dogfight高松の長すぎるひとり言
1998年10月

スペイン紀行あしながおじさんあしながおじさん2祭り泣き面に蜂苦しいときの神頼み憂鬱な秋読書の秋トイレ考座席と娘達海外旅行の悪夢クリーンヘッド携帯電話食欲の秋スポーツの秋当世「出版界」事情D邸の竣工パンツとダイエット濡れ落ち葉
981008あしながおじさん

私は「あしながおじさん」を読んでいる。
学生時代、図書館を利用しないことを自慢にしていた。今考えれば「何と馬鹿なことをしたものだ」と思う。青春の通過儀礼で多くの方が読んでいるであろう書籍を、私はこの歳になって読んでいる。

親兄弟の反対を押しきって早く結婚した私は、すぐに「厳しい現実」に直面した。生活に困り、遊ぶ金などどこにも無い。その時出会ったのが移動図書館である。初めて手にしたのは北杜夫氏の「ドクトルマンボウ」シリーズであった。諸兄には笑われるかもしれないが、私にとって幸いであった。手軽な内容に「初めて本を読む」苦痛はなかった。すっかり読書の習慣づいた今、やっと青春の通過儀礼を手にしている。

書簡形式で構成される「あしながおじさん」の主人公「ジュディ」は孤児院で育つ。
偶然に得た大学生活において「月一度の手紙」を義務づけられる。その中に、「家族の思い出が無い」ことに苦しむ姿がある。幸いにして孤児ではなかったが、私も「働かざるもの食うべからず」の生活をして、家族旅行の思い出など皆無である。彼女は友達が語る「家族の思い出」を、苦痛をもって聞くことに共感を覚える。書簡の中で「私が味わった苦労を子供にはさせたくない」と語る。私もその生き方を選択した。


書簡の一説を紹介したい。
おじ様、私は幸福になる本当の秘訣を発見しました。それは現在に生きることです、いつまでも過去のことを悔やんだり、未来を思い煩ったりしていないで、今この瞬間から最大限度の喜びを捜し出すことです。これはちょうど農業のようなものです。粗放農業と集約農業とありますが、私は今後集約農業的生活をするつもりです。私は一秒一秒を楽しみ、自分がそれを楽しんでいることを自覚しているのです。たいていの人は生活しているのではなく競争しているのです。地平線の遙か彼方の決勝点に一刻も早く着くことにばかり熱中して、息を切らしてあえぎながら走っていて自分の通っている美しい静かな田園風景など目にも入らないでいるのです。その挙げ句にまず気がつくことは自分がもう老年になり、疲れ果ててしまい決勝点に入ろうが入るまいが、どうでも良いことになっているのです。
静かな田園風景が目に入るように、心の平静を保つ努力をしている。

981009あしながおじさん2

汗をかくボランティアとお金で済ますボランティアがある。
こう書くと、お金で済ますボランティアは軽蔑されそうであるが、決してそのようなことはない。欧州の王侯貴族の気まぐれからボランティアは生まれた。お金で済ますボランティアが「生みの親」となり、それが庶民に普及し「汗をかくボランティア」となっている。

ジュディは、アメリカの超お金持ちの善意で幸運を掴む。お金で済ますボランテイアの一環であった。ただ、二人は恋に落ちることによって物語を作っているが、恋が無ければ当時「結構あった」出来事に過ぎないかもしれない。
欧州を旅すると「王侯貴族」のお金持ちぶりに唖然とさせられる。
天皇家を何かと批判する向きもあるが、欧州の「王宮」を見れば黙りこくるであろう。「天皇家は何とみすぼらしいのであろうか」これが私の正直な感想である。

日本ほど富が平均化した国は希であろう。
それを理想とする方達が多く存在し、異見を挿みづらい雰囲気がある。しかし、私は「文化」の観点に立てば悲しむべきことかもしれないと思っている。欧州に限らず、アジアの諸遺跡文化遺産を見ても「富の偏重のあかし」としか思えないのである。

人が集まることにより「文明」が生じる。しかし、富の偏重がなければ「文化」は生まれない。外国だけではなく、我が国でも「富の蓄積」の時代に文化が生まれている。
戦後占領軍によって、徹底的に「富の再配分」が行われ、我が国から「旦那様」が消えた。
旦那様によって、風流や芸術が維持されていたため、このことにより日本の文化が一気に衰退した。今、外国に「日本の文化」として紹介されるものに、戦後の文化がどれだけあるであろうか?それも「国家丸抱え」で細々と維持しているものが多い。

戦後、父が家業に失敗した大きな理由に、軍による鉄(機織り業:自動織機は鉄でできていた)の徴発と占領軍による富の再配分(農地解放により田畑を失う)があった。これで、富を生み出す全ての物を奪われた。
父は旅の絵師を歓待するのが好きだったようで「横山大観など何人も出会った(偽者が横行していた)」と、よく笑い話をした。書生も多くいて、学費や生活の面倒を見ていた。彼らの多くは地方官吏になっており、我が家の倒産後「最も頼りになる人たち」であった。

戦前の日本には「あしながおじさん」がたくさん存在していた。
あしながおじさんなどいなくても「みんな均等に教育を受けられるようになった」と、反論が出そうである。しかし、高等教育の普及が「幸福」を運んできたであろうか?どんな文化を創ったのであろうか?

981010〜12祭り

10月10日「体育の日」
昭和39年、東京オリンピックが開かれたことを記念し、祭日となる。
この日は私の初恋記念日とも重なる。通学に片道2時間かかる私は、開会式を見たくて高校を休もうとするが、窘められて彼女の家でそれを見た。彼女の家を初めて訪問した日でもある。翌年、私は大阪に出て「初恋」は終わる。


秋は祭のシーズンでもある。窓から祭りの太鼓が聞こえてくる。
この地に住まいを定めて30年近くなる。でも、まだ私には「氏神様」がない、その意味で流浪の民である。51歳になり、氏神様が無いことが「こんなに寂しいものだ」と気付かされた。

私の田舎は三河の国である。
本能寺の変で辛くも難を逃れた家康が、本国に逃げ帰った港が「我がふるさと」である。港に面して小さな社があり、今も昔も人口千人余りの小さな世界の「氏神様」となっている。

なぜか、ここにだけ「山鉾」がある。祇園祭に出しても引けを取らぬ立派なもので、戦国時代家康の懐を潤わした国際貿易港の富の名残であろうか?山鉾には「からくり人形」があり、高山のからくり人形に伍しても決して見劣りしない。からくり人形の多くは体の一部を隠し操作するのが普通であるが、田舎の人形は「乱杭」と呼ばれ、杭の上を歩きまわる「離れ業」をやってのける。文字通り「離れ業」で空中を歩く人形はここだけと聞く、県の重要無形文化財の指定を受けているが「国」の指定でないのが不満である。

昔、次男三男達が荒野を開墾し新しい村作りをする時は、必ず「氏神様とお寺」を分祀して行ったという。彼らの心の拠り所として、祭り(生活にまつわる儀式)と葬儀を行う場所が無くては「村おこし」が出来なかったのであろう。近代を迎え、人の流通が増えると「氏神様」から遠ざかってしまった。日本人にとって、氏神様こそアイデンティティーそのものではないかと思っている。
欧州は人口密度が低く、果てしなく広がる耕地にポツンと集落が見える。集落には必ず二つの塔が見える。教会と役所である。ここでも、荒野を開墾し新たな集落を作る時はこの二つをまず作ったそうである。人が素朴で「神への恐れ」を知っていた時代、洋の東西を問わず共通の心理であったと感じた。ただ、新興の集落では「塔」を見ることが出来ない。何やら日本と同じことが起きてはいまいか?

「ご出身は」と尋ねられると「愛知県です」と答える。判で押したように「名古屋ですか」と断定される。とんでもない、私は三河の海辺の田舎町出身です。
愛知県は尾張と三河の二国が合わさってできている。文化はまるで違い、混同されるのは三河人も尾張人も迷惑であろう(そのくせ私は秀吉ファンである)。
尾張は、織田信長・豊臣秀吉の二傑を生み京を目指した、三河は徳川家康を生み「江戸」を創設している。当時、関東は未開の土地で三河衆を引き連れ「江戸」を作り上げている。つまり、江戸文化の根っこは「三河」にあり、関東と文化を共有している。(味付けや方言に類似性がある)

司馬遼太郎氏の話によれば「県名と県庁所在地名が異なるところは、明治維新に反抗したところ」と相成るそうである。ならば「愛知県」は不思議なところである。
家康により御三家が作られる。
ポスト家康を巡り対立が起き、それが尾を引き一度も尾張から将軍を出してはいない。江戸時代300年を通じて、尾張徳川家は常に「アンチ徳川幕府」の旗頭であった。明治維新においても尾張徳川は、いち早く「討幕側」につく。その証拠に、名古屋には「徳川美術館」があり、尾張徳川家の財宝(美術品)が保存展示されている。他の、徳川家は討幕側の略奪の対象となり、尾張ほど美術品を残してはいない。(以下、略)

981013泣き面に蜂

「泣き面に蜂」同意語に「弱り目にたたり目」がある。困ったときに更に困った様を言う。いま、日本はまさにこの状態である。

安定多数を確保できないため、与党「自民党」は政策決定能力を欠いており、相変わらず「火事場」を前にして、出火原因を云々している。常日頃、政府自民等に辛口の政治評論家氏も「議論のための議論はいいかげんに止めないと日本は潰れますよ」と、野党を非難するほど「イケズ」が続いている。この期に及んで「誰も正解」を出せる状態ではない。今必要なことは「方針を決め強い意志を表すること」であると思う。正否は後で良い。
こんな雲の上の話で、日本経済は沈没寸前である。バブル後の不況など、今考えればぬるま湯みたいなものである。

野党に迎合しなければ運営できない政府は、所得税を納めていない人々にも「減税効果」を及ぼす野党提案を受け入れようとしている。
今、標準家庭(夫婦+子供2人)で年収491万円まで所得税が掛からない。これだけでも私には充分「異常」に映る。英国25万円、米国40万円が非課税額である。このままいけば、標準家庭で税金を納める人は無くなってしまうのではないかと、本気で心配している(常々、税は広く薄く負担すべきと思っている)。彼らは無税であるから「減税」しても還付の対象とならない。それでは「減税効果」が低所得層(491万円で低所得でしょうか?)に行き渡らないので、彼らに一律3万円を支給しようと言うのが野党提案である。ただ、貯金に回されては「消費への刺激」にならないため、「金券」で渡そうと言うのである。この案に対しマスコミから「非難の声」が上がっている。「いい加減にしろ」と言った良識ある声ではない。「金券で渡せば、低所得者層の証明書になるではないか」と言う非難である。

アンケート調査で「日本の税金は高い」と答えた人の7割が税金を納めていない、と言う調査結果がある。無税の人々に金券を渡して、非難される政府こそ『泣き面に蜂』と言うべきか。

981015苦しいときの神頼み

私は概ね無神論者と言える。「概ね」と断りを入れるのは「苦しい時の神頼み」など、しょっちゅうあるからである。クリスマスもすれば初詣にも行く。結婚式は神前で、祖先の法事は仏様で行っている。ようは「いいかげん」なのである。ただ、これは私だけではなく、一般的日本人の姿と言えるであろう。「特定の宗教宗派を無条件で信仰する」ことが無い、という意味で私は無神論者である。
ただ、「人間は万能」等と己惚れた気持ちはない。私は「神の領域」があると常々信じている。そこには「全知全能」の神様がおわし、人間には不可能なことを司っている。ただ、神は「釈迦・キリスト・マホメッド」といった固有名詞を持っているわけではない。

日本は仏教国と分類される。日頃そんな意識を持っていないため、異国で戸惑った経験がある。
仏教には「大乗仏教」と「小乗仏教」があり、我が国は大乗仏教の唯一の国と言える。大乗仏教は釈迦の直弟子によって広められ、小乗仏教はその200年後「経典を再解釈」することによって始まる。なぜ、小乗仏教が朝鮮海峡を越えなかったの不思議であるが、案外「日本人には合わない」と、輸入拒否したのではないかと思っている。

故郷に「三河一向一揆」の本拠地となった寺がある。城郭作りで「これなら篭城戦が出来る」と感じさせる構えである。本来ここが檀家寺であるが、墓地用地が狭いため隣の禅宗の寺に我が家の墓がある。父が亡くなった時、兄と二人で墓石を作り替えたが、それまでは「砂岩」で作られた墓が七つ八つ並んでおり、風化が進んで墓碑銘も読めなかった。「父の葬儀は「浄土真宗」で行われた。翌年、一周忌の法要に行ったら「禅宗」に変っていた。疑問を呈したら、「真宗は御布施が高いから変えた」と。究極のファジーであろう。

以前、近くのキリスト教会から布教の方が来たことがある。本を読まれますか?と尋ねられたので「はい」と答えたところ、聖書は?と言われるので「いいえ」と答えた。そうしたら『字を読まれるのですね』と。彼女にとって本とは聖書以外にないそうで、よくこんな狭い心で布教が出来るものだと驚いたことがある。宗教に対するファジーさが「大乗仏教」によるものなら、私は大変感謝している。

追記
なぜ、小乗仏教は日本に入ってこなかったのか?気になって仕方が無い。私は仏教の専門書を読み漁るようなマニアではない。たまたま読んでいる本に「仏教に関する記述」があれば「ついでで読む」程度の知識しか持ちあわせていない。ちなみに、一般書で「大乗・小乗」を区別して記述している書物などまず無い。日本で仏教といえば、大乗仏教をさすと考えて間違いない。また、小乗仏教を紹介した書物(あくまで一般書で)に出会っていない。「おおらかな大乗仏教に対し、小乗仏教は排他的」と言うのが、私も含めての一般的な認識ではないであろうか。そんな訳で、「めくら蛇に怖じず」の諺があるように、恐れずに推理してみたくなった。

日本に仏教が伝来(6世紀)したのは、釈迦が生まれて約1000年を経過している。当然、当時既に大乗も小乗も存在したはずである、であるならば「誰かが選択した」と考えるほうが素直に思われる。
何故か?私の推理はこうである。「小乗仏教は排他的」と言う認識に間違いが無ければ、それが敬遠された理由は「天皇家の祭祀(神道)や庶民の神への恐れ(氏神信仰)と、バッティングする」ことを避けたのではないだろうか?

東大寺は華厳宗である。経典は華厳経で、仏教より200年程歴史が古い。つまり、華厳宗は仏教ではない。ただ、華厳経は大乗経典の一つに取り込まれたため、日本では違和感なく仏教に組込まれた。
空海や最澄が9世紀初頭(806年)に密教を持ち帰る。司馬遼太郎氏の「空海の風景」を読む限り、これが「仏教」であると言い難い。ちなみに、東大寺の風物詩「お水取り」は、密教の儀式である。
道教はどうであろうか?中国では元王朝の庇護で最盛期を迎える。この時代(12〜13世紀)日中は国交断絶しており、僅かにしか入ってこなかった。中国文化圏に旅をし、道教の寺に行くと驚くことがある。日頃信仰している「七福神」の半分が実は道教の神様である。
儒教は、宗教と考えないほうがよさそうだ。儒教が「支配者の論理」であったため、日本では武士階級に広く普及した。「封神演義」の著者安能務氏によれば「儒教と言うフィルターを外さなければ正確な中国の歴史は見えてこない」そうである。

我が国では、すべてが「仏教」と言う括弧で括られてしまったようだ。そして、都合の良い部分、あるいは差し障りの無い部分だけ「宗教」を輸入したように思うがいかがであろうか?何方か、仏教に造詣の深い方にご教授願えれば幸いである。

981017憂鬱な秋
春には輝きに似た明るさがあるのに、どうも「秋」は「沈み込む寂しさ」がある。来る冬を控え明るくなれないのであろうか?

難産の末「金融健全化法案」が通過した。何十兆円と言う資金を投入し「金融」を健全化(貸し渋り対策)しようと言う構想である。それに対し、銀行協会は「拒否」を表明している。なんとも不可解であるが、「口出しされたくない」のが理由のようだ。金融健全化法案には「経営責任の追及」と「リストラ」が条件として盛り込まれている。金融関係の給与は決して公開されない。が、少なく見ても「平均給与の4割り増し」と言われている。この是正を合わせて要求されるわけである。全て「税金」ではないが、高給取を助けるために「貧乏人の金」をつぎ込む図式になる。ならば、是正を要求するのは当然と思うがいかがであろう。
昨年「山一証券」が自主廃業した。私のような門外漢でも早くから山一の危機を知っていたが、社員はそのことを知らなかったようだ。会社が潰れるその時まで「優雅な待遇」を崩すことはなかった。
会社と言えば「大企業」を思い浮かべ勝ちであるが、吹けば飛ぶような「マイクロ企業」が圧倒的に多い。そんな企業では「倒産」を迎えるまでに「ありとあらゆる」節約をするのが普通である。金融界はこの姿勢に欠ける。税金を投入される企業が「立派な自社ビルを持ち、高給を維持し、社員福祉施設を持ち続ける」となれば「経営責任」を追求されるのは当たり前ではないか。経営責任を追及され、待遇低下を受け入れるくらいなら、今まで通り「貸し渋り」を続け「嵐の過ぎ去る」のを待つ方が良い、と言う判断のようだ。

「あと3ヶ月も貸し渋りが続けば日本経済は間違いなく壊滅する」榊原経済審議官の発言である。彼らには、日本が沈没しても「特別待遇」のほうが大切なようだ。
981018読書の秋

なぜ「読書の秋」であろうか?良く分からない。
「春夏秋冬」を当てはめてみると、確かに「秋」が一番語呂が良い。案外こんなところか。

私は、秋でなくとも読書をしている。今では「読書中毒」と言って差し支えない。本が無ければ「不安」な気持ちになる。
本を選ぶのは結構面倒である。かっては「作者別」に選んでいたが、ネタが尽きてきた。最近は手当たり次第「乱読」と言った傾向にある。当然、当たり外れがあり「途中で投げ出す本」も出てくる。そんな中で、最近のヒット作をご紹介したい。
  「天皇の密使」:丹羽昌一著(文芸春秋)
作者自身が「実在の人物をモデルにしているがフィクションである」と断っている。と、同時に「実際にこれに近いことがあった」とも述べている。後書きを、ご遺族が書かれているが、「ほとんど実話」と考えて差し支えないようである。
1910年代、メキシコ革命の吹き荒れる中、移住した邦人救出のため下級官僚が「私的な旅行」の形で派遣される。微妙な国際環境の中「表立った救出」が出来ない。更に、高級官僚の思惑(保身)が働き「手足をもがれた」状態で重大な使命を全うしなければならない。
主人公の灘健吉(実名:馬場称徳氏=長野県出身/関係者(子孫の名誉のためフィクション形式にしたと思われる)は、シカゴ領事館の書記生(最下級職員)。外務省職員の身分を明かすことを禁じられて、革命最中のメキシコに赴く。自ら認める「臆病者」である。
在留日本人を「革命軍兵士」に仕立て上げようとする現地革命軍司令官に、その阻止をするため困難な交渉に臨む。
ひょんなきっかけで、革命の立役者「パンチョ・ビリャ将軍」と出会い、「天皇の使者」と勘違いされることにより僥倖を得る。
使命そのものはこの僥倖により成就するものの、二つの恨みを買う。思惑を潰された現地司令官に恨みを買い、様々な妨害をされる。最後は「卑怯者」と罵られ「決闘」に臨む。
安全地帯への集団移住に成功し、多大な功績を上げたにもかかわらず「天皇の使者」を詐称(本人の意思ではない)したとして高級官僚から弾劾を受け、外務省を去る。そこには、「どんなに辛くても、どんなに恐くても『逃げてはいけない時には逃げない』姿勢」がある。明治人の気概を感じる一遍である。是非ご一読を

パンチョ・ビリャはメキシコ革命を象徴する実在の人物である。
元々、「盗賊の頭」であったが、革命軍の将軍に祭り上げられる。粗野ではあったが、カリスマ性と物事の本質を見抜く力を持っていたようだ。革命成就後、政府要職に就くことを断り田舎で隠遁生活に入る。かえってこれが気味悪がられたのか45歳で暗殺される。
私にはなんとも魅力的な人物に映る。伝記があれば是非読んでみたいと思っている。

981020トイレ考
昨夜は飲みすぎた。おかげで腹具合が悪く、公衆トイレに駆け込む。そこで私はロダンの「考える人」になった。
いきなり余談である。
公衆トイレが随分綺麗になった。管理が行き届き「ペーパー」の心配は無い。水洗は自動化され悪臭も無い。更に「悪質な落書き」も姿を消している。

トイレと葬儀に共通性があるのをご存知であろうか?水葬・火葬・土葬・風葬・鳥葬等がトイレの処理法として昔からある。

 水葬
古代ローマで、既に「水洗」が行われていた。今のように浄化装置はないが、水路を通じて海に放流される。ポンペイの遺跡にはこれがちゃんと残っている。日本でも「高野山」と呼ばれる水洗方式があった。川の上に厠を作り「ブツ」はドンブラコ。また、汲み取ったモノを、川や海に流すのも「水葬」の一種といえよう。
 火葬
乾燥地帯ではブツを乾かし「燃料」として再利用している。火葬である。
 土葬
土葬は最もポピュラーであろう。穴を掘り、板を渡して「厠」となす方法である。遺跡の発掘調査でも「黄金柱」が発見されるから、かなり古代から行われていたようだ。
江戸時代、将軍が変わると新たに厠を建てた。「1代1厠」の原則があり汲取りはしない、長生きした場合を想定して「巨大な竪穴」であったそうである。
 風葬
風葬は、言わなくても分かるであろう、「野○×」と呼ばれる原始的用便方である。また、堆肥として利用するのも「風葬」の一種と考えられる。
 鳥葬
鳥葬は、動物に遺骸の処理を任すものである。南洋ではトイレにブタやアヒルなどを飼い、餌としてブツの処理をさせている。

すっかり「洋風便器」が日本文化になってしまった。しかし、「しゃがみ式」は世界的に見ても結構広く利用されてきた。「ビルマ便器」と呼ばれるものがある、床に埋め込む形式であるが、和風便器のように「金隠し」がなく、初めての人にはどちらが前か分かりづらい。これは東南アジアだけではなく、かっての「トルコ帝国」占領下で広く利用されてきた。私はイタリアで何度もこれにお目にかかっている。
用便中の姿を隠すのは意外と「日本文化」かもしれない。白人社会ではバストイレが一体であるし、公衆トイレは「申し訳程度のスクリーン」しかない。中国文化では、トイレを隠す習慣自体が無い。広州の空港でトイレに行ったところ、広いトイレに点々と穴があいている、金隠しどころか「何の仕切り」も無い。出るものもでなくなって帰ってきたことがある。外国で公衆トイレを利用するには、日本人は勇気が要る。
公衆トイレで「考える人」になりながら、ペーパーにも思いを馳せた。日本では「柔らかくて真っ白な紙」が利用されるが、実は「とてつもない贅沢」ではないかと思っている。外国を旅してみると、「最終廃棄物」としか思えないもが用意されている。
981020知的所有権

たまたま読んでいた本に面白い記述があった。
米中知的所有権協議の席でアメリカ代表が「知的所有権を認めるように」と要求したところ、中国側交渉員は「我々中国人は、紙・火薬・印刷と言った世界三大発明を行ったが、ただの一度も知的所有権を要求したことはい」と反論したそうである。同様の話を聞いたことがある。日本が中国に知的所有権を要求した時、「漢字」の使用に対し知的所有権を要求されたそうである。

知的所有権は幅広く、特許・実用新案から始まり、作曲・著作や映像にまで及ぶ。国により概念がひどく変るが、大別すれば1.アメリカ/2.アメリカ以外の先進国/3.中国文化圏/4.旧ソ連等共産圏となる。なお、知的所有権を侵害するにはそれ相当に先端技術が必要なため、後進国や未開の地域は対象となり得ない。
中国は、冒頭に述べたように全く知的所有権を認めていない。

華僑が勢力を持つ東南アジアなどでも同様で「海賊版」が氾濫している。永く中国の属国であった韓国(国として最近やっと知的所有権を認めた)においても事情は変らない。中国や韓国の企業と特許権使用契約を結んでも履行しないため、外国企業が撤退するケースが目立っている。そのため「新規技術」の移転が進まず「産業のテイクオフ」がどんどん遅れている。
悠久の文化を育んできただけに「時間を区切る」のが苦手のようである。
知的所有権は「有限」であるがこの概念もない、それが三大発明や漢字云々発言に現れている。知的所有権はかの国では永久に認められないかもしれない。
アメリカの特許制度は特殊である。
他の先進国のように、特許取得に「技術的裏付け」を必要としない。極端に言えば「石油から繊維を作る」と言った程度で特許が可能である。

我が国も特許の有効期限は審査期間を含めて20年(アメリカ以外はほぼ同様)であるが、ナイロンが発明されてから60年も経過するのに未だに「特許料」を支払っている。
その原因は、審査終了後「有効期限17年」と言う制度にある。ちなみに、審査期限は無制限でかつ非公開である。アイデアを出した後「何年でも掛けて中身を変更できる」つまり「特許申請の中断」が出来るアメリカ独特の制度にある。
同様の申請が複数出た場合、先の出願を中断し「後のほうから許可」することが出来る。ナイロンでは、特許が切れるたびに中断していたものを復活し許可するため、延々と続くことになる。

平安時代から続いている京都の伝統工芸が、アメリカ企業から「特許権侵害」で訴えられた。「特許を取ったのは俺のほうが先だ」が、根拠である。当然、裁判となったが敗訴した。
アメリカの裁判は「陪審員制度」を取っており、技術のことなど何も知らない素人の評決で決まってしまう。これらは、アメリカ以外では起こり得ないことである。特許制度や技術審判に関する陪審員制度は各国から非難を浴びているが、アメリカもまた「唯我独尊」の国である。

アメリカ以外の先進国は、日本と同じ制度を採っている。
旧共産圏では「技術は盗むもの」と相場が決まっていた。しかし、経済崩壊後「西側の技術移転」を計るためシブシブ知的所有権を認めている。

981021座席と娘達

バス電車を乗り継いで通勤している。バスは2席の横座席である、満員のバスにもかかわらず、通路側に座り窓側に誰かが座ることを拒否する若い女性が目立つ。
電車になるともっと酷い。2座席を占領すること等ざらで、ほとんど「若い女性」の仕業である。できるだけたくさんの方が座れる様にと、席を詰めようものなら「変態が近づいて来た」とばかり露骨に嫌な顔をされる。知合いの娘さんに「何故か」と尋ねたら、肩が触れるどころか近づかれるだけで「キショイ」そうである。
潔癖症とも思えるこれらの行動がある反面、「援助交際」と呼ばれる男女の付き合いがあるそうだ。私には、どう言いつくろっても「売春」としか思えない。それも「若い娘さん」に限られる。近づくだけで「キショイ」くせに、見ず知らずの男性援助人に「身を任せて」も一向に構わないらしい。このギャップが、私にはどうにも理解できない。
私にとって不愉快な話も、電鉄会社にとっては「迷惑」な事態であるようだ。あの手この手を考え出す。まず、ベンチシートからバケットシートに変えた。1人毎に座席がお椀型になっている。ところが、この「お椀」にまたがって座るのである。さぞ座りにくかろうと思うのだが「詰めて座るよりマシ」ということらしい。
ある日、近鉄電車に乗って思わず笑ってしまった。ベンチシートの1座席ごとに手摺がついている、「これなら2座席を占領できまい」と、言わんばかりである。電鉄会社も若い娘さんの性向に思わぬ出費を強いられているようだ。

電車にかなりの高齢者が乗っていた。車中で気分が悪くなり、見るからにシンドそうである。前に座っている女子大生風の娘さんに「席を代ってあげてください」とお願いした。ところが、その娘が「突然眠り出した」。唖然とするやら腹が立つやら。ついにご老人は耐え切れず電車の床にへたばってしまった。周りも騒ぎ出した。でも「娘は眠ったまま」であった。
そう、若い娘さんは「疲れて」いるのだ。そうとでも思わなければ、あの「座席」に対するこだわりを理解できない。今日もシルバーシートが若者に占領されている。

追記
私にはこんな経験がある。
随分昔の事、ラッシュアワーの地下鉄で突然「この人痴漢です」と名指しされてしまった。勿論「無罪」であるが、証明のしようがない。生来の「悪人顔」だけに周りも「そうか」の目で見る。笑い事ではない、なんとも屈辱的な記憶である。私には若い女性は「鬼門」である。それ以降、出勤時間を「10時」に変更し、フレックスタイムを採用している。

981022海外旅行の悪夢

外国語はいたって苦手である。(日本語も結構不自由であるが…)それでも「海外旅行」の経験は多いほうであろう。約30回・30カ国を訪れている。そのくせアメリカ旅行の経験がない。
「怖がり」の私は銃器が苦手である。随分昔、中東紛争最中のレバノンで入国審査の際、両脇腹に「自動小銃」を突きつけられてボディーチェックを受けた、恐怖の記憶である。銃器の所有が自由なアメリカは「恐い」の先入観がある。まして旅行案内で「路上強盗に襲われた時の心得」などを読むとなお更である。そんな訳でアメリカに足が向かない。

それでも「ハワイ旅行」の経験がある。社員を引き連れ、入国審査を受けるべく並んでいたら「いきなり両脇を警備員に捉まれ」そのまま取調室に連行された、訳が分からない。
ときは「レーガン政権」時代。アメリカを蝕む「麻薬」に業を煮やし、供給国であるタイに対し「麻薬戦争」を布告していた。悪い条件が散々重なっていた、
 
・私は髪を剃り「クリーンヘッド」になっていた(見るからにヤクザ風)
 ・ハワイでは1週間前に勝新太郎が麻薬所持で捕まり世間を騒がしていた
 ・3日前にタイから帰国したばかり

調べれば調べるほど「怪しい」人物となる。

取調べはし烈である。スッポンポンにされて調べられる。パスポートなどはなから信じていない、私との応答をリアルタイムで日本に照会している。自分が「自分」である事を証明するのがこんなに難しい事だと初めて知った。
戸惑っていた私もだんだん状況が理解できてきた。免許証を所持していない事で更に疑われる(アメリカでは免許がないなど考えられないらしい)。頭にきた。服のポケットからタクシーチケットを出し、「日本ではこれさえあれば車に不自由しない」と怒鳴っていた。訳の分からぬ反論だと、後で苦笑。
やっと無罪放免されたが一言の詫びもない。荷物はメチャクチャ、私は慢性胃炎で病院処方の胃薬を常用していたが、「白い粉が散乱」している。その間、社員は観光にも行けず「待ちぼうけ」。惨澹たるハワイ旅行であった。
約10年間「クリーンヘッド」ですごした。この間イミグレで何度取調べを受けたであろうか。さすがにハワイが一番酷かったが、マレーシアでも40分尋問された。マカオでも、シンガポールでも。一番の傑作は、大阪空港での出国審査で引っかかった。幸い女房を同伴しており、「私」を証明してくれたため無事出国できた。

追記
仕事でアメリカを度々訪れている息子に言わせば「そんなに危険な国ではない」そうである。しかし、私は「ハワイの悪夢」がまだ続いている。

981023クリーンヘッド

昭和40年、18歳で私は大阪に出た。蒲団をチッキ(本人と荷物が同行する)にし、着ているものは校章を取った学生服であった。就職をした会社は半年で解散となり、私は失業した。多難な大阪生活のスタートであった。あれから33年、決して順風満帆であったわけではない。幾多の危機を自分一人の才覚で乗切った等と己惚れるつもりはない。大阪には地縁血縁が無かったけれど、不思議に「時の氏神」が現れ私を救ってくれた。
多くの恩人の一人にSさんがいる、私より2周りほども上の大先輩であった。ユルブリンナーのような見事な禿で、私を「野武士のような奴」といって可愛がってくれた。髪が薄くなりかけたとき「なあ高松ちゃん、卑怯な真似だけはシナヤ」といわれた。S氏はそれから程無くしてクモ膜下出血で返らぬ人となり、私は約束を守り「クリーンヘッド」にした。

「クリーンヘッド」は海外旅行のたびに不快な出来事に巻き込んでくれた。取引先からも「印象が悪いから…」と度々忠告を受けた。にもかかわらずクリーンヘッドにこだわり続けた。
数は少ないが愉快な出来事もあった。マカオのカジノでは「サムエ」姿で現れた私に、本物のヤクザが席を譲ってくれた。電車で席を確保するのも不自由しなかった。
南の「お店」での出来事、初めての店であった。そこで、京都から遠征してきた「坊さんの団体」と出くわした。私は「坊主ではない」ことを、なかなか信用してもらえなかった。京都のお寺の拝観料は高い、「○×寺から参りました」と、告げれば「絶対拝観料が要らない」と本物の坊さんから保証された。坊主とヤクザ…何か共通する雰囲気でもあるのであろうか?いまだに不思議である。

今は「残り少ない髪」を大切に伸ばしている。10年にわたる「こだわり」であったが、クリーンヘッドを捨てた。諸兄は「何故か」と思われるに違いない。が…
私の事である、深い訳などある筈もない。ある日、若い娘さんが「髪を伸ばしたほうが格好いいのに」と呟いた、それだけである。ようは、私はいい加減なのである。

981024携帯電話

東南アジアの街角で、盛んに利用されている携帯電話を見て「日本にこんな時代がいつ来るのであろう」と思った記憶がある。

電電公社NTTと綿々と「地上ケーブル」の投資が行われてきた、それは膨大な資金であった。投下資本の回収を擁護するため、携帯電話の規制を厳しく行っていた。それが「携帯電話後発国」となった理由と思う。
外圧に耐え兼ね、ついに「携帯電話」が開放された。一時はあふれかえるほど「モトローラ社」の電話が巾を利かした。しかし、そこは「工業国・日本」開放されれば、あっという間にモトローラを駆逐した。私は逸早く携帯電話を所持したほうであるが、7年間のモトローラから国産に代えて、その性能のよさに驚いた。最初、20万円以上の費用が必要であったが今は…
使っていた携帯電話が調子悪い。どうも「バッテリーの寿命」のようだ。そこでバッテリーを注文したところ¥5000円必要と言う、「でも買い替えなら3000円」と。何てことだろう、タダ同然ではないか。今、国産2代目の電話を手にしている。とてつもなく「機能」が増えている。私に使いこなす事が出来るであろうか。

この高性能な携帯電話のおかげで、様々な喜悲劇が起きているそうである。
リダイアル機能が付いている。大変便利であるが反面「発信記録」にもなる。奥さん、あるいは恋人にこれをチェックされ「浮気がばれた」方も多いそうである。チェック防止にため、家に帰る前に「意味もなく、あっちこっちに発信して」ごまかす作業が増えたとぼやいていた。
電話帳機能があり電話番号を登録できる。大変便利で、名詞交換の代わりに利用したりする。ところが「ヤバイ相手」の名前は暗号化したり、変名にしたりする。当然これにもチェックが入る。女性の勘は鋭く「たいてい見破られる」そうである。そこで、暗証番号の必要な「シークレット登録」が出来るそうだ。しかし、「私は浮気しています」と宣言をしているように思うがいかがであろうか?私は残念ながらまだこの方法を知らない。
月100円で通信記録が送られてくるそうである。世の女性はこれを「入念にチェック」するそうである。頻度の高い電話、夜中の電話等「チェック項目」があるそうで、これで結構浮気がばれるそうである。

文明の利器、携帯電話は今や「高校生」にも利用されている。電車での声高な電話、OA機器の誤動作など、弊害も多く指摘されている。ろくでもない利用が多いようだ。

981025食欲の秋

美食家ではない。大食でもない。でも太っている
緑黄野菜を「生で食べる」こと以外は好き嫌いもない
永らく「歯」の治療に通っている
虫歯は資質で出来ないらしい。その代わり「歯茎」が弱っている
櫛の歯が欠けるように「歯」が減っていく
この数日「激痛」が走り、流動食しか食べられない
「食べられない」ことは人生の楽しみの「半分を失う」ことだ
早く「いっぱい食べたいよ…」

981025スポーツの秋

私には「運動神経」が欠如している。
両親はスポーツ選手(オリンピック強化選手)であった。兄弟もスポーツは得意で、亡くなった兄は国体選手を務めた。しかるに、私だけその才能を受け継ぐ事はなかったようで、当然、スポーツは得意ではない。だから「スポーツの秋」は不適切なテーマと言える。

運転免許を持たず、ゴルフもしない私は「生きた化石」と呼ばれる。「何故、免許を持たないのですか」と質問されても曖昧にしか答えない、しかし理由がないわけではない。
就職して最初の仕事は、プリンス自動車(後に日産に吸収される)のショールームの設計であった。勿論、駆け出しの私はアシスタントに過ぎない。その折の話が強烈な印象として残っている。ショールームの部長氏は「若い人が車を買ってくれるのはありがたいのですが、事故を起こしても補償能力もない。売りながら心が痛みます」と、良心の呵責を話しておられた。当時、保険制度は整備されていなかった。
運動神経の悪さと補償能力の欠如が、私に免許取得を躊躇させた。時が経ち、事故に対する保険制度は完備されたが、「酒」を覚えた。天性の運動神経?に「酔っ払い運転」が加われば、いかなる事態になろうか容易に想像がつく。

981027当世「出版界」事情

出版界の事など何も知らない。友人知人もいない。でも、出版界に「異変」が起きていることは分かる。
ようやく下火となってきたが、この数年「架空戦記」物がブームとなった。史実の「太平洋戦争」は日本のボロ負けであったが、架空戦記では「連戦連勝」となる。
このブームがアメリカの言論界をいたく刺激した。「日本でナショナリズムが高まっているのではないか?」「軍国主義の復活か?」等々である。これは全くの買い被りである。「日の丸・君が代」を徹底的に否定した教育を受け、オリンピックの表彰台で脱帽する事すら知らない若者に「そんな心配は御無用」と伝えたい。

架空戦記はたわいない内容だけに延々と続く。作者にも「エンド」が見えていないのであろう。そんな訳で、作品の完成を待たず「1冊分」の原稿が出来上がる毎に出版していく。人気作家ともなれば何作も掛け持ちで「続編」の出版予定などまるでない。酷いものになると、半年一年と続編が出版されない。作者には大変失礼であるが、「どうでも良い」本だけにあまり気にもならない。が…
しかるべき本にもこのシステムが適用されだした。
出版界の事は分からないが「経済原則」なら分かる。しかるべき作家の「大作」はちゃんと「出版予定」が公表されていた。これは「原稿が全て出来上がっている」ことを意味する。原稿料はその都度支払われるであろうから、大作が出来上がるまで何年も原稿料と言う「先行投資」が必要となる。
しかし、架空戦記システムを採用すれば、1冊毎に出版してしまうため「資本の塩漬け」の必要がない。出版社にとって誠にありがたいシステムである。
おかげで、私の好きなM氏の作品など「1年待たなければ続編が出ない」有様となった。
かって、吉川英治氏・司馬遼太郎氏と言った、長編作家の作品でも毎月続編が出版されるため、読むほうも期待を持って待っていた。今は、常日頃本屋に顔を出し「記憶をまさぐりながら続編を探す」必要に迫られている。

出版界にとって便利なシステムも、読者にとっては「迷惑」であることを明記しておきたい。

追記

981102付けの産経抄に「中央口論社、読売新聞に吸収合併」の例を引き、出版不況を伝えている。私の感想は間違っていなかったようだ。

981028D邸の竣工
事務所は私を含めて総勢3名、設計チームとしては最小の超マイクロ企業である。
私のポリシーで、企画・計画・設計(構造設備は外注)・近隣協議・役所協議・各種申請・工事監理の全てを社内でこなしている。そのため、年間1〜3物件程度しか手がけることができない。

一口に「設計事務所」といっても内容は多岐に別れる。自社ブランドで飯が食えるのは約1割と言ったところか。大半は下請けで「図面を書くだけ」と行った作業が多い。また、膨大な申請関連作業を請け負う設計事務所や、現場で使用する施工図を専門とする設計事務所等があり、これらはクオリティーとは関係ない。自社ブランドでなければクオリティーを追求することができない。

D邸は1年半前の1本の電話によって始まった。場所を尋ねて訪問し驚いた。

  1. 場所は大阪の繁華街にある。
  2. 間口4.9m・敷地面積27坪である。「猫の額」と言った広さであり、「ウナギの寝床」と言った形状である。
  3. 道路は北側だけで周りはビルに囲まれて(BSの電波さえ入らない)いる。法規上の採光面は北側の4.7mのみ。
  4. 住環境としては「信じられないくらい悪条件(周りは組事務所とラブホテル)」である。反面、一歩出れば買い物から病院まで至近距離にあり、交通の便は至極良い。
  5. ここに、4世代2世帯8人が住む「大家族住宅」を造ろうと言うのである。

これらの諸条件は、30余年の設計暮らしで初めての体験と言える。ただ、西隣が「総合設計」をした大規模なホテルで、巾約5mの「公開空地」に接しており、法規上の採光面積にカウントできないまでも「実質上の採光・通風」に利用できた。これは大都会の真中では「考えられない好条件」であった。これらの条件から、コンセプトを設定してみた。

  1. 暗騒音の多い地域で、防音に注意。交通量も多く振動対策も必要。
  2. お世辞にも治安が良いとは言えない。防犯に充分注意。
  3. 採光通風に留意する。
  4. プライバシーを重視し、個室を確保。
  5. 0歳から80歳まで居住するため、安全性の確保。

これらの結果、鉄筋コンクリート造6階建て、延べ120坪の構想ができた。ただ、現行法規を満足する必要がある。規模がデカイため、普通の住宅ならばかからない規定がわんさと適用される。まさに「複雑怪奇」なバズルを解くような知能ゲームとなった。

パズルは、「ささやかな吹き抜け」を設けることにより解けた。上階に行くに従い大きくなるが、法規上の採光を確保する必要最低限にした。吹き抜け前面に化粧面格子を設け、防犯に勤めたのは言うまでもない。

この吹き抜けにより、@採光通風の確保A空調機置場の確保Bベンドキャップ(換気口)をここに設け外部から見えないようにし、デザイン性を確保C建物全体のアクセントとして利用。以上4点のメリットを引き出せた。

私は設計に際し幾つかの「実験」を試みることにしている。勿論、クライアントには趣旨を説明し了解を得た上で実行に移している。D邸においても行っている。設備を含めて内容を説明したい。

  1. 0歳から80歳までと居住者の年齢層が広い。身障者はいないが、クライアント夫婦も50代で「身障者予備軍」と言う認識を示し了解を得た。そのため全館を徹底した「バリヤフリー」で設計した。ホームエレベータを設置したが、規制の関係で4階までしか設けることが出来ない。そのため、3階までを「車椅子対応ゾーン」とし、廊下を含む共用部分には手摺を設け、トイレや浴室にも車椅子で出入りできるようにした。
  2. 規模の割に人口が少なく、1フロアの面積が20坪強と少ないため「上下移動」が多い。4階まではエレベータで対応し、4階以上は「健常者ゾーン」とした。
  3. 多機能電話交換機を設置。電話を必要とする個所がべらぼうに多い、その割に人口が少ないことを考慮し、全館に「PHS」アンテナ網を設置した。固定電話は浴室やエレベータと言った「緊急通知」用とテレビインターホンの受信用に限定し、他は個人が携帯するPHSで対応。なお、PHSでオートロック操作・個人間の連絡(フロアが別れるため通信手段が必要)ができるようにし、勿論外部でも利用できる。
  4. コンピュータと連結する「情報通信線」機能と、将来看護が必要となった場合の「監視機能」を持たすため電話線は各室に設けている。
  5. 各室床ペリメータには「ピット」を設けた。フリーアクセスフロアと同様な機能を持たせ「将来にわたり不確定な電気需要」に対応するようにした。ピットには電源のほか情報通信線(電話・テレビアンテナ線)を挿入し、どこからでも取り出せるよう配慮した。ピットは「床デザイン」としても活用している。説明をしなければ、この設備機能に気付く方は少ない。なお、このアイデアは某フリーアクセスフロアメーカーにより「商品化」が検討されている。
  6. 人が移動するため、共用部(交通部を含む)は人感センサーを設け、自動で照明が点灯するようにした。なお、プライベートゾーンはリモコンを採用。
  7. 全室に冷暖房の他、空気清浄器付き全熱交換器(熱をロスすることなく換気を行う)を設置した。高性能な防音サッシを使用し気密性が高いため、不可欠な装備となった。
  8. 廊下壁面は収納家具で埋め尽くされ、僅かなニッチも収納に利用した。豊富な収納スペースはクライアントから喜ばれている。
  9. 居室の天井高は2.7mあり普通より高い。梁型の下端で回り縁を設け、面白いデザインに出来た。

自立して21年。住宅の設計は8軒目である。一生の記憶に残るような建物はそんなに多いものではない。私は今、幸せを感じている。

981029パンツとダイエット

パンツと言っても下着ではない。最近、女性用のズボンを「パンツ」と称するそうである。おそらく「Gパン」もここから来ているのであろう。
毎年ファッション業界から「今年の流行は…」と発表される。しかし日本人も個性的になり、近年これに踊る人はめっきり少なくなった。ファッションあるいはアパレル業界は、若者の嗜好を読むのが大変であろう。
それでも「パンツスーツ」は目に付く、かっての「ミニスカート」のように根強い支持を得ているようだ。おかげで、当社の女性職員の「アンヨ」を私は見たことが無い。ただし、ファッションなのか「私を警戒して」のことなのかは定かではない。

若い女性に「ダイエット」が大流行である。それも「充分痩せている」にもかかわらず、ダイエットに腐心する姿は異常である。これは明らかに行き過ぎで、聞くところによれば「生理が止まった」とか、極端な例では「子供の生めない体」になった人もいるそうである。痩せすぎは様々な弊害を招く、最近の女性から張りのある「肌」が消え、みずみずしさが失われている。私には「痩せる=美人」の錯覚があるのではないかと思える。「健康美」と言う言葉がどこかへ行ってしまったようだ。
「中年のイヤラシサ」と非難を受けることを承知で言えば、男は「痩せた女を決して魅力的と思ってはいない」ことを告げたい。まして、「水を弾く」肌を持たぬ女性など少しもセクシーに感じない。
私の名誉のために申し上げるが、若い男性にも「痩せ過ぎ」は気になるらしく、「これ以上痩せないでくれ」と哀願する恋人の声を何度も耳にしている。

ある日「ミニスカート」の若い女性を見て納得したことがある。
彼女はまるで、骨に直接皮を被せたかのごとく細い足で、骨が目立つため「綺麗な足」とは程遠い。肌は乾燥し、カサカサに見える。「だから、醜い足を隠すためパンツを履くのか…」

981030濡れ落ち葉

もう7年程も前になろうか、5人で酒を飲んだ際の話。
それぞれ異なる職業を持ち、バブルも弾けた直後とあってなんとなく元気がない。何がきっかけであったか記憶にないが「何らかで一人もんになったら再婚するか?」と言う話になった。それぞれ結婚暦20年前後で、それなりに倦怠感はあれど格別家庭に不和を抱えているわけではない。
非再婚派は3人。「必要な時に女があれば良い」と言う。夫婦あるいは家庭に対し「夢は捨てた」と言う感じである。
再婚派は私ともう一人。皮肉なもので、彼はその2年後に肝臓癌で亡くなった。自ら「癌」を見つけ、家族に告知している。1年を掛け「自分の幕引き」を準備したが、程なく会社は倒産した。友を亡くした悲しみにその家族の不幸が重なり、随分辛い思いをした。
再婚派には「城」の意識がある。「戦い」が好きなくせに、負けた時に逃げ帰る城を欲している。普段は家庭など顧みもしないのに…、ようは「我が侭」なのである。
家庭を背負って立つのは「重荷」である。どこかその重荷から開放されたいと、男には「離婚願望」がある。そのくせ「重荷」が生き甲斐になっていることに気付かない。

こんな話をした友人がいる。定年を迎えたその日、妻の前に座り深々と頭を下げ「永い間お世話になりました」と礼を述べる。風呂敷きに当面の衣類を包み、家も財産も何もかも妻に渡し「一人再出発」する。これが理想と言うわけである。逆「濡れ落ち葉」と言ったところか?私にも、この気持ちは共感できる。矛盾だらけの感情であるが、安らぎと冒険を求め、強がりを言ったり弱音を吐いたり…「濡れ落ち葉」になる恐怖を持っている。
アメリカほどではないが、日本もずいぶん離婚が増えたそうだ。家庭崩壊と取る見方が多いであろうが、「自分に正直」とも言える。「生涯に一度だけ最愛の人に巡り会える」こんな人生観を持つ男性は多いが、それが「妻」とは限らない。これぞ「最愛の人」と離婚に踏み切っても不思議ではない。

最近「再婚問題」に悩んでいる知人がいる。50歳を過ぎての再婚ともなると、奇麗事だけでは済まないようだ。最愛の人などと「愛情」だけに還元して考えれば美しい物語になるが、話を聞いていると、いかに「安心して濡れ落ち葉になれるか…」と言うのが重要な選択肢になっている。愛情より打算が優先していても、非難することは出来ない。老後とはそれほど不安なのである。

981031
10月に記入
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