dogfight高松の長すぎるひとり言
2000年1月

あけましておめでとうございますボーダーレスコンビニ大冒険「序言」から年賀状/2度目のOFF会安くて美味いメルヘンな旅ハッピーマンデー/えべっさん/訃報!ミニクーパー成人式始末記オチコボレに乾杯『今年は強運』阪神淡路大震災流出係数割り箸文化論生命財産とは…世界が違う伊勢湾台風セクハラ考ピースOSAKAネットビジネス日本列島雪景色近況から二上山/コップの中の嵐平均寿命が倍になる義務教育と日教組
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2000年元旦



不安を内包した新年に違いありませんが
「趣味・健康・仕事」の新天地の入り口を
見つけたいと期待を抱いて迎えました…
新しい年が「良い年」でありますように!
000101(土)あけましておめでとうございます
時の流れは一時も休むことなく続いているのに「これから新年です」と言って区切ってしまう。勝手なのか?素敵なのか!私は結構こういうのが好きです。まして「新年は強運」等と卦が出ているとなおさらです。

地球に住んでいれば「四季」を感じ、なんとなく「1年」と言う概念は生まれそうですが、かなり古代人でも「1年の始まり」を知っていたようです。おそらく「穀物の収穫時期と星の位置」で、周期を体感していったと想像します。それにしても、地球規模で同時多発的に起きています、これって凄いですね。

我が国でも「方位と季節」は古代から把握されていたようです。神社仏閣の伽藍配置は正確に「北」を向いており、地磁気の記録として利用されているほどです。
(時と共に地球の磁北は移動しています。この1200年で約15度移動していることが知られています)
旧暦では、新年より節分が早くやってきます。でも、19年に1度だけ、「元旦と節分が重なる」時があります。伊勢神宮の遷宮はこのときに合わせて行われていました。しかし、西暦に統一されてから根拠を失い、今の「20年に1回」に改められています。

「Y2K」は、どのような問題を巻き起こすのでしょうか?
私のコンピュータはつい数時間前に「2000年対応」の処置を済ませたばかりです。
新しい年が、皆様にも私にも良い年でありますように…

000102追記
ニュースを見る限り、一時を争うような影響は無かったようです。正月休があけ、通常業務が始まって「不都合が見つかる」のかもしれません。
000102(日)ボーダーレス
大晦日は久しぶりに『紅白歌合戦』をゆっくり見ました。
若者のテレビ離れを反映し、視聴率も低下気味のようですが、対する民放も抵抗を諦めたかの番組造りで結局『紅白歌合戦』の王座は続く…と言ったところです。お化け番組も、「ご威光衰えたり」かと思えばそうでもないそうです。かって、紅白に出場すれば「翌年のギャラが変わる」と言われました、今はどうか?
この世界でも『ボーダレス』は進行し、紅白歌合戦はハワイから東南アジア全域さらに、インドまで放映されているそうです。日頃私が「バカにしている」ジャリタレのシェアは、この放映区域と重複しており「紅白に出場」云々は、アジアのシェアに影響するそうです。驚きですね…

年始恒例といえば「箱根駅伝」です。片道100km余の距離を5人のランナーで繋いでいくレースです。今年は1位〜15位までが15分以内にひしめき、トップが目まぐるしく入れ替わる激戦です。
日本で人気の駅伝も西洋(白人社会)の基準で見れば「アンフェア」と映るそうです。ちょっと驚いたのですが、「一人の不調がチーム全体に影響」し「ハンディで救済する術も無い」のはフェアではないと言うことだそうです。「フェア」の概念が我が国と西洋で酷く違うことは周知の事実です、そして残念ながら日本の公平感は少数派です。

柔道の世界大会を見ていて感じることは、ポイント制になってから『勝ち逃げ』を狙う選手の増えたことです。有利なポイントで進行しているのに、まだ「敢闘精神を発揮」するのは日本選手くらいです。日本的フェア精神はアジアですら受け入れられない少数派であることを感じます、と同時に『酷く中身が違う』と感じるのは私だけでしょうか?

ボーダレスの時代に少数派は「存在を許されない」ことと同意語に感じます。だから西洋的「フェアなシステム」が見つからない限り「駅伝」が世界に普及することはなさそうです。でも、「どんなスタイルなら普及するか?」ちょっと興味がありますね。

去就を注目されていたホンダとスバルが、年末に相次いで外国メーカーとの提携を発表しました。結局自動車業界で純血を保ったのはトヨタだけです。それとて自信を持って「日本の企業」と言えるかどうか?とっくに「世界のトヨタ」に変身しており、ボーダーレス化しています。
きっと「世界の常識(基準)を受入れ、ボーダレスに対応できたところだけが生き残る」そんな時代がきたのでしょう。
バブル崩壊が、社会で弾け会社で弾けたけれど、家庭の主婦はまだ「右肩上がり」を信じている。「家庭のバブル」が容易に終わらないように、ボーダーレスへの変化も突然変わるのではなく、あらゆる摩擦を経て慣れていくのでしょう。
000103(月)コンビニ大冒険
正月の三が日、皆様いかがお過ごしでしたか?
私はまったく予定と違ったものになってしまいました。  

コーヒーフィルターが切れそうになり、コンビニまで買いに行きました。
コンビニって私にとってミステリーゾーンです。良くあんなスペースに「なんでも揃っている」ものです。それも、スーパーでは見ることも無い「一人暮らし応援グッズ」の見事さ!感心しますね。酒のアテにする肴も小さな缶詰やパックで、色とりどりです。あまりの楽しさに「ビニール袋一杯」に買い込んでいました。
アサリ汁にお湯を注ぎ飲んでいます。
良く出来ていますね!真空パックのアサリがお湯で一瞬に開きます、味噌がよく溶けて香りが「プ〜ン」としてきます。
コンビニでは宅急便の取次ぎから公共料金の振込まで出来るそうです。便利ですね。若い人には当たり前の世界でも、私には新鮮な驚きです。一度ゆっくり探検に行こうと思っています…
000104(火)「序言」から
中国ものの第1人者、安能務氏の「隋唐演義」を読もうと購入しました。封神演義に匹敵する長編です。その冒頭「序言」で面白い記述を見つけました。ご紹介します。
 その1
かって、英国に『地球を平べったいと信ずる会』と言うものがあったそうです。日常生活で『地球が丸い』等と感じることはありません。そのため、このような会が出来たそうです。しかし、衛星から取られた地球の写真を見て「解散」したそうです、何と楽しい会でしょうか。
 その2
英国の政治学者であるエドワード・H・カーが「歴史とは、過去に何が起きたかではなく、何が起こったと人々が信じたかである」と述べています。何と味わい深い言葉でしょうか。
20世紀は戦争の世紀でした、その中で『日本は悪者』です。日本がしてもいないことで、「日本が犯した犯罪」と信じられていることの何と多いことか!21世紀は、もう少し『宣伝戦』に強い日本になって欲しいものです。
(肝心の本の紹介や感想は別の機会に…)
000105(水)年賀状/2度目のOFF会
 年賀状
今日が初出。
年賀状を1枚1枚見ながら、年賀状でしか消息を知る方法がない方が結構いることに気付きました。ご高齢の方や不況に苦しむ人もいます、年賀状を見て「健在なんや…」と呟いてしまうこともしばしばです。
そんな中でこんな年賀状がありました。「21世紀に向かって最新技術は追求しません。21世紀までに最良の方法で原価低減を追求します」と…今、リストラを強要される世の中で「もっとも必要なスタンス」を見た思いです。

 2度目のOFF会
昨夜、私にとって2度目のOFF会がありました。
メンバーはかろうじて20代の若手5人と50代のオジン2人です、メンバーを紹介します。
若手は、ダンケ/Iさん(ダンケのフィアンセ)/タイジン/ヨイチと私の息子の計5名。今でこそ、日本を代表する企業の研究室や大学院の講師をしていますが、かっては991112「400本の串」に登場するQ大同期の兵(つわもの)達です。
オジン組みは、S氏:オーディオ関連のエキスパート(991202「乱暴な話」参照)と私です。
7人を繋げるキーワードは「音と通信(コンピュータ)」です。もっともキーワードに縁遠いのは私ですが、建築も一応音を扱っていますので、大きな顔で参加しました。
カラオケやナマオケ、果てはピアノを占領しての大騒ぎとなりました。我こそは「喉自慢」と意地と見栄を張ってはみても若者に敵う筈も無く、楽しく敗北を認める一時でした。
それでも流石は『音の専門化』の集まりです、話が盛り上がり『詳しい話題』になれば私など付いて行けない世界です。
若者たちは故郷九州で正月を過ごし、任地に向かう途中に大阪へ寄ってくれました。懐かしくはあっても「串」の頃の面影はなく、社会に責任を持つ顔に変わってきていました。ちょっと頼もしく思いました…
写真左上:ナマオケで絶唱するS氏/右上:ナマオケで絶唱するタイジン
写真左下:ピアノ演奏に興じるヨイチ。続いてタイジンもピアノに興じました
写真右下:カラオケで私と張り合うダンケ
000107(金)安くて美味い
昨日は、最高気温が18℃もある何とも締らない『寒の入り』で、コートも持たず軽装で過ごせる一日でした。
 
初出早々から業務開始で挨拶回りもしていないのですが、逆も然りでかってほど挨拶回りの来客もありません。世の景気を反映してか低調なものです、それでも僅かにいらっしゃった方の話によれば「暗い話ばかりで…」となります。そんな中…
キャリアウーマンとして立派に管理職を務めるHさん、当事務所に出入りして10年を越すベテランです。年末の挨拶の際、雑談からあるアイディアを話したのですが、御用納めの後レポートにして本社に送っておいたそうです。年始早々、本社技術担当部長から『もっと詳しく話を聞くように』との指示がきて、挨拶がてら「やってきた」そうです。Hさんの会社には何度かアイディア提供をしており、私の名前も通りが良いようです。

目的を達した後、例によって『雑談タイム』となりました。その中で「今後の商品開発は『安くて美味い』が肝要」と言うことで意見が一致しました。バブルまでは、『良い商品だけど値段も高い』が通用したのですが、今は『良いものを安く提供』出来なければ生き残れない時代になったように感じます。

マクドナルドとモスバーガー「どちらが美味い?」と言う議論があります。大多数の意見は同じと思いますが、モスバーガーに、マクドナルドのシェアは期待できそうもありません。美味いけれど値段も高い商品は、シェアで必ず限界があるものです。
建築不況の最中、建材メーカーも「費用対効果の優れた商品」でなければ、シェアの確保が困難になってきました。Hさんの会社の主力商品は「美味いけれど値段も高い」で足場を確保してきたのですが、今後『性能を落とさず値段を落とす』ことがどれだけ出きるかが鍵となってきています。経営TOPは『良いものは高くても売れる』と発破をかけるけど『もうそんな時代は終わったですよね』と現場の指揮官Hさんは嘆いていました。

年賀状にあった「21世紀に向かって最新技術は追求しません。21世紀までに最良の方法で原価低減を追求します」は、20世紀最後の名言になりそうです。
000108(土)メルヘンな旅
「手持ちの本を読み終わり、予備の本も無い」そんな電車の中で、観光マップを見ていました。
『近畿を考える』時、どうしても大阪中心に考えてしまいます。
環状線があり、大阪駅から京都北陸方面と神戸山陰方面に、京橋から奈良方面に、天王寺から和歌山方面と放射状に伸びています。大阪中心に放射状でものを考えると、抜け落ちる所の何と多いことか!観光マップを見ながらそんなことを考えていました。

JRには『青春21』と言う格安料金のシステムがあるそうです。
青春とあるから、「年齢制限は?」と尋ねたら、「青春を思い出す旅でも良いんですよ」と教えていただきました。鈍行に快速電車までしか利用できませんが、24時間自由に乗り降りできるチケットです。今は、時間も気持ちも予算も余裕が無く「とっても無理」ですが、気候がよくなって余裕が造れるようなら「目的の無い旅」に出てみたいと空想しています。
□ 夜行で天王寺を出て、阪和線から紀勢線に乗り継ぎ、白浜・勝浦・尾鷲・伊勢・亀山と回って名古屋に抜ける旅。
□ 阪和線和歌山から粉河・吉野・御所・奈良と乗り継いで京都に抜ける旅。
□ 夜行で名古屋を抜け豊橋で下車、飯田線に乗り継いで『天竜』まで、更に長野経由で中央線に乗り名古屋に帰る。空想は広がるばかりです。
「ポヤン」と車窓から流れる風景を見て過ごし、気が向けば「途中下車して、知らない街をブラリブラリ…」そんな旅が出きる一時を求めて…さあ、お仕事です!
000110(月)ハッピーマンデー/えべっさん/訃報!ミニクーパー
 ハッピーマンデー
ハッピーマンデー法と言うそうです。それにより「成人の日」を1月の第2月曜に変更し、無理やり3連休を作ろうと言うわけです。日本経済を建ち直させようとしている時に、休みばかり作って「良いのかな…」
右を見ても左を見ても『晴れ着のお嬢様』ばかりです。流石の娘達も、今日ばかりは動き辛そうです。

 えべっさん
大阪人は結構お祭りが好きなのかもしれない。大阪では「えべっさん」が済まないと「正月が終わらない」のです。9日が「宵宮」10日が「本宮」そして11日が「残り夷」と、大阪らしいオマケまで付いています。
本家を唱える西宮夷に京都の堀川夷、それと大阪は今宮戎が関西の3大夷と言ったところでしょうか。江戸時代、天下の経済を握った名残で「商売繁盛の神様/えべっさん」は大人気です。私も「郷入れば郷に従え」で、事務所を構えてからは毎年お参りに来ています。

私が商売繁盛を願うように、香具師にとっても『この3が日』が稼ぎ時です。「えべっさん」に「造幣局の通り抜け」と「天神祭り」が3大稼ぎの時で、年収の殆どをこれに賭けているそうです。
私の知り合いに「野外興行権」を持っている方がいらっしゃいます。「なんですか、それ?」と尋ねたら、香具師の元締めで「大阪で行われる屋外の興行権」を受け継いでいるそうです。固定劇場は対象にならないそうですが、それでも『挨拶には来るよ』と言うことでした。ちなみに神代の昔から引き継がれた権利で、「代替わりには血の雨が降る」と、さらっとおっしゃいました。でも「昔ほど権威は無くなったけどね…」と言いながら、大阪駅前の「木下大サーカスは2千万円」だそうです。


雨が降りそうで降らずに済みました。新成人の晴れ着も、香具師の方達も「ほっ」としたことでしょう。不況を反映してかすごい人出でした。いずこも同じ「神頼み」、えべっさん今年は頼んまっせ!
えびす【恵比須・恵比寿・夷・戎・蛭子】(広辞苑より)
(エビス(夷)と同源)
〓七福神の一。もと兵庫県西宮神社の祭神蛭子命(ヒルコノミコト)。海上・漁業の神、また商売繁昌の神として信仰される。風折烏帽子(カザオリエボシ)をかぶり鯛を釣り上げる姿に描く。三歳まで足が立たなかったと伝えられ、歪んだ形や不正常なさまの形容に用い、また、福の神にあやかることを願って或る語に冠し用いたともいう。


写真(上から)香具師の出店で賑わう参道。/今宮戎の鳥居もこの人だかり。/鳥居を潜っても「本殿」は遠い、結局お賽銭は遠投して、「えべっさん、今年も頼ンまっせ!」/境内の中も縁起ものの笹を売っています、光物をつけて「約一万円くらい」です。翌年それを持って「お礼に」/こんな風に売ってます。若くて綺麗な女の子の売り場は、人だかりで写真が取れません。
 訃報!ミニクーパー
末っ子は余程「車運が悪い」らしい。
この4年弱の間に次々と事故で廃車し、5台目の車「ミニクーパー」を見せに来たのが10月10日(当HP/991010ミニクーパー参照)です。
つい最近Eメールアドレスを取得し、ハンドルネームを「ミニクーパー」にしたばかりなのに、今日「廃車になった」そうです。駐車して「ラーメンを食べている間にトラックに潰され」ました。よくこれだけ事故を起こしたり、巻込まれたりして「怪我も無く」助かっているものです。

家内の実家で親族が集まる際、何時も「手に入れた車」に乗ってくるのですが、その後いくらもせず「事故で廃車」を繰り返してきました。
この正月の集まりで「今度は大丈夫やろか?」言っていた矢先の出来事です。どうも実家は息子にとって「鬼門」のようです…

 000111追記
大阪『南』を歩いていたら「ほえ籠」に出会いました。これは今宮戎の祭礼を祝う「ミス今宮戎」が籠に乗って練り歩く縁起の良い行事です。写真で紹介します…
先頭を練り歩く(写真の左)は、お囃子を奏でながらの屋台です。お後に「ミス今宮戎」の
ほえ籠が10両ほど(写真下段)続きます。最後(下段右端)の写真はご愛嬌で「元ミス(ミステークではありません)」の乗った籠です。
綺麗どころの写真です。お気に召したでしょうか?
000112(水)成人式始末記
何時の間にか『日付』が変わってしまい、もう1月12日です。
1月10日の「成人式」の模様がマスコミを通して入ってきました。
今や、成人式は自治体に取って「戦々恐々」の事態のようです。式典の最中も「私語に携帯電話」が鳴り響き、果ては「酒を飲んで暴れる」始末です。余りの無法ぶりに講演を依頼された多くの著名人が『捨て台詞』の残して途中退場したそうです。

「今時の若者は」と言う言葉は余り使いたくは無いのですが、『人の話を黙って聞く』と言う習慣が全く無いようです。
一つには「権利を教えて義務を教えない」教育の成果と言えます。戦後の日教組の猛烈な運動が身を結び「権利を教わって、義務を習わない」世代が『今、義務教育を受けている子供の親』になっています。そのため、まるで躾が出来ていない子弟が義務教育を受けています。
輪廻と言う言葉があるように、世の中よくで来ていているものです。日教組の教育の賜物が小学校の「教室崩壊」と言う『しっぺ返し』を起こしています。報道を聞いていて、成人式の出来事と小学校の教室崩壊はなにも変わらないことに気付きます。

私事ですが、もう18年ほど前になりますか、子供(次男)が小学校から帰ってきて「今日先生から習ってん、『親も子供同じ権利があるンやて!』そやから親の言うこと聞けへんでもええンや」と。それから、私の言うことを一切聞かなくなりました。そのお陰?で次男はいまだに社会人になり損ねています。残念ながら、権利主張ばかりで義務を果たさなければ、「こうなる」と言う見本を作ってしまいました。
我が家の問題児が『特殊か?』と思っていたのですが、今やそれが一般化し、今年「2度目のoff会」に集まった連中の方が「イレギュラー」になる時代が来たのでしょうか…悲しいことです。
000114(金)オチコボレに乾杯
運転免許も持たず「生きた化石」の私は、車のことに疎いのですが、こんな話を聞きました。
昨年秋のモーターショーに日産が画期的な「ミッションシステム」を発表したそうです。理論的には以前からあったそうですが、多くのメーカーが「実用化できず」断念した幻の技術だそうです。
凋落著しい日産が起死回生策の一つとして「社内の英知を結集」したであろうことは想像にかたくありません。しかし、ここでもデッドロックに乗り上げ「断念か?」と思われたとき、彼らが歯牙にも掛けなかった一技術者の「油圧にすれば良いのに…」の一言で全て解決できたそうです。
エリート研究者達は電子制御に拘り、突破できない『技術の壁』に阻まれていたのに、現場の技術者がいとも簡単に「解決策」を出してしまったのです、それも『アナログ』で。

よく似た話が零戦にもあります。
太平洋戦争初期に高性能を誇った零戦も泣き所がありました、それは「大空に舞い上がると無線が使えなくなる」と言うことです。そのため、風防を開け『大声で話した』なんてこともあったようです。当然、解決策が研究されたのですが、現場の整備員が簡単に解決してしまいました。大空に上がると「使えない」と言うことは、エンジンの影響を受けているのだろうと思い、設置場所を替えたのです。お陰で、エンジンノイズから開放されたと言う「簡単なお話」です。
このように見てくると、「エリート達は『コロンブスの卵』が苦手」の様子です。

ニュートンが、リンゴの落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見した(これホンマやろか?)ように、単純な事象から『大発見や大発明』が生まれているように思います。

市井の建築屋をしており「格別の学歴もない」と、ついひがみっぽくなり、「簡単なことを難しく」するのがエリート達の行動パターンではないか!などと勘ぐってしまいます。建築雑誌を読むと、簡単なことを難しく書くため『難解な文章』になっています。もし、私が書けば1/10の量で済み「もっと分かりやすいのに」と思います。やはりエリートは偉いのだ。

IBMの黄昏を扱った分厚い本があります。(題名は忘れました。以下、記憶で書くの間違いがあるかもしれません、でも致命的な間違いは無いはずです)その本に、コンピュータの黎明期が詳しく書かれています。
日米欧がコンピュータの開発に着手したのは昭和初期の頃です。完成前に第2次大戦が始まり中断を余儀なくされましたが、戦後、国家の威信をかけてコンピュータ開発が再開されました。
「今日的な意味でのコンピュータ」の実用試験に成功したのは、1位イギリス・2位日本・3位アメリカの順でした。

−注:開発途上、電通(現NTTの前身)研究室では、石英のクオーツをスイッチにしたコンピュータを作りました、大変安定しており性能も良かったようですが、石英の振動スピード以上に早くならないたため、将来性が無いとして断念しています−

電子でON/OFFする今日的なコンピュータを開発するため、東大グループと京大グループが結成されます。そこに「日本の頭脳」が集まり、昭和20年代に『億単位の研究費』を使って開発されたにもかかわらず、結局『ウンとも、スンとも』言わなかったのです。

では、世界で二番目に動いたコンピュータは誰が作ったのか!?
富士フィルム神奈川工場の技術者某氏(名前を忘れました)は、現像時間を計算するためタイガー計算機を使っていたのですが「なんとかコンピュータで出来ないか」と考えました。そこで、「会議費」の名目で会社のお金を誤魔化し、秋葉原で真空管等を買って来てはコツコツと組み立てたのです。なんと、たった一人の技術者(研究者ではない)が、2年間と200万円で組立てたコンピュータが『世界で2番目』でした。
ちなみの評判を聞いて、国や大学の研究機関から「利用申し込み」があり、その利用料だけでごまかしたお金の10倍以上を稼いだため、技術者はクビにならずに済んだそうです。
エリート研究者から問題にもされない、『素晴らしきオチコボレ達に乾杯!』

なお1位イギリスは大学で、3位アメリカは軍の研究所で開発されています。
000115(土)『今年は強運』
○○様
『今年は強運』という運勢を信じ、情報のあった話全てを「取りにいく」姿勢でこの1ヶ月を過ごしました。
老人ホーム・マンション・住宅にコンペ…
これら一連の仕事は、2ヶ月前には『影も形も無かった』ことを考えると、強運を信じて良かったと思います。
途中:略)
昨年悩まされた超高層のマンションも年末に確認申請がおり、今『制度融資の設計審査』中です。この3月に着工し、来年8月竣工の予定です。
(一連の受注を含めて)これで『今後2年間くらい』のメドが建ちました。しかし、現実の資金ショートからは開放されておらず、資金的に苦しい事態が続きそうです。ただ、先の見える苦労なら出来ると思っています。
この1ヶ月間『一人暮らし』を経験したのですが、その不自由さは想像を絶するものでした。
計画物件が続いたのですが、例えば『白地図』が欲しいと伝えておけば、翌日にはコンピュータデータとして用意されていたのに、今は『地図を購入』しに行くことから始まります。『一人』の無力さを味わいました。

途中:略)
私は、物事を単純な図式として思考する癖のお陰で、仲間内では『アイデアマン』として通っています。
偶然ですが、000114「オチコボレに乾杯」に書いたように、簡単な事象から大発見や大発明が出ています。軍事作戦でも「簡単で大胆」が成功の秘訣です。余り込み入った策は「策士策に溺れる」の例えのように失敗が多く、『単純明快』が肝要です。

○○さんのメールで「僕の方は、アイディアに対してあまりにも簡単にできそうな ××の使い方を思いついたのですが…」と知って、『絶対大丈夫』と思いました。成果を期待しています。

明日ある人物の会います。
Eコマーズのネットを作っていらっしゃる方で『どんな話になるか?』想像もつかないのですが、チャンスには何でもチャレンジしようと思っています。
あんまり頑張らず「飄々…」と行きましょう
000116(日)阪神淡路大震災
まもなく阪神淡路大震災の5周年を迎えます。思いつくままに『あの日』を振返ってみたいと思います。
 □5年前の1月17日早朝
背中を突き上げられる揺れで一瞬にして目が醒めました。我が家は17階で、まるで『地震計』のように反応します。鉄骨鉄筋コンクリート造の難い建物が「軋む音」を始めて耳にしました、そして感覚的ですが1m程の大揺れが軋みと共に続きます。
幸い寝室には背の低い家具しかなく家具の倒壊はありませんでしたが、隣の居間のミズヤから食器が落ちて割れる音がしてきます。
泣き叫ぶ家内の上に覆い被さり『大丈夫だから』と叫んでいました。子供のことが気になったのですが「立ちあがること」も出来ません。

 □NHKの報道から
第1次の揺れが収まり、すぐにテレビのスイッチを入れました。
我が家は、震源地から50km余り離れ、震源の断層の軸戦から外れていたため、「これでもかなり軽微」であったことが後になって分かります。
画面に宮田アナウンサーが現れ、今にも崩れ落ちんばかりの背景の中から「沈着冷静に事実を伝える」姿に感銘を覚えました。

震源地が淡路から神戸市垂水区にかけてであるのに「この揺れは異常だ!」と、建築屋の直感が伝えています。
時間の経過と共に被害状況がテレビで伝えられてきます。
途中階が圧壊した「兵庫病院」をみて、建築の常識にはない壊れ方に気付きました。阪神高速道路が横倒しになっています。最も繁華街である三宮地区が壊滅状態です。後に、直下型地震の恐さを知ることになりました。

夕方のニュースで、首都高速の技術者がインタビューに答えて、「東京ならこんなことはありません」と断言していた。このデリカシーの無さと無知さ加減に腹が立ったことを鮮明に覚えています。
それまで、地震と言えばバロメータになるのは「関東大震災」でした。阪神淡路大震災は、マグネチュードこそ大きく下回ったものの、直下型で深度も浅かったため「人類が始めて体験した激しさ(ガル)」を持つ『史上最強の地震』であることが判明しました。

 □あの時…
友人のSさんは早朝のジョギングを日課としていました。
その日も摩耶山の山頂付近まで行き、その帰り大開駅で仲間と別れました。地下鉄を利用する仲間は手をふり地下に下りて行きました、その直後のことでした…
余りの揺れに地面にへばりついたそうです。そこには崩れ行く大開駅がありました…
そこここから『助けを求め叫ぶ声が聞こえ』夢中で救助に走ったそうです。
何も道具が無いことに気付き、手近かな車のトランクを壊して工具を取り出し、数人を助け出したそうです。しかし、「一人で出来る限界をつくづく感じた」といいます。そのうち『あんたの家族は大丈夫か?』と尋ねられ我に返ったそうです。その後無事だった家族から「冷たい人」と随分批難されたそうです。

 □有害なイデオロギー
刻々と被害が報道されるに従い『尋常な災害ではない』ことが判明してきました。マスコミも『何故、自衛隊は災害出動しないのか?』を口にしだしました。

自衛隊は、地震発生直後にヘリを飛ばし、容易ならざる事を確認、直ちに出動できる体制を作っていました。しかし、シビリアンコントロール下の自衛隊は『出動要請なし』に動くことがでません。要請権限を持つ貝原兵庫県知事は「公用車の迎えがこない」と言う理由で午後になって登庁しています。更に自衛隊の「出動要請を出して欲しい」と言う要請を無視したのです。しかし、災害出動なしでは収まりが付かないと知って、しぶしぶ午後3時に僅か『300人の自衛官出動』を要請しています。自衛隊が、伊丹及び姫路の駐屯地の全力出動を用意していたのと余りのギャップです、どちらの判断が正しかったかは「6000人を超える死者」が物語っています。

在日米軍も『空母派遣』を申し出ています。空母は、ヘリや医療のプラットとして絶大な威力を発揮します。しかし、ここでもその申し出を断っています。兵庫県は革新の牙城として有名です。イデオロギー優先の選択が災害を大きくした事実を私は忘れません。

 □歩いて…
震災の余燼も消えぬ頃、リュックに水と食料を担いで歩いて神戸に入りました。
そこに広がる風景は『私の人生観を変える』ものでした。木造の柱が「蛙を飲み込んだように途中で膨らんで」います。これは、上下動で逃げ場の無くなった力が木に与えた影響です。
外壁にモルタルを塗った建物が「綺麗さっぱり壁を落としながら立っています」これは、ラスモルタルの下地がショックアブソーバーの役目を果たしたと考えられます。
計算上『雑壁』と称され、余計物扱いされる壁を持つ建物が、雑壁を粉砕しながら主構造を全うしている姿を見て、「余分な壁などナインや!」と感激したりしました。

 □報道管制?
壊滅状態の三宮地区、倒壊したビル群。建築関係者ならその異様さに気付く筈です…
倒壊したビル群の9割以上が、スーパー大手ゼネコンT工務店の設計施工の建物です。しかし、このことを報道したマスコミ(建築雑誌を含めて)はありません。余程完璧な報道管制を敷いたのでしょう。

□復興活動との関わり
私は、官庁仕事をしていませんので『民間における復興活動』しか関与していません。以下、民間活動の感想です。

西宮と神戸市灘区で復興の仕事をしました、共に激震地区で「老朽化していた建物は全壊」しました。クライアントは非常に良心的な人で「仮設住宅から一時も早く救済したい」と言う意欲の持ち主でした。同時に、資金的に余裕ある人でもありました。
このような非常時だから「経済原則は関係ないだろう…」とお考えの方が多かろうとは思いますが、決してそんなことはありませんでした。政府の政策で、超法規的に「既存不適合」が拡大解釈され、建築基準法上の制約は大幅に緩和されましたが、収支計画の成立たない物件に融資はなされていません。つまり、事業主に余裕あるところから復興が始まったと言えます。
私が担当した物件は、いち早い復興事業でしたが、罹災住民(店子)との意識ギャップを随分感じました。罹災住民に『被害者意識』が横溢しており、ただ同然の再入居を公然と要求し、中には訴訟まで発展した事例もあります。事業主の善意が殆ど通じない悲しい世界でした。

実現しなかった事例で、こんなことがありました。
時はバブル崩壊後で、時間経過と共に「不動産価値が低落」していましたが、被災者にその認識がまるでありません。所有地をマンション化し、余剰部分を売却すれば『自己利用分はタダで出来る』と頑なに信じている方の何と多かったことか。
立地条件に恵まれ、余剰売却で自己利用分が浮く所では、『更に現金収入があるはずだ』と言って潰れた事例もあります。
騙しのテクニックを行使するコンサルタントに食い物にされようとしていた『住民集団』を救ったこともあります。しかし、詐欺にあうことを防止できただけで、救済は出来ませんでした。

 □元の木阿弥
震災直後、ドイツの戦災復興を事例に出し「政府資金で全ての復興を賄うべききだ」と言う住民運動が起きました。更に続けて「住民の意思で」とあります。ようは「行政の言うことは一切聞く気はありません、お金だけ出しなさい」と言う要求でした。

震災復興を機に「都市計画の見なおし」是非して欲しいと願っていましたが、殆ど実現することはありませんでした、ここでも『無制限な私有権』が障害となり、行政手動による都市機能の見直しは出来ませんでした。住民エゴに翻弄された復興であったことを合わせて伝えます。

 □メンタルケア
震災直後からメンタルケアが叫ばれていました。
しかし、これも予想通り充分と言えない結果になっています。今週NHK朝のニュースに『震災特集』が行われています、その中で『メンタルケア』をテーマに扱ったものがいくつかありました。そこにあるのは『弱者が積み残された悲しい現実』でした。
私は、全てが行政の怠慢と考えたくありません。理想の復興を阻害した「住民エゴエネルギー」の何割かでも『弱者救済』に向けられたら、行政と2人3脚でもっと違ったもになったのでは思っています。
000118(火)流出係数
少し難しい議題に挑戦してみます、出来る限り『分かりやすく』書くつもりです。ぜひお読みください。

『流出係数』と言う専門用語があります、これを説明します。
雨が降りました。降った雨は、地面に浸透したり、表面水として流れ出たりします。この流れ出る割合を「流出係数」と言います。
『環境を大切に!』と言う提案に反対を唱える方はきっと少ないと思います。むしろ「私は環境問題に関心を持っています」とおっしゃる方も多いと思います。しかし、この流出係数は以外と盲点ではないかと考えています。

「降った雨が地面に浸透し…」これは自然なサイクルです。
自然豊かな地域にお住まいの方には、当たり前のことでしょうが、「アスファルトジャングル」では深刻な問題を起こしかねません。余りに建物や舗装で地表を覆い尽したため、雨が地表で洪水になってしまいます。昨年、地下室に雨が流れ込み『溺れ死ぬ』事件が2件起きています。おそらく都心部での流出係数は限りなく100%に近いのではないでしょうか。
流出係数の増大は、地表で事故を起こし、地中では砂漠が進行する2重の環境破壊を起こしてしまいます。今都会で地中に「大きな池を作る」工事を盛んに行っていことをご存知ですか?これは流れ出る雨を一旦地中の池に溜め、時間をかけて河川に放流する「調整池」の機能を持たせるためです。このように膨大な費用をかけて『後ろ向きの投資』を行っているのです。

実は、それぞれのチョットした工夫で「流出係数」を下げることが出来るのです。皆様のご自宅を見まわしてください。
仮に、100uの土地に建坪50uの家があり、樋で雨水を受け排水しています。その外、ポーチと駐車スペース25uをタイル張りにしています。この場合、流出係数はいくらでしょうか?計算していみます…
 樋で雨水を受け排水するのは、係数100%×50u=50
 タイルの舗装        係数100%×25u=25
 土地の流出係数      (50+25)/100=75
 これが貴方のお家の流出係数です。
理想の流出係数は『いくつか?』実はよく分かっていません。分かっていることは「低い程良い」と言うことです。最近自治体でこの「流出係数」を定めるところが増えています。例えば、兵庫県西宮市では「流出係数55%以下」の指導を行っています。できれば50%以下が望ましいのだろうと私は想像しています。

日頃『環境に注意』なさっている方でも、我が家の流出係数を抑えるよう努力なさっていらっしゃる方は少ないのではないでしょうか。そこで、流出係数を下げる方法をご紹介します。
 @ 浸透舗装
雨水が浸透しやすい素材で舗装をする方法です。
アスファルト舗装でも、砕石を粗に組み合わせ浸透しやすい作り方があります。
最近歩道等でよく見かける『インターロッキングブロック(写真左)』は、継ぎ目をふさがないため、雨水が浸透しやい工法です。
更に、インタロッキングブロックを透かして貼って、間に芝生を植えると言った工夫もあります。

もう一歩進んでこんなアイデアはいかがでしょうか!廃物利用の枕木の間に芝生を植えてものです(写真右)。今は冬がれしていますが、春になれば緑がとっても綺麗です。
これらの方法で係数を50%程度に下げることが出来ます。
 A浸透排水
排水管や排水枡を全て浸透方式で作る方法です。いっぱい穴のあいた排水管で『流れながら浸透拡散』させたり、底のない枡で同様に浸透拡散させる方法です。この方法であれば樋で受けた水のかなりの量を自然に返してやることが出来ます。
 B屋上調整池
アスファルトジャングルのビル群では、屋上のドレイン(排水金物)にちょっと工夫をすれば、流量調整用の池に早変わりさせることが出来ます。1ヶ所数千円で出来る工夫(既成のアタッチメントが販売されています)を何故義務付けないのか私は不思議に思っています。これがあれば「下水処理場の氾濫」が防げるのです。
大雨が降ると『下水処理場が氾濫し、生放流されている』ことは余り知られていません。これってやっぱり環境破壊です、皆の工夫でこれも防ぐことができるのです。

ようは『泥濘となって生活が不便』な事態を避けながら、浸透(雨水を自然に帰す)を促す方法はそんなに難しくはないのです。大言壮語をはく必要はありません。誰でも出来る小さなことから環境を守り自然を大切にしたいものです。
000119(水)割り箸文化論
小林よしのり氏と井沢元彦氏の対談集に「朝日新聞の正義」(小学館文庫)と言う本があります。
本論をサポートする話の中で、井沢氏が『日本は穢れを嫌う文化です』とおっしゃっており、その事例を示すいくつかの話の一つとして『割り箸』が出てきました。大変面白い話なのでご紹介します。
なお私の感想を交えますので、井沢氏のニュアンスとずれてしまう可能性がありますので、お断りしておきます。

井沢氏は例え話で「私が10年使った箸を貴方に上げる」と言われて、喜ぶ人がいるでしょうか?と、おっしゃっています。まあ常識的に考えれば「そんなヤツはおらんで…」と言う世界になります。
家庭に於いても「私の箸や茶碗」が決まっていますが、中国文化や西洋文化でこんな事例は考えられません。こう見てくると『日本文化は特殊』なのでしょうか。

 Dogfightの感想1
サラリーマンが食べる昼食、社員食堂があればまだ良いほうで、街の安い『飯屋』を捜し歩く方も多いのではないでしょうか?
そんな飯屋で、他人が使った箸を洗ってもう一度出してきたら『皆様はどうなさいますか?』
きっと『何と不潔な!』と思って、怒って席を立つ方が多いのではないでしょうか…
でも考えてみれば、使い捨ての補助ツール(箸)なんて「例外なんや」と言うことに気付きます。
飯屋ではなく「レストラン」なら、箸の変わりにナイフとフォークですが、あれって『他人が使ったものを洗って』出しています。中華料理でも高級なところでは『象牙の箸』ですが、あれも『他人が使ったものを洗って』何度でも使用しますね。

今、地球の人口が60億人で、中国系民族だけで20億はいるでしょう。更に中国文化影響圏を含めれば、『箸を使う文化圏』は25億人くらいになるのではないでしょうか。しかし、割り箸を持つのは日本だけです。(日本人の海外旅行が増え、日本向けに割り箸を用意しているところはありますが…)

井沢氏は本文の中で、家族と言えども食器を分ける根源に『穢れを嫌う』長い習慣があると指摘されています。

 Dogfightの感想2
神道では大変穢れを嫌い『死の世界』を扱いません。神道様式の葬儀や墓は存在しません。(庶民が神社に墓を持つどころか神主の葬儀すら神社では行いません。でも、古墳はどうなるのだろう?)
身内の誰かが死ねば「不浄の身」として、鳥居をくぐることを遠慮しなければなりません。死後を扱わない『宗教』って世界でも稀ではないでしょうか!

大変説得力のある文化論でしたが、それは是非「本」で読んでください。
000120(木)生命財産とは…
私は「日本人は学習効果の薄い民族」ではないかと思っています。
神淡路大震災は6千人を超える人命を奪い多くの人の心に傷を残しました。ライフラインや道路港湾と言った社会資本を破壊し、家と言う大切な財産を10万戸以上も奪いました。
5周年を迎え、マスコミ各社は様々な角度から特集を組みましたが、エモーショナルな取組みの割に「震災によりどのような技術開発がなされ」、「今後起こるかもしれない事態にどんな対応が必要か」と言ったテクニカルな面からの切り口が殆ど見られませんでした。「市井の建築屋が何を生意気な!」と怒られそうですが、私なりの総括をしておきたいと思います。

阪神淡路大震災は死者6千人を超え、伊勢湾台風以来約35年ぶりの大災害となりました。災害対策の進んだ現代にこれほどの死者を出すなど誰が予想したでしょうか。
そこで、阪神淡路大震災もまる5年が過ぎた今『生命財産の安全と建物』の関係をきちんと伝えるべきではないかと感じています。
 
憲法に「国民の生命財産云々」とあるように、熟語として使われることの多い「生命財産」ですが、建築の世界では別々に考えていることは余り知られていません。
阪神淡路大震災は、その「激しさ」から『千年に一度』といわれています。
関東大震災も60年周期説(すでに70年経過)が有力で、まあ「100年に1度」といったところだと思います。
それに対し、建物の寿命は有形償却資産(耐用年数)で、
木造=25年
鉄骨造=25〜40年
鉄筋コンクリート造=47〜65年
と定められているように、大地震の周期より短いのです。だから、建物があるうちに大規模な地震に遭遇する可能性は余り高くはありません。

建物は財産のうち「最も高価」なものに属すると思います。
財産を守るという定義の中に「無駄使いの排除」もあると考えば、1000年に1度の大地震に耐える建物を作っても、遭遇することなく寿命を終えれば「とてつもない無駄使い」になります。だから、そんな対応は避け「1000年に1度」に遭遇すれば、建物は諦めて「命を守ろう」と言うのが建築のスタンスです。

もっと正直に言えば「1000年に1度の大地震に耐える建物」など誰も自信を持って作れるわけがないのです。
歴史に残る大地震は「状況と特徴」がみな異なり、いわば指紋みたいに違うのです。
最も激しい「揺れの振動周波数帯に有効な構造」でなければ、『耐えられる建物』になり得ません。だからこそ、大地震の度にその揺れの記録を採取実験し、構造基準を変えてきた歴史があるのです。
言いかえれば今後も「経験したことのない種類の地震で壊滅的な打撃を受ける」可能性があるわけです。
函館大地震で「ビルの1階が圧壊」し、避難に重大な支障をきたした事例があり、構造基準が変わりました、もう25年ほど前のことです。
構造設計には単純な方式から複合チェックを行う方式まで3種類に分かれますが、大規模な建物や複雑な建物に適用される「ルート3」では、『保有耐力のチェック』が義務付けられています。これは何か?分かりやすく言えば、『不可抗力で倒壊する場合でも、避難経路を確保できるよう崩れる順序を設定』するものです。

このように、建築の世界では『大災害から無傷で建物(財産)を守る』概念は有りません。そんなことは不可能なのです(可能かもしれませんが今より10倍以上高くつくと思います)、だから財産を切り離し「生命を守る」ことに専念してきました。
建物としての寿命を終えるような壊れ方をしても、避難経路さえ確保できれば人命を守ることができます。阪神淡路大震災において、全壊指定を受けた建物でもこの使命を全うしたものがたくさんありました。
反面、規模で言えば関東大震災より小さいにも拘らず『未知の領分(従来と型が違った)』が多く、「避難経路を確保する」と言う最終目標を全う出来ずに倒壊した建物も多くありました。そこには多くの人達が取り残され、救出もされぬままに「最後を迎えた」方のなんと多いことか。結果として、建築が「生命も財産も守れなかった」ことを残念に思っています。

我が国はアメリカと異なり、設計強度を法律で定めています。
あの地震で倒壊した建物には『合法建築』も多く含まれています。「法律に基づいて作ったのに倒壊したのは国の責任だ」として、訴訟が起きても不思議でないのですが、そんな事例を耳にしません。良識有る国民の行動に感謝するべきなのだと思います。

阪神淡路大震災後、建築基準法が改正され構造基準が一段と強化されました。より強固に『避難経路を守る』ための改正です。
しかし、木造3階建ての普及に伴い、怪しげな構造が増えているそうです。
違反建築などせずに、『まさかのための用心棒』に、避難経路が確保できるよう構造基準を是非守ってください。
(違反建築が発覚すると、決まって建築屋が悪者になります。しかし、行政の怠慢と施主の合意がなければ違反建築にはなりません)

建築仲間の寓話に「100件中『地震で1件だけ倒れる』あるいは『1件だけ倒れずに残る』って一番格好悪い」という話があります。1件だけ倒れるのは設計や施工に問題がある証拠ですし、1件だけ残るのは「何事もなければとんでもない過剰設計だった」ことになります。
最大の財産である建物を無傷で守る姿勢がないと知って『どのような感想』をお持ちでしょうか?何事もなければ『過剰設計(無駄使い)になることを避ける知恵』だとお考えいただければ有りがたいのですが。
これからも、生命を守る設計に留意してまいります。ご支援を…
000121(金)世界が違う
今朝出勤したら「今夜講演会があります」と予定を告げられました。12月に申し込んでおいたのにすっかり忘れていたのです。日本だけではなく世界で活躍されている、ライティングデザイナー面出薫氏の講演です。
スライドをふんだんに使い2時間に及ぶ講演の感想は「凄い・素晴らしい・羨ましい」の3語で全てを語ることが出来ます。面出薫氏の才能の凄さ、作品の素晴らしさ、そしてなによりも「クライアントに恵まれた」と言う羨ましさです。
講演冒頭「営業半分の講演ですから、遠慮なく質問してください」とのことでしたが、一体どのくらいの費用があれば出きるのだろう?と言う疑問を持ちながら聞いていました。
途中こんな話が出ました「北海道のリゾートホテルの仕事を受けました。大変ローコストで90万円/坪しかないと言うことで、こんなんでできるだろうかと心配でした」と。これを聞いたとたん「やっぱり住む世界が違うんヤ!」と思いました。

昨年1年かけた超高層マンションの工事費が新年早々合意しましたが、施工床面積当り35万円/坪です。もし私に「ホテル」の引き合いがあったとして、せいぜい50万円/坪程度だろうと想像します。
もっとも「無制限に予算を使って設計してください」と言った注文があれば、私は戸惑うばかりだろうお思います。
羨ましいと思っても、「立場を変えてみたい」とは思いません、「市井の建築屋」が分相応で結構満足しています。

補足説明
面積計算には様々ありますが、法律で定められた面積に算入されない「外廊下・屋外階段・バルコニーやテラス・ピロティーやポーチと言った開放部分」を含めた面積を『施工床面積』と言います。
簡単に言えば、『作るところ全部の面積』とお考えいただければ間違いありません。
000122(土)伊勢湾台風
いせわん‐たいふう【伊勢湾台風】(広辞苑より)
1959年(昭和三四)9月26日、潮岬付近に上陸、名古屋の西から富山湾を経て北上、三陸沖に抜けた超大型台風。伊勢湾沿岸の高潮による被害を中心に、全国の死者・行方不明者約五千人。
 
誰にでも「あれを機に俺の人生が変わった」と思う原体験があるのではないでしょうか?私にとってそれは『伊勢湾台風』でした。

いきなり余談です。
阪神淡路大震災に罹災し、東京に引っ越して『地下鉄サリン事件』の被害者となった方がいらっしゃいます。まるで『気の毒を絵に画いたような』出来事です。
私も、阪神淡路代震災と伊勢湾台風の両者を体験すると言う『数少ないうちの一人』だろうと思います。ただ、阪神淡路代震災は震源から50km離れ、断層の軸線から外れていたことから「食器が割れる」程度の被害ですんでいます。伊勢湾台風も、最大の被害地「蟹江」から海上直線50kmほどなのに地形の違いで、僅かな死者で済んでいます。

伊勢湾台風から6年前、三河湾を襲った13号台風があります。局地的に被害を出したものの歴史に残るような台風ではありません。
私の故郷は、『玉津浦』の名で知られ青松白砂が美しい、愛知県随一の海水浴場でした。しかし、13号台風で美しい海岸線を捨て、海の猛威から身を守るため堤防を築きました。風景は失ったものの『安心』を手に入れた筈でした。

ラジオから台風情報が聞こえてきます、後に『伊勢湾台風』と名付けられた台風です。大きな台風だからと「雨戸を釘で止め」風に対する着々と準備をしていました。7時頃から風雨が強まり、まるで『オモチャの家を子供がいたぶる』ように揺れだしました。
「どうも普通の台風と違う…」恐怖が顔に出てきます。そのとき、床下に水が侵入してきたのです。「そんなバカな!あの堤防はどうした」
堤防はどこも崩れていませんでした。伊勢湾台風の潮位が「あっという間に堤防を越えた」のです。余りの水勢に、家の中から窓を打ち壊しに難路を確保したいのですが、風に備え補強したのが裏目に出ています。やっと外へ出たときは、もう胸まで水が来ています。瓦は枯葉のように舞っています。あらゆる物が濁流となって流れる中、高みを目指して避難しました。まさに『命からがらの逃避行』です、助かるまで気付かなかった傷が体中にあります。

台風一過。抜けるような青空が広がる翌日、我が故郷が『一望に見渡せます』
風速計を振切ったという台風は、将棋倒しのように家を薙ぎ払い『視界を遮るものもない』と言ったところです。
級友の死亡も耳に入ってきます、昨日まで新聞配達をしていた仲間の死亡も知りました。
早くも自衛隊が出動し「災害救助」が始まりました、自衛隊に信頼感を覚えた初めての体験です。

昭和27年、家業が破綻し和議を整えました。
その返済に一家一丸となって邁進し、光明が見え始めていました。途中に始めた八百屋が順調で、返済も順調に進んだことから逆に融資を受け、八百屋を拡張したばかりのところに伊勢湾台風でした。店は流失し借金だけが大きく圧し掛かったのです。光明は消えうせ、呆然とする思いです。

私は、高校進学を諦め働こうと思ったのですが『父にいさめられ』進学しました。しかし、受験直後に『入学金』を自分で稼がねばなりません。そんな多難な高校時代の幕開けとなりました。
私の高校時代は『スーパーマン』でした。
早朝牛乳配達のアルバイトをし、6時5分の電車で登校、朝のクラブ活動に参加。授業が済めば部活をして、帰りに設計事務所にバイトに行きました。高校3年の時文科系最大規模に発展したクラブのキャップテンを勤め、大学受験に忙しい友人に代わり『家庭教師』のバイトもしました。睡眠時間は4時間。高校時代のバイト収入が2万円、就職して初任給が18000円でした。『なんや就職したら収入が減るや』と思ったことを鮮明に覚えています。
親から受けられる恩恵は『住処の提供』だけで、学費・通学費・教材費・被服費・食費の全てを稼がねば高校生活を続けられない境遇でした。ただ、わが身を不幸と思ったことは一度もありません。

私は大学にいっていません。それが心のどこかに『拘り』として残っています。
学業でも私はスーパーマンでした。勉強時間は『授業中』以外ある筈もありません。私にはそれが全てでした、お金がなくて「ノートが買えず」メモは一切取りませんでした。習い性となり、今でもメモ取る習慣があありません。それでも成績優秀で、卒業に際し特別に表彰も受けました。
5人兄弟の末っ子の私は、『高松家の希望の星』でったようです。伊勢湾台風の被害もやっとあがない、我が家は「±0」を迎えるまでになっていました。兄や姉は働いて家を支えてくれました。最後に残った私に『せめてお前だけは大学に言って欲しい』と家族は望み、学校も親族も私の進学を勧めてくれました。

あの『伊勢湾台風』がなかったら、私は大学にいっていただろうと思います。
高校の3年間、稼ぎながらの勉学に疲れていました。『0』に戻ったといえ、私の大学生活を支えられるだけの余力があるわけではありません。伊勢湾台風で復活が3年間以上遅れたツケが、私を躊躇させたのです。誰にも理由を言わず私は就職をしました。

42歳。1年浪人をした息子が大学進学を果たしました。
その姿を見て、大学を体験したくなりました。何の準備もなく近畿大学を受験しました。当時、近畿大学は「関関同立」についで『御三家』と呼ばれる難関校になっていました。

あれから24年。「受験さえすれば合格出来たはず」と言う思いを、試すことに成功しました。バブルと重複し、学業を続けることは出来ませんでしたが、少し『拘りを消す』ことが出来ました。
何時かリタイヤし、ゆっくり大学に通いたいと思っています。拘りを完全に消すにはそれしかないように思っています。伊勢湾台風は、私にこんな置き土産を残したのです。
000123(日)セクハラ考
仕事をしながらラジオを聞いていたら、弁護士先生を招いて「セクハラ問題」をやっていました。
今から約20年前、アメリカの大学で「成績と引換えに女子学生の体」を求めたのがセクハラの起源だそうです。

今やアメリカでは『セクハラ産業』に発展するまでに急成長したそうです。セクハラコンサルタントが暗躍し、数社に一社は訴訟を抱えるまでになったとのこと。
何がセクハラか?…気が遠くなりそうです。
部下を食事に誘ったそうです。しかし「都合が悪い」と言うことで食事に行ったことはありません。また食事に付き合わないことへの報復などもなかったのに、セクハラで訴えられたそうです。理由は「誘われることが苦痛であった」そうです。
この論法では、何でもセクハラになります。

逆はいかがでしょうか。心寄せる人から誘いはありません、そこで「言われない無視を受けた」と。どう転んでも『男受難』の時代です。
弁護士先生も、「ブ男であることが犯罪になりかねない時代」とおっしゃっていました。

なにも海の向こうの話ばかりではありません。
泥酔した女性を乗せたタクシーが指示された場所に着きました。いくら大声で呼んでも起きません、そこで『体を揺すって起した』ところ、『体に触れるのはセクハラ』だと、その場で警察を呼ばれ賠償請求を受けたそうです。
タクシー会社トップは鳩首会議を開き対策を検討したそうです。その結果、「起きるまで待て」となったそうです、勿論街メーターをかけてです。

目に余るセクハラ提起は、『行きすぎた権利』のように私には思えてなりません。これも、ブ男ゆえのヒガミでしょうか。
000124(月)ピースOSAKA
大阪城内に「ピースOSAKA」はあります。まことに不思議な施設です。税金で作られ税金で運用されながら、日本の過去を悪し様に伝えることを使命としています。
 焼きの写真を展示して『毒ガス使用の証拠写真』とか、中国で製作された映画の1シーンを展示して『虐殺の証拠写真』など、前科の多さでも有名です。

ここで、『南京大虐殺はなかった』展が催されています。
南京大虐殺はあったのか、なかったのか?早く検証しないと『あった』ことにどんどんなってしまいます。歴史とは事実より風聞が優先することを知るべきです。
大虐殺とは?定義もなく、『3人でも大虐殺』と言う説もあり、必ずしも『30万人』である必要はないのですが、今のように『30万人大虐殺』だけが一人歩きする事態は嬉しくありません。

何時もそうですが、『なかった派』は必ずデータをつけて反論するのに、『あった派』はエモーショナルに煽るばかりです、最初からハンディを背負っての反論と言うことです。
当時、南京には10万人しかいなかったのに「どうして30万人も殺せるのか?」「30万人もどうして殺せるのか(ナチスは虐殺専用の施設を作った、「成り行きではこんなに殺せない」と言う技術論)」「死体の処理は?(ナチスはこれも施設を作って処理した)」と、言ったように『30万人はついでや、成り行きで殺せる数値ではない』と言う根拠です。ただ、戦争中のことであり『誰も殺さなかった』とは言いきれないだろうと思います。まして、南京では『更衣隊』が大量にでたため、間違って住民が殺される要素が十分あったと思われるのです。
補足説明:更衣隊=ハーグ陸戦戦条約では、軍隊と一般市民を区別するため、ユニフォームの着用を義務つけています。一般市民の姿(=更衣隊)で『軍事行動をする』ことは禁止されており、この場合『捕虜の待遇を与えられず射殺も可』となっています。
戦争に巻き込まれた場合、一般市民を守るために多くの国で『義務教育』として教えられていますが、我が国ではまずありえません。でも外国に旅するときは是非知っておきたい知識です。

表現の自由は憲法で許された権利ですが、「日本大好き派」の権利は脅かされることが多いのです、櫻井よう子さんの講演が阻止されたように、ピースOSAKAで、このような催しが行われたこと事態が報道されるほど『珍しい』ことなのです。
 
昨日、この展示に反対する集会が行われ『大々的に報道』されました。マスコミも『日本がお嫌い』のようです。
000126(水)ネットビジネス
「儲け話が有るけど、どう!」と言うお誘いのメールをいただき、出向いてみました。
こんなご時世です、どんな話にも「1枚噛んでおこう」と言うスケベ根性です。

行ってみたら『スカイビズ2000』と言う「ネットビジネス」の話でした。
アメリカで開発された「ホームページ作成用」のウエブサイトを切り売りする話ですが、ここから「ネットビジネスらしい胡散臭さ」が出てきます。
業務内容は「ホームページ作成用のウエブサイト15MBを、年間100ドルでレンタルしますと」言うものです。そこに、次の会員をお誘いいただければ人数に応じて「ボーナスを差し上げます」と言う特典が付いています。
思わず「ねずみ講ですね」と申し上げたら気分を害されました。
確かに、ボーナスに上限があるとか、左右に分かれた枝のバランス(1:2以内)を保っていないとボーナスの対象にならないなど「普及が目的です」と言うシステムにはなっています。
下記のURLでページを開いていただきますと詳しい説明がご覧になれます。(日本語を選択してください)
    http://www.skynary.com/dogfight
この中で、ボーナスについても詳しく説明されています。どなたか「数学に詳しい」方が計算していただくと有りがたいのですが、恐らく「無限に成長する」ことを条件にボーナスが設定されているのではないでしょうか。
ただ、日本では昨年9月から始まった(アメリカでもまだ1年)ネットビジネスで、今のうちなら「おいしい話」であろうと考えられます。先般の説明では、日本でまだ10000口程度(1人3口購入が標準だそうで、約3千人くらいか)だそうです。
また、物議もかもしている他のネットビジネスと違い「商品を買う、あるいは買い足していく」必要がない分気楽です。
ウエブサイト1口(15MB)が100ドル/年(+登録手数料10ドル)と、「まあ損したらそのときさ」と言える程度の金額です。  

日本らしいと思ったのは「儲け話」に終始して、キャッチフレーズである「誰にでも簡単にホームページが作れる」と言う話がまったくなかったことです。
儲け話から離れて、これを見てみると結面白いシステムです。
残念ながらプロバイダー業務を行っていないため「インターネットの玄関として」プロバイダー契約が必要ですが、プロバイダーのサーバーコンピュータより容量が多くレンタル料も安いので、情報の格納場所(レンタル倉庫)として活用なさるには便利だと思います。また、簡単にホームページが開設できるようなシステムが組まれており、HPの普及には有効だろうと思います、ただ「拘りのHP」をお望みには不向きと思います。


趣味と実益をお望みの方は、添付したURLから申し込みが出来ます。私自身は、「熱くならないで」付き合ってみようと思っています。ご質問があればわかる範囲でお答えします。
000127(木)日本列島雪景色
昨日、夕方から住宅の打ち合わせがあり終わったのが8時過ぎ。クライアントをお送りして、事務所の戸締りをして外に出たら「寒っ」と口から出ました。

こんな時は腹の中から『あっためよう』と、
焼酎のお湯割を4杯飲んで帰りました。
お店から出たら『外はシンシンと雪…』
行き交う車は屋根に雪を積み、
高速道路が『雪で閉鎖』とあります。
お家に帰ったら『軍鶏鍋』も用意があったので、
また飲んでしまいました。
こんな時は「カイ〜ノ」が恐いのです。
布団に入り、体だ暖まってくるとやってきました。
「カイ〜ノ・カイ〜ノ飛んでけ!」と呪文を唱えるのですが、カイ〜ノは治まってくれません。

朝、ニュースで『全国の雪景色』を紹介しています。
ここ、大阪S市も『雪』です。止む様子はなく積る一方です。出勤がちょっと思いやられます。
000128(金)近況から
 日曜日
「儲け話があるから…」でネットビジネスの話に行ってきました。
内容は先にお伝えした通りですが、その後判ってくるに従い「ネットビジネス」に幻滅を覚え出しています。急速にインターネットが普及し、Eコマーズ(電子取引)やネットビジネスがこれからの時代を担うと言われるけれど、アムエに代表されるようにネットビジネス=ねずみ講みたいで「所詮、虚構の世界か!」とガッカリしています。まだ本物のネットビジネス時代は「やって来ていない」と思うしかなさそです。

 火曜日1
夕方からCAPの打ち合わせがありました。CAPは仲間内のプロジェクトの名前です。
今から5年前、大手サラ金A社が「急速な店舗展開に有効なハードを求む」アイデアコンペがありました。それを聞きつけた友人が早速私のところに持ち込んできたのです。
(私は、仲間内では『アイデアマン』で通っています)
「コンテナサイズで店舗を作り『トラックで搬送して』ロードサイドの店舗展開を充実してはどうか!」と言うプレゼンテーションを作り上げ提案しました。6社が応募したそうですが、私の案は役員会で見事『1等賞』を勝ち取り、『試作品を作るように』下命されました。この時に付けた名前が「CAP」でした。

ところが、A社には顧問としてW建築設計事務所がついています。
W先生は高名な建築家で、コンペにも応募していたのです。皮肉なことに、役員会は私の案を選び、試作品作りの監修にW先生を指名したのです。それからの『イケズ』はなかなかのものがありました。結局耐え切れず、試作品作りを途中で投げ出してしまいました。下司の勘繰りかもしれませんが『市井の建築屋に負けた』ことが許せなかったのでは想像しています。
その後、A社はW先生の元「コンテナタイプ」で店舗展開を増強しているところを見るとあながちうがった見方ではないかもしれません。なお、このプロジェクト全く収入に繋がりませんでした。

時は移り、インターネットは電子決済を可能にしました。
先日もイトーヨーカ堂が『銀行業務に進出』し、電子決済を始めると発表しています。こうなれば『コンテタイプの無人店』の需要が出てきたのです。そこで急遽「CAP」の再登場となり、A社とは関係なく開発を続行することになったのです。

 火曜日2
CAPの打合せ後、居酒屋でお酒となりました。
N氏のお子さんは今年大学受験だそうです。そこで「進学の目的は?」と尋ねたところ、お子さんは「答えられなかった」と言って激怒されていました。でも今時普通だと思います。もし、きちんと目的を持ち目標の大学目指す人がいれば、それは『レアケース』ではないかと思います。目的もなく大学など…と目くじらを立てる向きには『教育のバブル』は理解できないと思います。
私はこの現象を肯定しているわけではありません。目的のない大学進学は、若年労働人口の低下を招き、ひいては日本経済の地盤沈下の引金にもなっていると思います。しかし、落ちるところまで落ちなければ、大学進学のリストラは起きないのではと思っています。

 水曜日
住宅の打合せのため、若夫婦が来社されました。
私は普段『若者の集い』に招かれることが多いのですが、その理由は『説教をしないから』だそうです。しかし、この日ばかりは若夫婦を前に、随分説教をしたように思います。
私の若い頃もきっと同じだろうと後で思ったのですが、考えの浅さに驚いたのです。

例えば『軽自動車を買おうと思うので駐車場は小さくてけっこうです』と言うけれが、子供ができ『チャイルドシート付き』にするには軽自動車で間に合わない。
『浴室は洋画に出てくるバスタブが良い』と。お湯が少ないから一人毎に入れかえる必要があることや、湯船からお湯を汲んで体は洗えないとか、子供一緒に入ることは出来ない等々…そこには、我が子に説いて聞かすように話している『私』がありました。
最後に『贈与税』について話をしておきました。親丸抱えで家を作る場合、とかく考えが深くありません。誰でもそうだとお思うけれど『苦労して溜めた身銭で作るなら』心底真剣になれるけど、どこか不退転の決意を感じさせないもどかしさがあるのです。
家は最大の財産です。そして簡単にやり直しは出来ないのです。
どうぞ、真剣になってください!

 木曜日
通勤途中に携帯電話が入り、急遽神戸に向かいました。
ケアハウスは一進一退を繰り返しながらそれでも『凄いスピードで進んでいます』
時折、そのリアクションで緊急事態が生じます。そんな1日でした。
000129(土)二上山/コップの中の嵐
 二上山
我が家のバルコニーから二上山が遠望できます。
女性の寝姿に似て、遠来の客にも「あれが二上山です」と大変説明がしやすい山です。オッパイを想像させる二つの峰があることからこの名が付いたと言われます。普段は「にじょうざん」と呼んでいますが、万葉の昔は「ふたがみやま」と雅に呼ばれていました。
山頂に神社があり、「おはよう会」が催されているそうです。日々のジョギングコースに組込まれ程の『手ごろな山』ですが、古代において「血の歴史」を持っています。

仁徳天皇陵に代表される古墳文化を築いた「河内王朝」は大和を目指すのですが、旧大和勢力はそれを拒みます。二上山は、100年の永きに渡り「河内勢力を防ぎとめた天然の要害だったのです。その後河内王朝は、大和を征服し今日の天皇家の系譜を作っていきます。

先に述べたように、遠くから眺めるだけではとてもそんな存在には見えません。しかし、河内の国から『二上山の隘路を通って』大和の国・当麻(たいま)に出るとき『ここは要害だったんだ!』と素直に頷いてしまいます。
当麻に出ると風景が一変します。気候の変化を膚で感じ、風土の違いを知ることが出来ます。当麻には、創建当時の西塔・東塔を残す、日本で唯一のお寺『当麻寺』があります。立派な文化遺産なのに、観光誘致を忘れたかのように静かに佇んでいます。

近鉄阿倍野駅のから吉野線にお乗り頂ければ、二上山の隘路を通って当麻寺に行くことが出来ます。
今日の「ふたがみやま」は、霞の彼方におわします。今から1500年前の出来事を偲んでみてください。

 コップの中の嵐
バブル崩壊後、事務所経営の不安定さが何時も付きまとう悩み事でした。昨年の暮れ、更に深刻化し「断腸の思い」で社員を切りました。
それからどうなったか?
彼がいなくなった分の忙しさはあるものの『なにも変わっていない』ことに気付きます。
リストラを行ったけれど、『眼いっぱい膨らんだ風船のような』危うさが消えたわけではありません。私の生活にも変化はありません。事務所でのペースも変わらず、友人との語らいも変わりません。
あれは一体なんであったのか?
まるで『コップの中の嵐』であったかのようです。まして、仕事が順調に回復し、彼を呼び戻すことが出きるなら「なにもなかった」と同じになります。
人の生活が激変するなど滅多にあることではないのかもしれません。
000130(日)平均寿命が倍になる
ヒトゲノムの解析が進んで、半世紀もすれば『平均寿命が倍になる』と唱えるアメリカの学者がいらっしゃるそうです。

ヒトゲノムの解析は特許と絡み、急速な進展を見せているけれど、薬どころか『治療法まで特許』になりかねない様相を呈しいています。
アメリカは独特の特許感と許可制度を持っており、あながち杞憂とは申せません。人類にとって必要不可欠なことすら特許にすれば文明の恩恵に浴する人がどんどん減ってしまいます。

冒頭の「平均寿命が倍になる」と言う話も『対象範囲は?』と、問いかけをすると違った世界になってしまいます。まずアメリカのお金持ちの寿命が延びそうです。アメリカ全土の平均寿命が倍になる可能性は『?』です。日本でも同じでしょう。私が賭けても良いと思うことは、全人類の「平均寿命が倍になる」ことは絶対にないだろうと言うことです。

我が国では、25年後に老人人口がピークを迎えます。その後人口そのものが減少に向かいます。そんな中で『平均寿命が倍』になればどうなるのでしょうか。
 「4人で1人のお年寄りを支える」時代が来ると言われるけど、本当だろうか?
 勉強と言うなの『労働遺棄』が増え、働く若者がどんどん減っています。
 団塊の世代と言われる50代は『若死に世代』かもしれません。
 気が付けば、お年寄りばかりで『働くものは誰もいない』かも…

しかし、地球の人口は急速に増えています。
先進国の人口が減っているのに、他の国では膨張を続けています。60億人を超えたのは数年前で、100億人に向けてまっしぐらと言ったとことです。
やがて先進国は、他の国や地域を支えきれなくなるでしょう。埋没するかもしれません。そうなれば文明が後退する可能性だってあります。案外、そんなことの繰り返しが「地球の歴史かもしれない」と感じています。 『平均寿命が倍になる』から、こんなことを想像してしまいました。
000131(月)義務教育と日教組
まもなく受験シーズンです。ふとこんなことを思い浮かべました。

「類は友を呼ぶ」の諺通り、私の知合いには『祝日に国旗を掲げる』人が多くいます。我が国では、これだけで「右翼」と決め付けられかねない雰囲気があります。しかし、国旗や国歌に敬意を表することが「ケシカラン」と言われるのは情けないことです。
君が代は1000年以上も歌い継がれ、日の丸は蒙古襲来の折「我が国の馬印」として掲げられています。新興国歌では考えられないほどの歴史を有しているのです。

広島県日教組の「眼に余る行為」から国旗国歌を法律で定めたけれど、これって結構「情けないこと」と私は思っています。
我が国のように歴史ある国では、国旗国歌は『不文律で決まっている』ことくらい教育者ならとっくに知っている筈です。なのに、「法律で決まっていないのに国旗国家と認められない」とは…何とご都合主義か!おまけに法律で定めれば『無視する態度』に出ています。予想された態度とはいえ、情けないことです。

私の若い頃は、朝日新聞に朝日ジャーナルが必読書でした。
27才で1ヶ月のヨーロッパ体験をしたのですが、このとき『ひどく違うもの』を感じました。今様に表現するなら「マインドコントロール」が外れた瞬間であったのでしょう。
思えば変なことばかりです。
『報道しない自由』の権利を行使して、知らされないことが多すぎます。
欧米自由主義諸国では、特定のイデオロギーを持つ人が教職につくことを禁止しています。考えてみれば当然のことで、思想の自由を保障するなら、教える側(教師)も白紙である必要があるわけです。

広島程ではないかもしれませんが「大阪も日教組の牙城」です。
子育てはとうに終わりましたが、思い出に碌なものがありません。
 
夏休みが終わったとたんに結婚した先生がいました。
新学期早々『新婚旅行で長期休暇』です。余りのことに抗議したら「労働者の権利です」という答えでした。
夏休みは先生にとり『自宅学習』と言う名の休みです。生徒に迷惑をかけないように、夏休み中に儀式を済ませておくというのが一般の考えだろう思うのですが、先生稼業は違うようです。そこには小学校低学年の児童に対する思いやりはありませんでした。
 
小学校高学年になった子供が「お父さん、こんなことを習ったけど本当か?」と聞いてきました。社会の時間に「世界で最も発達しているくには『北朝鮮』です。次がベトナムです」と習ったと言うのです、今から15年ほど前のことです。
自国を蔑むことに熱意を持ち、それほど彼国が理想なら「さっさと行けば(移住)良い」と思うのは私だけでしょうか?
 
大阪府豊中市で教科書の『君が代』の上に『白頭山(北朝鮮国歌)』を貼付け、教えていたとして問題になったことがあります。
 
3人の子供は、君が代を歌うことが出来ません。何故なら『習ったことがない』からです。
中学の卒業式に出席したことがあります。国歌が流れましたが誰も歌いません。起立すらしません、退席する者もいます。都合の悪いところだけ『徹底的に自由』なのです。もっとも、『仰げばとおとし』もない(誰も先生を尊敬していない証)からおあいこでしょうか。
 
中学校で、余りに宿題が多いのに『自己採点』と言う先生がいました。せめて、「先生が採点して生徒を励まして頂けませんか」とお願いしたところ、『どこにそんな時間があるのです!』と叱られました。アフター5は日教組活動で眼一杯だそうです。
中学1年のおり、長男の様子がおかしいことに気付きました。
やっと聞き出したところ『毎日イジメにあっている』とのことです。まず、先生に訴えるように言ったのですが『証拠がない』と却下されました。家内に学校に行って先生に会わせましたが、答えはいっしょです。

最後に私が出向いたのですが、先生は『証拠もないのに生徒を疑うことは出来ません』と、気色ばんでおられます。
そこで申し上げました「証拠が要るなら作ります。でもそのときは学校には来ません」と言って帰りました。息子は、抵抗をしないため怪我をするまでに至っていませんが、抵抗すれば『証拠が残り』ます。そのときは傷害事件として警察に訴えると言外に宣言したのです。

それから2時間後、校長先生から連絡が入りました。
学校としては苦渋の選択であったようです、何故なら『我が校にイジメはない』としてきたからです。実は目を瞑って来たのに過ぎないのに…
イジメは常に4人で行われていました。誰かがいじめられているうちは「私は安全」と言う考えで、誰も告発しなかったそうです。
更に凄いのは、イジメ側の親でした。『学校に告げ口されたお陰で、私の子供がどれだけ傷ついたか分かっているのか』と私に食って掛かってきました。「日教組的教育の賜物」みたいな話です。

一件落着後、本当のイジメが始まりました。
『我が校にイジメはない』と言う建前を破られた先生に、我が家全員が随分恨まれたようです。
大阪は『内申書重視』の進学制度を採っています。
私の、内申書に対する感想は「客観的な基準ではありえず」「先生の意向でいかようにも操作され」「先生に逆らった子は決して希望校へ進学出来ない」というものです。
3者懇談で「もっと努力するように」と先生に言われ、息子は『これ以上なにをするのですか』と泣いて抗議しました。(それ程理不尽な評価でした)

進学希望校を決める季節となり学校と父兄が懇談します。
公立校はとっくに諦めていました、内申点が期待できない(卒業の際もらった最後の通知表には「評価2」が混じる酷いものでした)からです。
希望する私学校には『絶対通らないから受けさせない』と先生は強弁です。受験には学校の添え書が必要ですが、それを発行しないと言うのです。
こうなれば自衛するしかありません。
志望校に出向き、ありのままを話し相談したところ「添え書なしでも願書受付OK」の返事を頂きました。再度学校に出向き『なにが何でも受験する』ことを宣言し、合わせて失敗しても学校の責任を問わないと約束しました。
結果は、先生方の期待に反し『合格』でした。
その後 「あそこは裏工作をしたようだ」と言う不快な噂が耳に入りましたが、勿論そんな事実はありません。

下の子供も中学に入学する毎に「Kの弟か」と言われています。
義務教育とは、子供を人質に取られ服従を迫られる『恐怖の学校』でした。結局、我が家から誰も公立高校に進学しませんでした。しかし、『北朝鮮を世界一の国』と思わず、もう少し広い視野で育ったことを喜んでいます。


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