dogfight高松の長すぎるひとり言
2000年9月

OBP古代からの伝言2今いずこ淡路花博ホームレスビッグレスキューベストセラーゼネコンの倒産不思議な福祉土木と建築古代からの伝言3天寿若者文化3レジャーランドの黄昏ゼネコンの倒産2休日の出来事人間模様「男と女」カミソリビーフシチュー定食思いこみ誤差と許容範囲着物美人忙中閑あり特別永住権
000901(金)OBP
OBPは「大阪ビジネスパーク」の頭文字を取ったもので、超高層ビルが立ち並ぶ美しい人工都市です。IT革命を受けて、都市丸ごと「光ケーブル」で結ぶ事業がOBPでスタートするそうです。
OBPは元「陸軍大阪工廠」の跡地です。私が大阪に出てきた昭和40年頃は、徹底的な空襲で破壊されたままの、広大な瓦礫の山で「戦争の爪あとを残す」風景でした。当時から、新しい都市作りの構想はあったのですが、瓦礫の山に尻込みして「誰も手を出さない」まま放置されていました。嘘か誠か定かではありませんが、大阪財界の大物が集まり「籤を引いた」と言う話があります。
誰が『犠牲的精神』でビル建設をするか!正に『貧乏籤』であったかもしれません。当時、松下幸之助氏が健在で、まず松下電工のショールームが「ポツン」と建ちました。それでも後続がなく、永く「野中の1軒屋」でした。
OBPが存在感を示すのは、バブルで建設ラッシュが始まってからです。今では、大阪を代表する企業が軒を連ね、大阪一の美しいオフィス街になっています。こんな経緯を知る人も少なくなっていくのでしょうね…
000902(土)古代からの伝言2
産経新聞朝刊に「古代からの伝言」が連載されています。
卑弥呼の時代から僅か100年後、4世紀後半に日本の大軍が海を渡り朝鮮に攻め込んだ記録があるそうです。百済、新羅と降し高句麗を中国国境付近まで追い詰めた「大事件」にも関らず、日本の歴史に登場しないミステリアスな出来事です。

何故、これほどの大事件の記録が無いのでしょうか?
素人の推理ですが、私はイデオロギーと言うフィルターに「濾過された」のではないかと思っています。中国国境付近で発見された石碑に「任那(みまな)」が登場します。古代、朝鮮半島は「三韓(百済・新羅・高句麗)鼎立時代」と言われますが、プラス「任那」が存在したというのが日本の歴史学者の定説です。しかし「韓国側の歴史」では任那の存在を否定しています。「任那は日本の植民地だった」という説があるのですが、民族的自尊心が「植民地の存在を否定」するあまり、任那をも否定してしまうようです。
平安時代の貴族の素性を調べた資料によれば「7割以上が渡来人」と出ています。
渡来人が先住民族を駆逐し、「日本を建国」したことに異論はないと思います。言うならば日本の地は、朝鮮族にとってニューフロンティアであった訳で、任那=植民地の概念がおかしいのではないかと思っています。素直に考えれば「任那は存在し朝鮮海峡を挟んで海洋国家を形成」していたのだと思います。当然、朝鮮対日本と言う異民族意識は無かったであろうし「日本が朝鮮を侵略した」と言うよりは「同族内での勢力争い」と見たほうが分かりやすいのではないかと思います。
更に言えば「朝鮮と日本」が個別の民族意識を持ちだしたのは、鎌倉幕府の成立により貴族(公家=朝鮮族)が没落してからではないかと想像しています。
※朝鮮半島で異変が起きる度、渡来人が亡命して我が国の貴族になっています。しかし、彼らのために「通訳が存在した」と言う記録を見たことがありません。言いかえれば「共通の文化」があったからだと思います。このシステムが崩壊したのは、武家社会(封建制度)の成立と密接に関係があると思います。
「日本が朝鮮を侵略した」というフィルターを掛けず、むしろ古代から、一衣帯水の関係であったと思いたいものです。
000903(日)今いずこ
Dogfight発(2ヶ月ほど前に出したメール) 
今、日本にいるのでしょうか?
やっと横田君も帰ってきて、もとのメンバーに復帰しました。といっても事務所は相変わらず「万年倒産予備軍」です。かおりは、給料を貰いながら「遣り繰りの勉強」をしています。
もし日本にいるのなら「飲みに行こう!」連絡を待つ(日本に居なけりゃこれは届かない)
※ わざと「日本語」で出したので、彼が海外にいれば「余ほどラッキー」でなければ届かない
K君発
返事が遅くなりました。
7月からイングランドとスコットランド、それにアメリカと地球を一周してきたのですが、それはもうすばらしい旅行になりました。 
最初に到着したロンドンでは空気の汚れのため気分が悪くなり、目も充血しっぱなしで大分印象が悪かったのですが、その後に訪れたスコットランドが本当にすばらしかった! 景色はもちろんの事、ゴルフコースの芝や景色、それになにより驚いたのはスコットランド人のマナーの良さ!(ゴルフ場の内外を問わず)それに比べ他の国は…。 
そう言えばイングランド人のマナーはあまり良くなかった…と言うか、最悪でした! 例えば、いい歳をしたオッサンが道にゴミを平気で捨てたり、汚い言葉を公衆で使ったりと! 
スコットランドでは何処へ行こうと子供から老人まですごく親切で、こいつらアホか?とおもうくらい人が良いし、言葉使いもきれいで礼儀正しい、訛りが強すぎて聞き取れない事がしょちゅうあったけど、これぞ英国紳士と言う感じでした。(個人的にイングランド人は紳士とはみとめません)ちなみにスコットランドとイングランドはパスポートなしで行き来できますが住んでいる人達の人種はちがいます。

まあ、後のアメリカはテレビで見たりしたとうりであまり感動もなく、こんなもんか?と言うかんじでした。ただアメリカ人は人、とくに白人以外はかなり見下されているという印象で嫌な感じがしました。

あっ! それから僕は現在Australiaにもどってきてちょっとオリンピックが始まるまでもう少し滞在しようと思っています。おそくても10月半ばには帰国すると思いますのでその時にはぜひ呑みに連れて行ってください!
K君との往復書簡です。
同意もなしに勝手に公開しています。(きっと怒らないし、是非紹介したい内容なので)
若い頃のこんな体験…いいよね!
日本から見れば「イギリスは一つ」みたいに思ってしまうけど、まるで違う人種のようです。頭でっかちな知識ではなく、「身体で知る知識」を大切にしたいですね。
000904(月)淡路花博
昨日、久しぶりに「海外旅行」に行ってきました。と言っても、「淡路花博」経由大阪湾周遊旅行です。
詰々の高速バスと
大渋滞の明石大橋

大阪狭山の自宅→難波→高速バスで神戸、明石大橋を経由して→花博会場→タクシーで津名港へ(途中淡路島観光)→高速船で関空へ→リムジンバスで河内長野→自宅と言うルートを辿りました。地図でご覧頂ければよく分かるのですが、見事に大阪湾を一周しました。
夏休みも済んで「少しすいた頃」と思ったのが大間違いでした。会期中の記録ではないかと言う大入りで、大幅延着で会場に着く有様です。何をするにも「行列」で、パビリオンは一時間待ち、アイスクリーム一つ買うのも行列です。結果、まったくパビリオンの類には入っていません。
すでに会場を訪れた方の8割が「不評」を訴えておられますが、まずは自分の目で確かめて評価をと思っていました。今から12年前、大阪で花博が開かれていますが、多くの方が比較なさっているようです。
「花」というテーマに限りイベント性で比べれば、やはり「大阪花博」の方がずっと上であったように思います。でも、8割の方が貶すほどダメかと言えば「それほどでもない」と言う感想です。
暑さと戦いながら、野外をひたすら歩きます。パビリオンに入れないので、屋外に咲く花をご紹介します。
左:白いナスです。普通のナスもありましたが、変り種を写しました。
右:パプリカです。
この付近は「実のなる」ゾーンのようです。





ここは兵庫県の温室です。時々見かける花ですが、名前がわからなくて困ってしまいます。




左:バイオ技術の粋を集めたトマトです。家庭用の装置が78000円で売出されていました。ちょっと迷いました。
右:温帯で栽培されるリンゴです。これもバイオ技術でしょうね。
実のなるゾーンを見て「平和の国・日本」を感じます。マナーよく、誰も実をとろうとしません。
大阪花博と比べて淡路が断然優れているのは、建築群です。安藤忠雄先生の独壇場で、会場全体を際立たせています。ご紹介します。
左:野外劇場
右:野外小劇場での浄瑠璃
安藤先生の作品を続けて見る機会があったのですが「階段と水」をテーマにされているように感じます。
建物群を見ながら「水の宮殿と言われる「アルハンブラ宮殿」のことを思い出していました。ひょっとしたら、安藤先生もこのイメージがあったかもしれません…
「貝の浜」にて
左:最近の安藤先生の特徴を示す風景です。
右:裸になり噴水に遊ぶ子供たち

「百段苑」です。ご覧のように特定の用途は無く、斜面いっぱいに広がる「階段と水の流れ」で、建物というよりは「モニュメント」です。会場で知合った若い夫婦も感動しており、安藤先生の才能に感服しました。
感動しながらも、皮肉な自分が頭をもたげます。
歳相応に私も家内も「膝が悪く」階段が苦痛になってきています。
「もし、安藤先生が障害者になったらどのうな設計に変わるだろう?」と言うものでした。
「障害者」を考えれば設計が単調ななるだろうと言うのが家内の意見でした。
私が見た「世界の名建築」でも、バリヤフリーは考慮されていません。空間の変化とバリヤフリーは合い入れないものかもしれません。「素晴らしいね!」と感度しながら、階段を上ることなくサヨナラしました。

花博会場を後にして、タクシーで津名港に向かいました。混雑する国道を避け、尾根道を選びました。
途中寄った「花ざしき」はラベンダーが満開でした。大阪湾が一望でき、関空が霞んで見えました。
000905(火)ホームレス
行き付けの店で顔を合わすIさんが「7階のベランダから落ちて」お亡くなりになったそうです。傍若無人に騒ぐ方で余り好きではありませんでした。Iさんは、某大手銀行にお勤めでしたが、50を過ぎて「傍系会社に出向」を命じられ、このところ塞ぎ込んでいたそうです。
バブルが弾け「リストラ」と言う言葉が世間の認知を受けるに従い、公園にブルーシートの小屋掛けが目立つようになりました。ホームレスの発生です。これをもって、ホームレスは「社会の犠牲者」と捉える向きも多いようですが、私は賛成しません。生き方を変える必要はあったかもしれませんが、彼ら自身の原因が大きいと思うからです。

最近でこそ、年俸制や退職金のポイント制が具体化してきましたが、能力と給与がリンクしていない不思議な世界がまかり通ってきました。不況に迫られ、費用対効果を検証した時、効率の悪い人間をリストラしようと言うことになりました。友人の会計士は「役職が上がり給料が上がるのは『楽をしろ』と言う意味ではなく、交際範囲を増やし『より自分を磨け』と言うことやねん」と、口癖のようにいいます。私の周りを見ても、リストラにあった人は「自己研磨」を怠っていた人が多いように思います。

パワーポリティカルはホームレスの世界にも浸透してきました。
ホームレスが「気楽な世界」では済まなくなる時代の到来です。不況と言いながら「妙に余力を残す日本」でしたが、ここに来て切羽詰まって来たようです。ホームレスの「食文化」を支えた残飯が、彼らを養うだけ出なくなってきて、ホームレス社会で争いが起きるようになったそうです。そのうち「一般人を襲うようになるのでは…」と関係者で懸念が囁かれだしました。
実は、何もかも投出し「世捨て人」になれたら…ちょっと憧れる時ってあるね!危ない危ない
生き残りに掛けるのではなく「世捨て人」になるのも選択肢です。ならば「社会のせい」にするべきではないな…
000906(水)ビッグレスキュー
関東大震災の教訓を忘れないようにように、9月1日が「防災の日」と定められました。しかし、月日の経過と共に形骸化が目立つようになり、阪神淡路大震災以降自衛隊の参加しない防災訓練の有効性に疑問の声が出るようになりました。
再々書いていますが阪神淡路大震災では、兵庫県知事は地震発生から9時間も自衛隊に「出動要請」をせず、やっと出した要請も「わずか300人」と言う有様でした。初期に大量動員を掛けていれば、生きながら焼かれて行った人々の多く救うことができなのではないかと私は思っています。
自衛隊に限らず軍隊が他の組織と決定的に違う点は「自己完結型組織」であることです。「災害出動」を例に取れば、消防や警察組織は「橋の落下」で立往生しますが、自衛隊なら「浮き橋」を架けて前進します。そのためアメリカを始め多くの国で、災害救出活動の主役は軍隊とされています。

阪神淡路大震災における兵庫県の動きは異常で、人命よりイデオロギーを大切する傾向が兵庫県にはあるとしか思えない現象があります。
・軍隊が有用なことを知るアメリカはいち早く空母の派遣を申し出ていますが、官民揃ってこれを断っています(空母ほど救出基地に適したものはありません)
・自衛隊に対する出動要請が遅れたために家族が死んだとして、行政を訴える事例は皆無でした。また、兵庫県知事はその後再選されています
多くの都市の歴史を見れば「河川に沿って発達」したことが分かります。モータリゼーション以前の世界では、河川は経済と防衛の要でした。ところが、都市災害において河川は阻害要因になります。それだけに、都市災害の救援には自衛隊の参加が不可欠です。
石原都知事は故小渕前総理との約束に従い、9月3日「ビッグレスキュー」と言う大規模な防災訓練をしました。最大の特徴は、自己完結型の「自衛隊の全面参加」を仰いだことです。もうこの当りで「何が必要か」真剣に考えたいものです。
「ビッグレスキュー」を評価する声も多かったのですが、ある若者がインタビューに対し「単なる軍事演習に過ぎません」と答えていました。教育の成果とは言え、割りきれないものを感じたのは私だけでしょうか。
000907(木)ベストセラー
大手書店ジュンク堂の会報誌「ほんのしるべ 書評 2000.9月号」に、ジュンク堂8月度ベストセラー「池袋ベスト15」が掲載されていました。
私は乱読で、読書量ではそう引けを取らないほうですが、ベスト15で読んだ本が一冊もありません。詳しく見ているうちに面白いことに気付きましたのでご紹介したいと思います。
         池袋ベスト15
題名 作家 出版社 金額
朗読者 ベルンハルト・シュリンク 新潮社 1,800円
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」 村上春樹 朝日新聞社 940円
不平等社会日本 佐藤俊樹 中央公論新社 660円
教養としての大学受験国語 石原千秋 筑摩書房 860円
お笑い創価学会
信じるものは救われない
佐高 信
テリー伊藤
光文社 1,200円
経済のニュースが面白いほどわかる本
<日本経済編>
細野真弘 中経出版 1,400円
話を聞かない男、地図が読めない女 アラン・ピーズ
バーバラ・ピーズ
主婦の友社 1,600円
東京アンダー ロバート・ホワイティング 角川書店 1,900円
株投資信託外貨預金がわかる基礎の
基礎講座
細野真弘 講談社 1,300円
10 柳 美里 小学館 1,238円
11 「捨てる!」技術 辰巳渚 宝島社 680円
12 プロフェッショナルの条件 P・F・ドラッカー ダイヤモンド社 1,800円
13 空想科学読本3 柳田理科雄 メディアファクトリー 1,200円
14 ハリー・ポッターと賢者の石 J・K・ローリング 静山社 1,900円
15 あやし 〜怪〜 宮部みゆき 角川書店 1,300円
ベスト15をご覧になっていかがでしょうか?
皆さん「勉強の本」が多いな…と言うのが第1感です。私は「好奇心の対象」として本を読むことが多く、雑学の素なっています。しかし、どう見ても小説と思われる本は、宮部みゆき氏の「あやし〜怪〜」くらいではないでしょうか。同じく「プロの売れっ子作家」も宮部氏ただ一人のように思います。柳美里氏は新進作家で「命」は氏の特異な生き様を書いたものかもしれません。どうやら、小説離れの時代風潮を反映しているようです。

次ぎに「高い本」が多いことです。
私のように年中本を買っていると、千円を越える本はめったに買いません。(小説は単行本が出るの待ちます)どうやら趣味の本ではなく、学業や会社で役立つようにと言った目的意識のハッキリした本が多く、文庫本ではあり得ないのが原因のようです。ハードカバーの保存版といったところで、私のように読んだ後は「ゴミ箱に直行」と言った読み方をなさらないのでしょうね。
面白そうだから「読もうかな」と思った本は、
 ・お笑い創価学会信じるものは救われない(ふざけ気分でゴメン)
 ・不平等社会日本(どんな思想背景か興味津々)
「もう読んだよ…」と言う方、感想をお聞かせ下さい。
000908(金)ゼネコンの倒産
長村さんのサイトにお邪魔したら、ゼネコンの倒産に触れていらっしゃいました。
幸い、長村さんは工事途上での倒産と言う事例を経験なさっていらっしゃないそうですが、あれは大変です。
一般の企業倒産と違い、ゼネコンの倒産は外部から殆ど見分けがつきません。現場によっては、倒産当日も稼動していることがあり、判り辛いのです。財務内容をチェックしていれば「見当がつくだろう」といわれそうですが、それを言えば「全てのゼネコンが危ない」ことになります。
某住宅の竣工寸前の真夜中、ゼネコンの社長から電話が入りました。
「明日、倒産します」と言うものです。
それから現場の保全に全力を傾けました。早朝に債権者が現場に押し寄せ、納入済の商品を外そうとします。当然私の立場はそれを阻止する側にあります。一般に、建物の引渡しを受けるまで「所有権はゼネコンにある」のですが、クライアントの税務上の都合で「既に9割の工事費が支払い済」と言う特殊な状況がありました。クライアントは支払いを済ませており「所有権を主張」しますし、下請け各社は支払いを受けていないので「商品を取り返そう」とします。
倒産時点の現況は、いよいよ最終仕上げを迎える段階でした。
下地は出来ており、床壁の仕上げが終わったところから「器具付け」をするため、クーラー・電話機・照明器具・厨房器具等が現場に搬入されて、債権者にすれば「最もおいしい」状況でした。

何とか、押し寄せる債権者を撃退したのですが、竣工までの1ヶ月間余りを「どう乗りきるか」辛い問題が残りました。
結局、伝手を頼み「人の手配」をして、私の手で仕上げを続行しました。残しておいた「1割の工事代金で清算」し、債権者会議に残金をお渡ししました。
私の体験は、最終段階でしたからこの程度でしたが、初期の倒産ならこうは行きません。おそらく代行してもらえるゼネコンを探すことになるのですが、大変だろうと思います。
いま、熊谷組が世間を騒がせています。
ゼネコン不安は時間の問題とされてきましたが、ようやく表面化したようです。「そごう」のように、見せしめ的倒産になった場合、株価100円以下のゼネコンで「社会的連鎖」が起きそうに思います。
何か対応策はあるのか?難しいですね…
ただ無常なことを言えば、社会の底辺を吸収してきた建設業界の「でもしか産業的体質からの脱却」に必要な生贄かもしれません。
000909(土)不思議な福祉
電車を乗り継いでいては約束に遅れるのでタクシーを利用(贅沢でゴメン)しました。その運転手さんとの会話からご紹介します。
 その1
狭山池の工事が、護岸の装飾や親水公園整備を残して中断している話から「大阪府もシンドイ」と言う話になりました。
大阪府では財政立直しを目指し、広く府民に負担を求める案が提示されたました。例えば「公立高校の授業料を年間六万円(現行の5倍)に引き上げる」と言うもです。これにはヒステリックなまでの反対がおきました。圧巻は「授業料値上げで高校進学を断念するものが出る」と言う、マスコミのキャンペーンでした。今時、高校生のアルバイトで月額これくらいは稼ぐであろう。余りにエモーショナルな報道は止めて欲しいものです。結局、何の改革も採択されず「財政再建団体指定」への道程をまっしぐらです。福祉と言う恩恵を全身に浴びながら「負担はたとえ僅かでもいや」と言う態度は「おかしいではないか」と言うのが運転手さんの意見で、私も同感です。
 その2
日頃付き合いの深いMさん夫婦はもう80歳近いご高齢です。もと電電公社の局長を勤め、年金で悠悠自適の暮らしをなさっています。そこで、一体どのくらい受給しているのかお尋ねしたことがあります。答えは何と!「年金基金を含めて年間700万円」だそうです。おまけに無料パスと老人医療(無料)です。私が、年金を受給できるのは12年後ですが「その時年金はあるのやろか?」と言う危機感など「どこ吹く風」といった高額です。
 その3
公営住宅の年収制限を見ると「生活保護世帯の方が収入が多いのでは?」と思わせるものがあります。それなりに「不正」をして入居資格を得ているようですが、ここに「お役人」が居座り(お役人の給料はそんなに低くはない)本当に生活に困っている方が利用できない現実があります。
 その4
私の先輩の会社で、高校生に「内定通知」を出したところ、親から猛烈な抗議があったそうです。「子供が働けば生活保護が受けられなくなる」と言うものだそうです。運転手さんの「高福祉亡国論」に賛成したい気分になります。ちなみに、暴力団の生活保護が問題になっては解決されることなく消えています。
 その5
友人の奥様は心臓弁膜症で悩まされていました。
倒れる頻度が多くなり、人工弁に取りかえる大手術を受けて、健康を回復されました。今はとっても元気になり「派手な夫婦喧嘩もできる」そうですが…
手術を受けた後に「障害者手帳」が交付されたそうです。これにより月額10万円程度が支給され、本人と介護者(友人)に無料パスが交付されたため「ただで旅行できる」と、驚いていました。必要なときに福祉を受けられず、健康を回復してから「手厚い福祉」が受けられる矛盾に割り切れないものを感じます。
Mさんや前出の友人と言い「福祉の必要ない」方に手厚く配られています。本人も「不思議な福祉」をあざ笑いながら「既得権を謳歌」しています。公営住宅をお役人自ら占拠するようなことは止め、真剣に福祉のあり方を考えないと、本当に「高福祉で国が滅ぶ」ことになりはしないだろうか。
000910(日)土木と建築
「土木と建築」世間ではセットで言われる職業ですが、中から見ればこれほど違う職業はありません。現在進行中の物件で、どうしても土木の手助けが必要になり、その部分をアウトソーシングしているのですが「意識のギャップ」に悩まされています。
明らかに変更が生じているのに、申請作業の手直しをしようとしません。そこで、訂正を申しでるのですが「後で変更申請をすれば良い」で、意見が噛み合いません。
どうも、土木の方が「自然を相手」にするため「不可抗力」と捉える範疇が広いようです。例えば「掘ってみて始めて分かる」と言ったことが多く、現況合せが頻繁に起こるため「その時に対応すれば良い」と言うことのようです。当然、契約に対する概念も酷く違います。土木では、最終的に「清算方式」が取られるため、契約時点の「設計図書(契約の基本となるに資料)」に余り拘りません。
ところが建築では、余ほどの事情がない限り「清算方式」を取らないため、設計図書の信憑性が重要になります。明らかに変更が生じているのに『訂正されていない』など考えられないことです。

法律面からも「意識の差」を見ることが出来ます。
進行中の物件では、建築系で「都市計画法・建築基準法」が、土木系で「宅造規正法・砂防法」が対象になっています。例えば斜面に建物を建てるとき、必ずしも「フラットに造成して」から工事するとは限りません。傾斜を生かしたまま設計する場合の方が多いかもしれません。ところが、土木系の法律には、他の法律とリンクして動く可能性を考慮した緩和事項がありませんので、あくまで「先に造成を」と言うことになってしまいます。
建築では、他の法律に左右されることなく建物が建つことのほうが少なく、様々な可能性が組込まれています。今回も、土木系法律の許可を得たら「都市計画法に乗っけて」建物と同時施工の緩和を受けることになっています。あまり知られていない側面をご紹介しました。
000911(月)古代からの伝言3
朝鮮半島で発見された碑文に「古代の重大な事件」が記されているのに、我が国の教科書に全く登場しません。何故か?と言う疑問に対し、前回イデオロギーのフィルターを掛けるため真実が見えないのでは?と言う疑問を呈しました。素人考えでしたが「案外当っている」のではと思えます。

日本側の当事者は「神功皇后(じんぐうこうごう)」です。大和の五王の一人として知られる仲哀天皇の皇后です。仲哀天皇の急死(どうも不可解な出来事)をうけ、リーダーシップを取り「朝鮮侵攻」を決定。それを補佐(宰相)したのが武内宿禰です。
この両者を広辞苑で探ってみました。
  じんぐう‐こうごう【神功皇后】
仲哀天皇の皇后。名は息長足媛(オキナガタラシヒメ)。開化天皇第五世の孫、息長宿禰王の女(ムスメ)。熊襲(クマソ)叛するに及び天皇とともに西征、天皇香椎宮に崩御の後、新羅(シラギ)を征して凱旋し、誉田別皇子(ホムタワケノミコ)(応神天皇)を筑紫で出産、摂政七○年にして崩。(記紀伝承による)
  たけうち‐の‐すくね【武内宿禰】
大和朝廷の初期に活躍したという伝承上の人物。孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に仕え、成務天皇のとき大臣。仲哀天皇に従って熊襲(クマソ)を征し、天皇の崩後、神功皇后を助けて新羅に遠征、また、幼帝応神天皇を助け偉功があったという。その子孫と称するものに葛城・巨勢・平群(ヘグリ)・紀・蘇我の諸氏がある。
いかがですか?広辞苑では、神功皇后を「記紀伝承による」とし、武内宿禰に至っては「伝承上の人物」となっています。
広辞苑を非難すると言う訳ではありませんが…
戦後、我が国における天皇色を薄めるため「神話や伝承の否定」が「進歩的文化人」の踏絵となったようです。
大和の五王(実は河内王朝の創設者達)を否定すれば、河内王朝が消えてしまいます(これらが否定されたため、河内王朝など広辞苑で探すことも出来ません)。そうすると、現存する世界最大の墳墓「仁徳天皇陵(大阪府堺市:河内地方)」や、近つ飛鳥古墳群(大阪府太子町:河内地方)の説明がつかなくなってしまいます。
戦後も55年が過ぎ、考古学の発達と相俟って「神話や伝承」が実在したと言う信憑性が高まってきています。神話や伝承こそ民族の歴史で、イデオロギーで真実を消しても何の益もないのではないか。
案外、古代の日本は「アジアの強国」であった可能性があります。
でなければ「神功皇后の朝鮮侵攻(4世紀末)」や「白村江の戦」に見るような大規模な軍事行動の説明が付きません。
また、聖徳太子(574〜622)が遣隋使派遣の際、中国皇帝に対し大変不遜な親書を出しています。吹けば飛ぶような小国が「なんてことを…」と長く思ってきましたが、強大な軍事力が「強気な態度」の背景にあったのかもしれません。タイムマシンがあれば是非古代の日本を見てみたいものです。
はくそんこう‐の‐たたかい【白村江の戦】
663年白村江で、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との間に行われた海戦。日本は百済王子豊璋を救援するため軍を進めたが、唐の水軍に敗れ、百済は滅亡した。
000912(火)天寿
今年は葬式の当たり年らしく、例年に倍する訃報が届きます。
享年を見て「長生きしはったんや…」とか「えらい早死にやな」と言った感想をもってしまします。一般に、平均余命を生きた方には「天寿をまっとうして」と言う会話が聞こえてきます。私自身が自分の死を「絵空事」と思えない年齢を迎えてみて「ちょっと意味が違うのではないか」と思うようになりました。

天寿とは、文字通り「天が定めた寿命」で、事故死や自殺も含めて天寿をまっとうしたから「死」を迎えたのではないかと思います。むしろ、その人にとって「悔いのない人生であったかどうか」が重要ではないかと思うのですがいかがでしょうか?
私は「どうか」ですって?
そうですね…「結構面白おかしく生きてきた」と言う思いが8割、「まだまだ」が2割と言ったところでしょうか。
000913(水)若者文化3
携帯電話は若者の必須アイテムになろうとしています。
知合いに「携帯電話使用料月額4万円」と言う娘がいます。たまに食事をすることがあるのですが、食事中も「ひっきりなしに電話が入り」落ち着いていられません。若者同士たくさんが集まっても「それぞれに電話が入り」とても会話がない立たないそうです。
そんな時は「電源を切ったら」と言うと「とんでもない」と言う。何時連絡が入るかもしれないそうですが「親の生き死に」や「会社の存亡を賭けた」といった緊急連絡が入るわけではない。ようは「電話したのに出なかった」と言われるのが、なによりも苦痛のようだ。

私の世代では『夜中の電話』は緊急を意味するのですが、若者の間では関係ないようです。真夜中でも「へっちゃら」で電話が飛び交います。とてつもく寝不足になるそうですが、ここでも「電話したのに出なかった」があり、もう「強迫観念」に近いのではと思います。
当人も「携帯電話使用料月額4万円」が物語るように、相当な電話魔であろうと思います。

これって不思議に思いませんか?
折角出会っても、それぞれの電話で会話が成り立たず、結局「電話でしかコミュニケーションが取れない」なんて!なんて悲しい世界でしょうか。また、膨大な電話使用料を賄うため「食費すら切り詰める」若者もいるそうで、費用の点から違う文化を駆逐してしまう危険性も孕んでいます。
若者文化がどのように変わっていくのか?私には想像の外ですが、消え行くオジンには「見たくない世界」だろうことは確かのようです。
000914(木)レジャーランドの黄昏
南海高野線(高野山−難波)に「狭山遊園前」と言う駅があります。
狭山遊園は今年4月1日に閉園し、いまは有名無実の駅となってしまいました。狭山遊園の歴史がよく分からないのですが、高野線の開通(1897年)に合せて出来たと考えられるので約100年の歴史だろうと想像します。その間周辺は限りなく宅地化して、商圏が増えたはずなのに、閉園のやむなきに追いこまれたところに「レジャーランドの黄昏」を感じます。
狭山遊園は狭山池のほとりにあり、池の親水公園化、狭山池記念館と相俟って「ウオーターフロント」を構成するはずであっただけに、行政も驚きのようでした。「秩序ある開発」を申し入れたそうですが、結局「分譲宅地」になると聞いています。
バブル時、一斉を風靡した「レオマ・ワールド(香川県)」が倒産したそうです。
ジャーはレにかせろ」と豪語し、これが施設名ともなっています。しかし、何時までも客は感激してくれなかったようです。北海道では「キロロ・リゾート」が一部を除き閉鎖しています。このように、レジャーランドに対する逆風は「なかなか強いもの」があるようです。
集客NO1の東京ディズニーランドが、この数年赤字続きで「施設拡充を機に値上げした」と聞いて驚きました。関西でも、最も老舗の枚方パークが一昨年全面リニューアルに踏みきり、名前も「ヒラパー」と今風に変えて生き残りを賭けています。東条湖ランドは自立の道を諦め「おもちゃランド(本拠岡山)」に切り替え中です。
長崎にある「ハウステンボス」の社長が行方不明で、後継者もなり手がなく「事実上の倒産状態」と、長崎最大手のバス会社の方から聞きました。
何がこのような時代を生んだのでしょうか?
時代を画したパチンコ業界が「刺激を求めた故に衰退を始めた」に似ているのではないかと思っています。メルヘンの世界から、遊戯機械に代表される「刺激的施設」に替わることにより、集客をしてみたけれど、刺激が去れば「元の木阿弥」の繰り返しに至ったのではないでしょうか。
遊戯機械の膨大な投資(びっくりするくらい高いよ!1機10億円なんてざらだから…)の回収前に『飽きられた』なんて悲劇を考えなけりゃディズニーランドの赤字の説明がつきません。何とも辛い時代になったものです。
(この出来事は、昨日の「若者文化3」と無関係に思えません。いかがでしょうか?)
000915(金)ゼネコンの倒産2
「000908ゼネコンの倒産」に対し「設計事務所が紹介したゼネコンが倒産した場合、法的責任があるのでしょうか?」と言う質問を頂きました。別の方からは「正確な建築コストは?」と言う質問も頂きました。両者は密接に関係していると思うので、考えてみたいと思います。
まず、前者についてですが「倒産することを知っていて紹介した」ならば犯罪行為ですが、それ以外なら法的責任はないと思います。ただ「道義的的責任」は付いてまわるでしょう。

現在、建築コストはどん底ですが、理論的根拠がある分けではなく、需要と供給の関係で「仕事の欲しい人が痛み分けで受注」しているのが現実です。そう言う意味で「建築コストに正解はない」時代と思います。
自転車操業では間に合わず、オートバイ操業ともなると「契約時に受取る前途金目当て」に、なんの裏付けもなく「安値受注」に走ります。この時が一番怖い状況になるでしょう。つまり「思ったより安くできる」と喜んでいたら「一番高くついた」なんてことになりかねません。
前回も申し上げたのですが、ゼネコンの倒産は「見極め」が非常に難しく、設計事務所として、施工者の選択は頭の痛い作業です。勿論、クライアントの紹介でゼネコンを決めるなら、道義的責任を感じる必要はなく気楽なのですが、逆に不自由なこともあるのです。
設計事務所とゼネコンには「相性」があります。
設計事務所がゼネコンを紹介するからは相性の良い所を選んでいる訳で、現場も纏まりが良いのが普通です。ところが、クライアント紹介のゼネコンの場合、確執が生じることがままあります。例えば、仕様変更(値段を下げる手段)の申入れを、設計者として「拒否」したのに、ゼネコンがクライアントに直訴して「了解を取り付ける」と言ったことがあります。
(大変悔しい話ですが、設計事務所の世間における認知度の低さが原因でしょう)
「きっと質の悪いゼネコンだろう」といわれそうですが、私の最も不愉快な体験は、全国100番以内の準大手のゼネコンでした。チャランポランな監督で、何度も「罷免要求」を出したのにクライアントに却下され、職人がクロス柄を間違えて施工したことまで、設計事務所の責任にされたことがあります。こんな嫌な思いをするより、私は道義的責任を覚悟して出来るだけ「事務所紹介」をしています。
話題を変えます。
無理な受注が「安かろう悪かろう」を招きやすいことは言うまでもありません。本来の監理業務より、後ろ向きなこと(手抜き防止)に神経を使う「つまらなさ」が今の時代にはあります。
では「潤沢な予算を出すから良いものを!」というニーズが出たら「可能」でしょうか?
答えは「極めて怪しい」としか言えません。受注したゼネコンに「口をすっぱくして」説明しても、サブコン(主な職種の下受け企業)レベルに、意思が伝わる可能性が極めて少ないからです。むしろ「久しぶりに美味しい仕事」として吸収されるのがオチではないでしょうか。
今は、コストは安いかもしれないけれど「本物が得難い」つまらない時代かもしれません。
000916(土)休日の出来事
9月15日(敬老の日)から3連休、所員もそれぞれに過ごします。
かおりは尾道に旅立ちました。折角のプライベートな旅行なのに「かわいそう」とも思ったのですが、適度の刺激になればかえって面白いのではと考え「気侭な旅行記」を頼みました。事務所のHP拡充の材料にしたいと思います。
私と横田君は、友人に誘われ「ソフトボール」にやってきました。
場所は淀川河川敷、11時集合なのですが「いい加減な集まり」で、全くメンバー見当たりません。バラバラと集まりだし「言いだしっぺ」が20分遅れのラストでした。
何せ「誰が来て、何人集まる」と言った事前情報が全くありません。集まったのは、老若男女に幼児までいれて総勢12名。これでは「三角ベースボール」も出来ません。そこで幼児を除き、1チーム5名で「キックベースボール」をすることになりました。
試合は、10:11Xでサヨナラ負けになりましたが、「気持ちと身体のアンバランス」に今更ながら驚きました。強い横風が吹いており、ボールが流されることが分かっていても「足が縺れるばかり」です。

そんな中で不思議な光景に出会いました。
守備は「ピッチャー・ファースト・セカンド・ショート・サード」の5名です。私はセカンドに入り、ショートに小学校4年生の少年が入りました。この少年は、ルールを全く知らない様子ですし「ボールに全く反応しない」のです。正面にボールが来ても動こうとしません。私がボールを取り、セカンドにトスしようとしても「ホームベースを見て立っているだけ」です。
私は7ヶ月の超未熟児で生まれ、保育器のない当時「奇跡」といわれて生残りました。発育が遅く運動神経も「ドンクサイ」方でしたが、このような遊びに参加して「突っ立っているだけ」と言うことはありませんでした。
試合後彼はハンディタイプのゲーム機に熱中していました。昔も今も、子供が何かに「熱中する」ことに変わらないのですが「酷く幅が狭くなった」と言う印象を受けました。
スポーツの後はバーベキューです。
誰も指揮官のいない中で「手際良く」準備が進行していきます。食材を買求めに行く者、日除けのターフを張るもの、炭をおこし準備する者と言ったように、自然に役割分担をしています。それに対し子供たちの反応がありません。日陰に寝そべり、手伝う訳でもなく、好奇心を示しません。
我ら戦後生まれで「サバイバルに耐えてきた者」は、案外「つぶしが利く」存在かもしれません。私自身「アウトドア」を楽しみながら、妙に醒めた子供たちが「可愛そう」と感じました。横田君に、こんな感想を漏らしたら「皆それぞれですから…」と言いながら、「自分の子供がそうやったら、嫌ですね」だそうです。皆様ならば如何でしょうか?
000917(日)人間模様「男と女」
ネタ切れになったら書いてみようと思っていたテーマです。
生来の「スケベ顔」で誤解を受けやすいのですが「色の道」を語るにたる修行を積んでいません。が、そこはそれで挑戦してみます。
あるレジャーランドのNO1美人を巡り、熾烈な争奪戦が行われたそうです。
ところが、蓋を明けてみて誰もが驚いた。なんと、ダークホースにすらノミネートされていなかった「平凡な男」が美女を射止めていたそうです。「なんでアイツやねん!」と、一斉に声が上がったとか。
これこそ人間模様「男と女」を象徴するような出来事だと思います。
「なんでアイツやねん!」とは逆に、女性がほってはおかないハンサム男性の奥様が「○×」なんて例も多いものです。美男美女の組合せって以外と少ないのではないでしょうか。
Dogfight注:私は自他共に認めるブ男ですが、ヨメハンは残念がら「?(秘密)」です。

ある知合いが、お世辞にも美人と言いがたい愛人を作りました。
ところが、彼の奥様は「誰もが振りかえる美人」なのです。これなど『美人は飽きるけれど「○×」は3日で慣れる』という、世間話通りの出来事です。

とても清楚な「奥様」の不倫を偶然知ってしまったことがあります。
奥様から私宛てに電話があったのですが…どうやら「すきやん」と私の声がそっくりだったのか、暫く「間違い」に気付かなかったようです。勿論「永遠の秘密」として封印しています。しかし「あの奥様が…」と言う驚きは今もあります。

私は「モテたことがない」のですが「自称モテモテ男」や「モテたい願望」は結構います。
彼らに共通することは「涙ぐましい努力」です。そのくせ結果は「?」が多いから人間模様は面白い。
 ・3ヶ月間「クラブに通い詰め」会社を潰してまで貢いだけれど「キスしか出来なかった」
 ・4人組の女性グループにアタックして、
  3人までは口説いたけれど「本命は他人にさらわれた」等々
外野から眺めていると「オモロイ話」がいっぱいです。紳士淑女諸君!ガンバレ
000918(月)カミソリ
我が家には、様々な種類の「カミソリ」があります。
普段は息子からプレゼントされた電気カミソリを使っているのですが、どうしても剃り残しができます。電気カミソリは髭が2mm以上になると有効に剃れません。そこで、日曜日だけカミソリで髭をあたることにしています。

カミソリの安全性は飛躍的に良くなり、怪我をすることがなくなりました。刃は使い捨てで便利なのですが、困ったことがあります。
 ・メーカーごとに柄と替刃の取付方法が異なり互換性がないこと
 ・替刃を買うよりセット商品の方が安いため、無駄と思いながらセットを買う
このようにして、我が家では様々な柄が氾濫しています。資源の無駄使い防止より、各社の営業戦略が優先した結果だと思います。何か複雑な気持ちですね…
000919(火)ビーフシチュー定食
日々の昼食は結構悩みの種です。
気に入った店に限りがあり、結局1週間のローテーションで「同じもの」を食べていることが多いものです。
通り掛かった店に「ビーフシチュー定食800円」とあります。これは安い!と、思って入ったのが間違いでした。直径20cmほどのシチュー皿の90%はジャガイモで、残りは人参。肝心の「肉」は、小振りのソーセージが1本と厚さ1cm大きさ5cm程のビーフが一切れでした。騙された感じがします。おのれ!覚えておけ、食い物の恨みは怖いからね!
000921(木)思いこみ
教育審議会では「教育指導要綱の緩和」を検討中だそうです。それに対し、森総理の私設諮問機関では「教育指導要綱の強化」を提言するとか…
両者それぞれが「資料を片手に」正当性を主張していますが、元文部大臣で作家の三浦朱門氏によれば「我が国には、系統だった調査資料がない」そうです。日教組を中心とする教育関係者が「全国的規模での調査は差別に繋がる」として、調査自体を拒否してきたため日本の教育水準を計る基礎資料が欠如しているとのことです。
仕事をしながらラジオを聞いていたら、京大教授がゲストで出演し「この問題」に答えていらっしゃいました。
教授によれば「日本の教育水準は危機的状況」だそうです。更に、教育界に「義務教育は積め込みすぎ」と言う『思い込み』があると批判し、、アジアでも下位ランクまで質量共落ちている現実を具体的に指摘されていらっしゃいました。
 1.学校の授業時間はアジアでも下位ランクまで減っている
 2.学力はアジアの下位ランクまで落ちている
 3.「今日さえ良ければ良い」という考えが、アジアのトップクラスにまでなっている
アジアの中の日本でも「酷いのに」西欧と比べればもっと悪いと言うことです。特に「読み書きソロバン」といわれた「英語・国語と数学」は目を覆うばかりで、大学における専門課程で支障をきたしているそうです。京大と言えば日本を大表する大学ですが、それでもこの傾向は顕著とか。

教育指導要綱の緩和案では、円周率を従来の「3.14」から「3」にすると言った簡素化を目指しているそうです。私は技術屋の端くれとして「3.14でも精度が荒すぎる」と実感しているのに「ホンマに大丈夫?」と疑心暗鬼です。経済が主役になり「数学なくして経済が語れない」時代になりました。金利計算やレート計算が出ないビジネスマンって恐いですね。
「思い込み」は現状打破や改革を考える上で、最も支障となる出来事です。
教育界には『子供は勉強のし過ぎ』と言う思い込みがあり、労働の世界でも『日本人は働きすぎ』と言う思い込みがあります。現実には、日本の労働時間はアメリカを下回っており、巷に溢れるフリーターが物語るように『勤勉な日本人』は思い込みに過ぎません。日本は『税金の高い国』と言うのも実は思い込みです。この思い込みが「国を滅ぼさねば良いが」と私は思っています。
000922(金)誤差と許容範囲
昨日、教育審議会が学習指導要綱の緩和に伴い、円周率を「3」に簡素化しようとしていることをご紹介しました。(「ちょっとメルヘン」に掲載)
教育関係者が、従来の3.14から「3」にすることで「誤差の概念」に重大な影響を与えることを、ご存知であれば良いのですが…
例えば、
 「3」…1/10の誤差を含む
 「3.0」…1/100の誤差を含む
 「3.00」…1/1000の誤差を含む
このように数字の持つ「精度」が全く違うことを理解させる教育をして欲しいものです。
(簡素化だけした「誤差の影響」を教えないとしたら「権利を教えて義務を教えない」にも相当することだと思います)
こんな話をすれば「街の建築屋に関係あるのか?」と叱られそうですが、それが結構あるのです。
例えば、設計の寸法単位は「mm」です。しかし面積単位は「u」で行うため、面積計算は「小数以下第3位」で行い、第4位以下を切り捨てます。これを具体的に示してみます。なお、建築確認申請は、コンピュータによる自動計算を認めておらず、下記のように小数第3位までの計算式を要求されます。
 1.234×5.678= 7.006
 9.012×3.456=31.145
 7.890×1.234= 9.736
     合計 47.887→47.88u
このように「小数以下3桁の計算」をし、合計欄で「小数以下2桁」で表現します。
ところが、政府系の融資や助成金を受ける場合の「融資対象面積の算定」は、計算式も「小数第2位で計算」し、第3位以下は切捨てで行います。先ほどの例と対比して表示してみます。
 1.23×5.67= 6.97
 9.01×3.45=31.08
 7.89×1.23= 9.70
    合計 47.75u
このように、僅か3行の計算式でこれだけ誤差が生じます。
同じ建物でありながら、行政の相手が変われば「異なる計算式」で求積図を作り「最終合計はピッタリ同じ」と言う資料が必要になります。
まもなく設計が終わる「ケアハウス」など約200行の計算式があったため、両者に5uの誤差が生じました。結局、融資対象外の部分に誤差を収斂させ辻褄を合わせましたが、お役人に「誤差の概念」があれば、このような無駄な作業は必要無いのにと、思わずにいられません。
話はまるで変わります。
もうリタイアなさいましたが、東京都の建築主事を勤めていらっしゃったKさんと一晩痛飲したことがあります。私は東京で物件はなく、至極プライベートなお酒でした。ただお互い職業柄「建築の話」になったのですが、こんな話をなさいました。
建物が出来上がると「完了届け」を行政に提出します。それを受けて「竣工検査」があるのですが、Kさんは部下に「設計者の意見をまず聞き『違反はありません』と言う答えなら、それを信じろ」と教えたそうです。これは、重箱の隅を突付くような検査が「かえって違反建築を招く」ことを良くご存知のベテランらしい意見です。

私にはこんな経験があります。
関西では一般に検査時に「建物外寸を測る」傾向があります。私に言わせればこれほどナンセンスはありません。違反建築する人達はハナから検査受けなどしません。違反をする気がないからこそ、完了届を出すのです。
H市で検査官が高さを計ったら、2cmオーバーしていました。そのため、建物周囲を2cm嵩上げして再検査を受けました。
N市でも道路斜線制限から4cmオーバーしていると言われ「道路の舗装をやりかえ」しました。(道路を高くして、建物高さを相対的に下げた)

この程度の誤差ならば「周辺環境に重大な悪影響を及ぼす」等と言った大げさな事態にはならないのに、この検査は誤差の許容範囲を「0」にしています。そのくせ、検査を受けようとしない違反建築には「知らん振り」です。検査官に「もう少し大局観を持って欲しいのもだ」と私は願っています。
000923(土)彼岸/秋分の日着物美人
時代物の本を読んでいたら「着物の似合う胴長な体形」と言う記述に出会いました。
常々、若者の「着物姿が似合わない」と感じていましたが、この記述で氷解しました。若い人の体形が「白人と遜色ない」ものになるに従い、着物が合わなくなったのです。

今でこそ、我が国の民族衣装は着物と言われますが、これは本来中国のものです。
3世紀の中国は「三国時代」でした。その一つが「呉」の国で、着物の別名「呉服」とは「呉の国の服」と言う意味です。ちなみに、それ以前の我が国は「貫頭衣」と呼ばれる筒状の衣服でした。
かんとう‐い【貫頭衣】(広辞苑より)
原始社会に見られる衣服の一種。一枚の布に頭を通す穴をあけただけで、袖のないもの
本家の中国では、早くに呉服を捨て「洋服の原型となる湖服」に変えています。
北方の騎馬民族「湖族」の侵略に喘ぎ、騎馬民族の戦闘を研究したところ、湖族の着る服が最も戦闘に適しているとして(今の洋服に)切り換えてしまったのです。
それに対し我が国の戦闘は、元寇の役を除き騎馬民族との戦いがありませんでした。そのお陰で、「着物文化」が残ったと思います。もし、我が国も中国に倣い洋服に変えていたら「吉原の花魁道中」は無かったでしょうね。かくも歴史とは面白いものです!
000924(日)忙中閑あり
ケアハウスのフィニッシュと待ちきれないネクスト物件がバッティングし、睡眠時間の確保に苦慮しているのに、事務所とその関係者7名で早朝の釣に行ってきました。朝3時半に起き、4時に迎えに来てくれた車に乗ってスタートです。
普段からの「心掛けのよさ」と「晴れ男」の両方で、雨は夜半に止み「絶好の釣日和」となりました。和歌山県加太の少し手前にある「大川漁港」から5時半に出船。30cmクラスのアジを主流に、40cm級のタイ・イシモチ・サバフグ、30cm級のキスの他、ガシラ、トラキス・カレーなど「なかなかの大漁」でした。昼前には陸(おか)に上がり、午後は「仕事に復帰」です。
「閑が出来たら…」と言う計画が成功したためしがありません。遊び時間は「無理にでも創るもの」で、それが寝る間も惜しい仕事の活力として甦ってくれます。今夜は釣った魚で「いっぱい」やります。
000925追伸
全身筋肉痛で「バラバラ」になりそうです。
流石に疲れて、昨夜は早く寝ました。毛布をしっかり被っているのに、夜中に「寒さで」で目が醒めました。今朝のニュースを聞いたら、20度を大きく割る気温まで下がったそうです。秋ですね…
000925(月)特別永住権
今国会の焦点は「外国人の地方選挙への投票権を認める」ことだそうです。
韓国金大統領も来日して後押しし、どうやら「地方選挙への投票権」が認められることは必至の情勢のようです。賛成論者の理論武装は「納税している」と言うものですが、治安の良い我が国に住み道路や施設を利用するからには「納税は当然の義務」と私は思っています。
我が国の外国人の9割が「在日韓国朝鮮人」です。
彼らには、特別永住権が与えられています。これは…
 1.日韓ビザ無し渡航(日本人は済州島以外認められていない)
 2.韓国における「被選挙権(議員に立候補する権利)」の確保
 3.本国における徴兵免除
この上、日本における投票権を得るとしたら、両国の「ええとこどり」に思えます。
日本に帰化した都立大の某教授は、選挙権付与に反対するお一人です。
理由は、これ以上「ええとこどり」になれば、彼らは「アイデンティティーを失う」としており、選挙権より「国籍選択権」を与えて欲しいと主張なさっていました。
ただこの意見にふれた時「?」が湧きました。在日韓国朝鮮人の方が、日本に帰化しようとした場合、移民の国アメリカより「手続きは簡単」と言われていますし、彼らの国籍選択を妨害するような法律の存在を知りません。
在日韓国朝鮮人の最終目的は「国政参政権の確保」と聞いています。
これは国会議員になることができると言うものです。国会議員の最大の責務は「日本の未来に責任を持つ」ことの筈です。韓国北朝鮮籍の国会議員が誕生したら、まるで我が国は「韓国北朝鮮の植民地」みたいですね。


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