dogfight高松の長すぎるひとり言
1999年5月

保険始末記昼寝の夢自衛隊体「バラバラ」心「うきうき」子供の日ゴールデンウイーク決算危ない社会国語的か?数学的かちょっとメルヘン旧家久しぶり店2件50過ぎれば公約と地域振興+背番号消えた渋滞鰊と東北訛り発想の違い風水の家不思議の星のお役人変な禁煙+稀有な人々和をもって貴しとなす当り前クラス会?
990501保険始末記

先月、家内が怪我をした。怪我そのものは1週間で治ったが、頭部だけに出血が凄く見事な動転ぶりであった。一難去って「何か保険はないだろうか?」ということになり、探せばあるものだと感心した。

家内本人が加入している保険はない。
家内は出産後、時々「気を失う」ようになった。近所の診療所で診察を受けたが原因が分からない。結局知合いのドクターに相談し「成人病センターの脳外科」に通うことになった。
私あてに連絡のあった診断は「後天性の癲癇」ではないかとのことであった。ドクターの推理では「子供の頃、脳内部に傷を負う怪我をしたが発病する事無く過ぎた。しかし、出産と言うストレスで発病した」のだろう。更に「治療は一生もの」とも。
それでも、10年程の通院治療で「無罪放免」となったが、保険に加入することが出来ない前科となった。この怪我は、再発を伴うのではとの危惧を持たせたが今のところその気配はない。私はほっとしている。
私と、息子が加入している傷害保険に「家族欄」があり「チェック」が入っていることが分かった。ダメモトで問い合わせたところ「保険が支払われる」とのこと。合計して5万円を少し超す費用が振り込まれてきた。家内は「私が貰っていいの?」と言う。痛い思いをした代償であり、喜ぶべきこととも思えないが「嬉しくて仕方ない」らしく、家内の計算では「随分儲かった」ということらしい。なんとも女は不思議な生き物である。そんな家内の様子を見て、息子が一言。「林の気持ちが分かるな…」

ちなみに、「林」とは、保険金詐欺・毒入りカレー事件の犯人と目されている
990502昼寝の夢

春眠暁を覚えず。全く眠い日が続く、これは医学的にも証明されているとかで、ホルモンの関係で「大変眠い」そうである。川柳で「朝寝して 夜寝するまで 昼寝して 時々起きて うたた寝をする」というものがある。昨日はそんな一日であった。

今朝起きて、端午の節句の結末が思い出せない。暫く考えていて「昨日、昼寝で見た夢か…」と、おぼろげに思い出してきた。季節柄そんな夢を見たのだろう。
叔母さん達が突然やってきて、私の孫の「節句の祝い」をするという。場所は田舎の家であろうか、田の字に並んだ和室の襖を取り払い、広い会場を用意しだした。こんな風景で記憶にあるのは、田舎の「本家」しかない。ただし、伊勢湾台風で倒壊しているが…更に言えば、私にはまだ孫はいない。
会場に、高足膳と座布団が並べられ出した。長持ちから衣装を出し、孫に着せている。どうやら先祖から伝わる「節句の衣装」のようだ。私は初めての経験にわくわくしながら、デジカメを用意して、インターネットに乗せることを考えている…

そこから先の記憶が無い。ぐっすりと寝入ったのであろう。それを今朝思い出した…何と間の抜けた夢ではないか。でもなんとなく楽しく、まだ見ぬ「孫」に思いをはせた。

990502自衛隊

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」は日本人の得意技である。
北朝鮮のミサイルや不審船に揺れても「一時のこと」に過ぎない。
最近は、「周辺有事」をめぐり国会が紛糾しているが、反対を唱える野党には「ミサイルや不審船」ははるか昔のことらしい。毎週日曜日は「政治番組」が放映されるが、一国平和主義の脳天気ぶりは相変わらずである。政治家は「歴史から学ぶ」ことをしない人の代名詞であろうか?
古くは地中海の覇者「カルタゴ」がローマ帝国に滅ぼされるように、軍備を持たない平和主義で、平和を全うした国があったであろうか?北欧諸国は第2時大戦のおり逸早く「永世中立」を打ち出したが、相手にされること無く、ナチスに蹂躪される。ナチスや、ソ連にとって「無防備な国」は単にご馳走に過ぎなかった。
永世中立といえばスイスが引き合いに出されるが、かの国の「重武装」は有名であるし、交渉の場として有用であったに過ぎない。

自衛隊は、世論調査で7割以上の指示を受けながら「コンセンサスが無い」と、進歩的文化人やマスコミから認知されない。本に現れる「自衛隊」も、マスコミを反映してか、認知されたものがほとんど無い。やたら好戦的な集団や、スーパーマンみたいな特殊部隊として描かれることが多い。そんな中で昨年、二冊の本が世間の注目をやや集めた。
 麻生幾「宣戦布告」
北朝鮮特殊部隊が北陸「原発地帯」に潜入暗躍する。警官隊が対応するも「死人の山」を築くのみ。結局「自衛隊の出動」で決着を見るが、その間「政府対応の無様さ」や、自衛隊に対する「ありとあらゆる手枷足枷」を題材としている。
 横山信義「東京地獄変」
中国のテロ組織により、東京に核ミサイルが打込まれる。一瞬にして「政府が蒸発」し、シビリアンコントロールを持たぬ自衛隊が「救出に出動」する。いつまでも「代理政府」が出来ぬ苦悩の中で、自己犠牲(原爆症で隊員が次々に倒れていく)を払いながら、活動の限界を模索する自衛隊が描かれる。

両作品では、シビリアンコントロールを受け入れている自衛隊に対し「有効な制御が出来ない政治家や官僚」の問題点が浮き彫りにされている。
世界第3位の規模といわれながら、実体の無いの自衛隊。防衛出動には「赤信号を守る」ことが義務づけられているし、私有地を通過するには「地主の同意」を必要とするし、指揮本部を設置するには「自治体の許可が必要」といった問題。有事が発生してから「弾薬を注文するシステム」のため、自衛隊には継戦能力が全く無いといった「ばかげた実態」が浮き彫りにされている。
隊員自身にスポットを当てた作品では、随分前の作品であるが、三浦朱門氏の「光遥か」がある。「いわれの無い迫害を受けている自衛隊員に光を当てたかった」と氏自身が後書きで述べておられる。ほのぼのとして秀作であった。
最近では、「兵士に聞け」という凄い題名の本がある。内容は、10年以上にわたる「密着取材」で自衛隊員の素顔が描き出されているが、難点を言えば「やや重い」内容となっている。だが、思わず「涙が出る」ほど充実している。国を守ることの苦悩が「国民から後ろ指を差される」ことで更に深まる、こんな世の中は間違っていると私は言いたい。

990504体「バラバラ」心「うきうき」

連休中初の「本降り」
昨日、久しぶりに「釣り」に行った。本当は、釣りはそっちのけで「船で昼寝」をしようと思っていたのだが、予報通り昼前から「荒れ模様」となり、小船で踏ん張っていたのだろう「体中の筋肉が痛む」。立ち居振舞いが困難。
釣果はたいしたことはない。やや小ぶりなイサギとガシラが少々。でも「気分はタイ釣り」であった。

同行のS氏は、10余年親交が中断していたが、私と同じ生年月日を有する一人である。その間にそれぞれに変化があり、かっての「仕事一筋」が、余暇を楽しむライフスタイルに変化してきている。50歳を過ぎて、仕事以外に楽しみが見つからない人生は寂しすぎる。手法は少し違うが、仕事を減速して「生きざまを見つめる」ことには変わりない。また、よき仲間が出来た。

990505子供の日

夜半は春の嵐であった。夜明けと共に風雨収まるも曇天
新聞を手にしたら「明日は休刊日」とある。最近は休刊日が増えたけれど、システムは変っていないと気付いた。

最近、新聞配達はほとんどプロの世界となったが、日本がまだ貧しかった頃、少年の貴重な収入源であった。
私も小学生時代は「新聞少年」であった。休刊日は年3回、1月2日/5月6日/11月24日で、「作る人」が休む翌日が休刊日になるため、全て祭日の翌日である。子供心に疑問を感じて「なぜ5月6日が休刊日ですか?」と尋ねたことがある。答えは「子供の日だから」であった。全く要領を得ない答えであったが、大人となり、自分なりに答えを見つけている。きっと「新聞を作る人にも『子供があり』その人の家庭サービスのために、休刊日があるのだろう」と。
そこには「新聞少年を休ませてやろう」という配慮はカケラも無かった。当時、私の最大の夢は「思いっきり朝寝坊がしたい」であった。祭日の翌日が休刊日では、学校があり朝寝坊が出来なかったのです。

これから、近所に住む若夫婦に招かれて「子供の日」のお祝いに行ってきます。日本は平和になりました。新聞少年は見掛けなくなりましたが、「寝不足少年」は相変わらずいっぱいいるようです。テレビゲームでしょうか?それとも「塾通い?」結局、変っていないのでしょうか!

990507ゴールデンウイーク決算

一部の企業では今週いっぱい「休み」のところもあるが、GWも終わろうとしている。
今年のGWも海外旅行は花盛りであったようだ。これは庶民に限ったことではない。主立った政治家も一斉に海外に向かった。

小渕首相は12年ぶりの訪米とか。都市でパフォーマンスをしてからワシントン入りしている。パフォーマンスはなかなか評判であったようだが、肝心のクリントン大統領には「軽くあしらわれた」ようだ。コソボ状勢は「風雲急」を告げており「それどころではない」といったところか。
野党の党首も外国の元首の御機嫌伺いに出かけている。野党筆頭の民主党・菅代表は中国に行き歴史認識の統一」を進言したそうだ。日中から歴史学者を集め「過去の歴史評価」をするのだそうだ。また、ガイドライン法案に盛り込まれた周辺有事に「中国は含まれない」と明言したそうだ。この人は「本当に政治家なのだろうか?」菅代表には「独立国/日本」はないようだ。「むかし社会党、いま民主党」どうして、我が国には健全な野党が育たないのであろうか。これでは安心して政権交代を選択できない。

私のGWはあまり楽しくはなかった。釣りが1日。子供の日の集いが1日。酒の飲み過ぎで体調「絶不調」。仕事は時間の割に進展せず…焦らない焦らない

990509危ない社会

かって流通業界の雄ともてはやされたダイエーも凋落の一途を辿っている。先週は、ハワイにある世界最大のショッピングセンターを売却したが、ダイエーの負債総額の4%しか改善されないとか。

今日は義母の7回忌。早目に家を出て、途中ダイエーで買い物をしようとしたのが間違いであった。朝市をやっている、果物や野菜が結構安い。ご仏前にと、スイカにバナナそしてイチゴを籠に入れレジに並んでから、腹が立ってきた。その段取りの悪さたるや「これじゃ、危ない会社になるな」と思わせるものであった。
戦略上もっとも注意するべきは「ツーリトル・ツーレイト」である。「必要なものを小出しに、かつ遅れて出す」ことを意味する。朝市開場の中央にレジが一台。レジを待つ長蛇の列で「朝市開場が分断」される。客が右往左往しだした。
結論から言えば、最終的に「レジは3台」に増設されたが、連結ではなく全く違う場所に、バラバラに設置されたため「レジが増える毎に客が我先にと争う」信じられない後景が出来た。最初から売り場と分離して3台設置すればよいのに。
籠売りや箱売りと行った「大きなロット」で売っているのに、値段に端数を付け更に消費税を上乗せするため、つり銭でレジが余計混雑する。朝市などは「消費税を内税にして、千円単位の買い物」にしてもよいのではないか。
レジは2人1組で行っているが、レジ打ち込みとつり銭担当が同一人のため、つり銭を用意している間、レジが止まってしまう。つまり「分業体制」が全くなっていない。

ちなみに、ダイエーが朝市を開催するのは始めてではないそうである。私は「レジを済ます」のに35分の行列に巻き込まれ、肝腎の法要に遅刻してしまった。いくら果物が安いからといって、35分も並ぶことが分かっていたら、買い物をしなかったであろう。ダイエーが、かくも素人集団であるとは、私は初めて知った次第である。これでは会社も危なくなるはずである。

990511国語的か?数学的か

血液型で性格判断をする人がいる。なぜか「決め付ける」タイプの人が多い。しかし、4つの血液型で全て分類されるのまっぴらである。ただ、15%しか存在しない[B型]なのに、技術屋にはやたら多い血液型であることは認めなければならない。ちなみに私もB型である。

性格ではなく、行動や思考パターンで「国語型」と「数学型」があるのではないかと常々考えてきた。その際、「私は数学型」と自己分類もしてきた。ところが、ホームページを開設してから「国語型の人だとは思わなかった」という指摘を何人もから受けるようになった。これには私自身が混乱した。
その後、定義に付いて話す機会があり、混乱が解決した。
それによると、「一つのことしか見えない型が『数学型』と言う」らしい。私は「複眼的にものを見る(あるいは思考する)のが『数学的』と理解」してきたが、どうも世間は逆らしい。私が逆らっても仕方が無い。世間の多数(と言っても限られた世界)が定義するままに、今後「国語人間の高松です」と自己紹介することにしよう。
(どうも、私は複眼的な思考をする人間と思われていなかったようです。だからdogfight等と言った渾名を冠したのでしょうか)
ついでで「火事に対する対応」から行動や思考パターンを探ってみよう。
 1.消火作業はせず、出火原因を特定する「会議を開く」
 2.とにかく「火を消す」。その後、出火原因をこじつける(決して究明ではない)
 3.火を消しながら、出火原因を考え「今後の防止を考える」
あなたはどのパターンであろうか?私は、第3のパターンになりたいと思っているが、第2のことが多い。この分類と「国語型・数学型」を組み合わせれば如何なる分析が出来るであろう。何方か「挑戦」をしてはいただけまいか。

990512ちょっとメルヘン

ホームページを開設してみて分かったことがいくつかある。
まず、開設そのものは決して困難なことではない。だが、内容の創造が大変ではないかと感じる。私の場合は、さいわい昨年からか書き溜めてきたものがあり、掲載内容に不自由はなかった。むしろ、はけ口を求めて当たり構わず私が書き物を送り付けるため、辟易した連中が「HPを勧めた」と言うのが真相に近い。しかし、そういう準備の無い方にとって「決断がつかない」理由になりそうに思う。

次にネーミングである。これには結構悩んだ。私のHPで「ひんしゅく」を買うのは、
 1.「ひとり言」にしては長すぎる
 2.その顔で「ちょっとメルヘン」は、ないやろ!

という2点である。長すぎるひとり言は認めるが「ちょっとメルヘン」と顔には何の関係もない。サブタイトルで最も気に入っているのが「実はコレ」で、電車の中などで「つい、思い出し笑い」をしてしまうほどである。イベントの度に「馬鹿げたネーミングの名人」と自他ともに認めているだけに、傑出したサブタイトルであった。

自己満足のためのホームページなら、開設そのもので「目的を達した」ことになる。しかし、毎日増えるカウンターを見て「ニッコリ」したいのなら、相当の努力が要るであろう。一部の方でその向きもあるようにお見受けもするが、大多数は私同様「自己満足あるいは自己探求」型のようである。それでも、見知らぬ方から「感想を告げる」メールを頂こうものなら、幸福の極みとなる。まさに「至福の時間」を味わうことができる。
始めたばかりの私が偉そうに言えることではないが、HPの更新を苦痛と思うか、楽しみと思うかが「継続の分かれ目」になるのかなと想像している。

以前、ボランティア活動を行っていた。そのきっかけは、「ボランティアは太く短くで良いのです」という、指導者の発言であった。ボランティアを無理に続けようとすれば「苦痛になる」から気楽に、「したいときだけボランティアをすれば良い」ということであった。案外このことは何にでも当てはまることではないかと思っている。私も「突然ホームページを止め、ボランティアに復帰」するかもしれない。それで良いと思っている。

990513旧家

K氏は大手鉄鋼会社の部長でありながら、私のような若輩者とも「飲み友達」として気さくにお付き合いを頂いている。先日も、お店に入って行ったらいきなり「高松さん、えらいことやねん」と、待ち構えていたように話が始まった。それによると…
K氏の実家は徳島にあるそうだ。蜂須賀候の徳島入部に付き従った武士の末裔で、ルーツを辿ると「木曾川並衆」に行き着くそうである。今も、病院を経営なさる叔父さんが徳島在住で旧家を守っており、この度その旧家を「250年前の姿に忠実に復旧」なさったそうである。復旧なった旧家は今後記念館として一般公開されるそうである。
K氏のおばば様が大阪に嫁入りの際、持ってこられた黒檀のたんす類があり、それを徳島の旧家に展示するため運ぼうとするのだが「引き受けてくれるところが無い」と言う相談であった。
搬送は費用が掛かってもよければ責任を持って探しましょうと請け負った。その代わり、徳島の旧家を是非見学させて欲しいとお願いした。近い内に「ホームページ」を飾る出来事になろう。

搬送の件を話しておこう。
日通に「美術部門」があり、このセクションで美術品搬送を専門に扱っている。手順はこのようになっている。
 1.美術専門家により「評価鑑定」が行われる。
  この鑑定により、取扱い方法や保険料は変わるそうだ。

 2.専門家により梱包が行われる。なお、搬送先の調査も行われるそうである。
 3.最低でも4TON車を借り切り、輸送が開始される。
こんな手順で、箪笥を搬送するには70万円を下らない費用が掛かるそうである。最も私の予想で50〜100万円の範囲であったから、驚きはしなかった。

私自身が箪笥を見ていないため、何とも言い難いが「美術品としてVIP扱いが適切か?」の疑問が残る。ただ、K氏が依頼された運送会社は「箪笥を見るなり尻込み」されたそうであるから、ただ者ではあるまい。今後続編を紹介したい。

990515久しぶり

久しぶりに風邪をひいた。酷くはないが、喉がいがらっぽく扁桃腺が脹れているようだ。疲労が溜まっていることもあり、少しシンドイ。しかし、これまた久しぶりに大型のプロジェクトがあり、のんびり体を休めているわけには行かない。

久しぶりの大型プロジェクトで大阪市と協議をしながら計画の詰めを行っている。随分色々な課と協議をするのだが、毎度同じ感想を持つ。A課とB課がヘッチャラで矛盾した指導(法律ではない)を行うことである。時には法律より行政指導が優先することもあるし、「いったい大坂市長は何人いるのだろう」と言うほど横の連絡が無く、同じトップを頂く組織とは思えない。民間企業なら有り得ないことだし、あればすぐに責任問題に発展するであろう。
とはいえ、体を休めながら家で仕事をしている。久しぶりにプロ野球の中継を見たが、「昔の光り今いずこ」の厳しい世界であることにいまさらながらに気付く。かって、一世を風靡したスタープレーヤーが「敗戦処理」で登板する姿は哀れを誘う。歳を取り、少し気弱になると、利用価値だけで評価される世界が恐くもある。

コマーシャルで「楽器」の調べが流れてくる。無い物ねだりで、憧れながら手のでない世界が楽器である。楽器を自由に引けたら違う世界があったかもしれない。久しぶりにそんなことを思い出した。取り止めの無い話を許されたい。

990516店2件

家内が風邪(自主申告)で寝込んでいる。喉だけではなく、下痢と嘔吐を併発している。なかなかの状態であるが、病院に行くのを拒んでいる。当然であるが、私の風邪気味は家内が原因と思われる。
そんな訳で近くの喫茶店にランチを食べに行った。なかなかの味のクラブハウスサンドを食べさせてくれる。しかし、これほど「段取りの悪い店」はない。前回は「サンドとコーヒー」を注文したのだが、いきなりコーヒーが出てきた。ほっておけば冷めてしまうので「コーヒー」を飲んだが、飲み終わってもサンドは出てこなかった。
学習効果を発揮して「サンドとスープ」を注文した。「一緒に持ってきて」と言うコメントを添えて。しかし、答えは更に不幸なものとなった。まず、熱いスープが出てきた。冷めては不味くなると思い飲み始める。ゆっくり飲んでもサンドが出てくる様子はない。結局スープが無くなって暫くしてサンドが出てきた。やむを得ず、コーヒーを追加注文した。
クラブハウスサンドは「暖かいうちが命」である。コーヒーならばすぐに出てくるに違いない、少なくとも前回はそうであった。やっとサンドとコーヒーを同時に楽しめる。しかし、願いは空しく「サンドが終わってからコーヒーが出てきた」。客は私ともう一組に過ぎない、元々ランチタイムを外して行ったのに。何故各もチグハグな店なのであろう!!!

帰りに、コンビニによった。家庭で不足しているものを補充するためである。スーパーと比べれば随分割高のようだが、とりあえず「手近」で商品が揃う優れものである。豆腐と牛乳そして電球を調達した。僅かなスペースで魔法のように様々は商品を置いている。これが本当の「スーパーマーケット」ではないだろうか!!!

990517発想の違い

午前中の重要な打合わせとは、アメリカから帰国中のクライアントに会うためである。明日にはまたアメリカに行ってしまわれる。お会いできるチャンスが少ないだけに、確実に話を前に持っていきたいと願っている。ただ、お会いするたびに私はカルチャーショックを味わっている。
自分で言うのも変だが、私は固定概念に縛られない数少ない日本人の一人だと思っている。発想は「自由」な方であるし、アイデアも豊富である。しかし、アメリカ流の考えに戸惑いを隠せない。
たとえば「不動産投資と利回り」に付いて、アメリカの数値を出されるととても太刀打ちできない。度々「日本のオーバークオリティー」に触れているが、これが投資額の増大を招いている。建設費を取ってもアメリカの倍ほど掛ると非難される。そのくせ、自分達が要求しているオーバークオリティーに少しも気付いていない。建設の世界も早く規制を撤廃し、「世界の非常識/日本」を味わって欲しいと私は願っている。

日本では、投資額が多すぎてアメリカの「利益水準」と比べるとどうしようもない世界が見えてくる。どんな優良な投資でも「後年、納税による赤字」の時代が来てしまう。事業計画のメカニズムをここで説明できないが、日本の税制や金融の仕組み等で避けられない事実である。常に「右肩上がり」の時代は問題にならなかったけれど、デフレ現象の昨今、致命的な欠陥となる要素を含んでいる。
この問題は、ホームページにはきっと馴染まないであろう。また、文章だけで説明しきれるとも思わない。だから「事実」とだけ認識しておいて欲しい。それを今日、ズバリと指摘された。山ほど言いたいことがあるが、論理的な反論になり得ない悔しさがある。
登場人物を換える。先日、ある事業のことで「ある方」とお会いした。事業にまつわる説明で「とても採算の合う事業とは思えない」と正直に述べた。それに対し、随分と質問が繰返される。そうこうするうちに「この方は、建設からみの税制に疎いのだ」ということが分かってきた。

私は、かって建設からみの税制を勉強するため、3年ほど会計事務所に入り浸ったことがある。おかげで、特定分野に限られるが「税の仕組み」に詳しくなった。「ある方」は事業をなさっているので、当然「税」に詳しいと思い込みがあったが、建築の世界の税制は特殊らしい。結局、私が下した「とても採算の合う事業とは思えない」という判断が覆りそうである。何故なら、私たち建築屋は「全額借入で事業をして、どのように推移するか」をシミュレーションして話をする。ところが「ある方」は全額自己資金をお持ちになっており、借入を起こす必要が無いからである。タダ同然の銀行金利より、建設投資で上がる利益の方が「利回り」に旨みがあるという判断であった。
これも「発想の違い」といえるであろう。持参していたノートパソコンを広げ、借入と自今資金の割合をどんなバランスにすればベストかを探る作業に変っていった。これから日本は「かわらざるを得ない時代」を迎えることになろう。

99051750過ぎれば

風邪は酷くもならないが、善くもならない。午前中の大事な打合わせを終え、ほっとしたせいか熱が出てきた。そんな訳で早退し家に帰り休息した。夕方より念のため、診療所に行った。明日は早くからまた重要な打合わせがある。ここで寝込むわけには行かない。
症状は風邪だけではない。隔年で「水虫が酷くなり」今年が当たり年である。早くから足が腫れだし、体がシンドイのは「足の腫れ」の所為かもと思わせるものがある。更に「肩凝り」が酷く首に痛みがあり時には頭痛さえする。こんな盛り沢山の症状を訴えるには懇意な先生を頼るしかない。幸いなことに、外装のリフォームをお世話した診療所が近くにあり、それが最近終わったばかりである。出来栄えを見学がてらお邪魔した。

風邪薬は存在しない、対処療法の薬が処方される。水虫は「なかなか」の状態で、塗り薬の他飲み薬の併用が望ましいが、薬全体の量が増えるので「とりあえず塗り薬で」となった。肩凝りは「頚椎」の疑いもチェックされた。レントゲン撮影の際に、ニトロの入ったペンダントを外す。写真では頚椎の異常は発見されなかったが、本来「骨になるカルシウム」が遊離して、首の筋肉の中で結晶を作っているのが映っている。歳を取るとおこりうる現象だそうで、危険を犯してまで除去すべきものでは無いそうだが「肩凝りの原因になる」現象だそうだ。50過ぎれば「何でもあり」を改めて感じた次第である。

ついでで、この診療所を紹介しておこう。
大阪府富田林「金剛東団地の診療所地区」の一角に、バブル華やかな頃に建設された。
当時、市内に下足のままで利用できる診療所が無かった。建物外部から内部まで全く段差が無く、車椅子でそのまま利用できる「バリヤフリーをテーマにしよう」とクライアントを説得したことを覚えている。この規模で、障害者用のトイレから手摺まで完備した診療所は画期的であったと思う。診療部門の床がフリーアクセスフロアで構成しており、将来の医療器械の進歩に対応できるよう配慮している。完成して数年後に、大阪芸大の建築学部の教授がゼミの学生を引き連れ見学にいらっしゃったそうである。今見ても、決して斬新さを失っていない建物である(自画自賛でゴメン)。

990518公約と地域振興+背番号

統一地方選が終わって約1ヶ月。都会に暮らしていると「選挙公約」などとうに忘れているが、地方ではそうも行かないらしい。
山陰のある町出身の方からこんな話が出た。彼の同級生が4人、町議会や県議会に当選したそうである。その結果「地域振興を計る公約」実現のために動き出したそうだ。昔から「目に見える公約」として箱物が多い。ちなみに、この町には7億円を掛けた「郷土資料館」があるそうだ。来館は2人/日で、常駐の館員が2人いるため「マンツーマンで対応できる」と言う、笑えない話がついている。それでも懲りずにまた「箱物を作りたい」と言う相談である。たまたま、別のプロジェクトで、様々な分野の人が集まっていたので、期せずして「フリートーキング」となった。要約すれば、次のようになった。
 1.山陰の冬は厳しく、冬の客は当てにしない。
 2.県内の人口が少なく、県民や町民を当てにしての企画は、必ずしくじる。
 3.刺激追求型も必ず失敗する。
と、言うことで「県外から客を誘致する」施設で、「夏を中心に100日で採算を考えるそんな企画が必要」となった。役所と言えども今後、「採算に乗らない事業に手を出すべきではない」と言うことも意見の一致を見た。
今は、どこかお客様気分で呑気に議論しているが、瓢箪から駒で、当事者になろうものなら「死ぬほど苦労」するであろう。
 
990519追記
イベント企画の専門家と会った。彼は谷村新二にそっくりの風貌で、話し声も素晴らしい。やはり、若い頃[フォークソング]で鳴らしたそうで、
今でも会社NO1のエンタテナーだそうだ。
役所が行うイベントでは「箱物」には予算が付くけれど、維持費には全く予算が出ないという話になった。ならば「採算の合う企画」にして「自己資金で展示の更新が計れるようにしてはどうか」と意見を述べたら、やはり「役所が金儲けをすると民間を圧迫する」として、反対意見が根強いそうだ。かくて、更新されない展示に「人が集まらず」寂れる一方の有様となって行く。毎度お決まりのパターンにはまるそうだ。役所とは不自由なものだね。


またぞろ「国民背番号制」が論議されているそうだ。「早ければ来春にも運用開始か?」と言った観測記事が出ていた。背番号制は浮上しては「プライバシー侵害になる」とマスコミにたたかれ姿を消す歴史を繰り返している。
しかし、これだけコンピュータ化が進んだ世の中で、拒みきれるニーズではないように私は思っている。マスコミの反対で対応が遅れる度に「闇の背番号制」が進行している。現に金融の世界では、かってに番号がつけられ管理されている。私たちは「自分に付けられた番号を知らされていない」だけ、かえって始末が悪いのではないであろうか。

背番号制が公に運用されれば、少なくとも「自分の番号」は知ることができる。そうなれば、自己に関する「情報」がどのように引用(あるいは運用)されているか「知る権利」が行使できよう。「闇の背番号」の方が恐いように思うがいかがであろうか?

990520消えた渋滞
阪神高速道路は「欠陥高速」ではないかと常々思っている。交通量に対応できず「万年渋滞」の高速道路である。時には「高速駐車場」と名を変えた方がよいのでは思うことすらある。ところが道路から忽然と「渋滞」が消えた。道路公団がドラスチックな対策を講じたわけではない、夏にはまだ早い怪談話である。

会議が済んで雑談となり、誰言うと無く「道路の渋滞がなくなった」話となった。
昨日、奈良の現場から「西名阪+阪神高速」と乗り継いで夕方に帰った。ちょうど、阪神高速に入る時間が6時であったが、大型の表示板には渋滞個所が表示されていない。つまりどこも渋滞が無いことを示している。普段でも渋滞するのに、夕方は郊外で用事を済ました車が大阪に帰るため「とんでもない渋滞」になるのが相場である、それが無いのである。
大阪−京都間の名神高速も「時間の読めない高速」として知られているが、最近はめっきり渋滞知らずだそうだ。
高速だけではない。商都大阪を代表する「船場」は渋滞の本場でもある。道路に二重三重に車を止め「荷降ろし」をするため、道路が荷捌き場となりとてつもない渋滞を招いていた。いわば「大阪の風物詩」みたいなものであった。それがすっかり消え「すいすい車で走れる」そうである。

この春以降、大阪にこの異変が起きている。「関西人のマナーが突然よくなった」わけではない。考えられることは「道路のキャパスティー以下に交通量が減った」ことに他ならない。もっと言えば「モノが動いていない」のである。我が国は不況に喘いでいるが、「大阪が一際悪い」といわれる。まるでそれを裏付けるような出来事ではないか。いったい、浪花の都はどうなるのであろうか。

990522鰊と東北訛り

行きつけの店で出会う客に「東北なまり」の方がいる。おそらくご本人は相当の努力をして、なまりを消そうとなさったであろう。ある日、出身地を尋ねてみた。答えは「出雲」であった。出雲には何故か「東北なまり」が色濃く残っている。私が「東北出身か?」と感じたのは間違いではなかった。
出雲地方に東北なまりが定着したのは、「北前船」の所為だとされる。私はこの説に疑問を感じている。
北前船は、江戸時代後期に「浪花と蝦夷」を結ぶルートとして開発された。泉州(大阪南部)地方で、綿花の栽培が活発となりその肥料として「北海道で取れる鰊(にしん)」を移入した。そのルートとして、瀬戸内海を遡行し、馬関海峡を経て日本海に出る。後は日本海沿いの港に泊りを重ね北海道に至る。この北前船の「船乗り」が出雲に立ち寄ったことにより「出雲に東北なまりが定着した」とされる。しかし、これだけでは弱いように思う。船乗りが立ち寄って「なまり」が伝播したのなら、日本海各地に残るはずであろう。明治維新を迎え太平洋航路が主流になるため、北前船は約50年でその使命を終えている。今から150年前に出雲に東北なまりが入って、わずか50年で特異ななまりを残すほどここだけに影響を与えた理由が分からない。
北前船の商業ルートは「江戸時代後期」に出来たかもしれないが、遥か以前より出雲と東北を結ぶルートがあり、歴史的にも人的にも深い交流が会ったのではと考えた方が素直に思うがいかがであろうか。
出雲は「国譲り伝説」の地である。東北は、平泉(藤原3代の栄華)に代表されるように「蝦夷文化が最後に花開いた地」である。出雲/蝦夷ともにゴロが非常に似ている。本来同じ民族の地であったように私は思っている。

ついでで…江戸時代後期に「綿花栽培」が活発になった。それまでは庶民の衣類は「麻」が主流であったようだ。麻は保温性に欠け(夏の衣類としては最適であるが)当時「凍死する庶民」が結構あったようである。
「鰊」と言う高カロリーの肥料を得て量産され、やっと庶民にも手の届く衣類になったようだ。昔話になるが、日本のバレーボールが世界に認知された「ニチボー貝塚(綿花の紡績)」は泉州地方にあった。
鰊は足が速く浪速に運ぶため、浜で内蔵を出し湯がいて乾燥させた。つまり「身欠(みがき)鰊」である。
以下は私の想像である。鰊蕎麦の発祥地は京都である。京都の包丁人がこの「みがき鰊」を「何とか食べられないものか」と工夫をしたのだろう。不思議な組み合わせであるがこんな歴史があるのではないだろうか?

990523風水の家

新聞の折り込み広告に「風水の家」と銘打ったチラシ(左下の写真参照)が入っていた。家相が更に凝って「風水」に行きつく話は聞いたことがあるが、実際にこれで家を作った人がいるとは驚きである。
51坪の土地に22坪の家があるのだが、22坪を5棟の家に分け濡れ縁で繋いでいる
@玄関棟
A和室棟
B浴室トイレ棟
C台所棟
D洋室棟の5棟である。
さぞ、縁起の良い建物なのであろうが、冬は寒風の中トイレに行くのも難儀するであろう。冬でなくとも雨の日は傘が無くては生活が出来ない。

資料によれば、今から27年前の建築だそうな。この長きに渡り生活された方の感想をお聞きしてみたいものである。
風水のことは詳しくないけれど、これだけ「何もかも犠牲にして」完璧な「風水」を追い求めた家ならば、そこに生活された方は「健康や財産あるいは幸福」と言った点でさぞ完璧な満足を味わわれたことであろう。ならば、なぜ今ごろ「手放す」ことになったのであろう?
日常生活を犠牲にしてまで「満足を求める」風水とは何なのであろう…
市井の一建築屋として、割り切れないものを感じる。さほどに「幸福感」とは多様なのであろうか?

990524不思議の星のお役人

同業者に異星人がいる。これは私だけが知っている秘密である。彼が生まれたのは地球から離れること10億光年、宇宙のかなた「SEKOI星」なのだ。諜報員として地球に潜入し、いかにも日本人のフリをして生活している。彼は今、真剣に「地球への亡命」を考えており、私に相談があった。それによれば、
名が示すようにセコイ星で給料をくれないそうだ。そのため、時々故郷で建築設計のアルバイトをする必要に迫られている。先日もこんなことがあったそうだ。
SEKOI星では、地球と違い「役人が威張っている」。地球のように公僕意識のある役人が本当に羨ましいとも言う。以下は、彼の故郷SEKOI星の役人とアルバイト仕事のことで議論したことだそうだ。

SEKOI星では「建物には緑を」をキャッチフレーズにしている。そのため、緑地の確保が義務付けられている。とはいえ、大阪市ほどの大きさの星に300万人も住んでいるので、非常に人口密度が高い。そこで「高度利用と緑地」の共生が問題になる。お役人様と根気よく話し合いを続け、それなりに折り合いを付けてきたのに、どうしてもOKしない部署がある。
 その1
家賃助成をする部署があり、今回のプロジェクトでは重要なキーを握っている。まるで「お役人様のポケットマネー」を貸し付けるがごとく踏ん反りかえっていらっしゃる。このお役人様がおっしゃるだけ、緑地を確保すると、肝心の建物規模が3割も減少してしまう。これを事業費に換算すると日本円で5億円にも相当する。これでは「事業にならない」ので、緑地課がOKしている範囲の緑地で「おねげえしますだ」と、陳情した。上司の口添えもあり、何とか「緑地課の範囲」でOKとなったが、お役人様が最後に「捨てぜりふ」をお残しになった。なんと「この部分の緑地には助成金を出さない」というものである。ちなみに助成金は約50万円ほどである。お役人様はご自分の権利行使が50万円も減ることが我慢できなかったようだ。SEKOI星ではいかなる不況下でも「民間プロジェクト」よりお役人の権限が大事なのだ。 その2
SEKOI星の車はまるで日本車そっくりである。SEKOI星行政当局が決めている駐車場の大きさは「巾2.3m×奥行き5m×高さ1.7m」である。この大きさで、住戸数の50%の台数を「敷地内で確保しろ」と言ってきかない。唯でさえ少ない緑地がこれで更に減っている。

他の部署では「駐車台数を減らして緑地をもっと取れば」と言う意見が体勢をしめている。SEKOI星でも高密度ゆえ都市交通が発達し、特に今回の計画地は地下鉄の駅上に建設されるため「駐車場の需要確保が問題」とされるほど、駐車場の需要が無い。
行政が決めている「駐車場の大きさ」は日本で言えば「5ナンバー車」に相当する。最近SEKOI星でも豊かな若者がふえ、3ナンバーの大型車やRV車が増えている。行政が指定する大きさではこれらに対応できない。そこで「大型車にも対応できるようにしたいから、敷地内確保台数を緩和して欲しい」とお願いした。
結果は「けんもほろろ」であった。お役人様には「3ナンバー車やRV車は贅沢品」らしい。これらが駐車場に入らず路上に溢れようと、中型車の需要が無くて、駐車場がガラガラになろうと「知ったことではない」ようである。SEKOI星のお役人様は、実状より「指導要綱を守ることが大事」と言い切る立派な方ばかりである。

彼は疲れ果てて地球に帰ってきた。母なる星でありながらSEKOI星が厭になってきた。その点地球は「イイネ〜」特に日本の役人は素晴らしいよ。市民にとって何が大切かを真剣に考えてくれるもの…彼の呟きが印象的である。

990525変な禁煙+稀有な人々

禁煙をして1ヶ月と1週間。今でも「タバコを吸いたい」と思っている。特に、お酒の席ではそうで、つい「タバコが欲しい」と口に出してしまう。
私を知っている連中から見れば、私の禁煙ほど「信用ならない」ものは無いようで「タバコが欲しい」と口に出そうものなら「待ってました」とばかり差し出してくる。それでも、決して手を出すことはない。それも「意思難く無理に止めている」わけではない。何の抵抗も無く「手を出さない」つまり「気持ちとは裏腹に」体の方は欲しがっていない。

禁煙は、何かと私の予想を裏切っている。気持ちの諦めが付いても「体が欲しがるだろう」と思っていたのに結果は逆である。口寂しさはあったけれどチューインガム1個で卒業できた。「タバコを止めると太る」と忠告されたが、むしろスリムになってきており去年ハケなかったズボンが入るようになった。体調が良くなると思ったのに「胸焼け」に悩まされている。もっともこれは「タバコを続けていたらもっと酷いだろう」と言われた。
健康の理由から禁煙したけれど「無理は止めよう」とも思っている。習慣性さえ付かなければ、たまのタバコは精神のリフレッシュに良いかもしれないと思っている。わずかな期間の体験ではあるが、またタバコを吸う機会があっても意外と習慣性はないように思っている。

 990525夜 稀有な人々
私は今ヘベレケである。本来こんな時に書くべきはないと判っているが、酔いが覚めればこの感動が薄れてしまうのではないかと恐れている。
最近お付き合いが始まったクライアントがある。以前からの約束で始めてお酒の席となった。クライアントは数年前に所得番付全国第2位となった方で、法人所得を合わせて考えれば実質全国1位である。東大大学院を卒業後、野村総研の研究員を経て父君の家業を継いでおられる。毛並み、学歴、経歴なにを取っても「フンゾリ反って」おかしくない方であるが、そんな態度は微塵もないと言う稀有な人である。そのかたの片腕とも言うべき方がこれまた面白い。九州の山中、1平方キロ当たり人口1人という超過疎地域のご出身だそうで、お話を伺っていて楽しくなった。「是非文章にして下さい」とお願いした。私はそのままホームページに紹介できればと心底思っている。
彼の出身地に京大から学術調査が入ったそうである。それに対し、村がこぞって「しらっばくれた」そうである。何故なら、その村は自然と共存しており、学術保存地区なぞに指定されたら「村が飢え死に」してしまうとのことであった。春になれば「タラの芽」が取れるが、来年もとれるように決して「根こそぎにしない」ように生きている、だのに、学術保存地区に指定されたら、タラの芽そのもを採取することを禁止されてしまうそうである。

私も田舎の育ちである。しかしせいぜい童謡「ふるさと」に唄われる程度に過ぎない。神と共存するほど神秘な里ではない。酔いが増す頭の中で、私はその情景が見えるようであった。そして、酔いが覚めれば消えてしまうのではとも思った。

 990526
夜半に嵐がやってきた。ものすごい暴風雨に目が覚めた。何やら「足早な嵐」で、朝には奈良県に去りこれから東海関東に遠征に行くところらしい。小学校は臨時休校となったそうである。
私の頭の中も「暴風雨」がなかなか収まらない。昼になってやっと酔いが覚めてきた。猛烈なピッチの酒で私にはいささかヘビーであった。

雨上がりの桜の下を歩いた。4月には綺麗な花を咲かせた桜である。雨に洗われ葉の緑が美しい。そんな中に一つ「さくらんぼ(写真参照)」ができていた。ちょっとつまんで、取らずにおいた。

新池の葦が「みんなオネンネしている」夜半の嵐はさほどに酷いものであった。

990527和をもって貴しとなす

逆説日本史の大家「井沢元彦氏」の『逆説の日本史@古代黎明編』を読んでいる。
氏の言動をとかく批判される向きのあるようであるが、私は好きな作家である。なぜ「逆説」と言われるのか、資料偏重の歴史を氏は批判なさっている。資料がないから「そんな事実はなかった」式の論法で見るから歴史を見誤ると。


私もこの考え方に大賛成である。資料偏重で見ると、文字のないかった時代には歴史がなかったことになる。また、記紀に見るように「後に文字化」した資料の『文字』に拘ると、違う歴史になってしまう。後に文字化した歴史は、表意文字ではなく「表音文字」として「当て字」を用いていることが多々あったと思うからである。
聖徳太子の17条憲法をもって、日本人のメンタリティーを論じているが、大変面白いものだと感心した。私は、友人知人から「dogfight」とか「常識の外で生きる男」などと表されるが、いたってノーマルなつもりである。でも「人と違う」行動が多いことも認めざるを得ない。その理由が、氏の「和をもって貴しとなす」とする、17条憲法の解説で理解できたように思う。
「和をもって貴しとなす」は17条憲法の第1条である。聖徳太子は「すべからく話し合いでもってコトを決めろ」とおっしゃっている。氏はこれが日本人のメンタリティーであり、アイデンティティーであると分析しておられる。その傍証もふんだんに記述されており、納得できるものであった。では、話し合いで決める=民主主義か?となれば別の問題である。「話し合いで決める」は全員一致を原則としており、いかにも「総意による」体を装いながら、反対意見を封じてしまう。

私は昨年自治会長を務めたが、連合自治会の会議で常に違和感を持ち「51%の賛成で決めればよい」と発言しては顰蹙(ひんしゅく)をかった。連合自治会の会議は「和をもって貴しとする」式の全員一致を目指しており、私は異質であったようだ。ただ、氏も指摘されているように、全員一致は時として全体主義につながり、本来行うべきでない「刑罰」の決定までしてしまい、それがリンチ(私刑)であることに気付かない欠点がある。
私が会長をしていた自治会は、連合を構成する4自治会でもっとも大きい意組織であった。ある日、「自治会を分割せよ」と決定されその通知があった。勿論私はその経緯を知らないままに…まさに欠席裁判であり、私刑であった。それでも連合自治会の「総意である」と。まさに「葵の印篭」である。緊急に自治会を開き、統括する自治会の意見を徴収した後、連合自治会で意見を陳述した。
そこで、「今は私たちの自治会のを分割せよと」あなた方は論じているが、「次はあなたの自治会のあり方を私たちが論じるかもしれない」と指摘した。和をもって貴しとする世界にはこの盲点がある。全体の意見に酔ってしまい、限度を超えていることに気付かない。いつか「あなたの問題となって帰ってくるよ」と指摘され始めて気付く、集団催眠の効果があるように思う。

ほんの数ヶ月前に体験したことを思い出しながらこの本を読んでいる。

990528当り前

車に乗っけてもらい、車窓から流れる風景を見ながら「当たり前」と思いながら「なぜ当たり前なのか?」知らないことが結構あるのもだと感じていた。
そのことを今日は書こうと思っていたのに、家に帰ったらすっかり中身を忘れている。
歳を取るってこういうことなのだろうか?どちらかと言えば「記憶力の良い」方で、こんなことはなかったのに。やはり「歳を取ればなんでもあり」のようです。もし思い出したら書いてみます。
悔しいな、結構「良いテーマ」だったように思うのに…誰かに言われそうです「そんなの、歳を取れば当たり前だろ」

天気予報では「後1週間で梅雨入り」だそうだ。ただその間は「良い天気が続きます」とも。梅雨になれば「梅雨の主役/アジサイ」の出番です。何時だって主役は「用意周到」です。見てやって下さいこの姿、1週間後には「最初の色」を付けているでしょう。これまたアジサイに言われそうです「当たり前だろ」って!

昨日は京都で「飲み会」があり、そのまま泊りとなった。友人の手配で「某有名ホテル」に超格安の宿泊であった。500円の「朝食券」が付いており、今朝食堂に出かけた。ところが指定されたレストランは「いっぱいで利用できず」別のレストランに誘導された。ここは1800円の「バイキングレストラン」である。入り口で「トーストとコーヒーだけにして下さい」と言われた。
こんな馬鹿な話はない。私はヨーロッパで「エコノミーチケット」でファーストクラスに誘導されたことがあるが、いったん座ればあとの扱いはファーストクラと全く同じであった。同宿した彼は、旅行者の手配係をしている。「マイクロバスの契約をして、会社の都合で大型バスになったからと言って『前1/3の利用だけにして下さい』とは決して言えない」と言う。
我々は、500円のコンチネンタルブレックファーストのチケットで「思いっきり食べて」きた。回りを見渡しても「誰も守っている」様子はない。ホテルの責任を客に転嫁しても誰が守るであろう。これなど最たる「当たり前」であった。

990529クラス会?

5月最後の日曜日。快晴。市内一斉清掃日。
この日に合わせ私の住む団地では「春の一斉美化清掃」を行う。昨年は、初めての参加で主催者(自治会会長)であったが、今年は「経験あるお客様」である。何かと「去年とは違う」部分が見えるが、幸い私には小姑の趣味はない。
汗みずくで作業しているか傍らを、行楽にでも行くのであろうか「気楽に出かけていく家族」が見える。かって私も、団地に住みながら傍観者であった。
まるで「ヘビースモーカーの禁煙」みたいに、両者の立場が見えて面白かった。

誰が声を掛けた分けでもないのに、去年の自治会役員が軒並み顔をそろえている。期せずして「クラス会」のようだ。
清掃に関して気持ちはあるのだが「体力が続かない」そんな分けで私は1時間余りで「失礼」した。しかし、クラス会を開こうと言う意見は出来上がったようだ。近いうちに「予定」を知らせてくれるだろう。ここにも「一期一会」の楽しさがある。
まもなく「このコンピュータ」ともお別れだ。きっとこの文章が最後になるだろう。2年余りお世話になったが、問題の多いコンピュータであった。特に通信系に弱点があり、送信中に突然切れたりする。そこでモデムを入れ替えたが相性が悪いようで、今度は頻繁にフリーズするようになった。某メーカーの既製品を購入したのだが、既に原形をとどめていない。CPUはペンティアムからK6−2に、メモリもモデムもSCSIも入れ替えた。MOも取り替えたし、マウスも変った。それでも時代の変化に追いつけず今度は「タワー型」のコンピュータを組立てて使用することにした。
さて、どんな変化を体験できるであろうか…



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