dogfight高松の長すぎるひとり言
1999年4月

先輩の結婚プロ野球開幕ブルーシート火事見舞い住民投票と統一地方選挙常識の差都会と地方戦いすんでホームページのすすめ足早な春耐用年数ヘビースモーカーの禁煙関西弁カリスマ性立場変れば新参者過去の栄光
990402先輩の結婚

桜が満開になった。相変わらず天候不順、1日おきに雨
先輩のS氏が結婚した、S氏は55歳で初婚。
既に14年その女性と暮らしており、私たち仲間内ではいつも「奥さん」と呼んでいたが、やっと入籍できた。しかし、不倫であったわけではない。社会には、信じられない理由で入籍できないこともある。寡婦であった奥さんの子供を立派に大学を出し、既に社会人となっている。
「いまさら」と嫌がるS氏を説得して、仲間だけのささやかなお祝いを4月1日に行った。エイプリルフールでもあり、半信半疑の二人。照れくさそうなS氏、どこか華やかな奥さん。仲間とは言いながら、我らには解らぬ苦労があったであろう。
まだまだ続く、2次会の席をお二人で早退された。花束を抱えた二人に「今日は初夜の…」と囃したてる。ご両人が末永くお幸せであることを心から祈りたい。

関係の無い追記「サクラ」
今年の桜は早く、もう満開になっている。天候不順(菜種梅雨)で1日おきに雨となり、夜桜もままならない。何故か時間が取れなくて、花見に行っていないが、懸念していたホームレスとのトラブルは今のところないようだ。
例年なら、竜野の花見としゃれ込むのだが「今年は行けそうもない」と連絡した。竜野の娘(元生徒で今は母親となっている)は先日家を新築しており、お祝いを兼ねて5月に行くことにした。
電話で明日の「時代祭り」の写真をお願いした。ホームページの「近畿探訪」に掲載するためである。とりあえずホームページは開設したが、諸先輩のホームページを見るに付け「即製粗雑」さを感じる、今後時間を掛けて内容を充実させていこう。

990403プロ野球開幕
午前中晴れるも午後から雲多し。道路は車で埋まり桜並木が美しい
昨日からプロ野球が始まった。私の贔屓は「中日ドラゴンズ」生まれながらのファンである。
結婚したとき家内は巨人ファンであったが、夫唱婦随で、いつの間にか「キチガイじみた」中日ファンとなっている。胎教も万全で、子供たちも「中日キチガイ」である。ただ大阪で中日ファンはマイナーな存在である。甲子園球場の3塁側も阪神ファンで埋めつくされるため、俯きながらの応援しかできない。法事で田舎に行った帰り、家族でナゴヤ球場に行き「声を嗄らして」応援できたのは大変楽しい思い出である。残念ながら「名古屋ドーム」にはまだ行っていない。
 
滅多にないのが残念であるが、中日が優勝すると「お祝い」をする。随分以前になるが、「紅白まんじゅう」を作り、取引先に配ったことがある。「何方かご親戚でも?」と言われ苦笑い。また、前回優勝(これまた昔話)ではテレホンカードを作り配布した。球団に送ったら「著作権侵害」と指摘され、丁重にお詫びしたこともある。浮かれすぎないように…
昨年は優勝しそうな雰囲気があり、「お祝い準備預金」をしたが、空振りとなった。気の早い取引先から「今度のお祝いはな〜に?」と問い合せがあった。今年こそ、お祝いを配りたいものだ。
同病の方あれば、連絡乞う
990404ブルーシートブルーシート
なんとなく曇り、予想最高気温16℃
朝刊に「夜桜」の写真が載っている。例年と風景が違う。
大阪では、「大阪城公園の夜桜見物」が一面を飾るのが普通なのに、マイナーな公園を紹介している。
主な公園が、ホームレスのブルーシートに占拠され、お花見シーズンのトラブルを懸念していたが、そんな報道はない。報道をしないだけなのか?あるいは敬遠されたのか、新聞写真だけでは判断できないが、異変が起きているようだ。
朝刊に紹介された写真でも、宴開場にブルーシートが利用されているのが解る、ブルーシート万能時代と言った趣である。ただ、桜の淡い色と、シートの鮮やかな青がそぐわない。
 
4年前の1月、関西は「阪神淡路大震災」に揺れた。多くの方々が被災され惨状を呈した。応急処置に「ブルーシート」が大活躍し、一躍脚光を浴びる。
あれからであろうか?花見でブルーシートが主役となった。古強者のホームレスは、一種芸術とも言える「廃材利用の小屋掛け」をして、私はアイデアの素晴らしさに唸ったことがあるが、俄かホームレスではその技術もなく、大量の「ブルーシートハウス」となった。防水性は完璧だし、面積も広く伸縮自在、大変便利な素材であるが、名が示すように「景観配慮」には程遠い。こんな使われ方をするようなら、もっと「地味な色」のシートはできないものであろうか…
990406火事見舞い

一転俄に掻き曇り雷鳴轟く…
その後は天候も回復してきているが、これで桜も随分散ったであろう
桜を見たくて近くの天満公園に行った。大川(昔の淀川)縁に、桜並木が続き、その一角に造幣局がある。「造幣局の通り抜け」で知られる、八重桜の名所である。
 
桜のシーズン前はホームレスのブルーシートに占拠されていたが、さすがに遠慮しているようで、目立たない場所に移動している、が、宴会の方もどこか遠慮がちな様子に見えた。例年なら、宴を張るところだが今年はそんな気にもならず食事を兼ねて「火事見舞い」に行った。
時機を逸した火事見舞いだが仕方が無い。

大阪南の三寺筋に行き着けの店、和風ステーキ「幾久」がある。昨年末、隣からの「もらい火」で半焼となり、再建を急いでいた。やっと完成し、お祝いを兼ねて「火事見舞い」となった。久しぶりに、美味しいステーキにありついた。
ご主人は、建築屋からの脱サラで、先輩に連れられ行ってから、かれこれ20年近い常連となっている。料金も手ごろで、私の「お勧めNO1」である。是非ご賞味を

990407住民投票と統一地方選挙

うってかわって「冬」に逆戻り、昨日より10℃も気温が低く山間部では雪とか。昨日の嵐で桜が散った。花びらの絨毯ができつつある
住民投票には法的根拠が無く、その結果に何の拘束力も無い。それでも「世論の動向」を知る手がかりなるとして行われる。
沖縄では「基地反対」を問う住民投票が行われ、反対派の圧勝となったが、その直後に行われた「那覇(沖縄県庁所在地)市長選」では基地容認派が当選した。
こうなると、本当に住民投票は世論を反映するのかとの疑問が出てくる。好意的に考えれば、「基地は嫌だけど、生活のための必要悪」と言う受け止めもできる。

大阪府下K市では、住民の反対でこの30年来「ゴミ焼却場建設」が店晒しになっている。住民が一切「ゴミを捨てない」分けではない。K市が、近隣の自治体に頭を下げ、ゴミを引き取ってもらっている。業を煮やした近隣自治体の拒否で、時として市内に「ゴミが溢れる」ことになる。ようは、住民の声(世論)を大切にして、近隣に迷惑を掛けているに過ぎない。住民投票をしたところで、相変わらず「反対派圧勝」であろう。私も近隣自治体に住むが、やはり迷惑なことと思っている。

我が国における、住民投票には普遍的な「公平さ」や「将来展望」が欠けるきらいがあるのではないだろうか。例えば「10年後を見据えた苦渋の選択」と「今、楽ができる」の二者択一を迫る国民投票をしたらどちらが勝つと思われるであろうか?私には答えが見えるようだ。
今、統一地方選挙真っ只中である。「大幅減税・福祉充実」と言った、背反する条件を「選挙公約」に掲げ、そのくせ方法論に微塵も触れていない。
まるで「口当たりの良さ」を競っているような、選挙ぶりである。
もし、那覇市長選のような「苦渋の選択」がなされたならば、青島東京都知事やノック大阪府知事の誕生はなかったであろう。日本の前途に暗さを覚えてしまう…

990408常識の差

少し気温が上がって、予想最高気温16℃。晴
「十人十色」と言うが、10人にいれば10の常識があると思った方が良い。
永く建築の仕事をしていて、この「常識」を見極めるのに一番苦労する。私の常識と施工会社の常識があまり相違がなければ、良い建物に仕上がるが、酷く食い違うと「全く安心できない」現場となる。
「出来るだけ安い建物で良い」と言ったオーダーはよくある。この「出来るだけ安い」の中身をよく確認しないと大変なことになる「常識の差」が出やすいのだ。
仕上材のグレードは「目に見える」だけに判りやすいが、問題は仕上げの「下地」にある。建物が持つ「性能」は仕上げより、この下地によって決まることが多い。
下地により「防火・遮音・吸音・断熱等の性能・耐振動性」が大きく左右される。見た目は立派な「安い建物」は可能であるが、性能を下げれば「音はダダ漏れ・揺れる・結露」と言った欠陥だらけの建物になる。
「出来るだけ安い建物で良い」と言う場合、多くは「最低の仕上げでよい」の意味であることが多い。仮に、建物の性能ダウンを含めての「ローコスト」を求められても、できあがった後「ここまで悪い建物とは思わなかった」とトラブルの原因になる。

私が「相談」を受けるトラブルで、性能を落とした「ローコスト建物」が多い。クライアントも施工者もそれぞれの思惑で「ローコスト」を描き、コンセンサスがないまま、あるいは理解不足のまま工事になってしまうことになる。つまり「常識の擦りあわせ」がなされていない。建設費に占める「仕上げ」の費用割合がどのくらいかご存知だろうか?
仕上げ材のグレードにもよるが、概ね15〜20%程度である。そこえ、「建設費を1割ダウン」等と言った要求が出たらどうなるであろうか?まるで仕上げのない建物になるか、性能ダウンを考えることになる。「最低」の限度が「各自異なる」と言う、恐いお話です。

少し変った「常識」の話を!
もう30年近く前の話です。当時、地方自治体の「福祉センター」建設がブームとなりました。私も、大阪府下K市の「福祉センター(建築賞受賞)」設計の担当をしたのですが、常識に悩まされました。
障害者の方にご利用いただくため、「車椅子対応」を設計に反映させるのですが、当時は「スロープ」が常識でした。勾配1/20でスロープを作っても、2階に上がるのに「80mの斜面を車椅子で登る」ことになる。これは「障害者に優しい」どころか「拷問」に近い。そこで…
K市福祉センターは、2階建てでしたが「エレベータの設置」を提案しました。当時、2階建てにエレベータを設置する常識はありません。何とか説得して、次の常識に困りました。「障害者用エレベータ」の常識がないのです。まず「障害者用EVとはナンゾヤ」と言う概念から作ることになりました。
それから1年後、エレベータを製造した会社から「障害者用エレベータを既製品化しました」と挨拶があった。私はこのアイデアを「特許申請」する常識がなかったのです。

990409都会と地方

花曇り、今夜から天候崩れ気温も下がる予想
私は大坂に住んでいる。故郷は愛知県、法事などで帰るのとき名古屋を通過する。名古屋も都会に違いないけれど、大阪から見れば「田舎」だなと思う。ところが、たまに東京へ行くと「大阪がとてつもなく田舎」に見えてしまう。
この感想は、間違った劣等感にあると思う。東京に住む友人と話をすると、実に「地方を知らない」ことに気付く。地方に住んでいると、都会が気になり、常に情報を入れようとする。おそらく、都会に住んでいれば不自由なことがないため、地方に関心が行かないのではと感じている。

憧れや関心は「知識」に繋がり、無関心は「無知」に繋がる。
大坂に住んではいても「根が田舎者」の私は、地方の旅がとても好きだ。興味を持っていると不思議な体験が多い。無計画にブラリと訪れた町で、何故か、町の歴史研究愛好者の方に出会うことが多く、懇切な説明を伺うことが出来た体験をたくさん持っている。おかげで、何の変哲もない田園風景が、歴史の舞台であったことを知ることが出来る。
ホームページで「近畿探訪」のコーナーを持っているが、多くのところでこのような体験があり、歴史を含めた説明が出来た。大変感謝している

990412戦いすんで

日替わりで天候が変わる。今夜から風雨が強まり雷鳴も轟くとか
統一地方選第1部が終わった。
東京都知事は激戦の末、石原慎太郎氏が当選した。マスコミの評判は総じて辛口である。ある放送局など「人気投票みたいだ」とこき下ろしていた。人気投票と言う意味では、青島幸男氏のときの方がもっと酷かったと思うが、マスコミの反応は違うらしい。
知事に変わりはないとは言え、東京は日本の顔である。GNPをとっても世界第8位に相当し、一地方の出来事とは言い難い。青島氏とは違い、強力なリーダーシップが予想されることが、当選の原動力となったように思う。他の候補が「マイルド」であったとすれば、彼は「ハードボイルド」になるであろう。功績は後の話であるが、私は期待したいと思っている。

大阪府知事は、横山ノック氏の圧勝に終わった。何やら、選択の余地の無い選挙であったような印象を持っている。
大阪府は「再建団体指定」一歩手前まで来ており、甘い言葉が通用する世界ではない。対抗馬の共産党候補を歯牙にも掛けない当選であったが、単に選択の余地が無かっただけで、横山候補が「絶大な信任を得た」とは思っていない。乱立とも思える、東京都知事候補を見れば「2〜3人、大阪に来てよ!」と言いたくなる状況である。

統一選全般で言えば「自民退潮・共産漸進」と言ったところか。今後どのように変わっていくのだろう。

990413ホームページのすすめ
気温も20℃を超え「暑い」くらいの陽気。道路は「桜の花びらで絨毯に」なっている
ゴルフを始めると「押し掛けコーチ」が現れて、様々に指導されるそうです。ホームページも似たようなものかと思っている。一言「ホームページを作ろうかな」と呟いたことから、コーチ(若い人たち)に囲まれ、あれよあれよと言う間に「開設」となった。
 
ホームページを開設すれば、その更新等でメンテが必要なことが良く分かった。面倒でもあり、楽しくもある。俗に言う「ハマル」状態となり、お陰で毎晩深夜に渡るようになった。
息子に「何故ホームページを作ったのか?」と問われた。言外に「そんな歳で」の意味が込められている。この世に生を受け「私が存在した」証が欲しくなった。強いて言えば、それが理由である。
ホームページ開設の案内を98通出した。その内半数はコンピュータを持っているので、大目に見て100件くらいのアクセスがあると予想をしていた。だから、100件を越したらアクセスカウンターを削除しようと思っていたが、その後も「日に10件くらい」のアクセスが続き、130件に迫る勢いを示している。そのくせ、ホームページからのEメールは皆無と言う状態である。いったい誰がアクセスしてくれているんだろう…

通知を受けた友達から「まだ開設してなかったんかいな?」と疑問を呈された。普段の私の性向から「遅すぎた開設」と言うことらしい。
友人知人で「ホームページを作りたい」人がいれば、飛んで行って教えたい心境である。
990416足早な春
菜種梅雨も終わりを告げたようだ。
周期的な天候の変動はあるものの、雨の日がめっきり減ってきた。

すっかり葉桜となり、公園の木々は新緑の最も美しい季節を迎えた。
私は、欅のあの若葉の色がとっても好きだ。雨上がりの清々しさに似て、若葉を通してさす日差しの柔らかさ。春は足早にやってきた。
気の早い「平戸ツツジ」が大輪を咲かせ出した。
霧島ツツジも、濃い紫の小さな花を枝いっぱいに付けている。
いつのまにかモクレンが姿を消して、沈丁花の香りもめっきりと弱くなった。

長かった冬も、終わりを告げようとしている。やっと仕事も忙しくなり、これからはホームページの更新もままならなくなるだろう。まちに待った「春」にカンパイ
忙しいと言いながら、余暇を忘れずに明日は「春の琵琶湖・のんびり船旅」に行ってきます。この報告は「近畿探訪(滋賀県)日本一遅い船」で写真入で行います。
990418耐用年数

朝から雨、やや肌寒い。午後より曇天
税法で「有形償却資産(建物など)」に対し耐用年数が定められている。それにより、減価償却が行われる。減価償却分は「経費算入(収入を圧縮できる)される」ため、税務上大きなファクターとなる。ただし、減価償却の考え方は個人住宅には摘要されない。
耐用年数と減価償却には密接な関係があるが、「物に対してだけ減価償却があるのはケシカラン」と労働者から提議された、昔々のイギリスでの話である。我々は、税務申告の際「基礎控除」があるが、これが「人間に対する減価償却費」だそうだ。つまり、人間にも「耐用年数」があると国家が認めたことに他ならない。

耐用年数に似たものに「賞味期限」がある。私は、人間にとって耐用年数より賞味期限の方が大切ではないかと思っている。ただし、「女性の賞味期限」などと言った不謹慎な気持ちはない。
先日こんな出来事があった。
ある企業が「社員寮」を作るため、本社にお伺いをたてた。その結果、3000万円の予算稟議が下りたそうである。それに基づき設計事務所に設計を頼み、ゼネコンに見積もりを依頼したが、500万円の予算オーバーとなった。大阪支店の担当者は「そんな予算はない」と減額設計を頼んだが、「落とすところはない」と撥ね付けられた。そこで相談が私のところに回ってきた。
図面を見ると、耐火性能の必要のない規模にもかかわらず「準耐火構造」で設計されているし、その外にも法規上要求されていない項目が目立つ。つまり、予算に対し「不必要なクオリティー」といえる。それを指摘して「ただし、行政に確認して下さい」と付け加えた。結局、その確認作業も私に回ってきたので、役所に同行することとなった。結果は、私の指摘通りでOKとなり、予算の目処はついた。が、頑迷な設計事務所を説得(設計変更の依頼)するのは容易でないだろう。

「余分なことですが」と断りを入れてから、法規外の点も指摘した。
20代の若者が住む独身寮なのに、全て「和室6畳+押入れ」で構成されている。若者の性向からすれば「洋室にベッド」で、押入れではなくクローゼット(洋服入れ)の方が合うのではないかと指摘した。便所も「全て和便器」で洋便器は1っ個所もない。洋便器以外使えない若者がざらにいる現代、異常な設計といえる。更に、風呂はあるがシャワールームがない。勤務時間が不規則で「決まった入浴時間」に仕事が終わる保証がないのに、シャワーを付けない設計は不可解である。風呂など滅多に使わずシャワーで済ますのが現代の風潮である。
お伺いしたところ、設計事務所の先生は70代中頃だそうだ。大変お元気そうで「耐用年数」は充分だが、感覚の「賞味期限」が切れているように思う。
この出来事は「身につまされる」ものであった。私は、いつまで「現役」でいられるか解らないが、賞味期限が切れたらリタイアしようと心に誓った。

ついでで触れておく。
建物の耐用年数はまだ大丈夫だが、賞味期限が切れた建物が増えている。つまり、目覚しく進歩する技術についていけず、性能不足に至ってしまう。それがリニューアルの多さに繋がっている。でも、人間のリニューアルは容易でない。

990419ヘビースモーカーの禁煙

終日雨
正月に「狭心症」の診断を受けたが、寒さが恐く充分注意していた。
春を迎え、気温の上昇と共に油断をしたのだろう、先週に続き今日も「発作」が起きた。1回目は夜中に、次は明け方に、更に朝食後「もう大丈夫」と、タバコを一服付けたとたんに発作に見舞われた。こうなれば「タバコ吸うのは命懸け」である。

あるお医者さん(実はお名前も題名も忘れた)が、「暴飲暴食の勧め」と言った内容の本を出されていおり、読んだことがある。勿論「逆説」であることは言うまでもない。
ヤセとデブが手術を受けた、「術後の体力は?」勿論デブがよい!と言った内容で、「デブの方が病気に掛りやすい」といったファクターは無視している。
この本によれば「酒もタバコもコーヒーも多いにヤリナサイ」となる。

何故なら、病気になった場合「止めるものが有ったほうが治りが早い」ということになる。素直な私は、タバコ・酒・コーヒーを浴びるほど嗜み、肥満体を維持してきた。

でも、わずか数時間で三度の発作に見舞われれば、さすがの私も「タバコは止めた」となる。口寂しくは有るが、意外と素直に「未練を断ちきっている」
酒とコーヒーは次のステップに備え「大事に温存」することにしよう

990420関西弁

関西弁は存在しない。
他から見れば「関西」は皆同じに見えるかもしれないが、住んでみると個々に違うことが分かる。大阪弁と京都弁はまるで違うし、奈良や神戸もそれぞれ特徴を有する。これは、イントネーションやセンテンスの差だけではなく、陰に隠れた「意味」もかなり違う。この差を理解しないと酷いことになる。

私のように、田舎出身の者は、アクセントから「京都の人」を嗅ぎ取り、言葉の陰に隠れた意味を翻訳しなければならない。言葉だけではない、行動パターンも結構違うことに気付く。それぞれ「永い文化」を有しているだけに「些細なこと」などの軽く見ない方がよい。
大阪弁で「せこい」という言葉が有る。あまりよい意味では使われない。「せこい奴」とは、ケチとかミミッチイということになる。ところが…

先日、あるお店でたまたまお隣の席の方が徳島のご出身で「あの言葉は、本来阿波弁です」とおっしゃった。戦国の覇者により徳島が征服され、大阪商人が大挙して阿波に来るようになった。藍の買い付けで、余りの値切り方に「せこい」と出たのが始まりだそうだ。ちなみに「せこい=切ない」なのだそうだ。今でも「あなたのことを思うと、心がせこい」というように使われるそうだ。大阪商人は言葉を奪い、意味を変えてしまったようだ。

遠くから眺めて「十把一からげ」にしていることで、実は括弧で括れないことが多いのだろうと反省する出来事でした。

990421カリスマ性

日本人も、控えめの美徳が影を潜め「目立ちたがり」が増えてきた。私は、この変化を良いことだと思っている。ただ、本人の意思と「目立つ」ことは余り関係が無いように思う。
目立つためにパフォーマンスをするのだが「影が薄く」印象に残らない人もいれば、後ろで寡黙に佇んでいるのに、妙に印象に残る人もいる。どうも「目立つ」とは、本人の努力と別の次元で、本質は「カリスマ性」にあるのではと思っている。

以前、オーム真理教が世間を騒がせたとき、仲間内で「新興宗教」を作ろうと言うヨタ話が出た。勿論その場の戯れ言である。教祖には「カリスマ性」が必要だ、と言うことになり人選が行われその結果、私が選ばれた。不思議なことに、日頃余り言葉を交わすことがない人達から強く推挙された。私を良く知る友人には「カリスマ性」など論外でも、すこし距離を置いてみている人からは「オーラ」が有りそうに見えるようだ。
当時、セキセイインコを飼っており、教団名は「インコ教」と言うことになった。勿論登録もせずに「即時・解散」となった。

990423立場変れば

喫煙中に狭心症の発作に見舞われ「タバコ」を止めた。あれから5日目に入っている。最も薄いタバコを使用していたためか、ニコチン中毒の「禁断症状」は起していない。やや近いことでは、夕方になると「頭がぼやけ」なかなか覚醒しないことであろうか。
口寂しいのは如何ともし難い。これに慣れるにはかなりの時間が必要であろうと思う。
レストランに行った、喫煙の有無を尋ねられ「禁煙席」を初めてオーダーした。何とも奇妙な感覚に襲われる。昨日は「禁煙車」と書かれたタクシーに乗った。今後「禁煙車」の座席指定を取ることになるのであろう。

わずか数日で生意気だが、たばこの臭いに敏感になっている。今まで私のために「顔をしかめ我慢をしていた」人達の気持ちが良く分かり、心からお詫びをしたいと思っている。

990426新参者

禁煙して1週間。昨日はかなりの「苦しさ」があった。
統一地方選第2ラウンドが終了した。我が町でも、市長選及び市議会選が行われた。
自民退潮は相変わらずだが、政党色が益々分からなくなってきた。「無党派」がまるでファッションのように言われ、誰も彼も「無所属」を名乗っている。市長死去に伴う、我が町の選挙に「5人の候補」が出たが、保守系か革新系かも分からないほど、政党色を消している。もう少し「選ぶ目安」を掲げて欲しいものだ。

これは余談
無所属議員が増えたため、「公明党・日本共産党」の2党がやたら目立つようになった。現実にも、この二党による影響が強まっているそうである。政党は「政党」を看板に掲げなければ決して結束できない見本のような話である。
以前、公営の団地に住んだことがある。自治会は特定の政党に支配され、宗教色やイデオロギーの濃い署名やカンパに「自治会を退会」したことがある。

投票のついでで買い物に出かけた。近所に、大手のスーパーマーケットが出来たという。確かに「間近」に見えている。ところが、つながっていそうな路地がすべて「フェンス」に遮られ、結局大通りからしか入れない。せっかく「近くにスーパーが出来たのに」これではご近所も不便だろうに。スーパーだけではない、スーパーに面して「児童公園」があるのだが、高いフェンスに遮られ「入り口がない」。広い敷地が、国道以外に入り口を持たぬ不自然さ。流石は「新参者を撥ね付ける」我が町の面目躍如といったところか。

昨年抽選に当たり、団地の自治会長を勤めたが「新参者」として、旧市街地から全く受け入れられることはなかった。ちなみに私はこの地域に30年住んでいる。
お祭りを含め、地域のイベントに参加できる可能性は限りなく『0』に近い。
近くに住む若夫婦が「子供がやっと、だんじり祭りに参加できる」と喜んでいた。3代住んで、どうにか受け入れられるのが「我が町」の保守性である。
選挙に立候補しても「旧市街地」に認知されなければ、当選はおぼつかない。楠公さん以来の土地柄である。

990429過去の栄光

ゴールデンウイークが始まった。前半は天候に恵まれるが、後半は雨の予想
今日は「春の叙勲」が行われる。
政治家が無条件に「勲一等」であるのに対し、各界で地道に活躍し「余命幾ばくも…」と、感じさせる人が「勲4〜5等」である。なんとも割り切れぬ気持ちを抱くのは私だけではあるまい。
それでも「顕彰」されるのは、ほんの一握りの人に過ぎず「大変名誉なこと」に違いない。惜しむなくば「現役」のうちに差し上げたいと思うが、いかがであろうか…ようは「過去の栄光」に対して顕彰されている。
私など「過去の栄光」はないし「これからの栄光」も無いものには、想像のほかであるが「叙勲」とは如何なる重みを持つものであろうか。
過去の栄光とはナンゾヤ?
叙勲などなくとも「過去の栄光」を「生きた証」として求める人は、意外と多くいるのではないであろうか?そんな事をふと思ってしまった。



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