳴る石原氏あってのことと思っています。少し遅れてスタートした大田大阪府知事は、新風を送り込むまでに至っておらず「混乱を避ける」に留まっています。
新風を送り込むはずの田中新知事が混乱を招かぬよう願うばかりです。

PART2
建築の世界にも「パイオニアか新風か?」の問題があります。
ありがたいことに、私は新しい分野の用途を手がける機会に恵まれてきました。
以前当HPでご紹介しましたが、日本初の「コンピュータを診断に使う人間ドック」を手がています。今考えれば「非常に初歩的なもの」に過ぎませんがそれなりに苦労がありました。
同じく日本初の「超高層の物流施設」では、「物流施設と倉庫はどう違うのか」と言う概念の構築からスタートしました。今でこそ珍しくもない施設ですが、公表できない苦労話もありました。
また、2階建て老人福祉施設に「エレベータを設置」するため、行政の説得に苦労した思い出もあります。ちなみにあのエレベータが、その後「福祉用エレベータの原型」となっています。

それに対し、マンションは「秩序の確立した分野」です。新風を送り込む努力はするのですが、ご紹介できる程の成功例はありません。
戦後まもなく発足した「日本住宅公団(あいつく編成替えで今は名前も変わってしまいました)」は、核家族化の風潮の中で「共同住宅」建設のパイオニアでした。
私の記憶に間違いがなければ、普段マンションの大きさを示す「○LDK」の呼称を作っのは日本住宅公団でした。
 Living=居間
 Dining=食堂
 Kitchen=台所
この3者を組合せた言葉です。
公団住宅も時代の変遷を経てきました。発足当初「L+D+K」つまり、個別の空間作りで始まったのですが、「DK+L」と言うコンセプトを作り上げました。さらに進んで「LDK」と言う概念を作るまでは公団住宅が常にパイオニアでした。
LDKの法的根拠はありません。
制度融資の融資基準に「居間は○○u以上」と言った最低限度の縛りがあるに過ぎません。このような制度融資を利用しない場合は「呼称に制限がない」わけで、住戸の広さを的確に表す単位になり得ません。現に、首都圏での3LDKは65u前後が主流なのに対し、関西では75u程度が主流になります。
民間のマンションが主流になって「LDK」の組合せが変わってきました。それは「LD+K」と言う考え方です。もう15年ほど前でしょうか「対面型キッチン」が生まれました。当時、核家族化の中で「家事をしながらベビーの動きを監視できる」と言うキャッチフレーズで、若い主婦層の熱狂的な支持を得たのです。
私自身、対面型キッチンのマンションに10数年住んだ経験から「好ましくない」と言う印象を持っています。そのため機会ある毎に「セパレートキッチン」を提唱してきました。
対面型キッチンは、形式上「LD+K」ですが、壁がオープンなため、視覚的に遮ることができません。また動線(人の動きを線になぞらえて表現)は「迂回する」ため決して短くありません。それに対し、セパレートキッチンは「視線のカットと最短動線」を実現できます。
トレンドと言う観点でお話します。
賃貸マンションはいまだに「対面型キッチンが主流」ですが、分譲マンションでは「セパレートキッチン」が認知されました。どうも、買うと借りるのでは意識の深さに相違があるようです。地道ではありますが、秩序が確立された世界でも「新風を送り込む」努力を怠るべきではないと思います。
001019(木)危険なハイキングコース
友人がオーストラリア家具を輸入販売することになり、昨日京都でその「お披露目」がありました。夕方から会場に駆けつけ、結局呑んだくれて京都泊まりとなりました。

一夜が明けて…何となく「サボリ心が首をもたげ」脱線したのです。
京都駅で見つけた観光パンプレット「秋は、北びわこへ。」に目が止まりました。「久しぶりに湖北もエエな」と言うことで新快速に乗っていました。着いた所は「長浜」です。そこで良く見れば、「秋は、北びわこへ。」に記載されたイベントは「土日」だけです。いつもながらそそっかしい私らしいチョンボです。昨夜の呑み過ぎで「懐さびしく」とてもタクシーを飛ばして、観光地巡りなどできません。ところが、あるではありませんか!「賎ヶ岳から余呉湖に抜けるハイキングコース」が紹介されています。これなら「懐さびしい」私でもOKです。

「秋は、北びわこへ。」のパンフには、JR西日本・滋賀県交通政策課・社団法人滋賀県観光連名が名を連ねています。そこで、ハイキングコースの距離と所要時間を尋ねるため、滋賀県交通政策課・社団法人滋賀県観光連名の両者に電話を入れました。ところが散々盥回しされた挙句「分かりません」と言う答えです。お人好しの私は、それでも「ファミリー向けの観光パンフに載っているくらいだからたいしたことはないだろう」と思い、出発点の木の本駅に向かいました。木ノ本駅で、駅員さんにお尋ねしたところ、首を傾げながら「1時間くらいと思います…」と言うことでした。
実は、賎ヶ岳も余呉湖も「一度行ってみたかったところ」でした。
ちょっと心が弾んでいます。
賎ヶ岳の麓からリフト(スキー用のものと一緒)に乗って山頂へ。
有名な、賎ヶ岳の合戦は、実際には「余呉湖の回り」で行われたそうで、「余呉湖を赤く染めた」と言われます。ならば、何故「賎ヶ岳の合戦」と呼ばれるのか?山頂に上がって、意味がよく分かりました。山頂から琵琶湖も余呉湖も一望できるのです。作戦指揮を取るのにこれほど都合の良いところはありません。それだけに、羽柴秀吉も柴田勝家も「天下分け目」と戦ったのでしょう。
(写真は賎ヶ岳古戦場を示す石碑)
写真左:賎ヶ岳山頂から見る琵琶湖北端
写真右:賎ヶ岳山頂からみる余呉湖
木々が少し紅葉を始めていました。


写真上:杣道の木々
写真左下:杣道で見つけた植物
(名前は分かりません)
写真右下:やっと辿りついた
余呉湖畔
(天候が崩れる寸前)
いよいよ「ハイキングコース」です。
やっと標識があり、JR余呉駅まで約4kmです。
結果から報告しましょう。
賎ヶ岳から稜線を歩き大岩山を越えて余呉湖畔に出るのですが、ハイキングコースと言うより「杣道」です。途中休憩施設などまるで整備されておらず、余呉湖に出る寸前に始めてベンチがあっただけです。
杣道ですから、呆れるほど標識がありません。
また、途中アップダウンが非常に激しく、お歳よりや小さなお子さん連れでは「とても無理なコース」です。
行程の2/3程を消化した所で「林道」に出ます。疲れ切った足には「ほっと」するところですが、また直ぐに杣道に入る必要があります。私は迷いました「このまま林道を歩いても余呉に出るのでは…」と。でも、林道をそのままいけば「どこに行くのか?」表示がありません。誘惑を振りきって杣道に入ったのですが「最後の関門」と言うべき峻路でした。
結局、1時間半かけて駅に到達したのですが、パンフに名を連ねた誰も「この道を確かめもせず紹介した」ことが想像できます。だからこそ、電話で誰も答えられなかったのです。

秋の観光シーズンを迎え、このようなキャンペーンパンフの作成には細心の注意を払って欲しいものだと感じました。
001020(金)身勝手な話
オリンピックに隠れ、何となく地味になってしまったプロ野球ですが、念願かなって「ON対決」だそうです。かって「不滅の巨人」を支えた、王ダイエー監督と長島巨人監督が「日本シリーズ」を戦います。
この日本シリーズに、シドニーオリンピック・ゴールドメダリスト高橋選手(マラソン)と田村選手(ジュードー)が始球式をつとめるそうです。「晴れの舞台に時の人を迎えて…」なんて思ってしまいそうですが、これほど身勝手な話はありません。

オリンピックでは、野球チームはメダルを期待されていました。しかし…
詳しい方達には「予想通り」だったようですが、プロ選手だけでチーム結成した他国に歯が立たず悔し涙を飲みました。伝聞ですが、オリンピックへの選手派遣にもっとも非協力的だったのは「巨人」だったとか。現に予選本選を通じて巨人から「一人も参加せず」です。
オリンピックには協力しないが、日本シリーズに「シドニーオリンピック・ゴールドメダリストを協力させる」わけです。これほど「巨人は偉いんだ」と言いたいのでしょうね。
シドニーオリンピック・ゴールドメダリスト達よ!
悔し涙を飲んだオリンピック選手に「仲間意識があるのなら」始球式を蹴ってやれ!
(余分なお節介と石が飛んできそうです)
001021(土)迷惑な比較表
ケアハウスの設計が終わってから、ガス会社の強引とも言える売込があり迷惑しています。
施設のエネルギーを「オール電化」にした場合と『ガスを主役』にした場合のコスト比較表を作り「ガスにすればこれだけお得です」と言う売込です。公正な資料であれば検討に値するのですが、誹謗中傷と我田引水の塊で、クライアントにその不公正さを説明するため1日を費やす羽目になりました。
震災以後当社では下記の理由で「基本的にオール電化で設計」してきました。
 1.震災でライフラインが寸断されました。
  電気は1週間余りで復旧したのですが、ガスは数ヶ月を要しました。
 2.電気で全てを賄うことは出来ても、ガスで全てを賄うことが出来ません。
 3.この4年間、毎年「防災協議」を行っています。
  どうも、評議員に「ガスは危険」と言う刷込みあるようで、
  オール電化に比べガスを使用すると「安全評価が1ランク下がる」のです。
 4.厚生省は「老人福祉施設はオール電化するよう」に指導しています。
防災協議=大規模な建物や特殊用途の建物に関し、建築基準法でカバーできない「建物の安全チェック」を行う協議。
かって、ガスと電気は住み分けをしてきました。
それが「震災」を機に「オール電化」にシフトしてきており、追い詰められた心境にあるのでしょうか?余りにアンフェアな資料です。
まず、ガス会社は当設計がどのようなシステムを採用しているのかまったく問合せもせず「資料作成」をしました。電気を使用した場合の資料は「これ以上高くつく方法はない」不利なものを対象とし、ガスの場合は機器を動かす電気料金すら比較表から省く我田引水ぶりです。彼らの資料によれば、オール電化を採用すれば、「基本料金だけで年間2000万円必要」と言うものです。

ケアハウスは「軽費老人ホーム」と訳されるように、自己負担を伴う施設です。
負担額は施設の都合で決めるわけではなく、年金の需給額に応じて8〜12万円/月額に定められています。この金額で快適な居住環境を提供し、食事・入浴サービスを行い、健康と安全管理をしなければなりません。
このような状況で「電気の基本料金(使用料金は別)2000万円」を定員80名で負担するような設計をすれば「施設が成立たない」であろう。この比較表は、電力会社を貶めるだけではなく、設計者の私に対する誹謗中傷でもあります。

私は、設計に対し「コンセプト(基本理念)作り」から着手します。
理想を追い求める「熱い心」を持っていますが、それだけではありません。常ゞ自信を持って「市井の建築屋」を呼称するのは、冷徹に「採算」という現実を見つめているからです。いかなる理想も、経済的破綻を伴えば成立つ道理がありません。
ケアハウスの設計で採用したシステムをお話します。
エネルギー費用(電気・ガス・水道)は「基本料金+使用料金」で計算します。
これらに共通することは「省エネを国是」としていることです。そのため、デマンドが増えれば基本料金・使用料金共「割高になる」よう設定されています。
(デマンド=使用量のピーク)
それはオール電化とて例外ではありません。ただ、電気の場合「ピークの平準化」と言う目標があり、「昼間電力からローコストな深夜電力へのシフト」を誘導しています。
当計画では、深夜電力を可能な限り採用しています。それも省エネ効果の高い「エコアイス」と呼ばれる氷蓄熱を採用して冷暖房を行い、その際出る「廃熱」でお湯を沸かして利用(大浴場)する方法を採用しました。
「深夜電力+廃熱利用」という二重の優遇料金をうけ、電力使用料金を大幅に下げました。

基本力金は「電力使用量のピーク(デマンド)」に対して決められます。
ところが、「深夜電力はデマンドの対象外」となるため、大口需要を深夜に振替えることにより、デマンドを大幅に下げることが出来ます。先ほど「デマンドが増えれば基本料金・使用料金共割高になる」とお話しました。言いかえれば、デマンドを下げれば「割安料金」になるのです。そこで、更なる方法を考えました。
契約口数を増やし、1口当たりのデマンドを下げればもっと安くなるはずです。当施設には定員80名76室の「居室」があります。これは「1ルームマンション」と殆ど同じ構造をしています。(MACのHP「ing」のコーナーをご覧下さい)

電力会社に対し、この居室を「1ルームマンション」と扱ってくれるよう働きかけました。出先機関ではラチが開かず、電力会社の社長室まで持ちこまれましたが、今後このような施設は「1ルームマンション」並に扱うと言う了解を得ることが出来ました。
これで施設の半分を占める「居室部分」が分離できました。これだけでデマンドを大幅に減らせます。つまり単価の引き下げに成功したのです。
これは「居室」にもメリットをもたらせました。(居室内の光熱費は各自負担です)
従来、施設丸ごとで「契約」していたため、各居室は膨大な基本料金を按分負担していたのですが、当施設(今後どの施設も適用を受ける)は、電力会社と入居者の直接契約になるため、最低の料金で済むことになりました。
施設も(デマンドが下がり)低料金が利用でき、煩雑な事務処理(検針や徴収業務)から開放されました。
このことは副次的な効果をもたらせました。
電力会社がOKなら…と、市の水道局も個別メーターを許可してくれたのです。つまり、居室内の管理は全て個人責任となり、公正明確になったのです。

いくつかの施設を見学させていただき、貴重なお話を伺う機会がありました。多くの施設で「基本料金の按分負担」に悩まされているようです。「私は節約しているのに、なんで…」と言った不満が後を絶たないそうですが、当計画でその心配はありません。
このような工夫を凝らしているにも関らず、無責任で迷惑な比較資料など作って欲しくはありません。ちなみに、再三の呼びかけにも拘らずガス会社から私宛のコンタクトがありません。素人のクライアントなら「騙せる」とでも思っているのでしょうか…
001022(日)情報線
テレビ線とか電話線と言う表現では機能を説明できない時代がやってきました。例えば、インターネットは電話線とCATVのいずれでもできます。
CATVは有線テレビの契約率の悪さをインターネットでカバーするため、プロバイダ及び通信料「24時間使い放題6000円/月」と言う料金でユーザーの獲得を伸ばしています。日中の速さはISDNの比ではないようですが、家庭でテレビを見出す時間になると「極端に遅くなる」欠点を持っているそうです。
CATVに押されて、NTTではISDNに力を入れています。
ISDN利用者に対し「フレッツ・アイ」と言うシステムをPRしだしました。プロバイダ料金別で「24時間使い放題通信料4500円/月」というものです。
そんな折、第3の方式のPRを受けました。
DDIの向こうを張りCCIと言うそうです。
これはインターネット専用回線の普及を狙うもので、「インターネットマンション」と言うキャッチコピーでしたが、この線は電話にもレテビにも利用できません。説明を受けながら「普及するのだろうか?」と言う疑問が湧きました。
3LDKのマンションの各室に接続ジャックを設ける標準仕様で、1住戸約10万円の工事費が必要になります。ただし、使用料はプロバイダ+通信費で「24時間使い放題2000円/月」程度とか。
このシステムの泣き所は、「自前で完結していない」ことです。
建物内には専用回線を構築するのですが、外ではNTT回線のレンタルを受けるため、「決して速くない」のです。CCI独自で「光ファイバー網」が完成すれば、ダントツの速さを誇れるのですが、「それが何時の日になるのか…」メドの建たない悲しさがあります。工事費の10万円も、この「ネットワーク作りへの投資とお考え下さい」と言う説明でしたが、この世知辛い世の中でなかなか「負担する」事業主は少ないでしょうね。
光ファイバーによる「高速大容量通信網の建設」は民間業務ではなく、国家プロジェクトとして、取組むべき課題だろうと私は考えています。
また「5年先10年先を考えて投資してください」と言うことでしたが、無線化技術が進む中で「住戸内に配線を巡らせ」10年後を見据えることが正解とはとても思えません。

セールスにおこし頂いたCCI職員の方にはお気の毒ですが、私の感想を率直に申し上げました。技術革新の激流の中で「正確に未来を読む」ことはできませんし、ボランティア精神で投資することをクライアントに勧めることはできません。何時の日か、私の読みが間違っていることに気付いたときは「ゴメンナサイ」と謝るしかないと考えています。
001023(月)
爪を見れば「健康度合いが解る」と言う説がありますが、その真偽は知りません。ただ、爪でその人の「生活を感じる」ことがあります。

今はCADのお陰で汚れなくなりましたが、ドラフターと(製図機)鉛筆時代は、毎日爪の中にびっしり鉛筆の粉が詰り「真っ黒」になっていました。その不潔感が嫌で、神経質なほど深爪をするようになりました。
一般に肉体労働では爪が汚れます、これは職業から来る「やむを得ない」ことです。反面、余りに綺麗な爪の持ち主は「生活の匂いがなく」逆に不気味に感じます。
爪は重要な「おしゃれ」の要素です。
マニキュアを塗るだけでは不足のようで、デコレートされた付け爪を付けている女性もいらっしゃいます。でも「爪を伸ばす」より付け爪(これは私の好みの問題ですが、付け爪なら何時でも外せるので)の方がずっと生活の匂いを観じます。
先日も電車で「10本の指全部の爪を伸ばしている」若い女性を見ました。まるでアニメに登場する「西洋の魔女」みたいです。
私自身爪を伸ばしたことがなく、想像でしかないのですが5mm以上伸びた爪では「何の仕事もできない」だろうと思います。
きっと彼女は職業を持つどころか「家事手伝いすらしないだろうな…」と、爪を見ながら想像していました。おそらく伸びた爪に垢が付かないよう「考えられないほど神経を使って」生活しているのでしょう。
平和な日本と「閑な私」の話でした。
001024(火)フィードバック
「歴史に学べ」と言う教訓があります。個人のレベルでは、そこまで大げさに言わなくても、「過去の失敗に学ぶ」必要はあると思います。
修行時代、ボスは大変恐い存在でした。最後まで「人間として尊敬できない」ボスでしたが、「仕事を教わる」と言う面で言えば大変感謝しています。2度目ともなれば「アホ馬鹿間抜け」の世界でしたが、ボスは始めての失敗には常に寛大でした。
組織で言うなら、情報の「フィードバック」がどれだけなされているか?に尽きるのではないでしょうか。
私は建築設計の世界にいます。設計の世界も細分化されており、余程大規模な組織でなければ「単一組織で全体をカバーする」ことなどできません。
私の事務所では、物件ごとにアウトソーシングを活用してチームを作ります。当社でプロジェクト全体のコーディネートと、意匠(デザイン)法規担当を兼ね、構造事務所・設備事務所・造園事務所・積算事務所や福祉の専門家・建材メーカーの設計組織等を交えてチームを作り、業務を進行していきます。
当社は、全体のコーディネートを担当するため、物件の初期から工事終了、業務の立ち上げまで守備範囲に入ります。しかし、他の事務所は流れの中で「必要なときに登場」するだけで、決して全体の流れを見ていません。一部だけを見れば正解でも、全体の中では「?」と言う出来事も多くあります。可能な限り情報をフィードバックするのですが、実体験をしていないため痛みがなく「何度でも同じ間違い」が起きやすいのが残念です。
情報のフィードバックは、思うほど簡単ではありません。
賃貸マンション運用を既に5棟も10棟も行っている会社でも、問題点が改善されぬまま「次ぎの工事に」入っているケースを目にします。特に運営委託している場合「改善要求」のフィードバックがほとんどないようです。問題点や失敗例と言った反省事項も、現場の管理人→管理会社→事業主と情報が流れていくうちに薄められ、あるいは遮断されて「マニュアル整備に生かされない」のです。
ちょっと残念ですが、「痛みを感じながら実体験」をしないと、フィードバックができないのかもしれませんね…
001025(水)初物嫌い
友人に「初物嫌い」がいます。
普段は至って「仕切りたがり」なのですが、未経験の食べ物にまるで臆病です。珍しい食べ物に出会うと「俺、嫌いやねん」と言って箸を出しません。そんなに年中「珍しいもの」を食べている筈がありません。最初は気付かなかったのですが、これはおかしいと思い「おまえ食べたことあるのか?」と問い詰めたところ「ない」と白状しました。
どうものこ傾向は理屈ではなく、生理的なもののようです。
脅してもすかして食べません。そこで「一口食べてみろ!ダメやったら吐き出したええから」と言って、ホンのちょっとだけかじらせると「これ美味いやん」ときます。後は「生まれながらの好物のように」食べます。
これほど「勝手な奴」を私は知りません。
何せ次ぎは「美味いものを見つけた」と言って、別の友人を誘って行くくらいです。それでもまだ「初物嫌い」が続いています。
私の年代は「どうすれば腹いっぱい食えるのか」そればっかり考えて育ちました。
彼は、生まれも育ちも大阪で「食い物の恨み」を知らずに育ったようです。羨ましい反面、チャンスを逸した「美味いもの」も多いだろと思います。
001026(木)読み返す
乱読の習慣は我が家の共通項で、それぞれが様々な本を読みます。
ただ本の趣味に共通性がないため、これらを全てストックすれば生活空間に影響が出てしまいます。そのため読み終わった本はできるだけ「処分」していますが、それでも「きっと読み返したくなる作家」の本だけはストックしておきます。
本屋を覗いたら(毎日行っていますが…)こんな本を見つけました。
「藤沢周平が愛した風景」山形新聞社編・祥伝社黄金文庫
私が藤沢周平作品と出会ったのは、テレビであったと記憶しています。
氏の原作「獄医・立花登手控え」をドラマ化したもので、中井貴一さんが主役を演じていらっしゃいました。ドラマを見て、「原作を読みたくなった」のが、藤沢氏との出会です。それ以来、藤沢周平作品の虜となり読みふけりました。当HPの「読書から」でも度々登場しています。

藤沢周平氏は山形県庄内の出身で、故郷をこよなく愛した作家として知られています。
20代前半、中学の教師をしている時に肺結核となり、静岡県で療養中に職を失い、その後故郷で生活基盤を持つことが出来ませんでした。それだけに望郷の念が強かったのではないかと推察します。
「藤沢周平が愛した風景」に、藤沢氏が故郷の友に電話するときは、必ず「山形弁であった」と著述されています。私も故郷を出て35年の歳月が過ぎ、「帰りたいけど帰れない」からこそ故郷(ふるさと)としみじみ思います。
「藤沢周平が愛した風景」は地元に根強く残る藤沢ファンが氏の描いた風景を庄内に転写したものです。多くの作品の「この風景を描いたもの」と言う事例が紹介されており、本を読みながら「一度行ってみたいものだ」と思いました。
本を読み終えて、ストックしておいた本を今読み返しています。
藤沢周平氏は、遅れて作家になり短期間に多くの作品を残し、69歳の若さで世を去りました。しかし、氏の作品は色あせることなく我が家の本棚に収まっています。この先もきっと何度も「読み返す」ことでしょう。
001027(金)200億円
私の意見など誰も取上げることはありませんが、建築ほど景気の先行きに敏感な業種はないと思っています。
かって、世の中バブルに浮かれている最中、急速に薄れていく「引合い」にバブルの終焉を知りました。投資家の予感めいた「危機感」で、新規投資を手控えようとする動きが急速な引合減少となって現れたのです。
建築は、個々の人の本能にも似た「危機感」を集約する分野故に、景気の先行きに敏感に反応するアンテナ足りえるのです。偉い先生方はハイテク産業の動向を見て景気を占う傾向がありますが、設備投資の根源に「建築」があることを余りご存知ないようです。

逆も有得ます。
先日、堺屋経済企画庁長官が、マスコミの攻勢に対し四苦八苦の言い訳をしていましたが、株価の暴落とうらはらに景気回復の足音が高くなっていると思います。一連の株価暴落は、アメリカのマネーゲームが破綻したに過ぎず、日本企業のファンダメンタルズは確実に回復しています。
表題の『200億円』は、当社が抱える「引合物件の建設費総額」です。
勿論、酒の席でつまみになる程度の「ホラ話・ヨタ話」です。俗に言う「千三(せんみつ)」で、楽しくはあっても「頼り」にするものではありません。
ただ、この傾向は私だけのものではなく、同業者がほぼ共通して持っている「感覚」です。「どれだけモノになるか?」は今後のことですが、この引合の活発さは「バブル以来」のものです。
どこまで落ちるのか!?と思われた建設物価も、この引合の活発さを反映し、上昇に転じる気配があります。おそらく、半年から1年のタイムラグをへて、皆様にも実感していただけるのではないでしょうか。(それにしても、当社の困窮振りは何なのでしょうか…)
001028(土)マンション事情
表題は異なりますが、昨日の続きです。
日本の経済が浮上してきたのでは…と感想を申し上げましたが、それで苦境に立つ建設業界が救われる分けではありません。構造転換を迫られていることに違いはなく「でもしか産業」から脱却してスリム化を計る必要があります。
昨日、建設物価が下げ止り上昇に転ずる気配があることをお話しました。これは抑圧されてきたメーカーの動向であって、発注側が「コストアップ容認」に動いている訳ではありません。その意味(コスト上昇下の安値受注)で、ゼネコンが本当に苦境に立つのはこれからかもしれません。
今日はマンションの動向をお知らせしようと思います。
バブルが弾けた10年前でも我が国の持ち家比率は70%をお超えており、マンション需要は飽和状態と言っても可笑しくない筈です。
ところが、東京も大阪もマンションの売れ行きが好調です。理由は新築マンションの分譲価格の値下がりで、関東/アンダー4000万円、関西/アンダー3000万円が売れ筋です。

関東の事情に詳しくないので関西を事例にお話しますが、活発なマンションの売れ行きの背景に「新しくて便利+高品質で安い」と言うユーザーにとって願ってもない好条件があると思います。当社に来る引合いも「駅から5分以内の立地」「販売価格で120万円以下/坪」と言う条件がついています。これだけの条件を満足して、大阪の標準的な3LDK75uなら2700万円程度の販売価格になります。だからと言って、マンションデベロッパーが「出血サービスや利益圧縮」をしている訳ではありません。これは、仕入値(土地代+建設費)を下げているに過ぎません。先日、打合せに行った某デベロッパーの話では「競争に勝つため、販売価格110万円/坪を実現する方法を模索中」と言うことでした。このように新築マンションが更なる値下げ傾向にあります。
もともと、マンション市場は新築と中古で構成し、自動車と並んで中古市場が強固な分野でした。それがここに来て、怪しくなっています。
以下は私の想像です。
好条件で新築マンションが買えるため「新築だけで市場が構成」され、新築マンションが活況を呈しているのではないか?
反面「遠くて古くて不便」と言う中古マンションが切り捨てられ、中古市場が極端に値崩れしているのではないか?と思います。
最後に、私の住んでいるマンションを例に中古マンションの暴落度合いをご紹介して終わります。
 購入価格……………… 100
 バブルピーク時の価格…300
 現在の販売価格………  70(新築マンションの半値程度)
001029(日)日中友好
産経新聞に古森義久氏の「日中再考/似て非なる隣人」と言う、特集記事が連載されています。
産経新聞は中国当局におもねることをしない(文化大革命を批判的に報道した)ため、永く締め出されてきましたが、最近北京支局を復活しました。古森義久氏は北京駐在員です。
この特集記事を読んでいると「進歩的文化人」と呼ばれる先生方がいかに「中国に片思い」をしているかが分かります。
中国は、戦後60年一貫して「反日教育」をしてきており、教科書の2割が「日本人は悪」と言う内容で占められているそうです。マスコミも、恒常的に「反日プロパガンダ」を繰り返しており、日本の要人の「不用意な発言」に反発するといった生易しいものではないそうです。
街を歩いていても、日本人と分かれば悪し様に罵声を浴びせられ、中国語には日本(日本人)を誹謗中傷する語彙が豊富にあると報告されています。

どうやら、進歩的文化人先生の「日中友好」など画餅にもならず、感情の悪化は進行するばかりのようです。中国は「日本人は悪」を生涯教育しており、彼らの我が国への「犯罪輸出」など何の痛みもなく、逆に「悪を懲らしめる」と言った高揚感すらあるのではと想像してしまいます。以心伝心。私の最も行きたくない外国が中国であることは、敏感に感じた「中国そのもの」であったかもしれません。
001030(月)街角の店
『年賀状印刷します』と言う看板が目に入りました。
「もうそんな季節なんや」と感じながら「頼む人は少ないやろな…」思ってしまいます。森総理の十八番(おはこ)でなくてもIT革命で、事業所ばかりか家庭にもコンピュータが入り込んでいます。毎年頂く年賀状も、ほとんどコンピュータで作ったもので「印刷物」は余りありません。賀状ばかりではありません。名刺も自前で作るところが増えてきました。パンフやカレンダーも作っており、益々「印刷屋さん」の出番が消えています。

街角から消えた職業で、このようにOA化の波を受けたものに「写真屋とクリーニング」があります。写真の現像焼付はオール自動化され、街の写真屋さんでは太刀打ちできなくなりました。取次店に変身して余命を繋いだのもつかの間で「45分仕上げ」の時代に取次店は不要になりました。クリーニングも装置化と公害問題から、大型工場に集約され写真と同じ運命を辿りました。

田舎育ちの私など、親に頼まれ買物に行けば「万歩計」もビックリと言うくらい歩いたものです。若い人には「?」と思いますが、八百屋、魚屋、肉屋等が街中に分散しており、食材を買い揃えるだけでも歩き回る必要があったのです。今は、食材は「スーパーへ…」が当たり前になってしまいました。

街角から消えたお店はまだまだあります。駄菓子屋さん、電気店、洋服屋さん、本屋さん…
こうして、街角の店を根こそぎ奪ったスーパーが、苦境に立つ時代がきました。日用品は「ホームセンター」に、酒類はパワーマーケット、本や衣類は郊外型大型専門店に、ファッショングッズはブランドショップに奪われました。
さて、何時か街角にお店が戻ってくるときがあるのでしょうか!?時代の流れで、消費指向が変わったのでしょうが、こんな動きが「歩いて暮らせる街」を消していったように思います。
追記:そごうの再建案が発表されました。でも、デパートが脚光を浴びる時代は終わったと思います。
001031(火)学割
「学生さんには、金がない」これはKDDIのキャッチコピーです。
KDDIの携帯電話を利用する学生の使用料金を半額にするという戦略です。これが我が家の末っ子にはいたくお気に召さぬらしい。「なんで学生なら半額やねん!」と、怒り心頭に発しています。
格別親ばかという訳ではありませんが、この怒りは私にも理解できます。親の脛をかじる学生に「携帯電話の使用を控えましょう」というのが本来の筋論で、更なる使用を促すのは余りにも商業主義過ぎないかということです。
反面、同世代の「働く青年」は、決して高くない給料の中で「衣食住を賄う」ため、仕送りのある学生以上に苦労しています。私自身18歳で親から離れ自活したわけですが、働きながら食費すら節約する生活を経験しています。
願わくば、働く若者にこそ「割引料金」を提供して欲しいものです。


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