dogfight高松の長すぎるひとり言
1999年1月

あるクライアントへの返信オーストラリアからの刺激狭心症ボランティアについてオーバークオリティー「若い人大好き」人間人間模様地域振興券タクシー通学
990105あるクライアントへの返信

進行中の計画が「家相」見てもらった結果、全く違うプランに変えるよう指示が来た。

お手紙拝見しました。 私は常々、プロであろうと心掛けています。
プランをするときは「地形や周辺環境」を考慮し、ベストな計画を目指します。平面計画は「外観デザイン」と密接な関係を持ち、必ずそれを念頭において計画します。
平面計画と構造計画の整合性にも留意します。これに欠ける場合は、構造的に不安定になり、かつコスト高になります。
設備は集約化を計り、機能的であることを目指します。これを怠れば、コスト高を招くだけでなく、メンテナンスの不自由さやリスクを負うことになります。

設計士は「コスト管理も合わせてするべき」の持論を持っています。限られた予算をバランスよく配分し、ローコストでデザイン性に優れ、高機能の建物を作ることが勤めと考えております。
ご指示いただきました「計画案」には、これらの全てが欠けています。とてもこれでは「設計」する気になれませんので、別紙の案を作ってみました。計画案としては、先の案のほうが優れていると思いますが、「家相」の点ではかなりの改善をしています。図中に「敷地を中心とした鬼門と、建物を中心とした鬼門」を記入しておきました。ご検討ください。なお、ご指示あるまで全ての作業を中断しておきます。

蛇足ですが、
「鬼門」は中国・夏王朝の際祀の記述に登場し、4千年の歴史があります。中原に覇を競った歴代王朝を脅かすものは、北東(表鬼門)から侵入してくる「モンゴルや満州族」であり、南西(裏鬼門)から勢力を浸透させる南方民族(現、広東福建)でした。富はシルクロードを通じ、北西(福門)からやってきました。玄関を北西にするのはおそらくこの理由でしょう。現実の脅威や富が当時の「原始宗教(まだ仏教もなかった)」と結びつき、やがて「風水」に収斂されていったと思います。我が国では平安京を作る際、王城守護を目的として表鬼門に当たる「比叡山に延暦寺」を造営したことは有名です。
家相学は、江戸時代中期に出来た「生活の科学」です。「家相」と「鬼門」がなぜドッキングしたのかは分かりません。江戸時代の文献を読むと「必要な科学であった」ことが分かります。
家相の相談をすれば、必ず「最も日当たりの良い東南角に『便所』を指示」されます。有効な消毒方法も持たなかった当時、太陽光は何にも勝る「殺菌力」であったと考えられます。しかし科学が進歩し、非衛生的な要素が排除されるに従い、江戸時代の「家相学」は合わなくなっています。
「太陽と風」は日常生活の空間に提供されるようになりました。建売住宅や分譲マンションは、この限られた「太陽と風」を居室に提供することにより成り立っています。
当時の家相学には、「占いや予言」といった要素はありません。しかし、時代に合わなくなった「家相学」は「家相教」に変貌していきます。健康を守るための「家相学」が、まるで安物の新興宗教のように「ご主人が早死にします」といった脅し文句に変貌しているのが現実です。これが事実なら、建売住宅やマンションの住人は死に絶えていることでしょう。ここには「心の不安」に付込んで「壷を売りつけた某宗教」と何ら変らない世界があります。
クライアントの「心」を無視するものではありませんが、度の過ぎたことには、苦言を呈せざるを得ません。「日々の不便を忍ぶ」ことを前提とした設計などする気にはなれません。(以下略)

990106オーストラリアからの刺激
施主筋の息子さんを短期で預かっている。
彼は、日本の大学に進学したが絶望を感じ、オーストラリアの大学に留学した。かの国の建築を学ぶ3回生である。義務づけられた「1ヶ月」の研修のため、当社を訪れている。短期の研修のため、どのように指導したものかと迷っていたが、結局「テーマ」を決め彼に一連の設計をさせてみようと決めた。オーストラリアの大学教官に代わり、私がその役目をしてみようというわけである。
テーマを「住宅」と決めた。国籍はオーストラリア? フリーハンドで書かれた「彼の案」をめぐって議論となった。指導教官の筈がいつのまにか「追求者」になっている。「ところ代われば品代わる」の譬えの通り、生活習慣の違いが浮き彫りになってくる。
かって、フランスの女性首相に「うさぎ小屋」と罵られた我が国の住宅も、オーストラリアと比べれば大差はないようだ。 主寝室は8畳、子供室は4畳半、居間は12畳程度が標準という。これは日本と変らない。しかし、ダイニングキッチンは最も広いスペースで約15畳程度。更に「ラウンジ」と呼ばれる「来客用スペース」がある。反面、およそ「収納スペース」がない。各個室に僅かにクロゼットがあるのみである。日本人ほど「物持ち」ではないようだ。下足しないため玄関?はない。そんな訳で延べ面積に大差はない。ただ、基本的に平屋だそうである。
日光に対する考え方も随分違う。「直射日光をいかに避けるか」がメインテーマとなっている。
土地が広く、壁面後退の義務づけは「道路から6m、隣地からは1.5m」だそうである。
庭には「バーベキューガーデン」が標準装備される。バーベキューが好きで、公園にも「誰でも利用できる」このような施設があるそうだ。
気になったこともある。あくまで「標準」にこだわるのである。「何故?」が当然出る。彼によると、新しい試みは「低い評価しか得られない」そうである。結構、保守的なようだ。
生活について
英語を覚えるに従い、日本語を忘れる。生活習慣についても同様のようだ。つまり、オーストラリアに溶け込めば溶け込むほど「日本人」から遠ざかる悲しさがある。マルチ人間、バイリンガルの道遠しの感がある。彼は日本に帰って生活できるのあろうか?
990108狭心症

半年ほど前から「自覚症状」があった。正月のオーバーワークから体調を崩し、病院でその話をしたら「典型的な狭心症の症状です」との診断。
ただ、まだ軽い狭心症とのこと。ちなみに、心筋梗塞の定義は「心臓の痛みが30分以上継続」だそうだ。私は幸いまだ5分程度である。それでも「要注意」にかわりない。ニトログリセリンを携帯することになった。今日は、24時間計測の心電計を装着して行動する。
そんな歳になったんですね…と感想を言ったら、「中年になれば何でもあり」だそうである。

もっと心配してもよさそうなのに、「どこかホットしている」ところがある。高松家の家系で、死亡原因は100%「癌」である。先年亡くなった兄も、両親もそうであった。いまだ、循環器系の死因はない。私は、常に「癌に対する恐れ」を持っているが、どうやら私は「違う流れ」に乗りそうである。親族の「変わり者」として私にはピッタリかな…等と思っている。

990108

伝言ダイアルを利用した連続強盗致死事件の犯人が捕まった。「肌がきれいになる薬」と言われ、睡眠薬を飲んで「凍死」している。初めて出会った人から、渡された「薬」を簡単に飲むことに疑問を感じる人が多いようだ。

歳と共に「若い人大好き人間」になった私には、結構理解できる出来事である。若い人と話していて感じることは、「努力嫌い・我慢嫌い」である。
飽食で育った彼らは、内臓疾患を抱えていることが多い。当然食事を中心に「治療」を心掛けるべきなのに「薬を飲んでるから」と、まるで無視する人が多い。ダイエットにしても、食事とスポーツで行わず「薬」で痩せようとする。
私は「慢性胃炎」で胃薬を携帯している。ある時、腹痛を訴えた若い女性に、携帯している胃薬を出したところ「何分で治る?」と言われた。私は「劇薬」を携帯しているわけではない。ようは、せっかちなのだ。我慢が出来ない。
事件では、薬が死に結びついている。肌を奇麗にするにはなかなかの努力が必要な筈なのに、若い人の性向から「薬で奇麗になるなら…」と飛びついただろうことが、想像できる。
努力や我慢なくして、「成果」だけを欲する日々の暮らしが「犯罪の温床」になっているように思う。

990115ボランティアについて

成人の日。雨。最高気温4度、きわめて寒い。
喫茶店で聞いた会話。
客(男性):「今日は孫の成人式やねん」
店員(女性):「せっかくの晴れ着がだいなしですね」
途中、「おめでとうございます」の挨拶が抜けているように思うが、女性の心理は「こんなもの」だそうである。

友人と私の旅行先をたせば、主な先進国を網羅できる。そこで、日本のボランティア事情に話が及んだ。
障害者に対するハード面の対応は「日本が最も進んでいるのではないか?」の私の意見に彼は全面的に賛成してくれた。ただ、ソフト面では「欧米のほうが先進国かもしれない」と言う私の疑問に、彼は「意識の差」を上げた。
欧米では障害者自身が「実に明るい」。それに対し、我が国では「暗さ」が付きまとう。最近、早稲田の学生で「障害者は不便であるが、不幸ではない」と言った内容の本を出した人がいる。彼など例外であろう。

以前の出来事である。
地下鉄の階段で車椅子がとまっている。階段を上がるには「誰かに運んでもらう」しかない。なのに誰にも声をかけず、健常者が申し出るのを待っている様子である。その点「日本人はシャイ」で、気持ちは合ってもなかなか出来ない。私が「運びましょうか」と声をかけたところ「お願いします」とのこと。周りの若者に「お手伝いをお願いします」と呼びかけたら、あっという間に集まった。とかく「今の若い者は…」と言われるがそんなことはない。
同様の事例で違う経験もある。
声をかけたところ「駅員を呼びなさい」と命令された。ここには「健常者が助けるのは当たり前」の意識がある。これではボランティアが成り立たない。援助をするのは当然であっても、感謝の気持ちは有って欲しい。
彼が言うには「外国では駅員が手伝うことはない」そうである。双方に自然さが有ると言う。そこで、日本の障害者の意識で「外国に行ったら大変だろうな」と意見を口にしたら、「だからいけへんやないか」との返事であった。

990122オーバークオリティー
「顔で損をする」そんな人は私を含めて結構いる。
最近仕事で付き合いが始まった方に、最たる人がいる。チョビ髭をはやし、見るからに「ヤクザ顔・スケベ顔」である。しかし、話をすればするほど「とてつもないインテリ」であることが分かる。
お酒を飲む機会も多いが、「Y談は嫌い」だそうで、「日本経済はどうなるか…」と言った話題で酒を飲むことになる。人によっては「悪酔い」間違いなしと言った雰囲気。

そんな中で「日本の産業は大丈夫か?」からオーバークオリティーの話題になった。
昨年のスペイン旅行で、他人のカメラを石畳に落とし壊してしまった。これでは「旅の記録」が撮れない。スペインでは修理もままならず「とりあえず、代わりのカメラ」を買い求めることにした。お店に並ぶカメラは「メイド・イン・ジャパン」のオンパレードである。これは予想通りであったが、値段を見て驚いた。判で押したように「7〜8千円」の価格帯である。日本で買えば2万円以下では買えそうもない商品である。
翌日そのカメラが「故障した」と言う。受け取って「あっちこっちと触り」なぞが解けた。カメラは故障ではなく、日本国内での販売商品から見れば「ひどくスペックダウン」したものであった。フラッシュはついているが「自動発火」ではないし、フィルムは自動巻き上げであるが「巻き戻し機能はない」と言ったものである。ASAも自動調整となっていない。つまり「バカチョンカメラ」の定義がまるで違うことが分かる。

ヨーロッパの感覚から言えば、日本で売られているカメラは明らかに「オーバークオリティー」と言えるであろう。かの地でクオリティーに対するニーズが上がれば「日本で使用済の技術を小出し」にすれば良い、開発費も掛けずに新商品が提供できる。「日本の産業はまだまだ大丈夫」が私の意見である。
実は「私たちの生活」は世界の基準から見れば「とてつもないオーバークオリティー」の中に暮らしているのではないかと思う。

こんな「珍説」も出た。実は「癌治療薬はとっくに出来ている」と言うのである。これを世に発表すれば、医療・薬品関係の産業でパニックが起きるため、スペックダウンした薬を作っている… 真偽の程は分からないが、こんな出来事は世の中にいっぱいあるのかもしれない。
990123「若い人大好き」人間

昔はそうでもなかったのに、歳と共に「若い人が大好き」な人間になってきた。
だからと言って、「若い人が理解できる」分けではない。むしろ、ほとんど理解できない。私は「何が理解できないか」を楽しんでいる。時代が変り、スタイルが変ったけれど「希望や悩み」があることは同じだ。
昨日を持って、オーストラリアの研修生受け入れが終わった。

私自身が刺激を受けたことは先に述べた。短い期間ゆえに「何かを持って帰って欲しい」との願いがどれだけ通じたか自信がない。彼の「本当に勉強になりました」の言葉が真実であることを祈っている。
以下は「大学への報告」である。英語が出来ないため、彼に翻訳を頼んだ。
レクチャー(講師)殿
○○君の研修を受け入れることが出来たことを感謝いたします。彼の来訪は私にとっても刺激となりました。
研修中の出来事について。
非常に短い期間のことであり、彼の能力を正確に判断することは困難ですが、印象含め感想を報告します。
日本における「建築のあり方」を彼が知らないため、オーストラリアでの勉学に沿った形で「住宅の計画」をしてもらい、私が批評する形式で研修をすすめました。ただ、私自身がオーストラリアの建築事情に詳しいわけではないため、彼が混乱した可能性が有ります。

オーストラリアの気候風土を大変理解しており、逆に私が勉強になりました。
彼のスケッチを議題にして、ディスカッションする機会が多かったのですが、カウンターで私が作るスケッチに対して理解度は高かった。
スケッチ段階での表現力は高いと思いましたが、当社のCADは、彼になじみの無いもので「製図」にとまどっていました。
議論の過程で「世界の有名建築家」の作品をもっと勉強するように指示しました。当社にある図書を良く読んでいました。また図面化に当たり、カタログ資料を利用していた。
生活習慣が違うため、正確にプランニング能力を判断できません。
パブリック空間の流れは良く理解できていると感じました。また、プライベート空間に ついても問題を感じませんが、両空間の「区分」にもっと工夫が有った方が良いと思う。
計画に際し、オーストラリアの形式にこだわりすぎるのではないかと感じました。もっと自由な発想が欲しい。
プレゼンテーションとしての表現力を、判断するまでに至っていませんが、更に経験を積めば「豊かになっていく」のではと想像しています。
研修期間中、社員ともよく親しんでいました。態度はまじめで時間も厳守していました。
私の意見に対し、あまりに素直で有るため、やや物足りない感じがした。もっと「違う考え」を表明しても良いのではないかと感じた。
自己の表現力を高めるため、もっと努力が要るであろう。
彼には素質があると思います。しかし、オーストラリアと日本は「気候風土・生活習慣・歴史的背景・関係法規」など、あまりに違いが多く、彼自身が将来「どこで暮らすか」を決める必要を感じました。

貴国における学業は日本においてあまり役立たないと思います。彼が日本での生活を望むなら、帰国後再度「日本の建築」を学ぶ必要があろうかと思います。また、貴国で暮らすなら、もっと「オーストラリアン」になる必要があるのではないだろうか。バイリンガルになる道は険しいものだと感じています。
なお、今後もこのような機会があれば研修を受け入れたいと思います。ただ、私は外国語が苦手で「日本語でコミュニュケーション」できることを条件にしたいと思います。

          ○○君が素晴らしい建築家になることを願って。1999 私のサイン

昨夜は、事務所全員で「痛飲」した。短い期間の研修とはいえ「別れがとても寂しく」何軒も店を重ねてしまった。私の最も好きな言葉「一期一会」をメモ用紙に下手な字で書いた。四角くたたみ、彼はポケットに入れた。

990123人間模様

私はマンション暮らし。抽選の悪戯で自治会役員が当たってしまった。その任期も後僅かとなり、今、次期役員の選出を行っている。班ごとに後任を決める必要があり、規則に従って「班長」にお任せしている。従来、役割分担が不明確なため、会長が全てを背負い込む傾向があったと聞いている。私自身も忙しく、とても「全て」こなすようなことは出来ない。そんな訳で「分業化」を推し進めその結果、負担の均一化と「やる気」を上手く引き出せたと思う。
そんな折り、ある自治会員の方から電話をただいた。彼女は「役員未経験者」である。後任人事が決まらず「抽選」となった班があり、「くじを引く前に自治会を退会したい」との申し出である。彼女は「職業婦人」で、自治会のお世話などとても出来ないとのこと。自治会運営は煩わしいことに違いない。ただ私も1年やってみて「必要な存在」であることが理解できた。また、普段知らないうちに「お世話になっていた」存在でもある。
自治会の存在意義を縷縷説明し、また時間的なことも説明した。突然の電話のため、上手く説明しきれなかった部分を「手紙で補足」した。

○○様
                              990123自治会/高松

次期役員選出につきお電話を頂戴しましたが、少し、追加説明をさせていただきます。
役員選出には「基準」を設け、各班長に選出をお任せしています。それは、

  1. 妊婦あるいは1歳未満の乳児がある場合。
  2. 本人あるいは同居家族に「長期療養者」がいる場合。
  3. 過去6年以内の経験者。

以上の該当者を除外して選出するようにしています。「職業がある」ことは、除外対象にしておりません。現に、平成10年度役員の約半数の方が「共稼ぎ」です。それだけに「効率の良い」運営に心掛けてまいりました。
お気持ちは良く分かるのですが、自治会として退会をお勧めすることは出来ませんし、会長として○○様を「例外扱い」するよう指示も出せません、そのことをご理解賜りますようお願い申し上げます。
私自身も抽選で現職が当たり、共稼ぎで家内のほうが勤務時間が長いため、私が会長を務めております。ただ、夫婦で補完し合っていることも事実です。
昨年までは「自治会に何の興味も持っていなかった」のですが、1年勤めてみて、「誰かがやらねばならぬこと」が良く分かりました。今後とも自治会活動にご理解賜りますようお願い申し上げます。

電話で、暗に「例外扱い」を求められたわけであるが、そんなことは出来るはずもない。私たちは「無人島でひとり暮らし」をしているわけではない。清掃の行き届いた街で花に囲まれ、ゴミも奇麗に管理された環境にいる。これらは行政がやっているわけではない。住人から選出された人が、任期を全うしているから維持されている。
任期中、こんな出来事もあった。「自治会には入りたくないが子供会には入りたい」と言う申し出であった。子供会は自治会の外郭組織で自治会費からの助成を受けて運営している。
利益は享受するが、「負担はイヤ」と言う人が多すぎる。この1年、様々な人間模様を見ることが出来た。自治会役員の「当たりくじ」を引いたことに感謝せねばならない。

990129地域振興券

全国のトップを切って、浜田市が地域振興券を今日発行する。昨年、公明党が「低所得者の消費を促す」目的で金券構想を発表したが、その後紆余曲折を経て「地域振興券」となった。15歳未満の子供と65歳以上のお年寄りに一人2万円分支給される。名が示すように利用できる地域を限定し、有効期限を設けている。総額7000億円。

昨夜のニュースでキャスター氏が「竹下政権の『ふるさと創世資金』に倍する愚挙」と、酷評していた。この意見にはあまり賛成できない。
ふるさと創世資金について述べてみる。竹下政権下で、ふるさと創世に使うように「全ての自治体に1億円」を支給した。国から「使用目的を制限」されない資金が提供された初の出来事といえる。3600ある自治体全てが有功活用したわけではないことは理解している。「1億円で宝籤を買った」自治体もあり、むしろ「くだらない」ことに使ったほうが多いであろう。僅か数箇所にしか過ぎないが、この資金で作られた「村おこし」の施設を見学した。今も活動し、何倍にも「生かしている」姿を見ることは嬉しいことである。世の中、無駄のない話などあるものではない。3600自治体の1%が有功活用していれば「成功」と見なして良いのではと思っている。

地域振興券はこれからである。商魂たくましい企業がてぐすね引いて構えているようだ。税を納めない層に「税をばらまく」ことに批判したい気持ちがある。しかし、末期的症状を見せるこの時代に「結果オーライ」の出来事があっても良いかな…との気持ちもある。もう少し長い目で見ていたい。

990131タクシー通学

聞いた話である。「小学生が片道10kmを通学」こんなニュース報道があったそうだ。
その秘密は「往復タクシーで送り迎え」とのこと。なんとも割り切れない話である。ご両親は「山村生活に憧れて」わざわざ都会から移り住んだそうである。我が国では「義務教育を受ける権利」があり、それが「タクシー通学」に繋がっているようだ。ちなみに、誰がタクシー代を負担しているか報道はなかったそうである。

まるで「美談」のように報道されたそうであるが、不思議なことだ。サラリーマンがマンションを購入する際、「学校への距離」は重要な選択肢の一つであろう。少なく見ても月額10万円を越すタクシー代を負担する覚悟で「山村生活」に憧れるなら良いが、「教育を受ける権利」を主張しての移住は迷惑であろう。子供の「生活圏」を考慮した行動が望ましいと思うがいかがであろう?
ケネディーの大統領就任演説で「国のために何が出来るか考えよう…」と国民に呼びかけた。これはアメリカだけのことではない。権利を主張する余り「過重な負担」を周りに求めてはいまいか。



inserted by FC2 system