大和三山の一つ「耳成山」に程近いところに「重要伝統的建築物群保存地区・今井町」があります。
江戸時代初期に天領となり、高取藩預かりとなっている。
高取藩自身が裕福であったことから苛斂誅求はなかったであろう。今に残る街並みからも「並外れた裕福な街」がうかがわれ、江戸時代は商家を中心に発達したようだ。その余剰資金を活用して『大和の金は今井に七分』と言われたほどの「金融の街」になっている。
明治になり鉄道建設が打診された。しかし、今井町商家の反対で鉄道は八木に通ることとなった。そのため、急速に今井は寂れていく…
今は「町興し」に懸命です。ただ案内標識や休息施設の整備等これからの課題も多いように見受けました。ぜひ、見学に行かれることをお勧めします。
|