dogfight高松の長すぎるひとり言
1999年11月

21世紀の日本が危ない道草1+道草2+定期講習会第6の感覚表現力建築界の幽霊夜の街角あれば便利あれば便利2+老兵は消え行くのみ400本の串じゅんさいな話家族と福祉デッドロック今後のケアハウスコダワリのカレーお手上げのY2K技術と精神力大石氏は今?邂逅軽費老人ホームお受験座席の値段+凩と木枯し演歌の衰退福祉を考える
991102(火)21世紀の日本が危ない

人生を楽しく過ごそう…私の財産は友人です。
破産処理に向けて猛勉強中です。私はこれでまた「たくましく」なれそうです。


私は常に硬軟複数の本を持ち歩いています。
手元に東洋経済新報社『分数が出来ない大学生』と言う本があります。
副題は「21世紀の日本が危ない」となっており、著者は様々な分野でご活躍の専門家10余人で、それぞれの世界で起きている『数学の学力低下がもたらす影響』を具体的に紹介されています。
昔から寺子屋では「読み書きそろばん」を教えていました。「分数が出来ない大学生」を読みながら感じることは、言葉の理解力と計算力が全ての分野の基本になることです。更に『数学』が直観力や応用力を養い忍耐力をつけます。若い人達の「切れる」現象と数学力の低下が見事に比例しているのが分かります。
統計学は我が国では「文系」に区分され、数学は不要とされているため、成立たなくなっているそうです。統計が経済の出発点であることは門外漢の私でも分かります。それに対して、学生から『小学校の算数で分かるように説明してください』と教授に抗議が出されるそうです。いま、危機感をつのらせる先生方により反撃が開始されたばかりです。
この本をまだ全部読んでいません。出来れば2度読むつもりです、2度目にダイジェストを作りたいと思います。いつか、このダイジェストを紹介したいと思いますが、出来れば直接お読みください。鳥肌が立つ思いです。

疲れた時は柔らかい本に切り換えます。
「疲れた」用に購入したつもりの本が実はとてつもなくハードでした。新潮文庫「米中衝突」リチャード・ハーマン・ジュニア著大久保寛訳(上下巻計800頁)です。
題名から「他愛無い戦争もの」と思い購入したのですが戦争シーンなどまるで無く、異なる文化を持つ国際政治の駆け引きや、国益より自分の利益で動く政治家が描かれています。
大統領の突然死で、飾りに過ぎなかったターナーは初の女性大統領になってしまいました。多くの政治家や国民がその力量に不安を感じます。更に突然死した前大統領が中国ととてつもない闇契約をしていたことが分かります。
妥協を知らぬ中国の拡大(膨張)政策に毅然と対決するべきなのに、女性らしい『狭いヒューマニズム』で益々国益を損なっていきます。忠誠を尽くす国軍首脳を信用せず、陰謀渦巻く政治家にあしらわれていく前半と、公正無私でおよそ出世欲の無い空軍中将に救われながら『大統領の責務に目覚める』姿が描かれる後半に分かれます。
 
日米には、安保条約があります。しかし、中国と事が起きたとき条約に従って「米国が我が国を支援するだろうか?」こんな疑問を呈する方はたくさんいらっしゃいます。
「米中衝突」では前大統領との闇契約に従い、中国が台湾を併合し韓国を影響下に置きます。更に「日本を守るためにアメリカは動かない」と読んで、日本を併呑する第一歩に沖縄侵攻を始めます。
条約に従って自動参戦しようとする沖縄の米軍に対し、ターナー大統領は「基地を攻撃されない限り反撃禁止」をします。つまり、日米安保条約は履行されないと言う前提で小説が成立っています。案外このような事態に至れば「こんなもの」と思わせる内容です。
わずかな文章でしたが、参戦しないアメリカに見切りをつけ、犠牲を省みず「救国の戦い」に向かう自衛隊が描かれています。我が国にそんな気概があるだろうか?ふと考えてしまいました。国際政治の身勝手さと、政治小国日本を感じさせる本でした。

991104(木)道草1+道草2+定期講習会

 道草1
先日「分数が出来ない大学生」(991102/21世紀の日本が危ない参照)をご紹介しました(この本をまだ読んでいますが、この間3冊の本を浮気しています)。
10余人の数学の先生がそれぞれの立場や考え方で書いていらっしゃいます。それぞれ「丸暗記教育が考えることを無くしてしまい、数学の衰退につながっている」と言う点では共通していますが、決して意見を統合しておらずそれだけに面白くもあり、混乱もあります。
今日読んだ先生は「考える習慣がつけば計算そのものは電卓でかまわない」と言う意見でした。しかし、前に読んだ先生は「手計算をすることが絶対必要」とおっしゃっています、皆様いかがでしょうか?
 道草2
先日電車の吊り下げ公告に「海外青年協力隊員募集」が載っていました。それを見た友人が、「若い頃あれに行きたかったな」と言いました。私も若い頃同じ思いをしており暫く話に花が咲きました。
海外青年協力隊は「熱意あるボランティア」だけでは済みません。
未開の地に行き現地で指導できる技術や技量が必要です。かの地では決して命の保証はなく、日本に帰っても地位の保証があるわけではありません。いわば「命を賭けたボランティア」です。私は語学の不得意さと建築設計という未開の地では役立ちそうもない専門分野ゆえに諦めました。特に今のように「コンピュータがなければ仕事はできん」と嘯いているようでは何の役にも立ちません。更に言えばこの状態は未開の地ではなく日本でも言えそうです。

現場監理をしていると直観力が働きます。例えば構造のチェックで、不自然な構造部材の減少は目を引きます。急いで構造担当に連絡をとりチェックをしてもらうと大概間違っています。
電話で解決できる程度なら良いのですが、現地に来てもらう必要があることもあります。そんなとき「手計算で構造を処理してきた世代」は潰しが利くのですが、生まれながらのコンピュータ世代は現地で対応が出来ません。
このように考えて見ると、道草1で申し上げた「計算は電卓で良い」と言う考え方は日本だけで通用することかもしれません。
 
定期講習会 
定期講習会があり行ってきました。設計事務所の開設者や管理建築士に5年に1度義務付けられた講習会です。
建築士法及び建築基準法が改正されたことを受け、テキストが一新され、眠気を催さず助かりました。この中から興味を引いた事項をいくつかご紹介します。
■1級建築士事務所の数(1998年)
全国で87634事務所
1位東京…15523事務所/2位大阪…6890事務所/石川県…1013事務所/なお、専業事務所は35%程度と見られています。つまりゼネコン系の設計事務所の方がずっと多いわけです。
■製造物責任法(PL法)では、不動産を対象から除外しています。
そのため,建築はPL法から免責されていると思っていらっしゃる方が多いのですが大きな間違いです。明治時代に制定された民法717条で、不動産の所有者に対し、被害者に立証責任がない「絶対責任」を負わしています。同時に製造者にも責任を問えるとしており、これぞPL法の趣旨(なかなか先進的な法律でした)そのものです。そのため法体系の整合性から言って、PL法の対象外としています。
建築士法の改正で、クライアントに対して「設計方針及び監理方針の説明」を設計者に義務付けています。また一般に対しても資料の開示(当社「MAC」のHP程度)を義務付け、設計事務所の使命に公共性を持たす方向性が示されています。これなど、PL法の趣旨に従い制度を強化したと言えるでしょう。
また、基準法の改正では中間検査の強化がなされており、品質保証を絡めて「違反建築がし辛い環境作り」がなされています。

■昔TQC今ISO
これもPL法の強化の一環ですが、クライアントは設計者に対し「品質の開示」を求めることが出来るようになりました。そのため、ISOを推奨しています。
では、TQC(トータル・クオリティー・コントロール)と
ISO(インターナショナル・オーガニゼーション・フォー・スタンダードゼイション)はどのように違うのでしょうか。
TQCが製造者の立場に立った品質管理であったのに対し、ISO(国際標準化機構)は消費者(クライアント)に品質を保証するものです。
この考え方が普及すれば個人事務所や中小の設計事務所は非常に辛い立場になることが予想されます。なぜならISO9000シリーズ取得の条件に、企画立案から設計管理(監理を含む)及びアフターケアまで網羅しており、一貫した組織を有しない中小では事実上取得不可能だからです。まして、ISO14000シリーズのように環境のコントロールまで行くと設計組織単独では絶対不可能になります。
今後行政は、クライアントに対し「情報開示を求めるよう啓蒙する」ようですが、その基準に「ISO取得」が据えられれば、私のような事務所は存在できなくなりそうです。
ここで「ごまめの歯軋り」よろしく、この方針に反論します。ISOを取得したゼネコン設計部の資料(複数社)を見せてもらいました。「今までこんなこともしてなかったの!」と驚くような内容が多く、実態としては「良心的な設計事務所のほうが優れている」と感じました。

■ 未来モデルの模索
建設省では近未来の設計事務所はこうあるべきと言うモデルとして「CALS」を2004年に立ち上げるべく、国が発注する物件を使い実験をしているそうです。
それによれば…
@ CADシステムを設計だけで終わらせず施工段階まで使えるようにする。
A 資料(図面や積算)を電子化し、EメールやEコマーズを多用する。
B エキストラネット(関係者だけが利用できるネットワーク:インターネットとイントラネットの中間的存在)を構築し、データの共有化を計る。
これらの説明を聞きながら「俺の事務所じゃとっくにやってるよ」と思いました。
例えば
CADデータの使用レイヤー(使用するデータの分類格納場所)を業種ごとに割り振り、容易に施工図への転用ができるよう10年ほど前から試みています。
 例1
3年前に行った某社のビルは4階建て工費一億円でありながら「3ヶ月で竣工」する必要があったため、設計図にサブコン(施工会社の協力業者:資材提供会社)からのデータを挿入し、独自の判断を厳禁した上で一斉に施工図作成に当たりました。タイムスケジュール通りに資材が現場に到着し無事終了しました。
 例2
2年前に行ったホームセンターの建設(工期4ヶ月工費2.5億円)では、設計図に各種設備の施工図及び店舗レイアウトのデータをすべて重ね合わせ整合性をチェック、無事竣工。
資料の電子化など当社でなくとも既に行っていることです。
また、エキストラネットはまだ稼動はしていませんが、当社ではm-a-c.netのドメインでインターネットのサーバーに100メガの大容量を確保(990902美味しい話/参照)しています。
今日講習で始めてこの言葉を耳にしましたが「人間誰しも考えることはあんまり変わらん」と思ったものです。
こうして見ると、当社は小さな事務所ながら先進的なシステムを運用しているようです。

先月、精神分析に関する本を読みました。「最悪を想定して行動する」のは用意周到なことかと思っていたのですが、そうではなく「軽い精神病」のようです。
本によれば、いざその時に強烈なショックを受けないように予防を講じる防衛手段だそうです。これが講じると多重人格に至るそうです。
この1年をかけ、いつでも「縮小均衡」に再編出来るよう準備を講じてきました、上記に延べた予防処置でしょう。
しかし、巧く乗り切れた時に事務所が「拡大均衡」できるような準備も随分してきました。きっと私は分裂症なのでしょうね。
今日も「定期講習会」に行っています。好きな建築がいつまでも続けられるように・・・fight/fight/dogfight

991105追記
昨日書き忘れたことを追記します。
大阪府建築士会では「設計業務にまつわるトラブル」の対応に「建築事務所賠償責任保険」の斡旋を行っています。同保険は物件ごとに契約し、保険料率は設計料の約10%です。決して安くない保険料ですが、トラブルで生じた賠償の半額がカバーされます。それによれば、この1年で保険申し込み2800件に対し、支払請求が100件あったそうです。「100/2800」これってスゴイ割合です。私が感じていただけではなく、実際にも設計にまつわるトラブルが急増中だそうです。そう言えば「ISO取得」でも、品質保証が目的か裁判資料作成が目的か分からないような説明振りでした。ご注意を

991105(金)第6の感覚

私の来年の運勢は大変良いそうです。早く歳が改まることを願っています。

全米で興行収益の記録を更新したブルースウイルス主演の「シックス・センス」が日本でも上映されています。
私がこの映画を見たいといったところ、友人は虫の居所でも悪かったのか「あんなショウモナイ映画はあらへん。お金の無駄遣いや」とけんもほろろです。そう言われると天邪鬼な私は余計見たくなって、行ってきました。

従来の「ブルースウイルス」を求めれば、「ショウモナイ」と言うことになるかもしれません。今までの彼のイメージを代表する「ダイーハード的」バイオレンスやタフガイ、スーパーマンと言ったイメージはありません。
スタローンやシュワルツネッガーが辿ってきたように、彼もいつまでも「ダイハード」であり続けることが出来なくなったのでしょう。シックス・センスには一切暴力シーンはなく、完全な「イメチェン作品」です。
これからご覧になる方のためにストーリーは申しませんが、私には「結構良い作品」と思えました。なんと言っても最後のどんでん返しは圧巻です。こう御期待!

991106(土)表現力
文章力と言う言葉がありますが、私はこの判断が分かりません。
美しいと思うのですが「まるで風景が浮かび上がらない」文章もあれば、逆に訥々としているのに心に響く文章もあります。
故司馬遼太郎氏の小説がとても好きです。氏の文章を読んでいると自然に風景が浮かび上がってくるのです。私は別に小説を書くわけではありませんが、「風景の見える文章」を目標にしています。ただ、大変難しい目標のようです。

ダンケ君と呼んでいる息子の友人がいます。大真面目で冗談を言う「いまどきの若者」で、今時の若者らしい文章を書きます。決して美しいと思えないのに『風景が見える』のです。彼は天性で「表現力」を備えているのでしょう。羨ましいことです。
   だんけの部屋 =Turkish Blue=http://village.infoweb.ne.jp/~danke/
以前にも少し紹介しましたが彼は音楽のプロです。この表現を彼は余り好みませんが、少なくとも「好きな音楽で飯を食って」いれば立派にプロと言えると思います。今度、私のためにテーマ曲を作ってくれました。早速「最近のひとり言」に使わせていただきました、是非お楽しみください。
そう言えば、音楽家で楽しい文章や素晴らしい文章を書かれる方がたくさんいらっしゃいますね。それに引き換え建築家の文章は何故あんなに難解なのでしょうか。表現力ってとっても必要と思うのですが、建築家の方が能力が低いのでしょうか?
991108(月)建築界の幽霊
どんな世界にも幽霊はいます、そこで建築界の幽霊についてお話します。

 
データ1:設計事務所の数
1級建築士事務所の数(1998年)は「全国で87634事務所/1位東京15523事務所/2位大阪6890事務所」となっています。なお、専業事務所は35%程度と見られています。
 
データ2:1級建築士の数
1級建築士の登録数は約20万人です。
これは、昭和25年(1950年)に建築士法は制定されて以降の累計人数です。当初は経験に応じて名誉的に「1級建築士を授与」されていました。その方たちはもう85歳以上になっているはずです。つまり、建築士は「とてつもなく健康で長生き」を条件にして20万人です。こんなことはあり得ませんね、だから「60歳以下の方がすべて現役で活躍」なさっているとして、1級建築士は約14万人(登録年次から推定)になります。
60歳以下で「死亡ないしは廃業」された方と60歳以上で「現役でご活躍」の方を相殺して、「1級建築士は14万人」と仮定するのはそんなに間違っていないと思います。
 
データ3:割合
データから、14万人の1級建築士で9万軒近い設計事務所があることになります。しかし、感覚的には建築士の50%がせいぜいです。どうも「幽霊が潜んで」いそうです。65%と言う異常な登録率の正体に迫ります。

1級建築士の『実数』が推定できました、次は『設計事務所の実数』に迫ってみたいと思います。そこで登録制度をご説明しましょう。
設計事務所を開設するには「管理建築士」が必要です。
管理建築士は複数の事務所を兼務できませんので、事務所数と同じ数の1級建築士が必要ですが、廃業した人、寝たきりの人からでも資格を借りて(違法ですが)登録が出来ます。
しかも、いったん登録すれば5年に1度更新手続きをし、定期講習を受ける(ダミーでも分からない)だけです。極端に言えば「死亡後も生き続けること」が出来ます。

そこで冒頭の「専業事務所は35%程度」に注目しましょう。
言いかえれば、兼業事務所は65%もあるのです。兼業事務所はゼネコンやコンサルと言った業種から材料メイカーにまで渡ります。何らかで事務所登録の必要に迫られ、実体のない事務所登録がたくさんあります。
おそらく兼業事務所の半数は実体のない事務所であろうと思います。かなりの死亡者や廃業者が「管理建築士」として名を連ねているでしょう。
●実体のない事務所の推定=87634事務所×65%×半数=約28400事務所 
廃業や死亡は届け出が義務付けられていますが、誰も守っていません。5年ごとの更新がなければ抹消されるだけです。
ちなみに、大阪府の1級建築士事務所登録は6890軒となっていますが、登録NOは11万台まで(これも累計で処理するため)行っています。
だから、事務所登録数の中にも5年分の「廃業や死亡で閉鎖された事務所数」が含まれているはずで、これも推定ですが「年1%」程度と考えられます(根拠はあるのですが長くなるので省きます)。
●閉鎖された事務所の推定=87634事務所×5%(5年分)=約4400事務所
こんな計算から、実態を推定してみます。
●事務所の実数推定=87634事務所−28400−4400=約55000事務所
これでやっと、実態としての1級建築士数と事務所数がバランス取れます。私の大胆な推定ですが、あんまり外れていないと思います。

今日こんな話をしたのは大変悲しいことですが、「設計事務所の看板」や「1級建築士です」と言った話が、丸ごと信用できないからです。
このような「不正登録」以外に、もぐり営業があります。資格を勝手に詐称する方法で、これがバレずに通用するから恐いのです。
昨年から今年にかけ私が体験した『恐い話』をご紹介します。
A社はレジャー施設を運営する会社です。A社はB設計事務所を併設しており、自家用のレジャー施設の設計しています。C社はゼネコンで、B社設計のA社の建物を請け負いました。竣工したのですが、「建物は欠陥工事」だとして費用を払ってくれません。そこで、C社は建築関係連合組織で運営する「紛争調停委員会」に訴えました。逆にA社はC社に対し賠償請求訴訟を起こし、未払いを帳消しにするべく逆提訴しました。つまり、二つの訴訟が同時に審議されたわけです。
私は、C社の弁護士から依頼を受け『意見書』を作成し、事実上勝訴しました。
その時、意見書を作成しながらある不自然さに気がつき、大阪府庁に出かけて相手の身元を調査してみました。その結果「1級建築士も1級建築士事務所」も全部でたらめでした。
建築関係連合組織で運営する「紛争調停委員会」ですから、建築関係者ばかりです、しかし誰も確認調査をせず、この事実に気付きません。まして素人なら「騙され放題」と言うことになるでしょう。
1級建築士は迫力のない資格と常々申し上げていますが「詐欺のネタ」くらいには充分通用するようです。 皆様の大切な財産を守るため、幽霊にご注意してください。
991109(火)夜の街角
バッテリーがあがっています、暫し充電時間を下さい。

夜遅く家路を急いでいました。
若い娘さんがたくさん歩いていらっしゃいます。
昔と違い『門限』などと言うものはないのでしょうか?
服装も自由で「職業を想像」することは出来ません。
一般に「水っぽく」なっていますが、必ずしも水商売と限りません。
勤務時間中もあんな服装なのでしょうか?

オジンの疑問は際限もなく続きます。
フリーター達は何処に消えたのでしょうか?
定職がないことは私には『恐怖』ですが、彼らには関係ないようです。
きっと自分で生活していないからでしょう。
若者のあの遊行資金は何処から沸いてくるのでしょう?

彼らの「将来」ってどのくらいの時間なのでしょうか?
「今夜」が、将来ですか?
「明日」が将来ですか?
それとも来年が「将来」ですか?
少なくとも自分自身に責任を持っていないようです。

このまま「日本の将来は?」に、いってしまいそうです。
私は立派に「オジン」です。
991110(水)あれば便利

「あれば便利なもの」ってとっても魅力的です。
余裕があるとつい購入してしまいます。しかし、事務所の縮小を迫られて見なおしてみると「なんと贅沢な」と思ってしまいます。まして、頻度が低く、不便でも何らかで代替できるものがある場合など「無駄遣い」になります。そこで当社のシステムをご紹介します。KOBUNと名付けられたノートパソコンは通常会議テーブルに置いてあります。
打ち合わせ途中でデータが必要になった時に使用するほかクライアントのところに持ち込んでシミュレーションするときに使用します。
あれば便利ですが頻度の低いOA機器です。

T.T  K.Y  K.Sやサーバー(OYABUN)が通常活動しているコンピュータです。これも規模を縮小すれば不要な機器が出そうです。
レーザープリンタやカラープロッタも日々稼動しています。

A0スキャナーは日本で10台ほどしか稼動していないOA機器で、A0サイズの資料を1分程で読み取りtifデータに変換できる優れものです。
必要なときはこれほど心強いOA機器はないのですが、非常に出番の少ない贅沢品です。

カラーコピーもあれば便利ですがコンビニで1枚50円でコピーが出来る事態ともなればコストパフォーマンスのまるで合わないOA機器になりました。
ファックス・コピー複合機は、A3データの生サイズ受信が目的で購入しましたが、データ通信が当たり前の時代ともなれば無駄使いとなりました。
単独の機器で、昔のデータを取出すために、MS−DOS用486機があります。

わずか3人の事務所で7台のコンピュータは贅沢な限りでしょうね。
でも「贅沢は素敵だ」を味わえた人生って、それはそれで幸せでした。
これからは心を入れ替えますので、ご声援をお願い致します。

991111(火)あれば便利2+老兵は消え行くのみ
平成で書けば11年11月11日のゾロ目です。
 
 
あれば便利2
この溢れるばかりのOA機器は私を悩ませてくれます。OA機器はあるだけで維持費やメンテ費用が必要です。幸い、リースを組んでいないので処分するときは思い切りが出来ますが、 購入するときは高価なのに、処分するとなれば二束三文です。
リースは、途中解約が出来ない上に見掛けの金額を下げるため、5〜7年リースを組みます。しかし、情けないほどサイクルの早いOA機器にあってこれは長すぎます。

事務所縮小のため見なおしをしています。
 ・自宅の設備はそのまま
 ・事務所のコンピュータは1台+サーバー(出力コントロール用)と、
  ノートに絞り他は処分。
 ・プロッタ、プリンタそれにスキャナーはそのまま利用。
 ・カラーコピーは処分ないし場所があればモスボールにします。
 ・複合機は処分し我が家でモスボールしているFAX機に再登場してもらいます。
 ・A2コピー機はロイヤティーの値下げ交渉をして現役継続。
 (買取の機器なのにロイヤリティーが要るなんてケシカランよ)
こんなセレクトを考えています。それにしても「あれば便利」のツケは大きいですね。

991117追記
事務機販売会社と話を詰めました。
 ・カラーコピーは値段設定を一任して「売却して欲しい」とお願いしました。
 ・自前の機械で「コンビにより高いのはなぜか」と抗議の嵐だそうです。
  (事務機を処分したいと言う企業が多く、中古事務機市場は供給過多だそうです)
 ・複合機はFAX機能(無料)のみ生かしコピー機能はモスボールする。
 ・ これで月額4万程度節約できます。
「あれば便利」のツケに喘ぐ企業の多さが、話としていてよく分かりました。

 老兵は消え去るのみ
「建設崩壊」と言う恐い本があります。
この本によれば、バブルのピーク時で我が国の建設需要は90兆円だったそうです。それが今年は70兆円(建設労働者670万人)です。それも、政府が無理やり公共事業を創設して持ち上げてこれです。来年は財政業況から言ってこのような無理は出来ず、60兆円に落ち込むと予想しています。しかし、これで下止まる分けではなく、数年のうちに先進国並みのGDPの10%である45〜50兆円で落ち着くだろうとしています。

建築の世界に身を置き、事務所の健全化で「縮小均衡」を目指す私には、これが『脅しの数字』とは思えない恐さがあります。
先進国並みの割合で落ち着いたとき、同じ比率で推移したとしても「必要な建設労働者は400万人程度」になるでしょう。これは、短期間にとてつもない「産業人口の流動化」が起こることを示しています。
レベル的には「でも・しか建築屋」が多く、いわば「劣等性の収容産業」的であったのですがこんな余裕はなくなり、同書には「親戚でも切り離せ」とあります。これから若き建築家達は苦難の道を歩むようになるのでしょう。

政府の施策で少しづつですが景気浮揚がささやかれています。しかし、世間の景気が回復しても建築の未来は明るくないようです。雪解けを待つのではなく、この「低温に慣れた体質」を作ることこそ肝要なのでしょう。それには体質変換のできない組織の脱落を伴うようです。
私は今後も好きな建築を続くけていこうと思いますが、雪崩をうつが如くの「建設崩壊」を見たくありません。ガンバリズムから足を洗い、心境は「老兵は消え去るのみ」で、少し離れて「淡々と」眺めていたいと思います。

991112(金)400本の串
随分昔話になります。
長崎に用事があり、出張の途中に福岡の息子のマンション(大学生当時)に寄りました。そこには息子の友人が待ち構えており、悪い予感が体を走り抜けました。
息子を含めて総勢5名を連れて「食事に」と言うことになりました。あらかじめ「安い店で」と断っておいたのですが、敵は質を放棄し「量で勝負」してきました。ビールを勧めたのですが、「お腹が張るから」と相手にせずひたすら食べ続けます。焼き鳥400本の串はなかなか見事でした。

ダンケ君も、NASU君もあの時のメンバーです。
この度のトップページ改変はNASU君の「見辛い」と言う苦情から出たものでした。
私も気にはしていたのですが、きっかけとふんぎりが無いままに来ていました。いかがでしょうか?少しは見やすくなりましたでしょうか。変わったのは包装紙だけですが、内容も少しずつ整理していこうと思います。

400本の思い出が今も続いていることを幸せに思っています。
他の若者は「今、どうしているのでしょうか?」きっと活躍していることでしょう。
991113(土)じゅんさいな話
私のことを「歩く辞書」と勘違いしている友人がいます。自分で調べれば良いのに、直ぐ電話で聞いてきます。
以前、電話で「製塩法を教えろ」と言ってきました。「時代は?」と聞き返すと意味が分からないようです。江戸時代と明治時代、それに戦後では製塩法がまるで違います。きちんと区別してくれないと返事ができないのに無頓着です。
先日もこんなことがありました。
「ジダンダってどんな漢字や?」いきなりこうです。取りあえず「地団駄と思うけど調べて後で電話する」といって切りました。電話の向こうでは様々な漢字(感字?)が出たそうです。
手近な辞書を引いたところ「地団太」となっています。それを知らせると「正解者は俺一人だ」と鼻高々でした。なお、広辞苑ではどちらも正解のようです。
じ‐だんだ【地団駄・地団太】ヂ‥ジタタラ(地踏〓)の転。→〓―踏む
ただ、圧倒的に「地団太」を正解とする辞書が多く、間違いで多用される「地団駄」を追認した可能性があります。

その後「何故あんな電話を?」と事情を聞きました。
彼の知合いで耳学問をなさるのですが、どこか「そそっかしい人」がいるそうです。
この日も「ジレンマを踏む」とやり、一瞬「うむっ」と考え込んだのですが、これは「地団太を踏む」の間違いだと気付いたとのこと。
つまり、ディレンマと地団太が同居してしまったようです。
広辞苑によれば
 ディレンマ【dilemma】
〓〔論〕二つの仮言的判断を大前提とし、これを小前提で選言的に承認もしくは拒否して結論を導く三段論法。「もし秘密をもらせば非難をうける。また秘密を守っても非難をうける」「秘密をもらすべきか、守るべきか、他に方法がない」「故に、どちらにしても非難をうける」の類。両刀論法。
〓相反する二つの事の板ばさみになって、どちらとも決めかねる状態。抜きさしならない羽目。進退両難。「―に陥る」

 地団駄踏む
怒りもがいて、またくやしがって、はげしく地面を踏む。
このように意味もまるで違います。目の前で笑うわけにもいかず「さて?どちらの意味であろうか」と悩んでしまったそうです。
で、その後「じだんだ」はいかなる字を書くか議論となり、私に電話をしてきたそうです。

くだんの「そそっかしい人」には武勇伝が沢山あるそうです。
例えば、「あの人は純粋な人だ」と言うべき所を「じゅんさいな人」と、やってしまいました。幸い相手が「温厚な人」で事無きを得ましたがこれは大変な間違いです。
そこで「じゅんさい」を広辞苑で調べてみました。
 じゅん‐さい【蓴菜】
スイレン科の多年生水草。各地の池沼に自生し、中部以北に多い。地下茎は泥中を伸び節ごとに根を下ろす。葉は楕円状楯形、長い葉柄があり、水面に浮んでいる。茎と葉の背面とには寒天様の粘液を分泌し、新葉には殊に多い。夏、水面に紫紅色の花を開き、のち卵形の果実を結ぶ。若芽・若葉は食用として珍重。古名、ぬなわ(蓴)。季・夏。
早い話が、高級な吸い物に出てくる「ぬるぬるの野菜」です。
これは大阪の方言かもしれませんが、ぬるぬるで掴み辛い→「つかみ所が無い」と言うわけで 『じゅんさいな人→つかみ所の無い人→イイカゲンな人』の意となり、良い意味で使用されません。純粋な人とは「エライ違い」となるわけです。
本人に悪気はないのですが「笑い話で済まない事態」に、ならなければと本気で心配してしまいます。じゅんさいな話でした。
991116(火)家族と福祉
戦国の世の主従関係は、今で言えば「契約社会であった」と考えた方が間違いはなさそうです。それゆえにメリットのない関係はすぐ解消され「裏切りの横行」と解釈されています。
徳川家康が関が原の合戦で勝利をおさめた後、征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。その2年後に「将軍職は徳川の世襲制」と知らしむべく秀忠に将軍職を譲り、大御所として駿府で院政をひきます。この時各界から文人武人商人宗教人及び外国人までブレーンを集めます。その中に、林羅山がいます。彼は当代随一の儒学者でした。
世の安定を望む家康にとって「主に忠を・親には孝を」と言った儒教の教えを治世の根本に置くことは大変都合の良いことであったに相違ありません。それから350年…

戦前まで、我が国の大家族制度が続きます。じいちゃんばあちゃんや両親孫までが一つ屋根に暮し、ごく当たり前に「親の面倒を子が見る」儒教のお手本のような時代が続きました。
しかし、戦後この風習が否定され「核家族」が急速に広まりました。いまや親子孫まで3代が同居する家庭を探すことは都会生活において容易なことではありません。
私事ですが…戦後、父が家業に失敗し「和議」を整えたのですが、その約束を守るため家族全員が団結して事に当りました。
私は小学校2年から新聞配達のアルバイトを始めました。始めて手にしたバイト代は2千円、今の価値で言えば15000円程度であろうかと思います。それを銀行に持って行き全額貯金しました、私がはじめて作った口座です。それを母に預け「貯金しといてね」と頼み、翌月からバイト代は母に渡しました。何年か経った時、偶然その通帳を見つけました。「いったいくら貯まったのだろう」と開いてみると「残金は0」でした。その時始めて我が家が置かれた状況を子供心に理解できたことを覚えています。3年前母は他界しましたが、ついに私は預金通帳を話題にすることはありませんでした。赤貧洗うが如しの生活でしたが「家族の絆」だけはしっかりと味わうことが出来た家庭でした。
両親とも後を継いだ兄夫婦に送られ旅立って行きました。ただ、両親が高松家の家系においても最後の「大家族」になろうとしています。

来年4月より介護保険がスタートします。
この後に及んで、「保険料を棚上げしろ」の議論が沸きおこっています。総選挙をひかえて「みえみえの選挙運動」と言う説もありますが、必ずしもそうと言えない部分もあります。
それは、古き日本のよき伝統である「親の面倒は子が見る」原則に立ち帰るべきだと言う主張です。介護保険は保険料で賄う制度ですが、保険料を徴収すればこの原則が崩れ去ってしまうと言う危機感を持っての議論です。
 
私は、早くから田舎を飛び出し「親の面倒は見ず」にきており、今も成人した子供がたまに家に帰ってくる程度の「核家族」生活をしています。
今、事務所の存続を巡り苦境に立っていますが、かといって、かって私が体験した「家族の固い絆」を今更求めるのは酷であろうと思っています。何故なら私は、若くて元気な頃「家族の固い絆」をうっとうしく思い、むしろ排除してきました。そしてそれは今の若い世代にも当てはまることではないかと思うのです。
私は、大家族と核家族の両者を知っており、私自身が「お世話になる」予備軍となって「大家族」の良さを改めて認識しましたが、原体験のない今の若い世代に「大家族への回帰」を説き、「親の面倒は子が見る原則に立ち帰るべきだ」と言う主張は、遅きに失した感があります。
戦後50年以上かけて今の世があるように、「親の面倒は子が見る」と言う原則の確立にはもう一度50年掛かると思います。そのための過渡的な処置がどうしても必要ではないでしょうか。

老人福祉事業をビジネスとして捉えようとする若い人達の「お神輿」となって、担がれることを楽しんでいますが、私も少しずつ「福祉」を勉強しています。
現行制度は、福祉を神聖な行為と見なし「利益をあげることはケシカラン」と言うスタンスが建前です。だから福祉施設の運営は「社会福祉法人」しか許されておらず、ダミー会社等の良からぬ噂が尽きません。
適切なビジネスは「適切な競争を生み」もっと質と効率の良い福祉が実現できるのではないかと、生意気にも私は想像しています。
介護保険では「要介護」の方は従来通り特別擁護老人ホームのお世話になれますが、「要支援」と認定された方は施設を出なければなりません。また、もっと障害の少ない方達の生き甲斐作り等を支援する必要もあります。
幸い、2005年には福祉事業の「株式会社化」が許されそうな流れが出ているそうです。気の長い話ですが、企業と福祉がうまく両立できる社会作りが、「家族と福祉の関係を再構築する」時間を与えてくれるように思っています。
991117(水)デッドロック
神戸市内の物件がデッドロックに乗り上げています。
9月20日に建築確認申請を出していまだに受付すらされない物件があるのです。同市の制度は、下受付制度があり「関係各課」の調整が済んでから「受付」となります。つまり、9月20日に下受付になったのですが「関係各課」が遅々として進みません。考えてみれば腹の立つことばかりです。順を追って説明します。

約1万uあるJR駅のごく一部を商業施設に用途変更する仕事です。
まず消防に回りました。突然ではありません、事前協議に行っており相談の上で図面化したのですが担当者が替わりました。
事前相談:用途変更する部分だけで考えて良く、防災設備は「消火器」があれば良い。
申請審査:駅全体で考える。消火栓設備が必要。
呆然とする「変わりよう」です。3週間かけて協議し、「用途変更箇所だけで考える(駅全体に影響を与えられない)が、消火栓は設置する」と言うことで決着を見ました。ちなみに消火器は8千円程度ですが、消火栓設備に500万円かかります。最初にJR関係者に立ち会いをしてもらっていたので責任問題にならなかったのですが、重大な「条件変更」です。

地域消防をクリアして本庁にむかいました。3日で済む筈がこれも3週間かかりました。何故と思いますか?担当課長の机の上で埋もれていたのです。行方不明の書類を探し当てるのが大変でした。担当は「平謝り」に謝ってくれましたが失った時間は戻りません。
消防関係を終えて、またストップしました。今度は「駐車場」の問題です。これは盲点でした、既存駅舎の改造で「駐車場整備」を問題にされると想定していなかったのです。幸い申請を出した場所が「工業地域」であったため、それを理由に逃れることができましたが、コンコースを挟み反対側は商業地域に指定さているため、駐車場は避けて通れません。
このあたりから、JRサイドの前科が解ってきました。どうも「誓約書を提出」しては約束を守らなかった事例が多く、「駅全体の問題として取上げよう」と言う、行政の悪意が感じられます。私はとんだ恨まれ役です。

これで前進かと思ったらまた消防に逆戻りです。
少し遅れて同様の案件が進行しており、そちらの防災設備が「消火器だけ」だったことから、「同一駅の出来事で同じ消防の指導がこれほど食い違うのはおかしい」と抗議したのです。2物件の関係者が集まり「統一見解を出す」会議を開いてもらいました。結局「消火器だけ」でOKとなり、申請作業としては逆行してしまいました。一体いつになったら申請は受付になるのでしょう。
神戸市とJR西日本と言う巨大組織の「少し無責任な部分」が全部この小さな物件に覆い被さってきた感があります。簡単な仕事の筈が、釈然としないまま巨大組織の調整に奔走させられています。
991118(木)今後のケアハウス
私は老人介護施設の設計をしたことがありませんが、初めて「ケアハウス」を計画することになりました。
ケアハウスの現状は「健康(健常者)なお年寄りの施設」と考えた方が分かりやすいそうです。ただ、来年の介護保険スタートで「要支援」以下の認定を受け、特別擁護老人ホームにいることが出来なくなるお年寄りの「受け皿」になる可能性が高く、従来と少し違った取組みが必要になります。
そこで計画に先立ち介護のプロからレクチャーを受ける機会を作ってもらいました。そこで感じたことは、介護のサイドと建築関係者にかなり意識のズレがあるのでは?ということです。いくつかご紹介します。

施設の利用は「土足か下足」?
圧倒的に「エントランスで下足する事例」が多いそうです。お年寄りがこけると「骨折」に繋がります。そこで段差の解消のほか「床材の弾力性の確保」が必要になります。弾力性のある床材は土足に弱いため、エントランスでの下足と言うことになるようです。そのことに異論はないのですが、そう考えると不思議なことがいっぱい出てきました。
エントランスに下足室が付属するはずなのに、ほとんど「エントランスの一角に下足箱を置いている」程度です。エントランスの下足は最低限の靴しか入らず「外出のたびに個室から運んで利用している」そうです。「不便でしょうね」とお尋ねしたら「まったく不便です」と回答されました。最低でも普通の靴とブーツくらいは入る下足スペースが欲しいものです。また、履き替えに利用できるベンチも不可欠なものでしょう。
このような施設設計の経験豊かな方たちが何故気付かないのでしょうか?
 
ケアハウスの歴史が浅く、まだ顕在化していないそうですが「車椅子対応」の問題があります。いくつか事例集を見せていただきましたが、「ワンルームマンションに共用施設をくっつけた」感じ施設が多いように思いました。共用廊下には手摺が付いていますが、個室内にはありません。今年散々泣かされた「助成金を受けてのマンション作り」のほうが余程高齢者対応の仕様になっています。健常な入居者もいつか「体の不自由な時代」を迎えると言う想定がなされているのか?チョット疑問に感じてしまいます。
個室(ワンルームマンション程度の規模)の入り口は「ドアが良いか引戸が良いか」と言う話になり、介護サイドから「今後車椅子利用者が増えることが予想される」ので出来るだけ引戸にして欲しいと要望が出ました。
しかし、オートクローズドアが車椅子利用者にとって「優しいか?」大変疑問です。オートクローズ機構は重く初期作動にパワーが必要です。更にゴムパッキンが「開辛い」状況を作ります。この話をしたら「本当に重いですね」と回答が返ってきました。例えば、駅の身障者用トイレのドアは決して軽くはありません。本当に障害者の負担軽減を考えるなら、ドアの自動化を計るべきです。同様なことがケアハウスでも言えるのではないでしょうか。つまり、目の前に迫った「車椅子対応のために引戸にしました」で、思考が止まっており、ドアの自動化に至っていません。私は、「本気で施設作りを考えているのか」建築関係者に聞いてみたくなります。

わずか5年ほどですがボランティア活動をした経験が「本当に役に立つのか」と言う思考をさせてくれます。「何が一番大切か?」と言う観点から費用配分を考え、費用対効果だけではなく「疲労対効果」「機能対効果」と言った検討も是非したいと思っています。
991120(土)コダワリのカレー
話題のネタ切れで苦しんでいます。

何故か同年の友達が多く、何故か「自営業」が多いのです。「何故自立を…」と言った話題が出たことがありますが、異口同音で出た答えは「腹一杯食べたかった」と。そうなんです、戦後間もなく生まれ「いつも腹を空かして」育ちました。そして、どうしたら「腹一杯食えるか!」そればかりを考えていました。団塊の世代とは、そんな世代なのです。

子供の頃、カレーライスとチキンライスそれにコロッケは大変なご馳走でした。コロッケ1個でご飯(麦交じり)3杯は食べられます。卵とバナナは病気にでもならなければ決して口に入りません、そんな時代に育ちました。若い人に想像もできない「貧しい日本」がそこにあったのです。
「昔カレー今ラーメン」何のことか分かりますか?
どこにもある食品ですが、若い人達のコダワリの食べ物になっています。カレーは少し前に、今は「ラーメン」がコダワリの食べ物NO1です。近畿一円で、行列の出来るラーメンやさんの何と多いことか…まるで、旧ソ連の買い物行列を連想させ「寒気を覚えた」こともありますが、決して貧しいわけではなく、豊かさゆえの「コダワリ」なのです。

私はラーメンも好きですが、何といってもカレーライスが好きです。幼い頃の「食い物の恨み」をまだ引きずっているようです。
大阪梅田の地下に「ピッコロ」というカレーショップがあります。私の一番好きな味の店で、カウンターだけの6人で満席の店です。店の前にはいつも行列が出来ていますが、機会があれば寄っています。お勧めは「ビーフカレー」980円です。
この店、評判が良くてあっちこっちに店を増やしており、見つけると入ってみるのですが、発祥の地と「味も値段も違う」のです。他の店ではだいたい600円前後の値段ですが、値段差以上の「味の差」です。
チェーン店では「味の共通性」を大切にすると思うのですが、不思議なお店です。コーヒーを節約しても「梅田のピッコロでカレーを食べる」これが私のコダワリです。(しょうもない話題でゴメン)
991121(日)お手上げのY2K
2000年まで後40日余り、連日新聞で「2000年問題」を取上げていますが、2000年問題を一言で表現するなら「わからん」ということでしょう。
年末年始にかけて旅行を計画されている向きは心配で、ひょっとしたら「予約が消えている」かもしれません。クレジットカードが使えないかもしれません。預金が消滅するかもしれません。飛行機が落ち、列車が止まるかもしれません。可能性で言うなら「なんでもあり」です。しかし、個人で防止できることがまるで無いことに気付きます。

私もコンピュータなしでは成立たない職業で「日付を変えてチェック」しましたが問題はありませんでした。もしトラブルが発生するとすれば、もっと川上(サプライ側)でのことと思います。
幸い正月に旅行の予定はなく(悔しい)、我が家で静かに新年を迎えるつもりです。そこで、ライフラインのいずれかに障害が起きたと仮定しましょう。
□ 電気の停止/17階と言う非常識な高層に住んでいます。電気が止まれば生活できません。エレベータの停止は即「行動の停止」です。正月のため食料のストックは潤沢ですが、半数以上は冷蔵冷凍品で電気なしでは成立ちません。暖房も止まります。
□ 水道の停止/やはり17階は地獄です。給水車の出動があってもバケツやポリタンクで持ち上げるのは容易でありません。トイレも大変です。ペットボトルで飲料水のストックが出来ても食事の用意が出来なくては「住むこと」が出来ません。
□ ガスの停止/最も被害の少ないライフラインです。とりあえず、携帯コンロで対応できますが「給湯」が止まってしまい、長く篭城は出来ません。

高層マンションに住んでいることから、ライフラインが止まれば「代替処置」で切りぬけることは絶望的です。1日ならば何とかなるかもしれませんが、それ以上はとても無理です。現実にY2K問題が発生すれば「下界に降りて」仮住まいを探す以外方法があるとは思えません。

ライフラインが壊滅した阪神淡路大震災の事例を見ても、文明の利器にどっぷり使った生活で「食品のストックがあればパニックが防げる」などと考えるのは安易過ぎると思います。誰にも言えると思いますが、Y2K問題が現実に起これば個人にとって「まったくのお手上げ」事態ではないでしょうか。どこか「あなた任せの問題」に過ぎず、「まさか飢え死にすることもない」と、でんと構えてパニックを起こさない心構えこそ大事だと考えます。皆様はどのような対応をなさっていらっしゃいますか
991123(火)技術と精神力
私は武術の素養が無く分からないのですが、「武術において精神のあり方を唱え始めると弱くなる」という説があります。
例えば、剣術の世界に「精神論」を導入し、剣道にしたのは柳生真影流です。本家で柳生石州斉・柳生兵庫を生み、分家で柳生但馬守宗規・柳生十兵衛といった剣豪を生みましたが、将軍家指南役となり「精神論に傾倒」してから一人も剣豪は生まれませんでした。
このように「術」から「道」に変わって弱くなった分野は結構あるかもしれません。

先日テレビを見ていたら、熱心に指導する料理の大家に技の未熟さを指摘され「私は一生懸命やっているのです」と反論する生徒が映っていました。ちなみに生徒は「趣味」ではなく料理店を経営しています。
これっておかしいと思いませんか?技術の良し悪しを論ずる席に「一生懸命やっている」と言う精神論が登場してきます。もし、精神論が優位に立つなら「一生懸命やれば結果はどうでも良い」ことになってしまいます。
私は「精神論無用」を唱えているわけではありません。技術の未熟さを、精神論に摩り替えるのは良くないと言っているのに過ぎません。また、技術さえあれば精神(心や気持ち)が不要とも思いません、要はバランスが必要だろうと思うのです。
ただ、プロの世界に限って言えば「結果は絶対必要」です。勿論ここで言う結果とは「技術に裏打ちされたもの」をさします。だから、「精神のあり方を唱え始めると弱くなる」という説は、プロの世界では間違っていないと思います。

矛盾するようですが、逆の体験をご紹介します。
幼い頃から水彩画をやっていました。きっと父の影響を受けたからだと思います。40も半ばになり、今度は「油絵を始めたい」と思いカルチャスクールに入門しました。しかし、3日坊主で終わりました。
先生は「プロ中のプロ」で「基礎からみっちり修行するべし」のお考えの持ち主でした。私のように、今更プロを目指すわけではなく「趣味で書ければ楽しいな!」等と、浮かれている生徒が「許せない」のです。結局、絵筆を持つことも無く退学することになりました。
我田引水と叱られそうですが、プロどころか「巧くなる必要もない」趣味の自己満足で楽しめたら良いのにと思っていても、技術偏重の先生は決して許してくれません。出来れば@プロになるための教室A巧くなるための教室B楽しむための教室…等と分けていただければ助かるのにと思ったことがあります。

趣味と実務は世界が違って当たり前なのでしょう、混同はしたくないものです。皆様はどのような体験をなさいましたでしょうか?
991125(木)大石氏は今?
私の好きな作家に大石英司氏がいらっしゃいます。
近未来軍事シミュレーション小説を得意とし、筆の早い作家です。毎月コンスタントに1〜2冊出版し、読者を裏切らない作家でした。それが6月から出版が無いのです。長編小説は中断したままです。何かあったのでしょうか?
大石氏は軍事シミュレーションを得意としていますが、「第2次大戦で日本がボロ勝ちする」と言った荒唐無稽なIFものと違い、かなり緻密な調査のもとに、近未来に起こるであろうことを「さらりと書いて」いらっしゃいます。預言者と言った雰囲気を嫌うかのように、本当に「さらり」と書いていらっしゃいますが、氏の小説のテーマが数年のうちに「国際紛争」として具現化しており、氏の卓越した分析力を裏付けています。
年に数冊しか出さない作家なら心配もしないのですが、6月以来出版が途絶えるなど、氏にとっては異常な出来事です。早く、次作を発表していただきファンを安心させて欲しいものです。

追伸1
私の願いは通じたようです。今日、大石氏の5ヶ月ぶりの新刊が発売されていました。勿論、早速購入しました。
追伸2
息子からメールが届いていました。大石氏はホームページをお持ちだそうです。その中に「遺書」の欄があり、余り穏やかではないそうです。やはり何かあったのでしょうか?
991126(金)邂逅
昨夜(991124)、移動中にNHKのNさん(ディレクター)から電話があり、急遽予定を変更してお会いしました。
以前、NHKのクローズアップ現代で、「違反建築を容認するような報道」があったとき、無性に腹が立ち抗議文をメールで送りました。その時対応してくださった方がNさんです、まさに縁とは面白いものです。

Nさんは、阪神淡路大震災の5周年を控え、特集番組製作のため神戸にいらっしゃっています、そんな忙しいさなかに電話を頂いたわけです。「来年1月の放映では準備が大変ですね」と申し上げたら、「高松さん、素人じゃないですね」と言われました。意味が分からなかったのですが、普通の人は「1週間もあれば番組が出来る」と思っていらっしゃる方が多いそうです。私は放送に関してまったくの素人ですが「もの作り」に関するシンドサだけは分かっているつもりです。
食事とお酒で5時間、飽きることも無く話詰めで、久しぶりに「会話を堪能」することが出来ました。きっと「何の利害も無いから」なのだと思いますが、「歯に絹着せぬ会話」なのに悪意は無く、立場をわきまえながら批判と批評が出来ました。立ち入った話もあり、内容を公開できませんが「楽しい一時」を過ごしたことをお知らせします。
991127(土)軽費老人ホーム
「軽費老人ホーム」は読んで字のごとく、安価な費用(自己負担)でお年寄りを受け入れる老人ホームです。また「健常なお年寄り」という条件がついており、ケア(介護)なしの老人ホームです。なのに「ケアハウス」と呼ばれ、ブラックユーモアめいていますが、「ケアの無いのがケアハウス」と駄洒落のような世界です。
では、ケア付きは何か?これが「特別養護老人ホーム」です。ケアハウスにケアを付けると、特養の機能と重複することから「行政が嫌う」傾向があります。しかし来春の介護保険スタートで、事情が変わってくる可能性がでてきました。

現在、介護保険のスタートに向けて「介護認定」作業が行われています。認定の結果「要介護」の方は従来通り特別養護老人ホームで過ごせますが、「要支援」以下の認定の方は退所しなければなりません。反面、ケアハウスにはケアがありません。では要支援お方はどこへ行けば良いのでしょう?
そこで、ケアハウスが受け皿になる可能性が出てきます。また、ケアハウス自身の時間経過で、入所者自身の高齢化があります。健常者として入所したお年寄りが「歳を重ね、支援の必要な体」になったとき、それを理由に「退去を迫れるのか?」といった事態が考えられます。

特別擁護老人ホームは助成金が潤沢なのに対し、ケアハウスは行政の助成と自己負担で運営します。その費用は決して潤沢ではなく、かなりの節約と工夫、更にボランティア組織とのタイアップと言った努力をしないととても運営出来ません。それだけにお上から助成はあっても民活の要素が強く、自己負担が必要なことから「費用対効果」を入所者が選択できる「選ぶ権利付き」の施設です。だから「施設の都合で退去を迫る」ようなことがあれば「評判を落としてしまう」ことになります。これが従来の福祉施設と違う部分です。だから、「支援程度は出来る」ケア付きケアハウスがこれからの趨勢になるのではという予想を私はしています。

施設の内容もこれから変わっていくことが想像できます。
基本的なスタンスとして「健常なお年寄り」の条件は依然生きており、入所時点では「普段の生活を施設に持ち込める」必要があると思われます。つまり、「健常なうちは普段の延長として生活が出来、不自由になれば支援が受けられる」そんな施設を想定して、現行の施設を点検してみると、どちらも満足していないことが分かります。
例えば、毎朝シャワーを浴びる生活習慣を持つ方がケアハウスに入所したところ「2日に1度入浴が出来る(現行制度)」状態を受け入れるでしょうか?
高齢ではあってもしごく元気な方が、わずか半間の押入しかない生活空間で「従来の生活」を維持できるでしょうか?

私は今50代前半で「お年寄り予備軍」に名を連ねています、「自分が入所したら…」と言うifを重ねて従来のケアハウスを見るとき、私は魅力を感じることが出来ません。
ケアハウス(軽費老人ホーム)はどうあるべきか!
今、新しいスタイルのケアハウスを目指して動き始めました。
結果を用意している分けではありません、来年はその答を見つける年にしたいと願っています。
991127(土)お受験

東京で2歳の女の子が殺されると言う痛ましい事件がありました。原因が「受験をめぐる親同士の心のぶつかり合い」と言うから驚きです。
受験戦争の低年齢化が社会問題化し、チョット皮肉な映画として取上げられました、この題名が「お受験」です。有名大学付属幼稚園への入学を求めて、予備校すらあると言う現実を皆様はいかが思われますか?

今回の事件も、某有名国立大学の付属幼稚園入学をめぐる「親同志の心のトラブル」で起きています。やはり受験をしたある親がインタビューに答えて「この1年、この子の受験のため親は全てを犠牲にしてきた」と…
こんなバカな話はない、まるで2歳の子供が自分の意思で「受験を志し」回りが一致協力したような言いぐさではないか。私には、親の見栄の道具に子供を使っているとしか思えません。お受験で有名な「幼稚園の制服を着た我が子」を、まるでブランドもののハンドバックでも持った感じで「連れ歩く」ことを夢見ているように思えてなりません。

991102「21世紀の日本が危ない」でご紹介した本にこんな内容がありました。
小学校入学当初に、名前を書けない子供はめったにいないそうです。簡単な算数が出来、漢字も書ける「ぴかぴかの1年生」が当たり前だそうです。
ところが、これは『親の学力』を反映したもので、決して子供の学力ではないそうです。概ね小学校2〜3年で、丸暗記派(親の影響派)が脱落し、子供の実力で序列が出来あがるそうです。
子供の柔軟な脳は、乾いた砂に水がしみこむように「親の教え」を丸暗記で覚えていきます。「我が子は天才」と思う親が多いようですが、丸暗記は、学習プロセス(学校での勉強)に抵抗し、結局学力低下を招く要因になっているとリポートさています。

お受験グッズがあるそうです。面接で『好印象』を受けるバッグなどです。
いくら我が子とはいえ、個性の発芽もない内に「受かりやすい雛型」に押さえ込むことの是非をお考え頂きたいものです。

991128(日)座席の値段+凩と木枯し

東京のJRにはまったく座席の無い電車があります。それを見たとき「なんて非人間的な」と思わずつぶやきました。しかし、東京的発想では「最も大量に運べる究極のサービス」だそうです。

私は、最寄駅までバスで通います。
友人が「観光バスではないか?」と勘違いしたほどデラックスなバスで、2差席シートが左右に並んでいます。しかし2座席に2人座っていることは稀です。自分が座れば後は「誰にも座らすまい」と荷物を置くか、通路側に座って、周りでいくら人が立っていようと「奥の座席に行けないよう」にトウセンボです。なぜか、老いも若きも女性に多い行為です。

先日、新聞に「新幹線の座席」の話が載っていました。
東京から乗った乗客が、座席に荷物を置いて自由席を占拠しています。満員の車両で、誰かが尋ねると「友達が来ます」と言って決して座らせず、結局「友達」は名古屋から乗って来て京都で下りたそうです。わずか40分のために2時間近く占拠していたことになります。投書欄によれば「こんな話はザラにある」そうです。
当たり前ですが、指定席ではありえません。
このような行為は「自由席」に限ったことです。そこで「自由席」を考えてみると「何をしようと自由な席」と言う意味と勘違いしているのではないかと思います。ならば「占拠した座席分だけ乗車賃を払えよ」と言いたくなります。
東京の座席の無い電車は「誰も座れない」と言う意味で「平等な電車」かもしれません。嫌な日本になったものです。

追記
まだ辛うじて20代の頃、スキー列車での出来事です。立錐の余地も無いほど込み合った車内で「4人席を占拠」している人がいました。「途中から友達が乗ってくるから」と言うのが理由です。
普段はおとなしい私ですが、頭に来るとハンパじゃなくなります。「来たら席を立つから」と強引に座り込み、まだ余っている席には可愛い子を見つけ「あなたも座りなさい」と席を詰めてしまいました。30分が過ぎ最初の停車駅を過ぎても「友達」は来ません、「どうなってんネン」と睨んだら彼も何処かへ行ってしまいました。

あの頃は、席を占拠する側にも遠慮があり、こんなことができましたが今は事情が違います。何せ彼女達は自分の行為を疑っておらず「後ろめたさ」はありません。席を要求するには、血の雨は降らないにしても、相当な口論を覚悟する必要があります。それが嫌で「いつも立ったまま」です、でもお年寄りの「辛そうに立っている姿」を見ると気の毒な限りです。


凩と木枯し
「こがらし」には凩と木枯しの2種類の漢字があります、皆様はどちらの漢字がお好きでしょうか?
辞典を調べても使い分けが分かりません。どなたかご存知の方にお願いします、「私に教えてください」
そこで、想像です。どちらにも「木」偏が関与しています。
「凩」は中国で作られた漢字で、木々の間に風が吹くようになれば「冬の到来」を告げる。
「木枯し」は日本で作られた文字で、「冬になり北風が吹き梢を揺すり、枯葉を舞い上げる…」なんとなくそんな風に感じるのです。
皆様はどんなイメージをお持ちでしょうか?

991129(月)演歌の衰退
CD売上における演歌の割合がわずか6%となったそうです。
私には理解できず「ついて行けない」最近の若者のCD売上げと比較しても10%以下と言う低迷ぶりで、レコード各社は「演歌部門」からの撤退を表明していそうです。有名な演歌歌手と言えども例外ではなく、契約更改しない旨の通知が出されたり、演歌系のCDは10万枚以上の販売ノルマと言った結構露骨なイヤミがなされている、と言う報道です。

良く分からない世界があるのですが、オジさんオバさんで賑わうお店(スナック)では、いまだに「演歌全盛時代」です。CDの売上げと比例しないのかもしれませんが、新しい「演歌」がそこでは求められ、歌われています。レコード各社の方針はこうした「中高年層」の需要切捨てと言うことになるのです。
私の好きな「谷村新二・さだまさし・井上陽水」といった系統は、すでに「若い人達の唄」に取って変わられ、ほとんど出番がありません。だから私は飲みに行ってもほとんど歌わなくなりました、「私の唄が無くなった」からです。
私は演歌を歌わないので、演歌(新曲)の供給が途絶えても余り関係ありません。しかし、演歌好きな「オジさんオバさん達」が私同様に「私の唄が無くなった」と嘆き悲しむ様が見えるようです。

私の親くらいのお年寄りが、昔を懐かしむように「軍歌」を歌っていらっしゃいます。でも、もう軍歌には新曲の供給はありません。演歌の供給停止は歴史の繰り返しでしょうか?いつの時代も「経済原則から文化が変わって行く」のでしょう。
991130(火)福祉を考える
11月も終わりとなりました

お年寄りのお世話をする福祉施設は「社会福祉法人」でしか運営できません。建設費の大半は助成金で賄われる代りに、営利を目的とせず「利益をあげることはご法度」です。一見「理想的」に見えるこの制度を考えてみたいと思います。

例えば、景気低迷で民間の営利目的の建物がどんどんグレードダウンしている中、最近の特別擁護老人ホームが「浮いて見えるほど豪華」になっています。助成金を抜きに考えられない現象です。ところが、営利目的ではないため
 @ 税金が掛からない
 A 減価償却が無い:課税の反対給付として「減価償却」の制度があります。
  税金が掛からないのだから減価償却がないのは当たり前ですが、
  これによって問題が生じます。
 B 減価償却は「建物が年々古くなる」ことに対する手当てを意味します。
  減価償却をしないと言うことは「永久に建設時の値打ちを維持」していることになります。
  そんなバカな!!
 C 「永久に建設時の値打ちを維持」していることになりますから「修繕積立金」の備蓄が出来ません。
このように、出来たときは「ピカピカ」でも、バカげた建前で維持のための「補修費枠」がありません。これは、施設の共通の悩みになっているのではと想像しています。

以前、福祉の「株式会社化」のお話をしたことがあります。まだ検討段階で許可される保証はありませんが、皆様はどのようなイメージをお持ちでしょうか?
 株式会社=お年寄りを食い物にし「ぼろ儲け」
こんなイメージが多いかもしれません、こうなるのなら私も反対です。しかし、私はもう少し「日本人を信用」したいのです。資本主義の根底に「信用」があり、「適正利潤こそ健全経営」と私は信じています。

NHKのNさんからお聞きしました。「日本をPRする海外部門は税金で賄われていますが、国内事業は視聴料で賄われいる」そうです。福祉だって同じ事が出来ると思います。お世話する部分を税金で賄い、お年寄りご自身の生活部分は「民営化(株式会社化)」ができるのではないでしょうか。私の本音は、民営化して「適正利潤で運営」した方が健全ではないかと想像しています。なぜか?
これから急カーブでお年寄りが増えていきます。しかし、2025年でピークを迎えそこから先は「お年寄りの奪い合い」が予想されます。建物寿命を考えれば「25年後にピーク」は早過ぎます。そのくせ、自己変革して常に時代のニーズに合す制度がないため、25年後には「建物の賞味期限が切れている」可能性が高いのです。それを防止できるのは「株式会社化」しかないのではと思っています。


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