建築あれこれ雑記帳 1998年7月
土地本位制からの脱却

律令制
「日本には、クーデターはあったが革命はなかった。」と、する説がある。
我が国は古来より、権威と権力を分離してきており、「権力の交代はあっても権威の交代が無かった」と言うことが根拠になっている。
歴史を見れば、権威の交代が無いとは言い切れまい。
権威をつかさどってきた天皇家の歴史で、継体天皇・壬申の乱・南北朝といった時期に中身がすりかわったと見るほうが素直である。
しかし、何れも「正当な継承」を唱えており、中国に見る「易姓革命」の要素はない。その意味では「権威の交代はなかった」と言える。

ここで言う権威とは、今日的な意味とニュアンスが違い「神への恐れ」と言った感情に近い。
今日的意味での権威を持ち続けたのなら、応仁の乱から戦国末期に覇を唱えた武将に、援助の手を差し伸べられるまでの「尾羽打ち枯らした生活」などあるはずも無かろう。
その間に、戦国の梟雄松永弾丞(志貴山城城主)による「東大寺焼き討ち事件」があった。それでも境内にある「正倉院」には手を付けていない。警備の兵がいるわけではなく、宝物も思いままに略奪できたであろうに…彼と言えども「神への恐れ」があったようだ。

7世紀半ば、天智天皇により「近江令」が発布される。中国から輸入した「法体系」が日本で始めて適用された画期的な出来事であった。後、律令制度と呼ばれる。
律令は法全般を統べる体系ではあるが、「土地」に関しても画期的な内容を含んでいた。「土地を全て公有として、農民に貸与する」形式を取ったのである。
この時期(天智天皇に続く天武天皇を含め)権力と権威が天皇に集中した希有な時代であった。
中国において法体系ができたのも、中央集権的な権力があればこそであり、この時代に我が国に律令ができたのは偶然ではない。

時が流れ、藤原氏が権力を握り、権威が再び分離すると「荘園」と呼ばれる「私有地」が現れ、律令を有名無実としてしまう。土地の公有化は短期間で終わってしまった。
この時から、我が国独自の「土地に関する概念」が醸成されていく。

平安朝(794〜1185年)初期まで、中国大陸の政情に影響されては、朝鮮半島で国の興亡が起き、その度に貴族が我が国に亡命をしてきた。渡来人達である。彼らは、我が国で政府高官として向かえ入れられる。
著者のお名前を失念したが、平安初期における「渡来貴族」の割合を研究した学者がいる。その研究によれば70%以上が渡来系で占められていたと言う。筆者は歴史が好きで、読書をよくするが、渡来貴族のために「通訳が存在した」と言う記述を見たことが無い。彼らがそのまま溶け込める環境が存在したようだ。
反面、人類学の研究から「日本人はモンゴロイド」に属しており、明らかに中国朝鮮系と人類学上異なる。これは何を意味するであろうか。素直に考えれば「貴族社会と庶民は二重構造であり、異民族支配」に近い状態ではなかったかと思う。

平安時代末期、貴族社会のボディーガードであった「武士」が台頭する。
任地に赴かぬ貴族に代わり「守護・地頭」として領地を治める。彼らは、やがて領地を収奪し自立を始める。異民族支配者から土地を取り返すことに、後ろめたさはなかったであろう。
領地を失った貴族社会は没落する。
さらに、未開の地に鍬を振るい武力で土地を守る集団が現れる。まさに「屯田兵」の姿であった。「一所懸命」の言葉はここから生まれる。我が国における土地取得は「国から貸与されるもの」ではなく、「自ら勝ち取るもの」に変貌していく。下克上の始まりである。

更に、時は流れ
戦国時代も半ばを迎え、織田信長により「兵農分離」が行われる。封建制度の確立であり、屯田兵からの決別である。
豊織時代を過ぎ、徳川家康によって全国統一がなされると「国替え」が政策の一環として利用されるようになる。しかし、領主は替われど「領民」が移動するわけではない。かくて、土地は領民に帰属することになる。

上智大学渡部教授によると「先進国家」の多くが封建制度をへて近代国家に衣更えをしていると言う。筆者にはその因果関係が分からないけれど、面白い附合だとは思う。
しかし、ヨーロッパにおける封建制度と日本のそれは著しく異なる。ヨーロッパでは領民は領主に隷属しており、戦に負ければ皆殺しか奴隷となる。城壁国家が誕生したゆえんもここにある。
我が国では、領主の戦であり、被害はあれど基本的に領民の戦ではない。
我が国は「奴隷制度」をもたぬ希有な国であった。領主の勝ち負けが領民の生死や地位を変えるものではない。それゆえ、敵が勝っても「領民代表が戦勝祝いに駆けつける」強かさを身につけていく。
領主が握っていたものは「警察権と徴税権」だけであり、ヨーロッパのように領主が土地所有者であったわけではない。

農本位制
以上述べてきたことを「土地所有」に限って見てみると、
律令制による国家所有⇒貴族所有⇒武家所有⇒領民が所有
このように変遷してきていることが分かる。領民(一般市民)が土地を所有するようになって400年あまりになろうか。このことは、後々重大な影響を与える。

領主(支配者)が徴税権を有していたことを先に述べた。税は農産物(主に米)と労働奉仕であった。
12世紀、鎌倉幕府成立(封建制度のスタート)以来この農産物が経済の全てを決める物差しとなっていく。
特に、兵農分離が進み武士が支配階級となるに従い、米が経済の裏付けとして重要な意味を持つようになる。
これは人口の推移を見ても分かる。封建社会700年間に人口は1800万人から3000万人に増えているに過ぎない。(明治時代の45年間で3000万人増えていることを考えれば)この人口増は緩やかなものである。農業で養える人口以上には増えようが無かったわけである。まさに、「農本位制」の時代であった。
土地所有の仕組みは代わっても、農業生産量から人口の制約を受ける「農本位制」は古代より面々と続いてきた。

明治維新は革命と言っても差し支えない激動をもたらした。権力者みずからが「権力を否定」するクーデターを起すなど、諸外国では考えられない出来ごとであろう。いや、今の日本でも考えられない。国が破産の危機を迎える現在、それでもなおかつ「自己利益」を計る官僚が後を絶たない。

ただ、リアクションはあった。萩の乱・秋月の乱と続き、西南戦争で幕を閉じる。これらは、権力を放棄した武士階級による反乱であった。しかし、農本位制への回帰をスローガンにした「秩父騒動」は意外と知られていない。

金本位制
明治政府は「国際社会への参入」を目指し「金本位制」を導入する。合せて富国強兵を計る。
農本位制から金本位制の移行は大変な混乱をもたらした。特に、農本位制の主役「農民」を直撃した。農本位制では彼らの作る「米」こそ貨幣であったが、「金」を経済の裏付けとする「金本位制」は最も縁の無いものであった。
米で納めていた税を「金」で収める必要に迫られた彼らは、農産物を金に変えるのではなく、土地を金に買えてしまった。明治時代「小作農」が大幅に増える理由がここにある。

この間、農民以外はどうであったか。落語の世界で、「長屋の隠居」に「熊さん・八さん」が登場するように、持ち家は遠い夢であった。土地の税が高く、庶民が持ち家をもつことが困難であった。まして「遊休土地」などと言ったふざけた真似はできない。地主は税負担を賄うため、せっせと長屋を作ることになる。
今日(こんにち)、税の主役となっている「所得税」は、太平洋戦争を控えた当時の政府により「戦費調達」の手段として取られた臨時課税であった。都市労働者は、長屋に住む限り以外と気楽な暮らしができたようだ。

土地本位制
太平洋戦争に敗れた日本は、再び激動の時代を迎える。外圧による革命であった。
GHQの政策、シャープ勧告と矢継ぎ早に制度が変えられていく。第2の異民族支配である。
土地に関して最大の変革は「農地改革」であった。日本から小作農を無くし、同時に大地主をなくす手法である。本国アメリカで受け入れらることの無かった理想主義者(一説によればコミュニストともいわれる)達による「日本改造」であった。

いつの時代にも問題があり、その解決策が次の問題点となることを繰り返してきた。この、農地改革も次の時代の大きな問題点とし浮上する。農地改革は、全国に地主(自作農)を作り上げた。

シャープ税制は税構造の基本を変え「土地を持つことによる負担」から開放した。特に、農地課税は宅地に比して1/100以下になり、タダ同然で手に入れた農地を、税負担を感じること無く維持できる制度まで合せて附加された。
これは後に「土地成り金」を作る根本原因となる。戦後の占領政策は、農民に再び「土地」を与えることになる。

筆者には不思議なことがある。
GHQの理想主義者が、理想に燃えて作った憲法を金科玉条のごとくいまだに大事にしている。その中で「無制限とも言える私有権」を認めていることだ。これは理想主義とは相容れないことである。
第2の異民族支配は、とんでもない置き土産を残した。

先進諸国の土地所有形態は、公有ないしは制限付き私有が普通である。
アジアには旧英国植民地が多く、制度を受け継いでいる。そこでは「99年の土地使用権」が普通である。
アメリカは土地私有を認めているが「公共優先」を明確にうたっている。買収契約も済まないうちに「公共工事」が進行するのが当たり前である。文句があれば「裁判しよう」が原則の国である。
我が国憲法における「無制限な私有権」ができた背景として、戦前軍部による「乱暴な土地収用」があり、その反省から「国家による土地収用に歯止めを掛けた」と言われる。しかし、成田闘争に見るように、一人の反対で国の表玄関「成田空港」が10年も遅れるありさまである。歯止めどころか「がんじがらめの鍵だらけ」が現実である。
タダ同然で土地を配分し、税負担もタダ同然にし、挙げ句「無制限な私有権」を付与することが、理想主義者の「理想」であったのであろうか?我が国にとてつもない禍根を残すことになる。

時はめぐり、「ニクソンショック」と呼ばれる変革が世界を襲う。
アメリカは突然「ドルの兌換制」を廃止した。今までドルを裏付けた「金」との交換を打ち切ったのである。ここに「金本位制」が終わる。

同時期、田中総理大臣による「日本列島改造論」が声高らかにぶち上げられ、日本経済の高度成長とあいまって「土地神話」が確固たる地位を築く。
「土地は必ず値上がりする」といった神話ができ、日本全国が土地狂いを始める。アメリカの1/20しかない国土面積の値段が「アメリカの何倍にも相当する」といった異常事態の出現である。
金融機関は「湯水のごとく」金を貸し、投機を煽る。土地値を裏付けとした資産評価がまかり通り、株価はうなぎ上りに上昇する。「バブル時代」の到来である。そこには「経済原則」のかけらも無い。過ぎてみればなんと無謀であったか。坪当たり1億円の値が付き売り買いされる。「どんな商売をすればそんな土地で採算が合うのか?」といった常識の通用しない。まさにバブルであった。

タダ同然で手に入れた「土地」が一躍脚光を浴びる。都市近郊の農家は「1万円札の上で農作」している状態。税負担はない。私有権のおかげで「いつ誰に売るかは俺の自由」となる。
潜在的にあった「土地本位制」が金本位制の終焉とともに一気に顕在化する。
土地を持つことは、何よりも資産形成であり、経済原則など関係ない。銀行、ノンバンク、農協、およそ利用価値も無い土地を担保に金を貸す。欲しくもないのに「金を借りろ」と強要される。訳の分からない時代であった。

金本位制の終焉で諸外国はどう変わったであろうか。元々「土地担保」に金を貸す習慣の無かった諸外国は「土地本位制」に走ることはなかった。融資の担保に「技術評価」を据えてきただけ「技術本位制」に移行していく。
土地が公有であったり、制限付き私有では「担保」になり得ない。我が国とは決定的な差であった。

あまりの加熱ぶりに、大蔵省は「総量規制」と称して、金融機関に貸出しの枠を設けるよう指導する。国土法を振りかざし、土地取引を牽制する。バブルつぶしに躍起になる。その結果を考えもせずに…

土地本位制からの決別
世間のバブルが終わる。会社のバブルも「リストラ」をへて終わる。家庭のバブルはなかなか終わらない。
金融機関のバブルは100兆円とも言われる不良資産を抱え、いつ終わるとも知れない。主要銀行19行中2行が霧散した今も「危機感」を持つ行員は少ない。公的資金投入、低金利の名のもとに国民の利子を食いつぶし、そのくせ「高賃金・高待遇」の既得権を手放そうとしない。
「金貸さぬ・銀行と言う名の・珍商売」と言う川柳が出るほどひどい「貸し渋り」。今や金融機関と名ばかりで、企業経営者には何の頼りにもならない。
膨大な不良資産を抱える原因となった、「バブル時代の土地融資」の反省はない。元々、経済原則を無視した融資だけに「バブルが弾けりゃ」戻るはずも無い。これほど手ひどい目にあっても、いまだに融資には「担保の土地は?」としか言えない。学習効果がこれほど無い業界など助ける必要などあるのかしら?と、疑問に思うこともしばしばである。

土地価格は、バブル時代の1/3を割り込み、バブル以前の水準すら下回っている。
需要と供給の関係で価格が決まる。経済原則である。反面、採算無視の価格はありえない。

バブル時代、需要が多くて価格が上がったことは事実である。しかし、あっという間に採算限界点を超え、価格が一人歩きしたことが悲劇に繋がっている。
土地価格が1/3になったと先に述べた。これとて「実態」かどうか定かではない。バブルのなかなか終わらない個人が「誰も見向きもしない価格をつけ」ている場合が多く、明らかに供給過剰である。需要との関係で言えばまだまだ下がる。

平成10年4月、金融ビックバンの第一歩が始まり、金融機関の土地取引が解禁された。担保流れで、山ほど抱えていた「土地」を放出できる環境ができたことになる。金融機関の抱える土地が「在庫状態」ですら、ダダ下がりの土地価格は、放出により一段と下げることになる。
ディスクロージャーが叫ばれて久しいが、破綻を迎えなければ決して「情報公開」されない。金融機関の抱える土地は半端な量ではないらしい。不良資産の削減をするために「担保評価の2〜3割」程度で捌かれる日をまっている。「さらに1/3まで下がるのではないか?」と知合いの金融機関責任者が漏らしたことがある。

値上がるときはあれほど欲しがった土地も、下がるとなれば見向きもしない。仕事柄、土地とまったく関係がないわけではない。たまに土地が必要な話があっても「定期借地権」で充分と言ったことが多い。かくて、世間に土地在庫の山を築くことになる。

更に恐ろしい予想を述べる識者もいる。専業農家の就労平均年齢は60歳を超えている。それに対し、新規農業就労者(中卒〜大卒までの合計)は年間3700人程だと言う。
後10年もすれば、物理的に「農業を続けられない」状況に至り、農地が世間に放出される時代がくると予想している。こうなると、土地神話どころの話ではない。

バブルの後追いで土地評価の数値だけが上り、公示価格・路線価・評価額は、取引き事例価格の2〜3倍をつけている。今また、毎年これらの数値が下がってきているが、土地の値下がりに追いつくとは思えない。かくて、法外な固定資産税や相続税を払うことになる。土地を持つことが「苦痛」になる時代とも言える。

しかるに金融機関は今もって「土地担保」でしか話をしようとしない。
仮に、現時点で「厳しい担保評価」をしたところで、今後大幅に下がる要素を含んでいるだけに「担保割れ」を招くのは必死である。
個々の「技術・事業の評価」と言った新しい判断基準を持たなければ、外資系金融機関に太刀打ちできないであろう。
個人においても「意識変革」の遅れが目立つ。「土地さえあれば事業ができる」「土地を資産として考える」人が後を絶たない。なかなか「土地本位制」から脱却できないでいる。

不活発であるが、土地取引が無いわけではない。
土地本位制の夢覚めやらぬ人には気の毒であるが、恐ろしいまでの経済原則で取引きされる。
「とりあえず買っておこう」といった無目的な購入はまず無い。それどころか、今時の土地取引には「資産」の概念が薄い。単なるビジネスのための「仕入れコスト」と割り切っている。「投資に対して収益が得られるか」が全てで、含み資産と言った収支外の計算が入る余地はない。

大阪の事例で言えば容積1種当たり30〜50万円/坪で取引きされており、梅田、難波と言った特殊な場所を除けば、300万円/坪を超える土地はめったに無い。採算から見る土地値段はそんなものであろう。(990703追記:もっと低下している)

日本経済は昏迷の限りをつくしている。先般の参議院選挙で自民党が惨敗し、橋本総理は引責辞任のやむなきに至っている。では、自民党以外が政権を担当していたら今日の経済は変わっていたであろうか。
筆者はそんな期待を感じることができない。例えば、株価が低迷しているが、企業業績から判断すれば「こんな低いはずが無い」ものが多い。バブル時代、会社の業績とは関係なしに、所有する不動産だけで株価を評価し、勝手に株価が高騰した前例を持つ。今は同じく土地価格の下落だけで連動して株価を下げてはいまいか。企業が持つ技術開発力、生産能力、販売実績と言った本来の判断基準が地価下落で歪められるとすれば、日本のために悲しむべきことである。

事業本位制の確立
有史以来の長期不況を味わっている。筆者はこの辺で発想を変えてはどうかと思っている。
散々バブルの悪口を述べてきたが、「全て悪かった」と思っているわけではない。バブルは日本人に「豊かさとは何か」を教えてくれた。バブルが弾け、可処分所得の目減りがあっても「豊かさ」を維持している人々が多い。世界有数の経済大国なってもなかかな抜けなかった「貧乏人根性」の多少の払拭にはなったと考えている。

人口のピークを迎えるのは、もう少し先であるが、若年層の減少はとっくに始まっている。だからこそ高齢化社会が叫ばれているわけである。
日本経済はもう成熟し、高度成長など有り得ない。これからは入れ替え需要が主になろう。不況意識を捨て「こんなものだ」と思えば消費も少しは回復する。
消費税の5%が景気冷え込みの引き金を引いたといわれるが、諸外国を見れば一桁の消費税など日本以外には無い。事実とすればあまりに過敏な反応である。誰が政治の指導者になろうとも、この「過敏症」を直さなければ経済の回復など無いのではないか。

先に、最近の土地購入には「資産」の側面が薄いことを述べた。
過敏症を直し、意識改革をするには「資産の概念」を見直すことが最も早いと筆者は考えている。
大変乱暴な意見であるが、土地に「原価償却」の概念を入れることを提案したい。資産は「動産・不動産」にわかれる。不動産でも土地だけは特殊で「減価償却」の対象になっていない。これは「土地は再生産がきかない」と言うのが理由である。

個人においても「土地」を資産の中心に置いている人が多かろう。地価の下落は「個人資産の減少」を意味し、余計財布の紐を締めている。そもそも不動産には「価値不変」のニュアンスがある。それが日々目減りするのだから消費マインドも落ち込むはずである。

しかし、土地購入を「事業に必要な仕入れコスト」とする考え方が底流で発生した。いつか大きなうねりとなって表面に出るときがくる。不動産投資と、その収支計画をここで説明することは大変なので避けるが、土地が減価償却の対象になれば収支計画が「大きく有利に変わる」ことだけは断言できる。有利に変わればビジネスチャンスが増える。経済の活性化に繋がることは間違い無い。
税収担当からクレームがつきそうである。しかし、徴税するタイミングがずれるだけで税収が変わるわけではない。
土地価格を減価償却すると年度毎の課税対象額が減り税収が減る。
事実上の減税効果が生まれる。
課税対象額=収入−経費(減価償却費は経費参入される)

反面、土地売買益に対する課税は、簿価(取得価格:仕入れ価格)との差額に対して課税される。
土地価格を減価償却すれば、簿価が減り「課税対象額」が増える。
課税対象額=売却価格−簿価

研究すべきことは多いであろうが、国民に蔓延する「土地本位制」の払拭には劇的効果があると思うがいかがであろうか。

土地本位制から脱却してもそれに変わる「価値基準」を見つけなければならない。それこそ、諸外国並みに「事業本位制」に変えるべきであろう。
企業の持つ開発力や販売力を評価せず、土地を信用してきたために、地価の下落で経済を混乱させ、外国の格付け機関の評価に振り回される羽目になる。政府官僚、金融機関だけではなく、われら一般市民も新しい価値を持ちたいものである。
990703追記
最近、ある銀行マンと懇意にしている。
4人セットで行動していたが、いつのまにか私と話すようになり、他のメンバーと決別したようだ。何があったかは知る由も無いが、他から聞こえてきた情報では「他の3人は降格」されたようだ。
当論文で辛らつに銀行を批判しているが、彼の勤務するF銀行では、マスコミに報道されない自己浄化作業が進行している。
融資審査の中心に企業評価を据えるべきだと言う私の持論に賛成してくれる。彼は、「土地担保至上主義」の上司に、机を叩いて抗議したそうだ。ただ、優秀な工学系出身者に「かばんを持たせて外回り」させたツケは大きく、企業査定のスタッフが揃っていないことも事実のようだ。
行内でも「声高」で企業評価を唱え、それが評価され4人組の中で彼だけが昇格した。

私の叫びと関係無く、「土地本位制」は崩れていくだろう。
建築基準法の改正がそのスピードに拍車をかけるであろう。どれだけの人が混乱無くテイクオフ出来のであろうか?
ある出来事があり、持論を掲載した。


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