dogfight高松の長すぎるひとり言
2000年3月

人工栽培ベン・ケーシー民間療法キャリアの本音プレステ2狭山池3昔話の裏側老後の趣味白醤油公序良俗と悪い奴方円墳姪の結婚式医薬分業/定年公園のすずめnageyariモード命名のルールと那須与一子育て記時価会計建築基準法の横顔ご職業は?唱歌とスタンダードナンバーサラリーマン哀歌陰陽師在宅勤務
000302(木)人工栽培
先月ご紹介しました本で、1901年(明治34年)正月の報知新聞が「未来の夢」をこんな風に予測(000215未来予測)していたことを覚えていらっしゃいますか?
数ある予測の中に「電気の力で野菜が成長する」と言うものがありました。これに関し、現実はどこまで農業の『工業化』は進んだのか興味深い報告がありました。
  
産経新聞社「未来史閲覧」から『工場産コシヒカリ』
芋類は『土の圧力』が育成に大事だそうで、水耕栽培に向いていないようです。それ以外では、野菜や穀類など人工栽培が可能だそうです。ただ、コストがまだ高く露地物ほど普及していません。人工栽培のメリットは、
 ・多毛作ができる(穀類で年4回、野菜で6回以上)
 ・含有される栄養分の高密度化など(赤と緑の波長で)コントロールができる
 ・衛生的で、3K的要素はない
 ・人工的環境の整備ができれば場所や季節を問わない
 ・何よりも鮮度良く供給(消費地で作れる)でき、試食テストも露地物を上回る評価

コスト面を除けば、技術開発はほぼ終わったようです。
キューピーが所有する完全人工栽培プラントでは、温度湿度光をコントロールし、多重層で栽培しているそうです。さぞ、農業関係者の訪問が多かろうと思うのですが、それ以上に『特殊な分野』で注目されたそうです。
 ・アメリカ海軍「潜水艦の中で栽培できないか」
 ・ロシヤ陸軍「シベリヤの兵舎で栽培できないか」
 ・中国陸軍「砂漠の各ミサイル部隊に野菜を」
やがて「お金で食料が買えない」時代が来るかもしれません。人工栽培技術開発の動機は「そんな時、我が国を危機から救うため」だったそうですが、意外な方面から注目を受けたようです。


人工栽培がコストダウンに成功すれば、農地は不要か?
たしかに、不要な農地が安価に供給されれば、様々な産業分野でコストダウンに繋がります。しかし、水田の持つ『ダム効果』を無視できません。
我が国の食料生産を全て工場に切りかえることは『環境問題を起こす』ことになります。『環境を守る農地』と言う概念を、今から確立しておきたいものです。
000203(金)雛祭りベン・ケーシー
若い人には馴染みが無いかと思いますが、テレビがまだ『白黒』だった頃、アメリカで大ヒットし日本でも人気を博した番組に「ベン・ケーシー」がありました。ベン・ケーシーは有能な医者で難病や大怪我をたちどころに治療して行く、言わば医療のスーパーマンでした。

何でこんなことを言い出したか…分けがあるのです。
全く偶然ですが、2冊の本を続けて読んでいます。それは、
 ・「歴史」の意外な結末(事件・人物の隠された「その後」)日本博学倶楽部/PHP文庫で
  その中に100年前の未来予測が載っています。
 ・産経新聞社「未来史閲覧」で、現在の先端技術を紹介し未来を予測しています。
この2冊のお陰で「100年前に予測されたことがどこまで実現したか」を知ることが出来たのです。もっとも、未来史閲覧に「100年前の予測云々」が出てきますから、同書もこの記事をかなり意識していたことが分かります。

ベン・ケーシーが活躍したのは30年以上も前です。医療のことは素人ですが、あの頃スーパーマンだったベン・ケーシーの治療法は『今だったら当り前の方法』かもしれないと思ったのです。もし現役の医師が今「ベン・ケーシー」を見たらどんな感想を持つだろうかと想像し、チョット微笑んでいました。

日頃コンピュータのお世話になっている立場から…
随分昔のSF映画にもコンピュータが出てきます。スタイルは陳腐化して見えるのに、機能面では「高度な人工知能を有し音声認識で動く」など、まだ実用化できていない分野も多くて面白いですね。案外「憧れ」は普遍的で前進する原動力かもしれません。

100年後の人達が振り返って「我々の時代を見たら」何と思うのでしょう?ちょっとタイムマシンに乗ってみたくはありませんか!
000204(土)民間療法
先日「ステロイド脱却作戦(000229)」を掲載したところ、KY様からこんなありがたいメールを頂きました。
私の祖母が以前、2,3人の方を治したことがあります。漢方ではないのですが、それに近いものだと思います。
アトピー性皮膚炎だけではないと思いますが「大根の葉を乾燥させ、それで入浴する。」量はA4ぐらいの袋にいっぱいです。毎日新しいものです。1ヶ月目ぐらいから改善されるようです。
なぜ治るかの根拠はありません。(昔から皮膚病に効くらしいです)1人の人は、私も見ています。確かに治りました。(小学生でした)
私も入ったことがありますが、チョット臭いだけで、なれれば気になりませんでした。
何とも心温まるメールから、様々なことを想像してしまいました。
きっと、祖母上様はご近所から「頼り」にされていた人だと思います。昔からの伝承をいっぱい知っていて「何かあれば相談を受ける」そんな人だったと思います。大根がいっぱい取れる田園風景…長老と呼ばれ尊敬を受けたおばば様が縁側の日溜りに座る風景。古き良き日本の景色を思い出してしまいました。

折角のありがたいアドバイスですが、大根葉がほとんど手に入りません。息子は寮生活をしており、共同浴場の大根葉を入れるわけにも参りません。結婚したら(マイホームを持ったら)試してみたいと思います。

以前「北の新地(大阪の繁華街)のママさん」が、アトピーを克服した時の話しを聞いたことがあります。蜂蜜と塩に酢を混ぜたどろどろの液体を体に塗り、5分ほどしたら浴槽に入って暖まり、洗い落とさずに出るというものでした。塩も酢も特殊なものを使用するため『原価が高そう』ですし、毎日風呂も衣類も『べたべた』で後の手入れが大変そうです。そんな訳で『試さず』にいます。

現代医学がなかなか克服できないアトピーですが、様々な民間療法があるようです。
それぞれ体験を基にしているだけに説得力があるのですが、体質により効果に差が出るようです。
今日ご紹介した『大根葉療法』って、すごく効きそうに思いませんか!
大根葉の栄養価が高いことは良く知られています。それが乾燥により『濃縮』されるのではないでしょうか?民間療法を馬鹿にせず、医学的に研究して欲しいと思っています。
000204(土)キャリアの本音
新潟で、10年近く監禁されていた女性が救出されました。
この事件は、救出劇以外に『とんでもない副産物』を生み出しました。それは、我が国の官僚組織のあり方を問うものでした。

キャリア【career】(広辞苑より)
〓(職業・生涯の)経歴。
〓専門的技能を要する職業についていること。
〓国家公務員試験〓種(上級甲)合格者で、本庁に採用されている者。「―組」

我が国では『600名余りのキャリア組』により、官僚トップが占められています。「息子が警察所長で親父は万年デカ」と言った、笑えない笑い話がでる根拠が「キャリア制度」です。

全国各地で続く警察の不祥事の裏側にも『キャリア』が深く関与しています。僅か10年ほど地方のドサまわり(と言っても署長や本部長と言った地方のトップ)をして、中央に戻って行きますが、その間『無傷』で過ごすことが出世競争に生き残る条件になっています。そのため、事件に蓋をして『無傷』を演出する必要に迫られるのです。

神奈川県警の不祥事は「目に余る」としてマスコミの糾弾を浴びたことから『特別監査』を実施することになりました。ところが皮肉なことに特別監査が「新潟県警の不祥事」の引金になってしまいました。

再三にわたる、出動要請でやっと重い腰を上げた新潟県警は、病院で保護された女性が『約10年前に拉致され行方不明になっていた』被害者であることが分り、一躍マスコミの注目を浴びることになりました。病院からの出動要請を断ったことなど『おくびにも出さず』警察の手柄とばかり記者会見を開いた席に本部長がいなかったのです。
後日「出動要請を断った」ことが発覚し「嘘の記者会見」として糾弾されました。そこで、このような重大事件に『何故本部長が同席しなかったのか?』が取り沙汰され、更に意外な事実が公にされました。このとき、新潟県警には『特別監査』が入っていたのです。監査する人と、監査される人が仲良く「旅館で料理を囲み」酒に、マージャンと饗応を尽くし、翌日は「鶴の舞い降りる湖見学」に同行しています。


本部長が県警に顔を出したのは、事件発生4日後のことでした。
このことをマスコミが糾弾し、世間が怒ったのですが、本部長の論理では『何故怒るのか?』怪訝なことではなかったかと推察します。
キャリアの本部長にすれば、新潟県警は『ほんの腰掛』で、通過するところに過ぎません。監査に訪れた先輩キャリアの印象を悪くすれば『出世の道が閉ざされる』のです。本部長の本能は「事件より饗応が大切」と告げていたのでしょう。このような思考回路を持てない人は『キャリア』にはなれないのです。

警察を監視するオンブズマンの『国家公安委員会』は、警察機構から時間給10万円を貰っており、正常な意見など出せる筈もありません。国家公安委員会のだした、『お咎めなし』の裁定に、国民がまた怒ったことは言うまでもありません。彼らもまたキャリアなのです。
キャリアとは、世間と違う『価値基準』を持つ人種と思うべきかもしれません。
出世こそ全ての彼らにとって、世間の事件など『どうでもよいこと』なのです。
きっと『馬鹿なマスコミと世間が騒いでいる』と嘯いているでしょう…
000305(日)プレステ2
昨日、ソニーより「プレイステーション2」が発売されました。
2日間で100万台の発売予定だそうです。プレステ2は「ゲーム機」と言うより『ゲームも出来る』と考えた方がよさそうです。

メディアにDVDを採用し4万円を僅かに切る値段が、様々な波紋を呼んでいます。DVDは、松下電気が長年掛けて商品化したものです。まだまだ高価な装置と思っていたら、ソニーがゲーム機に格安で組込んでしまったのです。「開発者利益」を目論んでいたであろうに、そんなチャンスを一瞬で奪ってしまいました。
プレステ2は、DVD再生機としても利用できるのです。
レンタルショップの形態を大きく変える要素を持っています。ゲーム機と言う形式にしろ、一気にDVDが100万台も普及するのです。その結果、ビデオテープからDVDにシフト出来る状況を作ったのです。


私は最近、レンタルビデオショップの増設工事を担当しました。
1000uの店舗ですが、大型化の波の中では『中規模店舗』に過ぎないそうです。ところが、DVDに置き換えが出来れば、ビデオ1本分の容積にDVDなら4本は入りそうです。つまり、店の集積率が飛躍的に向上し、メディアを中継するシステム(レンタルショップ)を根本から変える要素を持っているのです。

プレステ2は『インターネット』も視野に入れています。
ソニーは通信衛星を持つ構想(近々実現)があり、NTTを利用せずにインターネットが出来るシステムを狙っています。そのとき、プレステ2に「衛星と結ぶ端末機」としての地位を与えているのです。
インターネット専用機(コンピュータ)が15万円程度の値段で売れ行き高調です。でも、4万円弱のプレステ2に取って変わられる日はそんなに遠くないでしょう。

ここに見る発想は、携帯電話の普及に似ています。機器の値段を極端に下げ、普及(シェア確保)後の利用料金収入を目論んでいることは明白です。ライバル各社は「泰然」を装っていますが、内心「戦々恐々」といったところでしょう。日本人離れしたソニー構想に乾杯。
000206(月)狭山池3/昔話の裏側/老後の趣味
 狭山池3
昨日(日曜日)の天気予報は『雨』でしたが、実際には曇り時々晴れで推移しました。
普段はバスを利用するのですが、家内の「買い物」付合う形でぶらぶらと歩いて行きました。実は目的があったのです。バスの車窓から見える狭山池の工事はどうやら「大詰め」らしいので、ゆっくり眺めてみたかったのです。
そんな訳で、990831狭山池、990901狭山池2に続くお話しです。

相変わらず「何時完成します」と言うアナウンスが無いため、はっきりと分らないのですが「竣工が近づいたか…」といった感じです。
狭山池ダム記念館(写真中央よりやや左の建物)は、まだ未公開ですがどうやら完成?したらしい。
護岸は防水をした上に石を敷き詰める作業に入っており、 最終的に「親水公園」に整備される予定です。池周辺の公園化に伴う遊歩道整備の橋も工事半ばで、春にはまだ無理でしょうが、夏ごろ『全て竣工』と言ったペースに見えます。


私など、竣工を結構楽しみにしているのですが、どうして「PR」しないのでしょうか?事業主体は『大阪府』ですが、大阪狭山で工事をしているのだから、地元自治体としても市民にもう少し「広報」しても良いのではないでしょうか。
この按配では、竣工のセレモニー等『市民は全く知らない』うちに終わってしまいそうです。

写真中央より右側に見えるのが「狭山遊園」です。
南海電鉄が経営していたのですが、不振で売却されたように聞いています。一説によれば『大阪狭山市が購入』との噂もありましたが定かではありません。いずれにしろ、親水公園の「中核施設」の位置付けがおかしくない「狭山遊園の去就」がまるで情報として入ってこない不思議(行政の怠慢)さがあります。

いまさら、狭山池の「ダム化工事が必要だったのか!?」と言った蒸し返しはしないけれど、危機に瀕した自治体財政運営の中で、巨費と時間を費やした工事の推移(内容や時期)を全く地元住民に知らさないやり方に、疑問を呈するのは「ケシカラン」ことでしょうか?
一体何時になったら、「知らしむべからずの官尊民婢」思想が抜けるのでしょうか…

 昔話の裏側
我が家は時として「アホな話」で盛り上がる、今日は昔話がまな板に乗りました。


「竹取物語のかぐや姫は『月の人』やったんやろ、それがナンで竹の中におんねん」

たしかにそうだ、月の人らなら、天女のように空から舞い降りるほうが自然です。竹の中に封印されている必然性が全くありません。
「第一、誰も竹を割らんかったらどないなるねん」
「そら、窒素するとちゃうか」
「それより、割り方が悪かったら、胴体真っ二つや…」
とんだ竹取物語になりました。


「桃太郎に出てくる鬼って、悪やったんやろか?」
「そやな…『鬼が悪さした』いう、説明ないな」
「第一、鬼の持っとった宝物な、『盗んだ』もの言うシュチエーションがないやん」
「ほなら、桃太郎は鬼の宝物奪ったんか?」
「それに、桃太郎一人にやられる鬼って強うないやン」
「あれ、侵略とちゃうか!」
「そう言えば、桃太郎が持ちかえった宝物な…『皆で分けた』ちゅう話ないな」

素直ではない我が家の住人の話しです、気にしないで下さい。
でも「昔話」って、強者が弱者に対して取った強引な行為を『正当化』する手法だったかもしれませんね…

 老後の趣味
前橋に住む姉からメールが届きました。内容は、
写真、バードウオッチングと4月から1年間沼田の奥、片品村で猛禽類の調査に入ります。営林署の委託ですが、環境の変化で野生の動物の生活が脅かされているからです、そのための調査です。元気なうちに色々経験したいと思い毎日張りきっています。
姉はもう『還暦』を迎えたはずです。歳を取って「趣味を持つ大切さ」を痛切に感じています。私は5人兄弟の末っ子ですが、3人がアドレスを持ち「メールのやり取り」をしています。これって、こんな時代でも案外珍しいことかもしれません。

昨年の春、多くの方の要望を受け「近畿探訪」をしました。
近畿一円にある、歴史的な場所を訪れ「風景と美食」を楽しむものでした。その時使用した「ご案内」の文章が、当HPの『近畿探訪』として収録されています。

ある時の催しに、顔を合わすことはあっても挨拶以上の言葉を交わしたことのないTさんが参加されました。Tさんは「東大卒業・某大手商社勤務」が自慢で、周りから決して評判の良い方ではありませんでした。
そこは、幹事の勤めです。出来るだけ、Tさんの側で『独りぼっち』にならないよう気配りをしたのです。そのうち、私はTさんの寂しさに気付きました。生真面目なTさんは、庶民のレベルで話をすることが「不得意なだけだった」のではと思えるようになりました。
Tさんは今、定年を迎えどうなさっているのでしょうか?
あの時、勉強と仕事に明け暮れ『趣味をもたないまま定年を迎える』寂しさを嘆いていらっしゃいました。「こんな良いところがあることを、何で今まで知らなかったのだろう…」Tさんの言葉です。

今年もまもなく「春」を迎えます。多くの方から、去年の続きを頼まれています。どうしようかな…
000209(木)白醤油
私は「偽関東人」と言った目で見られることがあります。
理由は私の話し言葉にあります。生まれ育った言葉を話しているだけなのに、何故か『関東言葉を気取って…』と取られるようです。

何度も申し上げていることですが、戦国の世に「秀吉の命令で徳川家康は、江戸に領地換え」になりました。その折三河武士団を引連れ『江戸討ち入り』をしています。この三河こそ私の生まれ故郷です。つまり、江戸文化の根っこは『三河』にあり、更に江戸文化を継承する関東文化の根っこでもあるのです。
この話しをすると、無視されるか、私一流のジョークと取られるかいずれかで、誰もまともに取り合ってくれません。ところが、先日本屋で「江戸討ち入り」と言う本を見つけました。三河武士団は江戸と言う未開の地に移住するに当り、決死の思いで『討ち入り』と称したそうです。これをお読みいただければ私の説が嘘や誇張でないことがご理解頂けます。

三河で生まれ育ち、大阪で30余年過ごす私は東西の文化を体験していることになります。東西の文化で際立って違うものに『言葉と味』があります。
関西言葉と関東言葉の違いは言うまでもあありませんが、何故か『脅し言葉』がみんな大阪弁になるのが気になっています…

関西人の薄味から関東を見ると『何とも泥臭い味付け』と写るようです。私は「醤油で黒い」煮物や汁物で育っているため、あの味が結構好きなのですが『純粋関西人』はあれを馬鹿にしています。そんな貶すほど酷いとは思わないけど、やっぱり味付けは関西の方が上かな…

関東文化発祥の地『三河』は変わったところです。
京都料理には、ほとんど『色』がありません。煮物など、素材のママの色をしています、そのくせちゃんと味がついています。あの京の味の基本に「白醤油」があることは余り知られていません。
醤油は「大豆と糀と塩」で作ります。関東の濃口醤油から、糀を減らし塩を増やせば『関西の薄口醤油』になります。だから、関東の味は色黒ですが甘味がありますし、関西は色白ですが塩味になります。
白醤油は更に糀を減らし塩を増やして作るため、醤油に色がありません。ほとんど塩味の料理に仕上がりますが、それなりに独特の風味もある『稀な醤油』です。これの産地が三河のごく限られた地域(私の生まれたところ)です。

濃い口醤油と『白醤油』の取り合わせ、変わった所だとお思いになりませんか?
今は、白醤油に鰹だしをブレンドし『白だし醤油』としてデパートで扱うようになりました。故郷で買う3倍ほどの値段がついていますが、一度試された方は『癖になる味』のようです。
私は数年前から、お歳暮お中元に利用しており「大変評判の良い醤油」です。
時折リクエストもあり、故郷に注文を出し「格安で購入」できるようお世話しています。
よろしければどうぞ…
000210(金)公序良俗と悪い奴
世の中に警察がなくて、手元に機関銃があったら『殺したい奴は何人もいる』なんて思ってる方は結構いらっしゃるのではないでしょうか…
えっ!私はどうか?ですって、お答えできません。

公序良俗と熟語で言いますが、公序と良俗は分けたほうが良いのでは?と、私は思っています。
公序はルールを示し「法律に相当」します。守るべきもので強制力があり罰則もあります。しかし、良俗はモラルを示し「道徳に相当」します。望ましい規範ではありますが、強制できるものではありません。
我が国ではどちらが重視されているでしょうか?私には「良俗が幅を利かせている」ように思えてなりません。その割には悪徳が多いようですが…
皆が道徳を守る世界はきっと住みやすいと思います。
でも、道徳を強制されたらどうでしょうか?私には「鬱陶しい世界」に思えてなりません、そんなことを考えてみました。


聖徳太子は1200年前「和なるを以て貴しとし」で始まる17条の憲法で、あるべき姿を示しています。我が国における『良俗』の始まりです。参考までに検索してみました。全文を掲載しますので一度読んでみてください。
 一に曰く、 和なるを以て貴しとし、忤(サカ)ふることなきを宗とせよ。
 二に曰く、 篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。
 三に曰く、 詔を承りては必ず謹め。
 四に曰く、 群卿百寮、礼を以て本とせよ。
 五に曰く、 悪を懲し善を勧むるは、古の良き典なり。
       是を以て人の善を匿(カク)すことなく、悪を見ては必ず匡(タダ)せ。
 七に曰く、 人各(オノオノ)任有り。掌ること濫れざるべし。
 八に曰く、 群卿百寮、早く朝(マイ)りて晏(オソ)く退でよ。
 九に曰く、 信は是れ義の本なり。事毎に信有るべし。
 十に曰く、 忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふことを怒らざれ。
 十一に曰く、功過を明かに察(ミ)て、賞し罰ふること必ず当てよ。
 十二に曰く、国司・国造、百姓に斂(オサメト)らざれ。国に二の君非ず。民に両の主無し。 
 十三に曰く、諸の官に任せる者、同じく職掌を知れ。
 十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。
 十五に曰く、私を背きて公に向(ユ)くは、是れ臣が道なり。
 十六に曰く、民を使ふに時を以てするは、古の良き典なり。
 十七に曰く、夫れ事独り断(サダ)むべからず。必ず衆と論(アゲツラ)ふべし。
              〈日本古典文学大系〉日本書紀
面白いことに気付かれたのではないでしょうか。
「一に曰く、和なるを以て貴しとし」と1番に『和』を説いています。
2番が「仏教を大切に」3番でやっと「天皇を敬え」と諭しています。
ここで言う『和』とは全員一致をさしています。

何気なく読み進めば「こんな時代に民主主義的な考え方があったのか」と思ってしまいそうですが、どうも違うようです。
民主主義は法律で運用され、大衆の好き嫌いで処罰されることはありません。
和の世界は「あの人は悪だ」と皆で指差せば、証拠の必要もなく『悪』になり、反論も弁明の余地も与えられことはありません。つまり、全員一致で決めれば『何でもあり』なのです。
「モラルを規範に」皆で指差せば「私刑」にできる、現代風に言えば「皆で渡れば怖くない」式の全体主義にも通じる危うさを持っています。

『和の政治』は、1200年前の出来事ではありません。
マスコミを通じて耳目に触れる情報で、あいつが悪いと「指差し断罪」していることのなんと多いことでしょうか。そこでは、一般ピープル(私自身を含め)は常に「正義であり、無謬の存在」として、断罪に荷担しているのです。
指差す快感を味わいながら、『和』から外れることを恐れている自分を誰も感じているのではないでしょうか。モラルが断罪の理由になる世界とは、監視しあう世界に通ずるように私には思えるのです。

では、「悪い奴」とは、どんな人なのでしょうか!
私は「決して法律を犯さず、道徳を徹底的に無視できる人」だと思っています。指差されても平然とできる意思がなくては『悪』にはなれそうもありません。法律違反でつかまるなど論外です、本当の悪はギリギリで法律を犯さないものです。
私は『悪』でしょうか?自信はありません。では、貴方はいかがでしょうか…
000311(土)方円墳
去年、緑地やら内規やらで散々泣かされた超高層マンションの地鎮祭が先日ありました。地鎮祭は言うまでもなく工事の無事を祈るものですが、不謹慎にも私はまるで違うことを考えてしまいました。
地鎮祭に立ち会われた方ならご存知と思うのですが、(神式の)神事の中程に『地鎮の儀(又は、床鎮めの儀)』と言う儀式があります。文字通り土地を鎮め無事を祈る儀式です。
祭壇左手に、砂で円錐を作りこれを『大地』に見たてます。円錐の続きに台形の部分があり、ここが『建設地』になります。鎌に鋤や鍬を使い「大地の草木を薙ぎ整地し…神様からの頂き物を大地に鎮め」」と言った工程を演じ「工事の無事」を祈るのです。掛け声も大きく結構感動的な場面です。

この、砂で作られた『円錐と台形』からなにか連想なさいませんか?
私は、方円墳を連想してしまいました。縄文人はどうも『墓』を作ったと思えないのですが、弥生人はきちんと墓を作っています。末端の庶民までどうか?と問われれば自信はありませんが、案外後世に残る恒久さがなかっただけでやはりあったのではと思っています。
私の住んでいる近くに『近つ飛鳥』と呼ばれる古墳公園があります。000129「二上山」でご紹介した山裾の河内側に位置しています。ここには、土着の人々の墓が広く点在し、その一帯を整備する形で公園化しています。教科書に載るような大墳墓はなく、地形を利用した簡易な石室が目立ちます。ここでは『円墳や方墳』と名付けるほど形式化していません。
 
古墳は時代と共に、権力の象徴として扱われ巨大化しています。その最たるものが仁徳天皇陵で、「前方後円墳」と言う形式になっています。
これに対し、推理作家の大御所で民間歴史研究家としても大変著な「松本清張氏」は異論を唱えていらっしゃいます。氏は「方形部が前で円形部が後と何故決めるのか?そんな証は何もない」とし、だから「方円墳」と言う呼称にしていらっしゃいます。
この意見には全く賛成です、御陵に行き参詣するときは必ず『真横』からです。なによりも、左手に方形部・右手に円形部と連なる真横から眺めれば自然に『これが正面か…』と頷けるものがあります。古代であれば、この『自然に…』と言う説得力がもっと大切ではなかったかと思います。


ゴメンナサイ、随分脱線してしまいました。
地鎮祭で「方円墳」の形を見て、古墳のことが頭から離れなかったのです。古墳は古代神道の世界です。地鎮祭の際神も『天照』であることから「案外繋がりがあるのでは…」と空想しています。
方円墳は永く「日本以外で発見されない」時代があり、日本独自の様式ではないかと言われていました。その後韓国でも発見されるようになりましたが『韓国が本家』と確認できない唯一の形式です。ただ、何事も『日本より上』でないと気の済まない韓国気質で、研究以前の低レベルな『韓国本家論』は悲しいことです。

地鎮祭で方円墳をみながら、古代から儀式があり『儀式から方円墳のヒントを得たのかな…』なんて考えていました。そんなロマンは許してください…
000312(日)姪の結婚式
姪の結婚式があり、故郷まで日帰りで行ってきました。
途中鈴鹿山系を抜ける間『時ならぬ雪景色』でしたし、山裾の梅や桃が満開でした。

愛知県の故郷近く、刈谷のカトリック教会で姪の結婚式がありました。日本語のたどたどしい司祭様の進行で、簡素な結婚式でした。
姪から内輪だけの挙式にしたいと聞いていました。
私は、親兄弟の反対を押し切り親族抜きの結婚式を挙げただけに「どんな式を挙げるか」は若い二人で決めれば良いと思っていました。そんな折、若い二人から案内状が届いたのです。挙式を、何時どこで挙げると言う報告の最後に「お近くにお越しのせつはお立ちより下さい」とありました。
実は、これで迷ったのです。
勿論、招待の言葉とは思えませんし、出席を促されたのかどうかも定かではありません。姪の父親は先年亡くなった宗家の兄です。あとの兄弟が、メールや手紙で『どうする?』とやり取りがあり、結局『各自の判断で』と言うことになりました。

私は「出かけたついでで立ち寄った」ことにしました。
普段着で、ふらりと出かけて「ちょっと驚いた」のです。教会には受付ができており、100人近い人が集まっています、でも「迷った」のは私だけではないようです。正装の方から私のようにジーンズにトレーナー姿まで様々です。

結局、父方親族は全員来ていました。母方の親族の方もいらしていたのですが『非公式』と言う建前があるため目礼程度で済ましました。
新郎(スリランカの青年)のご両親やご兄弟もスリランカラからご出席のご様子です。おそらく、これだけ双方の親族が一同に介すことはもう二度と無いのではないのでしょうか。こんな折角の機会なのに、非公式故に私達はどなたにも挨拶することも無く過ぎてしまいました。

教会では一番後列から式の様子を眺めていました。
新郎はなかなかハンサムな好青年に見えます、彼と話す機会がなかったのはちょっと残念です。実は、まだ紹介してもらっていないのです…
姪に『おめでとう』を言う機会もありませんでしたので、HP上で伝えます。
結婚おめでとう

でも「結婚式って難しい」と感じました。双方の『善意』が少しづつ空まわりしてしまったようです…
000313(月)医薬分業/定年
 医薬分業
Iさんから『相談がある』と言うメールが入りました。
内容がよく分からないので、2回メールの往復をした上「会って話そう…」と言うことになりました。同じマンションのIさんは4階、私は17階です。近くて遠い関係です。


Iさんとの会話から感じたことをご紹介します。
厚生省は早くから『医薬分業』を推奨してきました。しかし永い間『どこ吹く風』で、病院から無視されてきた歴史でもあるのです。我が国の財政が危機に瀕すると共に「0シーリング」が鉄則となり、医療も聖域とはなりませんでした。それでも献金の多い『医師会』の逆鱗に触れることを避けるかのように、医療点数ではなく『薬価基準』の引き下げにより辻褄合わせをしてきました。

そうこうしているうちに、何時の間にか「病院内に薬局を持つメリット」が失われてきたようです。最近、院外薬局が目に付くようになりましたが、厚生省のご威光がやっと浸透したわけではなく、「病院の都合」によるようです。そこには「薬局を持つことが負担」と言う本音もあるようです。そうなると、「A病院専属の…」と言ったイメージが強かった院外薬局も『独立採算』が迫られるようになりました。つまり「世間の冷たい風にさらされる」ようになったのです。

これは戦国時代の到来です。
何故なら、院外薬局が一般の薬局を兼ねるなら、本来の一般薬局は「病院の処方箋を受入れ」対抗することになります。つまり、薬局の乱立化が始まるのです。
この影響を受けるのは薬局の経営者だけではありません。
処方箋を扱う薬局は、大量の薬品からレセプトに従って「1回分毎に分封」する必要ができます。今まで病院相手に大型の分封機を作っていた機器メーカーは「ばったり止まった売れ行き」をカバーするため、分封機の小型バージョンを開発し、乱立する薬局に販路を変える必要に迫られたのです。

かって、写真の自動現像機がDPE(写真の現像焼付)に、革命をもたらせました。工場で現像焼付していたものが、町のお店のDPEで30分もあれば出来るようになったのです。
建築の世界でもなかなか普及しなかったCAD(コンピュータによる設計)が、この数年で飛躍的に進み、「手書きの図面」をほとんど見なくなりました。
この両者に共通することは、機器の値段が当初の1/10になったときに大ブレークしています。

今日ご紹介した、小型の自動分封機は病院納入用と比べれば1/10以下の値段に押さえるそうです。ここでも大ブレークがあるかもしれません。今、薬局に行けば「箱入りの既成薬」を勧められますが、小型自動分封機の普及で薬剤師さんが腕を振るう調剤が増えるかもしれませんね。

 定年
今年になりお二人の方から『定年になりました』と言うメールを頂きました。
「永い間ご苦労様でした」と言う気持ちと、ちょっと寂しい気持ちを味わっています。
それは、たまたまお書きになっていなかっただけかも知れませんが、リタイア後の抱負に触れられていなかったからです。
数年前までならば、定年と言っても次のステップが必ず用意されていたのですが、長引く不況が企業から『面倒見の良さ』を奪ってしまったようです。元気なうちは「働く」って、単に経済の問題だけではなく「生甲斐や健康」と言った面でも大切なことだと思います。


私のような『自由業』はどうなるのでしょうか?
自由と引き換えに「生活の保証」を手放しており、定年する余裕がないという本音があります。でも、強制的定年(倒産)に恒常的にさらされており、簡単に老け込むわけに行きません。こんな自転車?状態が健康に秘訣かもしれません…
000316(木)公園のすずめ
都会の公園の中、無邪気に戯れる子供達…
彼らが想像もできない世界が、僅か40〜50年前に我が国にあったのです。

敗戦で終わった太平洋戦争。
飽食の現在ではでは考えられないでしょうが、戦後まもなく生まれた私は、飢餓の中で育ちました。あの頃、すずめは人間の姿を眼にして逃げたものです。
なぜか?簡単なことです、すずめは貴重な食料でした。人間とすずめは騙しあいを演じていたのです。すずめの行動を注意深く追い、巣の在処を見つければしめたものです。小指の爪ほどの大きさの卵を一飲みにのんだものです。
時代は変わり、小鳥を『食料』として見ることもなくなりました。敏感な小鳥たちには、人間が危険な存在ではなくなったのでしょう。餌をついばむすずめの脇を通りすぎても「逃げようと」しません。
一月ほど前の新聞に心和む記事が載っていました。
あるお家に『すずめが出入り』するようになったそうです。手ずからの餌をついばみ、外に出たければ窓をあけてもらい、お家に入りたいときもちゃんとサインを出すそうです。そのくせ『飼っている』分けではなく、何時の間にか「そう言う交流」がすずめとの間に始まったと言うことでした。

一時、私の家のバルコニーにもすずめがやってきます。餌をやるようになると、毎朝『窓越しに鈴なりに並び』餌が出ていないと『催促』するようになりました。大変可愛かったのですが、鳩がいっしょにやってくるようになり、この習慣を止めました。鳩は糞が大きく、近所迷惑になったからです。
すずめ以上に鳩は我が物顔です。ベトナムでは、今でも鳩は『食用』だそうです。かの国では、以前のすずめのように『人を見て逃げる』のでしょうか…平和な日本に幸多かれと祈ります。
000319(日)nageyariモード
只今「nageyariモード」真っ最中です。
私にとって、コンピュータは無くてはならないツールです。ただ、厄介なことは「仕事のツール」と「趣味のツール」が同じということです。
今のように、nageyariモードで「コンピュータに触れるのももう憂げな…」時は、自動的にサイトの更新も疎かになってしまう弊害があります。


ホームページを持ってまもなく1年です。
余り熱心にやる気も無く、「週に1度更新できれば…」と思って始めたのに、振返って見れば『ほぼ毎日』となっています。仕事と趣味のツールが一致したメリットが出た結果と思いますが、最近少し重荷に感じています。
コンピュータを仕事のツールにしていらっしゃる方は今時珍しくも無く、HPを併せ持っていらっしゃる方も同様です。してみれば「HPが趣味」とすることが間違いだと言わざるを得ません。 そんな訳で『この1年』を少し反省しています。
難しく考える必要などどこにも無いのだろうけれど、私のような思いにとらわれた方は案外いらっしゃるのではないかと想像しています。何年も更新も無く「ほったらかしのHP」は考えものでしょうが、「日々更新に勤める」必要もサラサラ無い。受けて不明の情報発信は「せいぜい週一で充分」ではないか…


HPと引き換えに疎かになっている『昔ながらの私』に回帰してみたいと思います。
そうです。nageyariモードが良いきっかけになりそうなので…
000320(月)春分命名のルールと那須与一
ハンドルネーム「よいち」君とのメールのやり取りから、私の間違いと面白い事実を知りました。
事の発端は、お節介な私がよいちに対し「ご先祖様のことを知っているかい?」と問い掛けたことに始まります。で、ある本の一節を送ったところ、よいちからお礼のメールが届き、私の間違いと勘違いを知るに至りました。まずは、本の一節をご紹介…

「歴史」の意外な結末/ 事件・人物の隠された「その後」/日本博学倶楽部(PHP文庫)
屋島の戦いで扇を射落とした那須与一がお坊さんになっていた?
『平家物語』に登場する数多くの武将のなかでも、弓の名手として名高いのが、那須与一(なすのよいち・生没年不詳)だ。
1185(文治元)年、屋島の戦いのとき、平家方の女房が、小舟の上で扇を射るようにと手招きした。源義経(みなもとよしつね・1158〜89)の命令で那須与一がその挑戦に応じ、みごと扇を射落としたというのは、あまりに有名な話だ。
このあと、彼は、いったいどんな人生を送ったのだろう? 頼朝の天下となったあとの与一は屋島以上の活躍をしたらしい。
那須一族が梶原景時(かじわらかげとき・?〜1200)の率いる幕府軍に攻撃されたとき、与一はこれをみごとに撃退した。時の権力者の軍を追い払うという快挙を成し遂げたわけで、その後有利な条件で和睦している。
さらに彼は、なんとお坊さんになったらしい。
『那須記』の「那須与一」の項に「落髪申致上洛……」と、出家して京都に行ったことが伝えられており、京都府二尊院所蔵の『源空七箇條起請文』いう古文書に、那須与一が「源蓮」という名で記されているという。
彼は、1202(建仁二)年、34歳で出家し浄土宗を開いた法然に弟子入りし、その2年後には早くも法然の高弟となったというのである。法然の弟子となった与一は、那須家からの資金を受けながら、源平の合戦で戦死した者たちの菩提を弔うため、西国を旅した。
その後、神戸市にある北向八幡神社に滞在中、64歳で病気のため、高僧らしい大往生を遂げたという。与一が祈願して誉れを得たといわれる、この神社の境内には那須神社もまつられ、西の丘の上には彼の墓がある。
『平家物語』に登場する数多くの武将のなかでも、弓の名手として名高いのが、那須与一(なすのよいち・生没年不詳)だ。
1185(文治元)年、屋島の戦いのとき、平家方の女房が、小舟の上で扇を射るようにと手招きした。源義経(みなもとよしつね・1158〜89)の命令で那須与一がその挑戦に応じ、みごと扇を射落としたというのは、あまりに有名な話だ。このあと、彼は、いったいどんな人生を送ったのだろう? 頼朝の天下となったあとの与一は屋島以上の活躍をしたらしい。
那須一族が梶原景時(かじわらかげとき・?〜1200)の率いる幕府軍に攻撃されたとき、与一はこれをみごとに撃退した。時の権力者の軍を追い払うという快挙を成し遂げたわけで、その後有利な条件で和睦している。
さらに彼は、なんとお坊さんになったらしい。
『那須記』の「那須与一」の項に「落髪申致上洛……」と、出家して京都に行ったことが伝えられており、京都府二尊院所蔵の『源空七箇條起請文』いう古文書に、那須与一が「源蓮」という名で記されているという。
彼は、1202(建仁二)年、34歳で出家し浄土宗を開いた法然に弟子入りし、その2年後には早くも法然の高弟となったというのである。法然の弟子となった与一は、那須家からの資金を受けながら、源平の合戦で戦死した者たちの菩提を弔うため、西国を旅した。
その後、神戸市にある北向八幡神社に滞在中、64歳で病気のため、高僧らしい大往生を遂げたという。与一が祈願して誉れを得たといわれる、この神社の境内には那須神社もまつられ、西の丘の上には彼の墓がある。

彼は『なす』姓であることからハンドルネームを「よいち」としたようです。
但し「那須」ではなく『奈須』だそうです。ちなみに彼の家系は『平家に繋がり』けっして、源氏ではないそうです。
第2の勘違いは、与一を「余一」と思っていたことです。
那須与一は、11番目の男子であることが知られています。
昔、オギャーと生まれて死ぬまでに随分名前を変えましたが、結構ルールに基づいていました。複数の女性に「子供を生ませた」ため、名前を見れば子供の序列が分かるようにしていたのです。
例えば、織田信長は…
幼名を「三法師」と呼ばれ、織田家の嫡子(三法師は織田家嫡子の称号)であることが分かります。しかし、少年時代「三郎」と呼ばれるように、織田家では「3番目の男子」です。つまり「正婦人の最初の男子だけど、織田家では3番目」を意味しています。

長男なら「太郎ないしは一郎」次男なら『次郎』となりますが、漢字としては結構『当て字』も多いのです。
一日のことを昔は「朔日(ついたち)」と言いました。つまり「朔」は「一」を表しています。だから「朔之助」は長男を表します。また、正婦人以外から生まれた長男を「新一郎」と言うように『一郎』の前に一字をつけて区別しました。
戦国時代の北条家の始祖『北条早雲』は若い頃「伊勢新九郎」と名乗っていますが、これだけで次のことが分かります。
 1.神官以外『伊勢』を名乗れないので、伊勢神宮神官の家系であることが分かる。
 2.「新」が付いていることから、直系では無い9番目の男子。


随分寄り道をしました、那須与一に戻ります。
10子以降は『余分な子』と言う意味で、名前に「余」が付けられました。お芝居で有名な『切られの与三郎』など、13番目の子という意味です。
那須与一は「余一」ではありません。これは、命名のルールから言えば、本家の子を意味しません。お家の危機に大活躍しながら「出家した理由」が案外こんなところにいあるかもしれません。

脱線ついでで…
『どこの馬の骨か、牛の骨とも分からないものが…』と言う蔑み言葉がありますが、人間に対し、『馬の骨や牛の骨』はおかしいですね。これは命名のルールが、間違って民間に伝わったためです。
正確には、
「どこの生まれの骨か?→馬の骨」
「どこの氏(うじ)の骨か?→牛の骨」
と言う氏素性の正しさを問う言葉が変化したものです。案外、間違って伝わったのではなく「氏素性を持たぬ庶民」が、それに拘る上流階級を皮肉って流布したかもしれませんね。
000322(水)子育て記
ある出来事があって、私の子育てを思い起こしてみました。
結果、私は全て家内に任せていたことが分かりました。
子供は3人いるのですが、ベビーをお風呂に入れたのは長男の1回きりで、それも『抱き方が悪くて、頭から湯船に落とした』ドジな記憶があります。おしめの取替え(紙オムツはありましたが、まだ高価でした)も数えるほどしか記憶にありません。さらに、おしめの洗濯もたった1回で『ベビーでも臭い』と言う記憶しかありません。つまり、私には『子育て』を語る資格がありません。

22歳の私は修行の真っ最中。
「今日は子供を風呂に入れる当番ですから…」と言ってお家に帰る当世風若夫婦など論外な時代でした。
家内は、何時帰るか分からない私を待たず「食事も睡眠」もベビーのペースに合わせていました。体力勝負の子育てママには必要なライフスタイルだったと思います。
何せ「徹夜残業当たり前」の業界で、私が帰るまで食事を待っていろなどと間違っても言える状態ではありませんでした。暫くして、夕食はリクエストしない限り不要の不文律が出来、以来20数年『日曜以外家で食事をしない』習慣となりました。「家族の絆は無いのか!」とお叱りを受けそうですが、これはこれで家内の負担を軽減したようです。

こんな状態など、子育てを夫婦の分業とする当世の若夫婦には想像の外でしょうが、それなりに子育てのルールが出来ていたように思います。
話合った記憶も無いのですが、躾に関しこんなコンセンサスがありました。
1. 食物で遊ばせない(私が貧乏育ちで食物を粗末することが許せなかった)
2. 公衆の場で騒がない(秩序を教えたかった)
これ以外の点では、結構おおらかに育てた(家内が)ように思います。
夫婦で『飴とムチ』を使い分けることも無かったように思います。誉めることも叱ることも家内の役目で、どうしても言うことを聞かないときは「パパに叱ってもらおうか!」と言えば子供はだいたい従ったように記憶しています。
私が怒るときは基本的に家内の依頼であったこと。怒れば体罰がセットでしたが、のべつまく無くなんてことは無く、滅多に『雷は落とさない』パパだった思います。
子供なりに「パパとママの役割」を理解していたようで、中学に上がる頃から「日常のことは家内に」「重要なこと、大金のかかることは私に」相談するようになりました。

子育てもしていない私なのに、大それた望みを持っています。それは…
生きているうちにありそうも無いのですが、黒縁の額に入った私に向かって「親父、結構好きだったよ…」と呟いてくれたらと願っています。そうです、私がそうだったように…
000323(木)時価会計
電車の吊広告に興味ある記事が載っていました。電車を下り、本屋に飛び込み早速その経済誌を購入しました。
国際的な再編激しい自動車業界、日本資本として生き残るのは「トヨタグループ」くらいで、後はいずこかの外国資本との提携(あるいは傘下)で生延びていくことになりました。
金融業界も、銀行・証券・保険を巻き込み4グループに収斂されそうです。今は大手の再編劇ですが、一段落すれば中小は「どの傘下に滑り込むか」が生き残る全てになるでしょう。
このように我が国を代表する、自動車・金融業界が『生き残り』を掛け、熾烈な再編劇を演じていると言うのに、これより遥かに体質が弱く「経営改善」を要求されている『建築業界』がマスコミの目からやや遠ざかっているのが不思議でした。しかし、激震が足元を襲うこと必至のようです。「一般紙が扱う」頃は、屍累々と言う惨状になりかねい内容が経済誌に満載されていました。


バブルの主役「金融業界」はご承知のとおりですが、準主役を勤めた「建築・不動産・商社」がこれから『丸裸』にされそうな形勢です。
2001年3月期から連結決算が義務付けられ、今までのように「子会社に負債を回して、親会社は安泰」を装うことが許されなくなります。これだけでも『脅威』なのに、実に恐ろしい凶器が付きつけられました。それは「時価会計」です。(かなり条件はあるのですが、何時ものように乱暴に論じてみます。詳しくは経済誌をご覧下さい)
会社の財産には「固定資産」と「流動資産」があります。
この、流動資産部分を「時価相場で評価し直し決算に反映」させろと、言うのが時価会計の趣旨です。具体的に言えば、法人が所有する『証券(株)や不動産(土地や建物)』は購入時の簿価で計上し「当社の経営は健全でございます」としてきたものが、当世の「ダダ下り値段」に置換える必要が出てきたのです。これによって、一気に『債務超過』が表面化する企業が続出するだろう、と言うわけです。土地も株も半値以下などざらですから、企業の財務担当の胃袋は大変でしょうね。

危機の表面化を避けるため、流動資産を時価会計の不要な固定資産(自社用途に使用するもの)にチェンジする企業も出てきたようです。しかし、こんな抜け道が許されるほど甘くはありません。資産の振替をすれば、総資産が増えることになります。これを売上との関係で見ると…
「総資産回転率=売上÷総資産」で、会社の経営効率が判断されます。総資産が増えれば、効率を示す回転率が下がり、『ダメな会社』の烙印が押される寸法です。

この処置により、バブル期の不良資産を抱える会社ほどダメージを受けるのは言うまでもありません。正にバブルの純主役達やいかん!と言ったところです。
会計制度の世界平準化は企業のグローバル化を「嫌がおう」でも推進します。ディスクロージャーが叫ばれても『どこ吹く風』を決め込んでいた企業も、国際化の荒波にさらされることになりました。日本が、世界に船出する陣痛とも言うべき現象だろうと思います。企業の業績がガラス張りとなり、世界中から『安心して投資できる』環境、その準備が始まったのです。


最後に、副作用をご紹介します。我が国の株価が安定しない大きな理由です。
今まで『安定株主工作』として、会社間の株の持合がありました。しかし、株価を常に時価評価することになれば、相手の業績悪化で『自社まで評価が下がる』ことになり、盛んに会社が所有していた株が放出されるようになりました。つまり、供給過剰になっているわけです。これも必要な痛みなのでしょう。

000325追記
総合商社第7位の「トーメン」は、一年早く時価会計を採用し決算を発表しました。
その結果、株価は47円に急落し経営危機を表面化させました。バブル期の不良資産が最も少ないと言われるトーメンでこれでは、他の商社の「実態の寒さ」が分ろうと言うものです。トーメンは、増資をトヨタに引受けてもらい「トヨタ傘下の商社」として生き残ることを発表しました。
時価会計は、水平統合だけではなく「業種を超えた統合」への道を作りそうです
000324(金)建築基準法の横顔
建築基準法と言う法律があります。
関連法規の頂点にそびえ、建築に携わるものなら『ご神体』のような法律です。とはいえ、違反建築が7割にも達する現状では「ザル法」と蔑まれています。
でも、この法律は面白い横顔を持っています。それは『建築協定』と『総合設計』の制度です。

エクセルと言う表計算ソフトは『マクロと呼ばれるソフトを作る機能』を持っています。活用されている方も沢山いらっしゃると思うのですが…
実は建築基準法も同じように『法律を作る機能』を持った法律です。その部分が、『建築協定と総合設計』です。
関東に、田園調布とか京城といった超のつく有名な住宅地があります。ここでは、古くから『建築協定』が作られ厳格に守られています。『建築協定』とは、地域住民の合意で『建築基準法のある部分(集団規定)を強化運用』出来る制度です。
例えば、道路に沿って「3mは緑地帯を作り、けっしてコンクリートブロック等の無粋な塀をつくってはいけない」とか「高さは○○mに揃える」と言った、都市景観を守り住環境を向上させる『約束事』を住民の意思で作る制度です。勿論、この約束は「建築基準法より優先される」ことは言うまでもありません。

民主主義と言う名の『身勝手』がまかり通り、『少数意見を尊重しろ』と言うお題目で一人の反対でもあれば「多数決が否定」される世の中です。このように、旧来の町並みで建築協定が結ばれたのは稀有な例と言えます。
最近では、デベロッパーによる「大規模な土地開発」で建築協定が結ばれるケースが多いように思います。ただこのケースは『まだ住民がいない』わけで『一任協定』と呼ばれます。つまり、デベが開発地のステータスを上げるため利用しており、本来の目的と違う活用法と言うべきでしょう。

総合設計制度は、一般には大規模な建物に適用されています。
超高層建物は、この制度無くして設計が困難です。ではどのような制度か?出来るだけ判りやすくお話します。
建蔽率や容積率と言う言葉をご存知と思います。
これは、土地の利用限度を定めた規定です。例えば『建蔽率60%』と言えば、最大の平面積を敷地面積の6割以内にしなさいと言う意味です。同様に容積率は、延べ面積を敷地面積の『何倍まで』と決めたものです。
建築基準法では、高さを制限する条項もたくさんあります。
道路斜線制限・隣地斜線制限・高度指定(北側斜線制限)と言ったものです。このような規定によって高さを制限しています。
こんな、制約を緩和解消する制度が「総合設計制度」です。
ただ無条件で適応を受けられるわけではありません。それなりに縛りがあるのですが、『この運用基準が自治体の自由裁量』になっており、合法的に『超法規』的処置が可能な源泉となっています。

総合設計の原則は『公開空地の確保』にあります。
読んで字の如く「誰でも利用できる空地」で、不特定多数の利用を促すため道路に接して設けることや、その高さ等にも制限が設けられます。
充分な公開空地を確保できれば、『容積率が上乗せされ』『高さの制限が緩和』されるのです。ギブアンドテイクの関係にありますが、この制度が目指す理念が『都市景観確保や住環境の向上』であることは言うまでもありません。
大変値打ちのある制度ですが、双方に自由裁量の余地が大きく、交渉力が要求されます。

建築基準法の持つ、余り知られていない『横顔』をご紹介しました。
一生縁の無い設計者も多い制度で、専門家でも知らない方がたくさんいらっしゃいますが、使い方によっては『良いものを作る』強い味方になります。知識として持って頂いて決して損のないものと存じます。
000326(日)ご職業は?
申込書にはほとんど職業欄があります。
特に「お金に絡む」申し込みともなれば間違い無くあると思います。皆様はどのように記入されますでしょうか?
丸を付ける形式の職業欄ですと「会社員・会社役員・自営業・公務員」等となっています。これって職業を表しているのでしょうか?
始めての方とお会いして、会話が弾み、ついでで「ご職業は?」とお尋ねすると、たいてい「○×銀行です」と言った返事が返ってきます。これって勤務先ですよね。例えば、銀行で『何をしている』と言うことは皆目分らないわけです。


就職戦線は『氷河期』と言われていますが、学生側が「希望する職業」を持っていることなど稀ではないでしょうか。
バブル時代、銀行に工学系の優秀な学生が随分、就職しました。「工学系の学生が何で銀行に?」と思いがちですが、融資先の企業診断やベンチャーの内容チェックと「工学系」の活躍場所ってたくさんあるのです。
と、言う話は銀行にとって「とっても皮肉」なのです。このように工学系の人を活用していたら銀行は今のような体たらくにはなっていなかったでしょう。実態は、カバンを持たせてチャリンコで得意先周りをさせたのです。「何が言いたいのか」と罵声が飛んできそうですが、私は優秀な学生と大銀行を嘲笑っているに過ぎません。優秀な学生は職業ではなく企業を選び、大銀行は学生の才能(或いは、学識)を無視したのです。ことほどさように、我が国には「職業意識」は存在せず、『会社意識』しかありません。

学生を集めて…日曜朝の政治番組。
 「何回生ですか?」
 「今年春卒業予定です」
 「ご就職は?」
 「まだ、『何をしたい』が見つからないので、妥協をせず就職を決めていません」
意気揚揚と答える学生の返事…「何かおかしい」と思いませんか?
今時の風潮で、大学入学時に『人生の方針』が決まっていなくてもやむを得ないとして、大学の4年間と言う時間で、自分が『何のために学んでいるのか』くらい知って欲しいよ!
国家は、君達が「快適に遊び何も考えないノー天気な時間」を与えるため、一人500万もの税金を費やしているのか?!


私は『建築屋』です。結構「自信を持って」答えています。
000327(月)唱歌とスタンダードナンバー
甥がキリスト教会で結婚式を挙げたときのことです。
参列者も一緒に賛美歌を歌う儀式がありました。そこはそれ、宗教に関し至ってファジーな私のことです「声も朗々と謳いあげ」ました。歌い終って、家内から『ナンで知ってんの?』と…
私は小学校の数年間、熱心に日曜礼拝に通っていたのです。
だから、日曜礼拝程度の『賛美歌は知っている』のです。と言って、キリスト教に傾倒したわけではありません。そこには日常生活と違う世界があり、好奇心旺盛な私には堪らない『異次元』だったのです。

小学校、中学校と唱歌を習うたび『何で賛美歌と同じ曲なんだろ』と言う疑問を持っていました。大人になり、読書の習慣がついてからやっとその訳が分りました。
明治時代に義務教育を始めたのですが、音楽でなにを教えたら良いのか分りません。そこで、賛美歌に片っ端から『日本語の詩』を付けて唱歌にしたそうです。結構、安直だったんですね。
賛美歌の影響を受けた訳ではありませんが、私は唱歌が大好きです。最近滅多にカラオケを唄わなくなりましたが、唱歌が唄えるなら『大歓迎』です。

『昨日の日記』に度々主演するOさんのハンドルネームはビッグマンシルバー(白髪の大男)です。彼は、どこで覚えるのか最新の『オチャラケソング』を唄い、私には宇宙人のような存在なのです。 その彼が突然真面目な顔(こんなことは滅多にありません)をして「おまえはエエな…」と、言ったのです。
一瞬、良く分りません。キョトンとしていたら、彼は「どないしたら(後世に)残る歌を唄えるンヤ」と続けて言いました。私の唄う歌は『古い歌』ばかりで、そんな意識はまるで無かったのです。

私は、綺麗な詩と美しいメロディーがなければ好きになれません。時代を代表したヒット曲でも、この2条件を持った曲は案外少ない(私の持ち歌が少ない言訳)と思っています。そんな訳かどうか、私の持ち唄は古いのに「今時の若者でも知っている」歌が多いようです。定義を知らないのですが、案外『スタンダードナンバー』と呼ばれるのかもしれません。でも、面白いですね。双方で『羨ましい』と思っていたなんて…
000328(火)サラリーマン哀歌
私には批判をする資格のない話ですが…
リストラと言う名の『人員整理』が露骨に進行しています。
私もそうですが、戦後のベビーブームで大量に生まれた連中が「団塊の世代」と呼ばれて熾烈なサバイバル戦を戦っています。運良く『取締役』に生き残れば良いのですが、レースに敗れれば悲哀が待っています。

私が大変お世話になった
Mさんは、この3月末で定年退職となります。大手ゼネコン設計部次長だっただけに「次はどちらに?」とお尋ねしたら『何もない』と言うご返事でした。一昔なら考えられないことですが、この厳しい社会状勢では「定年まで勤められた」ことを幸せと思うべきなのでしょうか。
Aさんは、一部上場企業で取締役を狙う地位にいらっしゃいましたが、レースに破れ「傍系会社の役員」に転出されました。そこでも頑張られたようで『次期社長候補』に目されだしたある日、売られた喧嘩を買い、勢いで『こんな会社辞めてやる』と言ったそうです。なんと、その日のうちに全ての手続きが取られ『退社』となりました。冷静になって考えると「どうもハメられた」ようだそうです。
Kさんは、一部上場企業で現役バリバリの部長でした。しかし、サバイバル戦に破れ「部下なしの専門部長」に甘んじていらっしゃいました。
この正月、年賀メールを入れたら『存在せず』の返事が返ってきました。Bさんの「メールアドレス」は会社で利用(CO.)するもので、仮に傍系会社に移られてもアドレスはそのまま筈です。どうも退社されたようです。

どの社も生き残りをかけドラスチックな経費の削減をめざし、大胆な統廃合を行っています。それも、自社内とかグループ内と言った気心の知れた内輪の出来事ではなく、本来「ライバル」であった他社と突然提携を結んでの統廃合ともなれば、大量解雇のほか「大胆な配置転換」が生じます。このような処置は「希望しない転職」と何ら変わりません。
不況中の不況である『建設業』も、解雇や配置転換が盛んです。
配置転換は、現場や設計部門から余剰人員とされた人間が『営業』に回されるのが常です。成績不振を理由に『リストラメンバー』に編入する過渡的処置と言えます。いわば、本人から「退社」の意思表示をさせるための儀式です。


嫌な時代になったものですが、進行する産業構造の変革で生き残るには、会社を選ぶのではなく『職業を選ぶ』必要があると痛切に感じています。
000329(水)陰陽師
作家「夢枕獏」氏の名品に陰陽師(おんみょうじ)があります。
平安時代中期の陰陽師・安部清明(あべのせいめい)を主人公にした短編の集まりです。この度7年ぶりに第2巻が発売され、早速読んでみました。最近続出する不謹慎な作家と違い、独立した短編作品なので、どこで打ち切っても読者を困らせない逸品です。陰陽師・飛天ノ巻(文春文庫)

陰陽師は、現代ならば「占い師」と言ったところでしょうか。ただ、平安時代中期は魑魅魍魎が人間と同居し『祟り』をなにより恐れた時代であり、陰陽師は今では想像も出来ない重要な存在だったと思います。
安部清明は今昔物語に登場する実在の人物です。
当時の宮廷は重要な事項を決めるとき、陰陽師に吉兆を占ってもらい決めるのが常でした。これだけでも、陰陽師が重要な存在であることがお分り頂けると思います。

時は移り『現在』
行き付けのお店で、隣の客の話を聞くともなく聞いていました。どうやら、何事も占い師に見てもらい決めていらっしゃるようです。お話しの中で「重要なことは安部先生見てもらうンや」とおっしゃっています。更に聞いていると、安部清明の末裔のようです。日本はこのように『悠久の国』なのですね。100年前の高名な陰陽師(おんみょうじ)の子孫が、今も陰陽師だそうです…
000331(金)在宅勤務
先日友人のご母堂がお亡くなりになり、通夜に行ってきました。
通夜が終わり『帰ろう』としたらすざましい雷雨となり、傘など何の役にも立ちそうにありません。雨宿りの2時間余り、久しぶりに友人達と話に花が咲きました。

在宅勤務の話が出ました。
マスコミは「在宅勤務」を持て囃し、それに対応できない分野は『遅れてる』と言わんばかりです。主にIT関連を始め、在宅勤務が可能な分野が増えたことは認めますが、私はこの制度に批判的です。

あまり知られていませんが、建築は「製造業」に分類されていません。
民法との関連もありますが、PL法の除外となった理由に「製造業ではない」と言う理由があります。では、建設分野は『何なのか?』を考えてみると「建設業は最も古い『ジャスト・イン・タイム』制をひいたアッセンブリ産業」だと思います。
建築設計をとっても、様々な専門分野が集まって『一つの設計』を行っています。
私が手がけている『ケアハウス』のデータは、メールで関係部署に送られ「データの共有化」が進行しており(インターネットの普及に伴い)形態としては既に「在宅勤務」が可能になっています(tifデータを多用するため、DXF変換出来ません。CADソフトメーカーの協力を仰ぎ、関連各位に共通のソフトをインストールしてもらっています)。
このように『何時でも在宅勤務に移行できる』環境がそろっていますが、とてもそれに踏み切る勇気はありません。

在宅勤務が成立つには『自己を律する』大前提が必要です。しかし…
我が国では、聖徳太子の御世から『和を持って貴としとす』る文化があります。
集団行動を是とし、自己責任を身につける習慣がありません。このような教育を受けてきた人がどれだけ『自己を律する』ことが出来るか大変疑問なのです。
私が、在宅勤務に批判的な理由としてこのことを挙げたら『出来高で査定する方式』をとり入れ「サボれば報酬を減らす」ことにより『堕落を防げる』のでは、と言う意見が出ました。
一見もっともらしい意見なのですが、重大な欠陥があります。それは、建築のような『ジャスト・イン・タイム』制をひいたアッセンブリ産業では、誰かの怠慢で『全てが止まってしまう』危険性があるのです。つまり、怠慢な個人を罰すれば済む問題ではないのです。

個人で完結いている分野では『在宅勤務』が可能と思いますが、大きな歯車の一員となる分野では、とてつもない危険性を孕んでいます。サマータイムと合わせて、日本人には不得手な制度と思うのですが、いかがでしょうか?


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