dogfight高松の長すぎるひとり言
1999年12月

音の立場縄文人大航海説乱暴な話オッサンの嘆き故郷を捨てる謎解き「dogfight」福祉を考える2江藤よおまえもか国際結婚糟糠の妻十大ニュース乃木大将アマとプロ自然とはただいま勉強中今年の課題「緑地」安全確実今年の「四文字熟語」贅沢は素敵遠赤外線肌着浪速のクリントン現実乖離クリスマスイブゴールドプラン21100年の歩み産業廃棄物の活用関東と関西この1年虚構の世界大晦日
991201(水)音の立場

交流の頻繁な「だんけの部屋」を読んでいて、音楽の扱う音は「楽しむ音」「安らぎの音」であるのに、建築で扱うのは「迷惑な音」であることに気付きました。建築の持つ使命に裏方があり、音の世界でも表が「音楽」なら裏が「騒音」と言うことのようです。
格別僻んだわけではありませんが「音の立場」の違いを投稿したところ、ダンケ君に採用され「だんけの部屋」に収録されました。リンクしていますので是非ご覧下さい。

音楽と騒音、これはひどく立場が違います。投稿しなかった部分を少し補足してみます。
中世の宮廷を華やかにした交響楽、その主役となったバイオリンは16世紀にイタリア北部で発明されたそうです。弦楽器には共鳴板が必ずついています、電子的に音を増幅する手段を持たぬ当時、この共鳴板はすごい発想であったと思います。つまり、音楽の世界では「音をいかに大きく聞かせるか」に腐心したことが分かります。
それに対し、建築で扱う音は「いかに音を消すか」に腐心します。
そこで、音楽と逆の発想が生まれてきます。音楽が共鳴(周波数の共通性・倍音を利用)を利用するのに対し、固有振動数の異なる材質を重ね合わせ「相互に干渉させる」ことにより音を消す工夫をします。これを「ダンピング効果」と言い、このような建材を「ダンピング材」と言います。つまり、直接遮音や吸音をするのではなく「振動を相殺」し、音を消す方法です。音の立場の違いをお伝えしました。

追記

音の制御と地震の「揺れの制御方法」に共通性があります。
地震の制御には「免震と制震」があります。いかに揺れようと建物に揺れを伝えない手法が免震(遮音や吸音に相当)で、揺れを相殺する方法が制震です。ご参考に

991202(水)縄文人大航海説

歴史の始まりを語るとき、多くは河内王朝当りからで、古墳時代や「卑弥呼はいずこ」と言った弥生文化が多く、縄文文化が語られることは余りありません。

縄文文化と弥生文化に優劣があるかのような歴史観をお持ちの方も多いのではと思いますが、どうもそのようなことは無く、異文化の交代と考えた方が良いようです。
我が国で発掘された最大の縄文文化は東北にある「三内丸山遺跡」です。環濠を持ち、食料倉庫後などもあり、弥生文化にまったく引けを取りません。
その、三内丸山遺跡は5000年前に忽然と歴史を閉じています。「何故か?」有力な推理として、「氷河に追われて集落を捨てた」という説があります。この時期「小氷河期」と重なり、三内丸山遺跡が氷河覆われた南限に当ります。では、彼等は何処に行ったのか…
縄文文化は、土器に「縄文様」があることから名付けられています。同じ文様が、南米アンデスにあり、顔容が日本人に良く似ていることなど、古くから「縄文人大航海説」が唱えられていました。5000年前、縄文人は氷河に追われ「太平洋を突っ切り、アンデスに移住」して行った…すごいロマンではないでしょうか。移住説は「?」ですが、腕木のついたカヌーで、海流に乗れば「南洋諸島経由」でアンデス沖合いに辿りつく可能性は高いそうです。

昨日の夕刊に「遺伝子レベル」でアンデスの先住民族と(東北に住む)日本人を比較した研究が発表されていました。それによれば、「同根」と考えて差し支えないそうです。何と楽しい研究発表でしょう。

991202(木)乱暴な話
M氏から携帯にSOSの連絡が入りました。仕事の遣り繰りをして、M氏と出会ったのが夕方の4時半です。M氏は京都の某国立大学施設課の仕事を継続的に行っており、今日の昼に施設課からある要件を頼まれ、呆然として私に連絡をしてきました。
某国立大学では記念事業として「国際会議場」を作るべく、国に対して概算要求を出すそうです。その基本プランがM氏に手渡され、国際会議場に必要なAV(オーディオ・ビジュアル)設備の仕様書と概算費用を「明日中に欲しい」と言われたそうです。こんな乱暴な話はありません、AVの門外漢である私が見ても「一目10億」の工事です。
M氏も私の専門外であることは承知しているのですが、私に頼めば「人脈がある」と踏んでの依頼です。一瞬考え込んだのですが「S氏しか居ない」と見極めて連絡を取ったところ、幸い近くにおり7時に出会うことが出来ました。

コンベンションホールやミュージアムを利用されることはあっても、その施設が出来る過程をご存知の方は少ないのではないでしょうか。この世界は、マニアックでそれだけに「マイナーな世界」です。S氏は、知る人ぞ知るこの世界の「第一人者」です。
私とは仕事の関係は無く、酒を飲みながらオダを挙げる酒飲み友達ですが、この「乱暴なお願い」を快く聞いていただき「今夜は徹夜」で仕様書と概算書を作ってくださるそうです。やはり「持つべきは友」と言うことです。なお、S氏の第1感も「10億円」だそうで、私の山勘も捨てたものではありません。
打ち合わせの後、軽く食事をしながら「音の話」に花が咲きました。
音響とは読んで字の如く「音の響き」が基本です。ポンペイの遺跡にある、屋外の「円形劇場」の話になりました。あの中央に立ち、普通に話せば「全周に聞こえる」ほど音響効果の優れた遺跡です。S氏は「あれが音響の原点です」とおっしゃいます。本来ノイズを含むアナログな音が自然なのに、デジタル化で「音に対する感性を失ってきた」と嘆いておられます。
先般ダンケ君に投稿した「ノイズ=隠し味」論は間違っていなかったようです。

来年1月4日に、ダンケ君、NASU君(両者とも「音」で飯を食っている)や息子を交えて、自称「喉自慢」が集まり、カラオケとトークで決着をつけるイベントがあります。この席に、是非S氏を呼びたいものだと考えています。
991203(金)オッサンの嘆き
前を行く女性が何の変哲も無い黒のリュックを背負っています。
そのリュックに小さな三角のマークがついており「ああ、これが噂のプラダか」と思いました。
この話を娘達にしたところ、そのリュックは「4万円はする」そうです。どう見ても縁日の出店で売っている「ビニールで出来たリュック」と変わりません。そこで「1000円のリュックと39000円のマーク代か」と尋ねたら、それを肯定した上で「何の変哲もないのが魅力やネン」ときました。軽薄短小「何が実用的か」が判断基準の私には今時の娘の感覚が理解できません。
更に話が弾みます
ブランドに興味の無い私は「名前を忘れた」のですが、錠前のアクセサリーがついたバッグが、娘達の「憧れのマト」だそうです。なんでも、「安いものでも100万円はする」そうで、それを聞いた私が「バッグに100万円入れて歩くほうがエエナ…」と呟いたら、軽蔑されました。オッサンにはついて行けない世界のお話です。
991205(日)故郷を捨てる
早いものです。もう兄の3回忌です、昨日法事に行ってきました。

長男は「いける大学」ではなく「いきたい大学」を選び、1年浪人した。この選択の良否は彼の長い人生で自ら出して行くでしょう。入学のため九州に向かう長男の後姿を、バルコニーから眺めて家内は涙を流していた。そのことを長男は知らない。別れとは辛いものです。学業が終われば、また帰ってくるのに…

昭和40年。大阪に就職するため故郷に別れを告げました。「故郷を捨てる」と言った大仰なことは何も考えていなかったのに、電車の窓から流れる故郷の風景を見て「無性に涙が流れた」ことを覚えています。
今にして思えば、あのとき私は故郷を捨てたのです。以降、私は故郷に生活基盤を持つことなく35年が過ぎ、もう「Uターン」する余地すら残されていません。

兄は、わずか数ヶ月東京暮らしをしただけで故郷に帰っています。兄には故郷を捨てられなかったのです。その後結婚し、趣味人として父の後を継ぎました。ある意味で最も父に似た生活をしたのが兄ではないかと、すこし嫉妬を感じています。
父は、泥酔状態で孫の滑り台に巻き布を広げ「即興で漢詩」を書いたそうです。父らしい逸話です。倒産することなく、大平が続いたのなら「とてつもない趣味人」として地方に名を残したでしょう。お茶にお花、クラシックに絵画、そしてこよなく「書を愛した」父でした。
法要の後の会食で「結局、親父の資質を兄弟が分けて受け継いだよな」と思い出話になりました。でも本当は「ほとんど兄が独り占め」です。だから故郷を捨てられなかったし、父の元に早く行ったのではないか…と、ひがみ根性の私は妬んでいます。
991206(月)謎解き「dogfight」
息子に言われて気付いたのですが、Yahoo!でdogfightをキーワードにして検索したら、該当1348中7番目に登場します。思わず「いったい誰が?」と不思議に思いながらも興奮したのですが、少し冷静になればなれば「おかしい」ことに気付きます。 
この不思議な現象の原因は「dogfight」自身にありそうです。200位まで検索してみたのですが、8割以上が「英語バージョン」です。拙い英語の知識でタイトルを読んでみても「空中戦」そのもので、「戦争オタク」のサイトがズラリと並んでいます。なかなか日本語は登場しませんが、それとて「バトル中心のゲームソフト」や「パンクロック」と言ったサイトばかりで、dogfightでエッセイ集など「場違いもいいところ」です。つまり、dogfight自身が「超マイナー」な検索キーワードなのです。分かりやすい例え話をすれば
 有権者1000人の町で選挙がありました。
 900人が立候補し、5票取れば「トップ当選」3票あれば「当選間違いなし」
そんなランキングのように思います。それを裏付けるように、「ドッグファイト」や私のテーマにしている「エッセイ&コラム」で検索して、私のサイトを見つけたことがありません。

そうなんです。私のホームページは、今もこれからもマイナーなHPなのです。少しがっかり、大いに気楽。これからも「楽しく自己満足で」やって行きます。
991208(水)福祉を考える2
「福祉」と言う言葉から何をイメージなさいますか?
多くの方は「老人福祉」が頭に浮かぶのではないでしょうか。介護保険をめぐりニュース性があり、とかく耳目を集めています。
では「ボランティア」と言う言葉からはいかがでしょうか?
私は、障害者福祉が頭に浮かびます。優劣の問題ではなく、老人福祉が脚光を浴びる傍ら、障害者福祉が影に隠れはしないかと心配しています。

政府の政策は、全ての福祉に等しく力を入れているのですが、受け手(施設整備)の反応が老人福祉に傾いているように思います。重度の老人痴呆症や寝たきりのお年寄りのお世話は容易なことではありません。しかし、軽費老人ホームのように「原則として健常者」と言った部門もあり、全てが「福祉=ボランティア」ではありません。
ところが、障害者福祉は必ず「福祉=ボランティア」になります。先に「福祉を考える」で、障害者福祉の株式会社化は馴染まないと言う私の感想を述べたのは、「福祉=ボランティア」の図式の適用にあります。
 
障害者福祉は、身体障害者と知的障害者に分かれます。まず、身体障害者について
身体障害者に対する我が国の物理的対応は世界一ではないかと感じています。私鉄王国大阪に住んでいると、交通期間の身障者対応は目を見張るものがあります。特に地下鉄ではエスカレータやエレベータの整備が進んで車椅子での行動は非常にしやすくなったと思います。点字ブロックやオートアナウンス(視覚障害者対応)の整備は最近の建物では「当たり前」です。JRでは、エレベータメーカー各社に「安価で駅舎を大規模に改造することなく設置できるエレベータ」の提案を求めています。このように今後も施設は充実して行くでしょう。 
しかし、福祉の充足感がありません。何故でしょうか?
物理的対応(施設整備)が進むほど、ヒューマニズムの欠如に突き当たります。
私が良く引き合いに出す、ヨーロッパの街など間違っても障害者に優しい街作りをしていません。でこぼこの石畳で車椅子を押すことを想像するだけでぞっとするほど大変です。街中「段差だらけ」で、点字ブロックなどカケラもありません。それでも「福祉の街」であるのは、誰もがごく自然に『手を差し伸べる』姿勢にあると思います。

身体障害者のお手伝いの仕方は「簡単な介護訓練」で習得できます。私は、「何故義務教育で教えないのか?」いつも疑問に思っています。介護訓練を通じて、障害者との接し方を学び、障害の疑似体験をすることにより障害者の立場を少しでも理解できるようになって欲しいと思っています。いつか読書感想で書いたことがありますが、子供達がもっと障害を持つ方と接し、理解することにより「イジメが減る」のではと考えています。
知的障害者のボランティアは一度しか経験がありません。身体障害者のお手伝いと違い「かなりの専門知識が必要」と言うのが、私の正直な感想です。介護やボランティアを必要とする分野で、最も理解されず(気味悪がる人が多い)、施設も資金も足りず、何よりも熱意の絶対数が不足しています。一部の心身ともに献身的な方に、とてつもない負担を強いている現状があります。
残念ながら、私は解決策を持ち合わせていません。おそらく、子供の時から『福祉教育』と『福祉を必要とする人達と接する機会』をふんだん用意する道こそ「急がば回れ」ではないかと想像しています。
991209(木)江藤よおまえもか
もう1週間ほど前になりますが、FA宣言していた広島東洋カープの江藤選手が「巨人入り」を発表しました。
野球ファンの一人としてFA制度に疑問を持っていますが、選手には有利な制度なのでしょう。それにもまして「巨人に有利」と言われています。ドラフト制度を骨抜きにした『逆指名』も、巨人のために設けられた制度ですが、至れり尽くせりの制度整備にもかかわらず、巨人がなかなか強くならないのは何故でしょうか?

巨人は、他チームの主力打者を引き抜き、自チームの強化と相手チームの弱体化を計る戦略を長く取ってきました。古くは、張本選手がそうです。しかし、相手チームの弱体化には成功しましたが、自チームの強化は「?」です。
FA制度カが出来てからでも、落合(中日)・石井(近鉄)・広沢(ヤクルト)・清原(西武)・マルチネス(西武)と、他チームの4番打者を獲得しています。で、彼らは活躍したでしょうか?私には「飼い殺し」としか見えません。あらた活躍できる貴重な時間を「巨人選手」と言う名の元で無為に過ごすことが、彼らの希望だったのでしょうか。
巨人の行為は「他チームの強化を防ぐ」ことに成功しましたが、プロ野球の発展を阻害したことに、いかなる釈明をするのでしょう。『巨人の発展が、プロ野球の発展に繋がる』と公言してはばからない、身勝手な行為がプロ野球離れを招いていることも分かってほしいものです。

江藤選手は「自分は例外」と思っているのでしょうか?「飼い殺し」にならないことを、心から願っています。
991210(金)国際結婚
先日、法事で故郷に帰ったさい、姪のフィアンセに会うはずでした。しかし、前日にバイクの転倒事故を起し肘を破砕骨折して入院中とのことで会うことが出来ませんでした。フィアンセはスリランカ人で、国際結婚になります。国際結婚に関し、私の知らなかったことや姪が気付かなかったこと等お話したいと思います。
スリランカは仏教徒が70%を占める国で「宗教上のバッティングが無くて良かった」と思っていたのですが、フィアンセはキリスト教徒(人口の3%)だそうです。姪はフィアンセに準ずる気持ちのようですが、書物によれば「晩年最も問題になる」ことだそうです。
私はおよそ宗教心の無いほうでしたが50歳を過ぎて、先祖の祭祀や墓のことを考えるようになりました。宗教の違う人が国際結婚した場合、死後の世界をどちらの様式で祭祀するか「深刻な問題になる」事が多いそうです。ただ姪は若く、このことを話してもピンと来ていないようでした。結婚後改宗して夫婦同一の宗教した場合でも、晩年になって「先祖の墓には入れない」と知って「愕然とした」人の手記を読んだことがあります。
姪はキリスト教に統一するようですが、そうなれば仏教のファジーさは無く「先祖の供養や祭祀」が出来なくなります。高松家8代を継いだ兄が2年前に死去し、9代目(宗家を継いだものが祭祀を行う)は空白ですが、順当に考えれば兄の直系親族と言うことになります。甥は東京で暮し厚生省技官をしているため、宗家の祭祀を引き継ぐことは物理的に難しいのではないでしょうか、さらに姪もダメと言うことになれば、一寸寂しいことになりそうです。

結婚後も別々の国籍を有し、やがて生まれるであろう子供に「二重国籍を持たせたい」そうです。でもそんなこと可能でしょうか?国籍に対しファジーなアメリカでも選択は出来ても二重国籍を許していなかったように思います。更に「夫婦別姓」にするそうです。私は知らなかったのですが、我が国の国際結婚は「基本的に夫婦別姓」だそうです。ただ、最近になって申請をすれば「同姓が許される」そうです。
姪は誇らしげに「夫婦別姓」を口にしていましたが、少し疑問に思っています。
中国の文化圏では「夫婦別姓」が当り前です。これは父系社会の特徴で「嫁は一族に迎い入れない」習慣があり、あくまで「夫婦は他人」なのです。だから、夫婦の墓は必ず別に存在します。韓国国籍の友人は「墓参りが大変だ」とぼやいています。これが母系を一族と見なさないため、代々の母親の墓が生まれた一族の墓地にあり、あっちこっちに墓参りする必要があるからです。ちなみに、夫婦間の子供から「一族の人間」として遇するようになります。
それに対し、我が国は母系社会で「夫婦が一親等」とカウントされます。白人社会も概ねそうで「夫婦同姓は先進国の特徴」と言って差し支えありません。ただ、白人社会では「両家の先祖を称える」ため、一定のルールの元で「両姓を併記する」習慣があります。

我が国でも、離婚率が急速に上がっているそうです。離婚後の「姓」を選択できるようになりましたが、子供の姓は変えられません。別れた勢いで旧姓に復帰したものの親子別姓で悩んでいる家族はたくさんいらっしゃいます。ウーマンリブ的発想で夫婦別姓を選び、後悔しないように願っています。
民族・宗教・祭祀・習慣・食事等々、容易な努力で国際結婚が出来ると思われません。あらゆる困難を乗り切り、姪の前途に「幸多かれ」と心から祈ります。おめでとう。
991211(土)糟糠の妻

そうこう‐の‐つま【糟糠の妻】サウカウ‥
[後漢書宋弘伝] 貧乏な時から連れ添って苦労を共にしてきた妻。「―は堂より下さず」(糟糠の妻は夫の立身出世の後にも家から追い出してはならない)


有名な建築家の条件として「離婚」を挙げた友人がいます。たしかに、高名な建築家に離婚された方が多いように思います。何故か?個々の理由を知る良しもありませんが、想像することは出来ます。
有名な作家先生の事務所に弟子入りするのが、この世界で「名を成す」普通のコースです。しかし「無給か雀の涙の給料」しか出ず、自活することは不可能です。だから、ご自身が資産家か、誰かパトロンが必要です。奥様の細腕に頼って「修行を続ける」ケースも稀ではないと思います。
そんな訳で「修行を終え出世街道を驀進する」ご主人様について行けずに、いつまでたっても「ぬかみそ臭い奥様」が、出来あがってしまいます。およそ「縁の下に力持ち」で働きつづけて、ある日突然「華麗に変身せよ」と言われも、そうは簡単に出来るものではありません。

冒頭に広辞苑から「糟糠の妻」をご紹介しました。
一夫多妻姓の時代なら、自分を支えてくれた奥様を大切にし、別に「パーティー用の女性」を用意することも出来たでしょうが、現代ではとても無理なことです。
「功成り名を遂げ」パーティーへ出席する機会が増えたのに、奥様がいつまでたっても「糟糠の妻」で困り果てる。そんな図式が見えてきます。で、結局…
建築家に限らず、出世を遂げた方達の「共通の悩み」かもしれません。幸い、私は出世をすることが無かったので、もう30年以上「カミさんが傍にいる」そんな状態です。


チョット話題を変えて
大阪の3奇人の一人で高名な建築家がいらっしゃいます。某氏は講演でこんなことをおっしゃったそうです。
  建築屋は「体」で設計する
  建築士は「頭」で設計する
  建築家は「心」で設計する
建築屋を自認する私は「建築屋は体力が勝負」と公言していますから、全く「言い得て妙」な表現です。ただ某氏の行状を知る私には、氏に「心」を説かれることだけは真っ平です。

991213(月)十大ニュース
12月も中旬となりました。
今年の私の「十大ニュース」を考えているのですが,案外無いものですね。出来事はあっても順位も付け辛いものです。そんな訳で順不同にて

■ インターネットを始める:コンピュータとの関わりは早いほうなのに、ウインドーズに乗り遅れ、結局インターネットを始めるのも遅くなりました。
■ ホームページ開設:インターーネットを始めれば必然的に「ホームページ開設」なんて図式ではありません。昨年から書いている「エッセイまがい」を誰彼なしに送りつけました。送られた方は堪りません、そこで「ホームページに掲載したらドナイヤネン」と。お陰で面白い趣味を得ることが出来ました。
■ 狭心症:50を過ぎれば「なんでもあり」だそうです。正月に不調を覚え病院に行きました、そうしたら「狭心症」だそうです。今は「予防薬を常用」する体になりました。
■ 禁煙:くわえタバコしていたら、心臓発作に見まわれました。タバコを吸ったら「死ぬんや」と思った瞬間、「タバコは止めよ」と思いました。30年以上、他人の迷惑を顧みず吸い続けたタバコが、こんなに簡単に止められるなら「何故今まで禁煙できなかったんだろう?」そんな気持ちです。
■ 家内の病気:丈夫で長持ちがキャッチフレーズの家内が、今年は病気や怪我で何度も救急車のお世話になりました。ここでも、50を過ぎれば「なんでもあり」です。
■ 更なるリストラ:忙しく1年を過ごしたのですが、それでも収支が合わず「いっそうのリストラ」が必要となりました。「あれば便利」で増えた贅沢品を整理し、来年から出直しです。

とても10大ニュースになりません。
記憶に残る「重大な変化」ってそんなにないのでしょう。平々凡々…そんな生活が幸せに感じる歳になってきたようです。
991214(火)乃木大将
のぎ‐まれすけ【乃木希典】
軍人。陸軍大将。長州藩出身。日露戦争に第三軍司令官として旅順を攻略。後に学習院長。明治天皇の大葬当日、自邸で妻静子と共に殉死。(1849〜1912)

 
若い方には、乃木大将は馴染みが無いかと思い冒頭に広辞苑よりご紹介をしました。
乃木大将は、陸軍史において「初代・軍神」といって差し支えない軍人で、昭和に粗製濫造された「軍神」と異なり、明治の風格を持った人物です。
乃木大将を主人公にした司馬遼太郎氏の作品に「殉死」があります。長編の多い氏の作品では「小品」に属すかもしれませんが味わい深い作品です。また、長編「坂の上の雲」では数多い主人公の一人として登場します。
物事には、テクニカルな部分とメンタルな部分が混在すると思います。司馬氏の作品は透徹したテクニカル分析がある反面、それゆえに「人間の持つ感情」に時として冷淡な描写があるように思います。司馬氏の作品に登場する乃木将軍は「不運の将軍」として登場し、読者によっては「無能な将軍」と受け取られかねないと思います。

年内のリストラ完了を目指して多忙なところに、仕事面でも忙しくなり皮肉な現象となっています。そんな訳で「寸暇を惜しんで」ホームページの更新を行っていますが、いささか寝不足は否めません。それでも相変わらず「2冊の本」を持ち歩いています。

池波正太郎氏は私の好きな作家です。
氏の作品は読み尽くしたつもりでいたのですが「賊将」(角川文庫)と言う短編集を見つけました。氏の晩年の作品である、剣客商売や鬼平犯科帳は娯楽作品として大変楽しく読ませていただきましたが「ご都合主義」が目立つようになっています。それに対し「賊将」に収められた短編はどれも丁寧に書かれており感動しました。特に「応仁の乱」と「将軍」は、これが池波正太郎氏の作人だろうかと思わず疑るほど感性豊かに描かれています。
将軍に登場する「乃木希典」は、司馬作品では味わえなかった、乃木と明治天皇の心の通い合いを、日本人のメンタルで見事に描いています。満員電車の立ち読みでしか時間がないのですが、何度も感動で目が潤みました。
乃木希典は、西南戦争で軍旗を奪われ何度も自殺を試みるのですが、その都度誰かに止められます。そして最後は明治天皇に「自殺を禁じ」られます。余生を明治天皇に捧げ、日露戦争では最も困難な戦場の指揮官となり、世の嘲りを受けます。しかし、単発銃しかなく身を隠すことも出来ぬ戦場で、トーチかに守られ機関銃を装備したロシア兵に立ち向かうことそのものが「狂気」でした。誰が指揮官であれ、屍を積重ねるしか方法の無い戦場であったことが分かります。
批難轟々の中で、最後まで彼を理解し庇護したその人こそ明治天皇でした。明治天皇崩御の折り、殉死禁止の御触れを省みず婦人と共に旅だった人でした。是非ご一読を!
991215(水)アマとプロ
大阪にもストリートミュージシャンが増えました。思わず足を止め「聞惚れる」ほど巧い人が結構います。この世界で、アマとプロの差は、「運の差」以外考えられません。テレビで有名になったけれど「聞くに耐えない歌しか唄えない」歌手は山ほどいます。 
将棋や碁ほどアマプロの差が激しい世界は無いでしょう。随分前ですが、引退して久しい小笠原9段が、アマチュア選手権で活躍した10人ほどを同時に相手し、全て勝つ様を見て呆れたことがあります。 
相撲と野球がそれに次ぐ世界でしょうか、夏の甲子園とプロ野球のナイター中継を見れば「その差の大きさ」に驚きます。

建築の世界はどうでしょうか?
建設省、労働省、経済企画庁など「建築」の範疇を何処まで入れているのか私は知らないのですが、建築の世界でもアマチュアが大手を振って生きている分野があります。
例えば「店舗設計」とか「インテリア」の世界は、認定制度はあるものの「国家資格」はあるのでしょうか?(私は知らない)彼らと仕事でタイアップすることがあるのですが、大変です。
昨年、25000u程の複合施設の全面リニューアルを手がけました。
 地階:駐車場
 1階:スーパーマーケット
 2階:ホームセンター
 3階:ボーリング場
 4階:会員制スポーツクラブ
規模や用途から防災評定を受けるほど規制が多いのに、リニューアルに参加する業者は普段私が接する業種と異なり「店舗設計」とか「インテリア」ばかりです。彼らに「建築基準法では…」「消防法では…」といくら説明しても理解してくれません。何せ「法に従って工事をする習慣」がないのです。だから「定例会議は法規の講習会」の様相を呈していました。

「防災評定」は建築でもかなり難しい項目で、簡単に説明できませんが「高度な防災性能を要求される」とご理解されればそんなに間違っていません。無事に検査済証が受領できるかヒヤヒヤものでした。
彼らは世間で「プロ」として通っているのですが、法の世界で言えば質の悪いアマと言うことになります。皆様の世界ではいかがでしょうか…
991215(水)自然とは

990901狭山池2でこんな記述をしています。
…略…私は、この地域への第1期入居者の一人である。「熊は出ないか?猪は大丈夫か!」と本気で心配されるような、丘陵地の変貌を見つめてきた。地表は剥がされ、見渡す限り「赤土」の大地が、今は「街路樹の間引きが必要」なほどに、緑濃い地域に復元した。時間にしてわずか30年に過ぎない。
復元された緑を、管理された自然であり「本来の自然ではない」と批難する人がいるかもしれない。しかし、地球全他の話をしているわけではない。限られた地域で「人との共生」を考える際、復元されないことを問題にするべきであろう。
これは私の持論なのですが、余り評判は良くありません。しかし、991213産経新聞「常識を点検する」で面白い記述がありましたのでご紹介します。 
京大農学部武田教授の研究によれば
「日本の森は、有史以来かってないほど豊かになっている。特にここ20〜30年で都市部周辺から自然林が回復している」そうです。自虐趣味の「自然保護派」の方が、とかく「環境破壊日本」を声高に叫ばれますが、30年前ならいざ知らず、我が国の環境は急速に回復しています。990901の記述にあるように「私の体験」が間違っていなかったことに心を強くしています。
更に記述を紹介します。
自然林が増えたことにより「野生動植物が減少」しているそうです。研究によれば、都市と自然林の境目(中間帯)が、野生動植物の住みかだそうです。ちなみに中間帯とは「人間の手の入った自然」だそうです。
環境破壊は、逆ブレを起し「何もしないことが自然」と言う誤った自然保護思想を生み出しました。それにより中間帯が消滅し自然林を増やしたのです。しかし、彼らが信じる「人を知らない自然」って動物に取っても住みやすくないみたいです、きっと「食物連鎖」すら消えてしまうからでしょう。
自然保護を訴える人が自然の破壊者になるかもしれない恐い話でした。

991216(木)ただいま勉強中
昨日、老人福祉施設を訪問してきました。有名なお寺が経営する施設は名刺を出すだけに終わってしまいましたが、2ヶ所の施設で丁寧に説明を受けることが出来ました。ご紹介します。

京都府綾部にあるA施設は、特別養護老人ホームとデイサ―ビス及び授産施設を併設されていました。行くまで知らなかったのですが「聴覚障害者」のための施設でした。
迂闊と言えばこれほど迂闊な話はありません、聴覚障害者だって「歳を取る」のです。お年寄りのお世話だけでも頭が下がるのに、ここではさらに「聴覚障害」が加わるのです。
放送で簡単に周知できることが、ここでは出来ません。「緊急事態をいかに知らせるか!」そんな便利な既製品があるわけではありません。何もかも手作りで対応なさっています。施設内には、「視覚に訴える」表示がふんだんに行われていました。ベッドに「バイブレータ」を仕込み、緊急時に目が醒めるように工夫しています。更に主要な個所に「コンピュータと連動したOHPやフラッシュが設置されています。
ところが行政もこのような「複合?」を想定していないそうです。
「障害者施設として助成を受けるなら老人施設として助成は不要だろう」とか、「視覚に訴えるコミニュケーション方法は助成基準に無いから費用は出せない」と言った無知な対応も出てくるそうです。
さらに、特殊なだけに「地域密着型」になっておらず、地元行政からイマイチ評価されない悩みを抱えているようにお見受けしました。

京都市内にあるB施設は、保育園内に特別養護老人ホームを作った稀なケースでした。保育園と老人施設が有機的に繋がっており、「老人と子供」を具現化した施設でした。
 お訪ねしたところいきなり「設計事務所の役目」を聞かれました。どうも、施設の設計図にはあるのに「付いていないもの」がたくさんあり、その対策に苦慮なさっているそうです。反省…

結果として、2ヶ所しか回れなかったのですが、大変有意義な1日でした。それぞれの施設が限られた費用の中で「工夫」を重ね運営に情熱を注いでいらっしゃることがよく分かります。
私に出来ることはあんまりありませんが、せめて「ハード面」で負担を軽減できる施設を作りたいものです。
お忙しい中、親切な説明と施設案内をしていただきました。心より感謝します、ありがとうございました。
991218(土)今年の課題「緑地」
某社は、フリーアクセスフロアの手法をもちいて「屋上緑化」商品を開発しました。
パレットに人口土を入れ高麗芝を貼ったもので、厚さ10cm重さも保水100%の状態で68kg/uと軽く、既存の屋上でも容易に施工できるよう工夫されています。今のところ需要は官庁だけだそうですが、民間にも販路を広げたいと意欲持っています。
既に東京都で採用され、関西では大阪市が始めて採用を決めたそうです。

そこで今年最もバトルをし、惨敗を喫した「緑地論争」を思い出しました。奇しくも相手は「大阪市」です(エッセイ&コラム1999年8月参照)。冒頭に紹介した「屋上緑化」は、CO2を吸収し「酸素を供給」すると同時に「都市の冷却化」を計る『エコ商品』です。緑地には、都市景観に寄与する緑地と環境に寄与する緑地があるのです。
    大阪市の緑地規定は
 @ 緑地面積は敷地面積の6%とし、内3%は道路面で確保
 A 軒下や縁石は緑地面積にカウントしない、また地上以外はカウントしない
 B 1m×1m以上なければカウントしない
8月に数人の方にご参加頂き『考え方』を整理してみましたが、大阪市は「都市景観に寄与する緑地と環境に寄与する緑地」を全く整理していないことが分かります。

今年の課題とも言えるこの問題を再度整理してみます。
上記条件を満足する「道路面の3%の緑地」は土地の値段が高い地域ではとてつもない経済的負担を強いることになります。それだけに「誰もが納得できる理念」が欲しいものです。
道路面に拘る緑地は「見える緑地を」目指しており「土地景観に寄与する緑地」と考えてよいと思います。ならば「緑地=植物」に拘る必要な無いでしょう。ベンチや噴水と言ったものも広義の緑地と捉えて良いのではないでしょうか。勿論「軒下はダメ」などと言った狭い考えはやめるべきです。
道路面以外の緑地は「環境に寄与する緑地」と考えてよいと思います。ならば「地上に拘る必要」はないように思います。屋上でも何でも緑地を認め、その代わり植物面積であることを明記し、10%程度まで数値を上げても良いのではないでしょうか。屋上緑地は省エネ効果もあり、建設目的(収益)を阻害しないので違反無く受け入れられのではないかと思います。

この問題は「あなたと論議する気はない」と言う一言で、検討すらされずに退けられました。
私は、経済原則の前には「緑地など要らない」と言ったわけではありません。経済的負担を強いるのだから「もっと整合性のある指導」をして欲しいと願ったのです。もっと視野を広くし、明日の大阪を考えて欲しいと願っています。
航空写真を撮ったら「大阪は『緑なす』都市」だなんて、素晴らしいと思いませんか!

関係のない追記
産経抄に「FG」が載っていました。フリージャイアンツの略で、江藤(広島)に続き工藤(ダイエー)を確保、更にメイ(阪神)に手を伸ばしている様を皮肉っています。際限も無い「大物食い」が若手の活躍の場を奪っていることに気付かないようです。そのうち、特別養護老人ホーム「ジャイアンツ」てなことなならないように。
991218(土)安全確実

関西に本拠を持つ某電気メーカーの「ビルメンテ」を一手に引き受け「不況知らず」を豪語していた会社が突然倒産しました。某社が雇用確保のため、ビルメンテを自社事業に切り換えたためです。
フリーアクセスフロアのトップメーカー某社は、今期決算でついに赤字を計上しました。決算発表後の営業会議で「不要人員の整理」が発表されたそうです。「不要な社員と言われないよう頑張っています」と。

でも世間では「必要な社員」すら断腸の思いで切り離し、会社存続を図っています。『安全確実』これほど今の世に存在しないものはありません。
リストラ理由の「人員整理」を法律で規制しようとする動きがあるようです。
また、以前テレビ番組の討論会で「雇用確保は簡単です。法律で雇用を義務付ければ良いのです」と某革新政党が言っていました。これ以上コメントしません「お考え下さい」

991219(日)今年の「四文字熟語」
今年の「四文字熟語」から話題を拾ってみます

ひゃっか‐りょうらん【百花繚乱】
種々の花が咲きみだれること。転じて、すぐれた人・業績などが一時にたくさん現れることにいう。
着歌繚乱
携帯電話は花盛り、姦しいほど「着メロ」が響きます。
道路交通法が改正され、携帯電話をしながらの運転が禁止されました。でも中学生が「携帯電話をしながら自転車に乗ってる」のって結構危ないよね。猫も杓子も携帯電話を持つから、区別するため「着メロ」が出来ました、これがまた煩いのです。なまじ、耳に覚えのある曲だと返って気を散らされます。まして「おっさん、エエカゲンにしいな」と言うようなミスマッチの曲だと噴出すのを堪えるときがあります。 
私の携帯電話が、ある日突然「宇宙戦艦ヤマト」に変わっていました。どうやら息子のイタズラのようです。私は着メロが嫌いだし、その方法も知りません。セットされた着メロの解除方法も分かりません。たまたま、バッテリーがへたっており「バッテリーは4000円だけど電話を替えるのは2000円」と言うことなので、電話毎替えてしまいました。ものの価値が分からない変な世の中ですね…

そう‐じょう−こうか【相乗効果】
複数の要因が重なり、掛け合せたほどの大きさになる。

騒嬢高踵

超上底のブーツが大流行りです。
フランスのデザイナーが来日して、若い娘達の「超上底ブーツ」を見て驚いたそうです。夏は上底サンダルだったのですが冬を迎えてブーツに変身し、ブームを盛り返しました。足元だけ見ていると、まるで「像の足」のように見えます。これは私だけの感想でしょうか?
無理なダイエット?で、体はいたってスリムなのに、足だけ異様に太く見えるのです。「これがファッションよ」と言われれば、何の反論もないけれどバランスの悪さは否めません。あれって重いようです、足を引き摺るように歩く人が目立ちます。だから、歩くスタイルも美しくありません。 
ルーズソックスを卒業した娘達は、今度は「像の足」です。細く締った足首は『永遠のチャームポイント』と郷愁を持つのはオジンのなせる技でありましょうか…
何故!かくも太い足首に拘るのか?フランス人でなくとも奇異に思われる方は多いのではないでしょうか。

きき-いっぱつ【危機一髪】
髪の毛一本ほどのわずかな差のところまで危機がせまること。あぶないせとぎわ。

喜喜一髪

カツラではなく、育毛・発毛時代とか。髪の量に一喜一憂
昨日床屋に行きました。薄い髪で「散髪代が勿体無い」と言う口汚い連中が多いのですが、私の取って大切な髪なのです。例え「1本」になろうとも、私は床屋に行くことを誓います。
「カイーノ」現象で、毎日寝不足です。仕事も忙しく「お疲れ」気味です。そんな訳で気持ち良く眠っていました。うつらうつらする中で遠い昔を思い出していました…
田舎でのこと、お隣に「床屋のご主人」が住んでいらっしゃいました。中風を患い引退して家業は息子さんに譲ったのですが、歩けるまでに回復すと『退屈で仕方ありません』そこで、私が登場します。何せ「貧乏真っ最中」床屋なぞ行くはずもありません。髪は「ボウボウ」で、ルンペンと変わりません。そんな私を捕まえて「りんご箱」に座らせ、持参の散髪道具で「床屋を開業」するのです。バリカンはまだ良いのですが、カミソリは恐怖です。中風の後遺症でブルブル震える手で、私の顔や首をあたるのです。(不思議に怪我の記憶がありません、きっと無事に済んでいたのでしょう)
母は、無料で床屋ができ感謝していました。おじさんは「リハビリができ」喜んでいました。一人私が恐怖を味わったのです。遠い記憶ですが、小学校3年頃で消えています。あのおじさんはどうしたのでしょうか…

面白い四文字熟語を考えつくものです。でも、本来の意味もお忘れなく!
991220(月)贅沢は素敵
太平洋戦争遂行スローガンに「贅沢は敵」と言うものがあり、それに一文字落書きを追加して「贅沢は素敵」としたものがあったそうです。庶民の感情としては、いつだって「贅沢は素敵」です。

時節柄耐貧生活を迫られていますが、落ち込んでもいられず「元気な貧乏」に心がけています。
私は建築生活を通じて「分相応な贅沢」を心がけてきました。時には少し背伸びした生活も体験しようとしてきました。私に仕事を提供してくださるクライアントは例外なく「私より裕福な方たち」で、クライアントの思考や嗜好を理解するのに不可欠と体感していたからです。
世界の金持ちはとんでもないことをします。
アメリカの砂漠に別荘を造った人がいます。でもこれ「普通」じゃないのです。砂漠と言えば「水は貴重品」ですが、ここには屋外プールがあります。屋外プールのプールサイドは冷房されています。砂漠の空間を無理やり冷房するって想像できますか!仕切られた部屋を冷房するとは分けが違います。我が国の金持ちでは発想できないでしょうね…

贅沢は素敵ですが、今はオアズケです。ステキな時代が来ることを信じてもう一頑張りしますか!
991221(火)遠赤外線肌着
若い頃から「厚さ寒さ」に強いほうで、夏冬問わず着衣に余り変化がないほうでした。しかし、寄る歳なみには勝てません。 昨年の冬後半から肌着が欲しくなり、取りあえず「夏のTシャツ」で代用していたのですが、狭心症を持病とするようになって「寒さが恐く」なりました。そうなると堪え性がありません、そこへこの数日の猛烈な寒波です。早速、肌着を買い求めに行きました。

なにせ、雪国に出張があっても股引(大阪ではパッチと言います)は履かず、素肌にYシャツを着ていたので、何もかも購入する必要があります。どうせ買うなら「暖かいもの」をと、新聞で見た「遠赤外線を出す繊維」で作った肌着にしました。人間の体から発する遠赤外線を繊維が増幅し、「熱の幕」を作ってくれます。まるきっり信用して購入した訳ではないのですが、着てみて驚きです。まるで「使い捨てのカイロ」を抱いているような温かさです。
らくだのシャツのように厚手でもないのに快適至極です。寒がりの向きにはぜひお勧めです、ご紹介します。ちなみに「肌着上下で1セット3000円程度」です。
991222(水)浪速のクリントン
横山ノック大阪府知事がついに辞任しました。春の統一地方選をほとんど無風選挙で再選され、わずか半年後のことです。
選挙運動中にアルバイトの女子大生にセクハラを働いたとして民事訴訟を受けていました。横山氏は「公務多忙を理由に不戦敗」を選び、慰謝料の支払いを受け入れていたのですが、女子大生氏は許せなかったようです。刑事告訴をし、警察もそれを受け入れたことから「辞任」となりました。

私には、事の真相を知る術もありませんし、興味もありません。ただ、セクハラ問題の難しさは理解できます。もし、セクハラの定義と言ったものがあれば「『私はセクハラを受けた』と言えばセクハラになる」のだろうと思います。
例えば「今日の服はとっても綺麗だね」と言う言葉を言ったとします。
 @ 好きな人から言われたのなら「嬉しい」
 A 何でもない人からなら「無視」
 B 嫌いな人からなら『セクハラ』
こんな状況になります。それだけに「セクハラはなかった」と立証することはほとんど不可能です。 
世の中に「セクハラ」と言う言葉が出始めた頃、服装を誉めたことから私は女子従業員に「セクハラ」だと、責められたことがあります。私にそんな意識はなかったのですが、そのように受け止められたならやむを得ません。まさに、例題で示した事件でした。あれから10年ほどになりますが、以後私は「一切のコメントをしない」ことにしました。どちらかと言えば感受性が鋭く僅かな変化も気付くのですが、決して口にしなくなりました。女子職員が突然髪を切ってくれば「何かあったのだろうか?」と思うのが自然です、でもそれを口にすれば『セクハラ』かもしれないのです。
セクハラ問題から安全でいるには「無視」が最も有効です、逆に「アットホームな雰囲気」など危険の最たるものでしょう。味気ない世の中になったものです。

アメリカのクリントンさんはあれだけ問題を起こしながら、結局乗切ってしまいました。でも、残念ながら『浪速のクリントン』はそれが出来ませんでした。お陰で、大阪府の政局は不透明になりました。80日以内に選挙が行われるそうですが、決して住民や役人におもねることなく大阪府の財政を健全化してくれる人にお願いしたいものです。
991223(木)現実乖離
大阪京都を結ぶ京阪沿線N市は、私が十代の終わりに一時住んだ町です。低所得者に住みやすい町といった印象でした。
N市に「マンション建設を」という引き合いがあり、N市開発指導要綱の入手と現地見学に行ってきました。若い日に感じた印象そのままに、今も低所得者には住みやすそうです。言い換えれば「高級住宅地」といった雰囲気に欠けます。一目見ればわかるほど「違反建築」の群れで、わが国に建築基準法があるとは思えない状況です。

事務所に帰り、N市開発指導要綱を開いて驚きました。震災で死んだはずの「規制」が堂々と生きています。
昭和45年に都市計画法が施行され、宅地開発に規制が加えられるようになりました。しかし、これは秩序ある開発を誘導するためのものであって、関西一円に蔓延っている「開発指導要綱」とは異なります。
当時(都市計画法制定時)、住民運動の高まりや公害問題の表面化を軸に革新首長が次々と誕生し、住民におもねる形で自治体による「開発指導要綱」が作られていきました。環境保護や住民保護の名の元に「新規移住を拒む」に等しい規制が盛り込まれ、現実に経済的な「関西の地盤沈下」の一因にもなってきました。
これらの開発指導要綱は法律ではなく、名のごとく「指導」です。建設省はこの違法な指導要綱を廃止するよう再々勧告してきました。

阪神淡路大震災を機に「新規移住を拒む」に等しい規制が見直されました。指導要綱の存在そのものが「復興を阻害する」ためでした。
大阪府でも全自治体が集まり、悪評高い部分の削除が決められました。それは、
 @ 日影規制は、住居系用途地域で容積率が200%以下の地域しか規制を設けない。
   (容積率=敷地面積に対する延べ面積の割合)
 A 開発負担金を徴収しない
 B 人口密度規制(最低規模の設定)をしない
これらはどれも新築を制限するもので、自治体によっては「新規に移住してほしくない」と公言するほどでした。具体的にこれらの新規移住や経済活動を阻害していた部分を切り取ったのです。が…

「N市開発指導要綱」で、私が驚いた部分を紹介します。
大阪府統一見直しで、個人住宅と500u未満の敷地は除外されるのが普通ですが、N市では「建物を作れば開発申請の対象」になっています。だから、個人住宅を作るにも開発申請が必要になります。都市計画法で定める「免責規定」もありません。行政の責務は住民の負担軽減を図ることのはずですが、ここでは個人にまで負担を強いる規制を作っています。 
大阪府下統一見直しを無視して、N市では商業地域まで住居系とまったく同じ基準の『日影規制』を掛けています。商業活動を促す商業地域と、住環境を重視する住居系を同じ規制下におくことのナンセンスさがまだ分かっていないようです。また、駐車場の設置基準でも商業地域と住居系を区分しておらず、現行の制度では充分な商業施設が出来るとは思えません。
マンションを造る際「最低専有面積65u以上」と、規制しています。これは、府下統一の見直しで排除した「人口密度規制」になります。これも正常な商業活動を規制するものです。
バブル崩壊後、マンションの分譲価格を下げるため、専有面積の減少傾向があります。府下で販売されるマンションの専有面積は60u前後で、N市の規制値より小さいのです。まして、冒頭に述べたように『低所得者層が住みやすい』地域で、専有面積の大きなマンション需要は極めて少ないと思われることです。

さすがに開発負担金は無くなっていますが、それ以外は「府下統一見直し」等どこ吹く風と言ったところです。地域性の改善を図るため、過度な規制にしたのでしょうか?!気持ちは分からないでもないのですが、余りの「現実乖離」に驚いてしまいます。守ることが、過剰に苦痛を伴う規制(指導)を行えば「誰も守らなくなる」と言う現実を、まざまざと見せ付けられた思いです。行政にもう少し現実的な指導を望みたいものです。
991224(金)クリスマスイブ
■「クリスマス」言うたら、キリストはんの誕生日と違いまんのか?
□そうです。今日はその前日でクリスマスイブです。
■そやけど、何時からこないに「キリスト教徒」が増えたんだす、驚きだすわ!
□いえいえ、そうじゃありません。今も昔も日本人は「いいかげん」で、誰のお祭りも楽しいのです。
■ ほうでっか!孫娘も「今日は特別の日や」言うて出かけましてん。
□そうですね、昔は『七夕』が男女の大切な日でしたが、今ではクリスマスイブになりましたね。今日、相手がいない人は「不幸」と言わんばかりです。
■ もうちょっとしたら正月だすわ。そうしたら綺麗な晴れ着きて、初詣行きよりまっせ!ほんまええかげんなことだすわ。となりに彼さえいたらエエんと違いまっか?
□まあ、そんなところでしょう。平和な日本ですね…
991225(土)ゴールドプラン21
来年4月から始まる、高齢者保健福祉計画「ゴールドプラン21(5ヵ年計画)」が決定発表されました。
ゴールドプラン・新ゴールドプランと続いてきましたが、平成11年度で終了するのを受けての発表です。2005年からは「株式会社化」が構想されており、2005年から福祉活動にも「競争原理が導入」されます。それまでの繋ぎですが、同時に『国のお金』で行われる最後の高齢者保健福祉計画にもなります。
発表された数値から、感想を述べてみようと思います。
来年4月から『介護保険』がスタートします。介護保険は諸刃の剣です、施設未整備を理由に一部の人にしか利用できない「高齢者保健福祉施設」では済まなくなり、絶対量の確保が必要となります。そのため、全項目に渡り枠が増えています。
 
次に、いま介護認定が行われており、予想通りかなりの人が「従来の施設が利用できなくなる」と噂されています。特別養護老人ホームやデイサービスは「要介護」のお年寄りの施設ですが、現行は余り厳密に運営されていません。ところが介護保険導入で「厳密に運営」されるため、かなりの人が『はじき出される』のですが、その受皿がないと言う現実があります。
 
発表された数値には「はじき出されたお年寄りの受皿整備を促す」目的が良く見えます。
ホームヘルパーや訪問看護ステーションは、在宅の「要支援や要介護」の方をサポートする制度です。ショートステイも基本は在宅介護で、時々『預かります』と言う施設です。このように在宅介護サポートシステムの枠が大幅に増えているのが分かります。ただ、いったん外部に介護を依頼した家族が「もう一度我が家に受け入れる」か?大変疑問です。

ゴールドプラン21で「痴呆性老人グループホーム」が、あらたに制度化されました。グルームホームは理念としては以前からあるのですが、企業化を考える場合「採算に合わない」部分で、整備が全く遅れている分野です。痴呆性ともなればなおさらで、企画倒れになる可能性が高いものです。ただ、3200ヶ所と言う数値に見るように「1自治体1ヶ所」を目指しており、セット販売(良好な採算が予想される施設と抱き合わせ)される可能性が高いと思います。

高齢者生活福祉センターの内容はケアハウスと変わりません、両者とも原則として「健常なお年寄り」が対象で、違うのは運営方法です。
ケアハウスでは、お国から助成される以外の建設費を入居者から利用権という形の負担を求めることが出来ます。感覚で申し上げれば、入居時に「概ね700万円程度」の費用が必要です。入所後の運営費も助成以外は自己負担となります。ただ、民間のシルバーマンションが2000〜4000万円必要なことと比べれば人気があります。
高齢者生活福祉センターは「低所得者が対象」と言うことで、自己負担を求めることが出来ません。そのため、この部分の施設費回収方法がなく、健全経営を目指す施設側に人気のない制度です。私が担当している進行中のケアハウスプロジェクトでも、行政から『高齢者生活福祉センター』の抱き合わせ要求がきています。

福祉といえども「健全経営」が必要なことは言うまでもありません。一部の方に不評を買いそうですが、私は絶対に必要だと思っています。反面、非採算的であろうと「受皿として」このような施設が必要なことも事実です。福祉を「聖職」としかお考え頂けない方には「非採算的な施設は行政が行えば良い」と言うかもしれません。しかし、これも私は間違っていると思います、赤字の垂れ流しを是とすることは出来ません。
福祉といえども聖域を設けず『健全経営』を目指すなら、行政が行っている?セット販売は案外「正解かな」と思っています。
991226(日)100年の歩み
ミレニアムを直前に控え「十大ニュース」が特集されています。
例年ならば「今年の十大ニュース」ですが、今年は「今世紀の十大ニュース」が目を引きます。
節目の点で言うなら「1000年の十大ニュース」もあってよさそうに思います。しかし、1000年前と言えば平安朝真っ盛りの頃で(794年に平安遷都〜1185年鎌倉幕府創設)さすがに焦点がボケるのかそれはないようです。
この100年を見てみると、1000年の中で他の900年より比重は重いのではと思えるほど変化の多い世紀であったように感じます。

高柳博士の「い」の字のテレビ以来100年になります。情報に『映像』が登場した始めての世紀です。またライト兄弟が「空をとんだ」のも、核兵器が製造使用されたのも今世紀の出来事です。映像はレーダーとなり、ライト兄弟の発明は戦闘機となって、20世紀を『戦争の世紀』にならしめています。
一方、20世紀は『民族独立』の世紀でもありました。
戦争の勝敗を「目標の達成」で考える方法があります。アメリカは「中国の経済的開放を求め」日本は「アジアの独立」を掲げて太平洋戦争を戦いました。その結果、アジアは独立を果たし、アメリカは中国を取り込んではいません。だから『日本は負けたとは言えない』は、やっぱり詭弁ですが、戦争目的は真実も語っているように思います。日本の主張が全て建前であったと私は思っていません、純粋に「アジアの曙」を目指した人が多かったと思うのです。建前の部分は見事に砕けましたが、民族自立の芽を植えることに成功しています。

何かの本で読んだのですが、革命には3つのプロセスがあると言います。
 @ 先進的革命理論家
 A 既存秩序の破壊
 B 秩序の再構築
@Aの人達は革命の礎となり、Bの人で成就すると言います。明治維新で言うなら@が吉田松陰Aが高杉晋作や坂本竜馬Bが大久保利通や伊藤博文と言った人物になります。
このプロセスをアジアに向けて見ます。
インド亜大陸でガンジーが、中国大陸で孫文が@に当ります。彼らは革命なった国の姿を見ていません。Aの革命戦士の多くが散りBネルーや毛沢東によって革命は成就しています。プロセスは同じですが、両者とも日本と違うのはA→Bの間に内戦を挟んでいることです。
インドは英国からの独立を果たしましたが、国家樹立に際し「宗教戦争」が起き、仲裁に立ったガンジーは暗殺されています。結局「ヒンズー教のインド」「イスラム教のパキスタン(後にイデオロギー対立が起き分裂、東パキスタンはバングラデシュとなる)」「仏教のセイロン(後スリランカ)」の3国に分裂し、今も紛争が絶えません。
中国は、日本の敗戦に伴い独立を回復するのですが、ソ連アメリカの代理戦争が続き「毛沢東の中華人民共和国」「蒋介石の中華民国(台湾)」に分裂しています。

この100年は、20世紀の文明が作り出した兵器と、民族独立、宗教的対立さらに『イデオロギー対立』の全てが『戦争』に繋がったと言っても過言ではないように思います。さて、次の100年はいかなる世紀となるでしょうか?…
991227(月)産業廃棄物の活用
25日に京都で忘年会がありました。気の置けない友達の会話から『オモロイ話』を!

和歌山は、梅桃柿の大産地です。梅は梅干に、柿は干し柿として大変有名です。
梅を漬けて梅干に加工します。この時出来る漬け汁は塩分が濃く「産業廃棄物」として処分の対象でした。某メーカーがこの漬け汁を貰いうけ「塩分を抜く」技術を持ちました。塩分さえ抜ければそれは『梅のエキス』なのです。エキスをアルコールで割り「梅酒」の出来あがりです。最近コマーシャルでお馴染みのあの商品です。もうお分かりですよね…
健康ブームは梅酒だけではなく様々な食品を世に出しました。
そんな中に「カルシューム」があります。某薬品メーカーが出した「カルシューム1000」って、原料がなにかご存知ですか?帆立貝は人気ある食品で、養殖も盛んですが『貝殻』が困り者でした。その産業廃棄物が蘇ったのです。
冬はカニのシーズンですが、越前ガニもオス(セコガニ)ともなれば「カニ風味のだしの素」として湯掻かれ、後は産業廃棄物でした。それを無料で貰いうけ、街道で「3匹1000円」で売っていました。その「3匹1000円」が姿を消しました。カニの甲羅に「カテキン」が多く含まれていることが分かったからです。

産業廃棄物として『困り者』が蘇ったお話をご紹介しました。
この話しには『続き』があります。
「漬け汁から除いた『塩分』をどない処分してんのやろか?」
「塩も産地の名前をつけて売り出す時代や『和歌山の梅塩』言うて、売り出すとちゃうか…」
「そやね!それくらいするやろな…」

021105追記 本当に塩は売り出されるようになりました)
991228(火)関東と関西

関東で不思議なことは『東京に憧れる』ことでしょうか?
銀座のクラブで飲んだとき、隣に座ったお姐様が「なによりも東京に憧れている」と言うのに私は驚いてしまいました。ちなみに、彼女は「船橋の生まれ」で、東京に憧れて育ったそうです。「川向こうは東京なのに…」と言うと、それだけに憧れたと。
関東弁を使うご人に、出身を尋ねるとほとんどの方が『東京』と答えます。しかし、更に突っ込んで尋ねていくと、船橋(千葉県)であったり、浦和(埼玉県)であったりします。関西に住む人間から見ればこれは「偽り」です。やはり、東京に憧れるゆえにこのような表現になるのでしょうか?

関西に住んでいると、『関西』と言うエリアはあるのだろうか?と思うことがあります。
関東で近県に住んでいるにもかかわらず「東京」と答える感覚は、関西ではまずありません。大阪に住んでいて、京都奈良神戸に憧れ、つい『偽りの住所』を言うなど考えられません。むしろ、大阪に住んでいれば「OSAKA is BEST」の感覚が大変強いのです。言葉の訛り一つとっても『関西弁』などと言うものはなく、あるのは『大阪弁や京都弁』なのです。
関東が東京と言う『憧れ』により結束を得るのに対し、関西は自主独立の気風が強く『結束に欠ける』のです。関東と関西…同じ日本人でも随分違うものだと「酒の肴」で話しが出ました。

この1年ご愛顧を賜りまことにありがとうございました。

時節柄『順風満帆』とは申せませんが、それなりにスリルに富んだ1年でした。
来年は「ガンバリズム」から「ユックリズム」に変身し、趣味・健康・仕事の三位一体を満喫したいと存じます。もちろん「当ホームページ」を通じお裾分けをしたいと存じております。
それでは皆様「良いお年をお迎えください」…

991229(水)この1年

 □趣味
不況の風を機に書き始めたエッセイもたまる一方です。書けば「読んでほしい」もので、誰かれなく送り付けます。
送られるほうは堪りません。そこで、「ホームページはどないやねん」と勧めてきたわけです。
バブル崩壊のあおりを受けウィンドーズに乗遅れていた私も、何とか切換えた後で「Eメール」を始めたばかりでした。まさに「渡りに船」とばかりこの誘いに乗りました。ネタは揃っているし、エッセイから逃れたい若者の応援もあり「あっという間に」出来上がりました。今では、日々の更新を楽しんでいます。「書くことは『考える』ことに繋がる」エッセイを通じてそのことを知りました、ありがたいことです。
しかし、趣味の総量は変わらないものだと感じます。ホームページにのめり込んだ分、釣りが減りました。海原を満喫するリフレッシュをもう少し増やしたいものです。
もう一つ特筆します。11年ぶりに我が愛する『中日ドラゴンズが優勝』しました。さて健康でいる内に『もう一度優勝』を見ることが出来るでしょうか…

 □健康
正月に体調をこわし、病院に行ったところ「狭心症」の診断を受けました。ドクターによれば「この歳になればなんでも有り」だそうです。
当面生活の変化はなかったのですが、春に喫煙中に発作を起こし、無理なく禁煙をしました。
30年間に渡りヘビースモーカーを自認していた私も「煙草を吸ったら死ぬんや」と思った瞬間「禁煙」しました。今では他人のタバコが迷惑です。
それでも発作が頻発するようになり、夏からは予防薬を常用するようになりました。ところが、薬アレルギーの私のことゆえドクターも大変努力してくださいました。火照りのこない薬は見つけたのですが、湿疹は防げません。アトピーと同様の症状で「カイ〜ノ」に悩まされています、それでも「酒」は止めません。次に、「これを止めないと死ぬ」事態が来るまで大切に取っておきます。
今年、不動産鑑定士をやっていた友人が出張先で「突然死」しました。無病息災は「何でも有り」の歳になれば嘘のようです。『一病息災』で、健康に注意していきます。

 □仕事
世間をより反映して『建設業界は絶不調』です。それでも何とか仕事量は確保したのですが、利益の確保には繋がりませんでした。
生き残るための変革が必要となり、強引なリストラの断行となりました。精神的苦痛を伴うものでしたが、これをバネに「ユックリズム」に変身していきたいと願っています。新春から新しいメンバーの組合せでスタートします。
人間落ち目のときに「人の心を知る」と申します。私のような者でも親身に心配してくれる、友人知人そして親族に恵まれたことを、この場をお借りしてお礼申し上げます『ありがとうございました』

趣味・健康・仕事とも『激変の年』でしたが、何とか年の瀬を迎えることができました。皆様と、固有名詞を持たない『全能の神』にお礼申し上げます。
ありがとうございました…(記述は「私の10大ニュース」と重複します)

991230(木)虚構の世界
ある小学校で、完全な男女平等を実現するため、運動会の男女別編成を廃止したそうです。また、○○君という呼称を止め、「男女とも○○さんに統一」したそうです。皆様はこの出来事をどのようにお感じになられるでしょうか?

男女は体の構造が異なり、基礎体力にも開きがあります。スポーツで『男女別編成』をするのは、トイレや更衣室を分けると同じくらい当然のことのように私には思えるのですが、この小学校では「性差別」と映るようです。
性別編成をせずに『どんな競争をさせるのか?』疑問に思ったのですが、それさえ間違いでした。小学校では、競争が不平等に繋がるとして、早くから競争を排除しています。例えば運動会から「100m競争」と言う文字は消え、「100m徒走」に変わっています。100mを歩いても走っても良く「結果は問わない」のが原則です、当然『1等賞』はありません。
運動会に競争の原理がないのだから「性別編成の必要はない…」のでしょうか?私はまだ釈然としません。これは、義務教育の歪がそのまま出た事例のように思います。

ここで言う「平等」とは『結果の平等』です。
結果の平等は「人より優れている」ことを嫌います。子供達が持っている個性的な能力を自由闊達に表現し出せば、それを的確に評価育成していく必要が生じます。先生にそんな自信も意欲もあるとは思えません。義務教育が平等をお題目にして競争の原理を排除しているのは、実は先生方に「的確な判断能力」が不足しているためではないかと私は感じています。つまり、能力不足を平等と言う「言葉の衣」で隠しているように思えてならないのです。 
社会に出れば間違っても結果の平等などなく、保証されるべき「機会の平等」すら、「足切や指定校制度」に見るように怪しげなものです。これでは学校が「虚構の世界」になってしまいます。
昨年の「酒鬼薔薇聖斗」に続き「学校に恨みがある」と言う犯人により、何の罪もない児童が惨殺される事件が起きています。先生が現実逃避し、虚構の世界で子供を教育していても、何時か子供は現実に突き当たります。そんなとき、恨みが学校に向かうのではないかと恐れを感じています。
991231(金)大晦日
いよいよ大晦日です。今年もあと数時間で終わり、『西暦2000年』になります。
あの「Y2K」問題はどの程度の影響をもたらすのでしょうか!?
影響が無いと言えば嘘だけど、生命に関するほどの影響があるとも思えません。一寸恐くて、結構「面白がってル!」そんな心境です。

皆様!今年は良い年でしたでしょうか?
私には分かりません。良かったか?悪かったかはもっとずっと時間がたってから判断できるように思います。
歳をとって少し「信仰心」が出来たようです。全知全能の神(神には固有名詞がありません)に感謝します。「今年も1年過ごすことが出来ました、ありがとうございます」


inserted by FC2 system