dogfight高松の長すぎるひとり言
1999年7月

長村さんの話文字遊び京都の知恵羨ましい話1年前女性を考える「娘達」女性を考える「オバサン」逃げ仕事+保守性と不合理笛吹けど踊らず変わり者教育が危ない素敵にミステリー7人の建築士Eバトル関東黒子の気持ちEバトル2優雅な?ホームレス誤審脇役の心言い訳尽くしの「天神さん」雑談収益物件と責任和解の困難さ夢を買う浦和のうなぎ
990701長村さんの話
「N氏」と書こうかとも思ったが、ホームページのリンクの許可も頂いており、実名の「長村(ながむら)」さんで、ご紹介する。

職業は私と同業であるが、彼の方がずっと「本格派」である。理由は簡単で「才能の差」にある。悔しく思うべきかもしれないが、素直に賛美できる自分になったことを喜んでいる。
長村さんはインターネットの先輩(実年齢は私の方が上)で、ホームページをご覧頂ければ一目瞭然である。
ちょっと辛口のコラムがあり、私はファンの一人である。ただ、dogfight等と名乗りながら「結構シャイ」なところがあり、直接感想を差し上げたことはない。
私の「おふざけエッセイ」と違い、視点の深さがある。例えば、北朝鮮の不審船に触れて「何故何隻もの船で銃撃したのか?」「射撃訓練をしたのでは?(賛成)」と疑問を呈しておられる。私はこれを読むまで気付かなかった。最近では「成田問題」でやはり、視点の深い論評をなさっている。

長村さんにここでお詫びを申し上げねばならない。きっと気付いていないと思うが、エッセイのネタに詰まると、彼のコラムからネタを「つまみ食い」している。
今日も懲りずにネタを拝借。
長村さんのデータベースはスゴイ。私も、全部ダウンロードしてゆっくり見たいと思っているがまだできていない。彼のデータベースを片手にTAさんは「建築の旅」をなさっているそうだ。その中に「山深いロンシャン」が登場する。
私は、ヨーロッパには3度・延べ50日の旅をしている。26年前、イタリア北部から国境を越えフランスの山奥にある「ロンシャン教会」を訪ねている。どうも、今も「山奥」の雰囲気は変わっていないようだ。
ロンシャン教会は、ル・コルビジェの代表作である。教会の持つ荘厳な雰囲気に自然光を巧みに演出した名作で、幾多の写真等で紹介されている。しかし「現地で体験」する以外、あの感動を伝える術はないと今も思っている。
長村さんは長期のヨーロッパ建築探訪をなさっている。
私の3度のヨーロッパ旅行で「建築の旅」と言えるのは、最初の30日だけである。建築士としての才能の限界を知ってから、市井の建築屋として素直に「ヨーロッパの気候風土歴史習慣」を楽しんでいる。

この辺で「長村さんの話」からお別れして脱線を始める。
デザインは「機能美」と訳される。芸術性と実用性を兼ね備えたものがデザインであると今も信じているが、我が国では実用性を忘れたデザインが一人歩きをしている。アカデミックな才能に欠ける私は、実用性を大切にした設計を心がけるようにしている。
そんな私に住宅の話があった。住宅設計は物心両面に余裕がある時に受けているが、今は共にない。そんな分けで「相談だけは」と言うことでお話を聞いた。
クライアントのご希望は「安藤忠雄氏の作風で、内外ともコンクリート打ち放しの3階建て」と言うものであった。ちなみに予算は2千万円だそうだ。
おそらくこんな雰囲気ではと思い、簡単なスケッチを提示した。結構「的を得た」ようで気に入られたが「予算としては5千万円くらい必要と思います」と申し上げたらがっかりされていた。
安藤忠雄氏とは面識もなく、私にとって「雲の上の人」である。初期の作品には「トラブルメーカー」の側面があったようだが、最近そんな話はなく、更に洗練されている。推測で申し上げるが、安藤氏の提案を技術的にサポートできるスタッフが充実されたのではと思う。

更に話しは脱線する。
安藤氏の作品には「建築的な概念の柱や梁がない」。スケルトンは土木的である。おそらく特定行政庁(地方自治体)では、構造審査ができず「建築センターの構造評定(ないしは評価)」を受けているのではないだろうか?
構造評定の費用は500〜1000万円掛かり、「ささやかな住宅を作る」場合、工事費と同じくらい設計料がいるように思う。
コンクリートの「内外打ち放し」は結露が恐いのだが、安藤氏の作品に結露が起きた痕跡がない。「何故か?」との議論になり珍説が出た。
 1.空調で強制的に「極度に湿度を落とせば」結露しない。
 2.土木的スケールの「躯体にヒーターを埋め込んで」結露を防いでいる。
どちらも正解とは思えない。どんな方法が講じられているのだろう?
990702文字遊び
A氏とお茶を飲みながら「しっそ」はどんな漢字か?と言うことになった。私は「質素(誉め言葉)」と言い、A氏は「質粗(さげすみ言葉)」と言う。お茶はそこそこに「本屋を探す」こととなった。
広辞苑によれば
しっ‐そ【質素】
〓かざらないこと。質朴なこと。
〓倹約なこと。おごらず、つつましいこと。「―な生活」
結果は概ね私が正解であった。その後、数人に聞いてみたが意外と正確に覚えていないようだ。

親兄弟の反対を押し切り21才で私は結婚した。直ぐに生活苦に襲われ、一冊の漢和辞典が「娯楽の種」と言った時代がある。国語が苦手であった私もこれで漢字とその意味を随分覚えた。このことはその後私の趣味と考え方に大きな影響を残した。人生何が幸い(災い)するか分からない。
最大の画数を持つ漢字をご存知であろうか?答えは「鹿」を森の字状に3つ並べ「そ」と読む。36画の漢字はこの文字だけである。意味は「粗」と同じで「あらい」ことを意味する。
「馬鹿」にも「鹿」が登場する。どうも、余り良い意味に登場しない漢字のようだ。
990703京都の知恵
昨夜、飲みすぎてまだ酔いがさめていない。
「Iモード」が人気だそうな。携帯電話から携帯電話に150文字までのメールを送ることができる。勿論、Eメールとリンクをしているが、文字数の制限に注意しないと迷惑を掛けてしまうそうだ。それにしても、携帯電話で話をすればよいのに「いつから手紙が好き]になったのだろう?また、年寄りには理解できない世界ができた。
ある理由で書いた「論文まがい」を今日のエッセイとして、二日酔いの対処に専念する。

ゴメンナサイ

大阪京都間は鉄道で30分の距離に過ぎない。そんくせ京都に遠征すると開放感を味わうことができる。私は、寛いで飲みたいときは京都を選ぶ。

京都の町並には独特の雰囲気がある。その特長を形作るものに「ウナギの寝床」と形容される細長い敷地と、それを生かした「町屋造り」がある。さすがは「千年の古都」と言うべきか。
考古学オタクではないので、詳しいことが分からないのだが、おそらく4世紀に我が国初の「京(みやこ)」が出来たのではないだろうか。それから遷都を重ねたが、千年の時間を超えて今も「都市」として生きているのは京都だけである。もし、他にも今に生きる京(みやこ)があれば同じような雰囲気を出しているに違いない。

平安京(桓武天皇により七九四年長岡京より遷都)が出来た頃の日本の人口はどのくらいであったろうか?鎌倉時代初期(12世紀後期)で約1800万人と推計されているので、おそらく1000万人をわずかに超えた程度と思われる。今の人口密度の1/10以下である。
中国の京(畿)をまねた都市計画も、現在の感覚から言えば「随分道路の少ない」ものであったに違いない。人口密度が低いので、こまめに道路を作る必要(大きな区画で良かった)などない筈である。
その後、時代と共に人口が増えていったが、道路を増やすことなく「間口を細切れにして」対応していったのではないか?中世以降、間口幅に対して課税したことも影響したに違いない。「ウナギの寝床」はこのようにしてできていったのであろう。「他にも今に生きる京があれば同じような雰囲気を出しているに違いない」と述べた理由がここにある。

建築基準法は自治体毎に運用されるため「一体いくつあるのだろう?」と言う疑問は既に何度も触れている。少し角度を変えてこのことを見てみると違った面が見えてくる。
一般的に「建築基準法を強化して運用」するため、不必要に「違反建築を作っている」側面がある。そのくせ取り締まりをしない。
それに対して、京都市・大阪市は「弾力的運用」を心がけ、結果的に「違反建築になる」ことを防いでいる。もっと言えば、人口密集地に、厳格に法律を適用すると「合法建築」を作ることが出来なくなってしまう事情がある。人によって異論はあろうが、法の精神から言えば、京大阪の姿勢が私は正しいと思っている。

随分長い前振りになった。やっと本題に入る。
現行基準法は、「敷地が道路に接続」することを前提条件とし、用語の定義で「道路とは幅員4m以上」と定めている。
これを、京の町並に厳格に適用するといかなることになるか想像されたい。ウナギの寝床(露地奥に更に他人地が続く)では「絶望的な土地」が続出する。大きな声では言えないが「行政の暗黙の了解」がなければ、京都で建物は建たないことになる。

また、基準法で「延焼の恐れ」と言う概念がある。
これは、隣地との境界線から「1階で3m、2階以上は5mの範囲」を類焼の可能性が高い範囲として、「防火性能」を強化している。
これも、京都(ウナギの寝床)に当てはめるのは無理がある。そのため、京都では「道路境界線まで袖壁を伸ばせば、延焼の危険はない」と言う見解を取っている。
京の町屋が、ウナギの寝床にもかかわらず「坪庭を巧みに使い、開放感がある」のは、この弾力的運用のおかげと思われる。

最近得た情報では、京都市が「連担建築物設計制度」を利用して「袋路敷地に対し、新たな法解釈を導入することに決めた」(京都新聞に掲載)そうだ。
私は、拍手喝采をしたい気持ちである。残念ながら、京都新聞を読んでいないので断定できないが、京都市がやろうとしていることは想像できる。

連担建築物設計制度とは、昨年5月、建築基準法の改正が国会を通過したその一部である。当HP「規制緩和2(990222)」で触れているので参照されたい。この改正は日本の価値観を一変させる要素を持つのにマスコミからみごとに無視された。

先に触れたように「敷地と道路」から、基準法は成り立っている。その基本を、連担建築物設計制度は覆す要素を持っている。漢字が示すように、現行法規を満足する敷地と「連担(リンク)」すれば、リンクした部分を「丸ごと合法と認める」と言う画期的な考え方である。極論すれば「1街区(道路で区切られたエリア全域)全部をリンクすれば「違反要素が消える」ことを意味する。

京都の行政当局は、今まで黙認と言う容(かたち)で「露地奥の建物」を救済してきたが、この「連担建築物設計制度」を活用すれば「合法」と言う容で救済できる。
黙認でも建物が建つのだから「なにも変わらない」等と思わないで頂きたい。
黙認で救済ができても「検査済証(合法建築物の証明書)」の発行ができるわけではない。合法的に救済できれば、検査済証が発行でき、その結果「金融公庫」等の制度融資を利用できるのである。国民全てが持っている権利をこれで行使できるようになるのである。

ついでで触れておこう。道路と敷地の関係で「土地利用の限度(容積率の上限や制限)」が定められていたが、連担建築物設計制度が適用されると意味をなさなくなる。また、土地の価値はこの法律に裏打ちされて、国が道路に沿って「路線価」を定めている。これも連担建築物設計制度で有名無実化する。土地本位制と言って差し支えない我が国の価値体系を、根底から変えてしまう要素を持っている。

以前、「違反建築とNHK報道」で私は激怒した。ここで報道された違反は「国民の財産生命に危害を加える違反」である。
それに対し、今日のテーマで扱った「黙認」は国民の財産を守るために必要な違反である。悪法でも「法は法」の観点に立てば胸を張って言えることではない。それを合法化しようとする「京都の知恵」に心からエールを送るものである。

報道とは一体何なのだろう?
国民生活に激変をもたらすであろう法改正は無視されている。これを報道しようとすれば大変な根気が要るだろう。バラエティー番組と違い「面白い」訳ではない。
それでも「知らすべき」報道って無いのだろうか?
私がHPで吠えても、一体何人の目に触れるであろう?「ごまめの歯軋り」に似た虚しさを感じている。
990704羨ましい話
京都にある増田建築研究所のホームページを拝見した。
大変内容が濃く、駆け出しの私など学ぶことばかりである。その中で、静岡に住むクライアントの、住宅の進行状況をリアルタイムで掲載し「設計とはなにか」を紹介されている。これを、クライアントと増田建築研究所双方のHPに同時掲載をしているそうである。
 
私はHPを始めて3ヶ月の駆け出しだが、最初からこの構想を持っている。しかしいまだ実現せず、増田建築研究所のこころみを「うらやましく」拝見した。
少し考えると「とてつもないラッキーの積重ね」が無ければ実現できないことが分かる。建築士法で「クライアントに対する秘守義務」が課せられているように、建築の仕事はやはり秘密に関与してしまう部分を持っている。
 1.極めて秘密の少ない物件であること
 2.それでも「公開すべきではない」ことが以心伝心で分かるほどに、共通の価値観があること
 3.タイトな協議もあろうが、できる限り公開する度量を双方が持つこと
こんな条件が成り立ってスタートできる。更に、ハード・ソフト面で共通性が必要となる。
最近、名刺交換をすると「メールアドレス」を刷り込んだものが多くなった。おそらく8割くらいはいそうだ。しかし、会社からのお仕着せでアドレスを持っているに過ぎない人も多く、Eメールを活用しているのは半数程度ではないか?
Eメールを活用するから、インターネットに興味があるとは限らない。この世界になると「自宅にパソコンがある」ことが条件となってくる。さらに、ホームページを持つとなれば、数はぐっと減る。
 4.パソコンの技量に大差が無いこと
 5.クライアントおよび設計者が「ホームページを持っている」
こんな条件下で、先に述べた1〜3を満足するとなると、何年に一度出会えるか?と言ったレアケースになるのではと思う。

うらやんでも機会を待つしかない。
「今できること」と言うので、東京在住のクライアントに毎週の「定例会議報告に写真を添付」して、Eメールで送っている。まだクライアントの自宅にパソコンが無いので、会社宛てになるのが残念である。
この手法は、遠隔地や忙しくて「なかなか現場を見られない」クライアントに有効ではないかと思っている。竣工したら、1枚のお皿に焼いて(CD-ROM)差し上げようと思っている、立派なドキュメントになりそうだ。
9907071年前
今夜は七夕。全国的に晴れるとか
ホームページに「土地本位制からの脱却」を掲載した、日付は昨年7月となっている。そう「あれから1年」経ったのだ。
暇になったら「エッセイや持論を書き綴ってみたい」
バブル崩壊の後始末に忙殺される中、いつも考えていた。
世間より1年早く「バブル崩壊」を感じ、事実上事務所を閉鎖する処理をした。「倒産した」と噂もされたが反論できるほどの根拠も無い。LANで結ばれた14台のコンピュータを呆然と眺めた記憶がある。
友人の弁護士が真剣に「気楽になるから」と破産を奨めてくれた。それでも「もう少し頑張ってみる」と、場所を変え人を変えて再スタートを切った。いつものように高らかに目標を掲げて。
 1.累積赤字の一掃
 2.OAシステムの刷新
 3.ヨーロッパ旅行
目標を全て達成して、更に事務所を始めて以来最高の「預金残高」を残したのが昨年6月。まさに『一瞬のピーク』であった。7月からは、奈落の底を目指して「真逆さま」である。
希望通り「書物」を始めて1年。その間に、成った仕事は工費3千万円ほどのユースホステル1件と言う有様である。気を紛らわせ、落ち着かせる手段としてひたすら書き続けた1年でもあった。
1年前、持論をまとめた論文三部作の第1号が「土地本位制からの脱却」である。久しぶりに読み返してみて「なんと下手だろう」と言うのが正直な感想だ。1年間書き続ける「学習効果」はそれなりにあったようだ。
土地本位制からの脱却で言いたかったことは、
『世界標準に日本も合す→必然的に土地本位制が崩れる→価値観の見直しが生じる』
土地に価値の根源を求める時代が去ろうとしている「もう終わりだよ」と、個人も企業にも告げたい気持ちを込めている。
読み返してみて、長い割に意味が伝わってこないことがよく分かる。今ならもう少しまともに書けそうに思うが、「1年前の私」をそのまま載せてみた。
990709女性を考える「娘達」
毎週金曜日に「アンチウイルスソフト」をライブアップデートしている。
何と「42080種類に対応」できるそうだ。ウイルスってそんなにあるのですね

先日テレビで「若い人たちの体形はアメリカと肩を並べるところまできた」と報道していた。思わず「ヘエ〜」とうなってから、道理で俺より背の高い女の子が多い筈だと一人ごちた。
背が高くなっただけではない。スタイルも見違えるように良くなった。ファッションセンスとメイク技術の向上で、日本の娘達は「本当に綺麗になった」と私は思う。
さらに、夏ともなれば露出度の向上はどうであろう!!まるで下着で歩いているような娘もいる。そこでその心理を聞いてみた。それによると、やはり「見て欲しい」のだそうだ。目のやり場に困っても「無視をする」のは失礼にあたる。かといって「ジロジロ見れば」痴漢と間違われる。その辺の兼ね合いがオジサン(私のこと)には分からない。

娘達の足元は「バブル真っ盛り」である。人間工学を無視した高さのサンダルが人気を博している。バブルの時の土地値と同じで一度限界を超えると際限が無い。先日も地下鉄で「どう見てみ20cm以下とは思えない」高さのサンダルをはいている女の子がいた。
このことも聞いてみた。足元感(あるいは足裏感)がなく、わずかな段差でコケルこともあるそうだ。更に、あのボリュームである「実に重い」そうだ。だから、バブルサンダルで1日行動するとヘトヘトに疲れるとか。美しくあるには「危険と疲労を甘受」する必要があるようだ。

体形は大きくなったが体力が向上したわけではない。せっかく美しくなったのだから「もう少し綺麗に歩けば」と思うのだが、結構ダラダラ歩く。(娘達が周りに気を使うことはない)歩道いっぱいに広がって「ダベリング」しながら歩くと、先を急ぐサラリーマンの団子が後ろにできる。こんな娘達が「ヤングママ」になるともっと怖い。幼児の好奇心は旺盛で、それはそれで良いのだが「時と場合に」による。
私の出勤の第1歩はエレベータで始まる。急いでいるのだが、見送りのヤングファミリーと出くわすと悲劇の始まりである。幼い子供が「エレベータのボタン」を押したがり、もたもたしている。このときのヤングママは根気強い、幼子がやり遂げるまで待つのである。私が手を出そうものなら「鋭い目つき」で睨まれる。決して回りの事情を考慮することはない。
次は、「オバサン」を考察してみる。お楽しみに
990710女性を考える「オバサン」
手元に今日の夕刊がある。
ロスで開かれているFIFA(国際サッカー連盟)の総会を、全てのアジア代表がボイコットしたそうだ。W杯2002年大会で、主催国の日韓は出場権があるが、他の43カ国で出場枠「2〜3」は少なすぎると言う抗議である。ちなみに「欧州で13〜14」。たいして強くはなく、かつ国数の少ない「中北米で3」と言う偏重振りである。
かって、F1レースで連戦連勝のホンダマシンが撤退した。理由は、「勝つ毎に、勝因となった技術を禁止」して、ホンダの出番を塞いだことによる。白人至上主義はいつになったら無くなるのであろうか?
 
私は、バス・私鉄・地下鉄の3種類4路線を乗り継いで出勤している。
通勤途上に見掛ける、オバサンの行動生態学に挑戦してみる。バスはワンマン運行である。後ろの扉から乗り、走行中に料金を調べ、小銭を用意する。降りる場合は、停車ボタンで知らせ「準備」をしておく。これが「オバサン」になるといかなることになるか!!
 1.バスが停車してから「おもむろに席を立つ」決して事前に用意はしない
 2.降車用の前扉にある料金箱前に立ち、やっと「料金を調べる」
 3.ハンドバッグから小銭入れを出し、チェックする(運が良ければこれで終わる)
 4.小銭が不足と分かるとハンドバッグになおし、財布を取り出す
 5.財布から千円札を取りだし、財布はバッグになおす
 6.千円札を両替機に入れる
 7.必要な小銭を手に持ち、残りはバッグからもう一度出した小銭入れになおす。
  小銭入れはきちんとハンドバッグにしまう
 8.料金を箱に入れて下車
この儀式でゆうに5分は経過する。運転手も出勤を急ぐサラリーマンもゲンナリ。
関西の鉄道は徹底した自動化とネットワークが特徴である。JRは独自にNWを築いたが、環境整備の送れている近鉄を除き、私鉄(系列下を含む)や公営交通機関が広域(神戸・大阪・京都)で手を組み「1枚のプリペイドカード」で乗り継ぎ(かなりのバスを含む)ができる。そんな訳で、自動券売機の行列は減ったが「無くなった」わけではない。その行列に「オバサン」が並ぶとどうなるか!!!
概ね手順はバスと同じである。営業路線が広域であるだけに「料金を探し当てる」まで時間が掛かる。さらに、自動券売機は一万円札が利用できるため、お釣りを財布にしまう際、札の種類別になおす分時間が余計に掛かる。その間、決して次に譲るようなまねはしない。そんな分けで「プリペイドカード補充のとき」は目的の急行に乗り遅れる危険性を孕んでいる。

電車に乗ると「座る場所を求めて」積極的な行動に変わる。わずかな隙間を見つけて、巨大なお尻をねじ込んでいく様は見事である。そのくせ、自分が座るときは隙間を空けて座り、誰かが割り込もうとすれば露骨に嫌な顔をする。
エスカレータのキープライトがすっかり習慣として根付いた。急ぐ人は左側を歩いてエスカレータを利用する。しかし「オバサンには関係ない」立派に関所を作っている。
駅の女性トイレがいっぱいならば、ヘッチャラで男子トイレを利用しにやってくる。もし私が逆をやったら「いかなる事件になるか」、かくもオバサンは強いのだ。

外国の事例も話せれば良いのだが、私には残念ながらそれができない。わが国では、結婚すると急速に「社会と縁を切る」傾向があり、これが今日述べたオバサン像を作っているように思う。もっとも、先に述べた『娘達』がオバサンになったら、もっと強力になりそうに思うがいかがであろうか?
990710逃げ仕事+保守性と不合理
 逃げ仕事
「逃げ仕事」この言葉にいかなる語感を抱かれるであろうか?おそらく「良いイメージ」はないと思うが、実は…
「逃げ仕事」は建築の専門用語で古来より伝わる「先人の知恵」である。
我々は「一寸の隙もない」と誉め言葉を使うが、このような建物を作ったらいかなることになるか?建物は生きていると考えたほうが良い。季節により膨張伸縮を繰り返しており、「一寸の隙もない」建物を作ったら呼吸(伸縮)に対応できず、たちどころに崩壊してしまうだろう。
逃げ仕事は、この呼吸に対応できるように到る所に『ルーズな場』を作り、あたかも「一寸の隙もない」ように見せる合理的な技法である。
例えば、木造の柱の見えないところに、予め割目を入れておく。これは、将来起きるであろう「乾燥収縮によるひび割れ」を割目に収斂させる、「背割り」と呼ばる逃げ仕事である。お陰で、見えるところにひび割れが生じず「一寸の隙もない」建物に見える。
土壁も乾燥により収縮をおこし、いかに名人が施工しようとも「柱際に隙間」ができる。逃げ仕事では、柱に予め溝(しゃくり)を作り土を塗りこめておく。乾燥でヤセても柱溝内の土が滑り出て(刀とさやの関係を想像されたい)きて「隙間を作らせない」ので、いかにも「一寸の隙もない」建物に見える。

トヨタは看板方式で業績を拡大した。後に「ジャスト・イン・システム」と呼ばれ、生産工程の革命をもたらした。「必要なときに必要な部品を」と言う方式で、在庫を無くし「省スペース・ローコスト」を実現した方式である。
今から20年以上も前、この「看板方式」を賛美する本を読んだとき、トヨタは建築現場から「ノウハウを盗んだのではないか」と私は思った。
お考え頂きたい。限られた建設現場のスペースで円滑に工事をするには「ジャスト・イン・システム」以外に方法などありえないことを。建築の世界では千年以上も前からこの方式が取られていた。
建築の世界で成功の秘訣は「段取り8分」と言われている。段取りとは工程+準備とお考え頂ければ間違いない。つまり、「何月何日何時に何の材料を入れる」と言う工程とその手配(準備)ができれば、「8割の仕事は終わり」といわれるほど、段取りを重視している。
世間で何かと、建築屋は下等な職業とみなされるが、意外と合理主義者が多いことは知られていない。合理性を追求する根源に「逃げ仕事」があるように私は思っている。
 保守性と不合理
「保守的=不合理」と言う図式はないと思っている。本来別のものだと考えていたが、そうでもない世界がある。
金曜日(990709)にオーストラリアから研修生が訪ねてきた。日本に居るおばさんが重い病との連絡を受け急遽帰国したそうだ。幸い病は改善され、当社を訪れる時間もできたようだ。
今年1月の研修は、彼の話によれば「評価」されたようだ。あの時も、既存のスタイルに拘る保守的な態度が不思議で尋ねたら、「新しい試みは評価が低い」とのことであった。
今はどうしている?と言う話になり…
コンピュータ講座が卒業までに4段階に分かれており、最終の第4ステージに突入したのだが、「4年間パスできないでいる人がいる」ほど大変な難関だそうな。
そこで内容を尋ねて不思議な気持ちになった。

AUTO-CAD(製図用コンピュータソフト)を使って建物の3D(三次元)CG(コンピュータグラフィック)を作り上げる課題だと言う。単に形を作るだけではなく、テクスチャー(質感)の入力や、光の反射と言った条件まで処理する。
ちなみに「途中でチェック」する機能が無く、入力に約半年掛けた後、ロードするまで「正解か間違いか?」すら分からないと言う。そこで、失敗と分かれば「ほぼ落第間違い無し」と言う不合理性を持っている。

私も仕事上、3DのCGは扱う。990628「C調営業マン」で触れたように、この手のソフト開発にも多少関与した。およそ3DのCG作りはこんな手順で行う。
 1.モデリング:形作り
 2.テクスチャーマップ:質感の貼付け
 3.レンダリング:背景との結合や、影、反射と言った条件を入れる
これで、彼が直面している課題(卒業の成否を握っている)が想像できたので、事務所で実演をしてみた。
モデルとしては標準的な建売住宅を当てた。
モデリングに要した時間は5分。これだけで、彼は呆然としている。言いかえれば「悪戦苦闘している課題(きっと既に数ヶ月掛けている)」を目の前で余りに簡単に済まされてショックを受けているのが分かる。

テクスチャーは出来るのですか?と質問されたので、テクスチャーマップを広げて見せた。これは、イタリアのリンクスと言うCGソフト(映画のCGに利用されているほどの優れもの)を転用しており、ほとんど不自由しない。彼に「好きなものを選ばせて」壁や天井に張りつけて見せた。この作業も分単位で終わる。
最後のレンダリングは「高度処理」に切り換えて行わなければならない。さすがに、今までのような速さはない。光源の位置決め、仕上げ材の反射率を設定していく必要がある。この部分は過去の事例を見せたが「まったくこの状態が最終目標です」と言った。それでも当社のソフトを使えば、1日で出来るだろう。
 
余談である。 
AUTO-CAD(アメリカ生まれ)は世界制覇を果たしたCADソフトだが、我が国におけるCADの普及とその応用範囲の広がりについて行けない実情があり、日本では首座を追われようとしている。例えば、DXF(データ・エクスチェンジ・ファイル:異なるソフト間のデータ交換を計るシステム)の考えが出来たときかたくなに拒否した経緯がある。それでも時代に勝てずDXFは作ったけれど、属性解除の拒否(この部分は変換できない)と有料化を打ち出したため、DXFによる「完全な互換性を有する」他のソフトにとって変わられた。
AUTO-CADにはこんな経緯があるが、オーストラリアの某大学で使われているソフトはかなり古いものではないだろうか?話通りならば余りにひどい。
当社で利用している3Dソフトは実勢価格50万円程度で買える。そんなソフトで「1日で出来る」ことを、半年・1年と掛けて、更に「卒業の成否」を握る等となれば、「保守的だね」だけでは済まない。まったく不合理と言わねばならない。
「先生にこれ(当社のシステム)を見せてみたい」彼の言葉は悲痛であった。
990711変わり者
「変わり者」だと自覚している。
まったく業界組織(建築士会・建築家協会・建築協会等)に所属しておらず「設計事務所を開いている」と言う条件を入れれば「異端者」といわれそうである。
過去も、20代のほんの一時期、建築士会に所属したことがあるだけである。しかし、政治信条で所属を拒否している分けではない。単にモノグサに過ぎない。

そのくせ3年前まで9年間、あるクラブに所属していた。
社会奉仕を標榜し、会則でビジネスを禁じている異業種の集まりである。現実にはほとんど「商売目的で入会」されるが、普段「権謀術策に暮す」私は「理想の社会」を求めて、一切ビジネスをしなかった。退会後の今も厚情は続きビジネスの対象にしていない。
クラブ在籍中に「同業の集まりは面白くない」と言う話を何度も聞いた。業界組織を評論する資格はないが、私も同業組織に所属していれば「退屈した」のではと思っている。想像であるが、同業者の集まりには「話題の広がり」が期待できそうもない。その点、異業種は「何の話題が飛び出すか?」きまりがないだけに、好奇心100%の私にはワクワクする楽しさがあった。

そんなに気に入っていたクラブを「何故辞めた」と問われると辛い。
9年間は「水を得た魚」宜しく大活躍であった。その結果疲れ果てて「充電したい」と退会届けに書いた。まったく自作自演の我侭に尽きる。
今年、在籍中の友人から「おまえは伝説の人物になっているが『高松』の名前は消えた」といわれた。在籍中、後に「3本柱」と言われる事業を立ち上げた。今は、クラブを特徴付ける事業となっており、作り上げた人物像だけが伝説化し私の固有名詞が消えたと言う。この話を聞いてほっとした。経営はピンチの連続であるが、改善できれば復帰したいと考えている。ただ、復帰しても今度はおとなしく「余生をすごく」が如く静かな会員でいたいと思う。
990711教育が危ない
夜半に長男が帰ってきたらしく、朝起きたら毛布に包まって寝ていた。朝食後「教育が危ない」と言い出した。何事かと聞いてみたら「なるほど」と思う話である。
慶応大学の文学部で「分数が出来ない」学生がいるという。文学部の入試に「数学が不要」のため、進学高校時代も「まったく数学をしなかった」そうだ。つまり、慶大の入試に耐えるテクニックは身につけたが「バランスの良い学問」はしなかった。
別の事例では、進学高校時代は「化学を専攻(物理より簡単らしい)」し、理数系大学の入試では「化学」を選択して合格した。しかし中学以後、物理をまったく勉強していないため「バネ秤」のレベルで止まっており、理数系の授業にまったくついて行けない学生となっている。

何故こんなことに?原因は「ゆとり教育」にあると言うから皮肉な話だ。
ゆとり教育で、小学校で習うべきことが中学に先送りされた。中学では、小学校からの積み残しを優先するため、もっと多大なカリキュラムを高校に先送りした。高校の授業時間が延びたわけではない。辻褄を合わせるため「選択(=任意)」と称して、必須科目が間引きされた。
その結果、数学系だけで「積分方程式・因数分解・複素数・確率論」等が、任意(まったく選択しなくても良い)な科目に指定された。
ちなみに、これらは若者に不人気な教科だそうな。ゆとり教育という名のもとに、若者におもねる教育になっていまいか?国家百年の計を誤る危うさを含んでいる。
技術系の方なら、このカリキュラム変更がどれほど不自然かすぐお分かりになるだろう。理論を扱う業務に不可欠な教科がズラリと並んでいる。
いや、それ以前の問題を含んでいる。これらを「理解している」と言う前提が霧散したため、理数系の学部(大学)で、授業が成り立たない事態になっているという。ちなみに、Q大(長男の母校)では、理数系の学生を対象に「数学の補修授業を始めた」そうだ。
基礎学力が「数学から算数に低下した」ことに危機感を募らせた大学側では、文部省に対し、「カリキュラムの再見直し」を要求しているそうだ。(なぜかマスコミは報道しない)

長男は某電機メーカーの研究室にいるが、いずれ学力低下は企業に及ぶことになる。面接で「選択科目」を独学したか(それしか方法がない)?を問う時代がきそうだと話していた。

990713追記
内容の正確さを記すため下記の資料が、息子からメールで届きました。(文部省のHPで調査)
[数学の科目]
数学は次の7科目となっています。
 数学基礎
 数学I
 数学II
 数学III
 数学A
 数学B
 数学C
条項によると、次のような履修を行うようです。
 1.数学I -> II -> III
 2.基礎 or I の後、A
 3.I -> B
 4.I -> A -> C
[それぞれの内容]
数学基礎:抽象的で良く判りません。具体的に何を教えるかが判りづらく、お茶を濁す程度のような気もします。
 
数学I:方程式・不等式・因数分解・二次方程式・二次不等式・三角関数
 数学II:式と証明・高次不等式・図形と方程式・指数・対数・微分・積分の考え方
 数学III:極限・微分・積分・導関数
 数学A:平面図形・集合と論理・確率
 数学B:数列・ベクトル・統計とコンピュータ
 数学C:行列・二次曲線・確率分布・正規分布

以上から、単純に考えると数学IIIを採らない限り、高等な微分・積分は出来ず、数学Cを採らないと行列が出来ないことになります。逆にいえば、数学を履修して必ず通るのは数学Iのみ(これも2番の選択で数学基礎を採るとしなくても良い)です。
990713素敵にミステリー
母校のホームページはないものかと「豊橋」をキーワードに検索をしていた。残念ながら母校のHPはなかったが、その時「デジカメ写真館」に出会った。
ホームページに形式はない、各人が好きなように作れば良い。それにしてもデジカメ写真館はユニークである。
写真と簡潔な説明文だけで構成されており、まるでピュアモルトウイスキーのような味わいである。無駄なものは何もない。想像できることは、きっと若い頃から山や自然がお好きで、写真大好き人間であろうこと。それだけに、感性が直に伝わってくる素晴らしさがある。

お名前が「岡本正美」さんとおっしゃる以外、年齢・職業・性別も分からない。ホームページには素性を明かさないのが普通であるが、それでもメインテーマを見ていると「なんとなく想像できる」ものがあるのだが、デジカメ写真館には手がかりすらない。私は「素敵にミステリー」と名づけている。実は、大変羨ましいのだ。もし、このホームページを閉め「出直すこと」があるなら、何一つ手がかりのないHPを作ってみたいと思っている。

疲れたり、イライラしたりするとこの「デジカメ写真館」を訪れる。1枚づつ写真を繰っている内に「心が丸くなっていく」のが分かる。
母校のHPがないと嘆き、もう30年も豊橋を訪れていないとお話したら、わざわざ母校や豊橋の街を写真にして送って頂いたことがある。この心の優しさが写真に出ている。余り急がず、少しずつ写真が増えることを願っている。
9907147人の建築士
大阪に本拠を置く某建材メーカーが、面白い提案をしている。地場の優良建設会社に「住宅資料館」を作ってもらい、建材の販路を広げようといアイディアである。
展示場と違い、原寸大(実物と同じ)の構造模型から各種建材の展示、その建材を使った場合の効果(これまた実物模型で体験できる)の確認等、「計画から体験」までを盛込んだまさに「住宅資料館」である。
建材メーカーは、資金援助することなく「販路拡大」ができ、地場産業は「イメージアップと商談援護システム」になる。両者にメリットのある「なかなかの優れもの」である。

政府は「経済の先行きに明るさが見える」としているが、それでも現実は厳しい。
どこでどう潜りこんだのか、このプロジェクトに首を突っ込んだ友人がいる。それぞれ「生きるのに必死」なのだ。ところが、私を「裏方で利用しようと」言う魂胆のお陰で、こちらにお鉢が回ってきた。
突然、FXA(敷地資料)が流れてきて、追い討ちをかけるように電話が入った、「何を調査すれば良いか?」至急連絡しろと言う。横暴な友人である。敷地内に「水路」があり、用途地域(住居系地域や商業系地域など行政が土地の用途を定めている)も3種類に分かれているなど結構複雑である。8項目の調査依頼内容をEメールで流した。
 
先週末、S県K市に本社を置くF建設で「住宅資料館」建設に向けて会議が持たれ、10人以上の建設関係者が集まったそうだ。話は「シャンシャン」と進み、平面寸法も高さも決められた。その内容に従い、「基本計画図」を書けという。私の出した調査依頼には「問題無し」としか書かれていない。何が、問題なしなのかさっぱり分からない。
私の頭に「危険信号」が鳴り響いている。友人に連絡して、企画提案者ともども来て欲しいと伝えた。その間約2時間、急いであるだけの資料で「逆日影(日影規制値をクリアできる範囲を逆算するシステム)チェック」をしてみた。
その結果、シャンシャン話で決まった建物規模など何処にも建たない。それだけではない、法規チェックをした様子がないのだ。

計画は根本から見直すこととなった。
10人以上も建設関係者が集まって「誰も気付かなかったのか?」の問いに「一級建築士だけで7人いた」という返事である。
盛り上がった雰囲気で「チェック機能が何処かに吹き飛んだ」というお話でした。
990716Eバトル
インターネットを使ったニュービジネスを「Eコマーズ」と言うそうだ。「好況アメリカを支える原動力はこれで、従来型ビジネスはとっくに転んでいる」という説もあるくらいだ。
「今、もっともホットなホームページがここです」こんなメールが届いた。
急いで、ホームページに繋いでみた。http://member.nifty.ne.jp/AKKY/index.htm
ご興味の在る方は、URLを用いてご覧下さい。
東芝製品を購入した人が「欠陥商品では?」の疑い持つに至る経過と東芝社員の対応を公開したもので、「スゴイ」の一言に尽きる。以前なら、個人がこんな大企業に「戦いを挑む」など不可能であったのに、インターネットが可能にしたと言える。何せ45日間で428万人を超える「ヒット(アクセスカウンター)」である。まさに「Eバトル」と呼べるのではないか!!
私事です。
以前、冷蔵庫があんまり頻繁に故障するので、購入2年後に「他のメーカーの冷蔵庫に買い換え」ました。そのままでは「癪に障り」友人の弁護士に頼み、電機メーカーに「内容証明で抗議」を送ったことがあります。何せ、2年間に故障6回、内2回は「コンプレッサー取替え」と言う大修理です。
このときのメーカーの対応は素晴らしかった。
数日後に本社から担当者がやって来て、抗議内容と修理記録を照合した上で、「もっと早く当社が対応するべきでした。全面的にお詫びします」という。勿論、費用は全て補償されました。
これには、弁護士共々驚きました。当時はPL法もなく、この手のことは「消費者に立証義務」がありました。ダメモトで出した抗議にこれだけ素早く対応があり、まして補償が得られるなど考えてもいなかったのです。
余談です。後年、このメーカーに息子が入社するなど「考えてもみなかった」
990717笛吹けど踊らず
昨日から京都で「祇園祭」が始まった。関西に住んで35年近くなるのに、まだ一度も行ったことがない。田舎育ちで人ごみ嫌いは直りそうもない。
 
少し「生臭い」話題を
現政権小渕総理を批判するマスコミは多いけれど、海外の評判は「結構いい線いってる」そうだ。私には真価を判断する術がないが、俗物的に言うならば「景気を回復してくれる総理は良い総理」と思っている。
史上最短とも言うべき速さで「予算」を通し、執行に齟齬のないよう政府が図っているが「……変われど役人変わらず」で、何が大切分かっていない。こんな役人の世界の出来事が、私に危機を及ぼしている。
久しぶりに「大型物件(マンション)」を扱っているが、思わぬ伏兵に悩まされている。
大阪市内では、規模に応じて、申請の難度が上がっていく。例えば、
 1.5000u以上:大規模申請(行政と影響について事前に擦りあわせ)
 2.高さ31m以上:防災協議(避難や災害防止の協議)
 3.住宅供給公社:特別優良賃貸住宅に関する「共用部分の建設費助成と家賃補助制度」の申請
 (これを利用できれば事業が楽になる)
こんな申請がある。それぞれに「勝手な言い分」があり、例えば平面図も宛先別に用意しなければならない。(自分のチェック対象以外の記入を許さないため)
それでもやっと目処がついて最後の難関「住宅金融公庫」に行ったらこんな状態でした。

住宅金融公庫は政府の景気浮揚策の一翼をになっている。しかし、昨年からの積み残し(未処理物件)が約半年分あり、今申請を行っても審査に入るのは6ヶ月後、許可ともなれば「1年を覚悟」と言った案配だ。政府が予算を付けて、景気振興を煽っても「お役人様は踊らない」。
審査に1年掛かる「景気浮揚策」なんてある筈がない!!!
1年間待ってでも「金融公庫」を利用するのかどうか選択を迫れている。下手をすればプロジェクト延期も有得るし、当社のフトコロを直撃しかけない事態となっている。

先般から、話題に出している「建築基準法改正に伴う細則作り」も遅々として進んでいない。
今年の夏のボーナスは4社に1社の割合で「支給がなかった」そうである。その点、誰よりも「生活の安定しているお役人様」のこととて、まったく危機感がない。政府や大臣は替わるけれど、役人は変わらない。「踊ってたまるか」そんな声が聞こえてきそうだ。
990718関東
居酒屋で飲んでいる。和歌山出身のT氏、京都出身のO氏そして私の3人。
歳を取って「本家帰り」をしてきた。一度は慣れた「関西の薄味」から、田舎の濃い口の味が懐かしくなっている。言葉も、田舎の言葉と「ちゃんぽん」になってきた。
これを言うと笑われるるのだが、約400年前、徳川家康は三河の武士団を引き連れて『江戸を開く』明治になり江戸言葉が標準語のベースとなる。私は、家康君と同じ出身地である。江戸文化の根っこは「三河」にあり、三河育ちの私の言葉は標準語に近い。(強引ヤネ…)
そんなわけで、最近「関東のご出身で?」と聞かれることが多い。私は関東に住んだことは一度もない。正確に言えば、茨城県日立市に単身赴任で1年過ごしたことは在るが、ここは東北の入り口で東北訛りが強い。なお、心情的に関東は「好きではない」

T氏が私に尋ねた。
「高松さん、関東の出身ですか?」
「いえ、いえ。愛知県です」
「やっぱり、関東や」
「?」
「滋賀県から向こうは『全部関東』や」
大爆笑となったが、後で思った。 関東に対するイメージは人によって随分違うのではないか?
大和朝廷の力が及んだのは、今の滋賀県までである。
そこから先は「坂東」と呼ばれ、関東とイメージがダブル。文化的にも関東の影響下に在る。存外「滋賀県から向こうは『全部関東』や」は正しい判断かもしれない。
990719黒子の気持ち
夜半、しのつく雨が降っていた。まるで梅雨明けを嫌がるように

「7人の建築士」の続きです。計画の見直しをやっています。しかし私は黒子です。
 (話を聞いて纏めてみたのがこの組織図です)
図の説明を少しします。
F建設は、S県では大手に属する「建売住宅の販売会社」です。木造住宅は得意のようですが、「ビル物」になると自社では難しいようで、そのため設計事務所と建設会社が用意されています。

私の存在を知っているのは、友人と企画事務所だけです。
会議に出席することすらない、その私がおそらく「問題点を一番理解」しているのでしょう。ヒョットしたらこんな図式って結構世の中にあるかもしれない。

もう10年以上も前になります。「食うために」下請け仕事をしていました、クライアントの目に触れることは決してないのですが、「自分の意見を反映する」方法は結構ありました。それに対して、黒子って自我を無くして「誰かになりきる」わけです。
私がF建設に対し、何故「基本計画が変わった」か説明することは絶対にありません。きっと、それらしい「理由」を付けて説明されるのでしょうね。今回、黒子をしながら「面白い体験」をしています。私に出来ることは「問題点の提起と選択肢の提供」だけです。これぞ「縁の下の力持ち」かも知れません。さて、どんな決着を見るのでしょうか?
990720Eバトル2
ホームページを武器にして「東芝との戦」はますます加熱している。
つい先日も、NIFTYが突然ダウンした。この日だけで、同ホームページへのヒット数は100万を超えており、案外これが原因ではないかと想像している。

東芝はいつまでこの無益な戦いを続けるつもりであろう。どちらが「法的に正義か」と言った議論は成り立っていない。私は詳細にHPを読み、正確に争点を理解しているつもりであるが、600万からのヒット(実数は不明)者が全て理解しているとは思えない。まして、噂を聞いた人達は単に「東芝はケシカラン」とか「東芝は欠陥商品だって」と言った短絡的な意見に支配されるのではないだろうか。
もう、勝負はついている。これから東芝が粘れば粘るほど「企業イメージをダウンさせる」だけではないか。

日曜日の夜、この話題が出たので家族全員でHPを見直し、議論となった。
配役を決めたわけではないが、私が「企業よりの視点」、長男は電器メーカーに勤める立場から「技術的」に、家内や他の息子は「消費者」の立場での議論となった。
まず、6分近く流れる「交渉内容」の音声について。
これは議論の余地がないほど「東芝の負け」である。「東芝=悪役」を決定付けている。渉外担当らしいが、あれではヤクザ顔負けである。
しかし、このテープの合法性は?となると極めて怪しくなる。私も近隣協議で難航する相手とは「テープを回して」交渉するが、必ず同意を得ている。勿論、訴訟になれば証拠として利用する事を前提にしている。幸いにして、訴訟に発展した事はないが「テープの存在がブレーキ」になって穏便に治まっていることもある。
HPでは「録音します」と一言も断っていない。「だまし討ち」である。だまし討ち以外方法は無かったとは思うが、訴訟になっても「暴言を吐いた」とする証拠能力はなく、東芝が強気でいる一因になっていよう。しかし、既に「法的には…」のレベルの問題でない(庶民感情になっている)ことを解っているのであろうか?
次に「争点の食い違い」である。
HP氏(名前が分からないので)は、東芝の特定のビデオデッキが「再生すると白い線が出て見るに耐えない」として、「欠陥商品ではないか?」と東芝に申し入れた。決して、「修理して欲しい」と言っていない。
それに対し、東芝は「修理して直ったのだからもう良いではないか」と言っている。まるで議論がかみ合っていないのだ。
HP氏は、東芝が「勝手に修理した」として更に抗議している。現に、東芝は修理に際しカスタムメイドで直している。つまり「特別仕様」で白い線を消しているわけで、普遍的な修理方法ではない。

ここでも、東芝の「認識の甘さ」が出ている。HP氏は「同時に問題のデッキを2台購入している」。少し考えば分かるだろう、唯の素人が「2台も同時に買う」筈がない。HP氏がかなりマニアックな人であることが想像つく。当然、技術的にも「言いくるめられような素人」である訳がない。つまり、ヤクザ顔負けの渉外担当が相手すべき人物ではなかった。
HP氏が購入したビデオデッキは1台2万円だそうだ。
この金額に原因の糸口がある。金額で分かるように「ローコスト商品」なのだ。そのため、スペックを絞り込んでいるそうだ。
長男の話によれば「法的には許容範囲の商品」だが、ユーザーの批判が恐くて、他のメーカーでは「ここまでスペックを落としていない」と言う、微妙なレベル(法的には許容範囲だが消費者は許さない)の商品のようだ。それゆえに、東芝は簡単に「欠陥商品でした」と詫びが入れられない。
「欠陥商品か?」の法律論争になれば「東芝の勝」になる可能性を秘めているが、消費者の立場に立てば、「見るに耐えない」商品は「欠陥商品」である。このことがまるで分かっていない。

おそらく、両者とも「意地」になっていよう。
法律で裁くか、消費者の目で裁くか「意識の差」である。司法関係者を動員して、東芝は勝利に持ち込もうとしているのであろうが、それに何の意味があろうか?消費者の裁定はとっくに「東芝の負け」である。
最後に意地悪なことを言うが、「喧嘩は相手を見てやれ!」である。プロの知識を持ったHP氏が、消費者のレベルで挑んできたのだ。これほど恐い相手はいない。相手を見くびって「高いツケ」を払わされようとしている。

990723追記 掲載した日に和解が報道され、翌日HPは閉じられました。
990721優雅な?ホームレス
同年で「元気な貧乏」を続ける3人が、安酒を飲んでいる。何かのきっかけで「ホームレス」の話題になった。何と、大阪市のホームレスはついに一万人を越えたそうである。 
公園のトイレ近くから「小屋掛け」が始まる。
最近公衆トイレは「実に綺麗」で、中にはウオッシュレットまで付いていることすらある。俄かホームレスだけに「不潔な生活は耐えられない」
大阪市が定期的に無料で銭湯を開放していることから、結構「小奇麗なホームレス」が多い。
小屋掛けが「垢抜け」してきた。何せ「各種(元)職業」が揃っている、ブルーシートが主材量であることは変わっていないが、最近では2階建ても登場してきたそうだ。
川に面した公園では「家庭菜園?」が始まったと言う。電柱から盗電でポンプを回し、畑を耕しているそうだ。

思わず、「自治会ができるのではないか?」と冗談を言ったつもりが、「もう有る」と言う。たしかに、非常に規律正しい?生活をしている。
更に「健康的だ」と言う、過食がないので「デブ」がいない。それだけではない、日の出と共に起き「テニスに興じる」ホームレスの話題になったとき「とっちが惨めか?」と疑問が沸いてきた。私は、精神的苦痛から開放?され、血色の良い彼らが「目に浮かんだ」
990723誤審
野巣虎堕蒸さんの書いた膨大で難解な詩が「大予言」と称して一人歩きしている。それによると「1999年7月、空から大魔王が降ってきて」地球は終わりだそうな。ところが、そんな兆候がないので「あの解釈は間違っており、もう少し先だ」などと言い出した。
騒いだ割に誰も避難したり、悲観して自殺したりしない。結局、恐がってみせただけで「誰も信じていなかった」と言うことか?!迷惑な誤審ですね

プロ野球は、我が愛する中日ドラゴンズがトップで折り返しとなった。
オールスターを控え「お休み」に入ったが、昨夜行われた最終戦「巨人vs中日」は大荒れに荒れた。
特に8回の巨人攻撃で、ライトフライをダイレクトキャッチしたのに「ショートバウンドした」として「セーフ」の判定となった。大誤審である。
誤審はままあるのだが、何故か「対巨人戦」に多く、何故か「巨人有利」に誤審される。誤審が基で試合が逆転された例もあり、巨人以外のチームの「審判団に対する不信感」は根強いものがある。

ストライク・ボールの判定はグレーゾーンでなかなか異論を挿み難い(それでもどうかと思うこともある)が、アウト・セーフの判定は、相撲のように予備システムとして「ビデオ判定(足が速いか?球が先か/捕球か?落球かと言ったことは、ビデオでかなり明確に判断できる)」を取入れても良いのではないか。
特に昨日は、グレーゾーンになる余地のないほど明確な「大誤審」であった。新聞記者からビデオ映像を見せられて、それでも「私の目はワンバウンドであった」と明言している。おそらく、間違いを認めることは「権威失墜」になると判断したのであろうが、かの読売テレビですら「大誤審」と認める中でのこの発言は、巨人審判団に対し不信感を植え付けはしまいか?
疑問も有る。このプレーで巨人の走者(松井)は急いで帰塁している。これは、松井が「捕球を見た」と考えるのが素直であろう。こういう場合、プレイの公正さを保つため巨人サイドから申し出ることは出来ないのだろうか?

健康的な「誤審」を紹介します。
この暑い最中、ビールが美味しい季節なのに、ビールを飲むと「シンドク」なる。心臓に病を得てから「冷えること」が大敵で、昨夜も「熱燗」を注文した。
オチョコに熱燗を入れ「キュっと一杯」飲んで首をかしげた。それでも念のため、もう一杯飲んで、友人に確かめてもらった。
中身は「徳利を暖めるために入れた白湯」であった。私の健康を気遣って頂き「ありがとう」とお礼を言った。
お店のお姉さまも私たちも「大笑い」の誤審でした。

追記
ハイジャック事件があった。「飛行機を操縦してみたい」と言う「精神異常者」によって、副機長は追い出され、機長は殺された。異常な機動に気付いた「たまたま乗り合わせたパイロット」によって事無きを得たが、一歩間違えれば大惨事になっていたであろう。
犯人は『精神異常者』と言うことで、名前さえ公表されていない。こればっかりは「誤審」で済まされない。
990724脇役の心
梅雨が明け、連日30℃を越す猛暑が続いている。風通しの良い我が家だが、流石に昨日からクーラーの使用を始めた。
今時「1年を振り返る」がごときの感想は、死出の旅を急ぐようで縁起でもないのだが、面白い附合に気付いた。
設計業務(建築士)の多くは、クライアントと並び主役を務めることが多い。もっと言えば、クライアントの全面的信頼を得られれば「一人主役」と言った趣である。それが今年になって「ない」のである。例えば、【 】内が主役である。
 1.駐車場ビル【駐車場メーカー】(ほとんど絶望)
 2.大規模マンション【某大手住宅仲介会社】(現在進行形)
 3.T県O町郷土資料館【イベント事務所】(?)
 4.ビデオレンタルショップ【デザイン事務所】(現在進行形)
 5.住宅資料館【企画事務所】(進行形?)
住宅資料館(黒子をしている)以外、図面のタイトルは「当社」になっているのに、まったく主役の気分がない。全て脇役の立場で「主役が動きやすい」ことを念頭において行動している。
言いかえれば、建築屋だけで「コンセプト」を作れる要素が減ってきたように思うが、いかがであろうか?
例えば、大規模マンションは「賃貸」を目的としているが、規模が大きいだけリスクも増える。リスク回避のために、賃貸保証と引き換えに「某大手住宅仲介会社の意見を全面的に取り入れ」設計を進めている。

脇役をしてみて「気付く」ことも多い。
建築屋に変わり「主役に踊り出た」業種の人たちが、建築基準法をまるで知らないことに驚く。「盲、蛇におじず(差別用語でゴメン)」で、なんでも有りである。彼らの知識に制約(建築基準法)がないだけ「発想が自由なのか」とも感じてしまう。
コンセプト作りに参加するどころか、「法規のチェック役に終始」することのほうが多い。それも、脇役の辛さで「親切丁寧に」基準法を説明しなければならない。救いは「検査済証が不可欠」なことである。この必要がなかれば彼らのパワーに押し切られるのではないだろうか。
ただ、とっぴとも言える彼らの意見を「現行法規の網の目の中」で「いかに反映させるか」と言う、知的作業は結構ワクワクさせるものがある。案外「大根役者(無知な主役)を引立てる」面白さが、脇役の醍醐味かもしれないと思っている。

歳を取ると「食い意地」が張り、機会も増えたのだが、先日も会食の席でこんな話題が出た。
若い人達が「グルメになる」だろうか?と言う。私はこの質問に懐疑的である。
ある料理人と話したとき「インスタント食品の味に恐怖」を感じていることを知った。味に「絶対値」があるなら、彼らは自信を持ってこれからを迎えるであろう。しかし、そんなものはない。若い人たちが、これだけ「インスタントの味に馴染む」と、インスタントの味に近いことが「美味しい」基準になるのではないかと恐怖を感じている。これは必然的に味の均一化を招く。
こんな時代が来たときの「素敵なレストラン」は何であろう?
汚い店やけど「味はエエデ〜」等といったことは成り立たない。味の均一化は、店の「雰囲気勝負」をエスカレートさせるのではないか?私のこの意見は結構支持された。
そうなれば、更に建築屋は脇役に徹することになろう。
コックすら「主役」ではないレストラン!!これって怖くないですか?
990725言い訳尽くしの「天神さん」
---近畿の風物詩---に掲載。是非ご覧下さい
990727雑談
台風5号は、朝鮮半島に去ろうとしています。3日振りにクーラーを使わず、自然の風の中で眠ることが出来ました。
事務所のクーラーは、3台中2台が故障している。3台フル稼働でも真夏はキャパオーバーなのに、2台故障すると『天然サウナ』です。勿論、修理依頼をしているのですが既に1週間が過ぎています。もう我慢の限界で「なんとかして!」と社長に電話しました。実は社長とは懇意なのですが、庶民が「修理を頼むと…」どんな状態か?試してみました。皆さんこんな風に「クソ暑い中」待たされているのでしょうね。

チョット避難で「床屋(古いね〜)」に行きました。(昨日のこと)
この店「腕は抜群」座るといきなり洗髪から始まります。勿論整髪後にもう一度洗髪があります。理容師のほかにアシスタントがつき、至れり尽くせりのサービスです。事務所から至近で、都心の有名ビルの地下に有るのに、料金は1割アップ程度です。
でもこの店「怪しいのです」
いすを替えて「ホストクラブ」の看板を上げても不自然ではないくらい「20代の美形(男性)」を揃えており、女性は一人もいません。雰囲気は「ホモクラブ」です。髭剃りのときなど「けつがモゾモゾするくらい」気持ちが悪いのです。だから、友達に紹介しても「二度と行きません」
とんでもない!!私だって『そんな趣味』はありません。
990728収益物件と責任
不動産業界や銀行筋で「収益物件」と呼ばれる建物がある。読んで字のごとく「収益を上げる」ための建物の総称である。賃貸のマンションや事務所、自営の店舗から広義には診療所まで入る。
芸術作品と違って、収益物件では「集客性」が建物の善し悪しの基準となる。ある診療所で、余りに患者が来ないのは「建物が悪いせいだ」として、訴訟されたケースもあると聞く。これなどどこかおかしな話だと思うが、大なり小なり収益物件について回る要素に違いない。

収益物件は「いかに若者の気を引くか」に成否がかかっている。ファッションやレストラン関係だけではなく、マンションと言えども最大の顧客は「若者」である。いかに若者の感性に訴えるかが「集客性」の重要な要素となる。
私の「賞味期限」がどれだけ残っているか分からないけれど、若者の感性から見放されたときが、現役引退と心に決めている。
若者の感性から見放されれば集客性はがた落ちとなり「悪い建物」しか作れなくなる。芸術作品と異なり、市井の建築屋は若者の移り気な感性に常に晒されている。皮肉ではなく、建築賞受賞作品で「閑古鳥が鳴いている」と言ったことは珍しくない。先生方と若者の審査基準の相違と言うことであろう。
時々、若者をテーマに「馬鹿な記事」を載せているが、私にとって重要な情報でもあるのだ。雑学は趣味であるが、生き残る重要な手段でもある。

今、設計事務所が「設計する」だけでは生き残れない。
受注の手段として始めた企画提案のサービスが、いつの間にか「最も重要」になっている。少なくとも「図面書き」は巷に溢れており、「図面が書けます」だけではオリジナリティーある仕事に結びつかない。
企画提案があってクライアントが獲得できる。
企画提案は「建物計画」だけではなく、融資斡旋や交渉の代行、テナント保証まで踏み込んだものになる。当然それによる、集客性の裏付けとして数値が大事である。それが「事業計画」であり、事業収支として現される。
私の事務所でも「図面を書く」のは、年に3ヶ月程度に過ぎない。後は企画作業や、行政、近隣等の刷り合わせに費やされる。まさに、図面は「最終段階の証」に過ぎない。当然、図面に対する付加価値は下がる一方となる。そんな訳で、建築屋が「主役」になる可能性はますます薄らぐだろう。

「土地本位制からの脱却」で触れたように、土地担保での資金調達は今後ますます困難になろう。我が国でも金融の自由化を受けて、シティーバンク(アメリカ)を利用して資金調達をする人が出てきた。そこで資金調達できるか否かは「事業計画と収支予想」に掛かっているそうだ。私はまだ経験がないが、企画立案者(事業計画作成者)が事業の共同責任者として名を連ねることを要求される。つまり「机上の計画」だけでは許されず、計画が破綻したとき共同責任を負うことになる。今後は国内資本の銀行でもこの方式に移行していくであろう。
このことは、従来の形態では済まなくなる。
僅かな設計料で「共同責任」が負える筈がない。企画者は共同責任を負う代わりに「長期に渡り利益分配に預かる権利」が生じる筈である。当然、企画と設計が分離する時代が来るであろう。そうなれば、設計者はますます脇役になっていく。

私の願いは「一生一技術者」に過ぎない。
自分のオリジナリティーやクオリティーを確保する手段として「企画」に手を染めたが、いつか「二足の草鞋」が不可能なときが来るのだろう。そんな時代が来る前に「現役引退」をしたいものだと思っている。
990729和解の困難さ
Eバトルは終わったのか?
終結宣言だけで「どのように和解したか」等とは報道されていない。あれだけ揉めたのだから、少なくとも東芝の「主要新聞に謝罪広告」くらいは最低の条件になるだろうと予想していたが、それらしきことは何一つない。
そこで、再度HPに接続してみた。HP氏の「疲れたからもう止める」との意思表示に続いて「その後の東芝」が延々と説明されている。

「Eバトル2」で私は次のように締めくくったが……
最後に意地悪なことを言うが、「喧嘩は相手を見てやれ!」である。プロの知識を持ったHP氏が、消費者のレベルで挑んできたのだ。これほど恐い相手はいない。相手を見くびって「高いツケ」を払わされようとしている。
この言葉は今も生きているようで「終結宣言」と裏腹に、とても終わったように思えない。
余りに用心深く、常に「人を疑って掛かる」のは寂しすぎると思っている。
そんなわけで、よく騙される。何も弱いのは「美人に対して」だけではない。
大阪市内の遊休地(担保が設定されていない)の活用計画を依頼された。
机上の空論は嫌いなので「制度融資の利用」や「企業による一括借上げ」等の裏付けを取って「駐車場+学生マンション」を提案した。最近では、例を見ないほど「高収益」が予想され、クライアントも認める「リスクの低さ」であった。
それでも「アメリカにおける不動産投資の収益率(30%)には及ばない」と言われ、更にコストを詰めることを要求された。ほとんど「実施設計に近い」状態まで資料を作り、再提出したが後が続かない。
帰国中にもかかわらず何の連絡もなく、伝わってきたのは「遊休地を担保に借入話(別用途の資金調達)が進行中」と言うことだけで、当プロジェクトに対し「急に熱が冷めた」様子である。

企画が全て「順風満帆」に進行するなどとは思わない。ある日突然事情が変わり駄目になることもある。しかし、
 1.少なくともクライアントの依頼で始まったことである。
 2.さらに、リクエストに答えて詳細資料を作るため、
 「複数の企業を巻き込むプロジェクト」に肥大している。
 3.それに提出した企画は「堂々と胸を張れる内容」である。
終わるならば、納得できる説明があるべきであろう。
クライアント(もうそう呼ぶべきではないのだろう)K氏の行動は「何事もなかった」かのように自然消滅を狙っているとしか考えられない。当然、プロジェクト終焉の事情説明も費用負担も全て「ウヤムヤ」がご希望らしい。

K氏が語る「アメリカでは」と言った話しに心底耳を傾け尊敬もしていたのに、こうゆう仕儀ともなれば「自慢話を拝聴するために膨大な経費を使った」だけのようだ。
K氏の行為をアメリカで行えばいかなることになるのであろうか?契約社会でかつ訴訟社会だけに無事に済むとは思わない。それが何故「日本では許される」と決め込むのであろうか。契約書こそ交わしていないが、K氏の依頼を知る人は多く、法的に『契約の存在』は証明できる。国際人を自認するK氏らしからぬ振る舞いと思う。

私は、しかるべき事情説明を受けられるなら「穏便に」終わろうと思っている。しかし、あくまで「ウヤムヤになる」とタカを括っているなら、久しぶりにdogfightも面白い。
990730夢を買う
前後賞を合せれば三億円と言う「ジャンボ宝くじ」もすっかり定着し、年に何度も行われている。当たるはずもないと分かっていながら『夢を買う』
楽しいのは、「購入から発表」までのわずかな期間だけである。だから、有効期限ぎりぎりまで「番号確認をしない」と言う人もいる。知らないことで夢は持続する。
先日「一億円あたったら何をするか?」と、突然聞かれた。夢を見るくせに「当たるはずもない」と言う刷り込みが有り、答えを用意していないものだ。少し考えて「世捨て人」と答えた。俗世界と縁を切り、誰も知らない土地で世間のしがらみのない世界に逃避する。
どうも少し「お疲れ気味」のようだ。
 
これから出張。久しぶりに関東に行く。知人に連絡した。
『ウナギの話、覚えてる?』
「はい、覚えていますよ」
そんなわけで、今夜は美味しいウナギにありつける。
実は、お国自慢で「何処のウナギが一番美味しいか!」と言う話になった。もう2年前の話である。それぞれが生まれ故郷の味が一番と主張する。では『一度食べ比べよう』と言うことなり、その第1回目である。あの時のメンバーが全員生きている間に決着がつくであろうか…
食い意地付きの「ささやかな夢」が続いている。
990731浦和のうなぎ
Mさんは慶応ボーイ。
大阪在勤の23年も、ずっと「べらんめ〜調」で過ごしていたから、てっきり「江戸っ子」と思っていた。東京本社へ役員として栄転することになり、その送別の席で浦和の出身と知った。Mさんは「浦和のうなぎが日本一」と言う。なら「食べさせろ」と言うことになり、2年余が過ぎた。やっとあの時の「約束」が実現した。
南浦和の駅に降り立つとMさんが出迎えてくれた。Mさんの後任で大阪支店長になった方や、次長も本社の会議に出席するため「こちらに来ていた」と言うことで同席となった。思わず「南(大阪一の飲食街)みたいだね」と言ってしまった。以前は良く一緒に飲んだものだ。
 
何処へ行っても好奇心は100%
「大きな河川も沼もないのに何でうなぎの産地なの?」と尋ねた。この地方は涌き水の湧水量水質共「日本一」のところで、古くからうなぎの養殖が盛んであったそうだ。ちなみに、「浜松のうなぎもスタートは浦和」だそうである。そんな訳で、うなぎの元祖を自認していらっしゃる。
後で気が付いたが、街中「川魚料理の店」がいっぱいであった。

詳しくはホームページの私のグルメ「郷土料理」で紹介するが、この大きさをご覧頂きたい。比較対象においたタバコがこんなに小さく見えます。これで「蒲焼一人前」です。Mさんの話によれば、「最も少ないコース」を注文したそうである。

990801追記出張中の出来事から
 キープレフト
東京って逆なんですね。なにがって?「エスカレータで並ぶときの左右」の話です。大阪では「立ち止まる人は右側」ですが、東京は「左側」でした。誰が決めたわけでもないのに面白い現象ですね。
 一億円と世捨て人
出張の途中「一億円と世捨て人」の話をしました。
お前な〜「本屋はないぞ!本なしで暮せるか?」「パソコンはないぞ!インターネットもホームページもないぞ」
「………」
「沈黙してるようじゃ無理だな」
 日本一の福祉
介護保険がまもなくスタートします。とかく批判の多い制度ですが…
ホテルで迎えた朝。
テレビで介護保険に関して「日本一の老人福祉先進地域」を見ました。人口2万余の小さな町のことです。この町では「24時間在宅介護」をしています。
真夜中、巡回の介護員が「そっと玄関のかぎをあけ」ています。お歳寄りのオムツを取り替えてるためです。なによりも気遣うのは「同居の家族を起こさないように」だそうです。
これが福祉日本一の実態なのでしょうか?家族とは?


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