dogfight高松の長すぎるひとり言
1998年12月

タバコとハイテクユースホステル生きざまユースホステル2実りの秋MAC命名木枯らし吹いて
981201タバコとハイテク

今日から12月、師走となった。年を重ねると時間の流れが速く、今年も「早く」過ぎようとしている。

今日から「旧国鉄債務補填」のため、タバコが値上げされるそうである。私のようなヘビースモーカーを直撃する「増税」である。値上げされたから「本数を減らす」と言った器用なことができるくらいなら、「とっくにタバコを止めている」。人の弱みに付け込んだ卑怯な増税である。だいいち、旧国鉄債務と喫煙にいかなる因果関係があるのであろう?これには「禁煙運動」関係者からも非難の声が出ているというから傑作である。

フィリップモリス社から面白い広告が出ている。「デジタルスモーキング」という、新兵器である。本来、タバコは「火を付けて吸う」ものだが、デジタルスモーキングは「熱する」ことにより「タバコのエキス」を喫煙者に供給するシステムとなっている。煙は極小、灰は出ない。器具にタバコを差し込んでおいても、吸わない限り加熱しないため、禁煙運動の根拠となっている「伏流煙」が出ない。
私など、仕事中は「チェーンスモーカー」である。しかし、大半は「燃やしている」状況で、他人に迷惑をかける割に自分が吸っていない。デジタルスモーキングになれば、ただ「燃やしている」といった状況を防げるようだ。こうなれば「本数も減るし、迷惑も減る」ことになる。
心配もある。いかにもアメリカと言った感じで、軽薄短少に慣れた日本じには重過ぎるし、連続15本でバッテリーが切れてしまう。また、充電器がバカデカイ。そんな分けでとても「携帯向き」ではない。また「どんなタバコでも良い」と言うわけではなく、専用のタバコが必要になる。これが「フィリップモリス社の狙い」であろう。ちなみに、このタバコの味が選択できない。

酒は「百薬の長」と言われ、飲み過ぎなければ「健康の素」にもなる。コーヒーも、豆から立てた新鮮なものには「制癌作用」が知られている。しかし、タバコには何のメリットもない。「止めるにしかり」分かっちゃいるけど…

981202ユースホステル

私が若い頃はユースホステル(YH)が各地にあったのに、最近めっきり減ったように思う。それは日本(世界の風潮は知らないが)の生活様式と合わなくなってきたのではないかと感じている。低料金(最高で3200円/1泊)と言う魅力はあるが、贅沢に慣れた若者には豪華さがない。「セルフサービスシステム」に抵抗を感じるかもしれないし、寝室は「相部屋」である。

1年前、古い知合いから連絡があり「ユースホステルを作りたい」と言う。クライアントは今年定年を迎える。1年を掛け準備してきたに違いない。最近「YHのマネージャー資格が取れたから」と弾んだ声で連絡が入った。
資料を取り寄せ詳細に検討をした。
私は今「少し後悔」している。もしかしたらクライアントの夢を砕くことになるかもしれない。クライアントは東京在住、奈良にある実家をYHにリニューアルしようと言うのだが、調べれば調べるほど、絶望的な答えが出てくる。
問題点は二つ…

建物に関するバイブルは建築基準法である。しかし、これほど「ザル法」はない。合法建築物に発行される「検査済証」の交付率は大阪市で30%、地方都市ならもっと低いと言える。言換えれば「ほとんど違法建築物」である。「何か罰則は?」と言えば、実に無い。建築途上の摘発ならば「厳罰」が課せられるが、出来上がってしまえば「憲法で保障された私有権が優先」する。途中で見つからなければ「やりたい放題」である。
ところが「検査済証が必ず必要」なケースが僅かにある。「建築基準法と関連法規の許可を必要」とする用途で、例えば、病院(医療法)・風俗営業店(風俗営業取締法)・宿泊施設(旅館業法)・危険物施設(危険物取締法)と言ったものである。検査済証が無ければ「関連法規の検査」が受けられない。つまり「営業許可」が得られない。
今回のリニューアル対象が「検査済証」を受けているかどうか分からない。違法建築物をいかに順法精神でリニューアルしようとも、決して「リニューアル後の検査済証」は発行されない。更に、資金として「公的融資」を考えているが、これも検査済証が無ければ決して融資は下りない。
次に、「YH規定」のクリアである。旅館業法だけでも煩いのに、これは更に煩わしい規定である。おそらく「国際基準」を意識した規定であろう。

寝室の他、所要室もこまめに決められており、クライアントが所有している「実家」をいかにうまくリニューアルしようとも、YH規定をクリアするには「大幅な増築」が避けられないことが解ってきた。クライアントの懐具合までは解らないが、この報告を受ければ、おそらくショックを感じるであろう。

981203生きざま

半世紀を過ぎて生きていると、それなりに「自分の生き方」を持つようになる。
私は「武士は食わねど高楊枝」の部分がある。意識のどこかに「私はプロであり、技術を提供して報酬を受けている」気持ちがあり、あからさまに服従を迫られると一遍でいやになってしまう。世間並みに厳しい経営環境にあるが「土下座外交」ができない。

友人の性格は多岐にわたる。
これは私自身が「いいかげん」な上、他人の生き方に干渉しないためであろう。10人いれば「10通りの生き方」があって良いと思っている。

それぞれが自分の生き方を持つことは歓迎である。しかし、それを他人に押し付けるのは良くない。相手が辟易して「折れる」まで「自説を押し付ける」タイプの人がいるが、願い下げである。自説を持つことと押し付けることはまったく別物と言える。
私が主催する会議は短時間で終わる。
まず、持論を述べ「反論・異論」を待つ。嬉しいことに、違った角度からの意見が続出する。その中に「持論より素晴らしい」と思える意見があれば「即採用」する。採用するだけではなく、担当者として「実行」もお願いする。慣れない人は、私が「簡単に持論を取下げる」ことに驚かれる。時には「いいかげんな奴」と思われるようだが、一向に構わない。事実「私はいいかげん」だし、「自説を持つことと他人の意見を尊重すること」に、何の矛盾も感じない。

実社会には、いくら奇麗事を言っても「上下関係」は厳存する。私が言いたいのは「それを前面に出すことも出されることも嫌いだ」ということである。意見を交わす時に「上下」があってはならないと信じている。

余談である。
永らく「クラブ」で酒を飲んだことが無い。こんな風に言うと以前はよく通っていたように聞こえるかもしれないが、私はクラブが好きではない。
クラブ・ラウンジ・スナック・居酒屋と、酒を提供する店は沢山あるが、ホステスさんが苦手なのだ。ホステスと言えば「接待のプロ」の筈である。しかし、「若い娘」が最近の条件らしく、ボディコン・ピチピチ・美形であっても「頭はカラッポ」が相場となった。話術で客を楽しませる芸など持ち合わせておらず、会話ときたら「下ネタ(妙に得意らしい)」しかない。
かくて、客は「金を使い気を遣う」ことになる。こんな疲れるお酒は苦手である。年季の入った、マスターやママを相手に「気の置けない店」で愚痴を聞いてもらう方が性に合っている。これも私の生きざまと言えようか。

981204ユースホステル2

YHは、私の想像以上に「辛い」状況であった。24年前に建てられた鉄筋コンクリート造平屋建ての住宅で、5年間住んだだけで「海外赴任」となった家である。これを改装増築してYHにする予定だったそうだ。
24年の間に幾多の地震があったであろう。地震のたびに「耐震基準」が改正され、今ではまるで違ったものになっている。古い建物に手を加える場合、現在の基準で「見直し」が要求される。そのため、間違っても許可の下りない建物になっていたのだ。「私は何のためにこの建物を作ったのでしょうね…」の言葉が印象的であった。
結局「建替え」と決まった。クライアントには「思わぬ予算」となったことであろう。
YHはビジネスだけではできない。主義思想が絡み「こだわり」がなければとてもやっていけるものではない。その辺をお尋ねしたら「世界の方達とお友達になるのが夢なんです」とご返事を頂いた。長い海外生活ゆえに言わせる言葉であろうと感じた次第である。

981205実りの秋

早いもので、兄が亡くなって1年がたった。一周忌の法要に家族3人(運転手は長男)で出席。早朝6時にスタートしたが、事故渋滞に巻き込まれ大幅に到着が遅れた。
法要に合わせて家を改装したそうだ。その際「古いものが出てきた」と渡された。私が10代の終わりから20代の始めに書いた色紙数枚である。ペン画に水彩で色付けして、裏に詩?が書かれている。何とも気恥ずかしい…そんな一枚に「栗」の絵があった。裏には、
秋…
色々の秋がある
食欲の秋、読書の秋、そしてスポーツの秋
しかし、私は「実りの秋」が好きだ
木に垂れ下がるブドウ、ナシ、柿
そして、栗も素晴らしいではないか
以前、私はまだ青い柿を書いたことがある
それをトマトかと笑った友がいる
今度は、この「青い栗」を何と笑ってくれるだろう
茶色くはぜた栗もいい
でも、青い青いこの栗もいいではないか
少なくとも店頭に並ぶ栗よりも
そして「実りの秋」だから…
1968.9.13

私の二十歳の感性である。そのまま転写してみた。
先輩諸兄に笑われそうだが、「絵や詩」が残す楽しさを改めて味わった。30年前のもので少し色褪せているが、「二十歳の私」は少しも色褪せていない。もし、残っているのなら「30歳の私」や「40歳の私」を探してみたい。
季節外れの秋を紹介しました。

981206MAC命名
社名に、私の名がついていない。法人の体裁をとっても「基本的に個人企業」の設計事務所では珍しい部類といえる。
まもなく30歳を迎える頃、成り行きで「自立」することになった。時は「第2次オイルショック」の不況の最中であった。
当時勤めていた設計事務所は総勢11名。内、「7名を解雇」する発表があった。私自身は名簿に入っていなかったが、その処置に憤慨し辞表を提出した。それが「自立」するきっかけとなった。勿論突然のことであり、何の準備もなかった。

事務所を退職したが、勤め先を見つけようとする気もしない。
友人の設計事務所(彼一人で、事務所登録もしていない)に、転がり込み居候となった。電話もコピー機もない事務所で、「共同で買おう」ということになった。ところが、半年もしないうちに「彼は夜逃げ」した。
残ったのは借金と「○○建築設計事務所」という彼の看板だけであった。結局、彼の残した「名」を使い10年近く事務所を続けた。
法人に切り替える時、同時に社名変更を考えた。自前の名前が欲しいと思っていたからである。反面、愛着もあり「○○建築設計事務所」の英語訳の頭文字を取り、社名とした。

いま、不況の最中にいる。あの頃「憤慨」したことを、バブル崩壊後私自身が行っている。当時の「ボスの心境」がやっと分かるようになってきた。事務所はクライアントに対する責任を果たすため、「例え一人になろうとも生き残らなければならない」それがやっと分かる歳を迎えたようだ。

981214木枯らし吹いて

今年の冬も、寒波が来るたびに木枯らしが吹き、毎日気温が下がっていく。いつのまにか景色は冬の装いを纏っている。

随分前の話になる。
「お好きな季節は何ですか?」あるスナックで、たまたま隣に座った女性からこんな質問を受けたことがある。私は、とっさに「冬」と答えた。女性は怪訝な表情を浮かべていた。おそらく「秋」の回答を想像していたのであろう。
少年時代、貧困に喘ぐ生活の中で「どうにも我慢できないほど辛い」とき、私は「海」に行った。辛いのは私だけではない。家族もそれぞれが「辛さ」を背負って生きていた。自分が辛いからといって、誰に当たり散らすこともできない。そんな時、海は私を慰めてくれた。
日本海ほどではないけれど、「空は鉛色に垂れ込め、防波堤に砕ける波」の、冬の海は何よりの慰めであった。女性から突然質問を受けたとき、私の頭の中にはこの風景があった。それは「好き」と違うものかもしれない。しかし、私の「原体験」であることに間違いない。



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