dogfight高松の長すぎるひとり言
1999年3月

臓器移植空想マニュアル水分軽薄短小景観保存地区ものぐさな日本人シティーバンク最近の報道から本当は怖いグリム童話修ニ会と携帯電話いじめメールフレンドを求めて動転彼岸日の丸・君が代目に見える音一年生不審船一般論ホームページ同年同月日K氏の帰国510円の快適
990301臓器移植

臓器移植法が施行されて1年半。同法に基づく初の臓器移植が昨夜行われた。
昭和43年。札幌医大の和田教授による心臓移植が我が国最初の移植手術であった。しかし、「本当に脳死状態であったのか?」「本当に心臓移植を必要とする患者であったのか?」等不透明な部分が多く、その後31年の中断を余儀なくされた。私には当時の是非を判断できないが、壮挙と暴挙が「紙一重」であることは分かる。

慎重な「脳死判定」を経て、クモ膜下出血で倒れた高知に住む40代の女性の臓器が移植された。心臓は阪大に、肝臓は信州大に、そして腎臓は東北大と長崎国立病院で移植手術され「無事終了」したとのこと。
街の意見は「賛否両論」である。日本人の「死生感」から考えれば予想されたことである。和田教授の問題だけではなく、この死生感が移植医療を大きく遅らせたと言える。私は、両親と兄を送っているが、遺体と言えども「そこにある」ことが別れを先送りする。斎場で荼毘にふす時の「いよいよお別れだね…」と言う気持ちを味わったものには、臓器提供を承諾したご遺族の勇気に敬意を表する。

私も「ドナーカード」を所持している。ただ、その「踏ん切り」がつかないまま、まだ記入していない。笑われるかもしれないが、結構「勇気」がいる出来事に思う。さらに、私の臓器は利用できるのであろうか?そんな疑問がある。子供の頃腎臓を患い、発症こそしていないが、今でも精密検査をすれば「腎臓の異常」がでる。心臓は、最近「狭心症」の診断を受けた。肺はタバコで「真っ黒け」肝臓はアルコールの摂取で「脂肪肝」と言った有り様である。おそらく「医学上の都合」で移植拒否されそうだ。
それでも「アイバンク」には登録している。臓器はだめでも「角膜」は利用できるだろう。長男が「円錐角膜」で片目を失明したのが高校3年であった。諦めていたが、ひょんなことから「眼科医」と知合い移植希望登録を勧められた。当時(今でも)「5年待ち」と言われる移植だけに期待はしてなかったのに、わずか2ヶ月後に移植を受けられた。影響力のある「先生」とは存じていたが、これほどとは思わなかった。なお、私は断じて「裏工作」を行っていない。そんな私にできるお礼は角膜の提供しかない。いつか「お役に立てれば」と思っている。

990305空想

空想の世界は楽しい。時として現実逃避にもなろうが私は「二重人格」ではない。しばしの休息に「空想」を許されたい。

空想の世界では「私はヒーロー」である。それも、自分に最も欠ける部分が「万能」となる。
時の権力者として、日本だけではなく「世界のリーダー」として活躍する。そこには「強い日本」があり、経済不況などない。軍備にも勝れ他国から「舐められる」こともない。
一転して、「闇の帝王」として君臨する。スーパーマンと超能力を兼ね備え、いかなる暴力も撥ね退け「正義の味方」として登場する。矛盾するようだが、法律に守られた「悪」を裁くにはこれしかない。
時としてスーパースポーツ選手となる。マラソンでは「2時間の壁」を破り、また野球選手として大活躍する。勿論「贔屓のチームが優勝」する。
どんな美人とも恋ができる。私は世界一のドンファン

こんな傑作な空想もある。まもなく「暴走族」の季節が来る。人の迷惑を「何よりの喜び」とする連中を、絶望の底に突き落とす。その方法が素晴らしい。
暴走を繰返す連中の「空間が歪む」
風景は「明かりのない都市」に変っている。それでも彼らは暴走を止めない。自分達が空間転移したことに気付いていない…
突然、闇の中から銃撃される。
次々に撃たれ死んでいく…「警察はどこだ!」そんな矛盾した叫びは通じない。
そこは「北朝鮮」であった。

990307マニュアル

マニュアル尽くめで辟易させられることがある。それでも均一なサービスには有効な方法なのだろう。
こんな笑い話がある。ラッタッタの給油のため、GSに行ったところ…
「ハイオクですか?レギュラーですか」(ラッタッタはレギュラーしか使えない)
「満タンですか?」(満タンでも1Lしか入らない)
車に対するマニュアルを、そのままラッタッタに摘要した間違いである。でも「笑い話」で済むことである。しかし、こんな不愉快な話のある。

本屋には毎日行く、そんなある日、某有名書店でのこと。
「カバーを着けますか?」ここまではマニュアル通りである。「着けて下さい」と言ったところ、文庫本なのに「単行本のカバー」を着けて出した。当たり前であるが、ガバガバで使い物にならない。誰が見たって解るはずなのに、店員は何とも思わないようだ。これだけ「本に知識のない人」を店員に使うセンスが解らない。
息子と二人で某有名中華料理店に行った。
前菜、メインデイッシュ、スープと順番に5品を注文した。オードブルが出てきて、ビールで乾杯したところに「次々に」注文した料理が出てきた。
日頃温厚な私もさすがに頭に来た。「失礼やないですか!私は定食を注文したわけではない。二人でいっきにこれだけ食べろと言うんですか!」
店員も「二人用のテーブル」に載りきらない料理を抱えてオロオロしている。

両ケースとも有名なお店での出来事である。マニュアルの不徹底や、マニュアル不足の証のような出来事である。最も、これらはマニュアルなどなくとも解るような出来事である。むしろ、有名なお店でも「常識が通じない」と言うべきであろうか

990307水分

「50歳を過ぎればなんでもあり」だそうである。健康の話である。
私の血液は「粘性が強く」血栓になる可能性があるとかで、意識して「水分」を取るようにしている。
朝食は、トースト半切れとハムエッグにミルク・人参ジュース・コーヒー各1杯、更に「鉈豆茶」が1杯である。人に話したら「何と水分が多いな…」と感心された。日中も「1時間毎にコーヒー1杯」を飲む。但し、底が透けて見えるほど「超」の付くアメリカンコーヒーである。
本を読んでいたら、コーヒーの原産地は「アラビヤ半島」との記述があった。本当なら、私は大変勘違いしていたことになる。大航海時代(16世紀)に南米からコーヒーの木を持ち帰ったことにより「世界に普及」したと思っていたが違うことになる。
ヨーロッパのコーヒーは「煮立てる」泥コーヒーに対し、アメリカは炒って湯通しする澄んだコーヒーである。森林が火災を起こし、香ばしい匂いから「コーヒーを炒る」ようになったといわれる。
その本によると「ヨーロッパもかってはコーヒー文化」であったそうだ。今ヨーロッパと言えば「紅茶文化」と思うが、その原因は二つある。コーヒーの原産地アラビヤ半島で反乱が起き、入手が困難になったこと。更に、インドの植民地化により「紅茶(お茶が輸送中に変質した)」が過剰に出回り、消費を喚起したことによる。

ちなみに、同書によれば「ビールの原産地」もアラビヤ半島だそうである。これも、大変好きな「水分」である。

990308軽薄短小

先日の竣工パーティーでの挨拶
世の中、「顔で損をする人」が沢山いますが、私もその一人です。趣味で絵を描くのですが「その顔で?」と言われます。別に顔で描くわけではなく、手で描きます(笑い)。デザインを売り物にする商売をしながら、私の基準は「いかに楽か!」にあり、まったく格好を構いません。そのため、私が色彩を云々しても「なかなか信用して頂けません」。今回も、決め手の部分を最後までペンディングにしたのは、「実績を作り、どさくさに紛れて決定する」ためでした(笑い)。以下、省略

結果的には、評判の良い「色使い」の建物となった。不満は残っているが、自業自得な部分もあり、やむを得ないかとも思う。それは、私の全ては「いかに楽か!」に尽きる。ブランドもので固めるより、軽薄短少を好む。どこにへたり込んでも構わない「Gパン」足元の楽な「スニーカー」軽くて暖かい「ブルゾン」等々…高級な「皮ジャン」の重さは犯罪的である。手袋は「軍手」ほど気楽なものはない。そんなわけで「センスとは縁のない服装」をしている。更に悪いことに「髪の手入れをしない」「悪人顔」と来れば、職業当てクイズをしても「まず当たらない」こんなことで信用される筈がない。 

990309景観保存地区

雨の神戸「北野」に行ってきた。観光でないのが残念であるが、異人館の立ち並ぶ「景観保存地区」の一角を現地調査してきた。大変な地区だ。ここで計画をするのは「熱が出そうな」くらい行政と協議が必要となろう。

現地に続いて神戸市役所にも行ったがその規制の多さにウンザリする。その割に「現地は雑前」としており、これらの規制(景観保存)が有効に働いている様子がない。規制のための規制であるなら「ただ迷惑」な話だ。書類に明け暮れ「現地に足を運ばない」ため、これらの規制が景観保存につながらない。それと木目の細かさがない。例えば今回の計画地北側直ぐに異人館がある。全て規制を遵守しても建物ができれば間違いなく隠れてしまう。なんとなく「地区を設定」するのではなく、保存対象から「何メート以内は建設禁止」と言った思いきったものでなければ有効ではないと感じるがいかがであろうか。最も、そうなれば私は仕事を失うが…

なにも「景観保存地区」だけではない。是非保存して欲しい景観は、あっちこっちに存在する。かって私は仕事を断ったことがある。それは壊すには余りに惜しい建物であったし、その背景にか建物が存在し得ないほど風景とマッチしていたからである。その後どうなったであろうか?
どうも景観保存地区の概念が「狭すぎるのでは」との感想を持っている。建物が存在感を持つのは建物だけで成り立つわけではない。その借景まで合せて成り立つと思うからである。

990311ものぐさな日本人

昨夜、友人と食事をした。彼は海外生活が長く議論好き、そんな分けで…
「何で日本にはハンドメイドの家がないんや?」と、議論を吹きかけてきた。それに対し、理由は二つあるとと答えた。我が国は「何をするにも資格が必要」で、現行法規で「ハンドメイドハウス」は事実上不可能である。ただ急速に規制緩和されつつあり、数年の内には「自己用住宅に限り」ハンドメイドが可能になるのではないかとコメントした。
しかし、その先が問題である。仮に規制がなくなっても「ものぐさな日本人」が、ハンドメイドで家を造るだろうか?この問いかけに彼も唸っていた。

最近「手作り」は強力なキャッチコピーとなっている。言換えれば「それだけ手作りをしなくなった」と言える。

アメリカは不思議な国である。「アメリカこそ正義」を振りかざし、他国の風俗習慣と言ったものを無視して押し付けてくる。「アメリカで売れるのに、日本で売れないのは非関税障壁があるに違いない」と言う正義で、門戸開放を迫った商品がどれだけあるであろうか。車にオレンジは自由化してどう変わったのか?何も変わりはしない。日本人の好みを無視して売れる筈もない。牛肉はどうであろう…

クライアントで肉屋さんがある。お話を聞いたことがあるが、1頭の牛から、皮を矧ぎ骨や内臓を取り、更に多すぎる脂肪や筋を除くと「売れる部分は半減」するそうである。それを更に「すき焼き用・網焼き用・シチュー用」と言ったように加工する。
「牛肉を自由化すれば半値に下がる」筈が結局変わらない。第一「骨が付いたままのブロック肉」と、「すぐ食べられる加工肉」の値段を比較することがナンセンスである。仮に、半値の値札を付け「ブロック肉」を店頭に並べて、購入する主婦がいるであろうか?日本人は「ものぐさ」なのだ。

建築の世界でもこんな話がある。今は「好況のアメリカと不況の日本」の陰に隠れて表面化していないが、「板ガラス摩擦」である。例によって、「アメリカのガラスは半値で買えるのに、日本で売れないのはケシカラン」と言う言い分である。決して関税障壁があるわけではない。
我が国では、「寸法指定して何枚」と注文を出す。それが現場に届けられて「値段」となる。そのため、板ガラス各社は各地に共同で「カッティングセンター」を設け対応している。「搬送賃・カッティング費・カットに伴うロス」と言ったものを全て負担した上での値段と「港渡し」の値段を比較して「半値」と叫んでも始まらない。
牛肉同様、木目の細かさを無視しての値段比較は、ナンセンスである。「我が国はオーバークオリティー」であることは間違いないが、この品質を無視して売れないことも事実である。これが「非関税障壁」と言うなら、日本人が死に絶えない限り解決できないのではないか。

990312シティーバンク

先日パーティーでF銀行某支店長と同席した。お陰で様々な話を伺うことができた。
主要銀行が公的資金を申請したことで、「貸し渋りも無くなります」とのこと。「これからは優良な事業に積極的に融資します」ともおっしゃったが、確実な担保が必要なことは何も変わっていない。支店長の意見では「優良な事業でも貸さなかったのが貸し渋り」だそうだ。つまり、担保に対して融資するスタンスは変わらない。

そこで、シティーバンクのことに話が移った。言うまでもなく、アメリカの銀行(世界最大の銀行)である。彼らは、事業内容に対して積極的に融資活動を展開している。ただ、こんな恐ろしい(面白い)話が出た。
マンション事業を例にとって見る。設計者が「企画書」を作り事業化(マンション建設)を勧める。それをクライアントが判断して実行に移されるわけだが、シティーバンクでは「企画者も共同責任者」として責任を取る立場になるそうだ。これは、恐ろしい話だ。
我が国における「企画書」は無責任すぎる。誰かに「事業を唆す手段」と化している場合すらある。企画書にはその事業の「収支計画」も含まれる。提案者にとって不都合な数値は無視されるか改竄され「さも、儲かる」体を装うことが多い。シティーバンクに融資を仰ぐ場合、これらの「いいかげんな連中」は青くなること請け合いである。本物しか生きられない時代は面白い。

990312最近の報道から

 JRと車椅子
昨日の朝刊にこんな記事が出ていた。
車椅子の青年が「(彼が利用する)JR駅にエレベータがないのは、行動の自由を保障した憲法に違反する」として訴訟し、その判決が出た。JRの対応に問題もあったようで、憲法判断には触れなかったが、賠償金の支払いを命じている。傷害者の面倒を「JRが行うのが当たり前」と言う前提での訴訟である。判決もこれを「是」としている。この感覚で海外旅行をしたならば、彼は戸惑うであろう。(990115「ボランティアに付いて」を参照されたい)
普遍性を述べるなら、この問題はどんな施設にも当てはまる内容である。私は類似の訴訟を恐れる…

 少年法改正
少年法の改正案が見送りになるそうである。
この数年「少年犯罪」が世間を騒がせた。中学生による連続族殺人首切り事件他、少年とも思えない凶悪犯罪が相次いだ。現行少年法では「16歳未満の犯罪は如何なる罪も問えない」となっている。また、20歳未満の犯罪も刑法から除外されており、成人なら無期懲役になるような犯罪も「2年程度の保護観察」で済んでしまう。このことは少年自身がよく知っており、「罪を犯すなら今のうち」とうそぶく輩がいるとか。
一時盛り上がった「改正論議」も、法曹界(罪を軽くすることを生き甲斐としているらしい)や世論の反対(世論ってなんだろう?)で、改正案そのものが見送りとなった。かくて少年犯罪は引き続き「野放し」となる。ただ、今日のニュースで「首切り事件」の少年に対し、民事訴訟が行われ「1億円の賠償金支払い」を命じている。せめてもの慰めであるが、おそらく実行はされまい…

余談である。ニューヨークの犯罪が激減しているそうだ。アメリカ自体の好況が影響しているのも事実だがそれだけではない。例えば、飲酒運転をすれば「車を没収し競売に掛ける」と言った、厳罰主義で対応し「殺人事件は1/7に減った」そうだ。
刑法は「性善説と性悪説」で常に議論の的となる。我が国では概ね「性善説」で刑法が作られているが、本当に大丈夫であろうか?

 チャイルドシート
交通事故から幼児を守るため、「6歳までチャイルドシート着用」の義務付けが法制化されようとしている。これ自体は「良いこと」なのだろうけど、こんな問題も起きそうだ。
夫婦に子供2人の標準家庭で、子育て期間は「後部座席」をチャイルドシートで占領されることになる。そこに夫婦で乗れば「おばあちゃん」の座る場所はない。そうなれば、7〜8人乗りのRV車以外、幼児のいる家庭では用をなさなくなる。車のニーズに大きな変化が出るのではと思う。ひょっとしたら、車需要の減衰に悩む「自動車業界の陰謀」かも知れない。ちなみに、チャイルドシート先進国のアメリカでは「4歳まで」で、多くはリースで対応するそうだが、6歳までとなるとそうは行かないだろう。

 ホームレス
大阪の主要な公園が「ホームレスの小屋」で埋め尽くされようとしている。先進国でホームレスが少ないのは我が国くらいだそうである。それも昔話になりそうだ。
「不況が招いたホームレス」とマスコミは行政を非難するが、それだけであろうか?
リストラや倒産と言った事情で失業が増えているのは事実であるが、即「ホームレス」に結びつかない。基本的に「家」はある筈だし、雇用保険の発達した今、即「生活に困る」分けではない。もっと真相(深層)に迫る解明が欲しい。

「希望退職」を募ると、有能な社員が退職し不要な社員が残る傾向がある。そこで、最近では「指名解雇」に変ってきている。「窓際族」などと呼ばれ疎外されながら企業内にしがみ付いているのは、私には理解のほかである。何故新天地を目指さないのであろうか? 戦後「競争を排除する教育」が続けられてきた。競争の排除は「自己研磨」の必要を無くす。世間が裕福な間は、「私には○○を受ける権利がある」と主張していれば良かったが、企業に余裕がなくなり「企業内失業者は文字通り失業者」となった。自己研磨しない社員がリストラに合うと、更に無気力になるのではないであろうか。そのくせプライドは高く、再就職先から提示される「実力に見合った処遇」に不満があり、なかなか次が決まらない。日本は不況の真只中にあるが、ホームレスになるほど仕事がないわけではない。

まもなく「お花見」のシーズンが来る。桜の下はホームレスの「ブルーシート(小屋)」で占領されており、トラブルが続発するのではないかと懸念している。
ちなみに、ホームレスが先進国特有の現象なら、未開地域や紛争地域では「難民」となろうか。テレビに映される「難民の無気力さ」と、ホームレスに何の差もないように感じるがいかがであろうか

990315本当は怖いグリム童話

桐生操(女性二人の共同ペンネーム)氏が書く、同名の本を読んだ。お恥ずかしい話だが、この歳になって初めて「グリム童話」を読む。しかしその内容は、聞いていたものと余りにも違っていた。
グリム兄弟は、ナポレオン占領下のドイツで育つ。民族自立を標榜し、民族の活力を鼓舞するため、伝承や民話を集めて「グリム童話」として出版する。グリム生存中に第7版まで出版されるが、版ごとに内容が変っていく。余りにも「生々しい」ためであったようだ。これは、主に第1版を翻訳したものである。

   白雪姫
白雪姫は王女として生まれ、「7歳で実父の娼婦」となる。エディータコンプレックスの世界である。嫉妬に狂った実母(継母ではない)により「森に捨てられる」が、7人の小人に助けられる。そこで、小人達の「性の奴隷」として命を繋ぐ。
白雪姫の生存を知った母により「毒リンゴ」を与えられ死ぬ。そこへ通り掛った王子が、白雪姫の死体を貰い受ける。王子は「死体愛好者=死体しか愛せない変質者」であった。しかし、従者が死体に悪戯をしたため「毒リンゴが吐き出され」白雪姫は生き返る。王子はガッカリしたが、夫婦で「国民に暴虐を働く趣味」をみつけ、仲良く暮らす。
森に自分を捨てた母に仕返しをするため、謀議を巡らす。それと知らず「招待された」母は、王子の城で拷問に遭い殺される。

日本で語り継がれる「グリム童話」と比べていかがであろうか。桐生操氏の研究によれば、当時のドイツの時代背景から「不自然な内容はない」そうである。
童話に「継母」が多く登場するが、当時の再婚率は40%を超えており、ごく普通に継母が存在した。
当時、12〜14歳で結婚し、大変早熟であった。
男女とも不倫が多く、近親相姦も珍しくなかった。「性のモラル」はなかった。
暴虐非道は日常茶飯事で、国民は奴隷に等しかった。また、「魔女」のレッテルを貼れば「何でもあり」であった。

ちなみに、版を重ねる毎に「性の描写」は削除されたそうだが、暴虐の描写は削除されていないそうである。まだまだ、権力者による暴虐が許容されていたと言うことか。
「危険から隔離」する我が国と比べて、このスザマシサはどうであろうか。ただ、童話のイメージが崩れたのも事実である。

990315修ニ会と携帯電話

昨夜、春を告げる風物詩「修二会(しゅにえ)」が終わった。俗に、東大寺の「お水取り」と言われる行事である。かなりに寒さを覚悟して行ったが、雨を呼ぶ生暖かい風にコートはお荷物となった。以前にも一度行ったことがあるのだが、随分風景が変っていた。どうも前回は最終日ではなかったようだ。
10本の「大松明」が二月堂の舞台に勢揃いし、火の共演となった。それは見事なものだけど、時間にして10分余り「ちょっと物足りない」感じで終わってしまった。

修二会は、9世紀初頭留学から帰った「空海」が東大寺管長となったことから、始められた行事である。当時の「最新の宗教」と言える。別名「達靼(だったん)の儀」とも言われ、名が示すよう「達靼国」の風習を伝えたものと思われる。今も、若狭で達靼からの水を汲むことから「お水取り」とも言われる。ちなみに達靼国は今の中国東北地方(満州)に当たり、我が国とは縁の深い地域である。「日本人=騎馬民族説」があるが、満州が日本民族の「故国」と言う学説による。
また、大和朝廷では明らかに「中身が入れ替わった」と思われる記録がある。日本書紀に応仁天皇5代の孫と称して「継体天皇」が登場するが、「若狭に上陸」と記述されており、達靼国により「体制が継がれた」ことを物語っている。

大松明の火の演舞が終わってから、達靼の儀を見学に行った。蝋燭の火の下、朗々と響く読経は厳粛そのものである。そんな中に「携帯電話の呼出し音」が鳴る…ここまで日本人は礼儀を無くしたしたのであろうか

990316いじめ

学校が荒れている。いじめ問題だけではなく、最近では「学級崩壊」だそうな。生徒が授業を聞かないため、教室そのものが崩壊している。
私は「子育て」が終わっているので直接の影響はないが、孫の時代が来ればまた当事者になる。もっと言えば「日本の将来」に暗い影を落とす問題と言えよう。

長年にわたる日教組の努力の成果と言えなくもない。その影響は戦後教育を受けた親に潜在化し、次の世代で顕著になったと言える。権利は教えても義務を教えない、また「親も子も同権」と言った教育をすれば、こんなことになることくらい想像できなかったのであろうか?私は、自立できこそ「人権」を認めるべきであると思う。それまでは、自立を促す「指導・教育」するべきで、善悪の判断もできない子供に、いきなり「全権」を与えるのはいかがであろうか。そこで「いじめ」について触れてみたい。原因は多岐にわたるであろうが、思いつくままに…
 ガキ大将の不在
私は戦後の生まれである。戦地から返った親父が「楽しんだカス」などと嘯く輩もいるが、戦中派の生きざまや生活様式風習と言ったものを受け継いだ最後の世代であろう。

少年時代にテレビが世に出たが、貧乏人に手がとどく商品ではない。学校以外は「遊び」に暮れる日々であった。遊びと言っても「テレビゲーム」等ある筈もない、完璧な「アウトドア」である。それは、唱歌「ふるさと」に出てくる歌詞そのままに、小川を塞き止め「メダカを追う」等楽しい遊びであった。まもなく、メダカが「天然記念物」に指定されるそうだが、こんなことは考えられない世界であった。塾などと言ったものはなく、夕食後も「ガキが集まり」夜更けまで遊んだ。暗闇でやる「かくれんぼ」の迫力など想像もできないであろう。
今考えれば「危険に満ちた」ものであったが、誰も命を落としたものはいない。それなりに「ケガは付き物」であったが「子供の遊び」に介入せず、苦情をいう親はいなかった。はるかに、子供の自治が認められていたのである。

就学前の子供から中学低学年でグループができ「ガギ大将」が存在した。ガキ大将は公平で保護者でもあった。ガキ大将の裁定は「絶対」で、秩序ある喧嘩が行われ、ケガはしても命に関わることは決してなかった。約10年続く子供社会で、物事の限度や秩序を自然に学んでいた。私の時代にも「いじめ」はあったけれど、陰湿さのない「公平な保護」の基に行われた「学習」であった。
今、子供社会が崩壊した。何事にも「親が口を出し」同年でしか遊ばなくなった。ガキ大将がいなくなると共に、イジメが陰湿になって来たように思う。

 危険からの隔離
私の時代は、筆入れに必ずナイフが入っていた。勿論、脅しのためではなく、鉛筆を削る道具である。時にはケガもするが「刃物は危険である」ことを知り、痛さを覚えることで「脅しの道具に使う」など言ったバカはいなくなる。バタフライナイフで簡単に「人を刺す」事件が相次いだが、本人は「ケガ等をしたことがない」に違いない。痛さや危険を知っていれば、あんな事ができる分けがない。

子供の水死事故があるたびに、「柵がないために…」と、訴訟に発展する。先に述べたように、私が「水遊び」をしていた頃は「柵」など考えられなかったが、水死事故など一件もない。ガキ大将の保護観察下にあることもあったが、何よりも「これ以上は危険」と言うことを良く知っていたように思う。
予防接種のように、安全な「危険」を教えることが「危険回避」の最高手段と思うのだが、教育現場では「危険からの隔離」が、危険回避と考えているようだ。

 鋳型
「競争=悪」の発想があるようだ。競争を排除した結果、「個性を嫌う」教育になってしまった。人それぞれ得手不得手があるし、「十人十色」と言われるように子供全てが同じである筈がない。しかし、鋳型を決めそれに合う生徒を「優秀」とするため、「個性の発揮」ができなくなる。
若い人を見ていると、優秀な成績で卒業した人に「没個性的」な傾向が見られる。発想は単調(飛躍できない)で、予定調和の範囲内ならばそれなりに優秀なのだが、イレギュラーな事態に直面するとまったく対応できなくなる。反面、名門ではない大学を卒業し、入社順位が下位の人でも「ひらめき」があり、タフな若者がいる。大抵が「イジメ」をくぐり抜けてきている。
鋳型を定めると、それより良くても悪くても「異端児・変人」扱いをされ、最も平均的なグループからいじめを受けるようになる。

思いつくままに書いてきたが、どれも「今様教師」には難しいことかもしれない。労働者ではなく、聖職意識を持たなければ「どれもシンドイ」ことであろう。子供の問題は「教師の問題」でもある。

990318メールフレンドを求めて
K君、オーストラリアの暮らしはいかがですか?
春を告げる東大寺の「お水取り」も終わり、日本では、最高気温が20℃を超すようになりました。越冬した「桜の蕾」が大きくなり、公園の「モクレンやコブシ」が白い花を咲かせ始めました。
好況には程遠いけれど、経済閣僚が「不況の底打ち」を宣言したように、明るさの予感がしてきました。今は、細々とした仕事をして耐忍んでいますが、大きな物件が決まったら「やりたい」ことがいっぱいあります。
 コンピュータを最新に入れ替える。
 ・
オーストラリア研修旅行
等々、相変わらず「ホラを吹いて」暮らしています。でもきっと実現できると思っています。
××(当社社員)は、当社のホームページを作っています。登録できたら知らせます。なお、私はEメールの相手を募集中です。是非、Eメールで返事を下さい。

ちなみに「オーストラリアのコンピュータ」は日本語を解さないため、「全部ローマ字で書いて」と注文が付いている。ローマ字で手紙書くのは「大変だよ」
990320追記 
オーストラリアのK君からREメールが届いていた。ローマ字の日本語を読むのはもっと大変であった。

990319動転

早朝、家内の悲鳴で飛び起きた。が、家には誰もいない。「夢でも見たか」と、思いまた蒲団に潜り込んだ。暫くして、弱々しい声が聞こえる、家内が「頭から血を流し」玄関にうずくまっている。ゴミを捨てに行き、ゴミ置場で転んだそうだ。私は、「聞こえるはずのない悲鳴」を聞いたようだ。

落ち着いているようで、ウロが来ていた。救急車を呼ぶつもりが110番に連絡していた。血だらけのダウンジャケットを脱がしたのは良いが、「寒い」ことに気付かない。治療が終わって、人心地が付いて寒さに気付いた。
右側頭部を5針縫う外傷を負ったが、頭蓋骨に異常はないそうだ。ただ、脳内部に異常があれば、6時間以内に症状が出るので「注意」するよう指示された。今、家内の様子を見ながら自宅待機している。

990320彼岸

(ふっと、父母のことを思い出した)
「左利きではとてもピアノは演奏できない」とテレビを見ていて気が付いた。
サウスポーは何かと不便なことが多い。随分前になるが「剣道親子大会」に出たことがある。私は全く心得がないが、息子達がクラブに所属しており、夏休み合宿のイベントとして行われた。付け焼き刃の訓練を受け、大会に臨んだが「惨澹たる有様」であった。剣道は「型から入り」およそ、世に左利きがいることを認めていない。無知な上に「勝手の違う竹刀」では、一方的に打ちのめされるばかりであった。

私は、生まれついての左利きである。何もかも「左」であったが、母の厳しい躾で「字だけは右」に直された。随分辛かったが大変感謝している。ドラフター(製図機械)は「右用」で、あのまま左で字を書いていたら私は建築設計を諦めていたかもしれない。
よく冗談で「黄金の右手」と言う。私の生活を支えてくれるのは右手と言う意味である。ただ、コンピュータ化して両手使いとなっている。キーボードは左・マウスは右で扱い、CAD入力にはこの上なく便利である。
箸は左手。スポーツも左、絵筆も左であるが習字は右である。以前、右手親指を骨折したが「不便であるが不自由はしなかった」

まもなく入学シーズンになる。
私は小学校に入学の折り「ランドセル」が欲しくて仕方がなかった。しかし家庭の事情が許さず、父の知合いの帆布店でショルダーバッグを作ってもらいそれに代えた。一人だけ違うカバンであったが、別にいじめにも遭わず逆に先輩から羨ましがられたりした。
私は長年、帆布のショルダーバッグを愛用している。しかし、あの時のショルダーバッグのほうがずっと良かったと思っている。真っ白な帆布に父が描いてくれた、夏の海に風をはらんで快走する「ヨットの絵」を今でも鮮明に覚えている。

990321日の丸・君が代

卒業入学シーズンになれば決まって「日の丸・君が代」問題が起きる。今年も広島の世羅高校で板挟みにあった校長が自殺をしている。ちなみに同高校は「韓国へ謝罪」目的の修学旅行を行うそうで、大変恣意的な行動が目立つようだ。同校職員組合は「コンセンサスもなく、日の丸・君が代を押し付けることが原因」と発表している。私の知る世論調査では、70%の人が認知しているがそれではコンセンサスにならないようだ。

一部の日の丸・君が代反対論者に「法律で決まってもいないのに」の声があり、政府では急遽法制化する意向のようだ。国旗国歌を法律で定めている国は新興国に多く、歴史ある国では少ない。さすがに世羅高校の自殺事件は世の糾弾を受け、共産党までが法制化賛成を表明している。ただ「同床異夢」であることは間違いない。
日の丸は「元寇の役」のおり、鎌倉武士の「馬印」として登場し、祖国防衛(存亡の危機に遭った)戦争から日の丸は生まれている。日の丸反対論者は、前期大戦で「血塗られて」いると言うが、長い歴史から見ればほんの僅かに過ぎない。どの国の国旗も「血塗られて」おり、むしろ革命や独立戦争と言った「血の歴史」から生まれている。

平安時代は死刑制度も廃止されており、我が国の歴史でこれほど平穏無事な時代はない。そんな時代の宮中で「平和を謡った」のが「君が代」である。君が代反対論者の意見では「主権在民の世に君が代はないであろう」となる。主権在民は間違いないが、同時に憲法で「象徴としての天皇」がうたわれており「立憲君主国」に相違ない。して見れば「君が代」に何の矛盾もない。他国では、戦闘を歌ったものが多く「血の雨が降る」内容で占められていて、君が代のように間延びした詩は滅多にない。片方で「血を理由に国旗に反対し」一方で「血」を求めるのであろうか?

私は60年安保と70年安保の狭間で社会に出ている。当時、読書の習慣はなかったけれど「朝日ジャーナル」だけは読んでいた。結婚して、読書の習慣が付き「歴史に興味を覚えた」ことと、27歳で1っヶ月のヨーロッパ旅行を体験したことが、朝日ジャーナルと決別する理由になった。僅か1っヶ月であったが、外から「日本を見る」機会があったことに感謝している。

990323目に見える音

ケッタイな夢を見た。
登場人物は「フォーククルセイダー」と「あのねのね」の二組。掛け合いで歌を唄い出した。始めはスローバラードで、やがて激しく被さっていく…
その「音」が景色として見えている。「あのねのね」はトイレを作っている。「フォーククルセイダー」は、その上にポリボックスを作ろうとしている。2階に上がる階段を付けると、トイレの入り口が塞がれる…まさに、覆い被さるように「音」は盛り上がっていく。余りの可笑しさに、大声で笑ってしまった。そして目がさめた…

まことに不思議な夢であった。音が鮮明な景色として見える。本当に音が見えたらいかがであろうか?楽しいのであろうか?それとも「目を被いたくなる」のであろうか?

990324一年生

一年生の前に「ピカピカの」と形容詞を付けたいが、光っているのは「頭」くらいなものである。息子の特訓を受け、時には「物覚えの悪さに」におこられながらインターネットを始めている。良く分かりもしないうちから「ホームページ」の製作に着手しており、相変わらずの性急ぶりと言われそうである。

「ひとり言」「雑記帳」「旅行記」のキーワードでインターネットを開いてみた。沢山あるんだね…
私のように、何かを書いても発表の場がない人にとって、インターネットのホームページはうってつけのようだ。私もホームページを設け「見知らぬ多くの人と交流が出来れば」と、今から胸を躍らしている。ただ、敬遠されそうだが「深く掘り下げた」ものを掲載したいと思っている。

990324不審船

昨夜から「不審船」2隻の追跡がニュースを飾っている。どう考えても北朝鮮の行為としか思えないのに、誰も口をつぐんでいる。それどころか、自衛隊の海上警備行動(威嚇射撃)に非難の声を出すマスコミも出ている。よほど国を守るのがお嫌いらしい。

990325
予想通り、マスコミの論調が2分されている。読売産経vs朝日毎日である。「何故自衛隊が出るのか」「不審船を何故捕まえらられなかったか」の両極に意見が分かれている。
昨日、テレビを見た瞬間「これはおかしい」と感じた。不審船は漁船を装っているが、スピードが35ノット(漁船はせいぜい15ノット程度)と異常に速いこと、アンテナが異常に多いことである。少し「軍事技術」に関心があれば、この不審船が漁船ではないことが解ろう。マスコミともなれば様々な分野の人がいるだろうに…

朝日毎日の論調は「漁船を自衛隊が追いかけるなんて」とのスタンスである。あくまで不審船=漁船で、また「報道しない自由」を行使している。こんな喩も出していた「泥棒を軍隊が追いかける」のかと。でも、泥棒ではなく「軍隊を警察が追いかけた」たら、悲劇が起きるだろう。また、政府の対応が早すぎて「芝居説?」や、自衛隊の出動を首相が決定したことを非難している。領海侵犯があったら「国会を開いて審議」を尽くせとのことらしい。シビリアンコントロールって何だろう。

読売産経は、不審船=特殊工作船としており「何故もっと早く海上保安庁から自衛隊にバトンタッチしないのか」と政府の対応の遅さを非難している。
両者の反応の差はどうしてだろう?極論を言えば「国を守る」ことの是非に尽きると思う。「国を守るのは当然」となれば、読売産経の論調になろう。まして不審船は決して「漁船」ではない。

我が国の漁船が「カニを求めて」ロシヤ領に入れば、問答無用で銃撃される。今回の事件が日本以外で起きたなら、不審船は間違いなく「海の底」である。不審船を止めるのに「首相の判断」を仰ぐのは世界ひろしといえども我が国くらいのもので、普通の国なら「現場の判断」にまかされ、威嚇射撃の後は「撃沈」に間違いない。まして、「国会審議」を主張するなど論外である。

ついでで言えば、海上保安庁は他の国なら「沿岸警備隊」である。我が国では運輸省の管轄下にあるが、これも世界の非常識である。普通の国は沿岸警備隊(あるいは国境警備隊)は立派に軍組織の一部である。海上保安庁が防衛庁の管轄下なら、もっとスムーズにことが運んだであろう。
この事件を、あるマスコミが「韓国にご注進」した。我が国領海が侵犯され、我が国の組織が追い払ったことの是非を何故韓国に問わねばならぬであろうか?我が国は、いつ「普通の国」になれるのであろう。

990328
その後の報道によれば、仮に不審船を捕まえることが出来たとしても、我が国には処罰する法律がないそうである。不思議な国にですね

990328一般論
不動産鑑定をしている友人から電話があった。彼は「公示価格」の鑑定委員をしており、公示価格に「土地が持つ収益性を反映させるべきではないか」との意見があり、その準備をしているとのことであった。
そこで
「一般論として教えて欲しい」と言う。まず、
「大阪市内で2〜3階建てのマンションを想定して…」と、質問してきた。これがまずおかしい。
「大阪の行政は、環状線内を『都心部』環状線周辺外側を『周辺部』さらに外を『郊外』と分類している。この区分で考えると、都心部や周辺部は『商業地域』で高密度利用が出来るため、『2〜3階のマンション』はありえない」だから「郊外と考えて良いか」と了解を求めた。
次に
「2〜3階ではまるで違う」ことを述べた。建築基準法で「3階以上の共同住宅は耐火構造(コストアップ要員)」と定めているため、2階建てのマンションとコスト比較できない。このことを説明し、「大阪市郊外で3階建て以上の中層マンション」と言うシチュエーションとなった。そこで、彼は新たな質問をしてきた。
「鉄骨造と鉄筋コンクリート造のどちらが安いか?」この質問は、大変難しい。コスト比較を一般論で述べればこんな順序になる。
法律違反をした鉄骨造<鉄筋コンクリート造<法律を順守した鉄骨造
「どれで比較するの?」

「そりゃ、法律を守ってだよ」

「でも、7割は違反建築だよ。法律を守ると『一般的』じゃなくなるよ」

「う〜ん」

更に、賃料単価に話が及んだ。大阪郊外でも「北部と南部」で5割は単価が違う。つまり、「一般的な大阪」などありえないことが解る。もっと「C調」に、普段通り「いいかげん」に答えた方が良かったかもしれないが、専門家としての「意見を求めて」来たため、このような私議となった。
一般論とは、少なくとも「5割以上に当てはまる」ことだと思う。しかし、建築は「一品生産の受注生産」であり、一般論は成り立たない。
990329ホームページ
1週間でホームページを作り上げ登録開設まで持ち込んだ。
きっかけは二つ。元々事務所の「ホームページ」を作ろうと悪戦苦闘しているところに、息子から私のホームページを作ろうと言ってきた。どうやら、自分のホームページを作るテストに私を利用するつもりであったようだ。ところが、息子が帰ってくるまでに「一気に作り上げて」しまった。なにせ、エッセイにしろスケッチにしろ、資料はふんだんに揃っている。コンピュータやスキャナーも揃っている。「やる気」が欠けていただけに過ぎない。やる気になったときのパワーはまだまだ捨てたものではない。
今日は、友人知合い縁者に「ホームページ開設のお知らせ」を作り、送り付けようと思う。これって、きっと迷惑だよね…
990330同年同月日
貴方には、何人の「同年同月日生まれ」の友達がいらっしゃるであろうか?
私には3人の同年同月日生まれの友達がいる。昨日、道でその一人にばったりであった。彼「S」は設備業者、サラリーマン時代勤務先の事務所に出入りしており、その後も細々と親交が続いている。
他に、「M」は中学時代のクラスメイト、遠隔地でもあり年賀状の遣り取りが続いている。「H」はタイル業者、何かと仕事でお世話になっている。
酒の席でこの話をしたところ、たちどころに「四柱推命」の話が出た。四柱推命は生年月日で占うため、「同じ運勢」になるそうだ。ところが私を含め4人は、出身地も仕事も性格も違う。同じ運命のもとにあるとは思えない。
でも、同じ日に生まれた友達がいるのは面白いものだ。
990331K氏の帰国
昨日K氏に会った、永い「待ち人」であった。それだけに資料作りは万全で、大変良い印象を与えたようだ。わずか10日程の帰国中に、話を進展させる必要がある。

K氏の所有する用地の有効利用提案で、できる限りの裏付けを取り「変数」を少なくした「事業シミュレーション」を100例ほど行って、採算分岐点も突き止めておいた。また、事業主体を「個人」か「法人」が良いかも、検討事項であった。
会見の直前に「持ち時間は1時間」と知らされた。この時間内に膨大な資料から「的確な説明」をしなければならない。あれこれ悩むまもなく、本番となったが結果は良かったようだ。
事業資金調達の借入を起すには担保不足で、シティーバンクの話も出た。そんな中で「法人にして、バミューダ諸島に本社を移そう」と言う発言があった。日本でしか暮らしたことの無い私にはできない発想である。さすが、生活基盤をアメリカに持つ人の発想と感心した。
K氏は今週土曜日にアメリカに帰られるそうだが、最後に「帰るまでに是非もう一度会いたい」と言われた。進展が期待できそうである。
990331510円の快適
私は南海電車を利用している。最寄り駅は「K」で、周辺に多くの団地を抱え乗降客が大変多い。
数年前までK駅は「各駅停車」しか止まらなかった。ところが動態調査をしたら、南海電車沿線で第3位の乗降客があると分かり、突然「特急」まで停車することになった。動態調査などしなくても分かりそうなことなのに、当事者が一番理解をしていなかったようだ。
その特急を利用するには510円(消費税込み)の特急券が必要である。これを払うとゆったりとした座席で読書をしながら「タバコが吸える」、一歩出れば禁煙なのに不思議な空間である。乗車時間は22分、「22分の快適」が510円で買えるわけだ。私は、結構満足している。


inserted by FC2 system