dogfight高松の長すぎるひとり言
1998年11月

歴史について菊花展結婚式先生のいないクラス会歯の包帯朝だけゲンを担ぐ「彩りの秋」点描遺産相続リニューアルを考える消防訓練床屋と耳かき手紙芸術の秋
981031〜981105歴史について

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学校教育での「歴史」はあまり成績の良いほうではなく、歴史に興味を持ったのは読書の習慣がついてからであった。

いまだにそうだが「丸暗記」が苦手である。例えば、太平洋戦争が「何故起きたのか?どのように推移したか?その結果どのような変化が起きたか?」と言った歴史であれば興味を持ったと思うのだが、「1941年:太平洋戦争勃発」と、まるで英語の単語を覚えるように暗記を強要され、面白味を感じることが出来なかった。

学校教育における歴史は「点」で教えているのではないだろうか?

私が読書を通じて歴史に興味を持ったのは「流れ」であった。何か事件が起きる、その解決策が新たな事件の原因に変化していく…違う作者の異なる題材の本から「流れ」を感じるようになってから、「歴史」が輝いて見えるようになった。
朝鮮半島で百済が滅亡する。
当時、大和朝廷にいた百済の王子を立て、朝鮮半島に攻め上る計画を立てたのは中大兄皇子であった。しかし、白すきの江の海戦で惨敗を喫する。

逆に「日本が攻められる」と、危機感を持った大和朝廷は九州沿岸に長城を築き(各地に地名として残る)防備を固める。これが「防人」であった。
それでも「瀬戸内から一気に攻め上られたら…」と、安心できない大和朝廷は遷都を決意する。それが、長岡京・近江京そして平安京へと繋がっていく。
上記は多くの本を頭の中で組合わせ、私が理解した「歴史の流れ」であった。そこでは「○○世紀中頃」と言った時間の理解で充分である。
学校教育は誠に不思議である。「なぜ『防人』ができのか?」「何故『平安遷都』したのか?」などの『何故』を決して教えない。さらに「その結果、どうなったか」を教えていない。これで「自国の歴史」を理解できるのであろうか?もっとも、自国の歴史を「犯罪史」と思っている教師もいるそうであるから、前途多難である。

歴史を「流れ」と見ると、密度が随分違うことに気付く。とうとうと流れる「平安時代」もあれば、激流の「戦国時代」もある。
古代史を題材に活躍した黒岩重吾氏、松本清張氏、更に歴史の裏読みを得意とする井澤元彦氏…同じ時代の同じ「事件」が作家により様々に解釈される面白さはなんとも言えない楽しさがある。
戦国時代ともなれば「宝庫」である。まるで、作家の登竜門の様相を呈している。戦国の三傑「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」は作家により「まるで違う人物」として登場する。誰が正解かは「あなた次第」。点でしか解らない「歴史上の事実」を繋ぎ合わすのは作家のイマジネーションによる。多くを読むことにより「流れが見えてくる」

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よく、「中国○千年の歴史」と言われる。
人により4〜6千年に別れるが、何故このようなことが起きるのであろう。研究者でも歴史オタクでもない私の想像では、「歴史の始まりとは…」と言った定義のないことがこの混乱を招いていると思う。もっと言えば、この「定義」について論争が行われたと聞いていない。それぞれが「自分流」に○千年の歴史を語っているようだ。

定義について考えてみる。
「人が生活をした痕跡がある」と言ったことを歴史の始まりとすれば、我が国でも優に1万年は溯ることが出来る。誰もこの説を支持しないであろう。
次に、人が集まり生活することにより文明が生じる。文明の発生を持って歴史の始まりとするのはどうであろう?この場合、中国の歴史は6千年くらいでは済まない。
集落に指導者が現れ、やがて「国」の概念ができ、権力が形作られる。さらに富の偏重が始まり「文化」が生まれる。これを「歴史の始まり」と見てはどうであろうか?私はこの考えが最も素直に思える。この考えに従えば「中国は4千年」となり、日本は2千年程度の歴史と言える。

中国最初の王朝は「夏王朝」と言われ、紀元前20世紀に始まる。
世界で同時多発的に「文字」が発明される。中国においては紀元前12世紀頃、商王朝何代目かの「王」により文字が発明される。王は「言葉が不自由」であったため、自分の意思を伝える手段として、文字作りを命じたようだ。
当然、夏王朝に関する記述は、それ以降に「語り部」から聴述したものであろう。更に、考古学的に裏付けされ「初代王朝」と言われている。考古学が発展し、更なる発掘があれば、歴史がもっと溯る可能性を秘めている。

我が国では、古事記がこれに相当する。戦後、日本の歴史を否定することが「進歩的」とされ、多くの王(天皇)が否定された。古事記に出てくる王は、「架空であり神話の世界」とされた、しかし考古学の発達により最近「実在した」とする意見が強い。文字のない時代「語り部」以外に歴史を伝えるすべがなかった。それらは神話の形を取ったが、「だから絵空事」と片づけるのは不遜であろう。神話には「真実が隠されている」そう思ったほうが、民族に誇りが持てるではないか。

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日本史も面白いが、中国の歴史も大変面白い。中国史を見ると、必要悪として「権力」を認めているが、基本的に個人主義の国ではないかと感じる。法に縛られることを嫌い、道徳も「?」と言える。法に従わせる手段として「儒教」が発達したとする説さえある。
中国古代史のヒーローを深く掘り下げる「宮城谷昌光氏」。流れを表現する「安能務氏」。中世から近世を描く「陳瞬臣氏」と、中国を題材にした作家は多くいらっしゃる。
商王朝は教科書で「韻」と習う。何故か私には解らない。「韻」も皆無ではないが圧倒的に「商」の表記が多い。交易のルールを作ったことから「商売」の言葉が生まれた。その外「貨幣・文字」を作ったことでも知られ、中国文化の基礎を作った王朝である。
その後、太公望の活躍で知られる「周王朝」に続く。その周王朝半ばから国が乱れ「春秋戦国時代」へと続く。日本の戦国時代とは比べ物にならぬスケールでスペクタルが展開される。これを収斂し、中国初代の統一王朝を作ったのが「秦の始皇帝」である。しかし、わずか15年で滅亡し、再び戦乱の世に…これが紀元前200年くらいの出来事である。
これを収拾したのは、項羽に連敗しながら最後に勝った劉邦であった。劉邦は「漢」王朝を起こす。漢王朝滅亡後、有名な「三国志」の時代に入る。我が国で「卑弥呼」が登場するのはこの頃である。

私にとって中国は、歴史は面白いが「二度と行きたくない」国となっている。檜山良昭氏は「資本主義が馴染まない国」と断じているが、全く同感である。資本主義には「信頼関係」が前提となるが、かの国には「騙してでも儲ければ勝ち」の意識が露骨すぎる。歴史を見ていても「陰謀と裏切り」の連続と言える。
韓国はあまりに「近くて多い国」である。伴野朗氏の作品に、中国から見た「元寇の役」を扱ったものがある。立場が変われば「歴史はこれほど変わるものか」と、面白く読んだ記憶がある。ところが、韓国の大統領から「歴史認識の統一」を要求されている、こんなことなどできる筈がない。同じ事件が、当事者間で異なる歴史として語られることなど枚挙にいとまが無い。

日本人が「朝鮮半島の歴史」を語ることはまるでタブーとされているようだ。おかげで「朝鮮史」を知ることは非常に困難になっている。たまに加勢英明氏が、韓国の論評をするがその都度非難の的となっている。
最近、韓国に関する2冊の本を読んだ。台湾の作家・黄文雄氏の描く朝鮮史は、驚くばかりの内容であった。また、「韓国人になりたくてなれなかった日本人」百瀬格氏(韓国に30年在住)による、「韓国の現状批判」も驚愕に値するものであった。内容はとても説明しきれないの省くが、是非お読みいただきたい本である。
中国も最近少しずつ「遠く」なっていくような気がしてしょうがない。もしそうなら悲しむべきことと思っている。

981103菊花展

113日「文化の日」
抜けるような青空に誘われて「急遽予定変更」久しぶりに木立ちの間を歩いてきた。日差しが強く、風も穏やかで、木陰が気持ちよい。

堺市に「大仙公園」がある。(JR阪和線・百舌鳥駅下車すぐ)
仁徳陵ほか十数基の古墳群を内包し、4万坪に及ぶ公園である。緩やかな丘陵地で大半は芝生で覆われ、そこここに木立が茂っている。内部には、博物館・日本庭園・緑化センター等があり、1日ゆっくり過すことができる。芝生の上で弁当を広げる家族、犬と散歩する家族やボールを追う家族の姿が多い、10個余りのスピーカーをならべ、延々とカラオケを唄っているグループもある。池の縁に立つタワーから「カリオンベル」の奏でる童謡が聞こえてくる。のどかな・のどかな日…

緑化センターの一角で「菊花展」をしていた。ゆっくり花を見るのも久しぶりである。大輪の菊や懸崖の見事さに、解らないながらも「奥が深いのだろうな…」と感心する。
私の恩人の一人で、一昨年亡くなったS氏も「菊作り」に情熱を燃やした人だった。心臓の大手術を行い、まだまだ養生が必要な時期に「菊の苗床を作らなければ」と無理をし、その最中に倒れ帰らぬ人となった。菊を見ながら、菊作りの「うんちく」を楽しそうに語るS氏を思い出した。歳を重ねるに従い、こうした「思い出」をたくさん作っていくのであろうか。

日本庭園にも行ってみた。池の緋鯉が大きな口を開け、餌をねだって来る。気候の曖昧さを反映して、若緑の葉を付ける木々が目立つ。狂い咲きの霧島ツツジが赤い花を付けている、傍ではツワブキが黄色い花を「今盛りなり」と咲かせている。
今年の紅葉は遅いようだ。気温が下がりきらず、見事な紅葉にはなりづらい年のようで、まだ淡く色付いているにすぎない。あるいは、紅葉せず落葉する木々も多かろうと感じさせる秋である。

981108結婚式
11月7日、群馬県前橋で甥の結婚式があった。
親族の構成から言えば関東に縁が多いのに、なかなか「東」に行く機会が無い。儀式めいた「親族の付き合い」が苦手で、私自身が避けていることを認めなければならない。それが、東へ行く機会を奪っている。きっと私は「変わり者」で通っていることだろう。
結婚式に出席するのは、年の割に少ない方であろう。今回の出席も久しぶりとなった。比較対象を持たないので、善し悪しを論じることはできないが、何かと感想の多い結婚式であった。

まず、結婚式専門の施設で「式」が行われた。建築屋の「性」と笑われそうであるが、ホテルの中の一部をそれにあてがったものと異なり、演出を含めて建物そのものが有機的に構成されており、実に機能的にできていることに感心した。
教会(式場専用に作られているが)での「式」は始めての体験であったが、親族しか出席できない神前結婚と異なり、「皆に祝福される」雰囲気はなかなか良いものだと感心した。小学校の「日曜礼拝」以来久しぶりに讃美歌を歌った。私は俄かクリスチャンに過ぎないが、この日ばかりは「神も寛大」であったようだ。

披露宴は通常通り、前列から「来賓・友人・親族」の順で席がしつらえられている。来賓は「しかるべき人」で構成されており、地位と名誉を兼ね備えた人物となる。祝辞を述べるのはこの方達である。
乾杯の後、食事が始まる。こうなると場内は騒然として、友人挨拶など誰も聞いていない。新郎新婦にとっては、あまり縁の無い雲の上の祝辞より、友人の「声」を聞きたいのでは…等と感じてしまう。しかし、結婚には「儀式」の側面があり、兼ね合いが難しいのであろう。縁もたけなわとなると「友人」の出番となり、パフォーマンスが繰り広げられるが、私は妙にアンバランスなものを感じた。若者のパフォーマンスに「眉をひそめる」来賓がいらっしゃるのでは…と感じる反面、若者は「騒ぎ足りない」と感じているのではないか?と。そんな訳で披露宴は対象別に分離した方が素直ではないかと、感じたりしたがいかがであろうか。
お色直しは「華やかさ」を添えるものである。が、何回あったが「豪華さ」のバロメータになっているような気がしてならない。あまりに多いお色直しは「落ち着き」を失うのではと感じてしまった。

式の後、伊香保温泉に誘われていた。久しぶりの親族の集いと言うわけである。私の最も苦手なことであるが、幸い、翌日田舎で「クラス会」が行われる予定があり、それを口実に前橋を後にした。一路名古屋に向かう…

981109先生のいないクラス会

名鉄三河線「碧南駅」に降り立つ。地図を便りにクラス会会場に向かう。生まれ育ったふるさとを歩くのに地図が必要とは情けない限りである。子供の頃、遠く感じた道のりが「こんなに近かったのか」とあらためて感じる。街角や、大きな樹に「見覚え」がある。

昨年、兄が亡くなったとき葬儀に参列していただいた先生は、今年2月急逝されたそうである。本来なら「中央」にいるはずの先生がいないクラス会…
戦国の世に、大浜城があったところが「称名寺」となっており、そこをお借りしてのクラス会。幹事の素晴らしい心遣いで、クラス会は「先生の法要」で始まった。精進料理が今の我々にはピッタリとしている。
中学を卒業して36年、約10年ぶりのクラス会。55人中(物故1名)出席者24名。それぞれ年輪を経て「年相応」の風格を持っている。が、名前と顔が結び付かない…

 昔そのままの雰囲気の人
 クラスにいたかな?と考え込んでしまう人
 こんな美人だったか?と思う人
 風貌が様変わりした人
 いじめられっ子だったのに、溌剌としている人
子供や孫の話は出ても、職業を語らない雰囲気がとても楽しい。きっと、それぞれに違う道を歩んできて、違う環境で、違う状況にいるはずなのに、地位を語らぬことが「昔のまま」のクラス会になっている。
私は「なりゆき」で、家内同伴のクラス会出席となった。前代未聞だと笑われたがそれでも楽しい一時を過ごすことができた。墓参りをして帰途に就く。雲一つない「晴天」の風が気持ちい一日であった。

981110歯の包帯

歯の痛みがやっと止まった。最近における唯一の朗報である。
とは言っても、歯のぐらつきが止まったわけではない。ものを噛めば、ぐらつく歯が痛む。先生(友人)に「抜いて欲しい」とお願いしたが却下された。抜いた歯は決して生えてこない、とことん大切にすることが必要と諭された。

ぐらついた歯がしっかりするまで保護をして、「根気よく」治療を続ける必要がある。従来なら、ブリッジを組んで固定するのがだが、それだと健全な歯を削る必要がある。そのため、「包帯」をすることになった。型を取り、樹脂で4〜5本の歯をまるで包帯を巻くように、一緒に包んでしまう方法である。健全な歯を削らないため、かみ合わせがどうしても高くなる。「そのうち慣れる」そうであるが、それが1ヶ月なのか1年なのか分からない。
まるで口の中を「誰かに占領」されたような違和感がある。また、直接「食物」に触れないため「味」が分からない。慣れていないため、咀嚼がうまくできない…しばらく不自由が続くのであろう。

以前、行き付けのお店で出会う歯科医の先生がいた。口癖は「抜きなさい」で、究極の治療法だそうである。確かに、痛みが長引くと「抜いて開放されるなら…」と思うが、永い目で見ればベストとはいえないようだ。

981113朝だけ

経営者には役得がある。反面、常に責任があり「胸を締め付ける」不安と共に過ごしている。バブルの時のように「経営者不要」な時期と違い、危機迫る昨今では経営者ゆえの心労が多い。
経営者が3人よれば「景気」の話となり、「うち揃って暗くなる…」そんな中で、あるお酒の席で「1ヶ月の内、何日『経営者の役得』があるだろう」と言う話になった。
大企業や、サラリーマン社長と違い、マイクロ企業のオーナー社長は「会社=個人」の要素を濃厚に持っている。借入をすれば常に「個人保証」をする立場にあり、会社が沈没すれば自動的に社長個人も破産する運命にある。会社が資金不足になれば「赤字です」と澄ましているわけには行かない。内部留保たっぷりの会社と違い、「赤字=資金不足=倒産」の図式があるため、資金調達に疲れ果てる。そのくせ、何かの間違いで「大幅な利益」が上がっても「社長のもの」にはならない。「欠損は社長の責任・利益は皆のもの」という、理不尽な扱いを受けている。
1ヶ月の内、何日『経営者の役得』があるだろう?半月以上は「好況の証」である。 
 A氏:10日くらいかな…
 
B氏:3日。
 
C氏:「朝だけ…」
 さて私は「?」

981114ゲンを担ぐ

11月とは思えない「ポカポカ陽気」に誘われて、長谷寺に行ってきた。
18歳で初めて担当した現場が桜井にあり、長谷寺は目と鼻の先にあった。「いつでも行ける…」筈が、今日始めて訪れることができた。
近鉄「長谷寺駅」から谷を下り、向かいの山腹に長谷寺はある。階段と坂道ばかりの道で片道約1.5kmと言ったところか。境内の散策も合わせれば、全行程4kmの運動となる。運動不足の体と涼しげな財布にとって、身心共に健康的な「秋の散策」となった。

長谷寺は、686年創建とある。宗旨は「真言宗」。空海が入唐したのが804年だから、宗旨変えしたことは明らかで、この辺の「いいかげんさ」が私はたまらなく好きだ。長谷寺は「ぼたんの寺」として有名である。シーズンに前を通ったことがあるが、人も車も行列で、私の趣味に合いそうに無い。もう少しすれば紅葉真っ盛りとなり、春ほどではないにしても「人また人」となるであろう。そんな訳で「のんびりと散策」する目的を達成することができた。

建築に携わっていると「神事」は付物である。
「政教分離」で縛られているお役所以外では、まず「地鎮祭」は行われる。地鎮祭はその地の「氏神様」から神官をお招きし、工事の無事を祈る「素朴な儀式」で、参加者が「神徒」であることなど希である。
この素朴な儀式が「政教分離」に抵触すると言う「一神教の特定宗教」の考え方が理解できない。私は、古代人が「火」を見て恐れた気持ちがそのままに、「日本人の宗教感」に引継がれていると思うがいかがであろうか?彼らには、「八百万の神」がおわす日本の原始的宗教感が許せないようだ。
地鎮祭は特別要望が無ければ「神式」で行われる。その他、私の体験した様式では仏式(宗派により内容はかなり変る)もキリスト式?もある。また山伏が集まった「山岳信仰」形式もあった。形式は様々であれ共通する心理は、工事現場で事故がおきた場合「地鎮祭をしなかったために…」と、思うことを避けているようだ。
ところが「棟上げ」となると神事は半減し、更に「竣工の神事」等はほとんどなされない。これは作る時は「神に祈る」が、出来上がれば「知らんフリ」といえる。この辺が「日本人のいいかげんさ」であろう。

ともあれ、神事は信仰と言うより「ゲンを担ぐ」一種といえるのではないか。スポーツ選手がゲンを担ぎ「髭を伸ばす」にも似た心理があるように思う。

981117「彩りの秋」点描

午前中に「寒冷前線」が通りすぎた。気温が一気に下がり、木枯らしが吹いている。明日は今年一番の冷え込みになりそうだ。これで「紅葉」しようかどうか迷っていた木々達も決心するだろう。

我が家(私は17階に住んでいる)の窓から、木々の色に変化が見える。大規模修繕の足場が邪魔をするものの、少しなれてきた。エレベータを降り、エントランスから外に出る。建物脇の「沈丁花」が、季節外れのわずかばかりの花を付けている。団地内道路の街路樹に秋の化粧が。「銀杏」はやっと黄色く色づき出した。「プラタナス」の木も黄色くなったが、落ち葉と合い半ばといったところである。
新池に集う水鳥たちは波紋を描き、周りに茂る「ススキ」は白い穂を目いっぱい付け、風にそよいでいる。そんな中に混じって「ガマの穂」も見える。刈入れのすんだ稲の切り株が黄色く色を変えた。数は少ないが「櫨」の木が赤味を増し、葉をお落とした「柿」の木に赤い実が残っている。
福祉センター内の通路を通ってバス停に向かう。センター内の「桜」は赤くなりきる前に落葉を始めている。紅葉するはずも無い「柘植」の木は季節を間違えて新芽を出し、浅い緑がいかにも紅葉したようにまだらを作っている。
花にも変化が出てきた。どんなに咲いてもはかなげな「山茶花」や、たった一輪で咲き誇る「椿」もある。南天の実が朱色から赤味を増してきた。くどいばかりに実を付けた「ピラカンサ」。
「秋は五色」。紅葉の黄色に赤。常緑と空の色に水の色である。
東北ほどの艶やかさはないけれど、この狭山にも紅葉の季節がやってきた。「今年は紅葉しないのでは」と心配したが、やっと重い腰を上げてくれてようだ。
これから木枯らしが吹くたびに、葉を落とし「冬支度」を始める木々達。百舌鳥のさえずりが一段と高く聞こえてくるであろう。みの虫はどんな気持ちで冬を過すのであろうか?

団地にも、まもなく「一斉清掃」がやってくる。春には「草むしり」が主であったが、秋は「落ち葉拾い」が主役となる。たくさんの熊手を用意してその日を待っている。集めた落ち葉で「たき火」でもできれば楽しいだろうに…
ピピが死んでまもなく2ヶ月。ピピの上には、いっぱい落ち葉が溜まっているだろう。できれば、その落ち葉は取りたくないものだ。落葉をいっぱい着れば暖かろう…

981121 遺産相続

ひょんなことから、遺産相続手続きをお手伝いすることになり、大変良い勉強をさせてもらった。近くに住む若夫婦のお父さんが今年4月にお亡くなりになり、その手続きに「会計士さんと司法書士さんを紹介して欲しい」といわれたことが発端であった。彼らの相続内容には関知しないが、同伴で「手続き手順」を聞く機会があり、遺産相続には二つの面があることを始めて知った。なお、私は既に両親を亡くしているが、早々と「相続権放棄」をしており煩雑な手続きに立ち会っていない。

まず相続遺産を確定する作業がある。現金預貯金等はそのまま評価、有価証券は相場で評価、不動産は評価額(建物)や路線価(土地)で算定、合算する。葬儀代が経費として算入されることは知っていたが、電話債権や未払い光熱費まで清算する細かさに驚いた。
相続遺産が免税点以下であれば「相続税」は発生しない。ちなみに、天引き4千万円+相続権者1人当たり800万円の合計が「免税点」となり、越えた部分が「課税対象」となる。もし、免税点以下ならば「税務署への申告(相続税)は不要」となる。ここまでの作業は「会計士」の出番。
相続財産に不動産があれば、「相続登記」が必要。これ以降は「司法書士」の出番で、仮に免税点以下であっても手続きは不可欠となる。
相続税は税務署(大蔵省)管轄。相続内容がいいかげんでも「相続税」さえきちんと入れば文句はない。それに対し、相続登記は法務局(法務省)管轄で、「相続人の権利を守る」ことを主眼に手続きが要求される。このスタンスの違いに感心させられた。

金額の過多を問わず、遺産の「分割協議書」を作成し、誰が何を相続するのかを詳細に決める。勿論、相続権者全員の署名捺印(同意)が必要。相続をめぐってトラブルが起きるのがこの段階で、相続額が大きい場合や相続権者が多い時にとかくトラブルようだ。
法務局は、「相続権者全員」が本当に間違い無いかを厳密にチェックする。法の下の平等を保証するため、相続権者に「漏れ」が無いことを証明しなければ「相続登記」ができない。そのため、非相続人の親の代に溯って「戸籍をチェック」し、離婚歴や非嫡出子あるいは「隠し子」等の有無を確認しなければならない。これらの人々が「漏れなく合意した財産分与」でなければ相続登記できないシステムとなっているそうだ。
いわば、先祖を探る「探偵」となる必要がある。その結果、思わぬ「人」が現れることなど珍しくはないそうだ。遺産相続=「相続税」にとかく目が行きがちであるが、このようにして権利が守られている。

余談である。先進国で「過重な相続税」の制度があるのは、日本とスエーデンのみだそうで、そのため「伝統文化が衰退している」現実も共通している。

981122リニューアルを考える
某社の工場をリニューアルする依頼を受け、その資料作りを行った。ところが、思わぬ予算が必要だと解ってきた、完璧なリニューアルをしたとて「新品」に変るわけではない。そこで、「新築」した場合との比較が必要となってきた。

ヨーロッパでは建築工事に占めるリニューアルの比率が70%に達するそうである。欧州のように、「伝統的建物」の多いところでリニューアルが発達したことはうなづける。再生不可能な「文化的価値」を、使いながら保存する手法はこれしかないのであろう。
日本は元々「スクラップ&ビルド」のアメリカ風で、あまりリニューアルに熱心ではなかった。しかし、長引く不況で建替えは思うに任せず、かといって「被ってはおけない」ことからリニューアルが急速に増えつつある。ただヨーロッパのように伝統が無いため、リニューアルに関する「ルール作り」が遅れている。

建築コストは「材料費+施工費(人件費)」で決まるが、ここでも長引く不況で大幅に下がってきている。モノによるが「半値8掛け(定価の40%)」と言った世界も珍しくない。新築の場合は、この状況を受け[CM(コストマネージメント)方式]と呼ばれる価格体系ができ、建設費が大幅に下がっている。
それに対し、リニューアルは仕事の性質上「入札」がしづらく、競争原理が働かない。そのため、「定価+利益」のコストで計上されることが多い。
冒頭述べた事例は、築後40年の鉄骨造の建物である。漏水が激しく、それに伴い設備系にダメージを受けている。屋根材を更新し、設備系の見直しをする費用を「リニューアル単価」で計上すれば「新築価格の40%」に達することが分かった。40年前と今では作業形態も変り、新築すれば「理想の工場」に生まれ変わることは間違いない。単にコストだけではなく、「性能」も付加価値として考える必要がある。
リニューアルで如何様に工夫しようとも、生み出せる付加価値は新築には及ばない。なのに、リニューアルコストが高いという現状は、ルール作りと合わせて考えていく必要があろう。

税法で「有形償却資産」として、俗に言う「耐用年数」が定められている。構造体の寿命はさらに永い。しかし生活の進歩は目覚しく「機能がついて行かない」ことが多くなっている。ヨーロッパでコンピュータの普及が遅れている理由に、リニューアルでは「コンピュータ社会に対応不可能」という現実がある。耐用年数と社会変革の狭間で、今後もリニューアルはゆれ続けるのであろう。
      

981123消防訓練

私の住んでいる団地で毎年「消防訓練」が行われる。回覧で呼びかけても、訓練への参加者は役員のみ。ただし非難はできない、私も今年役員が当たり初めての参加となった。

消防署の方にも指摘されたが、訓練が形式化して「実用に耐えるか」はなはだ疑問である。実際に火災が起きたら、大変なパニックになるであろう。
団地は、火災が起きても容易に類焼しない構造になっている。その意味では、隣家で火災が起きても「急いで避難」する必要はない。むしろ、類焼を防ぐ手だてを講じるべきである。類焼は、ベランダに干した洗濯物や蒲団等に燃え移ることによって起きる。だから、「素早くベランダを片づける」必要がある。地震がきたら「火を消す」ことは広く知られているが、同程度にこの知識を広めることが有効のようだ。

14階に「火災発生場所」を設定して避難訓練が行われた。火災報知器のベルを鳴らし、避難を呼びかけても「悠々とエレベータに乗ってお出かけ」の人が出る始末で、まるで雰囲気になっていない。少しは「芝居気」を出して、階段を走って降りてくれたらと思う。
ハシゴ車が到着。位置を決めハシゴが伸びる。日頃の訓練とはいえ、「これは見事」であった。一発で「救助を待つ人」のところに伸びる。先端は30cm程度ゆれているそうだが、希望者殺到でなかなか避難?が完了しない。感想を聞いてみたら「気持ちよかった」そうである。
なお、救助を待つ人が多い場合はハシゴを昇降するワゴンではなく、ハシゴそのものを降りて避難するそうである。命懸けともなれば「降りる」かもしれないが、地上40mからハシゴで降りる勇気はなかなか湧かない。
ちなみに、今日使用したハシゴ車は7千万円(後2年でスクラップ予定)するそうだ。最近のハシゴ車はコンピュータ制御になっており1億3千万円もするとのこと。

グランドに場所を移し、「消火訓練」に入る。パレットにオイルを入れ点火し、消火器で消してみる。こんな職業をしながら初めて消火器を操作した。風上に回り「火元」に消火剤を吹き付けて「消火完了」。中には風下から噴霧する人もあり、派手な割に効果が無いことも分かった。訓練を終わり、消防署の方から「何かと注意」を受けた。やはり日頃の訓練と心構えが「いざの時に役立つのだろう」と感じた一日でした。皆さん御用心

981124床屋と耳かき

愛する人の膝枕で耳かき…「至福の一時」ではありませんか?

古くは「耳かき」は一つの職業として存在したようだ。井伊直弼を主人公とした「花の生涯」という小説にこの職業が登場する。
不思議なものだと思うが、耳かきは自分でやるより「誰かにしてもらう」方が心地よい。今も職業としてあるのなら、私などファンになってしまいそうである。そう言えば、最近のニュースで「インドの耳かき」が紹介されていた。ここでは今も職業として成り立っているそうだ。

私の田舎では、床屋の最終コースは「耳かき」であった。大阪に出て、床屋に耳かきが無いと知った時は寂しかったものだ。
東大阪に私の師匠(絵の先生)がいらっしゃる。93歳のご高齢だが、まだまだお元気である。先生をお訪ねする前に「床屋」によったら、何と「耳かき」があったのです。これは感動でした。この話を先生にしたところ、大変面白いことを聞くことができました。
明治時代、文明開化で「ちょんまげ」姿が消えて行く。当時、髪結いと耳かきの職業が時代から取り残され、消行く運命にあった。生き残りを掛け、髪結いから「床屋」に変身する過程で、耳かきが床屋とドッキング。散髪のコースの一部に「耳かき」が入り、共存共栄を計ったのが「床屋で耳かき」の始まりだそうだ。
私の田舎でも床屋に耳かきがあるところを見ると、全国的にこの風潮が広がったのではないかと思われる。かっては大阪でも「耳かき床屋」があったのだが、その後、「不衛生」とする保健所の指導で消えて行ったようだ。

ここらで発想を変え、衛生的な「耳かき棒」を用意し、付加価値を付けた「床屋」などいかがであろうか。耳かきに「松・竹・梅」コースを設け、客のニーズに応えたら面白いのでは。

981125手紙

世を挙げてコンピュータ である。インターネットの普及で家庭にパソコンが入り、猫も杓子も電子的手段でやり取りが行われる。携帯電話が氾濫し、FAXにEメールと、まるで「手紙」が忘れられたようだ。こんな世の中で、日頃コンピュータを使い仕事をしているのに、私に「手書きの手紙」をくれる可愛い娘達がいる。

たった4日間「私にCADを習った」ため、いまだに私と手紙のやり取りが続いている竜野の娘Y.T。今は結婚し母親にもなっている。私の作業机の前には、その可愛い「孫」の写真が貼ってある。もう新居もできた頃であろう。
ある現場に「施工図担当できていた」E.Kさん、その後も何かと連絡がある。最近も、自分の家にコンピュータを導入するに当たり相談を受けた。年相応に我が侭なところのある娘である。「やりたい仕事」ができない不満を抱えており、自立を考えているようだ。そんなことを「毛筆」の手紙で伝えてくる。
たまたまPRで当社を訪れた、大阪ガスのY.Kさん。私があまり事務所に居ないこともあり、やはり毛筆の手紙で連絡をしてくる。
フリーアクセスメーカーのM.Hさん。今や立派に営業部長が勤まるほどのキャリアウーマンに育った。はきはきした物言いに決断力の素晴らしさ。彼女も手書きの文章を送ってくる。
知合いの娘さんでM.Kさん。私の拙い「雑記帳」に、丁重に返事を下さる。仏教に造詣が深く、今様?では有得ない落ち着いた娘さんである。
タウン誌の編集をしているM.Fさん。同様に、雑記帳に対する感想を頂いた。
それぞれ、決して「ワープロ」では手紙を書いてこないのが嬉しい。そのくせ私は、手書きの手紙は書かない。文章を書くことは好きだが、「字」を書くことが大の苦手で、これがOA機器との付き合いが始まる原因となっている。

悪筆の私は「図面の文字が読めない」と言う苦情に悩まされてきた。15年前、まだ高価であったワープロを購入した…私にとって「救いの神」であった。そのお陰で、キーボードに慣れていた。40才のとき、年甲斐もなく喧嘩で右手親指を骨折。それを機会にツールをコンピュータに変えた。意外と抵抗の無い「変身」であった。

981126芸術の秋

何かの本で「文字に芸術性があるのは漢字だけである」と言う説を読んだ。
英語は「読めるか?読めないか」が重要で「上手い下手」がないというのである。確かに、中国や我が国では「書」は芸術として紹介される。英語圏で「書道家」が存在すると聞いたことがないから、やはり、文字に芸術性を認めるのは「漢字」しかないのかもしれない。しかし「漢字」特に毛筆で書かれた書など芸術的であればあるほど、私には「判読不能」になる。読めもしない文字が「芸術的」とされる世界は、私にとって不可解な世界ともなる。

では、本当に「英語には芸術性がない」のであろうか。昔から、アルファベットに「花文字」があることはよく知られている。更にコンピュータ化が進む中、文字種類の多さはどうであろう。このことは、アルファベットにも「デザイン性」があることを示している。現に、商業デザインでは「文字」も重要なデザインの要素となっている。私など、読めもしなければ意味も分からないが「アラビヤ文字」に美しさを感じてしまうが、いかがであろうか。
「漢字には芸術性があり、横文字にはデザイン性がある」と言うことであろうか?
では、芸術とデザインの差は何か?横文字には「デザイン性はあるが、芸術はない」となればヤヤコシイ話になる。なにやら哲学めいてくるからこの辺で止めよう。

私は「自他共に認める悪筆」である。
芸術性のカケラも持ち合わせてはいない、それより何より「読めない」との苦情が寄せられる。これはもう「悲劇」である。せめて「誰にでも読んでもらえる文字」が書ければ、私は「悩み」はしなかっただろう。

仕事上、記録を取ることが大事である。そのくせ「メモ」すら取らない。全て記憶にとどめ、後で記録に直す。多分、自分で書いた文字さえ分からなくなるのいやなのであろう。私の「悪筆」は先祖伝来ではない。父は書道の達人であった。田舎でのことではあるが、新しい建物でもできれば「揮毫」を頼まれていた。他の兄弟もそれぞれ「美しい文字」を書く。特に、先年亡くなった兄は書道の有段者で、よく展覧会に出展していた。なぜか私だけが「継子」となっている。神様は不公平なのだ。
それだけに、私が一番コンピュータが得意である。悪筆を機械で補っている。その意味では「世のなか上手くできている」というべきか。でもやっぱり「美しい文字が書けたら…」いいよなあ〜悔しい!



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