dogfight高松の長すぎるひとり言
2000年2月

訃報届くオーパーツ節分 葬送刑務所暮らし被疑者の自殺Kさんへの返信Mさんへの返信Nさんへの返信たのんまっせ!大阪をもう一つの幕末神の館(もう一つの幕末:続き)可能ですか?ケア住宅からっぽ本の話3題外形標準課税i f禁煙1周年女人禁制荒唐無稽絶筆省マネー50億年後文字と映像医療過誤特養見聞録ステロイド脱却作戦
000201(火)訃報届く
この数年、癌と戦い6度に及ぶ手術をされていたM先生の訃報が届きました。
1月31日未明ついに帰らぬ人となられたそうです。享年65歳、先生の御冥福をお祈り致します。

私が29歳の暮れ、勤務していた設計事務所が突然大量解雇を発表しました。
私は、解雇メンバーに入っていなかったのですが、事務所の処置に憤慨し、その日の内に辞表を出し即日退社しました。若気の至りが、予期せぬ「独立」となりました。私もその後事務所存続のため同様の事をしており、恥ずかしい限りです。

退社に関し、再三に渡り翻意を促されました。
しかし、私が受け入れなかったことから、一転して訴訟となりました。私の在職中に『事務所に対し迷惑をかけた』として、損害賠償を求めるものです。合わせて在社中のあらゆる得意先に、私を解雇した旨の『回状』が廻されました。
独立を甘く考えていた私はいきなり苦境に立たされました。在職中の得意先を回れば『なんとかなるさ』と言う気分があったのです、しかしもろくも崩れ去りました。そんな折、私を励ましてくださった数少ない人達のお一人がM先生でした。

M先生は外科の先生です。
私自身の長期入院を含め、家内も子供達もお世話になった先生です。事務所の法人化においても株主となっていただき、物心両面を支えていただきました。何のお礼もできぬうちに訃報に接しなにかと悔やまれます。
思えば、会社設立に際しお世話になったSさん、私の兄、そしてM先生発起人7人中3人が鬼籍に入られました。
まだまだピンチが続いています、どうぞあの世から見守ってください。『えっ、まだこき使うのかって!』勿論です、先生これからも守護神となっていただきますようお願い申し上げます。改めてご冥福をお祈り申し上げます。
000202(水)オーパーツ
(000130「平均寿命が倍になる」の続き
オーパーツとは「そこにある必然性のない物体」の頭文字をとって作られた造語です。全く存在そのものが不可解な「モノ」と考えられます。例えば…
 □500年前の地図が発見されました。
そこに描かれたいたのは南極の詳細な地図で、永久氷河に覆われた場所でした。最近、衛星を使いやっと出来た南極の地図と寸分違わないものです。ちなみに500年前はまだ南極大陸は発見されておらず『不思議・不可解』としか言いようがありません。
 
□南米の墳墓から恐竜の埴輪が発見されました。
考古学の進んだ今日、我々は恐竜の存在を知っていますが、古代人が『どうして恐竜の存在を知っていたのか?』不思議です。なぜなら、恐竜史と人類史はオーバーラップしていないのです。
 
□西アジアの遺構から乾電池が発見されました。
合わせて、金鍍金された器が出土しています。電池を使い電気メッキをしたことは明らかです。何と2000年前の出来事です。
これらの出来事を、人類史の流れで説明付けようとしても絶対解けない『謎』になっています、それは『ありえないこと』だからです。唯一、謎を解くキーワードは『違う人類史が存在した』場合だけです。
最古の人類と現在の「人間」は、人類学的に繋がらないそうです。そこは『ミッシングリング(失われた輪)』で遮られています。可能性で言うなら、人類は何度も「栄枯盛衰」を繰り返したかもしれません。前史文化の遺物を探し当て、『そんな馬鹿な』と首を傾げている…そんな構図が見えるようです。

000130「平均寿命が倍になる」で、生命工学の『特許化』が一部の人にしか恩恵を与えない可能性(非常に可能性が高いと私は思っています)を指摘しました。
こんな高度なレベルの世界の話でなくても「普及しないものはないと同じ」現象がいくらでも見つけることが出来ます。行きすぎた特許化は『ないと同じ』現象を起さないかと危惧しています。
最近のアメリカを見ていると、あたかも『千年王国を目指す』が如くの印象があります。
アメリカが進めている「一人勝ち政策」の最後の〆が『生命工学の特許独占化』になりそうに思えてなりません。全ての知的財産を独り占めする政策が急速に進行する一方で、後進国の『人口爆発』が起きています。
不気味な予感が私を捉えています。
アメリカが知的財産を独り占め(隠匿)している間に、後進国の人口爆発がお起こり、人口津波に文明が呑込まれ「人類そのもが滅ぶ」事態が起きはしないか…と思うのです。

こんなことで滅んだかもしれない文明があるのです。
例えば、「チャチャポヤス文明(16世紀の中米)」は素晴らしい文化を持ちながら、周囲に普及させることなくインカ帝国に呑込まれ消息を絶っています。インカ帝国の遺産と言われるもので、実はチャチャポヤスの遺品が結構多いかもしれません。

何万年かたち、当時の人類が「オーパーツ」を発見するかもしれません。アメリカの一人勝ちが、人類の滅亡の原因になりませんように…
000203(木)節分 葬送
M先生の葬儀に行ってきました。
さすがは医師会の副会長までお勤めになった先生です、会葬者の多さに驚きます。
弔電の紹介や焼香順位など『錚々たる肩書きの皆さん』です。私など、片隅の会葬者です。でもM先生と最も関りの深い一人かもしれません。

昭和46年、某病院の宿直室で先生と始めてお会いしました。当時勤務医で、昼と夜別々の病院で働いていらっしゃいました。
お会いしたとき先生は、預金通帳を私に見せ『これで病院を造ってください』とおっしゃいました。とかく踏ん反り返る先生の多い中で、強烈な印象を私は受けました。医療金融公庫から借りられる金額に預金の全額を合せても非常にタイトな金額です。M先生より、一回り若い私が『意気に感じた』のは生意気でしょうか…

まず、土地探しからです。駅と消防署にほど近い「T市の田んぼ」を見つけ先生をご案内しました。限られた予算で見つかる最良の場所でした。それまで入院施設のある病院が無かったT市の消防は大歓迎でした。
設計を済ませ、清水建設ととことんネゴをしました。私が財布を預かっているのと何ら変わりません、これで作るしかないのです。先生との約束は「何も文句を言いません、その代わり追加もありません」と言うものでした。
工事中も「追加が必要なら削るところを探せ」が絶対命令でした。金に明かした病院ではありません、でも、コストパフォーマンスの良い病院が出来ました。


昭和48年、竣工式当日。式に出席したボスに「あなたにお世話になった覚えはありません」と言って物議をかもしました。事務所のボスは、先生と竣工式で始めてあったのでした。
当時、すでに「N事務所の中に高松事務所があるみたいだ」と言われていました。私は、営業から設計監理まで全てこなし、N事務所の売上の4割以上を一人で上げていました。これが『成行きの独立』の遠因になりました。

病院は順調に軌道に乗り、初期に不足していた施設を継ぎ足していきました。その頃から私の出番が減っていきました、先生の『付合う範囲が大きくなった』のです。
以後、先生の自宅だけ『お付合い』が続いています。
息子さんが外科医を継ぎ世代交代が出来ています。
息子さんのための『リニューアル』が迫っています。人の命より建物の寿命は長いのです、私は2世代に渡り建物のお守りが出来そうです。これって『建築屋冥利に尽きる』ことだと思っています。
享年65歳。M先生のご冥福をお祈り申し上げます。
000204(金)立春刑務所暮らし
昨日は慌しく家を出て、読みかけの本を忘れてしまいました。
やむを得ず本屋に飛び込み、適当に本を買いました。文字中毒と言うものがあるなら、私は立派に患者です。ところがこれが大ヒットでした。本は…
実録『刑務所暮らし』あなたが逮捕された日のために(別冊宝島編集部)
読めば『ああ、あの事件か』と思える有名な事件の逮捕者にインタビューしたもので、笑いを堪えるのも、思わず目頭が熱くなるもの、義憤を感じるこのがあります。刑務所のしきたりは江戸時代とあんまり変わっていない様子や、やはり『お足』がモノを言う世界であることが判ります。是非一読を!
000205追記
友人の弁護士に『刑務所へ体験入所できないか?』と持ちかけたことがあります。でもこれは無理でした。どうしてもと言う向きは…犯罪はダメですよ!

これは雑誌から
普通「松葉蟹」「越前蟹」と呼ばれる蟹は足が8本なのです。これから香住まで食べに行ってきます。出きればご報告します。

でもタラバ蟹は足が6本です。なんとタラバ蟹は『ヤドカリの仲間』で蟹ではないそうです。
000206(日)被疑者の自殺
京都の小学生殺害事件も『被疑者の自殺』と言う後味の悪い結末を迎えました。
結局、動機や「謎の犯行文」の解明等全て『藪の中』となってしまいましたが、メモ等から「冤罪」の可能性は低そうです。

被疑者の青年は当初噂された犯人像とは違い、21歳の無職の青年でしたが『自立していない』と言う意味で『一人前』とは言いがたいものがあります。
高学歴と言う「就労拒否」が蔓延し、フリーターとか援助交際という『安直な生活』を選ぶ若者が増えています。今回の被疑者も、成績は優秀だったそうですが、無職で『就労拒否』現象の一人であったことがまず頭に浮かびました。
(注:報道には「元○×」と言った経歴もないところから、就労経験はなさそうです)

このような事件が起こると決まって『親は何をしていた』と言う意見がマスコミを賑わせます。これほど辛い意見はありません。
「親はなくとも子は育つ」と昔から申しますが、『親があっても子は育つ』恐ろしさをご存知の方は少ないのではないでしょうか。

私にも「箱入り息子」がおり、いまだ就職をしたことがありません。無気力ゆえに『社会に迷惑をかける』可能性は低いのですが、犯罪予備軍であることに変わりありません。それだけにこのような犯罪が起きると『胸を締め付けられる痛み』を感じてしまいます。
私は子供を分け隔てなく育てましたが、これが失敗だったと思っています。子供毎に育てるべきでした、しかし『親が鏡になれない』世界もあるのです。息子は、夜昼なく働く私の後姿を見て『もっと楽な世界がある筈だ』と罵倒しました。こんな体験をすると、マスコミがまた『いけにえの親』を作るのかと気が重くなってしまいます。

親の資質や環境とは関係なく問題児は生まれます。親がそれに気付かぬはずがありません。しかし、もがき苦しんでも有効な対応策がないことも体験しました。お願いです、安易な批難で済まさずに、事例の収集、予防法や治療法の確立と言った研究こそ急がれると思っています。

青年は、任意同行を求められ5時間に及ぶ説得中に逃走したそうです。青年は『学校で1.2を争うランナーだった』とか、警察官も追付けなかったようです。警察の不手際を批難する論調が出始めていますが、安直なマスコミの姿勢を感じてしまいます。
彼はせっかく逃亡に成功したのに5時間後に遺体で発見されました、自殺を選んだのです。
では、彼は自殺するために逃亡したのでしょうか?このことに触れたマスコミはないようです。

箱入り息子を持つ親として勝手な推理を許されたい。(マイナーなHPの特権です)
彼は『極度の内弁慶』で、小さな世界の支配者のように振舞いながら『親がいなければ生活基盤を失う』危うさに気付いていなかったのです。
「なにも頼るものがない」ことに気付いたはずです。一人で生きて行けるほど強ければ、就労拒否など決してなりません。彼は、逃げることにより初めて『生きる術を失った』と気付いたのです。

『愕然』としました。選択肢は?そんなに多くはありません。
自首するか!「とんでもない」根拠のないプライドだけは人一倍高いのです。自分だけが正常で『世の中全部が異常』と思ってきただけに友達なんかありません。社会と協調できるくらいなら就労拒否はしていません。そのくせ自分で逃亡生活を支える能力はありません。結局、短時間で自殺を選択しただろうことが容易に推察できます。
 
またまた、異常な事件の1ページが刻まれました。本当は誰が正常なのでしょうか…

 関係のない追伸1
大分別府マラソンが行われました。雨中の戦いはゴール寸前に日本人選手が外国人の招待選手をかわし優勝しましたが、タイムは2時間10分代の平凡なものだそうです。
マラソン【marathon】
陸上競技の一。ギリシアの勇士が戦場マラトンからアテナイまで走り、戦捷を報じて死んだという故事に因む競技。第八回オリンピック大会(パリ大会)以後、距離は49.195kmに統一。
もし距離がこれよずっと長かったら『競技として成立ったのか?』と考えてしまいました。

 関係のない追伸2
「しょうもない」理由で大阪府知事選が行われています。
東京では青島前知事が1期で降り「大阪では横山知事がダントツで勝った」にもかかわらず『セクハラ辞任』となり、芸能人による地方自治は終焉しました。
政治家は『決断と実行』こそが大切で、『終わり良ければ全て良し』の例え通り、決して『清潔』であることを絶対条件とは思いません。

横山前知事は結構府民に信頼されていました。それだけでに「なんで最後まで『セクハラは無かった』言うて戦わへんのやろ」と言う感想が強かったのです。最高裁結審まで10年粘れば『政治家』がまっとう出来たと言う分けです。
後数時間で答えが出ます、大ピンチ大阪の救世主は誰でしょうか?
大阪の地盤沈下を決定的にした『黒田知事』の二の舞だけはゴメンです。
000208(火)Kさんへの返信
ベビーの体調が悪いとか、充分にお気をつけて頂きますように
外は、台風並の風を伴う大寒波の襲来です。各地に警報が出て、大阪も今夜は『雪』のようです

冬本番の最中ですが、紅梅がほころびました(写真:左)
蝋梅の蕾みはまだ固く閉ざされています(写真:中)
白梅は、もっと頑なな様子です(写真:右)

都都逸に「梅は咲いたか?桜はまだかいな」とあります。でも、梅と桜の開花は2ヶ月以上の時間差があります。とても、都都逸のように「続いて」いません。きっと、冬の厳しさから
暖かな『春を待つ』希望を託したもののように感じます。
私もそんな願いを込めて『梅の写真』を送ります。お楽しみ下さい
000208(火)Mさんへの返信
月曜(000207)の朝、クライアントから「これから事務所に行く」と言う連絡が入りました。悪い予感です。
ケアハウスはクライアントの所有地と市所有地を合わせて計画が進行していました。しかし、行政サイドでも「可」とする意見と「不可」の意見が錯綜し、2月20に控えた市議会に上程できるのか不安になっていました。結局、誰もが納得する範囲(敷地)で「計画のやり直しをしよう」と言う決定がなされたのです。


市議会に上程するには今週中に行政に資料を提出しなければなりません。
しかし金曜日は祝日で、木曜日(000210)が週末になります、残された時間は「48時間」まるでサスペンスドラマみたいなシュチエーションです。
敷地面積は半減し、マイナーチェンジでどうこうできるものではありません。また、少し規模を縮小する必要があります。施設は「老人デイサービス」の併設を諦め、地域交流スペースは「取れるだけ」にしました、それでも工費15億円になる規模です。提出書類は計画図だけではなく、事業収支シミュレーションを行い「安全な事業」であることを証明しなければなりません。

月曜夜、夕食に「冷の日本酒コップ2杯」をあおり、計画スタートです。
お酒が入って「気が大きくなる」経験は皆さんお持ちだと思います。時間のない計画には『決断が重要』です、こんな時は『お酒』ほど効果のあるものはありません。
福祉チームで事業収支をはじきます。
できるだけ早く彼らにデータを提供する必要があります。なんだかんだと言っても「6層・4500uを越える物件」です。整合性あるボリュームをFIXし、面積を算定して、チームにデータをメールしたのが火曜朝8時前でした。
> すごく遅くまでがんばられたようで、すみませんでした。
> 今日はお昼までゆっくりと休んでください。
せっかくの「ありがたいお言葉」ですが、まだ仕事が終わったわけではありません。
8時から仮眠に入ったのですが「神経が高ぶり」寝つけません。2時間ほど横になって体を休めただけで仕事再開です。福地チームと同時進行で「プランの密度を上げる」作業に入りました。


火曜日夕方。福祉チームと合流しディスカッション。
時間の無さと、敷地条件の悪化で「プランの内容ダウン」を覚悟していたチームから「感嘆の声」が出ました。条件が厳しくなればなるほど能力を発揮する私の癖が遺憾なく発揮されました。若干の修正は出たものの「グッドなプラン」に仕上がりました。
今夜中に修正し、明日朝(000209)出力、製本に廻して「無事出来上がり」の予定です。
000208(火)Nさんへの返信
京都の小学生殺人事件が一段落したと思ったら、もう「日産自動車京都工場閉鎖」の取材ですか?報道と言う職業も『終わり無き戦い』ですね!

「日産自動車京都工場閉鎖」は一つの出来事に過ぎないかもしれませんが、背景の深さに戸惑いそうです。
世界平準化やボーダレスの対応を迫られる業界と言えば、連想ゲームの如く『金融業界』が挙げられますが、実は自動車産業ほど早く国際化の嵐に見舞われた業界はありません。自動車業界の世界的再編制の中、勝組と負組がはっきりしました。
「日産自動車京都工場閉鎖」をテーマにすれば、日産自動車と言う会社の栄枯盛衰を扱わなければなりません。更に言えば、日本を代表する企業と言えでも『国際化の嵐』の中で『明日は我が身』かもしれない深刻さを伴っています。
どこかで『深さ』を限定しないと、とてつもなく長いドラマになってしまう危険性がありそうです。
追伸:文章ではなく、言葉を肴に酒を酌み交わしましょう。

堪らなく眠くなってきました。皆様、風邪などひかぬよう「ご用心…」
000209(水)たのんまっせ!大阪を
大阪府知事戦は4名が立候補しました。
しかし、泡沫候補と自民党大阪府連が意地で擁立した候補者を除く「実質2名の一騎打ち」でした。その結果、共産党推薦の鯵坂候補を破り、共産党を除く全政党が推薦した大田房江候補の勝利で幕を閉じました。全国初の女性知事誕生です。
 
黒田府政の二の舞だけはいやだと思っていたので『とりあえずホットした』ところです。
ただ、大田候補は『通産官僚』で政権与党の連立枠組みを守るために擁立された「大阪と縁もゆかりも無い落下傘候補」でした。それだけに、自民党大阪府連は意地で「平岡候補」をたて、府民も50万票を超える支持を出しました。
別に『女性だから』と言った偏見はありません。本当に危機に貧した大阪府財政を再建し、ひいては地盤沈下著しい大阪を底上げして欲しいものです。

選挙公約は、「膏薬」と置き換えたいような代物なのでしょうか?
鯵坂候補は「公立高校の無料化」「老人医療の無料化」を公約に掲げその財源に「不要な公共投資の見直し」を上げていました。
ところが、不要な公共投資どころか「必要な公共投資」すら止まっているのが大阪府の現状です。春からの「介護保健適用」に備え、各自治体は福祉施設の拡充に血眼になっているのに、大阪府はこれすら停止しています。
この公約は良識ある方の顰蹙を買ったことは言うまでもありません。しかし、残念ながら「耳障りの良い言葉」が好きな府民も沢山いらっしゃいます。それどころか府政を司る議員先生も良識を疑う人が多いのです。横山前知事は財政健全化に向け多くの提案をしたのですが、「公立高校の授業料値上げ案」は人気取りに汲々とする議員の反対で頓挫しています。

立候補者の「デマカセ公約」も困り者ですが、投票率の低さも深刻です。
今回の府知事選では40%にも満たないのです。こんな状況では、有権者が「政治家を批判する権利」など無いと私思っています。
マスコミは「低い投票率」を政治離れとし、政治不信が原因としています。でもこれは「卵が先か鶏が先か?」の議論に似て、「有権者の怠慢」でもある筈です。この辺で有権者におもねることは止め、辛口の批判を展開して欲しいものです。
投票率が上がり、「デマカセ公約」が糾弾されるようになれば、政治家ももっと真剣になるでしょう。そうあって欲しいと思っています。
何はともあれ、浪速の町に活気が戻るよう「頼ンまっせ!大田はん」
000210(木)もう一つの幕末
本屋を覗くことが日課となっています。
こんな本が目にとまりました。夜明けの雷鳴と言う本で副題に「医師・高松凌雲」とあります。高松性は少ないのですが稀少ではありません。私の記憶では全国で270番目くらいの多さだったと思います。しかし、歴史に登場する「高松性」はまったく稀少な存在です。私は思わず手を伸ばしました。

改めてご紹介します。
吉村昭著「夜明けの雷鳴(医師・高松凌雲)」文芸春秋社(単行本)
主人公「高松凌雲」は福岡県の庄屋に生まれ、武家に養子に出ますがその生活に馴染めず、江戸にいる兄を頼って出奔しました。本人の努力と周りの好意に恵まれ「大阪・適塾」に留学、当時京都にいた徳川慶喜に見出されます。やがて、慶喜は将軍職に昇りそれと共に凌雲の地位も上がっていきます。
当時、パリで開かれた「万国博」の随員としてフランスに渡り「外国で幕末を経験」します。もう一つの幕末と表題を付けた所以です。

お手軽な海外旅行がいくらでも出来る昨今と違い、あの頃の渡海は「水杯」にも似た緊張感と、我々が想像も出来ない感動を持ったものであることが文章から伝わってきます。
「幕末にパリで万博が開かれ、我が国が出品した」こと、そこでは幕府に無断で出展した「薩摩藩と悶着があったこと」程度が私の知識の全てでしたが、この本には万博での様子が大変分かりやすく描かれています。

・日本を代表して徳川幕府が出展しますが、多くの藩に呼びかけ各地の工芸品が展示販売されて好評であったこと。
・薩摩藩は「琉球国王」を詐称し事情を知らぬヨーロッパ貴族に「薩摩の存在」をアピール。会場ではむしろ幕府より盛大であったこと。
・これは驚きです。横浜に住む商人が出展し、絶大な評価を得ていたことです。大工と芸者を引き連れ、会場に「御茶屋」を再現、芸者と併せて日本の風俗を体験させたことです。
・さらに、アメリカの興行主と契約し「旅芸人一座」が二組も万博で興行、さらにヨーロッパやアメリカで好評を博しています。
正式には「鎖国」が解かれていないこの時期に、物怖じしない先輩達が既に活躍していることは驚きと共に感動でした。

万博終了と共に各自に課せられた勉強のため。留学に切換えられました。そんな折「大政奉還」さらに「鳥羽伏見の闘いで幕府が惨敗」のニュースが遠くヨーロッパまで伝わってきます。まさに「もう一つの幕末」が展開されます。
留学を切上げ帰国後、凌雲は旧幕府軍に従軍医師として参加します。
これから「彼が主役」になってきますが、次回にしたいと思います。出来れば本でお読みください。
000211(金)神の館(もう一つの幕末:続き)
我が国は長い歴史を持ちます。
時の流れは平坦ではなく、たおやかな時もあれば、激流もありました。我が国における激流は何と言っても「戦国時代と幕末明治維新」となりましょう。

多くの長編小説をものにした司馬遼太郎氏もその大半を「幕末明治維新」に注ぎ込んでおられます。例えば「新撰組決風録」「竜馬が行く(坂本竜馬)」「花神(大村益次郎)」「世に棲む日々(高杉晋作)」「河合継之助」「翔ぶが如く(西郷隆盛)」「菜の花の沖(高田屋嘉平)」と、枚挙に暇がありません。
注:司馬遼太郎氏の4回忌が近づいています。氏の命日は「菜の花忌」と呼ばれていますが、これは氏の最後の長編となった「菜の花の沖」から取られています。
司馬氏だけではなく、多くの作家が「幕末明治維新」を題材にしていらっしゃいますが、ヒーローにスポットを当てるものが多く、高松凌雲のような『脇役』を取上げた作品は極めて少ないように思います。


高松凌雲が榎本武揚率いる艦隊に付随して函館(当時は箱館)戦争の軍医として任務につきました。日々戦いは敗色を濃くし「五稜郭落城」を予感させるものがあります。
高松凌雲が頭取を務める函館病院に官軍が雪崩込んできました。
凌雲は身を呈して患者を守ろうとしました。現代に生きる我々は「赤十字」の考え方を自然に身につけており『極当り前』と思っていますが、当時、傷病者を守る思想はありませんでした。
その後『反乱軍』としての処罰を受け、医療の世界に復帰するのは3年後でした。多くの組織から指導者として招聘を受けますが二度と宮使えを選ばず『市井の医者』を貫きます。
彼はフランスで学んだ「貧富の差を問わぬ医療施設・神の館」を忘れることが出来ません。東京医師会の会長就任を機に、日本版「神の館」を提唱し、多くの賛同を得ました。
私の拙い文章力ではこの感動をうまく伝えることが出来ません。是非、本をお読み頂きたいと思います。

私の悪い癖で、手元に本がなく「題名も作者も思い出せない」本があります。
戊辰戦争に幕府軍の従軍医師として参加しましたが、銃創処置ができず無力感に打ちのめされました。艱難辛苦の上イギリスに渡り、慈恵医院で修行した医師がいます。うろ覚えですが、たしか『小川先生』と記憶しています。
帰国後、市井の医師を目指しました。彼は二つの偉業を成し遂げました。
ぼしん‐せんそう【戊辰戦争】
1868年(慶応四・明治一、戊辰の年)から翌年まで行われた新政府軍と旧幕府側との戦いの総称。鳥羽・伏見の戦、彰義隊の戦(上野戦争)、長岡藩・会津藩との戦争、箱館戦争などを含む。戊辰の役。
じけい‐いいん【慈恵医院】 貧民施療のために設立された医院。

明治政府は富国強兵を目指しましたが、大きな障害に悩まされました。それは『脚気』でした。今でこそ気にもしない病気ですが、当時は亡国病でした。ハワイに練習後悔に出た軍艦は脚気で乗組員が次々に倒れ「操船不能」となりました。また、日露戦役では戦闘死傷者より『脚気』を患い戦闘不能になった兵士のほうが多かったのです。
 
原因追求が急務です。海軍は小川医師に相談し、陸軍は軍医監「森鴎外」でした。食物原因説の小川医師と、風土病説の鴎外は激しく対立します。当時、まだ『ビタミン』は発見されていなかったのです。
海軍は脚気から解放され、陸軍は相変わらず悩まされました。現象が「小川医師が正しい」ことを証明しているのも関わらず、迫害を受けました。
彼が、民間医療の普及(教育期間設立)と、慈恵病院を目指し作ったのが今の「慈恵医大」です。

たまたま、戊辰戦争に巻き込まれ『慈恵医療』を目指す医師の物語を読むことが出来ました。表舞台で活躍する人あらば「歴史を支える人」もいるのです。同姓の医師「高松凌雲」に思いを馳せています。
021107追記 慈恵医院で修行した先生を「小川先生」としているのは大間違いでした。訂正と共に改めてプロフィールを紹介します。

高木兼寛先生(1849‐1920)は、英国のセント・トーマス病院医学校に留学し、そこで人道主義にもとづいた英国医学を十分に学び、帰国後は「病める人を大事にするような病院、医学校を是非つくってみたい」との考えを実践しました。
 明治14年(1881) 5月1日、東京慈恵会医科大学の前身・成医会講習所を開設
         今に続く日本最古の私立医学校の誕生です。

 明治15年(1882)慈善病院・有志共立東京病院を発足
 明治20年(1887)同病院は皇后を総裁に迎え、その名も東京慈恵医院と改める
         成医会講習所も成医学校に、次いで東京慈恵医院医学校に改称
 明治40年(1907)有栖川宮妃慰子殿下を総裁とする社団法人東京慈恵会が設立
         東京慈恵医院は東京慈恵会医院と改称
         医学専門学校に昇格していた学校は東京慈恵会医院専門学校と改称
 大正10年(1921)大学令の公布を機会に同専門学校は東京慈恵会医科大学に昇格し
 昭和27年(1952)学制改革による新制の大学
 昭和31年(1956)に大学院医学研究科博士課程の設置が認可
また、わが国の最初の看護教育は、有志共立東京病院に創設した看護婦教育所で行われました。
なお、脚気論争は下記のURLに詳しく載っています。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Science/historical_examples01.htm

000212(土)可能ですか?
職業がら、クライアントのニーズを具現することが最重要な課題となります。
しかし、クライアントが『明確な希望』を持っていることのほうが稀で、設計者との対話から「ニーズを決定」することが多いと思います。


そこで困ることがあります。
「○×は可能ですか?」と言う質問です。
技術立国日本では、素人が考える『建物への夢』で不可能なことは殆どありません。むしろ問題は「コストパフォーマンスが合うか?」だと思います。つまり「可能です」と言うことと「現実的なこと」とは別物なのです。例えば、クライアントの夢は可能だけれど総予算の80%にも達し『他は何もできない』なんてことでは『現実的でない』分けです。このことを丁寧に説明するのですが、クライアントの反応様々です。
1. 大変理解され、以後「現実的でしょうか?」と質問される方
2. 理解できるだけに苛立ち「不快感を表明」される方
3. 「可能だけど現実的ではない」と申し上げたのに「現実的…」がすっ飛び、『あの時可能と言ったはずだ』とおっしゃって、後日トラブルケース

まことに日本語は難しいものがあります。
私は『嘘』が嫌で、丁重に申し上げるのです、『耳障りな内容は聞きたくない』我侭な方がいらっしゃいます。なまじ可能なだけに『問題』になるのでしょうね。
000213(日)ケア住宅
ケアハウスと紛らわしいので『ケア住宅』とします。
我侭娘からメールが届きました。自分の世界を探して離職したのは良いのですが、なんせこんな時代です、なかなか就職が決まりません。それでも『予約』があると伝えてきました。面接に行った某社(工務店)では、ケア住宅の構想を持っているそうです。これが事業化するときは是非来て欲しいと言うものでした。

声高に「老人福祉」が叫ばれている割に、ケア住宅は浸透していません。
介護用品ショーを見たことがありますが、我が国と福祉先進国のアイテムには際立った差がありました。我が国のアイテムが『寝ついた後の介護用品』であるのに対し、先進国では『寝つくのを防止する介護用品』でした。

 「寝たきり老人」と言う言葉の英語があるのでしょうか?私は大変疑問に思っています。世界の事例を調べもせず「ケシカラン」とお叱りを受けそうですが、「寝たきり…」は我が国の特徴的な出来事ではないかと思っています。
その最大の理由は『家屋の構造』にあります。
1. 段差の多い作り
2. 基本モデュール「半間=910mm」が車椅子や杖の生活に「必要な巾」を充たしていない
3. 床素材(特にタタミ)が車椅子や杖の生活に適していない
  人気のフローリングも特に注文をしなければ、厚みが車椅子対応になっていません
4. 洗面浴室トイレの構造が『介護』を想定して作られていない
つまり、体が不自由になっても補助具で『健常者のように行動』できる筈なのに、家屋の構造がそれを阻害しているため、「体が不自由になった=寝たきり」の図式ができています。
私はクライアントに、「今は元気でも、何時か不自由になる時が来るかもしれません…」と申し上げ同意を得た上で、上記に述べたような要因を排除する設計に心掛けています。何も住宅に限ったことではありません、オフィスでも工場でも同じです。

本当の意味で『ケア住宅』ができることを心から願っています。
我侭娘へのリメールに、『就職したら、私もそのプロジェクトに参加させて欲しい』と添えておきました。
000214(月)からっぽ
友人のOさんは自他共に認める変人です。
会計事務所に勤め、当社の面倒もお願いしているのですが、資格を取るでもなし、独立を窺う訳でもありません。そのくせ「無くてはならない存在」なのです。
小柄で華奢な体に優柔不断な雰囲気を漂わせており、とても「とんでもない武勇伝の持ち主」には見えません。大阪の名門高校在校中柔道部に属し、対抗戦で「先鋒として活躍、常に5人抜き(つまり、次鋒以下は出番が無いまま)で母校に栄冠」をもたらせています。大学受験では、校門にピケを張る学生運動家多数を相手に大立ち回りを演じ受験そのものをフイにしています。


大学進学を諦めプロ棋士を目指しますが、所定の歳までに「プロ4段」に達せず断念。かと言って「プロ3段」ではアマチュア大会にも出られない中途半端な存在で「いかにも彼らしい」人生です。倒産寸前の会社の会計として「会社再建」に取り組んだり、「新地のママ」の紐生活をしたりと多彩な経験の上、今の身分に納まっています。夕刻4時には退社する気ままな生活ですが、ソフトクライミングの名手で連休は山で暮らす山男でもあるのです(決してそんな風には見えない)。

彼は「僕は精神病やから…」が口癖です。
だから毎週薬師寺に「座禅」を組みに行っているそうです。あるとき座禅を組む目的を聞いたら、「頭をからっぽにする」と言う答えでした。高僧の言葉ではなく「彼の言葉」ですがなんとなく雰囲気が伝わってきます。

3連休の最終日、仕事を終え時間が出来たので「HPの原稿でも書こうか…」と思ったのですが、頭が「からっぽ」で何もイメージがないことに気づきました。
仕事が終わったとたんに「からっぽ」など始めての体験です。
「からっぽ」にすること自体、素晴らしいことだと私は思います。釣りをしていたり、絵を書いているときは、何時の間にか無心(からっぽ)になっています。これが精神のリフレッシュであろうと思います。一日が過ぎ、そんなことを思い出しました。
000216(水)本の話3題
 本の値段
友人に「月の本代はいくらくらいや?」と聞かれました。
一瞬戸窓って、「2万円くらいやろか…」と答えると、結構な費用やなと言う言葉が返ってきました。今年は多忙な割に読書量が多く、月20冊のペースで本を購入しています。平均1000円弱だからこんなものです。でも(私の)飲み代と比べれば「僅かなもの」だろうと思います。
もう30年以上も前ですが、「ムツゴロウの郵便箱」と言う本で、読者の質問にムツゴロウ氏がこんな答えをしていました。「岩波文庫の全ての本を購入しても70万円ほどです、これは自動車より安い」と。「物は考え様」のようです。
最近は「本離れ」が進行しているそうですが、本ってコストパフォーマンスの良い娯楽だと思っています。

 未来予測
「物知り博士」みたいな本を見つけましたのでご紹介します。
「歴史」の意外な結末(事件・人物の隠された「その後」) 日本博学倶楽部/PHP文庫

様々な事件を断片的に知っていますが、その中心人物が「最後はどうなったか」なんて案外知らないものです。そんなことばかりを集めた本で、クイズのネタに十分なりそうです。
そんな中で「大変興味引かれた内容」がありました。
それは『明治時代の未来予測』です。 1901年(明治34年)正月の報知新聞から
 ・ 無線電話で海外の友人と話ができる
 ・ いながらにして遠距離のカラー写真が手に入る
 ・ 野獣が滅亡する
 ・ サハラ砂漠が緑化して文明がアジア、アフリカに移る
 ・ 7日で世界一周ができる
 ・ 空中軍艦や空中砲台ができる
 ・ 蚊や蚤が滅亡する
 ・ 機械で温度を調節した空気を送り出す
 ・ 電気の力で野菜が成長する
 ・ 遠くの人間と話ができる
 ・ 写真電話ができる
 ・ 写真電話で買い物ができる
 ・ 電気が燃料となる
 ・ 葉巻型の列車が東京神戸間を2時間半で走る
 ・ 鉄道網が世界中に張られる
 ・ 台風を1ヶ月前に予測して大砲で破壊できる
 ・ 人の身長が180cm以上になる
 ・ 医術が進歩し、薬が廃止され電気で無痛手術ができる
 ・ 動物と会話でき、犬がお使いをする
 ・ 無教育な人間がいなくなり、幼稚園が廃止され、男女とも大学を出る
 ・ 起こした電気を国内に輸送する
いかがでしょうか、結構当たっていますね。
時が過ぎ、高学歴で無教養な人間があふれる時代になってみると「無教育な人間がいなくなり、幼稚園が廃止され、男女とも大学を出る」と言った予測の『その心は?』と尋ねてみたくなりますね。

 発刊日
数年前から本の「発刊日」を記載しない本が増えてきました。私は、何度かHPで出版社の体質を批判していますが、それと関連していそうです。

長編モノの『出版計画』が無くなっています。
昔は続編の場合、出版間隔を守っており、読者は『次は何時…』と言った予測を持って続編を待っていました。言いかえれば、出版計画が立てられるようになるまで「原稿をストックして」出版をしていたと思います。
注:これは「作家に原稿料を支払い、出版は待つ」状態で、資本の塩付けを意味します。
ところが、出版社の懐が苦しくなり「資本を塩付け」する余裕が無くなったのでしょう、できた原稿から出版してしまうため『続編の予定が立っていない』のです。

リズムを崩すと歯止めが無くなり、それが「発刊日の非表示」に繋がっています。余程詳しい読者でない限り、出版間隔を知ることができなくなりました。
そこへ、ずぼらな作家が相乗りしたため「余計ルーズ」になりました。
前に批難したように『3年半振りの続編』と言った読者を愚弄する作家が現れてきたのです。続編を出さないままに「長編の新作を発表」する、食い散らかしの作家が増えてきました。編集者はとっくに気づいている筈なのに自浄能力が欠けているようです。
私には「読書離れ→出版界の体質劣化→読書離れ」の繰り返しに思えてなりません。

最後に「ぼやき」を付け加えておきます。
乱読の私は、読んだ本かどうか?の判断に『発刊日』を参照していました。おかげで大変混乱しています。何とかしてくれ!
000217(木)外形標準課税
  dogfight53歳の誕生日

石原東京都知事が突然「外形標準課税」を発表して、蜂の巣をつついたような騒ぎです。
それに対し、自治省に大蔵省、金融再生委員会や政府税調は『不快』を表明しています。
外形標準課税とは、聞きなれない言葉ですが『昔からある徴税の考え方』で、荒利に課税するものだそうです。売上に課税したものが『消費税』所得に課税したものが所得税です。外形標準課税はこの中間であることがわかります。そこで関係を少し整理してみます。
売上−(原材料費・人件費・外注費等)=荒利
荒利−(経費・損金・減価償却費・各種引当金等)=所得
全国にある法人の65%が所得税を払っていません、所得が赤字だからです。しかし、荒利すら揚がっていない企業は稀でしょう。なぜなら、これも赤字なら企業が存続できないからです。


突然『外形標準課税』を提唱した石原知事の面目躍如足るものがあります。
なぜなら、『反対の出辛い分野』を狙い撃ったからです。対象は…
東京に本支店があり、資金量5兆円以上の銀行で『荒利に対し3%』の課税するもので、その期間は5年に限定する。
と、言うものです。都民に限らず国民は拍手喝采です。
「銀行は公的資金を導入し、ほとんど『0金利』」と言う恩恵をもらっていながら、税金をほとんど納めておらず、なおかつ世間から並外れた高額給与を続けている」ため怨嗟の的になっています。かわいそうだという声が上がり辛い分野です。


珍しく、朝日系は「銀行だけに課税するのはおかしい」と正論を述べていますが、石原嫌いのマスコミ故と解釈されています。全国知事会も反対の声が多いのですが、これも内容を良く聞けば『俺を入れてくれなかった』と言うやっかみであることが分かります。
一部経済学者の『再建途上にある金融界を直撃するのもだ』と言う批判に対しても、「給料を少し下げれば何でもないことだ」と論破しています。反論を封ずる手際は鮮やかなものです。都議会は、会派関係無く『賛成』の様子で条例が可決されるのは間違いないようです。

東京以上に財政難の大阪では、早くも議会から『大阪も外形標準課税を導入すべし』の声が上がっており、新知事を突き上げています。
国以外、新税の設定はできないと思い込んでいただけに『とてつもない風穴』になりそうです。案外全国に波及する可能性を秘めています。ただ、国が心配するように、自治体の独走で国全体としての税制の整合性が崩れる危険も含んでいるように思います。何事も『良いことばかり』は有得ないようです。
000219(土)if
歴史に「if」は禁物と言われます。でも、これほど楽しい「if」はありません。
織田信長は本能寺で、明智光秀の謀反によって殺されてしまいました。
もし「本能寺の変」が無ければ、戦国を制したのは織田信長だと思います。後継ぎの織田信忠も優秀だったそうですから『長期織田政権』になった可能性もあります。

史実は、信長死後「豊臣秀吉」「徳川家康」と経過し鎖国に至りますが、「もし」信長政権が出来ていれば鎖国どころか『世界に展開』しただろうことは、無理な想像と思いません。
当時、日本人は広く東南アジアに進出し、各地に日本人村を作っていました。タイ・アユタヤ王朝では山田長政が政権に深く関与していました。
鎖国政策により日本人村は衰退してしまいますが、これと入れ替わるようにアジアは西欧の植民地と化して行きます。「もし」鎖国をしなかったら、アジアは大きく変わっていたと思います。こんな風に考えると「信長の死はアジアを変えた」と言えるのです。

明智光秀が「何故?謀反を起したか」今だに不明です。
光秀は「信長を恨んでいた」と言う説がありますが、それは考えられません。あの猜疑心の強い信長が「明智だけを側に置いた」ほど、信用していたと考えるほうが素直です。それであれば「更に謎が深まり」ます。
作家・半村良氏は「信長が天皇家の抹殺を光秀に命令したため、勤皇の心厚い光秀は反逆した」と言う説を披露しています。私は「最もありえる可能性」と思っています。

光秀は、「中国おお返し」と言われる秀吉の反転により討たれてしまいますが、それにしても無策に思えます。信長打倒後の彼には「知将」と言われた雰囲気がありません。それだけ「唐突な謀反」だったと言えます。
これに関しこんな面白い説があります、信長の遺骸が発見できなかったので「信長生存設」がささやかれ、光秀への協力を躊躇させたと言うものです。これも多いにあり得ると思っています。

織田信長の死は「織田家の滅亡」に繋がりましたが、家系としては「長生き」しています。
信長の妹「お市の方」は浅田長政との間に3女を設けています。
彼女達は豊臣家と徳川家の双方で後室を形成し、確りした閨閥を作っています。
豊臣方は滅亡しましたが、徳川方は正婦人(おごう)として残り、3代将軍『家光』の生母になっています。3代将軍家光の乳母(春日の局)は「光秀の縁者」です、歴史とは何と面白いのでしょう。

信長の異母弟は「織田有楽」と呼ばれ、秀吉の御側衆として仕えています。政権の側にいながら飄々とした人生を送ったようです。秀吉の死後、家康に仕え江戸で「高家(儀式を司る)」として、家系と伝えています。ちなみに、彼が住んだところが「有楽町」と言う説がありますが定かではありません。

淀殿(3姉妹の長女)は秀頼を溺愛し、関が原への出陣を拒否したと伝えられています。 
「もし」秀頼が、関が原に馬印を掲げたなら「徳川方についた秀吉子飼いの武将達は動けなかっただろう」と言うifがあります。可能性の高く、そうなれば徳川政権は無かったことになりそうです。
ただ、豊臣政権が続けば「どんな国になったのか…」まるでビジョンが見えません。ifで言うなら、豊臣政権そのものが「戦国に咲いたあだ花」のように思えてなりません。

豊臣家は『大阪夏の陣』で滅亡しました。
しかし、秀頼と淀殿(3姉妹の長女)は滅びましたが、少女が一人生き残り「鎌倉の東慶寺で尼として」生きたことはあまり知られていません。
「女の戦い」で豊臣家は滅亡したかもしれません。
秀吉の正婦人「おねね」が徳川方に加担していたことは広く知られています。家康は「おねね」を厚遇しており、秀吉の子供(淀殿の子供ではない)が「尼として」生き残った大きな理由ではないかと思っています。

鎌倉の東慶寺が「江戸時代、縁切り寺として公認された」のは、この尼が寺に逃げたご婦人を庇ったことから始まったそうです。幕府は、この尼を大切にしたことが分かります。ただ、尼の死により、豊臣の家系は完全に途絶えました。

同じ民族同志の政権争いだけに、西洋に見る『皆殺し』はありません。不思議に絡み合って、歴史を作っているようですね…
000221(月)禁煙1周年
少し前の新聞に「禁煙目標を下方修正」と言う小さな記事が出ていました。政府が喫煙人口の減少を政策目標に掲げていたことを私は知りませんでした。でも、このような『嗜好』をコントロールするのは大変でしょうね。
肺ガン原因説や、嫌煙権と言った社会情勢の変化に伴い、男性の喫煙者が急速に減りつつあるのに『喫煙人口が減らない』理由は、若い女性の喫煙者が驚くほど増えているからです。
私がタバコを覚えた頃は、概ね『男の嗜好』でした。
女性の喫煙は少なく、喫煙する方でも人前を憚っていたように思います。ウーマンリブやセクハラが関係あるのかどうか?存じませんが、女性の社会進出と共に「女性の喫煙が顕在化」してきました。最近では「くわえタバコ」や「歩きながらの喫煙」も目立ちようになりました。

女性蔑視や偏見ではなく申し上げますが、女性の「社会性」は男性より劣るように思います。公衆トイレの落書きは「すざましい」そうですし、女性同士の「猥談はエゲツナイ」とも聞きます。男性がタバコの主流であった頃は「禁煙」の表示など無くても、相応しくない場所では自然に煙草は止めていましたが、若年層の女性のタバコにはそんな配慮を感じません。
おそらく、若年層の統計を取れば「女性の喫煙」のほうが多いと思います。こんなところにも「中性化」傾向が出ているのでしょうか。喫煙は胎児に影響し、育児にも有害です。女性の喫煙は男性以上に「危ない」要素を含んでいるのに無頓着です。

私はまもなく「禁煙1周年」を迎えます。
もう大丈夫か?と言う質問を受けますが、まだ自信はありません。
○○中毒と言う言葉がありますが、「依存性」によりランク付けがあるそうです。タバコは「身体的依存度はないけれど、精神的依存度はヘロインに匹敵する」そうです。つまり、身体的な中毒性は無いけれど「精神的中毒になる」と言うものです。
私は、いまでも「吸ってみたい」と言う誘惑にかられます。
余り人には言いませんが、「禁煙は永久に努力が必要」と感じています。こんな不毛の努力より、「はなから煙草は吸わない」方が良いに決まっています。
たまには「年寄りの意見」に耳を傾けていただけますように…
000222(火)女人禁制
まもなく大相撲大阪場所が始まります。
「土俵を女人禁制にするのはケシカラン」と言う、女性議員から相撲協会に抗議が出ています。以前からこの声はあったのですが、大阪府知事に女性が初当選し「大阪場所が重なった」ことから一際大きな声となっています。
女性の権利を声高に叫ぶ向きには、相撲文化は「性差別」に映るようですが、この論法では文化が滅びそうです。

異性を退ける文化は意外と多いのです。
歌舞伎の世界もそうで「女形(おやま)」は不可欠な存在です。修験道もそうです。宗教も『女人禁制』の歴史が長く、そのため「女人高野」と呼ばれる寺が存在するくらいです。逆では「宝塚歌劇」が男性を受け入れていません。
このように「性で分ける」ことで成り立っている文化に『ウーマンリブ』の発想を持ち込むには無理があると思います。第一、女性が土俵に上がって何をするつもりなのでしょうか?

相撲は神事として要素を濃厚に持っています。
穢れを嫌う神道では女性排除の傾向が強いように感じます。
かっては喪中だけではなく、生理中も参詣を遠慮したものです。そのくせ「鳥居は女陰を象ったもの」で参道は『産道』に通ずると言われています。つまり、神道の根本に『女性』があるようです。ちなみに、我が国神話の最高位は「天照」で女性です。

奥様のことを「山ノ神」とか「かみさん」と呼ぶように、我が国は母系家族です。これだけ女性を大切にしているのですから、相撲の伝統くらいは許して上げたらいかがでしょうか…
000223(水)荒唐無稽
随分小さい頃から私は「常に何かを考えている」癖がついています。
だから頭を休めるため、取止めの無い本を読んだりB級映画を見たりします。実は、無邪気に見られるB級映画って結構好きなんです。

先日、日曜洋画劇場で「アトミックトレイン」と言う、我が国初公開の映画を放送していました。B級映画の匂いが濃厚にしていたのですが、観賞後の感想は「それ以下かな?」と言ったところです。格別目くじらを立てる問題でもないのですが「チョット暇なもんで」お付き合いの程を…

 荒唐無稽・その1
ディーゼル機関車に牽引された貨物列車のブレーキが故障して「暴走を始める」ストーリーです。いきなり「乱暴な設定」です。
ブレーキが故障すれば列車を止めることが困難にはなると思いますが「=暴走」はチョット頂けません。格別「鉄道オタク」ではありませんが、列車の制御スティックは2本あり、ブレーキ制御と動力制御の別々のスティックになっている筈です。だからブレーキが壊れても、動力制御のスティックを使って列車をコントロールできる筈です。

映画では「いかなる方法でも暴走を止めらない」設定です。が…
仮に「ブレーキと動力」双方の制御が不能になっても、オイルの供給をストップすればディーゼルエンジンは止まるはずです。機関車は頻繁にオーバーホールが行われるため、給油系統の分離が容易にできる仕組みになっていると思います。映画では、この試みは一度もなされていません。
暴走をしているのは牽引車だけです。危険な車両は列車の後部にあります。列車は1000km近く荒野の無人地帯を走るのだから、この間に危険車両を切り離せば良いと思うのですが、この試みも成されません。とにかく何の論理性も無く無理やり「暴走」をさせています。

 荒唐無稽・その2
何故かこの列車には危険な化学物質が無蓋車に大量にドラム缶で積まれています。こんな危険な積載方法は「我が国では考えられない」ことですが、アメリカでは「あり」なのでしょうか?
何と、驚くではありませんか!
更にその中央に「キャビヤ」と言う名目で、ロシヤから密輸入された「核爆弾」が積まれており、信管を付けたまま移動(普通は安全のため弾頭と信管を分離して運ぶ)していたのです。私は「軍事オタク」ではありませんが、こんな危険なことは絶対無いと断言できます。なお、核爆弾の機種までわかっているのに、信管を外すために専門家を送り込む試みはなされていません。 
素人が常識的に考えても「いくらでも防ぐ方法」があるのに、この映画では必然性を無視して何が何でも「核爆発」に持ち込もうとしています。ちなみ、映画では「誰が何の目的で密輸入しどのように使うつもり」と言った、背景説明など全くありません。

 荒唐無稽・その3
アメリカ流の「安物ヒューマニズム」が「これでもか」と言わんばかりに出てきます。
列車は一度だけ「歩く程度の早さまで」減速に成功しました。なのに、核爆弾の運び出しや、乗務員の避難といった処置をしません。
「もう止まるから…」と言うサインを無視して、救助に掛けつけた機関車が追突し、止まりかけの列車を再び暴走に導いてしまいます。
軍部は無人の荒野で列車を破壊するよう手配をするのですが「アメリカ人(乗務員)に対し、攻撃命令は出せない」と言う大統領の拒否で、結局200万都市に列車は突っ込んでしまいます。
脱線転覆はしましたが、核爆弾が破裂したわけではありません。
危険な化学物質に火が回り、消火は難航しています。そこへボランティア精神の民間ヘリが『水をかけ』大爆発を引き起こし、結局『核爆発』に至ってしまいます。
ここでも、考えられないこと(安物ヒューマニズム)の連続で被害を拡大させて行きます。

 荒唐無稽・その4
200万都市は核爆発の閃光に覆われ、ビル群は一瞬にして蒸発して行きます。なのに、妙に「人間が無事」なのです。この映画の関係者は『原爆の知識』をまるで持っていない人達ではないかと感じました。核兵器の破壊力の大きさは理解しているようですが何よりも『人的被害をもたらす兵器』であることを、ご存知ないようです。

今まで日本では公開されたことの無い映画と言うわけで、随分前宣伝をしていたのですが、案外「余りの馬鹿ばかしさ」で相手にされなかった作品ではないかと感じました。
少しくらい「科学の裏付け」を持ち、必然に添った展開をしてほしいものです。だから、希望通りの「B級映画」でありながら『頭を休める』ことにはなりませんでした。
000224(木)絶筆
我が家は一般家庭より読書量が多いかもしれません。
民主的な我が家は「5人家族の好みの本が違う」ため家庭内の回し読みは殆どありません。今は子供達も自立別居で少し改善されて来ましたが、当時は年間500冊も購入する有様でした。
かといってマンション暮らしです。
豊富な書架があるわけではありません。キャパは4000冊しかなく、全てを蔵書できません。どの本を保存するか!常に悩みの種です。しかし、絶対的に『優先権』を持つ作家が何人かいらっしゃいます。そんな一人に大好きな藤沢周平氏がいらっしゃいます。

藤沢周平氏は秋田県生まれ、43歳で文壇にデビューと言う晩生ですが、強烈なインパクトを残して、1997年1月享年69歳で世を去られました。作家生活26年と言う短さです。
この10年余りで、テレビドラマの原作に使われ一気に知名度を上げましたが、私は氏がデビューした直後からのファンでした。短編長編を問わず、氏の作品は読破してきたつもりでしたが、先日「長編小説・漆の実のみのる国」と言う本を見つけ『まだ読み残しがあったのか…』と驚いてしまいました。早速購入したことは言うまでもありません。

「漆の実のみのる国」は困窮する米沢藩の改革に尽力した上杉家藩主「上杉鷹山公」を主人公にしたものです。かって、ケネディー大統領が就任に当たり『最も尊敬する人物』として鷹山公を挙げたため、マスコミが『いったいいかなる人物か?』と色めきたったと言う逸話があります。もう5年ほども昔になりましょうか、正月の長時間ドラマで「上杉鷹山」を放映したため国内でも知名度が上がりました。

この正月ドラマは、童門冬二氏の小説「上杉鷹山」を原作にしたものでした。
鷹山公の行動(身分制度を否定し、幕府瓦解を予感した最初の人物と思います)が、余りに時代離れしていたため、見ていた家族から『封建時代にあんな人物がいたはずが無い』と言って批判が上がりました。私はかなり早い時期に小説「上杉鷹山」を読んでおり、原作に忠実にドラマ化されたこと、家にその本があることを話しました。おかげで、我が家では『珍しく回し読みの本』になりました。


「漆の実のみのる国」を読みながら、私は盛んに首を傾げていました。私の知る藤沢周平氏の作風と明らかに違うのです。
読書後の解説で、氏が童門冬二氏の小説「上杉鷹山」を知った後に書き出したこと、肝炎の再発に悩まされていたことを知りました。
藤沢氏は、小説「上杉鷹山」を批判的に、かなり意識して「漆の実のみのる国」を書き進んだように思われてなりません。文体は「感情を極力押さえ」ており、「まるでドキュメントのごとく」味覚の無い文章となっています。なにやら、文章から『藤沢氏の怒り』を感じてしまいます。童門冬二氏と、共通する認識は「身分制度を否定する」部分くらいで、童門冬二氏のように鷹山公の治績を絶賛するものではありません。鷹山公の献身的な努力を否定するものではありませんが、「結果を出していない」点を厳しく指摘しています。

藤沢氏の『怒り』は何なのでしょうか?
氏自身が近隣県に生まれ、今も変わらず「重く圧し掛かる東北の自然」への恐怖、結果の出ない「空しい努力」と言ったものに対する怒りなのでしょうか。
東北を知らない人間(童門氏)が、あたかも「鷹山公が克服した」かのように小説を書いたことへの怒りなのでしょうか?氏は既に鬼籍の人となり、もう聞くすべもありません。
ただ、僅か26年の文芸生活であれだけの作品を残しながら、故郷「秋田」を題材にしていません。それどころか、めったに東北地方すら素材としていないことに、『愛してやまない故郷の悲しさ』に触れて欲しくはなかったのでは…と想像しています。

「漆の実のみのる国」は週刊誌の連載小説として書き進められ、あと数頁を残し絶筆となりました。ご冥福をお祈り申し上げます。
000226(土)省マネー
『省エネ』には天下の御旗のごとく、抗しがたいものがあります。
しかし、中身を検討してみると「省マネー」であることが多いのではと感じています。
つまり、理念より『実益』で省エネ化が進行しているのではと思えるのです。
省エネのPRには『これだけお安くなります』というコピーはあっても「地球が助かります」と言った、大上段に構えたものはお目に掛かりません。

例えば「ソーラー発電」があります。
太陽の無限の恵みを電力に変える『省エネ中の省エネ』ですが、掛け声ほど普及していません。何故か?
ソーラーは、雨や曇りと言った天候に左右され「安定性に欠け」るので、不安定さを補うため、在来システムとの二重投資が必要になります。このコスト(投資)を「ソーラー発電」で取り返すことは現在の技術で不可能です。
大げさに言えば「国家的損失云々」の境地から導入することはあっても、個人の『損得勘定』では計算が合わない現状があります。
本来、省エネには『地球を守る』と言う環境面への貢献を意図したものがあります。だから「負担をしてでも環境を守ろう」と言う気概が必要だと思いますが、そこまでの意気込みは感じません。

ケアハウスの設備システムを選択中ですが、第1候補に「オール電化」を挙げています。コージェネレーションのような「トータルシステム」を持っていなかったオール電化ですが、ここに来てやっと「トータル化」が出来るようになりました。まだ完成したばかりで実績はなく、採用すれば『第1号のシステム』になりそうです。
 
電力会社は「深夜電力の利用」を促すため、様々な特典を与えて「省エネ」をPRしていますが、実利誘導を切り口にした省エネPRです。
立場を変えてみれば、電力会社の『省マネー』と言った事情もあるのです。電力会社は需要のピークに合わせて『設備投資』を要求されるています。「ピーク時の需要」を需要の少ない深夜にシフトできれば、一日の需要平準化ができ「電力会社の経済的メリット」が大きくなるのです。電力会社は『省エネ』をお題目にしていますが、何よりも自社の「経済的メリット」を重視しているかもしれません。
でも、結果として『省エネ』になり、『クリーンな地球』に貢献できるなら「いいかな…」と言ったところです。

最後に、電気による『トータルシステム』をご紹介しておきます。
深夜電力を使い製氷造貯蔵し、昼間の冷房のエネルギー源とします。つまり『エコアイス』と呼ばれるシステムです。氷を作る際『膨大な排熱』が出ます、これが『ヒートアイランド』と呼ばれ「都市の温度上昇」を招く環境破壊の原因となっています。トータル化システムでは排熱を利用して『貯湯』します、これでケアハウスは24時間大浴場を提供できます。つまりヒートアイランドを防止し、タダで給湯しようと言うものです。

冬季は、深夜電力で『貯湯』し昼間の暖房エネルギーとします。
貯湯も製氷も『蓄熱の手段』ですが、『貯湯蓄熱』は製氷エネルギーの1/8で済みます。冷房時で機械の能力を決めるため、冬季は機械のキャパスティーが大幅に余っています。これを利用して、『大浴場への給湯』や『夜間の保守的暖房』が可能になります。
ちなみに、このシステムの効率係数は「4.0」と出ています。
非省エネシステムに比べ4倍の熱効率を有し『排気は無く、ヒートアイランドの防止』も出来る優れものです。
(住居系への『オール電化採用』にはキャッシュバックと言う特典がありますが、ケアハウスにはありません。しかし、高圧引込みや変電設備の設置とうに交渉の余地があります)
000227(日)50億年後
ハッブル望遠鏡が地球を周回し、天体観測しています。まるで錦を織り成すような映像をテレビ見ていたら『地球も50億年後にアンドロメダ星雲と衝突します』とナレーションが入りました。私が生きているはずも無い未来ですが、『そんなことまで分かっている』って寂しくもあります。皆様いかがでしょうか?
000227(日)文字と映像
職業柄地図に強く、始めて行ったところでも余り迷う事がありません。勿論2度目ともなれば『通いなれたところ』みたいに、スイスイです。「車を運転せん割にヨ〜道知っとんな」と感心されますが、特殊なことと思っていません。
本の話から、
友人がある情景を話し「あれは誰のことやったか?」と、聞いてきました。その内容から「どんな本で、誰が主人公で、今どのような状況」かを話し、今後「どうなる」かを告げたところ感心されました。ちなみの私が5年ほど前に読んだ歴史小説の一場面でした。


家族で洋画のレンタルビデオを見ながら、
「この映画、見たことある…」と言ったところ、息子達は「そんなことあるはずが無い」と言い出しました。どうも、公開された映画ではないようです。
しかし、映像が記憶としてあり「次の場面」を予告できるのです。まるで、デジャブのようですが謎が解けました。映画を小説化した本を読んでいたのです、小説の映画化は「かなり変化」しますが、映画の小説化は忠実に行われています。小説から作り上げたイメージが、映画とピッタリ一致していたため「この映画、見たことある…」と勘違いしたのでした。

最近気付いたのですが、私は「文字情報を映像に変換して記憶している」のではないか?と思っています。
仕事上現地調査に行く場合も、事前に地図があれば「かなり正確なイメージ」で現地に到着します。コンターライン(等高線)の入った地図ならもっとイメージは具体的になります。ある物件で、車で現地に向かう途中「地図から受けるイメージ」を披露したことがあるのですが、「余りにピッタリ」で私自身驚いた事があります。

建築屋は総じて『映像』に強く、私だけの『特殊技能』とは思えません。この職業を選ぶ場合の重要な資質かもしれません。何故なら、図面から『姿形色調』まで3次元で想像できることは大切なことです。
そんな私にも悩みがあります。『顔と名前』を覚えるのが大変苦手なのです、どうしてこの分野が『映像化』出来ないのでしょうか…
000227(日)医療過誤
昨年、九州の某大学医学部の、新入歓迎コンパで一気飲みが行われ、無理強いされた新入生が『急性アルコール中毒』で死亡する事件があったそうです。医学部教授が同席していながら「何の手当ても受けぬまま」死を迎えそうです。
このことが何の責任問題にもならぬことに耐えかねたご両親が告訴しました。
しかし『象牙の塔』の結束は固く、医療過誤の証明は難しそうだと報道されました。系列意識の強いこの世界で『教授の手落ち』を一言でも漏らそうものなら『将来が無い』と言うことのようです。


世界平準化の波に載り我が国ではもう7年ほど前に「PL(製造物責任)法」が施行されていますが、医療の世界には適用されないのでしょうか?
一般の世界では、加害者が『ミスは無かった』ことを証明する必要があります。しかし、医療の世界でそんな話しは耳にしないので制度が無いのかもしれません。でも、医療知識の無い被害者が「医療ミス」を証明するなんて容易ではありませんね。
000228(月)特養見聞録
「某特別養護老人ホームが竣工し、オープン前の見学会があるから」と言うお誘いを受け、行って参りました。福祉施設に関して「駆け出しの私」ですが、大変参考になりました。以下、その見聞録です。
主に『特別養護老人ホーム』ですが、複合型の施設です。
1階は事務管理関係+地域交流スペース+老人デイサービス+ホームヘルパーステーション。2〜4階は、階別に重度の違う特別養護老人ホーム。5階はケアハウスと言う組み合わせです。
数人ずつに分かれて案内を受けるのですが、駆け出しの私が頻繁に質問をするのでご迷惑を掛けたかもしれません。Q&Aを含めてご紹介します。

・ 廊下の腰壁が『木のパネル』と『ビニールクロス』の使い分けをしています。「何故ですか?」とお尋ねしましたが、明確なお答えはありませんでした。どうやら「設計者の気まぐれ(ゴメン)」らしいのです。廊下は、杖や車椅子等で傷つきやすく『予算があるなら』全て木のパネル作りたいものです。気まぐれは避けよう…
・ 居室(入居者の部屋)の表札が、健常者の目の高さにありました。腰を曲げ、視線を落として歩くお年寄の習慣が考慮されていません。ご案内頂いた介護担当者も『改善したい』とのお話しでした。
・ 各居室の扉に透明ガラスが入れられています。どうやら管理者の都合のようで、介護職員の意見は「目隠しをします」と言うものでした。自分の名前さえ分らない痴呆老人でさえ、人前での着替えを「恥ずかしがる」ことをご存知無いようです。管理者の都合(介護者ではありません)でお年寄のプライバシーを奪うことには賛成できません。
・ 各室にトイレがついているのですが、結構『?』でした。可動式の手摺が付いています、格好良いのですが「座らなければ使用できません」。質実剛健に固定手摺のほうが使いやすいようです。(写真:背面に可動手摺が付いています)
・ 洗面とトイレをセパレートしたため、トイレ専用の「手洗い」を付けています。ところが、手洗いを優先したため「ペーパーホルダー」に手が届きません。どうするのでしょう…(左写真参照)
・ ウオッシュレットも暖房便座もついていません。『家庭の延長を心がけるべき施設で、何故?』とお尋ねしたのですが、辛い質問だったようです。
・ 居室に『お金を掛けたな…』と思われる家具がセットされています(写真右参照)。でも「冬物はどこに入れるのでしょうか?」と質問が出るほど『生活』が考慮されていません。介護職員の「家庭で使っていた箪笥が置けるほうが良いのに」と言う意見に、私は素直に頷きました。
・ バリヤフリーで、居室からバルコニーに出られるようになっています。ところが、このサッシが大きいのです。床から天井までの高さがあり、100kgはありそうです。ガラス(厚さ6mmで)は25kg/uもあることを設計者は知らないようです。非力なお年寄が開けられる重さではありません。
・ バルコニーに出て『また驚き』です。排水溝の深さが10cmほどあり、車椅子の車輪が間違い無く落ちてしまいます。樋のある部分では『幅が足りません』
(写真左)
・ ケアハウスの居室には、ミニキッチンがついています。冷蔵庫を組込んだため、高さが90cmあります。お年寄には使い辛い高さでしょうね。おまけに、こんなミニ冷蔵庫(90リットル)では、実用的ではないと思います。(写真右)

居室は、今まで生活してきた空間の延長が望ましいと言われます。何もかも目新しく作ることに注意が注がれ、お年寄の『生活習慣』を無視してしまったようです。
次に共用部に目を移します。

・ 廊下にベンチがセットされています。でも、ベンチから『自殺』を誘惑するかのように無防備なサッシがついています。危険なことが分らないのだろうか?
・ 浴室に暖房器具がついています。でも天井面についているので、素足の床タイル部分は冷たいだろうな…(何故?床暖房にしないのだろうか)
・ 健常者(と言っても介護が要らないと言う意味で)用の浴槽にリフトがついているのに、手摺がほんの僅かしか付いていません。(写真左:リフトは写っても手摺がありません)介護職員の方にお尋ねしたら、『出来るだけ自力で行動するよう』指導をしたいので『もっと手摺があったほうが良い』言う答えでした。
・ 要介護者用の「機械浴室」にトイレがついていません。入浴マシンが必要な方はまず『オムツ生活』です。だから、入浴前にオムツ処理が伴うのが当り前です。質問したら、チョット辛い感じで「バケツで運びます」と。浴室と汚物処理が出来るトイレは食堂を挟んで遠く離れています、汚物の入ったバケツを持って『食堂を横切る姿』を想像して気の毒になりました。
・ 障害者用トイレに『立派なドア』がついています。でも、パンツを脱がせ便器に座らせ、車椅子を外に出すまで『ドアが締りません』。これなら『カーテンの方がよっぽどプライバシーが守れる』と、介護職員の方はぼやいておられました。
・ トイレは自動水洗の装置がついています。痴呆老人では、入歯やメガネを投げ入れるケースがあり『自動水洗は悲劇』とのこと。大変勉強になりました。
・ 談話室に和室がついています。その部屋に入るには45cmの段を一気に上がる必要があります。これは一般の人でも大変です。そこで、『どんな意味があってあんな風に?』とお尋ねしたら、『設計者がデザインを優先した』とのこと。介護職員の方は『誰も使わないでしょうね』と断言されていました。

大変失礼を承知で申し上げますが「見た目豪華・実は不便」の目立つ施設でした。反面教師と言う意味でなら『これほど勉強になる施設をありがとう』です。

この施設は、スーパーゼネコンT工務店の施工です。総工費17億円、坪単価100万円言う高額を掛けて作られていますが、外装のどこにも、石どころかタイルすら張られていません。残念ながら『ノーメンテ』を目指した建物とは言えず、コストパフォーマンスが悪い印象を受けました。
計画や施工にあたり、介護者の意見を徴集した形跡がありません。管理者に取っての都合が優先され、介護者の便利さ、ひいては入居者の使いやすさを「疎かにした」のでは?の印象を拭えませんでした。
T工務店なら『適切なアドバイスが出来るスタッフが沢山いるだろうに』と考えるのは、私の買い被りでしょうか…
000229(火)ステロイド脱却作戦
血管拡張剤(狭心症予防)を服用し始めた時期と符合して、アトピーになりました。もともと資質があったところに薬が引き金になったようです。
毎晩、パジャマが『血だらけ』になるほど全身に湿疹が広がり、かゆみで睡眠もままならぬ状態となりました。内科の先生と相談し同じ診療所の皮膚科にも通院するようにしました。
あれから2ヶ月、湿疹の痕は色素が抜け「まるで鱗のように」広がっています。皮膚科の先生のお話では、これから新しい皮膚とい入れ替わっていき鱗が消えるとのことでした。

私はカルテの内容を知りませんが、内科の先生によれば「一時期きわめて強いステロイドを使用(塗布と服用)していた」そうです。内科の先生はステロイド使用に批判的な見解をなさっていらっしゃいましたが「強いステロイドでなければ対処できない時期」があったように思います。
ステロイドは劇的効果をもたらす反面『副作用の強い薬』とされています。
アトピーの先輩である長男は、中学からアトピーが悪化し『15年のながきにわたる治療歴』を有しています。その長男に『俺より酷い』と言わしめるほど一時は悪化していました。死ぬほど辛い副作用と闘い、ドクターと2人3脚で『ステロイドから脱出』した長男によれば、ステロイドを止めた時の『リバウンド』がもっとも怖いそうです。症状が改善されてきたこれからが正念場です。

ただ、皮膚の回復とかゆみは関係ないようです。
皮膚は綺麗になってきたのに「カイ〜ノ」現象は消えません。それでも『最盛期』から見れば随分改善されています。今、少しずつ『軽いステロイド』に切換えています。副作用も無く、ステロイドから脱却でき、再発が無ければ良いのですが…「神にも祈る気持ち」とはこのことでしょうか。


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