dogfight高松の長すぎるひとり言
2000年6月

スターチス老いの3要素美白と日焼けサロン第4回抜歯凡宰伝一難去って言葉狩り千枚田病院巡り分社と企業戦略花の色ファミコンとIモード言葉は薬兎と亀事実は小説より奇なり聖域と規制緩和原発について1枚の名刺接待投票率価値観暴走族と機関銃/若者の性向
000601(木)スターチス
歴史を見ていて面白いと思うことは「何か事件があり」その解決法が「新たな事件の芽」となっていくことです。
太平洋戦争で我が国は敗れ「GHQの占領」を受け入れました。
施政官はアメリカでは受け入れられなかった「理想主義者」達でした。彼らは多くの治績を残していきましたが、最も禍根を残したものに「憲法と農地改革」があります。憲法では『自立の気概』を奪い(異論は多いと思いますが)、農地改革は富の偏重を作りました。
小作農の開放を旗印に農地改革は行われました。
地主から土地を(タダ同然で)奪い小作農に配分し、土地に掛かる租税を宅地の1/100と言う低額にし、更に農地の売買に『何の制約』も設けなかったのです。取得費も維持費もタダ同然の土地を、何の制約もつかず「売ることができる権利」が、土地神話を生みバブルの原動力となったのです。

「近郊緑地の指定」は、バブルの反省から制定されました。
バブルの主役となった都市近郊の農地に対し、今後30年農業を続けるなら「土地課税1/100の優遇処置を与えるけれど、それ以外は宅地並課税をする」としました。その選択は農家に任され、その結果「多くの近郊緑地」が市街地に残りました。当時、数年内に法律が改正され『元の木阿弥』なると噂されました。あれから10年、法律は改正されることなく続いています。
土地の値上がりと法改正を待って「農地を装っていた」土地も息が切れてきたようです。桑畑や取って付けた果樹園も「草ぼうぼう」の農地?に変わってきました。私の住む近所で「柿の果樹園」がありました。ネットフェンスで囲まれ、草は刈っていましたが肥料をやることもなく、実っても収穫している姿を見たことがありません。今年は「草刈り」さえされずに放置されています。


私の背ほどの伸びた雑草に異変が起きています。
見事な紫の花が咲き乱れています。近寄って、触ってみて驚きました。スターチスが群生していました。
(スターチス:そのままドライフラワーとして通用する不思議な花です)今年は果樹園を止めて、『お花畑』として課税をまのがれるのでしょうか…
000603(土)老いの3要素
『3』とは大変語呂の良い数字のようです。
「3原則」「3大要素」「3大発明」「地獄の3悪人」「3種の神器」「3匹の侍」「3大祭り」と言ったように、傾向を連ねる手法に『3例』が都合良いようです。
そこで「老いの3要素」があるとすればどうだろうか?を考えてみたいと思います。
どんな事例や症状で「俺も歳だな…」と感じるのか?
 1.老眼鏡
 2.入れ歯
ここまではすんなり出てきました、余り異論はないと思います。しかし、語呂合せの3番目が決まりません。例えば『アデランス』はいかがでしょうか…私には何となく違和感があるのです。歳を取って「毛が薄くなる」「白髪が増えた」なんて当たり前で、『若ハゲ』のような深刻さはありません。

私自身を例に進行してみます。
17歳で近眼のメガネをかけ始め、視力は『左0.09右0.3』と言う酷さです。40代半ばのある日、コンピュータの画面が見えなくなりました。メガネが汚れたのかと、外して見て分かったのです『老眼や!』と。今は近眼と老眼が相殺して「手近は楽勝」となり、メガネのない快適な暮らしをしています。ただ近眼が治った訳ではなく、遠くは相変わらず『美人だらけ』の世界です。最近、若干「画面との距離」が出てきており、老眼鏡を持つ日も近いのかな…と感じています。友人達は例外なく、ものを見るときわざわざ老眼鏡を出すようになっています。これだけは「優越感」に浸っています。

反面「入れ歯」は絶望です。
定期的に抜歯(次回は000605の予定)をしていることは当サイトでご紹介している通りです。
若い頃から歯は丈夫で、杜撰な歯磨きでも虫歯はなかったのですが、40の声を聞いて「歯槽膿漏」になりました。友人の歯科医が丁寧に治療を続けてくれたのですが「限界があり」抜歯のやむなくに至っています。一連の抜歯が済むと「残った歯の方が少ない」状態となり、『大幅な部分入れ歯』になります。総入れ歯も遠からず…と言ったところです。


で、3点目ですが私は『肥満』を挙げたいと思います。
歳を取ると「エネルギー消費が低下」するため、同じ食事量では必ず肥満を招いてしまいます。中年太りと言われますがこんな理由があるのです。
この「肥満」実は『万病の基』であることをご存知でしょうか。
肥満は関節に負担をかけ、足腰を弱らせます。また、心臓肥大を招き「心臓病」の牽引役になります。(私もこのパターンです)
異形狭心症を得て、煙草を止めたのですが、これが『更なる肥満』を招いてしまいました。先般ご紹介したように、肥満から『睡眠障害』を起こしています。睡眠障害は心臓病を誘発します。悪化の「堂堂巡り」が始まるのです。

当人は、病気と仲良く付き合っており『病を楽しむ』傾向があるのですが、最近複数の方からお気遣い頂くメールが届いており、ご心配をお掛けしています。ついでで申し訳ありませんが、少し病状をお話しておきます。
心臓発作は予防薬で完全に防止できています。ドクターのご意見では「まるで精神安定剤みたいやな」となります。ただ、この薬の副作用で「アトピー」を起こし、その治療も行っています。こちらは「改善著しく」最近では服用薬1日1錠、皮膚にはピンポイントで軟膏を塗る程度まで回復しました。
睡眠障害は辛いものがあります。睡魔と戦い「体力気力を維持する」ことは容易でありません。ボクシングで言う「ジャブの如く」の存在で、ゆっくりだけど確実に効いてきます。マウスピースをつけて眠る姿は想像してもグロテスクですが、なにをさておいても「最優先で改善したい」と思っています。(マウスピースを7月第1週に着装)


最後に「肥満」と並んで、第3位候補に挙げたいものに『皮膚病』があります。
40代後半から冬に「乾燥肌」となり、「カイ〜ノ現象」があったのですが、50代ともなれば「1年中(老人性)乾燥肌」となります。肌の老化は避けようのない現象で、老人性アトピー(こんな病名あるのでしょうか?)と言った観があります。私の薬疹も、老人性乾燥肌の延長にあり、薬は単にキッカケに過ぎないのだろうと思います。
老人福祉施設入居者の80%は『皮膚病』と言うデータがあるくらい、皮膚病は「老いの要素」の資格充分なのです。ご注意を!

000604追記
老いの要素で大切なものを忘れていました、それは「掛け声」です。
行動を起こすたびに『ヨイショ』掛け声を出しています。
000604(日)美白と日焼けサロン
梅雨の到来と共に、夏がスタンバっています。
女性の服装もすっかり薄くなり、オジンの私など目のやり場に困りそうです。最近感じるのですが、日本人の体形(若い人)は欧米と比べて遜色ないほどに向上したのではないかと思います。「やや痩せすぎ」の観はありますが、上背など私より大きな女性は珍しくもありません。

昔から「色白は七難隠す」と言われますが、それだけ『色白の女性』が少なかったのではないでしょうか。
日本人は「黄色人種」に区分されるように「メラニン色素」を持っています。紫外線から肌を守る色素ですが、あっという間に『日焼け』に導く色素でもあり、日焼けを嫌う方には『大敵』だろうと思います。化粧品の歴史などサッパリ分からない私ですが、UVカットは何時頃できたのでしょうか?
皮肉なもので、色白な方はメラニンが少ないためなかなか日焼けしません。しかし、私のような地黒人間は「海など行かなくても」レジャー満喫を装うことが出来ます。このような科学的根拠を考えると、UVカット等無く屋外作業が多かった昔では「色白」それ自体が貴重で「美人の条件」にされたことは、想像に固くありません。


『美白』と言う言葉があるそうです。
私が知ったのは1年ほど前のことです。何と読むのだろう?と思ったら、そんマンマ「びはく」で良いそうです。その時合せて、白く美しい「美白こそ化粧品の永遠のテーマ」であることを知りました。
そう言えば、花魁が「真っ白に化粧する姿」あれも、無いものねだりを約束の世界で疑似体験することかもしれません。きっと、化粧品の歴史こそ『美白』の歴史なのでしょう。

ところが世の中には『日焼けサロン』と称して、お金を出して「肌を焼く」世界があるそうです。私には理解の外です。
アメリカでは、白人に対抗し「ブラック・イズ・ビューティフル」と言う意識があるそうですが、日本人は白人にも黒人にもなれません。日本人は日本人で良いと思うのですがいかがでしょうか。顔黒ヤマンバ姿など、どんなに言訳しても美しいと思えません。

娘達よ!あるがママに美しくあれ(これってやっぱりオジンの願望かな…)
000605(月)第4回抜歯
4回目の抜歯をしました。今日は右上奥歯2本です。1ヶ月ほど前から歯茎が腫れており「抜くしか仕方ない」状態になっていました。
普通の歯科医なら「腫れた」歯は絶対に抜きません。しかし、ここは『口腔外科』なのです!問答無用で麻酔注射です。私は、経験則で「腫れたところに麻酔は効かない」ことを知っています。覚悟はして行ったのですが、やはり「かなり痛み」ました。救いは口腔外科であることです。私の悲鳴など「なんのその」で、奥歯2本の抜歯に要した時間は「たったの3分」です。腫れたところは、血が止まりにくいのです。止血に30分掛かりました。縫合したのですが、血が止まらないため、止血剤を入れて再縫合しました。
腫れたところは痛むのです。前回は手術で疲れましたが、今回は痛みます。痛み止めは飲んだのですが余り有効ではないようです。今、痛みを我慢して書いています、今夜は痛みそう…


最初の説明では、抜歯が合計10本になる予定でした。しかし、今日の説明では『来週、前歯を抜いて終わらそう』ということでした。右下奥歯は抜かなくて済みそうです。取りあえず、来週月曜日に下前歯2本を抜いて『抜歯終了』となります。合計9本。それから入れ歯作りです「入れ歯のあれこれ」をお話する機会があるかもしれませんね…
追伸
老人福祉センターの梅の実が少し色付いてきました。
いけないこととは思いながら一粒もいでしまいました。もう、私にはこの実をかじる元気な歯がありません。ちょっと寂しいですね…
000605(月)凡宰伝
余りにもタイムリーに、故小渕前総理を少し辛口にインタビューし、書かれた本です。
 『凡宰伝(ぼんさいでん)』佐野眞一著(文芸春秋)
新聞に発刊が紹介される前に買い求め読んでいました。読みながら「どこか辛くて…」読み終わるのが伸び伸びになっていました。凡宰伝「プロローグ」をご紹介します。

朝9時前に自宅の電話が鳴るのはめったにないことである。不吉な知らせかと思って受話器を取ると、突然耳をつんざくような大声がとびこんできた。
「もし、もーし。小渕恵三でございます。先日のインタビュー、本当にありがとうございました。なにかおわかりにならないことがあれば、いつでもお電話下さい」
電話の主は10分間ほどまくしたてると、「またこちらからご連絡します」と言って電話を切った。私はしばらく放心状態になり、ツー、ツーと音のする受話器を呆然とみつめた。
「ブッチホン」といわれる小渕の電話魔ぶりはよく知られている。だが、ほとんど初対面同然の私に、秘書も通さずいきなり本人から電話がかかってくるとは夢にも思っていなかった。
正直なのか、それとも人を食っているのか。私は判断しかねた。混乱した頭の中で浮かんだのは、こんな総理が日本の歴史開闢依頼果していただろうか、という思いだけだった。
「私は自分でも自分自信のことがよくわかりません。ちょうど探求したいと思っていたところです。そういう私の人物論を書いていただけることは本当に公営だと思っております。面容も前首相に比べれば劣ります。『奇岩怪岩』も味わいがあるという人もおりますが、政略結婚したわけでなし、政治資金調達能力もまあまあ、能力もミドルクラス、こう言う人間が宰相になれたのはなぜか。人柄か。私は『天命』だと思っております」
…略…(4月2日、この本の「後書き」を書き終えた時「小渕総理倒れる」の報に接した)
私は本書で、小渕の「政治的死」が明らかになるにつれ、私は呆然とした思いにとらわれながら、最初の「ブッチホン」を思い出した。そしてこんなことをぼんやり考えた。
あのとき小渕は私に「遺書」を託そうとしたのではなかったか。私がなぜそんな不謹慎な妄想を抱いたかといえば、私の取材に対する小渕の態度があまりに協力的だったためである。小渕はどんなぶしつけな質問にもいやな顔ひとつ見せず、驚くほど率直に答えてくれた。
私は本書で、小渕の「政治的死」を起点にして、「いまにして思えば」という類の記述は基本的にしなかった。それはアンフェアなことだ言う思いに加え、時制を当時のままにすることで「小渕政権」とは、そして1年8ヶ月にのぼる「小渕の治世」時代とはわれわれにとって何だったかを鮮明に想起してもらおうという私なりの考えにもとづいている。
「ブッチホン」がかかってくることは、おそらくもうないだろう。しかし、インタビューその他をまったくいじらず当時のままとしたことは、小渕総理の「遺志」にも沿うことだと私は確信している。
大変長い引用をしました。
著者は、批判的に書き進め『常に眉ツバ』で臨んでいながら、余りの茫洋さに戸惑っていることが本文を読み進むにつれ分かってきます。プロローグにあるように、小渕前総理の死は「全く慮外なこと」であったにもかかわらず、手直しすることなく発行されています。決して「ヨイショ」せずに書きながら、却って「前総理の大きさ」感じさせる内容となっています。


「終わり良ければ全て良し」
政治の世界ほどこの言葉が合うところはないのではないでしょうか。「冷えたピザ」「凡人」と言った失礼な言葉で『非待望論』の論陣を張ったマスコミ各社は、小渕前総理の治績をいかように抹殺するのでしょうか?「一内閣一課題」が原則のこの世界で1年8月の間に「金融再生法」「周辺事態」「通信傍受法」「国旗国家法」「衆院定数削減」「年金法改正」等この実績をどう評価するのか!総理がお亡くなりになった日、評論家竹村健一氏は「レーガン、サッチャーと並ぶ政治家を失った」と涙しました。

「凡宰伝」のネーミングに全く異論が出なかったそうです。
凡人といわれることを厭わなかった『偉大なる凡人』のご冥福をお祈り申し上げます
000605(木)一難去って
2週間ごとに診療所に通っています。
昨年、秋口から酷くなったアトピーですが、治療の甲斐あって「飲み薬はもう要りません。よく頑張りましたね!」と30代?の皮膚科の女医先生から、まるで幼稚園の生徒みたいに誉められました。たしかに改善著しく「カイ〜ノ」から開放されました。ただ湿疹が全くなくなったわけではなく、これからはピンスポットの塗り薬で対応と言うことになりました。

一方、心臓内科に「睡眠センター」からの資料が届いていました。
心臓の方は、予防薬さえ飲んでいれば全く心配なく安心していられますが、第3の病気が少し深刻になってきました。「ネムイ眠い病」は、確実に体力気力を奪って行きます。週の後半になると疲労感を憶えるようになり、寝不足が私を直撃していることが分かります。
睡眠時の無呼吸が30回/時、血中酸素濃度87(正常値100)と言うペースは、「中」程度の睡眠障害だそうです。重症になれば命にも関わり、対処療法器具(マウスピース)が優先的に供給されるそうです。
工業先進国の我が国ですが、睡眠障害の対処療法器具に関し「国産で良い物が無い」そうで、最高級品はオーストラリア製とのことです。世界中から需要があり、無制限に供給されている訳ではないそうで、私のような中程度の障害の場合、「1ヶ月待ち」が相場とのことでした。
一難去ってまた一難。早く睡眠障害から抜け出て、爽快な気分で仕事をしたいものです。
「類は友を呼ぶ」の諺通り、私がこの障害を覚えてから、以外と周りに同類が多いことに気付きました。貴方は「安眠できていますか?」ご注意を!
000609(金)言葉狩り
神の国に続いて「国体」だそうです。
国体と言っても「国民体育大会」のことではありません。「国のあるべき姿」を意味し、アメリカでは『憲法』と訳されることもあると聞きます。ただ、我が国では「敗戦を潔しとしない」軍人が国体護持をスローガンに終戦に抵抗した史実があり、余り良いイメージで受取られていません。
私もこのHPで何度も国体を使用しています。
「国のあるべき姿」を表現するのにこれほど簡潔な言葉はありません。この度、森総理の「国体」発言を一部マスコミが問題視しているのは、我が国の忌まわしい「一時期を切り抜き拘って」いるからに他なりません。

政権奪取を叫ぶ民主党が「共産党との連立も辞さず」と言った態度に、懸念を表した森総理のスピーチから「国体」だけを抜き取って問題とする姿勢に疑問を呈します。日本共産党は「日米安保・自衛隊・象徴天皇」を廃することを党是とする政党です。私の知る限り、護憲を叫びながら「政権奪取の暁には憲法を改正する」と公言する唯一の政党です。民主党が、連立を組むなら「いかなる国の姿にするのか?」疑問を呈して何ら不思議ではありません。森総理は長い文脈の中で、この問いかけをするため『国体』を口にしたのです。
文脈を無視し単語だけを非難するなら、これは「言葉狩り」以外の何者でもありません。中世ヨーロッパにおける魔女狩りにも劣らぬ暴挙です。このような態度は卑怯だと思います。


下司の勘繰りと言われるかもしれませんが、こんな言葉尻しか非難できないほどマスコミはボキャブラリーが不足しているのでしょうか?
差別用語と称して様々な言葉を追放した結果「○○の不自由な人」と言う言葉が生まれました。そのお陰で差別意識が助長された現実をどのように感じているのでしょうか?マスコミこそもっと「言葉を大切」にして欲しいと願っています。
000610(土)千枚田
老人福祉施設の設計に際し、既存製品の配慮不足を感じることが多く、様々なメーカーに「製品開発」を呼びかけました。担当者レベルでは「結構盛り上がった」のですが「企業の壁は厚かった」と実感しています。ささやかな変更に応じてくれた企業はありましが、新商品開発は全滅でした。素材の不備は調理法(設計)でカバーするしかないようです。
田植えが始まった水田を見ていて、こんなことを考えました。
お年寄と同居する家族の方で『介護用品の値段の高さ』を指摘する声が多く聞かれます。介護用品、福祉用品と名をつければ(弱者の足元を見て)高値で売れる現実があり、なにも『新製品を開発してまで』利益を圧縮する必要などない…と言った雰囲気が濃厚に伝わってきます。工夫は『苦労があって生まれる』のです、苦労なく企業利益が確保される現状では、介護現場の声を集めてまで『必要は発明の母』を行う必要は無いのです。

戦国時代。
日本を訪れた『朝鮮使節士』が、山の頂きまで耕された千枚田を見て「なんと貧しい国だろう!」と言ったそうです。かの国の貴族(両班)の価値観は、労働を最も厭うものでした。まして、工夫までして耕すことなど「貧しさの証」以外何者でもなかったのだろうと思います。
赤道直下。
耕さずとも雨季で水田が出来、種さえ撒けば「勝手に実が成る」地域では、千枚田は論外であろうことも容易に想像がつきます。
しかし、我が国は稲作の北限にあたり、平地が少ないことから『工夫無くして』稲作など出来なかったのです。必要が「千枚田」を生んだと言えます。

こんなことも考えました。
我が国の建設コストは世界一(高い)だと思います。では、世界の標準的コストまで下げることが可能か?と言う疑問が湧いてきます。答えはYESとNOの双方です、理由は「施工の緻密さ」の違いです。例えば、アジア諸国やアメリカで容認される程度の緻密さなら、同等のレベルまでコストを下げられず筈です。しかし、「ピンポン球が転がらないのが当たり前」「壁は垂直が当たり前」と言う感覚でコスト比較は出来ません。「釘頭を隠す(見えないように施工)」感覚など日本以外にあり得ません。
この、世界とまるで違う『緻密さ』はどこから来たのでしょう?
見事に張り巡らされた水田を見て、我が国固有の『緻密さ』の出発点はこれではないかと感じました。

千枚田は「究極の精緻」です。頂きから麓まで、漏れなく無駄なく水が回遊して行きます。ピンポン球が転がるような水田作りは、本人だけではなく「村の破滅」を招いたことでしょう。
曇り空を映した水田に、頼りなげな苗がそよいでいます。こんな風景に心休まる私は日本人以外になれそうもありません…
000612(月)病院巡り
週の初めにいきなり病院巡りです。
まず、睡眠センターで先日の検査結果を聞いてきました。睡眠障害は以前ご紹介した通りですが、今日は「血液・尿検査」の結果です。
正常値と比べて、肝機能の数値+10%、血糖値+5%、甲状腺ホルモン−15%と言ったところが目立った項目です。いずれも『要治療』と言った深刻なレベルではなく、「注意していこう」といった程度です。肝機能と血糖値は「飲兵衛の甘党」と言う私の嗜好がそのまま数値になっています。甲状腺ホルモンは今回始めて指摘されました。多すぎると「パセドー氏病」の原因になりますが、私のように少ない場合は「行動が緩慢になり、寒さに弱くなる」と言う老化現象が出るそうです。これもぴったり当たっています。

次に口腔外科に回りました。第5回抜歯、最後の工程(合計9本)です。
下前歯2本を『もう終わったの?』と言うくらい簡単に抜かれました。しかし、今日も血が止まらず止血に時間を要し、簡単に抜けた割に「痛みが酷い」のです。始めての前歯の抜歯ですが、口に締りがなく、舌が飛び出しそうだし、水も口からこぼれてしまいそうな違和感があります。あんなに「ぐらぐら」していた歯ですが「無いよりマシだったかな…」なんて思っています。2週間後には型を取り、3週間後には『入れ歯』が出来ます。慣れるまで大変でしょうが、今より食べやすくなるでしょう。

先週の皮膚科に続き、これで『口腔外科が終了』しました。
7月早々の『睡眠障害用器具』の装着が終わる頃に入れ歯も出来、私の病院巡りも終わりを迎えます。様々な病が飛び出したこの1年間でしたが、老いの入口を掻き分けるように克服していくのでしょう…
000613(火)分社と企業戦略
長期の不況を反映し、企業も統合と分社(一見矛盾して見えるが)を推し進めています。
高度成長期に『事業部制』を引いた大企業ですが、リストラで事業部統合をしてみて『あまりの余剰人員多さに呆れた』なんて話しが随分聞かれました。
そこで『分社』の考えが出てきました。
事業部統合ででた余剰人員で、こじんまりとした規模の別会社を作り「数年間資本援助」を行い、自立を促す方式です。自立できれば『分社』として生き残っていきますが、出来なければ「縁が切れ」それで終わりです。リストラ(人員整理)の新しい方式と言えます。自立する側も、いきなり「首切り」宣言されるより、チャンスは与え与えられるわけだし「遣り甲斐もある」わけです。


名刺を交換すると「○○株式会社・分社」と明記してあり、親会社が誰か分かるようになっています。連結決算の時代ですから「こうなるのかな…」と思ったりもするのですが、温度差を感じるようにもなりました。
建築の世界は「最大の部品数」を持つ社会です。大手の建材メーカーともなれば、そのアイテム数が膨大になってくるのですが、これがどんどん分社化してきました。その結果、「分社Aは協力を約束した」けれど「分社Bは拒否した」なんてことが現実に起きだしたのです。「オール○○として、統一行動は取れないのですか」と訊ねても「会社が違いますから…」と言う返事に収斂されてしまいます。


どうもリストラ(人員整理)の色合いが濃く、折角軌道に乗ってきた『各分社』間をうまく結合し、集団としての方向性を与える企業戦略に欠けているようです。折角社員にチャンスを与え「やる気」を引き出すまでになったのに「切捨て準備完了」と言わんばかりの親会社の態度はもったいない限りと思うのですが、いかがでしょうか?
000614(水)花の色
ホームページを持って、私自身変わったと思うことは「季節や自然の変化」に敏感になったことです。口を開けば「不況」が話題になりますが、『豊かさ』だけは後戻りしていないのでは…と感じています。少し町を歩けば「草花の多さ」に目が引かれます。そんな中で『紫色の花が随分増えたな!』と言う印象を持っています。皆様お気づきになりませんか?
友人に変り種がいます。
坂上(さかがみ)と言う姓ですが、本来は「さかのうえ」と読むそうで、初代「征夷大将軍/坂之上田村麻呂」の末裔とか。もっとも本人は養子の身で、血筋とは関係ありません。
農学部からアメリカ留学を経て、博士号を持つ花屋さんです。風貌とは違い、なかなかのやり手で「花キューピット」の制度を作ったアイデアマンです。
彼から聞いた「面白い話」があります。
私達は花の美しさを愛でますが、植物にとって「花を咲かす」ことは生存競争だそうです。昆虫の来訪も待ち、花粉を運んでもらうことで子孫に繋ぎます。花の形は昆虫達の気を引くものであり、特に「色」は重要です。昆虫が最も寄ってくる色は『黄色』で、次が『白色』だそうです。

でも、最近「花の色」がカラフルになってきました。
このことは、植物のサバイバルや昆虫の趣味ではなく『人間の趣味』で花が作られてきていることを物語っていそうです。そんな中で「紫の花が増えてきた」のでしょうね…
000615(木)ファミコンとIモード
我が国の高度成長期を支えたものに「人口」を上げる学者がいます。
先端技術は「軍事研究から」が相場ですが、我が国では不可能なことでした。全て「民需」として製品開発され、購買力のある国民によって産業が成長してきました。つまり、国内に製品開発に見合う消費(人口)があったというものです。

戦後の50年は過去の1千年より変化が激しいかもしれません。
コンピュータの普及は「電子社会」を作りました。我が国では、電子社会の到来を「ファミコン」で受け入れました。ビジネスの道具としてより「遊び道具」として弱年層が受け入れたのです。キーボードに何のアレルギーも持たぬファミコン層が30代になろうとしています。幸運な方法で電子社会を受け入れたのかもしれません。
10年程前、OA教室に通う「中年管理職」が目立ちました。酒を飲んで彼らはボヤキました、「OA機器が使えなけりゃ管理職をやめにゃいかん」と。今は、そんな声は聞かれません。事態が好転したわけではありません。「使える」ことが前提で全て進められ、OA教室に通う余裕などはなから与えられていないのです。


電子社会は更に進化し「ネット社会」の到来です。
おっさんが、会社から「メールアドレス」をあてがわれる時代となりました。私のような小さな事務所でも形態が変わってきました。顔を合わせての打合わせは、初回だけで、後は「メールで(データを含め)やり取り」なんてことが当たり前になってきました。「変更が出たら、メールでデータを送りますから」と言うと、気の毒なほどうろたえている「おじさん」がいます。

携帯電話の普及が『若者文化』を変えました。
不要不急の電話を持ち「無駄使いの極地」と軽蔑していたのですが、『Iモード』の普及が状況を変えようとしています。ネット社会に適応するため四苦八苦する「おっさん」を尻目に、若者はまた遊びで『時代に適合』しようとしています。Iモードは『文字文化』を復活させたと言われます。今後は、映像も最新の音楽も送れるそうです。
昔「ファミコン」今「Iモード」
何時の時代も「おっさん」は辛そうです。

追伸:ISDNは世界で最も安い「デジタル通信」だそうです。私も最近導入し、その恩恵に預かっています。
000616(金)話は薬
運が良いとか悪いとか…あると思うのですが、皆様はいかがでしょうか?
私は結構「強運」の方かなと思っています。ピンチは日常茶飯事ですが、その都度『時の氏神』に救われています。また、巡り合わせの良さに感謝することも多々あります。

昨年の、夏の終わりのこと。
出勤したら、私の顔を見てかおりが「病院に行ったほうが良くないですか?」という。通勤途上、身体の変調を自覚していただけに、これはダメだと思い、近くのビルにあるメディカルセンターに行きました。診断は『風邪』と言うことで、薬を処方していただきました。
その時「既往症は?」とS先生から質問を受け、狭心症の話を申し上げました。
S先生(専門は心臓内科)は、実に明快に診断を下されます。私の狭心症についても、心臓模型を出して説明してくださいました。それによれば、「異型狭心症」であること、予定していたカテーテルによる検査(実際は手術)は300万近い費用と(命の)リスクがある割に意味が無いことなど、非常に説得力があります。
「異型狭心症」は、日本人に特に見られる症状で、欧米型の血管が閉塞することにより起こる狭心症と違い、血管が「痙攣する」ことにより起こるため、検査してもまったく異常が見つからないそうです。

結局、これ以降S先生が私の主治医となりました。
先生処方の薬(心臓発作の予防)に変えてから「顔の火照り」も無くなりました。今は、些細なことでも先生に相談します。そんな中に『睡眠障害』があります。相談したその場で、睡眠センターに連絡がとられ診察日が決まりました。それ以降の流れはご紹介している通りです。
あの日、風邪で先生の診察を受けなかったら、睡眠障害が発見できたどうか分かりません。人の世の縁の不思議さを感じています。

2週間ごとの診察も、殆ど『雑談』で終わってしまいます。
ある日のこと、こんな話をしました。家内が続けて倒れることがあり、救急車で病院に運んだのですが、決して親切な診察とは言えませんでした。
例えば、診察の後「今夜熱が出るかもしれません、その時はこの薬を飲んでください」と言われていれば、熱が出ても慌てません。しかし、このフォローが無いまま夜になって熱が出たら「今日の診察が間違っていたのでは?」と疑心暗鬼になります。診察とは、診断と薬の処方だけではなく、「患者の不安や恐怖」を取り除くことが大切だと思うのです。メンタルケアには会話が必要です、ドクターの説明で患者は安らぐのです…
このことをS先生にお話したら「そうです。『話は薬』です」とおっしゃいました。
私は、これ以上無い素晴らしい先生と出会うことが出来ました。
000617(土)兎と亀
読む本に窮し、2冊購入しました。まず…昔話にはウラがある/ひろさちや著(新潮文庫)
題名からして、何となく胡散悔い匂いがするように、読んでいても「どこまで本当か?」迷ってしまう本です。

戦後、教育の世界では「全てを綺麗ごと」に改竄したため、内外を問わず昔話や童話が真実を伝えなくなってしまいました。『昔むかし(電気も水道も無く人々が生きることに必死であった時代)』は、少しの油断が『死』に繋がり、何もかもが善意でハッピーに終わることなどなかっただろうと思います。また夜は暗闇を意味し、今のような娯楽に溢れる時代と違い[SEX]が重要なことであったと思います。『本当は恐いグリム童話』でも感じましたが、昔話は決してメルヘンではありません。そう言う意味で「昔話にはウラがある」に書かれた内容(エログロ)は冷徹な実話かもしれません。
折角ですから「エログロ」から離れた内容をご紹介します。
『兎と亀』の童話は世界中にあるそうです。お国振りを…
日本:兎は油断(慢心)から、昼寝をしてしまい、結局亀に負けました。教訓/油断大敵
フランス:兎はつまらない勝利など念頭に無く、遅く出発することで体面を保とうとしました。亀がゴールする寸前にダッシュしましたが追いつきませんでした。教訓/もう少し早くスタートすれば良かった。
イラン:頭の良い亀は、自分そっくりの亀をゴールに立たせておいて、競争をスタートしました(これじゃ兎は勝てる訳無い)。教訓/競争をしてはいけない。
インド:内容は日本と同じ。しかし評価がまるで違います、昼寝をしている兎を起こしてやらなかった亀は悪者だ。
カメルーン:亀は親族を集め、コースに一定間隔で配置しておきました。兎は、充分引き離したと思って振り変えると『何時も後ろに亀がいます』。そこで、兎は何時までも全力疾走し、ゴールで倒れて死んでしまいました。教訓/競争をしてはいけない。
いかがですか、『兎と亀』もお国が変わればこんなに違うとは…


ついででもう一つご紹介します。
「昔話にはウラがある」の中で、『七福神の座談会』があります。内容はさておいて…
七福神の国籍は「日本・インド・中国」の3カ国です。お国は違うのですが、素晴らしい共通項があります。それは彼らが皆「奇形児(差別用語で言うカタワ)」であることです。ちなみに、3国とも『カタワの人は神の化身』として、大切にされたそうです。
(わざわざ教えなくても神話や昔話を通じて、障害者を大切にする心を学びました)

戦後、政教分離の名のもとに、神話が教育から外されました。神話こそ国の成立ちを教えるものです、我が国では政教分離によりアイデンティティーを失ったのです。と、同時に障害者への思いやり教育を放棄しました。ほんの50年前まで、「○○の不自由な人」と言う言葉の置換えが不要な時代があったのです。

もう1冊は紛争勃発/黒井文太郎編著(宝島社文庫)
世界中で勃発している「地域紛争」を紹介した本です。
冷戦終結に伴い、イデオロギーが紛争原因となることは少なくなりました。反面、大国の重石が取れたことにより、民族と宗教を原因とする地域紛争が雨後の筍のように勃発しています。
この本を読んでつくづく感じることは「我が国ほど平和な国は無い」と思えることです。世界で、紛争の無い地域の方がむしろ少ないことが分かります。紛争当事者の主張を全て受け入れ、全て『独立国家』としたならば、人口千人の国家が山ほど出来るでしょう。
000618(日)事実は小説より奇なり
ある日あるところで…
ご婦人2人と殿方2人が居酒屋で意気投合し、場所を替えて『カラオケ』で盛り上がったそうです。そこは紳士淑女のこと、お互い名前も告げずに別れて2年…

つい先日のこと、私の行き付けのお店で…
神様はイタズラがお好きな様子です、この4人が出会ったのです。ママとご婦人は、高校大学のクラスメイト。ママと殿方は小学校のクラスメイト。ごく最近47年ぶりのクラス会を開き、殿方(幹事役)はクラス会のお礼を兼ねて、初めて「お店」におみえになったそうです。


なんと言う偶然でしょうか!
盛り上がる話に私もいれて頂き、楽しい一時を過ごさせていただきました。ちなみに、2年前に出会った居酒屋は「初めて行って、あれっきり」だそうです。双方が頻繁に利用しているなら可能性はあるでしょうが、こんなことって全く珍しいと思いませんか。殿方とは、メールアドレスの交換をさせていただきました、(了解も無く)ほんの一部をご紹介させていただきます。
> 偶然とは恐ろしいものです。まさかの出会いにびっくりしました。
> 「清く」「正しく」「美しく」をモット−(???)としていて良かったと、ホットしています。
「旅の恥は掻き捨て」で、とかくデタラメを言いやすいものですが、こんなこともあるのです。「天網恢恢疎にして漏らさず」です。本当に「清く正しく美しく」で、ようございました。
○天網恢恢(カイカイ)疎(ソ)にして漏らさず
[老子第七十三章「天網恢恢、疎而不失」] 天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕える。悪い事をすれば必ず天罰が下る意。
000619(月)聖域と規制緩和
我が国の法律は憲法の理念に従って創られています。
建築基準法は、憲法で言う「国民の財産と生命を守る」ための法律と言えます。建築を生業とするものにとって、建築基準法がバイブルであることは再々お話してきました。しかし、建築基準法にも「聖域があるのでは…」と言うお話を今日はしてみたいと思います。

生命財産の大敵に『火災』があります。
火災から生命を守るため『排煙規定』と言うものがあります。まずこれからお話しましょう。
同規定の中に「防煙タレ壁」があります。読んで字の如くで、人間の足より早い「煙の流れを妨げる壁」で、火災発生時に避難時間を稼ぐための安全処置です。
防煙タレ壁(天井から突き出た壁で、歩行には支障の無いように設計します)は、500u以内で設置(区画)し、半径30m以内に「排煙口(窓ないしはそれに変わる機械設備)」を設ける必要があります。火災が発生したら、排煙口を開け、煙を排出しながら流れを阻害して「安全な逃道の確保」をするというものです。

これに関連して、『内装制限』と言う規定もあります。
一定規模以上の建物は「燃えない建材で造る」よう定めています。燃えない程度を「不燃材」「準不燃材」「難燃材」と言うようにランク分けしており、排煙規定との合せ技で、火災から「生命財産」を守ろうとしています。

すごく慈愛に満ちた法律と思われるでしょうが、不思議なことが二つあります。
 1.誰が「犠牲的精神」でもって排煙口を開けるのでしょう?
コストの高い排煙口の設置より、もっと密度の濃い「防煙タレ壁の設置」の方が有効ではないかと私は思っています。
 2.火災による死亡事故のほとんどは「煙に巻かれて」です。
ならば、燃えない建材より『煙の出ない建材』が本当は必要な筈です。どうも「煙の出ない建材」の義務付けが無いのは『政治的聖域』ではないか?と私は勘ぐっています。
021109追記
2002年春、内装制限は「遮煙機能」と「遮炎機能」に分かれて規制されることになりました。やっと必要な法整備が出来ました。
この「排煙規定」の対象にならない用途が二つあります。
それは「住宅と学校」です。理由は「住み慣れているので火災があっても速やかに避難できる」と言うものです。住宅については「そうだな…」と思うけど、学校に付いては『いささか苦しい言訳』に思えます。本音は、排煙規定をクリヤするための「コストを賄いきれない」と言ったところでしょう。身内をカバーする「聖域」と言う訳です。

火災だけではなく『地震』も生命財産を脅かすものです。
本年6月から、建築基準法の一部が改正施行され『構造強度を任意に設定できる』項目が追加されました。我が国の建築は建築基準法で『建物強度を一律に決められて』いましたが、関係者で強度を決めてもよいことになった訳です。阪神淡路大震災が無ければとっくに改正されていたのですが、今まで延期になっていました。
規制緩和の一環ですが、合せて『自己(事故)責任』も問われることになってきました。いずれお話をすることもあろうかと思いますが、様々な分野で規制緩和が行われ、今後「契約には弁護士が立ち会う」時代が来そうです。見方を変えれば、国が関与しない『聖域』の出現です。

憲法の理念から言えば「行動の自由」を保証する部分もあります。
流行の言葉で表現するなら「バリヤフリー」がこれに相当します。
公共施設だけではなく一定規模以上を有する建物(マンションやオフィスを含む)には、障害者対応が義務付けられています。

JRがエレベータメーカー各社に面白い提案をしました。
駅のホーム用エレベータを、設置コスト「1基600万円」で開発して欲しいと言うものです。既に各社が実現しており、お陰で駅のバリヤフリーが急速に進んでいます。
このエレベータの特徴は『置くだけ』にあります。
機械室レス・自立型仕様で、エレベータピットや昇降路の防火区画は不要です。既存部分の改造を伴わなず、上階ホームの床に穴を明けだけで「設置」できます。
某EVメーカーと「何故こんなに簡単なんだ!」と言う話になりました。
駅は運輸省管轄で、建築基準法(建設省)の対象外のため、EVの安全を云々した縛りの外「聖域」にあるため思いきったことが出来たそうです。だからと言って、「安全無視」の商品と言う訳ではありません。『自己責任』において、安全は担保されています。

建築基準法の「聖域」をお話しました。いかがでしたか?でも、聖域には必ず『自己責任』が付いて回ることを覚えておいてください。
000620(火)原発について
Nさんのサイトのインフォメーションに、ドイツが原発完全撤廃に向けてスタートしたことに触れ「我が国が遅れている」と言う意味のコメントがなされていました。私には「遅れてるor進んでる」の判定はしかと分かりませんが、すこし電力事情に触れてみたいと思います。
世界的な約束で、石油による火力発電の新規展開が許されていません。そのため、我が国における新規火力発電は、全て石炭(微紛)火力です。勿論この石炭はオーストラリアから輸入されています。
一方水力発電は、自然保護派の意見が強く思うに任せません。先ごろも吉野川のダム建設予定が撤回されました。この結果二つの問題が起きています。下流における氾濫防止の有効な手段が閉じられたことが一つ。次に、経済的地盤沈下が激しい徳島県において、ダム建設中止により「経済的テイクオフが10年遅れる」と言う声が聞かれます。ただ、経済や洪水より「自然が大切」と言うコンセプトはあり得る訳で、外野がとやかく言うべきことではありません。
電力は、原子力・水力・火力(石油+石炭)・その他(ささやかだけれど風力+排熱発電)で賄われていますが、日本における原子力発電の割合は40%を超えており、無視できる範囲ではありません。

ドイツだけではなく、我が国においてもコンセンサスが得られるなら「原発完全撤廃」もよいと思います。かって私は、自然保護団体が関西電力に対し「原発撤廃」を求める運動を目撃したことがあります。その風景は、私には『異常なこと』としか受けとめられませんでした。
自然保護団体:「すぐさま原発を撤廃しなさい」
関西電力:「原発を撤廃すれば電力供給が減ります。皆さんも協力していただけますか?」
自然保護団体:「電力供給は電力会社の責任じゃないですが!」
このように「いいとこ取り」が見て取れます。こんなのが自然保護運動なのでしょうか?
電力使用量の削減やコストアップに協力するなら、原発の撤廃は夢ではないと思います。画期的な代替処置が無い現在、原発に変わる供給システムは「風力と排熱利用(企業からの売電)」しかないと思います。何かの資料で見たことがありますが、電気料金の『倍額負担』がOKならば可能性があったように思います。しかし電力料金が倍になれば、企業は国際競争力を失います。
このように原発廃止は『日本のあり方』を変えるでしょう、おそらく生活レベルを「高度成長期以前」に戻す必要が出てくると思います。生半可な覚悟で「原発撤廃」はできそうもありません。


原発には、沖縄に集中する軍事基地にも似て「立地条件」が大変重要なため、偏った地域に存在します。とは言っても、原発の近くに住む人々に取ってみれば「危険極まりないもの」が無くなって欲しいと思うのは当然です。原発は、限りなく安全処置を講じていますが、東海村の事故に見るように『無知な人間』によって、安全性が損なわれる現実があります。
私の大先輩で「原発が『安全』と言うなら、関西電力の役員は、家族共々原発施設内に住むべきだ」と言った人がいます。私も全く同感です。


最後にドイツの事情に触れて起きます。
グリーンピースと言う過激な自然保護団体があります。ドイツは、そのグリ―ンピースの政党「緑の党」と連立政権を組んでいる都合上、この意見を飲んだ経緯があります。また、ドイツは有数の石炭産出国で、取りあえず火力発電に切り換えやすい事情もあると思います。ただ、緑の党と連立が解けたら(単独政権が出来るなら)この約束は「反故」になるだろうと、早くも観測が流れています。

どの国も「必要悪」としての原発を、簡単に切り捨てられないようです。しかし、何時の日か『安全でクリーンな電源確保』が出来るようになれば、原発は真っ先に停止されるでしょう。
000621追伸
Nさんとメールの交換がありました。原発銀座に住むNさんの心境は深刻です。どこか不幸を他人に押し付け『我が身の安全』を計っている自分を感じます。『国が悪い』『行政が悪い』と言うことは簡単ですが、我々一人一人も負担と協力があって『原発がなくなる』のではと改めて考えました。
000623(金)1枚の名刺
もう随分前のことです、私はある青年と名刺を交換しました。彼の名刺には『建築家』とあります、これは驚きです。もうとっくに彼のことは忘れたのに、名刺の思い出だけが鮮明に残っています。
普通名刺には、氏名のほか「所属・役職名・連絡先」を表記します。彼は肩書きを「建築家」としたわけで、別に違反ではありません。それでも、建築業界に住む人間にとって「とっても奇異なこと」なのです。それは何故でしょうか?

誰が決めたわけではありませんが『建築家』とは他人が尊称として奉るもので、普通は自称しません。勿論、安藤忠雄先生や黒川紀章先生が『建築家』と名乗っても何の違和感もありませんが、20代の若者がいかに天才であったとしても、自ら建築家を名乗ることは(業界内では)『おくがましい』と受け止められます。

建築の世界で設計者は普通『先生』と呼ばれます。勿論、ご存知の通り尊敬されているわけではなく、多くは「先生・社長・大統領」なんて大安売りの呼称に過ぎません。
で、自らは何と呼ぶのか?私は『建築屋』と言う呼び名が好きで、そう自称しています。世間でも『建築屋さん』と「さん付け」で呼ばれることが多いのですが、決して尊称ではなく、自称するほうも「自嘲」をこめた場合が多いかもしれません。

「建築士」と言う呼称はどうでしょうか?
これだと、『資格云々』がついてきます。建設関連労働者600万人中、全ての建築士を含めても20〜30万人程度ではないかと思います。余り一般性が無くなってしまいそうですね。
以前「天才美容師が無資格だった」と問題になったことがありました。
しかし、資格が「能力を保証」するものではないことは、美容師も建築士も同じだと思います。このように見ていくとなかなか適切な呼称は余り見当たりませんね。

少し脇道に逸れて…
ある高名な建築家の先生が、講演でこんな発言をなさったそうです。
 ・建築屋は身体で設計する
 ・建築士は頭で設計する
 ・建築家は心で設計する
と、言うものです。いかにもそれらしい発言です。しかし『言葉の遊び』としては面白いかも知れませんが「心で設計する」と言われても、具体像が浮かび上がってきません。そこで設計の重要な資質を考えてみました。
 ・豊富な一般知識(雑学)
 ・卓越した技術力(専門知識)
 ・抜きんでた美的センス(デザイン性)
こんなものが浮かんできます。ちょっと自分でも笑ってしまったのですが、こんな関連はいかがでしょうか…
 ・建築屋に最も必用なものは「豊富な一般知識(雑学)」
  その心:庶民の助けになる
 ・建築士に最も必用なものは「卓越した技術力(専門知識)」
  その心:有資格者の裏付け
 ・建築家に最も必用なもの「抜きんでた美的センス(デザイン性)」
  その心:並のセンスでは建築家とは言えない。知識はアウトソーシングできる。
案外的を得たことではないかと思います。なぜなら、建築屋(庶民の味方)をこよなく希求する私は、「建築で最も必用なものは雑学」と信じているからです。
000624(土)接待
ちょっと「うるうる」する本を読みました。
グレイグ・マクラクラン著「四国八十八か所外人夏遍路」(小学館文庫)
ニュージーランド出身のグレイグ・マクラクランさんは大阪に住む空手武道家です。不純な動機から「四国八十八か所外人夏遍路」を実行することになりました。彼は2人の男の子がいますが、奥さん(日本人)は女の子が欲しくてたまりません。そこで、彼に持ちかけたのです。「酒と肉食を絶ち、1ヶ月禁欲した後ガンバレば女の子が出来る」と言うものです。それには、「四国八十八か所外人夏遍路」がピッタリだから『行ってきたら…』と半ば強引に奨めたのです。

既に彼は「日本縦断歩き旅」をしており「歩き旅には自信がある」ため、奥様の願いを聞き入れたのです。炎天下の7月、徳島の1番札所「霊山寺」からスタートし、八十八ヵ所全工程1400kmを約1ヶ月で『徒歩』で完全走破しています。
この本は、このときの模様を綴ったものです。

「四国八十八か所巡り」は弘法大師(空海)の足跡を回ることで『修行』ができると言うものですが、今は、「タクシー遍路」や「バス遍路」で、彼のような完全「歩き遍路」はめったに無いようです。まして「外国人の歩き遍路」と言うことで、行く先々で思わぬ『出来事』に恵まれます。不愉快なことも多々あったようですが、それにもまして『失われつつある日本人の心』に触れていく様が、面白おかしく紹介されています。電車の中で「思わず笑ったり、涙を堪える」内容に満ち溢れていました。

そんな中に『接待』と言う言葉が登場します。遍路は『二人旅』と称されるそうです。勿論、弘法大師と『二人旅』の意味です。そんな、お遍路さんに「自分が行けない変わりに貴方にお願いしますよ」と言った気持ちを込め、寄進する行為を「接待」と言うそうです。
接待は、「一宿一飯」から缶コーヒーまで様々です。ある日、交通量の多い国道を横断して、腰の折れ曲がったお年寄が「接待します」と言って、10円玉を差し出すシーンを彼は感動を持って伝えてくれます。
私は今まで「接待」と言う言葉にはあまり良い印象を持っていなかったのですが、古来ではこんな素敵なときに使われてきたのかと、嬉しくなりました。


「四国八十八か所巡り」は納経に目的があるのではなく、寺と寺の間を「苦難を乗り越えて歩く」ことに意義がったのでは…と彼は感想を述べています。
今の日本人には、時間と体力があるのでしょうか?経済的負担も大変そうです。でも、かって歩き遍路が当たり前だった頃は「接待」のおかげで経済的負担は余り無かったそうです。また、神社や学校で野宿を重ねる彼は、排他的ではない仏教と神道が『遍路を生んだ』とも感想を述べています。どうやら彼は無宗教らしく、日本のファジーな宗教感を歓迎しているようでした。最後に!「四国八十八か所巡り」はやり遂げたけれど「子供は作らなかった」そうです。

追記:広辞苑から『接待』を引いてみました。
せっ‐たい【接待・摂待】
〓客をもてなすこと。接伴。「―係」
〓仏家の布施の一。路上に湯茶を用意し、往来の人にふるまうこと。多く、陰暦七月に行う。接待茶。門茶(カドチヤ)。季・秋。謡、摂待「祖母にて候ふ者この―を始めて候」
〓一般に、湯茶・食事などをふるまうこと。
000626(月)投票率
総選挙が終わりました。
絶対安定多数を確保したとは言え、政権与党3党が大幅に議席を減らし、民主党の『一人勝ち』といった結果に終わりました。しかし、民主党の議席は与党の半分程度で「政権交代の芽」はまるでありません。

今回の投票では「不在投票の簡素化」「投票時間の延長」と言う、投票率UPを狙った施策を講じたにも関らず「最低の投票率」と言われた前回総選挙と「いい勝負」にとどまったようです。都市部では、相変わらず50%を切る投票率で、国民の無責任ぶりが窺えます。
ちなみに、民主党が勝利した選挙区を見ると「投票率が高い」ことが分かります。このことは浮動票が民主党に流れたことを示しています。小渕前総理の無念の退陣に纏わる「不透明性」と森総理の「軽率発言」に対し、厳しい判断が下されたと言えそうです。


投票率の低さを「国民の政治離れ」「しらけムード」と言った表現で正当化する傾向があります。また「投票しない人=政治に批判的な人」と、評価しかねないムードもあります。野党においても、投票率の低さを持って「現政権が否定された」とし「早期退陣を求める」と言ったトンチンカンな発言もありました。
不投票をもって『批判』と換置することはいかがでしょうか?膨大な「白票の山」を『拒否反応』と見なすことはやむを得ませんが、これとて「批判票」を入れるほうが政権交代に結ぶつく可能性があり有効です。今回の総選挙においても、もし不投票の半分が「批判票として野党に流れ」たら、政権交代が起きたかもしれません。

投票率の低さを全て「政治の責任」と押しつけことにも不賛成です。彼らの責任が「ない」と思いませんが、どこか「不投票を正義」と囃し立てるマスコミや、調子に乗って「無党派層ですから投票しません」と訳の分からぬ理由を付ける無責任な国民にも原因があると思います。
間接民主主義では、投票以外に『意思表示』の場はありません。
何よりも民主主義の大原則は「多数決」であり、投票無くして『多数の確保』は有得ません。不投票者を持ち上げる人達、政治にのみ責任転化を計る人達は、このことを理解していないのではないでしょうか?「不投票は正義」と言う考えは「あの法律に反対だから俺は守る必要がない」と言う理屈に行きやすい危険があります。古来より『悪法でも法は法』と言う言葉があるように「悪法だから守る必要は無い」と言う訳ではありません。法を守りながら『改正に努力』をするべきだと思います。


法的に何の根拠も無い「住民投票」に凄い投票率が出るのに、確実に世の中をに変える「選挙の投票」には行かない態度…これっていったい何なのでしょう?
投票(選択権の行使)もせず「政治が悪い」と批判だけする姿勢は卑怯です。私は、投票権は「権利」ではなく、未来に向けた『国民の義務』だと思います。辛口の評論で知られる大前研一氏は「もう投票権を登録制に切換える時期にきている」と発言されています。我が国の未来を『貴方任せ』にする人達から投票権を取上げ、もっと値打ちのある投票制度を構築する呼びかけです。ちょっと危険な香りがする提案ですが、それほど危機的状況だと私は感じています。
000629(木)価値観
いきつけのお店で…
先客にKさんがいらっしゃいました。Kさんは私より1歳年上の銀行マンです。固い商売にも関わらず『猥談が好きな柔らかい人』で、この日は珍しく女性(会社の同僚)同伴です。40代と思われる女性に対するKさんの態度に「恐いもの」があります。そこで「セクハラありの会社ですか?」とお尋ねしたら「なんでもありで困っています」と女性の返事。もっとも、逞しい女性でセクハラ何のそのと言った感じです。

少々、猥談に食傷した頃Kさん達が帰り「やっと静かに飲める」と思ったら、離れた席のお客さんから質問が出ました。私は「悪人顔」で印象に残りやすいようです、先方は(私を)ご存知の様子ですが、私は記憶に無い方です。

質問内容は『価値観の違う人でも尊敬できますか?』と言うものです。
おそらく一連の話の中で出た話題なのでしょうが、私には余りに唐突な質問です。更に言えば、お酒の席の気楽な雰囲気にそぐいません。チョット「失礼な」と思ったのですが『尊敬できます』とお答えしました。とても付いて行けそうも無いけれど『凄いな…』と感じる方はいらっしゃる訳で価値観と尊敬の基準は別に考えるべきではないかと思います。そうしたら「価値観が違えば居心地が悪いでしょう!」と返ってきました。

このことは公私両面で考える必要があろうかと思います。
私は建築屋で、様々な価値観をお持ちのクライアントとお付合いがあります。なにせ『価値観が違い、居心地が悪いのでお断りします』と言っていたら、飯の食い上げになります。そう言う意味でならば、建築屋はファジーでないと勤まりません。私に質問した方の職業を存じません。もし、共通する価値観だけで取引相手を選べるとした「羨ましい」人です。


友達関係ならばどうでしょうか?
価値観が違うから「付合い出来ない」としたら、酷く世間が狭くなりそうです。現に私は、価値観の違う友人のほうが多いかもしれません。
ここでは、価値観を『主義主張』と置換えても差し支えないと思います。私は、自分の主張(あるいは価値観)をはっきり述べますが、それを他人に押付けようとは思いません(その逆もいやです)。10人いれば「10種類の価値観」があって良いと思います。もっと言えば、異なる価値観を認めあうことで起きる緊張感が『進歩』に繋がると信じています。

でも、「素敵な女性」とは価値観を共有したいですね…(俺もそんな人いないかな〜!)
000630(金)暴走族と機関銃/若者の性向
 暴走族と機関銃
もし、警察が無くて機関銃があれば「殺したい奴」が誰にでもいるのではないでしょうか?
私は、安眠を妨げる「クソガキ」共を撃ち殺したいと心から願っています。


ただでさえ睡眠障害で「寝不足」なのに、連夜の暴走行為で極端な『眠いネムイ病』です。
わが町は、野鳥溢れるトロピカルなところですが、夜中は物騒な町に変身します。それは、地元だけではなく、遠く奈良県からも集まる『暴走族銀座』だからです。既に、暴走族絡みで2件の殺人事件も起きており、迷惑この上も無い有様です。
暴走族と言うより正確に言うなら『爆音族』です。1ヶ所にたむろして「延々と爆音を轟かし」周りのものは眠れたものではありません。警察に連絡しても、おっかなびっくりです。追いかけて事故でも起こされたら警察が訴えられるという『変な社会』のため、まるでじゃれあいみたいたものです。こうなれば実力行使あるのみです。どなたか私に機関銃をお世話いただけないでしょうか…

 若者の性向
かおり(事務所のNO1女性)に、最近は流行が無くなったのだろうか?と疑問を投げかけたら「そうでもない」と言う。どうやらそれなりに流行はあるらしく『特にピンクが流行り』だそうな。言われて気をつけてみると、たしかにピンクが目立つようです。ただ、ミニスカートが流行った昔みたいに「ピンク一色」とはなっていません。若者の個性化も進んでいるようです。

ファッションセンスの良くなった若者なのに、私には理解できない行動があります。今日も帰りに、二組の若者が雑踏の通路に「座り込んで話している姿」を見かけました。ジーンズで草原に座っているわけではありません。どう考えても汚れた通路に、素敵なスーツでへたり込んでいます。あの感覚って「何だろう?」


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