dogfight高松の長すぎるひとり言
2000年4月

睡眠時無呼吸症候群2冊の本から「臨死体験+荒唐無稽口腔外科体験記、他総理倒れる芸者商売家族依存症老人とは?花見少年法と民事第5権力+煙草の害いびきの座学電波障害安定と自由徒然に葦毛湿原地下鉄にて里山と山桜姥桜バリヤフリーの現状痛飲皆勤賞ふるさとを創らぬ結婚
000401(土睡眠時無呼吸症候群
友人のF先生に私の歯の治療をお願いしてきました。
『出来る限り抜かない』が先生のモットーで、治療を続けてきましたが、薬石虚しく抜歯のやむなきに至った歯が複数でてきました。
長年の治療の間に私も年をとり、昨年から異型狭心症を患う身となりました。抜歯中に『心臓発作』など起きてはと、口腔外科で抜くことになり今週月曜日に診察を受けてきました。
レントゲンを取り、写真を見ながら「取敢えず7本抜こうか」と言う、恐ろしい意見でした。
抜歯に先立ち、医師間で確認事項があるとか…口腔外科の先生より内科の先生に書簡をお渡しすることを兼ねて、2週間ごとの定期検診に行ってまいりました。
診察や書簡のついでで、あることを相談してみました。

今年に入り『猛烈に眠い』のです。
1日中眠気が取れず、しゃきっとするには『意識的に緊張』する必要があり、道端で眠っても良ければ『横になりたい』こともしばしばです。
「春眠暁を覚えず」や、「服用している薬のせい」かと思ってはみても、余りの酷さに「先生、こんな病気があるのでしょうか?」とお尋ねしたところ『ある』そうです。睡眠時無呼吸症候群と呼ばれ、小太りで首が太く鼾をかく人に多い病気だそうです。外形的特徴は「そのマンマ」です。

40を過ぎて鼾をかくようになりました。
年々酷くなり、最近では家内も別の部屋で寝るようになりました。
「あんなに鼾を掻くのだから、さぞ眠っているだろう」と思われ勝ちですが、熟睡していれば鼾は掻きません。鼾は、「鼻腔や咽喉が狭まり」呼吸が苦しく『無理して息をする』際に出る、笛と同じ原理の音です。(えらい違いヤネ…)
これ(呼吸困難)が酷くなると、脳に酸素が充分に行かなくなり、脳の睡眠不足が生じるそうです。脳から、これを解消するため『眠い』と言う信号が出続け、このような症状となるそうです。
私の症状がそうと決まったわけではありませんが、可能性は高そうです。
何でもあるもので、その場で『睡眠センター』に電話が入れられ、予約が取られました。睡眠センターで様々な睡眠実験が行われ、診断が下されるそうです。根本治療は『切開して気道を広げる』ことで、「こないだセンターに送った患者さんも手術で良くなったよ」だそうです。

『50を過ぎれば何でもあり』
去年、狭心症の診断を下された際のドクターの言葉を思い出しました。
父母の晩年、お腹がいっぱいになるほど薬を飲む姿を見て笑ったものですが、私がその立場になってきました。
 ・内科のS先生の処方で、異型狭心症と一生のお付合いが始まっています。
 ・皮膚科の先生と2人3脚で『アトピー』と戦っています。
  最近では『水虫』も戦線に参加してきました。
 ・F先生と、口腔外科のM先生による『歯の最終ケア』が開始されます。
 ・更に睡眠時無呼吸症候群が加われば、病気の問屋もびっくりの『幅の広さ』になります。
「生きる」ことと、その難しさを、病気と共に感じるようになりました。
多くの保険のお世話になりますが『よろしく』
000402(日)2冊の本から「臨死体験+荒唐無稽」
 臨死体験
手元に2冊の本があります。まず立花隆著「臨死体験」文芸春秋社(上下巻)に触れてみます。
文字通り、死に臨みながら生還を果たした人々の記録です。
ややもすれば、超能力、オカルトやUFOの世界に行きそうな『危ない内容』を、立花氏の豪腕で『論文仕立て』にしていると言った趣があり、そのため非常に硬い文章になっています。残念ながら、日頃お手軽な本に接している私には『読みづらい』内容で、長い時間をかけて『やっと上巻を読み終えた』ところです。とても下巻に手を伸ばす気になれませんが、立花氏が渾身の精力を傾けた「ライフワーク」とも言うべき作品で、決して変な作品ではありません。

この本は、読む側の『感性』により受け方が随分変わりそうに思います。論評は避け「私が感じたこと」のご紹介をしたいと思います。
「死後の世界」はあるのでしょうか?私は、信じる方ですから『素直に受入られる』内容でした。臨死体験をされた方が『死を恐れなくなる』ことが広く知られています。死後の世界は、お花畑に囲まれ『安らぎの場』であるようです。それは、法然や親鸞が説く『死後の世界』に、かなり近いものがあるように感じました。苛斂誅求の時代「死は苦痛からの開放」で、葬式は死を祝う「明るいもの」でした。通夜に酒食が振舞われるのもこの名残ではないでしょうか。昔の人の方が素直に死後を受け入れたかもしれませんね。


私は「全知全能の神を信じますが、神には『釈迦やキリスト』と言った固有名詞がない」と、HPでも何度も書いています。
臨死体験をした方は、絶対神の存在を信じ『宗教離れ』する顕著な現象があるそうです。死後の世界で『キリストに出会った』と言う人がたくさんいらっしゃいますが、キリストと言えども『神の僕(しもべ)』に過ぎないことを知るようです。死後の世界と全能の神を信じる私は、気持ち良く「あの世」に行けるかもしれません。

 荒唐無稽
かなりの努力を要する『臨死体験』を読み進む間、10冊以上の本を浮気しています。
そんな本の中に、キャスパー・ワインバーガー及びピーター・シュワイツァー著「次なる戦争」二見文庫があります。
ワインバーガー氏は、レーガン政権時代の国務長官で「SDI(スペースウオー)構想」を掲げ、ソ連を瓦解に導いた人です。氏は、冷戦が終結し『これで平和が来る』と、アメルカの軍備を大幅に縮小した後続政権の政策を危惧しており、これが著作のきっかけになったそうです。
氏の危惧した通り、冷戦収束は『地域紛争』を巻き起こしました。
冷戦と言う枠組みで大国に押さえられていた民族感情が一気に爆発したのです。しかし、アメリカは急速に『世界の警察官』たる力を失ってきており、対応できない事態の勃発を「次なる戦争」として、ワインバーガー氏は予測されています。

 199X年4月6日/北朝鮮および中国
北朝鮮の韓国侵攻と中国の台湾侵攻が同時に起き、核攻撃の応酬後韓国の首都ソウルを取られたまま「休戦条約」締結と言う苦渋の選択をする。
 
200Y年4月4日/イラン
イランは突然『核攻撃』を行い、中東からアメリカ軍の撤退を要求します。従わなければヨーロッパを核攻撃すると脅し、アメリカ撤退後「原油を1バレル100ドル」以上に値上げします。世界経済は危機に瀕し、アメリカの必死の反撃で、複数のヨーロッパ都市が壊滅すると言うものです。決定打を持たぬアメリカが描かれています。
 2003年3月7日/メキシコ
分けの判らぬ理想主義者によって運営されるメキシコは、盲流の国に変身。流浪の民は2000万人にも膨れ上がり、アメリカに流入します。アメリカ各地で避難民の抗争が起き、国内治安が急速に悪化。元を絶つには『政権を倒す』以外になく、アメリカのメキシコへの侵攻が始まりました。
 
2006年2月7日/ロシア
ロシア帝国を夢見る指導者に率いられ、突如『核攻撃と共に東欧に侵攻』が開始されました。報復の核攻撃が、ミサイル防衛網に阻止され、各国は『各の脅し』に対し抵抗できなくなりました。アメリカの軍備縮小で有効な対抗手段を持ちません。ロシアの要求を受け入れ、アメリカはNATOから撤退、それに合わせてロシアのヨーロッパ全面振興が始まりました。秘密裏に計画を進め、『相互確証破壊』を回復した時は、既にヨーロッパはロシアのものでした。


いずれも『ありそうな出来事』で、頭安めに買った本なのに「えらい本こうてもうた」と言う感じでした。ところが…
 
2007年8月19日/日本
日本は2001年に核武装。そして…
2007年資源確保を目的に、複数の空母を含む「機動部隊」が3方面にわかれ、アジア諸国に雪崩込みます。やがて、米軍と衝突…


ちょっと待ってよ!
これじゃ「太平洋戦争の焼き直し」じゃないですか。今の我が国に、核武装し空母機動軍を10セットも持つ日本を誰が想像できるでしょうか。荒唐無稽。買被り。あり得ない。
真剣に読んでいた、他の国の例も『こんなモン』だったのでしょうか?ワインバーガー氏ともあろう人が、こんなステレオタイプでしか日本を分析できないのでしょうか?!ガッカリしてしまいました。
000403(月)口腔外科体験記、他
 口腔外科体験記
今日は口腔外科の予約日。
いよいよ抜歯の開始です。定刻2時に治療用の椅子に座り、心電計と血圧計がセットされます。流石は口腔外科と思わせる雰囲気です。


『さて、どれから抜こっ!』
なにせ、左奥歯3本・右奥歯2本・前歯2本の計7本を抜かなければなりません。
『今日は、オードブルということで、これいこか』
あくまで軽い調子で、レントゲン写真から左奥歯の1本を指差します。
「先生、その付近歯茎が腫れてますけど…」
『どこや、ホンマやな。そやけど慢性の腫れやろ、これいっとこ』
『麻酔打つけど、ちょっと痛いで』
言うや否や、ブス・ブス…と。F先生のようなソフトさはカケラもありません。
待つこと数分。
『痛かったら言うてや』といって、歯を揺すりだした。
「痛っ!」
『やっぱり、麻酔効きづらいな。ブチッ!』
私が「痛い」と叫んだときには、もう乱暴に抜かれた後でした。ペンチで引抜き、勢い余って、上あごに当ったくらいです。でも、本当に痛いのはこれからでした。抜いた後の、アゴの骨に溜まっているカスをスプーンでごしごし掻き出したのです。その痛いこと痛いこと
「痛っ!」
『ハイ!もうチョット!我慢ヤデ』
『ハイハイ!もう終わりやデ』
と、まるでリズミカルに喋りながら、私の「痛っ!」コールは全く無視です。
掃除を済ませ、抜歯痕に止血剤を詰め「縫合」して様子を見ています。
(抜歯後、縫合したのは始めてです。やはり、ここは「外科」なのです)
抜歯の緊張から140に上がっていた血圧が、正常に戻ったところで『診療終わり』です。


受付に戻り次回の予約をして、会計で費用を払い、薬局で薬を受け取って、全て終わったのが2時35分でした。どうですこの早さ!痛かったけど、『早く終わるならこれも良いか』と思います。
000404追記 流石は口腔外科です。麻酔が切れた後と、熱いもの冷たいものも沁みらず、痛みもありません。勿論止血も万全です。
 □旅立ち
長男が高知に旅立ちました。
以前から予定があることは聞いていたのですが、突然の赴任となりました。
複数の官庁に複数の企業が参加して、高知の某大学で「産官学の国家プロジェクト」をスタートさせます。いつものように内容を言ってくれませんが、息子の専門から考えて「次世代の通信システムの開発」だろうと思います。何時か、成果が現れれば新聞発表されるでしょう。
何時の日か息子も家庭を持ち、日頃お世話になっれいる生活技術を「あれはお父さんも参加して作ったんだ」と言えれば素敵ではないかと思っています。
高知での任期5年の間に何とか『嫁はん』を見つけて欲しいと、私は願っています。
021108追記
この願い通りになりました。高知で素敵な嫁はんを見つけ、幸せに暮しています。
000403(月)総理倒れる
小渕総理が昨夜遅く緊急入院しました。
今朝の世界のトップニュースはこれで、日本の総理も注目される存在であることを知りました。昼前の官房長官発表では、『脳梗塞』で意識不明とのことで、再起が危ぶまれます。総理には、連立解消・有珠山の爆発・サミットに衆議院解散と心休まるときがなかっただろうと思います。既に後継者選びが進行中とも囁かれていますが、日本が重要な岐路にあることは間違いなく、英知を結集して乗り切って欲しいと心から思っています。

追記
小渕総理の入院は、22時間半に渡り隠蔽されていたそうで、自民党の古い体質と批判が出ています。事態は更に深刻化し医師団によれば『臨床的脳死』と判断され(本日23時)生命維持装置により命が保たれているそうです。思えば『凡人』と酷評される中で登場し、蝸牛のごとくの足並みながら一歩も引くことなく、苦難の日本経済を『明かりが見える』ところまで牽引した功労者です。おそらく、名総理として歴史に名を残すでしょう。
000405追記 今日、森内閣が発足しました。しかし外国の評価はかなりブーイングです。
000404(火)芸者商売
末っ子が、鈴鹿「F−3000」レースをピットで観戦してきたという。
誰でもピットに入れるわけではなく「どうしてだろう」と聞いてみたら、末っ子の勤める会社が名門クラブチームのメインスポンサーとなり、スポンサー枠があるそうです。
末っ子が勤めるのは、「改造車用部品」を作る会社で、その道の「オタク」には名の通ったところだそうです。ただ、運転免許も持たぬ化石人間の私には「想像もつかぬ会社」です。それが、社業と関連があるとは言え、年商2億円の会社でなんと3000万円のスポンサーになったそうです。
これは驚きでした。製造業で2億円の年商なら、企業分類は「小企業」に入るのだろうと思うのですが、3000万円とはすごい金額です。仮に従業員の待遇改善に3000万円を使えば『大改革』が出来そうに思うのですが、よく踏み切ったものです。さぞや「社内から批判の声が出ているのでは?」と、質問したところ『ない』と言う。その理由を聞いて、感心するやら、また驚くやら…


Aさんは、F−3000の名門チームの花形ドライバーですが、サーキットでファンに手を振る華やかな姿から想像もつかない厳しい現実があるそうです。スポンサーがなければ「好きなレースに出られない」切実な事情があり、「涙ぐましい努力」がなされていると言う。イベントがあれば駆けつけ、積極的にサイン会を開いてスポンサー企業の業績に貢献しようとし、忘年会なども「末席で出席」する謙虚さだそうです。
日頃からの姿勢がスポンサー獲得に繋がりチームと言うよりAさんのスポンサーと言う観があるそうです。そんな訳で、従業員からも「Aさんのために3000万円なら…」と言うコンセンサスがあると言います。会社トップだけではなく従業員の一人一人に至るまで「Aさんのためなら…」と思わせるプロ意識に脱帽です。

私は思わず「芸者商売やな」と言ってしまいました。
普通「芸者商売」といえば、蔑みを含む場合が多いのですが、この時ばかりは『敬服』をこめて口から出ました。
私の分野である『建築設計』も、クライアントの承認なしに何も出来ない商売です。いくら綺麗に着飾っても『お座敷』が掛からなければ出番はありません。だからと言って、クライアントの靴でも舐めるような姿勢は取りたくありません。
私は、クライアントにとって「なくてはならない存在」として、貢献したいと願っています。芸にプライドを持つ『芸者商売』であろうと心がけています。
000405(水)家族依存症
私自身が子育てに失敗しており『家族のあり方』が変化しているように感じていました。
父母の世代は「男尊女卑と徴兵」の時代で、男が威張っていただけ「死と直面」していました。私の世代は憲法が変わり、男尊女卑も徴兵もなくなりましたが、濃厚にその残滓を引きずっていました。
今若い人達は、歴史上例のないくらいの自由を持ち、義務から開放されています。なのに、凄いストレスに曝されているそうです。折角、負担から開放され自由を得たのに「何をすれば良いのか?」分からないのでしょうか。そんなことを考えている折、とっても気なる本に出会いました。--
斎藤学著「家族依存症」新潮社版(文庫本490円)--
体して厚くもなく簡単に読めそうでしたが、結構ショックな本でした。
わが身の子育ての失敗を「どこの家もそれなりに苦労を抱えれるみたいだね…」と慰めていましたが、彼我の出来事だけではなく、まるで他人事のように耳にすることまで、その病巣を解き明かしていました。全てをご紹介したいのですがとても出来ません。そこで、私が最も共鳴した一節をご紹介します。
  大人の条件
…前略。大人は他人に依存しないですむだけのパワーを備えていなければなりません。この世で生き抜き、家族を支えるためには、経済力を始めとするパワーが必要ですが、これは、現実を正確に把握する能力や、欲求不満に耐える能力がないと身につきません。
現実検討とか衝動のコントロールという中には、自分の限界を知り、誤りを矯正するという部分が含まれますから、次の「自己肯定の能力」とは一見矛盾するようですが、実はそうではありません。自分を正確に把握したり、自己の欠点を直視したり、欲求を我慢したりするためには、自分が世間に受け入れられ、愛されているという、基本的な自己肯定がの感覚が欠かせないのです。私たちは人に愛されていると思うときだけ、その人からの叱責や問題提起を建設的に受け入れられるものなのです。
自分と自分を取り巻く現実を正視できる人は、今すぐすべきこと、次にすべきことという優先順位の区別がつけられます。また、注意深く完全をねらう職人仕事と、直観力を生かしておおまかな見通しをつける仕事との見分けがつけられます。私はこうした能力を「いい加減にやれる能力」と読んでいますが、これこそ最も高度な大人の能力と呼んでいいもので、世の中で目だった業績をあげているのは、この能力に恵まれた人たちです。後略…
「私がそうである」と自惚れでも言えませんが、この一節には、常に「こうあろう」と思う姿が見事に描かれています。

この本には人それぞれに『共感』を覚え、或いは『反省』を覚える個所に回り逢えると思います。是非家族で回し読みをして、話し合ってみてください。 今まで『労わって…』と思っていたいたことが、とてつもない負担をかけていたのかもしれません。
善意で傷つけ合うほど愚かなことはありません…
000406(木)老人とは?
『老人』の定義はあるのでしょうか?
4月から始まった介護保健は65歳以上を対象にしています。また、今国会で採択された年金法改正も65歳以上に支給開始年齢を引き上げました。してみれば、行政における『老人』の区分は、65歳以上ということになりそうです。
では、65歳以上は『年寄り』ですか?私にはとてもそうと思えません。


私が手がけているケアハウスも、対象者は「65歳以上の健康な人で生活費の負担に耐えられる人」となっています。設計着手を目前に控え、若い仲間と内部空間の雰囲気に付いて検討していたとき、大きな「視点の違い」を見つけました。介護資格を持つ女性が「こんな感じにしたい」と持ってきた写真を見て驚きました。そこには「田舎の鄙びた温泉」と言った雰囲気が映っていました。
彼らには65歳が「年寄り」に見えていたことに気付いたのです。そこで私は「健康な65歳を『年寄りと思う先入観』を止めよう」と提案しました。

彼らは「自発的な勉強会の集まり」で平均年齢30代の優秀な若者達です。この先入観云々は、いくら優秀な若手でも「飯の数」には追いつけない部分と言えるかもしれません。
私自身を振り返ってみて、20歳の時「30代は中年、40代は年寄り」に見えていました。30歳になったとき、50代が年寄りに見えました。そして、私自身が50代半ばに差し掛かってみて「65歳は若い」としか思えなくなりました。まして、ケアハウスのように「健康な65歳」と条件がついていればなおさらです。

老人福祉が声高に叫ばれていますが、施設作りは『お寒い限り』です。
現時点でこのような施設は『社会福祉法人』しか運営を許されていません。また、税金等で「絶大な恩恵」を受ける特殊法人だけに、実体のない設立は許されません。この安全策が施設作りに悪影響を与えています。つまり、施設着工前に(実体がないという理由で)法人認可が下りないため、事前にスタッフを集め『スタッフの考えを施設に反映させる』ことが出来ないのです。そのため、施設完成後は理事に就任する「経営者」の考えで計画が進行しがちになります。
言いかえれば「管理しやすい施設」の誕生です。私達はそれを避け「介護しやすく入居者にやさしい施設」を目指してきました。だが
65歳は年寄りか?」このことはもっと重大なことを私に投げかけてきました。65歳が若いなら「介護しやすい」だけでは不足で『健康増進・自立助長』と言う視点が必要ではないかと気付きました。私はもう一度計画をチェックしようと思います。
000408(土)花見

見事な満開です

暮れなずむ大川
春高楼の花の宴。めぐる杯影さして…
昨夜、若い仲間と合同の『花見』をしました。今年の桜は遅く4月3日にやっと開花しました。例年より1週間以上遅い春でした。待ちに待ったと言わんばかり桜は一斉に咲き、咲き急ぐかのごとく『満開』を迎えました。
月曜から『嵐』が予報されており、短命な桜になりそうです。

朝、出勤直後に「席取り」に公園に出かけました。
なにせ、開花から1週間で終わろうとしています。
桜が短ければ、花見客も「せわしない」ことになります。事務所は、大川(旧淀川=太閤秀吉により淀川がつけ代えられたが大阪城外堀を兼ねた)に沿ってあり、対岸は「天満〜造幣局〜桜の宮」と続く大阪随一の桜の名所です。

唯一の職員「かおり」を連れて、ブルーシートを持ち、公園で呆然としました。天満公園は既に占拠され「○×企業」と言ったネームが貼られ『店番』が所在なげに監視しています。
もう少し期間があれば花見も分散されたのでしょうが、「今週限り」の予報が出ては、誰も奪い合いで「徹夜で」席取りがなされたのではと思われます。やっとのことで隙間を見つけ確保しましたが、とても一等地とは言えません。

夜7時。
とっぷりと日が暮れて、一等地ではない悲哀が出てきました。照明が近くになく、夜桜が見えません。急いでマグライトを買い求め、うすボンヤリとした灯りの下で開園です…
大変楽しい一時でした。
写真下:海外勤務より帰国したご家族。子供達は『始めての桜』です
あぶれた人達がシートを抱えて『終わりそうな場所』で待ちうけています。例年にはない風景で、まるで『新装開店のパチンコ店』みたいな順番待ちです。昨夜は、夜引いて『花の宴』が続けられたのではないでしょうか。
000409(日)少年法と民事
「大人も真っ青」の少年犯罪が表面に出るたびに、「警察はどうしていた」という批判が出ます。熱心なおまわりさんには申し訳ないけれど、警察の不祥事が多すぎます。

名古屋の中学校で、同級生から『5000万円を脅し取る』事件が発覚し、主犯格の少年3人を含む、10数人が補導されたようです。
これは異常な事件です。被害に遭った少年は、父親の遺産の全てを同年の少年に恐喝され、3度の入院を含む暴行を受けながら、警察も(学校も)解決に向け立ちあがっていませんでした。度重なる脅し(警察に言えばこうなると、暴行を受ける)に、周りに不信感を募らせる少年。親の訴えを『民事不介入』と退ける警察。何と、加害者の親も脅しを続ける我が子を取締って欲しいと訴えながら「取り上げなかった警察」が問題になっています。
この事件は、暴行を受けた少年の3度目の入院時に知合った「他の所轄の警官」が、問題として取上げたため表面化しましたが、埋もれたままの事件も多いのではないでしょうか。おそらく官僚組織の通例で、警察内部において問題提起した警察官は『余分なことをした』として、さぞ苦しい立場に立っていることでしょう。


事件のたびに「少年法」がやり玉に上がりますが、ひょっとしたら少年法以前かもしれません。少年法は15歳以上の未成年を対象にしており、15歳未満は犯罪性すら問えないのです。
このたびの事件のように、この法律に守られた加害者(15歳未満)は、いくら捕まえて処罰する方法がありません。警察官に無力感が漂うのは分るのですが、この無力感の正当な言訳に「民事不介入の原則」が利用されているように思えてなりません。
私自身、我が子を請け出しに何度も警察に行きましたが、『民事不介入』は言葉より広く適応されています。特に、家族や同級生間における暴力など、骨を折ったくらいでは『民事』として片付けられてしまいます。これは悪しき習慣です。アメリカのように、夫婦間でもレイプが成立するくらい『暴力に敏感』になって欲しいと思います。

少年法不備の一端に「マスコミ報道」があります。
マスコミは、加害者を擁護することに熱心な進歩的学者の意見を頻繁に取上げますが、あれは少年達に「何をしても罪にならヘン」と教えているようなものです。
しかし、マスコミは『家族が酷い目にあう』ことを少年に教えません。
少年法の壁に守られ彼ら自身は罪に問われないかもしれませんが、民事訴訟に『少年法の壁』などあり得ないのです。刑事訴訟法で本人裁かれた場合、家族に損害賠償請求が及ぶことは稀のようですが、少年法のように「犯罪者そのものが免責」されてしまうと、その『家族』に対し、民亊による損害賠償請求をされることが圧倒的に多いのです。

このたびの事件でも、加害者の家族は警察に対応を求めながら重大な結末を迎えました。
おそらく、今後『民亊訴訟』で被害額の返還や慰謝料請求がなされるでしょう。加害者の家族で、被害をまどうため家屋敷を処分する人が出るかもしれません。家庭崩壊を起こすかもしれません。このように、少年犯罪は「少年自身の生活基盤を奪う」ことをもっと報道すべきです。
000410(月)第5権力+煙草の害
 第5権力
三権と言えば「司法・立法・行政」です。
それに対し、三権が束になってもマスコミに勝てず『恐れる存在』と言う意味を込めて、マスコミは第4権力と呼ばれます。マスコミが第4権力たり得るのは『メディア』と言うとてつもない武器を持っているからです。

ここへ来て、第5権力の登場かもしれません。
それは、インターネットの普及に伴い、一般人も『メディア』を持てるからです。我が国でも昨年、ホームページを武器とした個人に『東芝・トヨタ・和歌山の公立学校』が攻撃され、全面降伏で事態を収拾しています。この事件は後に『印刷系メディア』にじっくり検証され、個人側に相当こじつけがあることが分り、応援者が霧散する結末を迎えています。大規模な騒動はこれ以降耳にしませんが、一方的自己主張の手段としてのHPが消えたと思えません。

インターネットは、インターナショナルな「約束事」が出来る前に普及してしまい、今や『無政府状態』です。
私の友人に聞いたのですが、知合いの女性のホームページに「激発コーナー」があるそうです。これは『激しく告発する』という意味らしく、会社の同僚・取引先の社長など相手かまわず『実名で激しくこき下ろす』コーナーだそうです。
私も、HPには「相手が知らないうちに、何の反論の場もないまま、一歩的に非難される」恐さがあることを指摘しない訳には行きません。現行制度では「激発コーナー」を防止する手段はなく、個々の良心だけが頼りです。
問題は発信側だけではありません。無法者(ハッカーやクラッカー)が横行し、取締りが追付きません。何重にも鍵(侵入防止や、アンチウイルス等)をかけられる人はまだましな方で、何の防御もないままに『家庭にコンピュータが鎮座ましまし』して、侵入者があればなす術もない有様です。


「IT革命」と未来を語る専門家は、この世界のルール作りをいかように考えているのでしょうか?
 タバコの害
煙草を止めて1年。周りの喫煙が気になるようになりました。
アメリカでタバコ会社を訴える訴訟が相次いでいます。先日も15億円を支払うよう判決が出ていますが、これをアメリカの喫煙者に当てはめれば『25兆円』にも相当するそうです。
私はかってヘビースモーカーでした。
しかし、一度もタバコ会社から強制されて吸ったことはありません。
個人責任を強く求めるアメリカで、この異常さは何でしょうか?
この論理を認めれば…
酒で肝臓を痛めたと『酒造業界』を訴える。
スナック菓子の塩分で腎臓を痛めたと『菓子メーカー』を訴える。
自動車があるから事故が起きたと『自動車業界』を訴える。
何でもありです…
アメリカは病んでいるのでしょうか?
000411(火)いびきの座学
昨日、睡眠センターに行ってきました。診療科目としては「精神内科」に入るようですが、睡眠障害専門の治療施設はまだ全国でも少ないのではないでしょうか。

まず、チェック項目に従い「睡眠時無呼吸症候群」の可能性を探ります。8項目あり24点満点中11点以上で「要検査」だそうです。で、私は…
私は免許を持たないため『車の運転』項目を除外して、7項目21点満点中『14得点』と言うハイスコアとなりました。検査は「睡眠中をチェック」するため入院が必要です。私のような患者?が多いようで、最短の入院予約でも5月25日となりました。検査内容のご紹介は後に譲って、今日は「いびきの座学」を…

「いびき」は睡眠中気管が狭くなり、笛の現象を起こすことにより発生するそうです。
起きている間は筋肉が緊張しており、気管を保っているのですが、睡眠により緊張から解放され、筋肉の自重によって気管が狭くなるそうです。歳を取り筋肉に張りがなくなり、中年太りが加わると『いびきの環境』が整います。私も若い頃はまことに静かな寝息でしたが、「ゴジラの雄叫び」に変わったのは30半ばを過ぎてからです。
いびきから「睡眠時無呼吸症候群」に進むには、もう一方の主役にご登場願うことになります。狭くなった気管を睡眠で弛緩した舌が塞ぐことにより、バキューム状態となり、気管が密着してしまうそうです。まったく空気を遮断してしまうわけで、これが睡眠時の無呼吸状態です。当然このままでは「窒息死」してしまいますから、脳から『起きろ!』と指令が出ます。
ドクターのお話によれば、無呼吸状態が「睡眠中」で、いびき状態は「起きている」そうです。つまり、睡眠中「眠る/起きろ!」が繰り返されるわけです。この状態が1時間当たり20回以上になると「睡眠時無呼吸症候群」と診断されるそうです。でも、1時間に20回も「眠る/起きろ!」が繰り返していたら寝た気にならないでしょうね。(だから1日中眠いヤン)

一般論を終え「私の場合」を報告します。
中年太りはいびきの原因になることをお話しました。
普通、睡眠中の血圧は20%程度下がるものだそうですが、いびきをかくと睡眠中も血圧が下がらなくなるそうです。日中は正常血圧でも、いびきで「睡眠中は高血圧」と言う症状となり、心臓病の原因となるそうです。
私は、昨年から「異型狭心症」の診断をされていますが、睡眠中の高血圧が原因かもしれません(日中は人もうらやむ正常値です)。心臓疾患を持ったことから「煙草を止め」さらに太ることになりました。禁煙後も相変わらず小食(これは本当の話)なのですが、元来エネルギー効率が良いようで、更なる肥満が「睡眠障害を引起している」と言う悪循環が考えられます。
一方、心臓発作の防止薬でアトピーを起こし、今年から皮膚科の処方で「ステロイド」を常用しています。
ドクターにお尋ねしたところ「ステロイドは睡眠妨害を起こすと言われている」そうです。私の「眠たい症候群」の原因はここにもあるかもしれません。肥満は「万病の元」です。皆さん(私も)注意しましょう…


今日はこの辺で座学を終わります。
「睡眠時無呼吸症候群」を治すには「いびき」を止めればよいわけです。それには「気管の確保」を図れば良いのですが、言うほど簡単なわけがありません。『昨日の日記』のネタが無くなったら、「予防と治療」について続きを書きましょう。それでは次回をお楽しみに…
000413(木)電波障害
近畿では、建設工事に先立ち近隣協議が要求されます。多くは『開発指導要綱』に従って行われますが、大阪市内のように自主的に開かれるケースもあります。
そこで検討される事項は
 1.日照
 2.プライバシー
 3.電波障害(要調査)
 4.ごみの処理
 5.駐車場・駐輪場
 6.騒音・振動
 7.利用・管理形態
 8.工事について
こんな項目です。この中から電波障害を取上げてみます。案外『知ってるつもりで知らないこと』かもしれません…

念願かなって『マイホーム』を手に入れました。
小さいけれどに、庭もあり『白い犬』も飼えそうです。でも、テレビが映らないことを「完成するまで」気付きませんでした。原因を調べたら、遠くに建つ超高層ビルでした。
さて、補償を得られるでしょうか?
原因となる建物がはっきりしているのだから『補償をするのは当たり前』と思っていらっしゃる方が多いと思います。でもこの場合、残念ながら補償は得られません。貴方は自費で、テレビの映る方法を考える必要があります。

何故でしょう?根拠になる「法律が何か?」よく判らないのですが…
現行制度の「原因者責任」は「建設(工事)により、電波障害が起きた」場合だけです。つまり、障害が発生する範囲を対象にしているのではなく『工事によって障害が起きた建物』を対象にしています。だから、空地や田畑で「その時点で、実害が伴わない」部分(エリア)は補償から除外されるのです。これは判例でも支持されています。
例題で取上げたような場合、(原因となる建物の建設後に)マイホームを建てても補償の対象にならないのです。

対策方法は後に触れることにして、建設工事と電波障害の関わり方を説明します。
建設計画に先立ち、電波障害の予想調査が行われます。簡便な方法では「机上調査」があり、精査では、アンテナ車を持ち込み現地調査を行います。
これらの調査資料を近隣説明会で公表し、被害が起きれば補償する旨言明します。
テレビ電波には、地上波(VHF・UHF)衛星波(BS)有線(CATB)があります。
既に有線テレビで受信している家屋は実害が出ないため補償対象外です。CATV以外の建物から障害の申し出があれば補償を行います。有線地域ならCATVで補償(これ以外の方法は不可)し、工事費を負担します。(有料チャンネルの利用料は補償の対象ではありません)また、有線がなければ代替アンテナで電波を供給します。
このように「事前調査→被害の申告→補償工事」と言った手順で行われています。


我が国の都市には「なんでヤ」と、思うほど人口密集地に『田畑』が残っています。また、バブルで地上げ屋が暗躍しましたが「暗躍の跡」が空地で残っています。こんなところは、まずレテビは映りません。
電波障害が既に起きていて補償が得られなくても、人口密集地であれば「CATV」がある可能性が高く、またCATVが無くても近隣から電波を分けてもらうことがで来ます。
問題は都市近郊です。超高層ビルは、電波障害を「数kmに渡り」発生させ、近郊の田園地帯が広範囲に『レテビの映らない地域』になっている可能性があるのです。
都市近郊農家が、農地を潰して『息子夫婦の家』を作ったら「テレビが映らない」なんて場合は大変です。誰も補償してくれません。周りは田んぼでどこからも電波を分けてもらません。方法は、CATVだけですが、延々と引いてくる必要があります。電気なら、地域の電力会社に『供給責任』がありますが、CATVにそんな義務はありません。とんでもない費用が掛かりそう…
こんな事例はレアケースではありません。どうぞお気をつけて!

追記
「テレビ電波」の障害をお話してきました。しかし、電波はたくさんあります、こんな例をご紹介します。
超高層ビルを計画するとき『電波ルートの調査』は欠かせません。
特に、都心には通信ネットの大動脈「マイクロ波」が通っており、これを遮る設計は不可能です。
私の体験で、ハムのアンテナがビルの谷間に埋没すると言う事例がありました。
このときは『好意でアンテナ設置場所を提供する』ことで解決しましが、これを補償する必要があるのか?きわめて難しい問題です。何せ、補償義務が明確ではないのです。
都会ならではの電波障害もあります。
ビルの谷間では、どんなに工夫しても『衛星波を拾えない』ところも結構あります。でも、これが補償問題に発展したことはありません。手近に代替方法があるからでしょうか
000414(金)安定と自由
故郷に住む友人のご尊父が先月お亡くなりになったそうです。ご遺族にすればいくら長生きされても『もう充分』と言うことはなく、悲しいことに相違ありません。ご冥福をお祈りすると共にお悔やみ申し上げます。

故郷を離れ35年。大阪に根っこが出来ただけ、故郷とは疎遠になったことを感じます。今では「友」と言えば、大阪での友人をさしてしまいます。
まわりを見渡せば「親を送った」友の方が多くなったように思います。
私自身20年も前に父を送り、昨年は母の3回忌、今年は兄の3回忌を迎えます。高松家8代で父の享年68歳が最長寿命と言う『短命家系』です。母と兄を続けて送ったときはさすがに虚無感に襲われましたが、今はもう、私だけが例外で長生きする筈もないと素直に思えるようになりました。昨年から様々な持病を持つようになり、自分の生きてきた道のりを振返ることが増えたように自覚しています。

建築を選んだことを後悔していません。
ただ、建築を選ぶことは「安定を捨てる」と同意語とは当時考えてもいませんでした。しかし、昨今のように「不況業種の最右翼」ともなれば、今更ながらに安定と縁のないことを感じます。
30歳を直前に控えた年の暮れ、サラリーマンをやめ『自営業』に進んだときが大きな岐路であったと思います。流れのままの「不安定な生活」から、意思を持って「不安定な生活」を選んだ瞬間でもありました。私は、生活の安定より『自由』を選んだのです。飢え死にも辞さなければ誰に頭を下げることなく暮らすことが出来ます。

ある日「こっちにオイデ」と言う神の啓示が聞こえたとして「悔いはないな…」と最近思っています。私は、建築では名人になれませんでしたが、誰よりも「楽しく生きる名人」になれました。「何と言う我侭な奴ヤ」と友に言われながら、友に愛されてきたと自信を持って言える「自分」を見つけることが出来ます。
息子達もそんな私を認めてくれているようです。
さて、家内は?これだけは自信が持てません。私が面白おかしく暮らした分『苦労をかけた』のだろうと思います。
000415(土)徒然に
最近「私を振返る」ことが多くなったように思います。
「歳のせい」と言うほどの歳でもなく、持病を得たせいではないかと考えています。もとより早死には望んでおらず、異形狭心症や睡眠時無呼吸症候群かもしれないけれど、これで「突然死の原因が二つ減った」と思っています。
昨日も2週間ごとの「定例診察日」で、聴診器を当てるでもなく、インターネットやHPの話にドクターと興じていました。

我が性情を振返るに「不精」の一語ではないかと思えます。
傍目には「仕事はきちんとし」納期をずらすが如く不始末もなく…ですが「ケツに火がつかなけりゃ」動かぬ癖がいつまでも直りません。
やれ「nageyariモードだ」等と嘯いていましたが、いよいよ『ケツに火がついて』来週から私は生き生きと蘇るでしょう。
まっ!そんな訳でこれから[OFF会]に行ってまいります。
まさに絶妙のタイミングではないか!(来週ではとても無理)私は遊びの天才なのです。

HPの更新も程々…
読書も程々…でも今年の読書量はすごいね!
おまけに『当り年』です。手当たり次第の購入ですが『ヒット』が多いのです。
今、手にしている本は−大島昌弘著「そろばん武士道」学陽書房−です。大島昌弘氏の本は始めてですが、いっぺんで好きになってしまいました。私の好きな「風景が浮かび上がる」美しい文体です。(良い本に当ると「儲けた」気持ちになります)
舞台は幕末の越前大野藩。80年分の借財を抱える藩を見事に立ち直らせた開明君主と下級藩士の物語です。

これを読みながら「面白い出来事」に思いを馳せていました。同時期に隣接して開明君主が続出していることです。隣藩「美濃松平家」では、銭屋五平(元加賀藩ご用商人)の残党を使い海外貿易(密貿易)で藩を立直しています。同じく隣藩「越前福井」では、松平春嶽公が土佐の山内容堂公と並んで幕末の日本をリードしています。
彼らは、そのまま「明治維新」に雪崩込んでいます。
あの時期「現:岐阜県及び福井県の山岳地帯」で、かような英君君臣が輩出した理由は何なのでしょうか?とっても興味ある発見でした。

ケツに火がついて…読書量が減るのは寂しいですね。
000416(日)葦毛湿原
念願かなって葦毛(いもう)湿原に行ってきました。
愛知県豊橋市の東の端、静岡県との県境にほど近いところに「葦毛湿原」があります。
私は、豊橋で高校生活(昭和37年春〜40年春)を過ごしたのですが、湿原の存在を知りませんでした。戦時中は、アメリカ軍の遠州灘上陸に備え「秘密基地」として、一般人立入禁止だったそうです。戦後はそんなことも無くなったのですが、「湿原の値打ち」がわからず水田として利用されていたそうです。
そんな訳で私は気付かなかったのですが、我が国も少しづつ豊かなになって「湿原を保存しよう」という運動が出来たました。

尾瀬や釧路に代表される湿原と成因が異なり、盆地の底が岩盤のために水分が浸透しないため「湿地」が出きており、このタイプの湿原としては日本最大級だそうです。標高60mにすぎないのに、ここでは四季を通じ高山植物を見ることが出来ます。それは、「水が入れ替わり」土の温度を下げるため、高山と同じ環境を作るためだそうです。

昨夜の雨も上がり、少し汗ばむ陽気の中「二人の専門家」のご案内で湿原を散策することが出来ました。
葦毛湿原の保存に尽力し、毎週HPで葦毛湿原の「今」を紹介してくださっている吉田様。湿原に続く「豊橋の裏山(デジカメ写真館)」で毎週「自然」をご紹介下さっている岡本様のお二人です。(ご両者とも当HPにリンクしています)
慣れない私は「驚くことばかり」です。
HPの写真で見る「美しい花」を通りすぎては「ここに咲いているのが…」と呼び止められます。
そうなんです、高山植物ってとても小さいのです。写真で見ていると「大きな花」をつい想像しています。小指の爪の半分ほどの「フモトスミレ」の可憐な花や、500円硬貨程の「ハルリンドウ」の群生…


『東海のミニ尾瀬』と称するようにけっして大きな湿原ではありませんが、湿原に通ずる「新緑がとっても綺麗な自然歩道」と合わせて『自然を満喫』出来ました。

写真(順番に):新緑の自然歩道・水辺の土手に咲くフモトスミレ・湿原に群生するハルリンドウ(高さ10cmくらい)3人の影が映ってしまいました・新旧のコシダが作る色模様が美しい
追記
葦毛(あしげ)と書いて「いもう」と読みます。
鎌倉幕府を作った源頼朝の「葦毛の愛馬」がここで死んだことからこの地名が出来たそうですが、なぜ「いもう」と呼ばれるのか?分らないそうです。
そこで、迷探偵高松が推理
します。
葦毛の『葦』と韋駄天の『韋』は、大きく書くと『葦』『韋』
このように違うのですが、略字で書くと『葦』『韋』で、実に良く似ています。
そこで『葦』の字を『韋』と間違って読み、「韋毛」→「いもう」となったのではないでしょうか?
000418(火)地下鉄にて
 その1
昨年の3月、私のサイトにこんなコラムを掲載しています。
 990313最近の報道から「JRと車椅子」
…車椅子の青年が「(彼が利用する)JR駅にエレベータがないのは、行動の自由を保障した憲法に違反する」として訴訟し、その判決が出た。JRの対応に問題もあったようで、憲法判断には触れなかったが、賠償金の支払いを命じている。障害者の面倒を「JRが行うのが当たり前」と言う前提での訴訟である。判決もこれを「是」としている。
−中略−
普遍性を述べるなら、この問題はどんな施設にも当てはまる内容である。私は類似の訴訟を恐れる…
  あれから1年と少しが過ぎ…
関西の鉄道は、身障者対応が大変進んでいると思います。特に大阪地下鉄は地上からホームまで『車椅子』で移動できるよう施設が整備されています。設備が整っただけではなく、車椅子の乗客に対しどのように対応しているか?を紹介します。
連絡を受けると、車椅子に2名、その前後の誘導役を合わせて4人一組で駅職員が対応します。まさに「そこのけそこのけ車椅子が通る」です。昨年の判決が出てから『腫れ物に触る』かの対応です。
普段は上がり専用のエスカレータが一旦止められ、車椅子をホームに下ろすため逆運転に切り替えられます。その間、エスカレータの上下に職員が付き、2名の職員により車椅子が降ろされて行きます。電車が来れば、入り口に乗込用の板が掛けられ、完了するまで電車は停止、4名の職員による見事な連携プレイです。
着駅では4名の駅員で出迎え、逆の手順で地上に送られていきます。完璧な対応です。
試みに「お手伝いしましょうか…」と申し出れば「駅員で行いますので!」と断られます。


『鉄道会社が対応するのが当たり前』との判決の結果がこの有様です。
小さな駅では、車椅子の対応に追われ「駅業務がストップ」します。本来、乗客のボランティアで行われるべき行為が「駅員で行いますので!」に置換えられる歪みが起きているのです。
弱者の言い分に「耳を傾けた」かの如くの判決が、正常なボランティア活動を阻止してしまったことを、あの裁判官は気付いているのでしょうか?
英断である!と持ち上げたマスコミ各社は、この憂うべき現象をどのように見ているのでしょうか?何時も一方通行で、リカバーしないマスコミの姿勢に問題を感じています。


蛇足ですが、この話には『落ち』があります。
車椅子を搬送するため、駅員がエスカレータの逆送運転を始めた瞬間、何を勘違いしたのか若い女の子が「ちゃっかり乗ってしまった」のです。駅員も、エスカレータを車椅子に譲った乗客も呆然と見ていました。こんな理解しがたい若者もいるからこそ「駅員で行いますので!」が必要なのかと、苦笑いながら暗い気持ちになりました。

 その2
地下鉄の吊広告に、痴漢行為を働いたとして起訴された男性が、2年間の法廷闘争の末「無罪を勝ち取った」記事が載っていました。この場合、被害にあった女性が小柄で、犯人とされた男性が長身であったことから、女性の申し立てにある「痴漢行為は物理的に無理」として、無罪判決が出されました。言わば『不幸中の幸い』と言うべきことでした。


随分昔の出来事ですが、私も地下鉄の中で、突然「この人痴漢です!」と名指しされてしまったことがあります。勿論事実無根なのですが、「無罪の証明をする術がない」ことに愕然としたことを覚えています。
痴漢行為は恥ずべきことです。しかし、冤罪を晴らすことは容易でありません。私は屈辱を味わった以降「10時始業」の事務所に変え、ラッシュアワーを避けるようにしました。それでも仕事の都合でラッシュに乗るときは『ホールドアップ』態勢です。悪人顔でSKB顔の私にできる唯一の自衛手段です。
000420(木)里山と山桜
戦前、朝鮮を併合していたことがあります。後に我が国が怨嗟の的となる出来事です。
植民地政策の最初に、朝鮮総督府は『朝鮮全土に植林』を行っています。緑なす祖国から見て、禿山の大地がひどく奇異に見えたのでしょう。恨みの対象となった植民地行政の中で「ささやかな善行」の一つと思います。
我が国は、昔も今も「緑なす祖国」です。自然保護団体から何かと非難を受けていますが、我が国は世界有数の森林国です。そこで今日は『自然としての緑』について触れてみようと思います。


我が国には古来より「里山」と言う概念があります。
読んで字の如く「山(動植物)の世界」と「里(人間)の世界」の接点が里山でした。そこでは、人間も生態系の一部となって『自然を維持』してきたのです。
里山には「入会権」があり、そこで「下枝を払い下草を刈った」のです。それが、童話に出てくる「じいさんは山に柴刈りに…」と言われた風景なのです。
いりあい‐けん【入会権】入会地を利用する権利。
いりあい‐ち【入会地】一定の人々のあいだで入会の権利が設定されている山野・漁場など。

里山から先は「奥山」で「神の領域で」です。そこで活動できるのは「マタギ」と呼ばれた山の民だけでした。
そこで、お尋ねします。
自然としての緑を捉えるとき、何をイメージされるでしょうか?
人跡未踏の山奥を「自然」として身近に感じるでしょうか?
もし、間違っていればご指摘頂きたいのですが、私は「触れることが出来る森林」こそ『自然の対象』だと思うのです…つまり、今様に
感字で書けば「親林」になろうかと思います。この親林こそ「里山」であり、自然であったと私は思っていますが、皆様はいかがでしょうか?
現在進行中の物件に関し、行政の公園課と協議がありました。
公園課の係長氏は「自然を守るため、木一本切らせない」と大見得を切ったのです。行政の人事で公園課に配属になったであろう係長氏の「自然とは」は『何もしないこと』のようです。
プロパンの普及が「山へ柴刈りに」の必要をなくしたため、里山の生態系から人間が抜けてしまいました。その結果、我々が最も身近に感じる自然「雑木林」が一気に衰退したのです。ある林が「天然記念物」に指定され、人間の立入を一切禁止したところ「枯れて絶滅」したケースもあるのです。
建築屋は何時も『自然の破壊者』とみなされ、糾弾を受けています。
しかし、私は自然が好きで、自然を大切にしたいと願っています。ただ「木一本切らせない」という自然ではなく、人間と共生できる『親林』であり「里山」のであって欲しいのです。

葦毛湿原に通じる自然道脇の草むらに腰を下ろし、コンビニで買い求めた握り飯をほおばりながら、自然を愛する岡本(豊橋の裏山)吉田(葦毛湿原)両氏と、こんな『自然談義』に花を咲かせるOFF会(000416)でした。
新緑がまぶしい木々に混じり「山桜」が咲いています。適度に花と葉が混じった山桜は、染井吉野のように『春を独占』していません。この調和がとっても印象的でした。
000421(金)姥桜
うば‐ざくら【姥桜】葉(歯)なしの桜の意からという
〓葉に先立って花を開く桜の通俗的総称。ヒガンザクラ・ウバヒガンなど。
〓娘盛りが過ぎてもなお美しさが残っている年増。女盛りの年増。
 浄、賀古教信「小町桜も老いぬれば身は百歳の―」

のっけに『姥桜』で恐縮ですが、決して世の女性を揶揄している訳ではありません。姥桜の語源に興味があり、ご紹介しました。

広辞苑にあるように「葉(歯)なしの桜の意」が語源で「葉が出る前に咲く桜」をさしています。このような、誉め言葉と思えない語源をもつと言うことは、古人は「葉が出る前に咲く桜」を歓迎していなかったことが分ります。
現代では、染井吉野を代表とする「葉が出る前に咲く桜」の全盛時代です。これは明治時代に、葉が出る前に咲く「染井吉野」が『ひときわ豪華だ』という理由で、増産植樹されたためです。今では、我が国の国花にもなっています。

どうも、文明開花を境に『美の基準』が変わったのでは?と言う疑問が出てきます。
昨日のエッセイで触れたように、100%自然に中に入ると葉無しの桜は『春を独占』するかのようで、奥ゆかしさを感じません。古人は、春の訪れを新緑と分かち合う山桜の系列に「清楚な美」を感じていたのではないでしょうか…

ついでで触れておきます。
第2の意味に「娘盛りが過ぎてもなお美しさが残っている年増」とありますが、これを「そのまま」受け取ると大変な間違いになります。江戸時代まで、14〜15歳で婚姻するのが普通で、後に「番茶も出花」と唄われた18歳は婚期遅れ、二十歳を過ぎればオールドミスで「姥桜」と評されたのです。何せ、30歳を過ぎれば「閨を遠慮」と称し、SEXの対象から外された時代の表現です。
現代ならば、結婚する前に全員「姥桜」になっていることになります。昔の人は早熟だったのでしょうか?それとも単に「ロリコン」だったのでしょうか… 
000425(火)バリヤフリーの現状
ケアハウス(軽費老人ホーム)の入居者条件を簡単に言えば「65歳以上の健常者で生活費負担に耐えられる人」となります。一見分りやすい条件ですが『健常者とは?』の定義が曖昧で、ケアハウスを真剣に捉えようとすれば、悩まされる要素となっています。

年齢と共に身体能力の低下が起きるのは当然のことです。
だから、65歳以上の方に「20代と同じ健康」を求めるのは論外だと多くの方にご納得いただけると思います。つまり「60代の健康」とか「70代の健康」があるわけです。このように考えてくると、施設側が『どこまで健常者と考えるか』によって変わってくることが分ります。で、健常者の条件を段階別に書き出してみます…
 1.若者同等の身体能力を有している
 2.自力歩行できる
 3.手摺や杖があれば自力歩行できる
 4.車椅子があれば、支援無しで行動できる
 5.補助器具と支援があれば行動できる
 6.介護があれば動ける(無くては動けない)
この他、車椅子のお世話にならずに行動できても「視力や聴力の衰え」など外形上の健康だけでは判断できない機能低下があります。
これらの段階によって、ハード(施設作り)がかなり変わってきます。
「6」のケースは他の施設に委ねるべきことと思います。
「5」のケースはかなり悩ましいでしょうね。健常者と、かなり密度の高い『介護施設』の要素を併せ持つ必要があります。
「4」以下のケースは、絶対対応すべきことと考えています。

随分長い前置きとなりました。本題に入ります。
先週、インテックス大阪で「バリヤフリー展(4/20〜23)」がありました。現在進行形のケアハウスのほか『総合リハビリセンター』の構想を纏める仕事があり、その資料集めも兼ねて行ってきました。感想を言えば「期待したほどでもなかった」と言うところです。

さすがは『技術立国・日本』です。電動の昇降式キッチンや洗面台、あるいは電動ベッドなど、値段を無視すれば良い商品が揃っていました。反面、消耗品に近い日常用品では「大げさ過ぎて」却って使いづらいものが多いように思いました。アセアンから出品された「どこかいい加減な」商品の方が軽くて使いやすかったりしまします。

もっと「現場を知って欲しい」と思う商品もありました。
車椅子は、浴室・トイレ用(一部兼用品もある)のほか、一般の車椅子になります。手動電動の差はあっても「屋内専用の車椅子」がありません。
何らかで自力歩行する方には、クッションがあり、転んでも衝撃を吸収できる床材が望ましいのに、車椅子は「出来るだけ固い床」が走行しやすいのです。まるで反する条件です。
先ほどの、ケアハウスの『健常者の定義』を思い出して下さい。
車椅子程度は健常者の範疇と捕らえても、ケアハウスでは車椅子利用者より、自力歩行の方のがずっと多いのです。
そこで、床材はどちらに対応すれば良いか、専門家に相談をしてみました。研究によれば「カーペット上で車椅子を走行させるには2倍のパワーが必要」だそうで、少数派でも『椅子対応するべきだ』と言うご意見でした。
カーペットの弾性と外部走行用のゴムタイヤの相乗効果で、大変な摩擦が生じているだろうことがわかります。ならば、室内専用に固い材質の「歯車状の車輪」を開発し、接地抵抗を減らした(カーペット上でも軽い)商品を開発出来そうに思います。そうすれば『歩行者に優しい床材』の選択が出来ます。

ついでで苦言を呈せば「介護用品」と名が付く商品は高すぎると思います。
電動自転車が6万円で買える時代に、アルミパイプ製の軽量車椅子が9万円もします。まるで『葵の印籠』みたいに「車椅子様」と言った扱いで、自力歩行に努力する方の「快適に歩く権利」を奪っているように思えてなりません。もっと共存できる研究をして欲しいものです。

バリヤフリー展でも一つ「現場を知って欲しい」と思う商品がありました。
冒頭で述べたように、視力聴力の衰えは老化現象として避け難い機能低下です。施設のハード面の対応が、とかく「見えること」に集中しがちで、当然付随して起きる機能低下に目が行っていない恨みがあります。
視力低下の方に対応する商品で「フラッシュライト」があります。これは、強い光の点滅を信号に利用するものです。また聴力低下(又は障害)の方に対応する商品に「振動装置」があります。当然必要な設備ですが、工夫が行き届いていません。
施設側からフラッシュライトやバイブレーターで信号を送るなら、「了解した」という回答信号が何故送れないのか?訊ねてみました。「全く考えておらず、開発もされていない」と言うことでした。どこか思慮不足を感じてしまいます。

バリヤフリー展に、サッシメーカーが1社も参加していませんでした。
行動の自由を確保する第1歩に「出入り口のバリヤフリー」が大切なことは誰でも分ると思うのですが、サッシメーカーが参加していないことでも「認識の遅れ」を感じます。

先日も某大手サッシメーカーを呼んで『バリヤフリーサッシの開発』を依頼しました。000228「特養見聞録」で書いたように、スーパーゼネコンの施工でも、既存サッシの一部を改造して使用しています。そのため「苦労した割りに効果が出ていない」のが現状です。前出の某メーカーも私からの依頼が始めてで、このような事態が起きていることを「知らなかった」という迂闊さです。
同様に、見聞録で指摘した「バルコニーの欠陥」も、某フリーアクセスメーカーに「バルコニー用」の開発を依頼しています。現状でも、苦労して二重床にしているのだから、フリーアクセスで完全フラット化を実現すれば良いと思います。

現実にこのように悩んでおり、昨日、解決策を求めて「兵庫県立総合リハビリセンター」内にある「兵庫県立福祉のまちつくり工学研究所」に坂東先生(博士)をおたずねしました。
お話を伺いながら施設の見学をさせて頂いたのですが、残念ながら『解決策』は模索中でした。実験棟内の、実験ハウスを見て「ほとんど同じレベル」の悩みであることが分りました。研究者や設計者だけではなく、広くメーカーの参加を仰ぎ解決策を模索する必要がありそうに感じた次第です。
000429(土)痛飲皆勤賞
久しぶりの忙しさで、サイト更新もままならずと言ったところです。
今日は土曜日、ゴールデンウイークの始まりです。溜まっていた『眠気』を朝寝坊で少し解消し、これまた溜まっていたメールの返事を出しました。GWも仕事三昧になりそうですが、適当に『休憩』は入れていこうと思っています。

ハナミズキが満開です。
ツツジが咲き始めました。
イチョウの街路樹もすっかり新緑をたたえています。

自然のうつろいにも気付かないほど「仕事に浸かっていた」のかと、愕然としています。

私の1週間を紹介します。
 000424 
普段より早く出勤。午前中に「打合せ資料」を作り、午後から見学会。
抜歯痕縫合の一部が裂け出血が止まらず、歯科に。止血後約束のスナックに向かう。痛飲

 000425
神戸で10:00から打合せ。早朝に家を出る。
そのまま次の打合せ場所に移動17:30帰社。翌日の調査のため資料作り。Sさんと私にかおりの3人で『焼き鳥でいっぱい』

 000426
早朝から役所に調査へ。その後、外装材選択のためクライアントと某社ショールームに。
仕事に切りをつけ19:30からAさんと会食。その後雪崩れるように痛飲。沈没(ホテル泊)
 いきつけのお店で
F銀行の巣窟みたいになっています。この日も、入れ替わり立ち代り現役やらOBがやってきます。この日、東京の本店会議から帰ったと言うご人が怪気炎を上げ出しました。それによれば、さくらと住友銀行が合併を1年早めると言う発表に刺激を受けた頭取が「ハッパをかける演説」をしたそうです。で、『オッサンなにを興奮してんねん』と思ったそうです。彼に言わせれば『銀行は永遠なり』だそうで、危機感など持つ必要は無いそうです。
D・F・K銀行が統合を目指し、世界での生き残りを賭けている反面、本店会議に出席する人物のこの認識やいかに!
自動車業界の世界再編の嵐を「他山の石」とするか「対岸の火事」とみなすか…

021107追記 3行は今「みずほ銀行」となっている。ちなみに、当時この店を根城にした連中は誰も「みずほ」に残ってはいない。
 000427
17:30福祉チームと打合せ。激論後、会食痛飲。午前様
私はケアハウスの勉強中で、特別養護老人ホームや老健施設を論じる資格はありません。
今や「全国から意見を求めてやってくる」存在となった福祉チームですが、それなりにストレスがあるようです。彼らが目指す理想は『建築の壁』に押し潰されることが多いそうです。どうしても『芸術』に走る傾向があるようで『お年寄の性向』と言う視点に欠けた建物になりがちとか。「なんで私達の意見を聞きに来たのか?」疑問に思ってしまうそうです。
これは、私に取っても『耳に痛い』話です。
ただ、福祉チームに表現力が欠ける部分があり、彼らの理想を理解するには、相当の努力が必要なことも事実です。「いかに素晴らしい見識でも、それを知らしめる術を持たない」のは、「ない」と同じであることを論じました。
場所を変え、酒の勢いで怪気炎を上げながら、なお延々と『福祉はこうあるべきだ』と続きます。素晴らしき仲間達よ…

 000428
どうしても「時間を取って」と言う申し出があり、朝一で診療所に。心臓やアトピーの薬を受取って事務所に。ギリギリセーフ
13:00仲間がやってきました。事務所で用事を済ませ(場所を利用していた)日暮れて会食となった。男3人女1人、全員今年中に53歳を迎える同年です。
Fさん(女性)は、九死に一生を得る大病で離婚し、長期療養中に知合った男性と再婚しています。実はこんなに単純な話ではなく、波乱万丈と言って差し支えないドラマがありました。そんな訳でちょっと変わった生活感の持ち主です。
Oさんは会計事務所の先生、当サイトに度々出場頂いています。「変わり者」と言う意味なら人後に落ちない人です。会計顧問と言う「無責任な職業」から足を洗うことを願い、「ホームレス願望」を持ち、失業を夢見ています。様々な職業を体験しながら『一度も独立を目指したことが無い』と言う、強固な意志の持ち主です。
Mさんは、大阪商人の典型を見るような人物です。商売に関し「特殊な嗅覚」を持ち、この不況化で大阪営業所から大阪支店に昇格させ、その支店長に納まったやり手です。ただ、サラリーマンと言う枠組を絶対壊さない人で「自由を犠牲にして金を貯めた」と公言しています。また、老後は『好き勝手に生きる』と宣言しています。
残る私は、なによりも『自由』を大切にして生きてきました。お陰で何時も『経済危機』に見まわれています。4人が、場所を代え『酒を飲んで』います。これだけ生き様が違うのに、互いに非難も強制もしません。これもまた愉快な仲間達よ…
「今週の運勢」そのままに、夜討(仕事絡みの痛飲)朝駈(仕事)と多忙に過ぎた1週間でした。痛飲皆勤賞。結構幸せ感じています。
000430(日)ふるさとを創らぬ結婚
アメリカンビューティーと言う映画が大ヒットしているそうです。
ここで描かれているのは『家族崩壊』の姿とか…10年遅れの日本と言った傾向があり、わが国も「いずれこうなる」と言う意見がありますが、私は「それ以前」と感じています。

先般の姪の結婚祝いに「結婚することは『ふるさと』を創ること」と思うとメッセージを贈りました。あくまで私の感覚ですが…
早くに故郷を離れ、親兄弟の反対を押切り若くして結婚した私は、家庭と言う名の「ふるさと」を創る必要がありました。仮に、皆に祝福されての結婚だっととしても、距離や経済状態と言った物理的条件で「実家に頼る」ことは出来なかったからです。
一般に晩婚となっていますが、当事者には「焦り」もあるようで、決してのんびりしている訳ではないようです。じゃあ『真剣に考えている』かと言えば、とてもそうとは思えません。言わば『憧れて』と言った程度です。
結婚に際し「我慢せず、嫌になったら帰っておいで」と送り出す親が多いそうです。当事者も、結婚を『単身赴任か出張』程度に考えている場合が多く、子供が出来ても「一家を構えた」と言う意識は無いようです。
婚姻届を出すと「新しい戸籍」が与えあられます。本籍地も自由に選ぶことが出来ます、これは「一家(ふるさと)を創設」することに対する処置です。つまり、結婚する二人が創設者であり「生活の核になる」ことに他なりません。
週末を実家(嫁方)で過ごす夫婦が多いそうです。何かあれば実家に帰り、子供を預けて出かけると言ったことで、何時までたっても自立(生活の核にならない)しません。
以前ご紹介した「家族依存症」では人間形成上深刻な問題として扱っています。
結婚し子供が出来ても「一家(ふるさと)を創設」できず、当人は『私のふるさとはココ(実家)よ』と満足げで、問題視していません。しかし、ベビーから見れば生まれた場所が「ふるさとではない」と、親から教えられているようで、アイデンティティーの持てない子供に育ってしまう障害が出てきます。
 1番実家・2番夫婦・3番子供…
私が感じる「大切」な順序です。精神的に実家に依存するだけではなく、実家がベビーシッターとしてちゃっかり利用されています。若い夫婦を見て、その行動からとても子供好きとは思えないことが多いのです。

妙に難しい話になってきましたが、私は家庭崩壊以前の状態だと思っています。それは…
夫婦はいつも実家に顔を向け「一番大切な場所が我が家ではない」からです。つまり、崩壊の対象となる『家庭』すら築かない家族(夫婦があり子供ができる)が多いのです。
変な世界ですね。
大家族制度が崩れ、核家族化の進行しました。家族がお年寄の世話をする「家庭介護」が衰退し、介護保健などと言う制度でしか介護が出来ない世の中になったのに、年寄が「我が子や孫」の面倒を見る「逆家庭介護」は大繁盛です。
彼らはふるさとを創らず、大家族と核家族の「いいとこ取り」をするだけで、健全な次世代を育てていません。いつか彼ら自身が、次世代からしっぺ返しを受けるだろう。


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